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たたら文化2017/07/17 11:38 am

「たたら」とは、炉に空気を送る「ふいご」のこと。たたらで炭を燃やし、砂鉄を溶かし鉄を造ることを「たたら製鉄」と呼びます。転じてその製鉄作業や場所など、全体を「たたら」と呼びます。

先日、出雲方面を訪ね、たたらが人の暮らしに広く関わっていることを知りました。砂鉄を採った跡は棚田に、炭のために山を整備、海運も盛んに、と。たたらは文化の源だったのです。

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小さい頃、セルロイドの下敷きに砂をのせ、下から磁石を動かすと、微量の砂鉄が動き、おもしろかったものです。

そんなふうに、土には砂鉄が含まれてはいるのですが、中国地方、島根県・鳥取県などの土には砂鉄が特に多く含まれていて、昔から鉄づくりが盛んでした。

鉄鉱石の少ない日本は、鉄を造るとなると砂鉄からという歴史が長かったようです。『出雲国風土記』(733年)にはすでに「鉄あり」の言葉が出てくるとのこと。それ以前から鉄づくりは始まっていたのでしょう。

5月末に奥出雲地方を訪ねた日、雨あがりの道に黒い砂鉄が浮き出して見えていました。かつて鉄師頭取として栄えた絲原家、奥出雲町の「絲原記念館」の道だからというわけでもないでしょう。いまでもここでは砂鉄が身近なのです。



山を削り、土を水路に流すと、砂鉄が重くて底にたまる。そうして採った砂鉄がこの土地の原点だったのです。何も知らずに出かけた旅でした。








砂鉄を溶かすのが、「高殿」と呼ばれる作業場。ここは雲南市吉田町「菅谷たたら」、栗材でのこけら葺き屋根が美しい。最近修復が終わったばかりです。







なかには鉄づくりの神様「金屋子神」が祀ってあり、炎が上がるため天井が高い。昔にしては巨大な建物です。

中央に多量の土を積んで作った釜が据えられていますが、実はこの下床の深い部分の基礎から、保温や湿気への配慮の有る特別な構造がなされているそうです。




釜にはいくつもの送風用の穴があけられ、竹がパイプのようにつけられて、「天秤ふいご」からの風が送られました。映画『もののけ姫』を思い出します。








雲南市吉田町「鉄の歴史博物館」に展示されていた「和鋼」。砂鉄の不純物は土とともに溶け出し、燃える炭による化学反応で純度の高い鋼ができるのだそうです。







同博物館の展示。ここでは実際のたたら製鉄の記録映画が見られます。炎と戦いながらの、厳かな作業。何でも機械化され、IT化された今の暮らしに何かを訴えるような作品でした。






「菅谷たたら」での解説に使われていた図。「ふいご」を踏む人を「番子」と呼び、重労働なので交代制で踏んでいたとか。

ここから“かわりばんこ”という言葉が生まれているとのことでした。たたら製鉄の世界からいろいろな言葉も生まれているようです。




鉄師頭取は、藩が認める公の鉄産業総合プロデューサー。たたら製鉄全般を仕切り、鉄による富を得るだけでなく、その地域の人々の暮らしまで目配りをしていたそうです。

鉄師の家には藩主が訪れたり、学者や文人、画家なども。産、学、官の要であり交流の拠点でもあったのでしょう。

この庭は奥出雲町桜井家の庭園。たたら製鉄の栄えた数百年の間、ここはある意味、日本の鉄の頂点にあり、最高の文化が輝いていたのです。



砂鉄の含まれた山を削り崩すことを「鉄穴(かんな)削り」とか「鉄穴流し」とかいいます。山を切り崩す途中、お墓があったり、ご神木などがあると削らずに残す。するとそこだけは丘が残る。これを「鉄穴残丘」と呼ぶ。

こんな景色は初めて見ました。田んぼの中にラクダのこぶのように小さな丘がある。それが棚田の水面に映りこんで、綺麗です。ひとつの特殊な産業がつくりあげた景観ですね。


奥出雲の人が自慢する「仁多米」。鉄穴流しで出た多量の土砂で整備されていった棚田の実り。製鉄がダメになっても、棚田は残り、素晴らしい景観と、美味しい米でここの生活を支えています。

肥料には仁多牛糞が使われています。この牛も、鉄の運搬や棚田の耕作に欠かせないもの、たたら製鉄のもたらした名牛なのでした。




たたらに使う大量の炭のために、森林は整備され木に不自由しないように手入れがされていました。さらに、木を伐った後は焼かれ、蕎麦も作られたそうです。






鉄は、山道を運ばれ川を下り、また安来港から北前船で大阪や東北まで運ばれました。鉄が欲しい、鉄を運ぼう、のエネルギーが鉄の道を開拓していったのでしょう。

斐伊川は周りの土地よりも川底が高いとのこと。鉄穴流しででた多量の土砂によるものです。斐伊川は下流に大きな平野を作り、これまた肥沃な土地を作り上げています。

にわか仕込みの「たたら文化」のため、あちこち不正確かもしれないことはお詫びしながらも、単なる鉄づくりでは済まない、膨大なたたらワールドの一部なりともお分かりいただけたらうれしいです。

この秋10月28日(土)・29日(日)は、こんなスケール大きなたたら文化の地へ、学び語りに行くスローライフ・フォーラムとなります。ご予定ください。

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。