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お仕事
商人塾・瀬戸
2009/10/09 9:47 pm
尾張瀬戸での商人塾がおもしろくなっています。
先日は、各お店の「逸品」または「すぐれたサービス」を持ち寄りました。商店街でお店をやっている以上、「うちの店には何も逸品はないし、自慢できるサービスはない」ということはありえません。
もし、本当にそうだったら、店を閉めるべきです。お客様に失礼です。と、私は思います。
で、瀬戸の末広町商店街のおかみさんたちは、必死に自分の店の‘自慢’を持ち寄りました。
「自分の店で売った靴でなくてもちゃんと修理します。色がはげてきたら、何とか色をつけます」「昔からのあんこサンドイッチを作っています」「今どき、アルミの洗濯バサミをちゃんと置いています。大きなやかんの口のふたまである。何でもある金物屋です」「10分間で眉毛の手入れをします」「店内に、どっこらしょ!と座れる椅子を用意しています」「化粧品のサンプルの説明書きは字が小さいので、高齢者にも読める字で‘下地クリーム’とか書いて貼ってさし上げています」
いずれも小さなことですが、いずれもすばらしいことだと思います。おかみさんがおそるおそるわが店自慢を言うと、ほかのお店のおかみさんが、「お宅のお店は、こういうところもいいと思う」とことばを重ね、話はつきなくなりました。
要するに、この商店街のお店は、それぞれに‘すばらしい’のです。それが今回分かりました。駄目な商店街ではないのです。それなら、もっともっとそのことを、お客様に伝えよう!ということになりました。
研究会の前には、個店を回り、気づいたことをアドバイス。化粧品店では、高齢者の方が多いのに、椅子がステンレス製。見た目はいいけれど、冷たいし体が冷えるとアドバイス。
時計屋さんでは、店頭のショウケースの背中が、ただのグレーのスクリーン。来店者はその120センチ×100センチくらいのグレーの布を見ながら帰る状態。せめて、ありがとうございました、とか、ポスターとか、時計修理しますとか、この布面を活かしましょう、とアドバイス。
お店を見せてもらうと、私もとても参考になります。そして、大笑いしながらの研究会です。ああ、楽しい。次回また、いろいろ教えてくださいね。おかみさん!
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一店逸品運動
足利一店逸品ウォーク
2009/09/04 10:13 pm


足利一店逸品運動のお世話をしています。今年で3年目でしょうか。「七夕夕涼み商店街ウォーク」をやると聞いて出かけてきました。7月末の話でございますが・・・。打ち水をしてまちを涼しくして歩くという計画は、そもそも天気が雨模様のため残念。それでも、店先に用意された樽の水を打ち水、打ち水。「逸品の会」会員の果物屋さん手作りの竹の柄杓をもらい、参加者はご機嫌です。


市民グループのハーモニカ演奏の音色に送られて2グループで商店街にくり出しました。酒屋さんでワインに秘められた物語を伺い、コルクの樹は一度樹皮をはぐと次に採れるようになるまで9年かかる、だから大切にと伺いびっくり。そのコルクで作った箸置きをいただきました。


果物屋さんでは一度聞きたかった「甘いスイカの見分け方」について質問が出ます。「ヘタのついていたところがぎゅっとすぼまって凹んでいて、手のひらでたたくとテンテンといい音がするもの。くぐもった音はスが入っている」など、かなり専門的にそれぞれのスイカを比べながら教えていただきました。

帽子屋さんでは家での帽子のしまい方について学びました。「こういう簡単なスポンジ製の輪があれば、重ねてしまえて楽ですよ」と教わります。「その輪をくださ〜い」と参加者。
文房具屋さんでは、絵を描くのが大好きな店主が地元のお寺の塔を即席で描き上げました。解説をしながら絵を描くお姿から、私もたまにはこんな風にダイナミックに絵など描いてみたいと思います。
などなど、ついついお店でのお話がおもしろくためになり質問するために時間が経ち、予定通りに歩めません。すっかり遅れて会議所に戻ると、米屋さんがご飯を炊き、コロッケ屋さんが揚げたてを届け、ソース屋さんがソースを解説し、みんなプチ・夕飯をご馳走になりました。引率された商店街の店主の方々、参加費1000円は安すぎますよ。ありがとう!商店街は、本当に学べる楽しいところです。
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一店逸品運動
富士山の一店逸品
2009/08/27 10:13 pm
山梨県富士吉田市で、今年も一店逸品の動きが始まりました。昨年「富士山逸品」名づけたものの、参加店と物を紹介するカタログ作りで精一杯。そうならないように、とは思うのですが、今回もまた時間がない。本質的なことに迫ることができるのでしょうか?

でも、少しずつ、物・店が良くなり、人・まちが輝きだせば良しとしないと、一気に前にはすすみません。なにかしらみんなが栄養を吸い取れればと、いつものように一店逸品ワークショップです。
手作りマスクを作ってネットで売っている人。お風呂が好きでついに富士ヒノキで個人露天風呂を作るキットを10万円以下で売りだした人。富士山型の干菓子を手作りした和菓子屋さん、「パッケージに悩んでます・・・。」「名物・吉田のうどんの具をタコスにしたら?」「富士山デザインの金太郎飴作りました」いろんなチャレンジやアイディアが積み重なっていきます。
で、そもそも「富士山逸品とは何か?その要件は?」ここでみんな、頭が止まりました。一人3つ考えて書き出しましょう!なかなか具体的な言葉が出ません。「じゃあ〜宿題〜!」
みんながのって来ると時間切れ。会議でなく、ワークショップなので時間がかかります、効率的でない分、運動により足腰に筋肉がつきます。そしていずれ自分で走れるようになります。「短時間でみんなを走らせてやってください」というわけにはいかぬ、いかぬ・・・・・。
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東京から富山県高岡に行くときに、いつも越後湯沢で乗り換えます。ちょうど昼時。金沢方面に行く雷鳥に乗り換えようとエスカレーターを降りていくと「おべんとうは〜いかがですか〜〜〜♪」の声がいつも聞こえます。
ああ、この声をここでご紹介できないで残念。いつも同じ人ではないのですが、売り声の音程と声質が一緒です。けっして明るくない、むしろ暗い売り声。短調です。EmとかDmとか。東京のパカッと明るい、しかも語尾を上げて早口、キンキン声、晴れやかで明るい、そう、マクドナルドの売り声に代表される何にも悩みのないような語り口とは正反対の売り声。
ああもどかしい、皆さんに聞かせたいなあ。
語尾をなが〜く引っ張るのですが、その半音下がったような音程はこの店、この土地?代々の売り声なのでしょうか。しかも、銅の重い鈴を転がすような感じも声質。乗り換えに急ぐ人たちに必死で呼びかけるでもなく、なんとなく虚無僧が一人自分に唄っているようでもあり。
しかしながら、この暗めの売り声にはググッと心をつかまれます。慣れた明るい売声とは違うので、何だろうと振り向いてしまいます。「ごはんは〜〜〜魚沼コシヒカリ〜〜〜〜♪」とまた、物悲しく詠われると、ああ、もう買うしかありません。
そういうこともあります。
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お仕事
たかおか屋
2009/08/21 9:58 pm
富山県高岡市の「たかおか屋」。なに?それ?とお思いでしょう。以前このブログで高岡商工会議所の段取りで「高岡土産物研究会」をやっていて、市内の製造、小売、いろいろな職種の方が集まって新しい土産物の企画開発をしているということをご紹介しました。

ブログをサボっているうちに、月日は経ち、昨年秋からこの春まで私は12回高岡に通い、この会のお世話をし、その結果というか、その延長で高岡のスローライフ逸品を集めたお店が(7月2日開店)出来てしまったのです。

たかおか屋は1階が店、2階が座敷と台所、3階は屋根裏物置。2階はちょうど良いミーティングスペースです。先日の会合では、みんなでこの1ヶ月弱の売り上げや反省などを話したり、次のイベントの計画をしたり。
とりあえず、8月の七夕祭りには、ウナギの皮チップス(おいしいらしい)とビールの露店を出そう。富山空港に品物を置くかどうか?地元のケーブルテレビでしゃべるのは、昆布屋さんと、呉服屋さんと、漬物屋さんと・・・。8月の店のメインには錫の製品を。なんてことが決まりました。
このように土産物研究会で出会った人たちが、今年度は「高岡スローライフ逸品研究会」として会費制で活動。「たかおか屋」の企画・運営にも当たっています。ここでの体験・実験が、各人の物づくり、まちづくりに活かせればめでたし、めでたし。
なんといっても様々な業種の人たちが、親戚のように仲良くしていることが財産です。わたしも当分毎月高岡通い、子供が育つように店が良くなっていくことを楽しみに。
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お仕事
瀬戸の花
2009/08/14 8:31 pm
瀬戸市商工会議所の仲立ちで、尾張瀬戸の末広商店街の「商人塾」に通うことになりました。第1回目、7月23日にうかがってきました。瀬戸物のまちですが、産業そのものが衰退するとまちも衰退するその厳しさがひしひしと伝わってきます。それでも最近観光客などが集まる近くの銀座商店街では、学生さんが店づくりをしたり、逸品運動が盛んだったり、話題は豊富。末広商店街もがんばろう!というわけです。

ほんの200メートルほどの商店街、片方の端に「瀬戸蔵」という観光施設がありますが、そこからの導線は悪く、おまけに途中道路と広場で中断されている商店街のため見通せない構造。もとはにぎわったという旧映画館が、閉まったままデンとあります。う〜ん、と思わず脂汗がでそうな状況ですが、思わずカメラを向けました。商店街の中に、‘コリウス’が生き生きと植えられています。これは大丈夫だ!と思いました。

商店街や店の状況や可能性は、店の前の“花”に読み取れる、と私は思っています。育てる人(店・商店街)も、見せてもらう人(お客様)も、ともに楽しめる花に力が注がれているということは店づくり・まちづくりの原点がしっかりしているということです。
世話をしているおかみさんに聞けば、「アーケードで直射日光が差さないので、花ではなく、葉を楽しむコリウスを選んだ」とのこと。「安いし、枝を挿せばすぐ着くし」というのもさすがです。
商店街の中の小さなフリースペースで、女性たちに向けての話をしました。ケラケラ大声で笑いながら、大きくうなづきながら、おかみさんたちはパワフルです。次回からは楽しいワークショップでいきましょう。
写真は、末広町商店街のはずれのもと薬局のショウウインドウ。お店はやっていないのに、こうして季節の花をいつも活けている!この心意気に感動しました。
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緩急自在ルック
2009/08/14 8:25 pm
先日久しぶりに大阪に行きました。大阪府商店街振興組合連合会青年部総会での講演です。タイトルは「スローライフ時代の商店街、地域観光」です。‘あきんど’しかも‘大阪の’となると、スローとは程遠いもっともファストな方々という印象があったのですが、とんでもない。青年部の部長さん(写真)は、一見強面なのですが、お茶目な方。着ているものが素晴らしい!大量生産のファストウェア、ユニクロの5000円代のスーツのボタンを取り替えて、また、かわいいピンバッチもつけて完全にオリジナルなものにしておいででした。

私が話した「ただ、ゆっくりがいい、のではなく、緩急自在が大切」という話を受けて、ご自分のファッションを“緩急自在ルック”と紹介です。懇親会では‘大阪締め’という手締めも体験。東京のチャチャチャン、チャチャチャン、と小刻みに畳み込むような手締めと違い、‘間’のあるのどかなもの。大阪でスローライフを学んだ夜でした。
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スローライフという言葉と出会った頃、私は静岡市に住んでいて、静岡県掛川市の生涯学習のお手伝いをしていました。何でも「○○とは、何か?」と考える「とはなにか学舎」という名の、地域づくりが実践でできる人を育てる塾です。
当時の掛川市は全国にその名が知られる「生涯学習のまち」でした。生涯学習という言葉を産み出した榛村純一さんという、類まれな天才市長に導かれ、このまちは輝いていました。
そこで10年近く、この塾のスタート以前からコーディネーターの役をやらせていただいたことが、今の私の活動の根っこになっていることは確かです。
スローライフ運動を日本で始めるために、まずはどこかのまちで催しをやろう!NPO以前の我々が考えたときに、迷わず「掛川だ!」と声が出ました。川島さんは榛村さんと昔からの知り合いです、私は塾を通してたくさんの意識ある市民を知っていました。
ちょうどその「とはなにか学舎」で川島さんの講義があった日、市長に面会を申し入れました。「スローライフを市の柱にすえませんか」というような話を、広い応接で川島さんは熱心に語りました。
私は市民と行政との協働の催しをやろう、という案として「まるまる30日間スローライフスクール」というロングイベントプランを語りました。
今もよく、「スローライフ月間などをするのに、誰をまず説得すればいいですか?」と各地の市民の方に聞かれることがありますが、私は「まず、首長」と応えます。
スローライフは何課が担当するということではありません、考え方の根源的なことですから、自治体のリーダーが「うむ」と納得して、行政すべてにこの価値観を浸透しなければならないのです。
掛川では榛村さんが生涯学習をずっとやってきたその総仕上げ的な価値観をちょうど求めているときでした。何の企画書も持たないで語る私たちの話に耳を傾けた市長は、さすがであった、と今も思います。
この面会から数ヵ月後、筑紫さんが掛川に入り、筑紫さんとしても初めてのスローライフをテーマにした講演をこのまちでしたのでした。2002年7月、これもまた大変暑い日。この掛川市でスローライフ運動はキックオフしたのでした。
※写真は講演後、行われた「スローライフ月間in掛川」実行委員会の様子。左から川島さん、筑紫さん、榛村市長(当時)
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その日は、とても暑い日でした。2001年7月14日から9月30日まで開催された「山口県きらら博」のある日のこと、宇部空港を降りてからその会場に向かう途中の食事処で、頼んだアサリの酒蒸しを吉永みち子さんとせっせと口に運んでいた筑紫哲也さんの姿を記憶しています。
今、スローライフ・ジャパンの理事長である川島正英さんがこの博覧会に一部アドバイザー的にかんでいて、開催前と開催後と、何人かの有識者を送り込んでいました。そのある回に、私はたまたま筑紫さんと一緒になったのです。
それ以前に筑紫さんと会っていたのかいなかったのかはもはや記憶がありませんが、このときのことはよく覚えています。日も後ほど調べればわかるでしょう。家族連れも多いこのご飯屋さんで、出がけに筑紫さんは大きな牡丹餅を二つ買いました。
「今夜、原稿を書かなきゃならないから」つまり夜食です。「でも、暑いからすぐ悪くなりますよ。会場に着いたら冷蔵庫に入れておいてもらいましょう」と私。そんな会話をしたものです。
会期中に250万人以上の入場のあった催しです、この日も会場はごった返し、ご案内をされているはしから、皆、汗だくでした。当時私はまだ着物はときどき着る程度、この日はノースリーブにミニスカートと裸同然でしたが、暑さだけが思い出に残ります。
ホースセラピーを提唱されていた吉永さんと一緒に、筑紫さんは、子供たちの乗馬体験コーナーでずいぶん時間をかけてその様子を眺めていました。その後、暑さから逃れるように入った、外より涼しいベコニアガーデン温室で食べた、アイスクリームのおいしかったこと。
さて、そしてこの日の、夕食のときのことです。今、副理事長である瀧栄治郎さんが、京都から食事の席に参加されました。彼が小脇に抱えていた資料はニューズウィーク、スローライフを特集した記事でした。
川島さんと瀧さんは、このスローライフという考え方を何とか運動として日本で展開できないか、この山口に筑紫さんが来るのを機会に説明しようとしていたのです。
説明を聞いたそのとき、即、「いいじゃない、やりましょうよ」そんな反応で筑紫さんが賛成しました。この日、このときが、わがNPOスローライフ・ジャパンの出発でした。
名前も組織も当然まだなかったのですが、とにかくこの日本を何とかスピードダウンさせなくては、もっとゆっくり本質的な生き方をするような世の中にしなくては、とそんな話が食事中に広がり「スローライフだよ、スローライフ」と、何度もことばが飛び交ったのでした。
私は多少興奮しながらも、筑紫さんの座布団の横、畳の上に広がった「スローライフ」という文字のニューズウィークを眺めていました。初めて聞くことば、そして、何だかとてもズシリ重いこと。自分が目指してやってきたことは、すべてこれだったのではと肌がザワザワしてきます。
大人たちが、学生の議論のように熱くスローを語っているそのスピードに乗っていくのが精一杯ながら、自分のかかわっている静岡県掛川市の生涯学習のこと、静岡市での商店街活動‘一店逸品運動’のことなどを、ちょっぴり発言していました。
スローライフ運動を起こそう!と決まった日の夜、筑紫さんはおそらく冷蔵庫で固くなった牡丹餅をかじりながら原稿を書かれたのでしょう。夜中になる少し前、ホテルのバーでまだ飲んでいるみんなのところに顔を出しました。
冷房で冷えたためホットワインを注文する私に、「うまいの?そんなの」といいながら、ご本人はコーヒーをすすっていました。
筑紫さんが亡くなって、2日経ち、以前からずっと書こうと思ってきたこれまでの「スローライフ運動」のことを、今日から書き始めようと思います。
いずれ整理するつもりなので、文章はめちゃくちゃ、かつ、データも甘いのは承知のうえ。とにかく書きましょう。書きましょう。
※写真は私が始めて見た「スローライフ」の文字。この日の資料です。(「NEWSWEEK 2001.7.4」)
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福島県「飯舘村(いいたてむら)」なんとなく以前から、じわじわっと気になっていたところです。
わたしはスローライフの運動をしていますが、この“スローライフ”という言葉を本当は日本語で言いたい、と当初からそして今も思っています。
この飯舘村は、見事にそれをやってのけていてそのことに注目していました。‘までい’というのがその言葉です。
「手間と時間をかけて」「じっくり心をこめて」というような意味だそうです。「子供は、までいに育てろよ」という風に使うそうです。
各地にスローライフのまち宣言をした土地があるように、ここは「までい宣言」を果たし、「までい運動」を進めています。思わず「エライ!!」と手をたたきたくなりますね。
さてこの村で、今度の11月8日(土)・9日(日)『いいたて までい交遊塾』というのが行われます。村を探検したり、話し合ったりの一泊二日。
まあ、私的に一番楽しみなのは‘懐かしい料理でどぶろくを酌み交わしながらの交流’という夜のメニューなのですが・・・。
お時間取れましたらどうぞ。飯舘村で、までい交遊しましょう!詳しくは役場のホームページ、お知らせ欄からごらんください。↓
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/
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