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お仕事 湯せんぺい 2018/06/18 4:52 pm

明治初め旧島原藩主松平公が、作らせたといわれる「湯せんぺい」。

雲仙土産で知られますが、先日、その手焼き作業を見学しました。

熱々の重い鉄の型に、小麦粉などを溶いたものを流し、挟み、ジュワーと音をさせて余分なタネを出し、ゆっくり焼く。

手元を見ていると飽きません。この「湯せんぺい」の耳を
活用して若主人が発案した、チョコバーやグラノーラもあってビックリでした。
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昔は20軒くらいあった「湯せんぺい」屋さん、今は9軒だそうです。その中で、手焼きにこだわっている雲仙温泉の「遠江屋本舗」を訪ねました。

雨の日、店に入ると甘く香ばしい匂いがします。お店の中でお客様にみえるように、 ここの若主人・加藤隆太さんが湯せんぺいを焼いていました。


3キロあるという焼き型を、扱いながら話してくれます。材料は小麦粉・卵・砂糖・温泉水。1階では手焼きを見せているものの、作るのに限度があるので、2階では4枚目ずつ焼く機械焼きをしているとのこと。






手焼きが左のパッケージ(昔の外国人向け雲仙案内)、右が機械焼きのパッケージ、いずれもレトロで可愛いです。









10年前に他の仕事をやめて、この店を継ぐために戻って来た加藤さんは3年前に結婚、笑顔が素敵です。(動画では撮ったのですが、写真に収めなかったので、パソコンの動画から複写の笑顔です)

夏は暑い仕事です、とにかく焼くわけで。

でも、その「湯せんぺい」をソフトクリームにウエハスのようにつけて食べるのが観光客に人気とか。今回は食べなかったので、次回は必ずと思いました。

焼いたらチョキチョキと鋏を使い、耳を切り落とします。その手焼きの耳が美味しい。(左)家人が言うには、「甘いスルメみたい」と。焼きたては柔らかいのですが、すぐに硬くなり、歯ごたえのある耳になる。

パンの耳が歯ごたえあるのと同じでしょうか。我が家ではこの手焼きの耳が大評判です。


2階の機械焼きでできるサクサクした、「湯せんぺい」と同じ食感の耳は、サクサクとした噛み心地を楽しむもの。2通りの耳をぜひ味わってもらいたいです。

加藤さんはアイデアマン、この多量にできる耳をを使って、ドライフルーツと組み合わせたグラノーラを作っていました。ミルクやヨーグルトと合いますね。

さらに、チョコバーも。キンカン味とミクスドライフルーツの味。チョコと湯せんぺい耳入りです。これが美味しい!作者はこれを山歩きのおともにとか、雲仙観光のおともに、と考えたようですが、私はお酒のおともにです。

ワインにあう!!本当にあう!!噛むほどにいろんな味が口の中で広がる、よくぞ作ってくれましたというものです。

サクサク食感のこういうおせんべいは宝塚温泉や有馬温泉で買ったことがあります。

でも、グラノーラやチョコバーはないでしょう。もっと遡れば、加藤さん、湯せんぺいを葉巻のように巻いたものや、クリームを挟んでゴーフルみたいにしたものも作っている。さすが若さですね。

雲仙名産のジャガイモを使ったお菓子も豊富。さらに偉いのは、ここのお店の物だけでなく、島原半島のこれぞという物もお店で売っている、セレクトショップのようなお店作りをしている。この辺りに、未来を感じたわけです。

「ところで何で、せん『べ』いじゃなくて、せん『ぺ』いなの?」と詰め寄ると、メールが届きました。

“「湯せんぺい」の「ぺ」について・・諸説御座います。当地長崎県には、中華街がございます。中華街で買い求められるお菓子の中に、「月餅」(げっぺい)というお菓子がありますよね。湯せんぺい 湯煎「餅」同じ「餅」という漢字を使いますので、中華街をもつ長崎ならではの「なまり」なのではないかと思われます。”

とのこと。真面目に答えてくださいました。

「ぺ」でも「べ」でもいいから、この味、このお店続けてね。そして次なる新製品待ってま〜す。

ある地域に入って、こういうお店、こういう人に会うと、その地域がぐっと好きになります、その地域の可能性を感じます。

いい人いるなあ〜雲仙市。

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ちょっとしたこと 「視点」展をみて 2018/06/11 12:35 pm

全国公募写真展2018「視点」。もう43年も続くリアリズム写真の展覧会です。

全国から寄せられた1185作品のなかから、入選入賞した174作品が展示されています。社会的な作品から、かわいい動物、美しい風景まで。

そこに日本の今があるようで、まるでドキュメンタリー映画を観たような、小説を読んだような深い満足感を得る数時間を過ごしました。都美術館で13日までです。
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写真の作品にはそれぞれ作者の思いがあって、また鑑賞する方にも好みがあります。
今回、落選した私から見れば、「すごいな〜」と思える作品ばかりなのですが。こんな写真を撮りたいな〜という作品をご紹介です。

「長いつきあい」というタイトルの作品。
作品ですからここに勝手に載せるわけにもいきません。図録に載っているものを遠くから撮ってこっそりご紹介です。

何を撮ってあるの?と問われれば、高齢夫婦のスナップが主の6枚組。

「1枚目」夫婦はどこかの公園か、参道などの大きな松の樹?の根元、縁石のようなところに座っています。二人ともコートを着ているから冬でしょうか。日も傾いて影が長く伸びています。旦那さんが発泡酒?のロング缶を持っています。缶ビールは冷たいから、奥さんが渡したのか、ピンクのタオルで巻いて持っています。横に寄り添う奥さんは両足を伸ばし、その間に荷物を置いて、落ちないように足首をあげている。足の荷物に気をつけながら、丁寧に柿ピー?を袋から手渡している「こぼさないでよ〜」。これまた旦那は落とさないように手の平を丸めて受け取っている。この後、彼は柿の種を数粒口に入れてかみ砕き、スーッと一口飲む。きっとその後奥さんも、ポンと数粒口に入れる。すると旦那が缶をぬっと渡す。ロング缶を飲みきるまで、寒くても、つまみはこれだけでも、美味しい時間のはずです。

「2枚目」表情の固まった旦那さんと、眉毛をはっきり描いた奥さんが、どこかの神社から帰ろうとしています。両者ともステッキを持って。奥さんの足の開き方から、スイスイ歩けない様子がうかがえます。旦那は手を引いてやるでもなく、片手はポケット。首にはカバーにしっかり入ったカメラ。この参拝で、彼が彼女を撮るなんてことがあったのでしょうか?と一瞬思うのだけれど・・。きっとこの夫婦にはこの距離感がいいのでしょう。少し離れてお互いの気配を感じながらのっそりのっそり歩く。いきなり振り向いて、「おい、そこに立て」などと旦那がつぶやき、奥さんもコトリとも笑わないでカメラに納まるのかもしれません。本当に仲が悪かったら、一緒に出掛けることもないでしょう。夕飯時、美味いまずいなど会話の無いままテレビをみて、「寝る」と言って彼は布団に入る。そういう暮らしをずっと続けているように思えます。それが二人にとっていい感じなのですから。

「3枚目」どこかのイベント会場か?壁面緑化に黄色いビオラが使われている壁を背に、コート姿でベンチに座った夫婦が食事中です。屋台で買ったお好み焼きか?ピザか?ひとつのプラ容器から二人がお箸を使って食べています。奥さんはブランド品の偽物バック、髪の生え際の毛染めが薄くなってきています。夢中で食いちぎっている旦那は、紺色の野球帽とジャンパー。雨上がりなのか、2人は傘をベンチに立てかけています。奥さんは骨の数の多い少し高級傘、旦那は白いビニール傘。奥さんの口元のしわと、旦那の目元のしわが何ともいい味です。けっこう激しい喧嘩をしてきたのかもしれません。今もしているのかもしれません。でも「あんた残り食べなよ」「お前にやるよ」なんて言葉が聞こえそうです。

「4枚目」奈良東大寺の山門横?のように思えるのですが、ベンガラ色に塗られた壁を背に何かを夫婦が見上げています。いかにも久しぶりの旅行という感じ。眼鏡に帽子、黒いショルダーバックの旦那さんは、ループタイなどしそうなお人柄です。奥さんはツーピースなど着て、少し重いけれど革のバックを下げてきました。秋口でしょうか、奥さんの薄手の半そでの服は着やすそう「新幹線の冷房で膝が冷えないようにすその長い服にしたのよ」かしら。何を見ているのでしょう。東大寺の大屋根を見上げているのしょうか。「大きいね〜」「ああ、でかいなあ」これから大仏に参拝なのか、旦那はワイシャツの襟を止め直しています。素直に見上げるこの夫婦に幸あれと思います。

「5枚目」高齢者夫婦が住んでいるだろう家に干されている洗濯物の写真です。画面の3分の1を占めているのはパイル地のピンク色のシーツ。そして、干してあるのはLLサイズくらいの男物の股引。肌着。ホカホカ部厚い女物靴下。いずれもずいぶん着ているのでゴムが伸びているのか、サイズが大きいのか、ハンガーにかけてさらに洗濯ばさみで止めてあります。洗濯物の下には、発泡スチロールに植わったセダム。つつましく暮らしている、夫婦の姿が見えてきます。この洗濯物の乾く頃、「母さん、夕飯は昨日の鍋の残りでいいからよ」「そうだね、じゃあうどん玉でも入れようかね」なんて会話があるのでしょう。

「6枚目」繋いだ手のアップ。男性は素手で、女性は手袋で。男性の右手の薬指に、女性の左手の人差し指がちょいと絡んでいます。ちゃんとつなぐわけでなく、さらりと触れ合う手と手。少しの温もりを感じているのでしょう。女性の手袋の指先にできた毛玉が、生活感を伝えてくれます。


こうして6枚を眺めると、「人生の楽園」風でもなく、もちろんお金持ち風でもなく、普通にそれぞれに長いつきあいをしている夫婦のほどほどの幸せがあぶりだされてきます。わが夫婦も暮らし始めて41年、長いつきあいになりました。不愛想でも、貧乏でも、おなかが出ても、しわだらけでも・・・・まあまあの幸せをかみしめたいと思います。

写真ていいなあ、6枚の写真から本当にそう思いました。

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お仕事 「ワイン城」の宝 2018/06/04 12:41 pm

北海道池田町の「ワイン城」。自治体ワイン造りの先駆、「城」は北海道観光の重要な立ち寄り先として君臨してきました。

しかしハードもソフトも改修時期です。今回特別に、専門的な解説を受けながら見学できました。

寒冷地のブドウ栽培、地下の古いワインセラー、ブランデー造りなどなど。

物はどこでも買える時代、この「学び」こそが城の宝と、実感しました。
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私はワイン好きでこだわりのワインを日々飲む、というわけではありません。

やたらワインの講釈をする方が多いですが、私はその全く逆でしょう。

だからか、これまで「ワイン城」?観光施設でしょ。くらいでそれ以上の興味は持ちませんでした。

今回うかがったのはお天気の日。「城」は山の中ではなく、JR池田の駅からすぐ、ホームから見えるすぐそこにそびえていました。

線路沿いを歩いていくと、なんだか映画の重要なシーンに出てきそうな線路を渡る歩道橋がありました。

フィルムコミッションの方がこれを見つけたなら大発信するだろうと思える、インスタ映えするサビ感が貴重。

あんまりかっこいいいピカピカの世界では人は緊張するものですが、なんだか味があって心が緩みます。

さっきまでのファストライフと別れて、スローライフに渡る結界のように思えました。

ちょうど子どもたちが楽しそうに渡ってきて、こんにちは〜!と挨拶です。

スローな世界に入ったからか、緑を渡る風や、足元の花に目が行きます。

大型観光バスでドンと着いた「ワイン城」と、こうしてゆっくり歩いて入るのと、印象はずいぶん違うでしょうね。

建物がお城のようなのでこの名がありますが正式には「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。城は地下2階、地上4階、1974年の建設。耐震改修と合わせて今、リニューアルを始めています。

もともと観光施設というよりは、研究所であり、目的は町の農業振興にあったわけで、ここのワインは「十勝ワイン」の名で出荷されています。

ワインにうとい私でも「十勝ワイン」の名は知っていました。
ホームページにはこうあります。

〜〜『昭和20年代後半、十勝地方は次々と自然災害に見舞われました。・・・十勝沖地震・・・2年連続の冷害による凶作となりました。この苦境からどう脱却するのかという中から、「ブドウ栽培」と「ワイン製造」への道が生まれたのです。
当時の町長(丸谷金保氏)の発案で、「秋には山野には山ブドウがたわわに実る。冬の厳しい池田でもブドウ栽培が出来るはず。農業所得のアップにつながり、町内に多い未利用の傾斜地も活用できる。」・・・ゼロからのブドウ栽培といった壮大な挑戦が始まりました。昭和38年には果実酒類試験製造免許を取得し、国内では最初の自治体経営によるワイン醸造を手がけ始めました。』〜〜〜

始まりは、北の地で生き残るための必死の策だったのですね。だから今も「ワイン城」は町営。研究所であり、工場であり、観光施設であり、まちおこしのシンボルということになります。

今回は安井美裕所長さんがご案内くださいました。

大変に知識豊富な方で、穏やかに歴史の話、ワインづくりの話、丸々本一冊分くらいのことを解説くださいました。

各地で観光ガイドのお話を聞きますが、ウケねらいやうわべの話が多く残念なときもあります。

今回の技術肌の所長のお話をうかがう時間は、まさにプレミアムなひとときでした。

「ブドウ・ブドウ酒研究所」略して「ブブ研」の品格と、誠実さがにじみ出てくるようなお人柄です。

最初に見せていただいたのがブドウ畑。「ブブ研」の歴史はまさに品種改良の歴史、寒さの中で育つブドウを作ることだったそうです。

この畑のブドウは、幹がかなり下の方に横たわって見える。これは寒い時期は培土して土の中で冬を過ごすからだそうです。

土を盛り、幹に布団をかけたようにして、春になったらその土をまた取り除く。大変な手間のかかる作業をしているのでした。

一方こちらは、培土しなくても大丈夫な品種。ここまで来るのにどのくらいの改良作業が行われたのか・・。

ここのブドウの基本は山ブドウ。寒さに強い山ブドウと醸造用品種の交配により、耐寒性ある品種にしていったとのことです。

冷涼な北国でつくられるブドウは酸味が強くなる。それを活かして、十勝ワインはこれまで一貫して辛口路線を堅持してきたとのことでした。

苗をどこかから買って植えるわけではありません、「ブブ研」ですから苗から作ります。

一見、美味しそうな野菜にみえるのがブドウの苗。これは寒さに強い「山幸」。この名前でワインも売られています。

この苗そのものを売ってくれないかしら?東京の我が家では、うまく実らないかもしれませんが、窓辺に「ワイン城」のブドウが観葉植物代わりにあるだけでなんだか嬉しい。

「山幸」を飲みながら、「山幸」の緑を楽しむなんて素敵です。

一般観光客が入れないエリアに、「ブブ研」の出発当時の看板が掲げられ、小さな建物がありました。

畑作業を終えた方が農具を洗っています。ワインが美味しい、まずい、安い、高い、などと消費側は簡単に言いますが、日々、こういう方々の汗がブドウを育て、私たちの食卓と健康を作ってくださっているのですね。


その昔の研究所の地下に、ワイン貯蔵庫がありました。

もちろんもっと大きな貯蔵庫は別にあるのですが、ここは超特別なビンテージもののワインセラーです。

急な階段で、一見、忍者屋敷の隠れ穴のようです。



ひんやりした地下はフサフサ?に育った、カビの世界。ここで特別なワインは眠っていました。

このカビに、え?と驚きますが、もちろん飲めるし、むしろワイン好きにはたとえひとなめでも味わいたいところでしょう。

古ければいいというものでもない、その年の気候、その前の年の気候などでブドウの、ワインの出来が違う。ひとつひとつを解説していただきました。

ブランデーの樽が眠る倉庫。ここも一般は入れないエリア。樽が少し動いているように見えるのは、地震によるそうです。

一滴、手の平に垂らしていただきました。両手でこすると、もうこれは純度の高いアルコール。

あのブドウ畑から、ここまで来るのに何年かかり、どれほどの手間がかかっているのでしょう。

ワインの貯蔵樽です。紫色にウエスト辺りが色づいています。

樽はワインを吸い少しずつ蒸発させます。その分空気がたまる。なので、週に2回、ワインを一杯に継ぎ足し、蓋をすれば溢れる。そのこぼれたワインだそうです。きれいです。こんな着物や帯がほしくなる!



「ワイン城」のオフィスエリアで、品評会に出すワインを決めるテイスティングが行われていました。

ワインのテイスティングなんて聞くと、おしゃれでカッコいい世界のように思えますが、雰囲気は実直です。





「ワイン城」は世の中の移り変わりの中で、一歩一歩「ブブ研」として歩んできたのでしょう。

そんな真面目な、本物のところだからこそ、これからは少し笑顔やコミュニケーションや、発信にチャレンジしませんか。

町の中学生がブドウ収穫を手伝い、そのブドウで作ったワインは成人式にプレゼントされるということも聞きました。

もっともっと、城を開放して、町民が参加できる仕組みを考えてもいいでしょう。

十勝ワインに親しんでもらうための、オリジナル資格制度「十勝ワインバイザー」をつくり、早くからワインファンを育てているとのこと。皆でワイン談義できるFacebookページをつくってもいいですね。

今回をきっかけに、何だか私も試験を受けたくなってきました。


屋上からは、広々とした景色とすぐそこの池田駅がみえます。

今までは車と観光バス主体だった観光客も、今後は電車でスローにやってくる人が増えるはずです。電車ならワインもたっぷり飲めますね。

そして、この城の後ろに広がるスローライフな丘、森を散策し、民間のロッジに泊まってもいいでしょう。あちこち巡らない、「ワイン城」でワインのある暮らしを学ぶワイン合宿もいいですね。

所長の質の高い講義などを頂点に、ワインについて、池田のチャレンジについても知る。

さらに、日本の普段のおかずやご飯に合う、ドイツやフランスにもない“和いん”の世界にも触れる。肉じゃがに合うワインは?なんて知りたいですもの。

町民の方々からワイン料理を習ったり。ブドウのツルでリース作りをしたりもしましょう。

ワインはスローフードの代表なのですから、ここで皆がスローライフを身につけて帰る、そんなお城の在り方もあるはずです。

物を買うより、知識や体験にお金を払う人が増えているのですから。


帰りがけに帯広の屋台で「山幸」をいただきました。所長のプレミアム解説をうかがったあとなので、一杯をいただくことに重みを感じます。

山ブドウ由来の味、酸味が、十勝を飲んでいる気分にさせてくれます。

同じテーブルに着いた他のお客様が、イタリアによく行くそうで「イタリアに比べると十勝ワインはもっと研究してほしい」などと話されていました。

横で私は思いました。「十勝は十勝、山ブドウは山ブドウ、イタリアと同じじゃつまらないでしょ、“和いん”なんだから!」と。

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ゆとりある記 恋するエタリ 2018/05/27 4:47 pm

「エタリ」とはカタクチイワシのこと、長崎県雲仙市ではこの名で呼びます。

お刺身のおいしさは皆さんご存知でしょう。実は、さらにこの塩辛が美味なのです。

スローフード協会国際本部の「味の箱舟」プロジェクトにも認定登録されています。

この塩辛をニンニクとオリーブオイルで煮て、雲仙特産のジャガイモに合わせたら、もう、最高!

強烈に好きになってしまいました。
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小浜温泉から眺めた橘湾です。

ここにエタリは生息しています。










今回、雲仙市に着いたその日にまずはエタリのお刺身をいただきました。

まるでお花のように、エタリが開花しています。ワサビ醤油でも、酢味噌でも。

いくらでも食べられるのはやはり鮮度です。東京ではこうはいきません。


翌日、エタリの揚る南串方面へ行きました。

道筋に、「エタリ」の看板が目立ちます。








小さなスーパーに入るとありました!エタリの量り売り。

なんと1キロ400円という安さです。








お刺身も売っています。

包丁を使わないで指先だけで、手開きにするエタリ。お店の人いわく「刺身の値段は、手間賃だね」








塩辛を発見!昔は各家で当たり前に作っていたとか。

今はスーパーで、少しでも買えるんですね。ただし、南串だから、ということでもあります。

雲仙市内の他のお店の何軒かには、塩辛はありませんでした。




港にエタリ漁の船が。巻き網で獲ります。

エタリ漁の船と一口に言っても、集魚灯のついたもの、ついていないもの、獲れたエタリを運ぶ専門の運搬船、といろいろあるとのこと。

どの船も同じに見えてしまう・・・私でした。


エタリは船から直接、巨大なホースで吸い込まれ、海水で蒸され、主に煮干しになります。

そして、大きなものはお刺身や塩辛になるわけです。







港近くのトラックのコンテナのような倉庫に、エタリの塩辛は漬けられていました。

エタリと塩を5対1、6対1、7対1くらい。魚の状態や気候で、だいたいそのぐらいの比率で混ぜて、重しをするだけ。






やがて魚の水分があがって、しかも発酵が進んで、塩辛になっていく。

3カ月くらいが食べごろとか。

一番上には藁を一緒に入れるのが伝統。なぜか風味がよくなるのだそうです。



昔お米は貴重品、この辺りではサツマイモがご飯代わり、おやつ代わり。

蒸かしたサツマイモと、エタリの塩辛を合わせて食べる。塩味がお芋の甘さを引き出したそうです。

尻尾を持って、ぶら下げて、頭から丸ごとパクリと食べるのが正しい?食べかたとか。

やってみると、そりゃあ塩辛いのですが、エタリの身がまだお刺身のようにプリプリしていて美味しい。

ごくりと飲み終わった後に、強烈な旨みが口に残ります。

頭、しっぽ、骨をとってオイルに浸ければアンチョビです。なので、アンチョビスパゲティを作るときと同じ、ソースを作りました。

正確には、私が「こうすれば美味しいのに。それをジャガイモにかけて食べたいな〜」と騒ぐので、お料理好きの方が目の前でササっと作ってくださったのでした。



エタリを細かくつぶして、ニンニクのすりおろしと一緒にたっプリのオリーブオイルで炒め煮する。

香ばしい香りがしたら出来上がり。熱々をゆでたパスタにかけて青じその葉の千切りを添えるのが私流。




今回は、勉強会の中で、今シーズンの雲仙のジャガイモにかけていただきました。

エタリの塩辛は、いくらスローフード協会がほめたたえても、なかなか食べる人は少ないでしょう。でもこうしてエタリオイルを作っておけばいつでも使えます。

今度、このオイルを商品化してみたいと、夢は膨らむばかり!エタリの美味しさに惚れすぎて、エタリが私に乗り移ったようにも思えるくらいです。

エタリ〜〜、好きだよ〜〜〜!

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ちょっとしたこと 思い出もの 2018/05/20 9:03 pm

「これってあの時のものだな〜」ってもの、身近にありますよね。

30年近く前、静岡県下1市7町で行った地域塾用に買った、ミニリュック。

25年位前、掛川市で行ったまちづくり塾で訪ねた牧場の、宣伝マグカップ。

12年前SNS投稿サイトの編集長をしていた頃、北海道松前の地域ライターを訪ね、求めたシャモジ。

懐かしいだけでなく、今も現役で使っているものばかり。捨てられません!

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30年使っているリュックは、静岡の呉服町商店街のハンドバック屋さんで買った安いものです。

化学繊維でできた小型。ファスナーが少し怪しくて、ここ数年は端を安全ピンで止めていますが、今もスーパーに行くにはこのリュック。

新宿御苑に行くのもこのリュック。

いま、写真がないのここにお見せできませんが、おそらくあと10年は使えるでしょう。



このマグカップは、毎朝使っています。牛の絵がかわいいし、取っ手が私の手にしっくりくる。

だから、ず〜〜〜〜〜〜っと使っているわけです。

割れない、好きだから割らない、大事に使う。それで25年位です。

とても感じのいい、ご夫婦がやっている牧場。ソフトクリームも美味しかった。“しばちゃん”元気かな〜。あの牧場まだあるのかな〜?

「36景学びのバス」という、見学バスみたいなもので月に一回掛川市内のいいところを訪ねていた時に寄ったのでした。


「日刊ブログ新聞 ぶらっと!」というSNS利用の日刊紙のようなものの編集長をやっていました。

各県に地域ライターを何人かずつお願いして、日々、地域のことをブログ発信していただいていました。

そのお一人、松前町の飯田君、今もお元気で私とFacebook友達でいてくれています。

彼とは、そもそも、「半島ツーリズム大学」というのを松前でやった時、私のワークショップに参加してくれたのがきっかけで知り合いました。

その頃は男の子という雰囲気を残していたけれど、今や町会議員さんです。

確か、青森の地域ライターさんを訪ね、それから松前まで回ったのでした。

松前城を案内してくださって、(彼は今もここのガイドさんをしています)、お土産に「松前城」と書かれたシャモジを買ったのでした。

正確には木製の炒め物用ヘラですね。チャーハンや野菜炒めに活躍しています。文字はすっかり滲んでいますが、使うたびになんとなく松前を思い出すものです。


私の古ーい携帯についているストラップ。「瑞龍寺」とあります。

革製で、裏には火ふせの神様が型押ししてある。単なるお土産物風ですが靴ベラにもなるので、実に便利。丈夫で使い込んでいるうちにいい色にもなってきました。

横のペンダントは実は金属製のジグゾーパズルの一片がアクセサリー―になっているもの。これがないと、パズルが完成しないという、不思議な一片です。

いずれも10年くらい前の物かな〜。富山県高岡市へ、スローライフ逸品作りの研究会・ワークショップで通っていたころのものです。

あの勉強会で、どれほどの品物が発案されたか!いま、どのくらい残っているかなあ〜。

ま、残っていなくとも、研究し続けたメンバーの頭にはいろいろなアイディアや経験が納まったはずです。

これはまだ新しいもの。

2年前、長野県飯山市に通い始めたころ、生まれて初めて「かまくら」の中で、鍋をつついて一杯をしました。

こちらの防寒が手薄で、コートだけでした。熱燗を飲んでも追いつかない寒さ。

するとご一緒だった地元の方が、ゴソゴソと出してくれた。「女房がこんなの作るのが好きなんです。使ってください」と帽子とマフラーを出された。

真っ白な雪に囲まれた中で映えた水色のお手製帽子。マフラーとともに、この冬にも使わせていただきました。

あったかです。

いろいろな土地に行くたびに、何かしらの物が増え、「思い出もの」は増えていきます。

断捨離なんて流行していますが、こういう物は一緒に生きている感じで処分はできません。

100歳になった時「これは確かね〜、あそこでね〜」と語れるおばあちゃんでいましょう。

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ちょっとしたこと まだこれから 2018/05/14 2:40 pm

96歳の実家の母が尻もち、お見舞いの電話をすると「お母さんもそろそろ歳ね」と笑い声。

同じ年齢のドナルド・キーン氏は新聞紙上で、100歳を超えて1人暮らしの友人を讃え「101歳に負けないぞ」と。

昨日読んだ小冊子には、江戸時代の土木技術者・大畑才蔵の話。彼は66歳にして人生最大数10キロに及ぶ用水路工事に取り組んでいます。

まだまだ私などこれから、ということですね。

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家事現役の母はそれなりに弱ってきています。なので、今回も踏ん張れずに転んだのだそうでした。

姉から聞くと、転んだまま起き上がれな自分にショックだったようです。首も腰も手術し、脳梗塞もしたんだからしょうがない。とはなかなか思えない性格です。

その母に母の日プレゼントで、今回は瀬戸内寂聴の『いのち』と佐藤愛子の『老い力』の2冊を送ったのでした。

転んだせいでしょうか、「まあ、お母さんもこういうのを読んで覚悟していかなくちゃね」と母は語ります。

少々可愛そうに思ったら「ま、あんたもじきにこうなるわよ」と笑う。「お母さんね、気に入らない色のファンデーションがあるから、今度来たらあげるわよ」とも。

この母の前では、私はひれ伏すしかありません。私など未だに子ども・ガキなのでした。

キーンさんの話に出てくるアメリカの101歳おばあちゃんは、実に知的好奇心に富む美人らしい。

毎日、新聞を隅々まで読み、おしゃれも欠かさない、香水も、だそうです。

キーン氏は彼女との会話を楽しみ、負けちゃいけないと思うそうです。100歳にして一人で、知的。理想の姿ですね。

しかし、昔もすごい人はいました。人生50年といわれた時代に、66歳で大工事を任された大畑才蔵にも驚きます。

皆が隠居どころかなくなる年齢にして燃える男、カッコいいですね。現場に立ち、68歳で100日の工期で休んだのは1日だけとか。

74歳で現役を引き、79歳で亡くなりますが、彼のおかげで水に困っていた土地は紀の川の水を引き、広大な水田になったのでした。

昔の偉人でいえば、私の父の実家近く、佐原に伊能忠孝が居ます。九十九里出身、佐原の酒屋に婿養子に入り、49歳で隠居。50歳から新たな人生を歩みました。

55歳から71歳まで10回にわたり日本中に測量の旅に出かけ、ひたすら歩き地図を作った人です。

以前佐原で、記念館を訪れた時、千葉県人として誇らしく思いました。

大畑も伊能も、現代に置き換えれば80〜90歳代くらいで世界に誇る偉業を成し遂げたということになるでしょう。

この方々と比べるにはおこがましいですが、私などまだまだこれから。「で、どうするの今後?」という段階なのですね。

はい、頑張りましょう。

母の尻もちから、いろいろ学んだ母の日でした。そういう意味でお母さんありがとう、です。

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ゆとりある記 井上孝治写真展で 2018/05/07 11:55 am

東京・国分寺駅前、古い家をギャラリーにした会場。畳の部屋での展示が昭和20年代後半頃の日常スナップ、モノクロ作品にピタリでした。

褌で川遊びする少年たち。“氷柱”をこっそり舐める男の子。七輪を扇ぐおかっぱ頭の少女。着物に白い割烹着で笑う女性。街頭テレビに夢中のおじさん達。放し飼いの犬。

何だか今よりこの頃の方が、みんな活き活きしていたように思えました。
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「おうちギャラリー ビブリオ」という会場、本当に築半世紀という普通のおうちです。

ブロック塀から既に展示スペースのよう。







写真をアップで紹介するわけにもいかないので、このブロック塀に貼られたポスターでご覧ください。

右が氷柱を舐める子。坊主頭には白い“ハタケ”ができています。

右から二つ目は、線路をおっかなびっくり覗いて、電車が来るかとみている子。こんな格好で私ものぞきましたっけ。

次が駄菓子屋前で。買った飴に髪の毛がついちゃった女の子。これも経験あります。

道路の真ん中にポツンと座り、遠くを見る犬。車の一台も、人の一人もいない道。リードの無い後ろ姿には風格があります。


この写真展は黒岩比佐子著『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』復刻記念の催し。

井上さんは3歳の時に事故で聴覚を失ったそうです。カメラを持ったのは10代の頃。以来、自分のメッセージを写真に託してきたのでしょう。

フランスのアルル国際写真フェスティバルに招待されるほどの評価を得ながら、その招待状を枕もとに息を引き取ったのが1993年のこと。

この本は、99年にルポライター黒岩によって文藝春秋から出版され、その後、角川学芸出版から文庫本になり、そしてこの度またコミー蠅ら復刻されたそうです。

この度私は会場で買い求め、ようやく読み始めていますが井上さんの写真はもとより、その生き方が実に瑞々しい。

彼のもともとの性格なのでしょう、重く暗くと思いがちな障害を抱えた人生は、スカッとさわやかで素敵なのです。そう、つい思う私の方がおかしいのでしょう。

写真をやっている夫は、はるか昔から井上さんを知っていて、最初写真を見た時は、「なんて独特な作風なのか?!」と思っていたそうです。

その後、耳が不自由と聞いて、「何か納得した」と話していました。

彼は言葉では伝えられないような情感を音楽家が作曲したり唄うように。力強いメッセージを舞踏家が踊るように。写真というもう一つの言葉を使ったのでしょう。

ま、そういうことはともかく、とにかくこの頃の庶民の様子がいいのです。

撮っているのは彼が住んでいた福岡。日本のどこもこんなだったのでしょう、道路はぬかるみ、子どもはハナタレ、家はおんぼろ、自転車やリヤカーが交通手段。

銘仙の縦じまの着物を着た奥さんを後ろに、前には坊やを乗せて、黒い重そうな自転車をこいでいくお父さん。

今はこんな姿はないでしょうが、なんだか3人が運命共同体のようで、小さな幸せがギーギーと音を立てて動いていくように見えます。

ギャラリーに置かれた古いステレオからこれまた古いジャズが流れ、いい感じ。


写真集を見るほどの点数はなかったですが、この昔の普通の人たちの写真は、今年の連休の私へのごほうびになりました。

スマホやパソコンばかり眺めて居る現代人より、ずっと素敵な過去がある。

その大切なことを井上さんの写真は教えてくれたようです。

べた焼きを見られるような配慮もあって、井上さんが他にも何を見て、何を伝えようとしているかが分かります。

総ての普通のことに優しい、それを大事にすくい上げている視点が素晴らしい。

畳の上で、丸いちゃぶ台を囲んで座っていると、写真に写っている七輪と、白い割烹着姿が現実になり、メザシと肉じゃがが運ばれてきそうでした。

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ゆとりある記 新宿御苑の効能 2018/04/30 12:12 pm

「新宿御苑」、この都心の貴重な緑の苑には、自然に飢えた人々がむさぼるようにやってきます。

子どもは大声をあげて走る、夫婦は手を繋いでゆっくり散歩、若者が花を観察。

普段できないことをして、皆の表情がとても良いのが印象的です。

自然に癒される、子どもが子どもになれる、夫婦が夫婦になれる、生涯学習できる、外国人も多く国際交流もできる。200円の効能は大です。
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ホームページにから抜粋すると―ー。新宿御苑は広さ58.3ヘクタール、周囲3.5km。園内は、イギリス風景式庭園、フランス式整形庭園、日本庭園がたくみに組み合わせられています。

日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。約1万本の木々が茂り、四季折々の自然が楽しめる都会のオアシスです。

新宿御苑の歴史は、天正18年(1590)に譜代大名であった内藤氏が徳川家康よりこの地を拝領したときに始まります。

明治5年(1872)には、日本の近代農業振興を目的とする内藤新宿試験場が設置され、その後、宮内庁所管の新宿植物御苑となり、明治39年には日本初の皇室庭園である新宿御苑が誕生しました。―ーーとあります。



だから最近ちょいちょいと造った公園とはわけが違う、歴史を感じるし、第一品がある。

わざわざ遠方からここまでやってくる人も多いのに、我が家からは目と鼻の先。歩いて5〜6分で着いてしまいます。

自分の庭がないので、「御苑」をうちの庭として使う。お弁当を作って行って食べて、芝生で日光浴したり。お花見したり。ウォーキングをしたり。本当によくいきます。

いろいろな庭があるので変化がある、季節ごとの花がある、だから飽きることがありません。他の人も多かれ少なかれ、都会暮らしで足りない何かをここで補填しているのでしょう。



昨日は夫が講師をしている現代写真研究所、ゼミの撮影会。「ヒューマンウォッチング」がテーマだったので、いつもにまして御苑に集う人の様子を観察しました。

桜の時期は、やたら外国人観光客が多かったのが、今や緑の時期となると団体客が少なく、大騒ぎの人が居なくてほっとします。

緑の日にちなんでのちょっとしたイベントがあるくらい。皆が芝生でくつろいでいました。



一番キラキラと輝くようにはしゃいでいるのは子どもたちです。普段、都会のマンション暮らしでは、走り回れない。これは狭いし、階下へ音迷惑になるから。大声を出せない。これも同じく、狭いから家族がみんなうるさがるし、ご近所に響く。

声を上げず、走らない子になっている。針金を巻かれた盆栽のような子どもたちが、新宿御苑では解き放たれる。

走っても騒いでも、空と緑が許してくれる。親も一緒に走ってくれる。子どもが子どもになれるのでした。



樹々に囲まれた散歩道では、中年の夫婦が何か話しながらゆっくり歩んで。いつしかふんわり手を繋いだり、腕を組んだり。

時間に追われる日々のなかではできないしぐさが自然にできる。歩きながらいろんな話もする。

ちょっとした肌のぬくもりと、心のぬくもりに触れている。家でのお父さん・お母さんの役目から解放されているのでした。

意外に、若い人が植物に感心を持っていたりする。もちろんインスタ映えする花や緑を求めてはいるのでしょうが、小さな芽や、葉の葉脈や、花弁や、幹や枝や、、、。写真を撮ったり、ジッと見つめていたり。

樹についての解説文をカップルで声を上げて読んでいたり。一日でかなり学ぶはずです。御苑で植物に開眼したら、一生楽しめる趣味を持つことになりますね。



団体はさすがに減っていましたが、もともと外国人が好む御苑です。こちらと視線があえば微笑むし、片言で植物や天気の話をしてみたり。

外国ファミリーの憩う姿にこちらも見入ったり。数人いるエキサイティングな外国人観光客に笑ってしまったり。

もしも御苑がなかったら、今の私の住まいはつまらないただの狭い空間です。緑豊かな田舎に暮らす人からは、????でしょうが、それほどに都会の暮らしは生身にきつい。緑の懐に身体を預けないと持たないのです。



ストレスフルになったなら、「新宿御苑に3日通い、芝生でお昼寝、お散歩一周、ベンチで一人読書」なんて処方箋をお医者さんが出してあげればいい。ドリンク剤や睡眠薬を飲むよりもずっと安上がりに身体・心が元気になれます。

都会の他の公園も、みな同じような役割を果たしていることでしょう。でも新宿御苑は新宿の大雑踏の中に突然ある聖地です。だから尊い。

災害時には避難先になっていますが、実は普段から都市生活からの避難先なのでした。

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ちょっとしたこと 荻窪商店街ぶらり 2018/04/23 11:25 am

静岡市呉服町で“一店逸品運動”をしてから、もうどれほどの商店街とお付き合いをしたことでしょう。仕事がらというよりも、とにかく商店街好きの私です。

今回は東京・荻窪の商店街を歩きました。駅付近にいくつもの商店街があります。店の数よりも、新旧が、品の良しあしが混在していることがおもしろい。

しかも住んでいる人が楽しんでいる。それが大事と思いました。
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我が家から少し丸ノ内線に乗ると荻窪、JRなら中央線です。ベッドタウンというには活気があり開けている、学生さんも多い、ま、ビジネス街ではないけれどたくさんの人が居る街です。

駅から南へ北へ、いくつかの小さな商店街がある。先日いただいたあんころ餅がかなり美味しかったので、その店がある教会通りにまずは行きました。

この商店街の顔というべき蜂蜜屋さんです。65種類、10各国の蜂蜜がある。もともと養蜂をしていた老舗、量り売りもしています。

こういう専門店がひとつでもあると、その商店街の重みが出ますね。

蜂蜜レモンのようなさわやかな飲み物を、試飲させていただきました。


洋食屋さん、ここのポップがおもしろい。

メニューと値段だけじゃなくて「マタニティマークをお持ちなら10%割引」とか「名古屋出身の店長がモーニング始めました。ドリンクにトースト・ゆで卵つけます」なんてある。

マタニティ割引は他のところでもどんどんやるべきだなあ〜。

モーニング本場の出身なら、どうしてもやりたくなっちゃったんだろうなあ〜。

なんて、思いながら、今度ここに入ってみようと決めます。

道に車は入ってきませんが、とにかく自転車が多い。地元の人が行ったり来たり。その合間を縫って、私のような来訪者がウロウロしている。

日常と晴れが混じっています。









やややや!すごいクリーニング屋さんがありました。

建物自体が“世間遺産”的存在。いつごろからあるのでしょうか、なかではおじいちゃんがせっせと働いていて、おばあちゃんと会話している。

昭和のドラマのワンシーンになりそうな世界。下調べなどしないでポンと来るのが好きな私です。

この「洗濯屋さん」は調べれば、そうとう取材されたり、写真に撮られていたりするはずです。

なのに、サッシではない木製の窓の向こうで、淡々と仕事をしている。この商店街が浮かれてヒラヒラと飛んでいかないように文鎮の役割をしているようでした。

8畳間くらいかな〜、もっと小さいかな〜貸ギャラリーです。たった1日でも貸してくれる。

確かに安くはありませんが、お仲間と数日借りて壁面をシャアして写真展もいいなあ。

こういうところに、自分のスペースを持てるというのがうれしい。貼り紙がおしゃれです。



おしゃれ空間があったと思ったら、商店街から横に入るとすぐに庶民の生活空間。

運動靴が、まるでオブジェのように乾かしてあります。

こういう脇道に入り込んで、暮らしのお邪魔にならない範囲でウロウロするのも楽しい。




ありました、ありました、和菓子屋さん「榛名屋」。おにさん一人で店番のいい感じ。

お目あてのあんころ餅は、一見、ぼた餅なのですが、なかはお米でなくて草餅が入っているという優れもの。とにかくあんこが美味しいお店。

次から次へと、地元のおばちゃんたちが買っていきます。おにぎりもあれば、海苔巻きもある、ヒジキの煮物もある。このままお店ごと持って帰りたいくらい。

ショーケースひとつで勝負しているのもいさぎ良い。


ここんところお疲れモードとの夫と店頭で念入りに打ち合わせして、今日は柏餅にしました。

買って、即、ここで食べます。というと、おにさんがお皿にのせてくれました。

通りを歩く人を眺めながら食べる私のは味噌柏、美味しい〜。

ショーケースには、今どき珍しいちゃんとした生け花が飾られています。そして付箋に、生けてあるものの名前が。「うりはだ楓、カーネーション」などとメモしてある。

聞けば「お客さんから聞かれるんですが、すぐ忘れちゃうんで」とおにいさん。あんころ餅買いながら花の名を聞く、聞かれたら応えられるようにメモしておく。

こんな関係がこの商店街にはあるんですね。


さて、荻窪駅に戻り、南側に抜けるために別の商店街を行くと、こんな看板が。

そうそう、ほんと、文化です。と言いながらこのまま入りたくなります。アツアツの餃子にかぶりつき、ビールをくいっと。

これは必ずや、実行しに来ないと。


学生さんも多い街です、古本屋さんも目立ちます。ここは古レコード屋さん。レ、レコードですぞ。

どんなのがあるんだろう?買っても聞けないけど、見たい。ジャケットだけでも、昔の気分に浸りたい。

マニアックな若者と、私のようなシニアも来るのではないでしょうか。




駅南口の商店街のパン屋さん。テラスでバケットサンドなども食べられます。私は暑いのでジンジャエール。

なんでこの店にしたのか?

立て看板に「ドリンクのみのご利用、ワンちゃん同伴大歓迎です」とあったから。気持ちのいい店ですね。

さて、ここまで書くと、荻窪大好き、商店街絶賛で終わるのですが。ふと考えます。

私が通う、地方のまちにはこんな商店街はありません。昔、商店街だったらしき遺跡のような通りは残る。

もとお店をやっていただろうガラス戸のなかの土間は、自転車やシルバーカー、応接セットが置かれたり、君子ランやシクラメンが飾られたり。

ポツンとあるお店も息絶え絶えだったり。そういうお店すらなくなっているところもあります。

人が東京に集中し、地方の交通は車が中心になり、大規模店ができて、などなど商店街が滅んでしまったのには様々な理由があるでしょう。

お店を覗きながら、いろいろ会話する、歩き回るこの楽しみは地方のまちではもう体験できないのでしょうか?

ならば、せめて、まだ残っている頑張っている数軒の個店を住んでいる人が支えてあげたいものです。わが故郷には店らしい店が全くない、なんてことでいいのでしょうか。

荻窪にはたくさんの学生さん、若い夫婦、子どもたちが居ました。この人たちが古里に帰った時に、小さいながらも商店街や専門のお店を大事にする、楽しめる人になってもらえればと思います。

人口の多い東京は、そういう見本事例として、頑張る個店や商店街を買い支え、文化遺産としてもにぎわう商店街というものを維持しなくてはいけないと思います。


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ちょっとしたこと お店をやりたい:その3 2018/04/16 1:31 pm

私、スローライフをテーマにしたお店をやりたいと騒いでおりますが、今日はその場所のお話。

新宿四谷で普通の貸店舗を借りるには、ビックリするほどの家賃がかかります。

それにどこかの空き家を、事務所も兼ねた古民家カフェのような設えにできないものかと思うと、そもそもそういう物件がない。

家賃が安く空き家がいっぱいの地方と、東京のこの差は何なのでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京にも空き家はたくさんありますが、ごく普通の一戸建てで風情がありません。

または持ち主が放ってあるのか荒れていたり、または本当に崩れかけていたり。田舎の立派な空き家を見ている私には、使いたくないような家ばかり。

ならば普通の貸店舗を正々堂々とお金を積んで借りなさい、ということになりますが、これまた笑ってしまうくらい高い。

月々数十万を払うとならば、そこでよっぽどお金を稼がないとやっていけないということになります。

かつて、私が24歳の頃、都内のマンションに住んでいて7万7千円の家賃を払っていました。当時のその値段ですから結構広く、女友達と共有していました。

それが、東京を出て静岡県に移動し、ある海辺の町に住んだとき、同じ広さが7000円で借りられました。10分の1以下です。

しかもそのアパートは、窓を開ければこんもり緑の茂った山が見え、一歩外に出れば大きな富士山を仰げる。水道は柿田川湧水からの冷たい美味しい水。

いったい私は何のために働いてきたのか、スモッグ一杯の都会で家賃を払うだけのために徹夜してきたのか、と、ショックでした。

当時は周囲から「なぜ、東京からこんな町に来たのか。もったいない」といわれました。

皆が何とか田舎から東京に出たい、東京に追いつきたいと思っていた時代です。私の逆流は不思議だったでしょう。

その数年後、、静岡の山地の川のほとりに、古い農家の空き家を見つけ住んだこともあります。この時は、広い庭付きで10,000円。

畑もやりました、釣もしました、シェパードも飼いました。近くの人が、猟で射止めたキジや猪を届けてくれました。お風呂に入ろうとすると沢蟹がいる、そんな暮らしでした。

今でこそ、仕事さえあれば、田舎に住みたいという人は多いものですが、当時はまだ珍しかった。

それをさんざんやってきて、今やまた東京に住み、さらに東京で店までやりたいと思っている。これもまた、逆流なのかもしれません。

こんな悩みを打ち明けると、「野口さんごと田舎にひっこして、そのお店のプランをわが町でやってよ」という人が何人か出てきました。

でもそうじゃダメで、ここは譲れない。こんなにひどい東京にこそ、少しでも良いもの良いことの細胞を移植しなくてはと思うわけです。

地方のむら・まちと繋いで、少しでも東京に良い血を流したいのです。東京に住む者が真剣に東京のことを考えないと、日本が危ないから。

店舗を借りる場合、家賃6ヶ月分の敷金と、2カ月分の手数料。数十万の家賃×8倍、プラス内装・什器備品、きゃ〜〜〜〜〜!

田舎では、日曜大工以上の技術者である友達たちが、内装ぐらいお茶の子さいさいで助けてくれるでしょう。物もいろいろ集まってくるでしょう。

東京では、総てがお金ということになりがちです。今から、こうして騒いで仲間を募るしかありません。

では騒ぎましょう!

「私のうち、古いけど使っていいよ」なんて人が現れないかな〜。

以下、以前のブログです。
「お店をやりたい」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=426&date=201708


「お店をやりたい:その2」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=431&date=201709


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写真でみるゆとりある記

2012年3月終わりメルマガ100号記念
東京花見
奈良県十津川村谷瀬で
出雲で

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。