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ちょっとしたこと 見せてくれる店 2012/05/13 5:45 pm

といっても、商品を売らんかな、ではありません。鉢植えで育ててきた花が、いよいよ咲かんとしているので道行く人に見せたくて飾ってくれる。

または、商品をまるでアートのように鑑賞させてくれる。店名もオシャレに見せてくれる。といったことです。

こういう店が多いところは、人もゆっくり歩きます。ただ物を売るだけの店が並んでも、人は歩かないということですね。




写真は古いお茶屋さんです。植木鉢が4つ。どれも一年中ここにあるのではないのでしょう。いつもは、店の奥、住まいの方にあるのだけれど、花が咲き出したので表に持ってきた。そんな、主人の動きが読み取れます。

通りかかった他所の人は、「あら、きれい」。地元の人なら「あら、今年もよく咲いたねえ」。そんな声が上がるでしょう。






けして、立派な植木でもなく、鉢でもなく、でも「見せたい」と育てている、そんな花鉢です。店の外にはお茶を焙じる香りが漂い、印象深い佇まいです。

咲きそろったフラワーポットを商店街予算でずらっと植えて、まだ咲いているのに、引っこ抜いて、次の花を契約業者が植えていく、そんな花とは血筋が違います。






一方、この写真は豆腐料理の店。メニューが立ててある、その下にウツギでしょうか?白い花の鉢。これもたびたび変わるのでしょう。






お菓子屋さんの看板?というより、店名。う〜ん、見せてくれますよね。









帽子と靴の店。「20%OFF」なんてポップがあるより、ずっと人を引き付けますよね。帽子も靴もアートしてる。












こういう店がたくさんあれば、いつも、何度も、うろうろしてしまいますね。買う用がなくたって、見せてくれるものを、見に行ってみようじゃないか、と思います。そういう小道は人通りが多い、しかも、歩く人も品よく歩いてくれるというもの。






まあ、この亀たちも見せてはくれますが・・。
どこかって?奈良町ですよ。そりゃね、やっぱりね。でも今以上に変な店が増えないようにしないと・・。ぎりぎりってところかなあ。

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一店逸品運動 逸品物語 2012/05/06 6:38 pm






連休に家を片付けていたら、静岡市呉服町名店街でやった第1回目、つまり全国初の「一店逸品運動」についての記録が出てきました。

「新逸品」を開発し、「逸品フェア」を開催、「逸品カタログ」を発行した1993年の私の仕事です。おお懐かしい!

以来この運動は商店街活性化手法として、各地に広がりました。約20年、この間の逸品運動について、そろそろまとめ書かなくてはと思います。

これまでもこのブログで「一店逸品運動」がらみのことは折りに触れ書いてきましたが、しっかりその気で書き始めますね。なにぶんにも記憶はあやふやです、間違いがあったらご容赦のほどを。

さて、当時私は静岡に住み、編集プロダクションを営んでいました。編集とはいいながらも広告の仕事や、取材や、何でもやっていました。

そして、「ゆとり研究所」の名前で、そろそろ地域へのアドバイスを始めたり、「余暇コーディネーター」の肩書きでラジオ・テレビへの出演やら、情報提供などをしていました。

そんな時に、静岡市の中心街、駅前の商店街通りにある「呉服町名店街」から声がかかりました。「商店街の環境整備(モールアーケードやモニュメントなどのハード整備)をするのだが、その前に先行してソフト整備をしていきたい。ロゴやスローガンを考えてほしい」という話でした。

静岡が駿府と呼ばれていた頃に、駿府に隠居した徳川家康が町割をし、駿府96ヶ町が定められ、そのころから呉服町と呼ばれてきたまち。古くは木綿座の長が住み、戦前まではたくさんの呉服屋が並んでいたとのことです。

そこにある78店舗が加盟する商店街、呉服町名店街は静岡の顔と言ってもいいところ。私も毎日のように、使っている商店街でした。

せっかく「ごふく」という言葉を持つのだから、呉服⇒五福という展開にして、5つの福に出会えるまち、という考え方にしようと提案しました。その「五福」とは「ゆとり」「遊び」「学び」「暮らし」「伝統」の5つです。

そしてさらに、その五福を五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる)で体感できるまち、としました。

スローガンコピーは【呉服町は五福町、5つの幸せがあるところ】と【五感の幸福(しあわせ)】としました。アーケードのかまぼこ型のカーブを活かしたいいロゴデザインもできました。

私が30歳代終わりの仕事です、ずいぶん力が入っていたなと多少反省しますが、今でも呉服町名店街のホームページに使われていることに、頭が下がります。

こうしたコンセプトワークは、コンサルタントがただ考えてポンとアイディアを持っていくよりもみんなで考えた方が時間はかかりますが、根付くものになります。と、私は思います。

ゼロからというわけには行きませんが、コンセプトづくりは商店街の役員の方々の意見などうかがいながらの作業でした。その間に、何度か商店街の事務所にうかがいます。

どこの商店街もそうでしょうが、表のきらびやかな世界と違って、事務局は質素な作業場風のところ。呉服町名店街の会議スペースも、古いビルの一室、積まれたチラシや幟旗に囲まれた暗いところでした。

そこで商店街のおじさんたち(失礼)が腕組みをし、タバコをふかしながらウンウンと考えるのですが果たして、ここの場に女性の役員は現れないのか?私は疑問でした。商店街のことは実はおじさんたちが考えていたんだ、と驚きだったのです。

しかも、一様に楽しくなさそう。(これまた失礼)商店街のこれからなんて、考えるだけでワクワクすることなのに、出てくるのはマイナスの話題が多く、正直、憂鬱がこちらに移りそうでした。

「でも、あそこのお店いいですよ」「最近あのお店、おもしろいですよね」なんて話をしても「??」という感じ。同じ商店街の店のことなのに、もしかしたらこのおじさんたち、自分の商店街について詳しく知らないんじゃないかな、と思いました。

スローガンやロゴだけができても、商店街のソフトが整うわけではありません。この人たちが変わらなくちゃ・・。

ちょうどその頃、横浜の元町でお店の「逸品」と称して目立つようにしている、「ああいうのいいよね」と報告があり、そういう取組をして行こうということになりました。

それぞれのお店の、逸品を調べよう。アンケート調査をして自慢のものや、自慢のことを出してもらおう、ということになりました。商店街から調査票を送りました。締め切りを決めても、返事はごくわずかでした。

催促をしてやっと、「自慢のものは特にナシ」なんて書いてくるお店もありました。まあこれは今でも、どこの商店街でもこんな感じだとは思います。

でも、「自慢はナシ」という、そんなお店が並ぶ商店街に、誰が行くのでしょうか。「こんな自慢、あんな自慢があるからぜひ来てね」という意気込みが伝わって、お客様も足をむけるというものです。

それでは、と、アンケートを確認する形で、各店の自慢を見に、ついでにお店の印象調査もと全お店に出向きました。私の事務所の女性スタッフ数人でお店に回りました。

多少覆面調査めいた部分もあったので、「店番のおじいさんがにらみつけて恐い」「店頭のメニューのロウ細工が埃だらけ」「すぐに店員さんがべったり寄ってきて店にいられない」など、ドキリとする率直な感想も出ました。

一方、「すごくいいものがあるのに、もっと自慢すればいいのに」「あんなことをしてくれるの、みんな知らないのでは」という、良い発見も多々ありました。

この各店の○も×もそっくり書かれた調査レポートを商店街全体に回覧しました。少々荒治療です。怒った怒った!プンプンになったお店もあれば、「へえ、うちの店は結構いいんだ」と自信をつけたところもありました。

レポートがきっかけで、同じ商店街のお店なのに入ったことのないお店に、他の店主が「レポートにあったのどれ?」なんて入れるようになりました。

そして、悪いところは直そう、良いこと、良い物はもっと自信を持って自慢しよう。という気分になっていきました。そう、これが世の中で初めて生まれた「一店逸品運動」の出発点となります。(つづく)

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お仕事 じんじろぐるマーケット 2012/04/26 9:37 pm

島の若者が、おばあちゃんたちが使ってる「じんじろ車」という押し車を集めて、朝市をやったらおもしろそう。と、思いついたのは数ヶ月前のこと。

できるかしら?と心配していたら、なんと25台が出店。ワカメや小女子を売る初の市が強風にも関わらず開催されました。名づけて「じんじろぐるマーケット」これから鳥羽市答志島の名物に育っていくことでしょう。



これが「じんじろ車」。じんじろ車については、以前に書きました。それを使って朝市とかレースとか、楽しい計画は膨らんでいたわけです。

でも、誰がやる?人が来る?売れる?雨ならどうする?
検討事項は山盛りで、島のお宿の若者たちは、なかなか動き出せないようでした。以前のブログ↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=121&cat_id=3







でも、とにかく1回やってみようと決めた開催日、前日に島の宿に入ると、お宿の玄関にじんじろ車、部屋のテーブルには手作りチラシ。

会議で悩んでいたあの若者たちが、動いた!というのが伝わってきます。






朝、宿からはマイクロが送ってくれます。「じんじろぐるマーケット」飛び切りの強風にもめげずに開催されていました。


じんじろ車の上に板をのせればお店の出来上がり。いつもの車が、今日はお店です。
























買い物も「じんじろ車」で。子供も「じんじろ車」で。




























売っているのは、島で旬のワカメ類、小女子類。生だったり、ゆでたものだったり、煮たものだったり。ほとんど同じ商品構成は今後の課題としても、まあ、初回ですから「よくやった!」の一言です。













六地蔵のようにいつも座っているおじいちゃんたちも「風がひどいのに」「こっちでやったらどうだね」とさまざまつぶやきます。









干してあるワカメもバサバサなびく強い風、テントが飛ばされそうで、おばあちゃんたちの手もかじかんで、お金を数えられなくなり、箱も袋も飛ばされて、で、早めの閉店にはなったのですが楽しい催しとなりました。











企画実行した若者?のうちの2人、ヤマシタサンとタカシクン。「やったじゃん!ね」








次は「じんじろ車レースもしようね〜」と私。

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お仕事 特訓魚料理 2012/04/21 9:08 pm

ややこしい料理ではなく、魚料理の基本のきの字を鳥羽市菅島の宿で教わりました。料理教室に行くほどオーバーなことではないけれど、一度プロにきちんと聞きたいことってありますよね。

それに、いまさら周囲には聞けないあまりに初歩のことは、違う土地だと結構平気でうかがえます。マンツーマンで体験学習のお魚料理基本編、こんな観光メニューが今後は育って行くはずです。






海辺の宿で、出されるものをただおいしいおいしいと食べるより、それを作って、料理の技も身につけて帰れればどんなにいいか。そう思いませんか?

自分が食べるものを教材として使うのだから、失敗しても安心です。経営者の協力さえあれば、宿は立派な魚料理教室になるわけです。そのお試しを菅島で体験しました。

港について先ずは、地元の人が魚を買う小さな市場へ寄ります。今日あがったいろんな魚が一杯。本当はそこから選べばいいのですが、今回はメバルが用意されていました。







夕飯用の煮魚と、明日の朝食用の干物を作ります。この日の師匠は、「別館まつむら」というお宿のご主人・松村裕之さん(46歳)。

59歳の私があまりにひどい料理技術でも「あんた、いったい何年料理してるの?」なんて怒鳴らない、我慢強い、苦みばしった方でした。

しかしながら、体験学習ですから、いきなり「メバルのわたを出しますか。同じようにやってください」とお手本が。これがびっくりでした。

今まで私は、魚のハラワタを出すには、包丁でおなかを裂いていたのですが、師匠の教えは「エラに指を入れてね、ギュッと持って、そのままグ〜ッと引くと。ほら、ハラワタが全部つながって出るんですよ」「おお〜〜〜!」ハラワタマジック!!!です。






「やる、やる、やりた〜い」とメバルにおそいかかり、ご指導どうりにしますと・・。おなかの中身が全部つながって、一気に出ました。メバルは急におなかがペチャンコ。
でも包丁が入っていないので、とてもきれいです。

そして左頭にして、身に切れ目をひとつ。そして、サッと湯通し。「湯沸かし器のお湯でいいんですよ。簡単にね。でもこれをするしないでぜんぜん違うから」臭みが抜け、煮くずれしません。このとき師匠はサッとヒレを立てて、煮姿が美しくなるようにするのでした。

と、ひとつずつ書いたら大変なのですが、煮汁の黄金比率の基本を教えていただき(ふふふ、ここでは明かさない)、煮汁の泡が小さくなったら煮えた証拠、などという極意もご指導いただいたのです。

18歳で家を出てから、ずっと料理をしているのですが、煮魚が不安定でした。海辺の宿に泊まるたびにうまく煮るな〜と思っていたのです。それが、見事に今回で自信をもてたことは、大変な収穫です。

一方、干物用のメバルは背開きに。私は関東ですから開きはおなか側からですが、ここでは背中から。これが難しかった。頭から出刃の歯を入れて、背骨にコツンと当たったら、背骨を感じながら包丁を引いてくる。

「わき腹を魚につけるような位置で立つといいですよ」「魚開くのに、立ち方もあるんだ!」








師匠が軽やかにされる動作も、私には、なかなか。迷って最初の歯が入りません。おかげで、メバルの頭にはためらい傷ばかり。それでもエイとやってみると、「いや〜、野口さん、うまく引けたね。きれいだ〜」と師匠はすかさずほめます。「きれいだ〜」というその言葉に妙に感激してしまいました。

開いたら一度臭みを抜く塩をして、それから本当の塩を振ることも知りました。「10分くらい置くとこういう黒っぽい汁が出るから、これが臭み。この作業は大事なんですよ」

私は数々のひと手間を、省いてきたことがわかります。反省しきり、学びは山盛り。こうして、1時間あまりの特訓は終わったのでした。







そして夕飯、私がハラワタをズルズルっと出して煮た、メバル君のすばらしい煮姿。記念写真です。おいしい、おいしい。









もちろんこの土地名物の「医者殺し」(煮魚の最後に熱湯を入れて飲む食べ方)もやりました。作ってもらうより、作ったメバルのおいしいこと。








そして、私が眠っている間に、一晩かかけて乾いて旨みを増したメバルの干物。










いい塩加減、乾き加減、白いご飯にふっくらとおいしいこと。「風の島・菅島」の風は、本当にいい仕事をしてくれます。







師匠ありがとうございました。東京に戻ってから、なんとなく魚を見る目が変わりました。いつも切り身ばかりに手を出していたのが丸のままの魚に挑めます。

しかも、必ずおいしく煮れる、煮汁と煮方を知ってしまったので、何度も菅島仕込みの煮魚を味わっています。この自信が何よりのお土産となりました。

私は基礎の基礎でしたが、もっと高度にお刺身にチャレンジなんて方もあるでしょう。今後、菅島ではだんだんそんな魚料理教室プログラムを整えていこうという雰囲気です。

若い男女や、料理に目覚めたおじさんたち、基礎を知りたいおばさんたち、いざ、菅島へ、魚料理を覚えに菅島へ。

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ちょっとしたこと 川上村の朝日館 2012/04/14 6:19 pm

奈良県南部、川上村で意見交換会をしたとき「うちの宿は昔のかまどを使って羊羹を作るんです」と和服の女将さんが話されました。その宿をどうしても見たくて立ち寄りました。

130年の歴史を守る吉野建ての「朝日館」。浮ついた時代の変化に村が流されないように、文鎮のような役割をしているような、存在感がありました。今日もあの宿は、あの山の村にあるのです。





「スローライフによるむらづくり」この動きのスタートで一番最初に訪れたのが、奈良県川上村。この村は、いまさら「スローライフ」を説かなくとも、言葉はちがうもののスローライフなむらづくりそのものをずいぶん前から進めています。

吉野川の水源に暮らす役割を、村民が理解し、誇りを持って川上の村びととして生きている。そんな村の人たちとの意見のやり取りは、こちらが学ぶことばかりでした。

参加者のお一人、旅館「朝日館」の女将さん・辻 芙美子さんがご自身のお宿のスローライフを語ってくださいました。





「いまだにかまどを使って料理しています。豆を煮るところから、ユズ羊羹を作ります。手間ひまかかりますが、皆さんがおいしいと喜んでくださいます」「今日は皆さんのご意見をうかがって、元気をいただきました」

たおやかに語られる女将さんの、その宿を会議の翌日、朝、突然どやどやとうかがったわけです。

世界遺産の大峯山の登山口前、木造3階建て、特色ある吉野建て。昔は同じような宿がもっとあったのだそうです。明治・大正と続いてきただけあって、古い造りがたまりません。



廊下のガラスはゆらゆら見える昔ガラス。急な階段。窓からは斜面に造られた小さな庭の緑。お座敷の黒檀の柱。欄間の彫り物。タイルの昔風お風呂・・・。ここにはいつか必ず泊りに来よう、と心に決めます。







洗面所の鏡には「ルービヒサア」?!の文字と、金属製の洗面器。いい感じの古さのトイレ。紙はトイレットペーパーではなくて、柔らかくシワシワのあの落とし紙です!

























台所のかまどを見せていただきました。現役です。ここでお湯を沸かして、ご飯を炊いて、羊羹も作って。わ〜、火の番を一日したくなっちゃう。





お宿全体が文化財の様、使っている道具・食器も民俗資料館にありそうなものばかりです。

「とにかく古いだけで。散らかっていておはずかしい」と女将さんはおっしゃるのですが、泊らずして、もうこの宿に癒されていることが実感できます。

台所からはひんやりとした地下にも降りられて、そこから外の畑へ。シイタケが気持よさそうに干されていました。






「冬場のものなので、もう終わりなんですよ」といいながらも女将さんが出してくださったのが、話題のユズ羊羹。台所に座り込んでいただきました。やさしい、やさしい、甘さです。

女将さんはかまどを使うのはあたりまえ、廊下の雑巾がけもあたりまえ、とポワンと明るく語られますが、今どきここをこのまま維持することは、どのくらい大変なことか。

東京に居てこうしてブログを書きながら考えます。朝日館のような宿が今も、今日も、あの川上村にあたりまえにある、ちゃんとやっている、ということが、あの村のすごさなのでは、と。

見方を変えれば、村がヒラヒラとどこか違う方向に飛んでいかないように、こういう人が、こういう場所が、プッシュピンやら文鎮のような役割で、きっちりブレないように抑えているのかもしれません。

願わくば、ユズ羊羹作りの体験など、お邪魔にならない範囲でさせていただければと思うわけです。

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ちょっとしたこと 神田明神 2012/04/08 7:33 pm

「甘酒を飲みに神田明神にいきたい」と言い出してから、半年を経て初めてのお参りが実現できました。銭形平次の時代は、さぞかし大きな境内だったのでしょうが、今は周りのビルが目立ちます。

それでも、甘酒、屋上庭園、ポニー、数本の桜、日当たりのいいベンチ、などいくつかの癒しのしつらえが。小さな水溜りに集まる渇いた群れのように、都会人たちが訪れていました。





御茶ノ水駅から歩いてすぐ、神田明神です。我が家から1時間もかからないのに、夫と二人で時間がとれてようやくやってきたのでした。








周りはオフィス街、ビルが立ち並びます。そんな中に、赤い神田明神のお社と、入り口には飲みたかった甘酒のお店。







「かうじ」と書かれた看板が下がった「天野屋」は、弘化3年(1846年)の創業、地下の麹室(こうじむろ)でつくられた米麹、その甘酒はよくテレビや雑誌で紹介されています。

今の麹室は明治37年(1904年)のものとかで、千代田区の指定有形文化財になっていると説明看板にありました。

さて飲むぞ、と思っていると、夫が「おい、桜咲いてるぞ」と。私が桜を見たがっていたので、走って知らせにきたのでした。それなら、紙コップでいただいて、桜の下で甘酒としましょう。







久しぶりのお休み、そして思いがけずに咲いていた桜の花に、甘酒で乾杯。おだやかないい甘さ〜。


駐車場の上が屋上庭園になっていて、雪柳が満開。昼休みのサラリーマンが、ブラリブラリと歩いています。数本の桜の花におじさんもおばさんもお姉さんも、みんな携帯を構えてシャッターボタンを押しています。











夫はと見ると、立派なカメラを持っているくせに花には興味なし。何を見ているのかと思ったらポニーでした。

説明によると、“神馬”なそうで、今は栗毛でもだんだん白く変るのだそうです。名前は「あかりちゃん」神田明神の「明」からの名。









どう見ても神馬なんて格好良くは見えない、どちらかというとショボイ、子供のポニー。時々立ちあがるものの、日なたでゴロリンとほぼ寝てばかり。その様子を、おとなたちがそれぞれに眺めているわけです。

たった1頭のポニーでも、都会人には動物セラピー効果があるのでしょう。30分くらい動かずに、ずっと見ている若い女性も。

お休みどころでは、お弁当を持ってきたお年寄りや学生さんも。慣れている雰囲気で昼食です。明神ランチといったかんじ。









ちょっと都会的な二人がお弁当を食べていました。「素敵なカップルだな〜、こういう二人が明神ランチってのがいいね」などと夫とつぶやきます。










こっちは、銭形平次親分の顔抜きパネルに夢中。素敵なムードとは程遠い!
















天野屋で麹を買いました。100年以上も使われている室で作られた麹です。塩麹をつくることにしました。

1週間で今、こんな感じ。出来上がったら、「あかりちゃん」の話などしながら、夫と塩麹漬けで一杯、ほんとのお酒を飲みましょう。


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お仕事 ワカメの全身 2012/03/31 8:23 pm

よく食べていても、その全体を知らない物は多いです。先日、生まれて初めてワカメの全身を確認しました。さらに、いつも使っている部位ではないところも含め、ワカメ全身のお料理にチャレンジ。先生は地元の女性たち。

「おもしろ〜い」「おいしい〜」と、私は何回叫んだことか。すっかりワカメ博士になって、山ほどのワカメをしょって、鳥羽市答志島から帰ってきたのでした。



さて、どんな体験をしたかというと、鳥羽市での『ぐるとば』(鳥羽の新しい食・旅を創造する試験的な体験プログラム。グルメな鳥羽、ぐるっと回る鳥羽の意)で選んだ、「島のお母ちゃんから教わるワカメ1本まるごと料理体験」す。

「ぐるとば」↓
http://www.city.toba.mie.jp/kanko/gurutoba/top.html

参加は4人、先生の島のお母ちゃん(とはいっても宿の女将さんです)2人。少人数でしたが、内容は濃かった〜。

答志島(とうしじま)は今ワカメ漁の真っ盛り。朝の港はあっちこっちでワカメの下処理がされています。ワカメといわれればそうかと思うのですが、いつも使っている、塩にまみれて細く縮れている姿、カットされてカリカリになっている姿とあまりに違う大きさです、ワイルドさです。熱帯のジャングルに生えている古代からの巨大シダの仲間みたいな雰囲気。




おろるおそる持たせてもらうと、おお!大きい、長い。2メートルくらいあるのですが、これでも葉先?は切って捨ててあるのだとか。つかんだ根元、の太いこと。力強いこと。スーパーにあるワカメとはまったく別のものです。

ザブザブ海水が流れる中、漁師さんたちは根元のメカブ、太い茎、葉っぱと解体し、葉っぱの汚れをタワシで洗っていきます。葉っぱには「アリエビ」という小さなエビのようなものが、生存していたりして、つい私はキャ〜とか驚くわけです。





ワカメはすぐにグラグラに沸かした海水でゆでられます、その後、多量の塩で揉まれ「塩蔵ワカメ」というのが出来上がります。が、今回はお料理教室ですから、ワカメ全身をいただきました。





作業場付近はワカメの香りに満ちています。これは日本の「かおり風景百選」にはっているとか、ずっといるとわたしも「ワカメちゃん」になってしまいそうな強い潮の匂い。作業がおもしろくて立ち去りがたくしていると、メカブをサッとゆでてくれました。熱に合うと、ワカメは褐色から緑に劇的に変わります。その緑の美しいこと。観葉植物のようなメカブにかぶりつくと、100年長生きしそうなおいしさでした。





さあ、ワカメ料理です。メカブは水で洗うとヌルヌルが出て切れません。同じくワカメはとにかく真水をつけるともたないので、水道で洗うのは最後の最後、ということを学びます。











メカブと格闘。これを千切りにするのですが暴れる暴れる。漁協に「メカブカッター」という商品ポップがあったのですが、この千切りをしてくれるのか否か?今まで、切れているメカブの酢の物をスーパーで買って当たり前に食べていましたが、なるほど誰かがこうして切っていたわけなんですね。



茎はキンピラに、葉はシャブシャブにしました。茎を輪切りにしてキンピラにする前に水に少しさらすのがコツ、海水のしみたワカメはかなり塩っぱいのです。

で、メカブは?というと三杯酢は当たり前。ここで先生たちが一押しだったのが「メーブ汁」。地元では、メカブを
「メヒビ」と呼びます。「メヒビ汁」がなまって「メーブ汁」です。このワカメの時期は、地元の人がみんなこれを食べるのだとか。濃い目の出汁をつくり少し醤油で味もつけこれを熱く沸かします。




刻んだメカブをよく洗い、そこに熱い出汁を一気にかけます。「わ〜〜〜〜〜〜」見事に緑色になって、びっくり。これを白いご飯にかけて、オカカものせ、せーのでザクザクとかっ込みます。『メーブ汁、親の顔見て八杯目』という言い方があるとか。そのくらい確かにご飯がズルズルと入り、おいしい。



ワカメのシャブシャブもキンピラもまったくシンプルなのですが、採れたてワカメですからとにかくおいしかったのでした。

ここで質問、「メカブというと、芽だから、ワカメの先端にありそうなのに、根元にあって何でメカブ?」「ここから胞子が出るの、だから」なるほど、芽が出るもとがここなのでした。






全身について知ると、ワカメのどこも捨てたくありません。茎も葉もすべて。「そこは硬いかも。そこは少し破れて汚いよ」なんて先生にいわれてもナンノナンノ。「もって帰って自慢するんだ〜、みんなに教えてあげるんだ〜」と、
担いで帰って来ました。

麻布十番の駅まで迎えに来た夫いわく「あんた、完全に行商のおばさんだよ」とあきれるほどに、確かに私のリュックは海水を吸ったワカメで膨れ上がっていました。ただそのくらいどうしてもすべてを持って帰りたいほどに、ワカメを愛してしまったのですからしょうがありません。

興奮して「ワカメ話」をする私に、ここ数日夫は閉口気味。メカブのお味噌汁もおいしいのに、「ワカメ以外のものが食べたい」とはなにごとか!!とはいえ、我が家の冷凍庫はいま、ぎっしりワカメなのではあります。(写真は運んだ5分の1の量)

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ちょっとしたこと メルマガ作り隊 2012/03/26 2:52 pm

私のNPO、スローライフ・ジャパン、それが抱えるスローライフ学会では、会員とお知り合いにむけてメールマガジン「スローライフ瓦版」を毎週火曜日に発行しています。このブログも瓦版から開いて読んでくださっていらっしゃる方も多いかと思います。

11年前、筑紫哲也さん(故)やわが理事長がスローライフ運動を始めてから、とにかく媒体がほしかった。とはいえ財力はなく、印刷物は無理。少し前からようやくこのメルマガ発行となりました。

事務局役の私的には、自分の仕事を抱え、その上NPOをやっているのに、さらに「メルマガ〜〜??」とため息。でも、媒体はそりゃあほしいし、としぶしぶ動きはじめたわけでした。

デスクをしている川島正英理事長はもともと新聞記者、朝日の論説委員を経て地域活性化研究所をつくり、その後NP0も、現在に至ります。だから、「発行」とか「瓦版」なんて
言葉には、もう、ワクワクしちゃう。

瓦版スタートのときは「日刊にしようか!」なんて勢いでした。こちらは超現実派ですから「月間で十分じゃないですか〜?」とぼやきぎみ。結局、週間に落ち着いたわけです。




写真は私の右隣に座る川島さん。




川島さん時代の新聞は活版で文字を組んで輪転機、インクの匂いのする新聞を新聞少年が肩から提げて配達していた時代。

「入社の頃は取材先ではまず、電話のある家を探し、他社に使われないように電話をキープしておいて、原稿を電話で送った」とか「何度か輪転機を止めた」とかそんな武勇伝を聞いています。

私は、川島さんとは20年の年齢差があります。が、10代の終わり、初めて市民運動にかかわり事務局として作っていたのはガリ版刷りでした。謄写版と鉄筆・修正液はいつも身近にありました。

要は、何か思いを伝える媒体を作るというのは、ついこの前まで大変だったのです。

その後、ワープロが出て、あれよあれよのうちにパソコンへ。もう和文タイプに出したり、写植屋さんに走ることもなくなりました。いわゆる市民運動的な動きを、IT化はずいぶんと後押ししてくれています。

だからパソコンがあれば、皆さんのメールアドレスがあればマガジンを出せる!とチャレンジになったのでした。

簡単になった時代とはいえ、しかし、誰が「瓦版」をやるの?私も川島さんも正真正銘のパソコン弱者。そこに篠原伊佐武さんという有力助っ人が現れました。



写真は私の左隣に座る篠原さん。





川島さんの昔の仕事仲間、広告代理店から地域おこしの世界に入った方。今は独立して広告の仕事をしながら、このメルマガをきっかけにわがNPOを手伝ってくれています。

まあ、篠原さんがいなければうちのメルマガは出せなかったでしょう。メルマガ送信だって、BCCで;区切りで全員に?なんて私は考えていたのですから。

「瓦版」は基本金曜が締め切りです。この日には、あらかじめ川島さんが頼んでいた筆者から原稿が届きます。どなたかが言っていました、「日本を代表する頭脳のような方が、オリジナルで書き下ろしで書いてくれるなんて、すごいメルマガですね」

確かに、すごいことでして、ありがたいばかりなのですが。さらに、締め切りを過ぎると催促などもしてしまい、川島デスクは原稿を集めるわけです。

で、最近は、月曜に編集作業です。(本当は金曜なのですが)先ずは、篠原さんが月曜の昼にヒラヒラ〜ッとやってきます。そしておにぎり2個で腹ごしらえ、その後いよいよ本格作業。

70歳代最後半の手習いで、いつの間にやらパソコンを覚えて
しまった川島デスクが、それまでに集まった原稿を整理。篠原さんがレイアウト。私はPR原稿を作ったり、購読者アドレスの整理など。

読み合わせやら、なにやら。若い篠原さんでも50歳代前半、3人とも若くはありませんから、目をショボショボさせながらの作業。

みんなが目薬をさす頃、夕方にはできて、ここでたいてい川島さんが買ってくれたジャンボ・シュークリームなどを食べます。

そして翌日、火曜日、篠原さんが3500人に送信してくれて発行となります。

みんな綱渡りの毎日、自分の仕事にしわ寄せながら、ボランティアで何でこんなことをやっているのか、と、時々は思います。

でも、私たちは、いつも「ね、ね、スローライフで行こうね」といい続けていないと、気を抜くと、どんどんファストライフになるから、そのメッセージを週一回送りたい、ということだと思うのです。

だって、結局、ファストライフの方が楽だもの・・・。だから、いろんな人が踏ん張って、スローライフを考え、そんなまちづくりをしているんだ、ってことを伝えたい。緩やかな『渇』を入れる役割のように思うのです。

フェイスブックのように充実機能はありません。SNSでもありません。「いいね」もできないし、コメントも書けない。しかも他のメルマガのような豪華なプレゼントもなし。地味真面目メルマガの代表のような媒体です。

でも、メッセージだけは本物と思っております。「スローライフ瓦版を、いつもプリントしてバックに入れて読むんですよ」「今回のコラムには、うなりました!」こんな声に支えられて・・。

そんなメルマガ「スローライフ瓦版」ですが今後もお付き合いください。また、購読希望の方はリクエストください。
と、100号記念のブログでした。


NPOスローライフ・ジャパンは大テーブルに自分のパソコンを置いて作業してます。そんな様子を筑紫さんの写真が、いつも笑ってみています。

写真は100号編集の日。

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お仕事 回転寿司べえべえ 2012/03/16 8:39 pm

まちおこしで、特別の人が特別に何かをやるのは簡単なこと。それより普通のところであたりまえに新しい動きが起きて、初めてその運動が市民権を得た、と私は思います。

新潟県胎内市での米粉のまちおこし、ついにごく普通に、回転寿司でも米粉メニューが登場しました。米粉製のクレープ状のもので具を巻いて食べる新しい食べ方“べえべえ”。「べえべえのマグロ〜!」なんて声が飛びます。




胎内市の「米粉のまちおこし」についてはもう何度もブログに書きました。何回も胎内へうかがい、市民の方々とわいわい米粉料理を食べ、話を繰り返し、私の身体はほとんど米粉でできているくらいになっております。

この2年間に少しずつ、胎内は米粉のまちになりつつあります。JR中条駅に降りると、カウンターに「米粉ぐるめ食べ歩きMAP」があり、試食用の米粉が置かれ、「米粉レシピ」がいろいろ。










「米粉発祥の地、胎内」というコピーも馴染んできました。真っ白な雪に覆われた田んぼは、まるで米粉が降り積もっているようにも見えます。









市民の会議が発案した「べえべえ」という新しい米粉食。実際にメニューに出す「米粉かふぇ」がオープンし、20箇所を超えるお店で米粉のメニューができました。主食、おつまみ、お菓子も。



先日の今年度最後のミーティング、今年はこれでおしまい、と思っていたら、まだまだ米粉料理の試作が出てきました。
新年度になったらまたぼちぼち・・・なんて思っていたのは私だけ?!ラザニアやら、シュークリームやら。みんなすごいな〜。

さらに、4月4日(米粉の日)には、米粉をもっと知るために、活動の一環として米作りの現場に足を運ぶスクール企画も出てきました。話はどんどん進みそうです。

行政の担当課は胎内市商工観光課、私が“米粉地蔵”(失礼)と呼ばせていただいている課長さんがいつも、感動的な話をしてくださいます。

「減反で米を作れないお年寄りが、米粉用の米なら自分の田んぼで作れる。(制度的に)それなら、田んぼもできるし日本の風景も守れる、農業の行く末も見える。米粉にはそんな想いがこめられている。

このまちに米粉の工場ができた時、少し高いけれど輸入の小麦じゃなくて、地元の米で作った、米粉で作った米粉パンを子供に食べさせようと提案した、お母さんたちが動いた。お年寄も喜んで、米粉のための米を作った。

そんなことからスタートし、いまや、日本で最も細かい米粉を生産する工場が、最もたくさん米粉を作る、米粉のまちになった。

小麦の代用品じゃなく、米粉は独自の食品・素材・文化だ。もっと知り、もっと使おう。米粉市民になろう」こんな話をいつもニコニコ熱く語るのです。

この方の熱さに動かされて、私もここまで胎内の米粉のまちづくりにのめり込んだのかもしれません。課長を筆頭にみんな米粉に夢中、米粉課ができてもいいくらい。市民も熱いなら、行政も熱い胎内市です。








いろいろな「米粉スクール」をやりたいな、「米粉ツーリズム」は東京からお客様も来るね。またみんなでアイディアを出してわいわいしましょうね。



などなど考えながら、石臼で米を挽く経験をしてみました。
「こめこひくんだよ〜♪あ〜よいしょ いしうすまわすよ〜♪あ〜よいしょ」なんて『米粉石臼挽き歌』(野口作)を即席で歌うものの、米はそんなに簡単に粉になりません。

思ったよりも硬い、硬い。石臼は重い、重い。昔の人が少しずつ米を粉にして、大事に使ったのが分りました。

今日も胎内市の、庶民の味方、回転寿司屋さんでは「べえべえのエビ2丁〜!」なんて声が響き、カタカタとあのベルトコンベアの上をあたりまえの顔をして、米粉で巻いたエビやマグロが皿に乗って動いているはずです。

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お仕事 伊勢エビを干物に 2012/03/12 1:35 pm

そんなのあるの?と驚かれるかもしれませんが、できるのです。鳥羽市菅島、強い風で知られるところ。海草、魚、野菜、何でも干している島。

ならば、と伊勢エビを干してみました。半分に開いて青い網の中で一夜干しに、サッと炙っていただきます。

「旨み」とは、こういうものをいうでしょう。4分の1匹で、熱燗3合飲める存在感。地域観光の体験メニューとして、この3月にデビューです。





風の島で、何でも干すのなら、究極の干物を作ってみよう。民宿や旅館の有志が集まって、突拍子もないことをいいだすアドバイザー(私)と伊勢エビの干物づくりをやったのは数ヶ月前のことです。


伊勢エビの獲れる地元でも食べたことがないというのは、やはり伊勢エビが高級品だからでしょうか。でも、伊勢エビのお刺身や鬼ガラ焼き、味噌汁などは、なんだかんだいただく機会がありました。でも、干物はない。



干物になんかしたらモッタイナイ、バチがあたる、なんて声が聞こえそうですが、干物というのは余った魚をしょうがなく保存のために作るものではなく、よりおいしくいただくために積極的に取り組む加工だと、私は思うのです。






風の島と名乗り、強い風をマイナスではなくプラスに考えるなら、風を活かした干物文化を究めるべきだ。干すことで旨みを引き出す、風の、島食文化を追求しよう!というのが私の意見です。






その象徴となるのが伊勢エビの干物なのではと、作ってみたのです。とはいっても、オーダーして干しておいてもらって、それを皆で食べたのですが・・・。








さすがですね、強い潮風は最高の料理人、見事な旨みを作り出してくれました。「こんなもん、誰も考えないわ」「初めてだ、やっぱり旨いな」と皆が感動です。





伊勢エビ+風=旨み、これをよその人にも体験してもらおう。果たして、それを試しに来る人がいるのかどうか?なのですが、前に一歩進むのが大切。



やって見ると、次に繋がるなにかが見えるはず。下を向いて、駄目だ駄目だ、といっているよりずっといいでしょ。

なんてわけで、この菅島と同じように何度も地元の皆がミーティングし、実験をし、プランを作った、鳥羽市の“食”をテーマにした体験地域観光企画、名付けて『ぐるとば』、全23アイテムがスタートです。↓

http://www.city.toba.mie.jp/kanko/gurutoba/top.html

期間は3月16日から25日。私も自分が担当した、「相差・畔蛸エリア」「答志島・菅島・神島・坂手島エリア」に出かけますよ〜〜〜。

今までの鳥羽の観光とは、今までの“食”との出会いとは、一味違う10日間。この試みで、また地元の人がぐっと自信をつけてくれるはずです。皆さん、鳥羽にぜひお運びを。

伊勢エビの干物は、地元の人もこんな顔に↓なります。

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写真でみるゆとりある記

熱血ヤマメの唐揚げ顔
富山県・井波「石畳の参道」「木彫りの電話ボックス」
鳥取県智頭町で、杉玉づくり。
奈良町で

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所
〒106-0046 東京都港区元麻布3丁目10-23 東勢ハウス201
TEL・FAX 03-3404-5002
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区坂町21 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 003-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.ne.jp

略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
1953年 千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーなどを経験。
1977年 静岡県に移り、企画・編集会社を。
1992年 「ゆとり研究所」を開設。コンサルタント業務に移行。
1994年 静岡市呉服町名店街で商店街活性化手法「一店逸品運動」をスタート。以来、全国各地でこの運動を展開。富山県高岡市、新潟県加茂市、宮城県鳴子町、山梨県富士吉田市、栃木県足利市、愛知県瀬戸市など多数。
1994年〜2000年 静岡県掛川市で地域づくりできる市民を育てる塾「とはなにか学舎」をコーディネート。以来、全国で具体的なまちづくりプロジェクトを実現しながら人材を育てる、仕掛けづくり・研修に携わる。静岡県天城湯ヶ島町、北海道阿寒町、栃木県那須町、栃木県日光市、神奈川県湯河原町など多数。
2001年〜 スローライフ運動を展開。
2003年 NPO法人スローライフ・ジャパン設立。事務局長に。住民参加でのスローライフ運動をコーディネート。掛川市、岐阜県多治見市、埼玉県草加市、兵庫県宝塚市、岩手県遠野市、愛知県春日井市、佐賀県小城市、兵庫県淡路島など多数。
2007年〜 「ゆとり研究所」自宅を東京へ。
■得意技■
(1)とことん楽しいオリジナルワークショップ
(2)一店逸品運動を基本にした商店街の元気おこし
(3)地域観光・着地型旅行をみんなと考えること
(4)地域資源・食にこだわったまちづくり
(5)スローライフ研修
(6)着物を着ること
(7)常温ビールを飲むこと