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お仕事 種どり農家 2018/09/17 1:26 pm

農家以外の人は“野菜農家は種をとり、また来年それを蒔く”と思っている方が多いのではないでしょうか。

でも、いまの時代、種をとる農家は珍しく、市場に出る野菜の多くは一代限りで種もできないと聞きます。

そんな時代に挑戦するかのように、種をとり在来種の野菜を有機栽培している若いご夫婦に会いました。雲仙市の「竹田かたつむり農園」、スローながらも頑張っています。
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以前のブログで「野菜パワー」のタイトルでこの農園の野菜のことを書きました。

まるで野菜の活き造りのようにピチピチと盛られた、鮮やかな野菜たち。この野菜の鉄板焼きの美味しかったこと!

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=477


この時既に、カボチャを3種類いただいています。スーパーで買うカボチャはたいてい4つ切りになったホクホクの西洋カボチャ。

いまの都会の子どもたちは、これとハローウィンで使う巨大なカボチャくらいしか知らないのでは?

でも日本には、もともと地域に根ざしたいろいろなカボチャがあったのでした。

しかし輸送に耐えて、日持ちが良く、今の食文化になじみやすく、作りやすい、失敗のない、同じ形のものがきちんとできる品種が推奨され、農家はそのカボチャばかり作るようになってきたわけです。

できたカボチャを売ってしまえばそれでよし。また来年は苗を買えばいい。種などとらないし、そもそも多量に作られている野菜類は、一年作り収穫すればお役御免。その時、その年だけいいものができる品種に作られていますが、立派な種は残さないのです。

鉄板焼きの時にご一緒はしていたのですが、あらためて農家さんを訪ねました。

「竹田かたつむり農園」の竹田竜太さん。もとは学校の先生、駅伝を走るアスリートでもあった方です。





名刺の肩書には「種どり農家」とあります。

そしてかわいらしいカタツムリの絵をあしらったロゴマーク。「まあ、ゆっくりやろうや」というメッセージがじんわりと伝わってきます。






農薬や化学肥料を一切使わず、種がとれる「在来種・固定種」の野菜を中心に、年間を通して約50品目の野菜を育てているという竹田さんの畑。

これだけの草に負けないで、元気ななすが。普通収穫が終わったら、株は引き抜き捨てられるのでしょう。でもここではまだこれから、種をとるのですから。


「ああ、まだいいのが生ってくれてたなあ」と竹田さん。

ここの青なすは、鉄板焼きでとろける美味しさでしたっけ。








野菜の一生=種から種まで、と付き合いたい。そんな農園ですから、この種が宝物。

こうして眺めると、実に綺麗です。








竹田かたつむり農園のパンフレットにある初夏の畑の様子の絵。「黒田五寸人参」「長崎赤カブ」「雲仙こぶ高菜」「万願寺シシトウ」「青ナス」「小菊カボチャ」「九条太ネギ」「平家キュウリ」「雲仙赤紫大根」などが描かれています。

う〜ん、どれも食べてみたい。もう、大量生産された、何処でも同じ、いつもの野菜じゃ嫌ですもの!

おやおや、竹田さんが草原、いや、畑をスタスタと走っていきます。

どうやらウリが植わっているようです。

「これ、ここら辺だけで作られている特殊なウリで、漬物にすると歯ごたえがあってうまいんです」と竹田さん。

近くのおばあちゃんが種を持っていたとか。今年、種をとれば、来年はもっと皆さんにお分けできることでしょう。

竹田さんの野菜の美味しさを聞きつけて、この日もお菓子素材を探している方が訪問されていました。

市内や長崎のレストラン、旅館などで、定期的にここの野菜を使うところがだんだん増えているとのこと。でもまだまだ数年の取り組みですから、売りさばきが難しい。

雲仙はジャガイモの産地です。ほっといてもあちこちからジャガイモがもらえる土地、だからいくら無農薬とはいえ、少し高い値段が付くと売れない。

「地元で一番使ってほしいのですが、地元になかなか理解されない」のがもどかしいわけです。「ジャガは芽が出てきちゃって〜」(笑)

でもどうでしょう?100グラムなどで計算すると、安売りスーパーと比べてしまいますが、「種とり体験料金」(野菜付)なら一人2000円位とれる。

「いろいろジャガの食べ比べ教室」だったら同じく1500円はとれる。「無農薬ジャガ5種セット」(ジャガ料理名人伝授のレシピ付き)なら合計2キロで1500円になるかも。

この思想のある“畑”を食育の教室ととらえて、物プラス提案や知識や体験を売りましょう。そのうち、みんなが大きな野菜家族になって種から人の輪も育つはずです。

「大変ですね」と私が言うと、「いやいや、まだまだ、これからですよ」と竹田さん。

渉外係の奥様の激励が、明るさのエンジンになっているようでした。

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お仕事 あつまっぺクラブ 2018/09/09 5:33 pm

那須塩原市の金沢・宇都野地区で、地域おこしのワークショップが本格的に動き始めました。

地域の課題や目指す姿を全員が書き出して、各チームで意見をまとめます。そして、これから実践もしていくこの集りに皆で名前も決めました。

7つの候補のなかから、最後は目をつむって手を挙げて。こうして皆が名付け親になると、いよいよ活動に魂が入ってきますね。
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7月以来の那須塩原市です。秋ですね〜、リンゴの収穫時期を迎えていました。









「津軽は青くても甘いから食べてごらん。皮ごとかじるのが一番うまいよ」と農家さん。

先日の台風でリンゴも被害があったようですが、笑顔です。







仰せの通りかじりますと、パリッと新鮮で、ほんとに甘い。久しぶりにリンゴの丸かじりをしました。

その土地に来て、最初に会う人、最初に口に入れるもので、土地の印象が決まります。

この日はにこやかで、甘酸っぱい香りのスタートとなりました。



リンゴ丸々一個の後に、すぐ昼食。名物のお蕎麦。

地元の人が行くお店なので盛りがいい。普通の大盛りサイズが普通盛りです。でも美味しいお蕎麦なのでどんどん入ります。ジモティー支持のお店はさすがですね。

あえて写真は載せませんが、ここのメニューに驚きます。蕎麦屋なのに、フライ定食からカレー、もつ煮込みまである!つまり地元民が居酒屋さんとしても利用している蕎麦屋さん。

お蕎麦大盛りも普通盛りと同額、ご飯のおかわりは自由。さらに、豆からちゃんと挽く淹れたて珈琲もセルフで無料。

こんなお店が身近にあったらどんなに幸せでしょう。

そして、早い夕飯となりました。地元の方のお宅でご馳走になります。

これが美味しかった!

作者は「しその実」と呼ぶ、野菜類の塩もみ。キュウリ、ナス、ミョウガ、生姜、そしてたっぷりのしその実を、塩でサッと揉んで、少し重しをしたもの。

スーパーには売っていませんね。これが白ご飯にあう。他のおかずはすべて持ち帰りにさせていただきました。

さて、食べているだけでなく仕事もしなくてはいけない。会場の「旧金沢小学校」です。

7月に皆で大豆の種を蒔き、うまく育っているか心配だったのですが、見事に大きくなっていました。暗い中でも元気な葉の様子が分かります。

夜7時。かつてこの小学校を使っていた人たち、金沢と宇都野地区の人たちが集まってきました。

この地域は、東京にほどほど近く、自然豊か、新幹線駅があり、温泉もある、牛乳の産地、野菜果物も豊富。蕎麦を食べに、野菜を買いに、アウトレットもあって、都会から人がやってきます。

何の問題もない、幸せな土地のように見えますが、それでも高齢化は進み、交通弱者は困り、若者の仕事が少ない、などなど田舎の悩みはどこも共通ですね。

この旧小学校を活かして、何か地域おこしができないか?それを地元の方とご一緒に進めるのが私の役割です。

昔、この教室に学んだ人、自分の子どもが学んだ人が、閉校した小学校に再び集まり、真剣な顔をして、深く考え、何かしらを書く。

客観的に、面白いシーンです。

小学校時代と違うのは、教科書がなく、学ぶこと、考えることにも正解がない。何でも教えてくれる先生もいない。皆で方向を見出し、少しずつ前に進むだけです。

普段ぼんやりとは考えていても、「地域の目指す姿」を書きましょう!などと言われて、すらすら書けるものではありません。う〜〜〜んとうなってしまいますね。

それでもだんだん言葉になってきます。地域の目標が整理されてきました。

人とのつながりを大切に、自然や伝統文化を受け継いで、高齢者と子どもが元気な、若い人が定住できる、外からも人が遊びに来てくれる、そんなところにしていきたい。

皆の思いはほぼ同じです。

では、その目標に向けて何をしていくのか具体案を考えるのが宿題。次回はアイディアを山盛に出して、「すぐ」やること、「少し先」にやること、「いつか」やることに分けていきましょう。

そして、今年度中に、お試しの実験を皆で何かやりましょう。いつまでも腕組みして、考えているばかりじゃしょうがない!


それにしても、この集りを何と呼ぶ?名前をつけようということになりました。

自分たちの活動に「名」をつけることは、その活動の性格や方向が見えてくるということです。

固い、まじめな役所用語みたいな名前で、これからどんどん人を誘える?来る気になる?

なんてことを話しながら、ひとり2つずつネーミング案を出しました。そして最後は、決戦投票です。

目をつむって手を挙げる、その数を事務局が数える。これが、けっこう真剣な時間です。

結局「あつまっぺクラブ」に決定となりました。決めたチーム、案を出した女性は誇らしげ。

方言が入っているところがいいですよね。「実際にはあ“づ”まっぺ、だね」と、皆が笑います。

子どもに名前がついたようなもの、さあ、これから皆で活動を育てていきましょう。

私、いい感じの土地で、いいワークショップになった時は、調子に乗って買い物をする癖があります。最終の新幹線で大根を丸々抱え、この大荷物で地下鉄にも乗るんだ・・・と反省しきりでした。

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ちょっとしたこと 手づくりの交流拠点 2018/09/02 9:59 pm

おなじみの紀の川市に観光交流拠点が、オープンしました。

驚くのは多くの市民が実際に手を下して、ワークショップで拠点整備していることです。

壁を塗る、テーブル・イスを作る、配布するマップの情報集めも市民参加。

誰かが作ってくれた場所よりも、自分の時間が染み込んだ建物には最初から愛着がわくはずです。

観光まちづくりを進める、市民の心の拠点にもなることでしょう。
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果物産地紀の川市では(一社)フルーツ観光局という組織ができて、今、日本版DMOになろうと手を挙げ邁進中です。

その事務所も入るのがこの建物。「猫駅長」で世界的に知られる和歌山電鐵貴志川線・貴志駅の目の前に9月2日にオープンしました。

私と長いお付き合いをしてくださっている、紀の川市職員の方が「できたぞ〜!」とポーズをとっておいでです。(笑)

その後ろにそびえる?のがその建物。ビルディングでもないし、小屋でもないし、なんとなく親近感が持てるプチサイズ。

なんといっても2階の目玉状の窓がユニーク。用がなくても思わず覗いてみたくなる、チャーミングな拠点施設です。

1階には、フルーツを活かした品物が。特産の桃がふんだんに使われたジャム。市民グループが地元創業企業と開発した「桃ハンドクリーム」。ハッサクのお菓子。等々珍しいものが並びます。







とにかく外国人のお客様の多い貴志駅です。ここにはいろいろな言語のパンフレットがずらり。

この拠点で相談して、「そうか近くでイチゴ狩りして帰ろう」とか「ほう?古い日本の農家や古墳があるんだ。ブラブラ歩てみよう」「名刹までサイクリングに行こう!」なんて思ってくれればいいわけです。


注目はこのマップ。高齢者には少し見にくいですが、駅近くのミニ情報が“下手上手”なタッチのイラスト・文字で描かれています。

これこそ市民参加の手作りマップ。何回もワークショップが行われ、貴志駅に降り立った人に10分くらいで歩いてほしいポイントを市民目線で実際に歩いて整えました。

プロの広告屋さんや、旅行代理店だったらまさか観光資源とは思わない、瓦屋根の鬼瓦や、苗木の畑、田んぼや、小さな祠、地元の和菓子屋まで、英語でご紹介です。

「外国人さん見てね、観光客さん歩いてね」という市民の気持ちが、素人づくりだからこそジワジワと伝わってきます。このマップだけ持ち帰ってもいいお土産になるでしょう。

2階に上がるとお茶会をやっていました。

茶会と言っても緊張しないゆる〜いお茶会。ここの市民有志が立ち上げた「ふるうつ流」というお茶の流派?

茶菓子は地元の果物使用。お茶は自分で点てたり、点てだしだったり。とにかくリラックスする茶会なのです。

この日のお菓子はマスのなかに、イチジクの寒天寄せその上にブドウ、ナシ、そして白餡。

果物はもともと水菓子と呼ばれていたのですから、その甘さがお菓子のように思えてきます。

抹茶にあう!

玄関に「ふる〜つ茶会」と大きな幕がありましたが、この幕とともにあちこちで、もう何回もこの茶会は開かれています。

ふと見ると、テーブルに果物の絵。あ、これも手作りなんだ。


藤の実と、フェイジョアの実が活けられて。これもフルーツ?

こんな設えの観光交流拠点なんて、いいですね〜。








あら、壁も手作りです。珪藻土を市民の方々がワークショップで塗りあげました。

紀の川のイメージの流れが描かれて、あちこちにフルーツが。







よく見ると壁の果物はビーズでできています。これをどんな人がワクワクしながら壁に貼り付けていったのか。

それを想像してまたワクワクします。






驚いていると、「テーブルの下も見てください」とご案内が。

あらまあ、茶会をしているテーブルの天板の裏側には子どもたちの落書きです。

親子でこのテーブルや椅子をつくり、記念に落書きをしたのだとか。参加した親子は、「僕の椅子」「我が家作のテーブル」といつまでも自慢できますね。

市民参加の拠点整備を考え数々のワークショップを企画運営した地域おこし協力隊の新美真帆さんです。

これまでの普通の市職員さんでは、なかなかできなかったことにチャレンジしました。

全国各地に観光交流拠点施設は山ほどありますが、どれもがかっこよすぎたり、ハードはいいのに中身が伴わない、居る人に熱意が無かったりが多いものです。

市民参加、いや市民主体が観光まちづくりの基本。これからもこういうワークショップをどんどん企画していってほしいものです。

建物2階にある丸窓は小さな穴を手で回すと、外から見て目がクルクル回るという仕組み。

小さな拠点ですが、ここから市域はもちろん、世界360度を見回して、目が回るほどの楽しい交流を起こすように。

応援していますよ〜。

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ゆとりある記 春日部ぶらり 2018/08/27 1:47 pm

とっても暑い日、これといった用もなく、訪れたまちです。

立ち寄って初めて知る歴史、歩いてみて気づく特色に猛暑を忘れます。

旧日光街道の宿場、昔は川港もあり、今も蔵のある旧家が並びます。

路地には風情ある飲み屋さんやラーメン屋さんが。麦わら帽子の産地でもありました。

ついつい汗だくで写真をたくさん撮ることに。涼しくなったらまた行きましょう。
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普段どこかに行くとなると、取材だったり、視察だったり、いずれにしてもご説明の方がついてくださったり、下調べをばっちりして行ったりします。

それは用があるからで、用がないとなると実に無防備にリラックスして出かけます。

夫のゼミの撮影会だそうで、私はその付録。要は居ても居なくてもいいのですから、ほんとに気が楽です。

駅から東に歩き出して、「あら〜?春日部ってもとは粕壁だったんだ〜」と発見。






立札に店と蔵とあるように、ここは明治時代の建物とか。










大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)これは読めません。かつてはここが利根川の本流だったそうです。






橋の上の公園に、今風のオブジェ。お仲間はイメージ的な写真を狙って撮っておいでですが、もう、私は暑くて暑くて。

来なけりゃ良かったとか、日に焼けるとか、どこかに喫茶店がないか、なんてことばかり。

おお!サンダル風の靴から出ている足の甲がヒリヒリ焼けてきています。






少ない日陰をたどるように歩いていくと、ぽつんぽつんと古い建物がある。

う〜ん、魅力的。カフェなんかにするといいなあ〜。






樹齢600年のイヌグス、江戸時代は船着き場の目印だったそうです。

今は数メートルで朽ちていますが、さぞかし目立ったことでしょう。

立て看板には「粕壁宿は米や麦の集散地として栄え、古利根川を利用した舟運が行われていました。」とあります。

私もここで、昔の船頭さんのように一休みさせてもらいました。


意外に水が多く、葦などが茂る古利根川です。

身近にこれだけの水面があるというのはうらやましい。

江戸日本橋から4つ目の宿場、街道は人や馬が歩き、荷はこの川から揚げられ、にぎやかだったでしょう。

当時の喧騒が目をつむると聞こえるようです。

今は東京のベッドタウン、休日の暑い川辺に人の気配はありません。皆、エアコンのきくマンションの中でジッとしているのでしょうか。


人気を感じずに何だか淋しくなっていたら、細い路地にこんな店?を見つけました。

夕方になったら開店するらしいです。冷たいホッピー飲みたいな〜。

きっとランニングにステテコ姿のおじさん等が、昔の船頭さんのように、宿場の木賃宿の番頭さんのように、世間話をしながら飲むのでしょうね。

混ざりたい!


「ぷらっとかすかべ」という案内所に麦わら帽子がありました。昔から産地だったそうです。今も技術が残っている。

ああ、もう夏も終わり。来年、買いに来ますね。

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お仕事 集落に学ぶ 2018/08/19 4:14 pm

今年度の奈良県十津川村谷瀬寄合が2回行われました。

小さな集落の小さな会合でいつも思うのは、皆が平らかな関係にある清々しさです。

高齢者も、若者も、女性も、よそ者も皆が意見を言い、皆が実行する姿勢で取り組む。

しかも「ねばならぬ」ではなく「楽しんで」。なので、物事が動いていく。

皆がお互いを必要としている関係、これが社会の原点なのでしょう。
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山の稜線の手前に、集落の人たちで作った水車が見えます。「ゆっくり散歩道」の名で伸びる道、集落の人の生活道ですが、外来者には吊り橋から展望台まで続く散歩道。歩くだけで緑と鳥の声に癒されます。






水車の近くに行くと、伸び放題だったカヤの原が刈られています。後から聞けば「熱中症ギリギリで刈った」のだそうです。
おかげで、散歩しながらの見晴らしが開けました。







会員制で酒米を育て、純米酒づくりをしています。その稲もフサフサ茂りいい調子。春にはいいお酒になるでしょう









展望台へ行く階段に「マムシ注意」の看板。「観光客の方からマムシがいたって聞いて早速4枚つけた」とのことです。









手づくり道案内案山子も増えています。これは有志の女性群の仕事。「だんだん職人みたいな気分で、面白くって」なんだそうです。









ちょうど百日草が盛りでした。花に詳しい方が音頭をとって、奈良女子大生も一緒に植えている、散歩道沿いの花たちです。









これが谷瀬名物?寄合風景。ほぼ一カ月に1回寄り合います。先回、みんながやりたいことを書き出しました。そしてこの回では、その中で特にやりたいことを選んでいきます。







やりたいことのなかでも、「即やること」「年度内にやること」に分けて整理していきます。板書が上手な「たろう」さんは、もうすっかり住人になり切った数年前の移住者さんです。







ほんの40人足らずの少人数で、この大きな山里の空間を維持管理し整備していくのですから大変です。実際に動いている人はそのうち10数人。

それぞれが得意なことを受け取って、いつまでにどうやるかを決めていきます。




水の配管工事から、空き家の整備、その整備した空き家に住みついたコウモリの退治、なんでもやる人たちです。「コウモリの糞、売ったりできないかね〜」なんて冗談も。







今年度やることが出そろいました。一番やりたい意見が多かったのが、「文化的な催しです」。

これまでとにかく他所の人に来てもらおうとばかり考えてきましたが、もう少し自分たちが豊かな時間を過ごし、知的な谷瀬にしていきたい。

古民家を改築した休憩所「こやすば」を、来訪者だけでなくまずは自分たちのくつろぎの場にしようというわけです。

「お月見近辺で、みんなでサロンを開こう」「純米酒・谷瀬を酌み交わそう」「昔のLPレコードをゆっくり聴こう」「ギターを弾こう」「秋の花を活けよう」こんなワクワクが育っていきます。


既に、真空管を使った昔のステレオセットが整備されていました。音にこだわるようです。

こうした小さな試みが、やがて来訪者にも伝わります。そして淀んでいない、流れているせせらぎは、必ずそこに新しい水が流れてきます。

“谷瀬の人口を増やそう。集落を維持しよう”みんなの目標はひとつですから、サクサクっと物事が進む。

体力のない人は昔の知恵を出す、赤ちゃんは場を和ます、納屋に古い民具がある人は展示物に提供する、花の水やりを集中してやるひとも。

こういうつながり方がいくつも連結した日本なら、どんなに素晴らしいか。

となりの人と会話もしない東京新宿の小さな部屋で、そう思う私でした。


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ちょっとしたこと デカンショ節 2018/08/13 2:54 pm

兵庫県篠山市の民謡で、毎年8月15・16日には「デカンショ祭」としてやぐらを囲んで総踊りが行われます。

昔、篠山の若者から旧制一高の学生に伝わり、宴会のはやし唄として広まったため、年配の方々はご存知でしょう。

ただの盆踊りの曲かと思うと、歌詞がなかなかいい。「半年寝て暮らす」とか「酒は呑め呑め」「唄うて廻れ世界いずこの果てまでも」と、スローライフソングなのです。
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「デカンショデカンショで半年暮らす ヨイヨイ あとの半年寝て暮らす ヨオーイ ヨオーイ デカンショ」

私が知っている「デカンショ節」この歌詞。どこでどう覚えたのかは定かではないですが、「デカンショ節?知ってるよ」とこのくらいは唄えたものです。

それがこの度たまたま篠山市でお仕事をすることになり「え?ここの歌なの?」から始まったわけです。

私に常識がないといえばそうなのですが、若い人に聞くと「デカンショ節???」とその歌の存在そのものを知らない方が多いのが現実です。

ならば調べましょ、伝えましょう、とこのブログです。


篠山には「篠山城址」の近くに「丹波篠山デカンショ館」があり、この歌の歴史が分かります。

もともとは江戸時代から篠山地方で唄われていた「みつ節」という歌が元歌だそうです。

一年中続く厳しい農作業や労働から解き放たれて、盆踊りに酔う。夜明けまでこの歌と踊りが続いたようです。

旧篠山藩青山家は、明治になり廃藩後、篠山の若者を東京に招き学ばせました。

その若者たちが夏、避暑に今の千葉県館山市に泊まった時、声張り上げて唄った歌がこの盆踊り歌でした。

同じ宿にいた旧制一高(現東大)の学生が気に入り、この歌を覚え、東京に戻ってからも唄いまくったことでやがて全国に広まったのだそうです。

日本各地から集まっていた一高生が、この歌の媒体となり流行らせたのですね。


「デカンショ」の意味は「どっこいしょ」から。丹波杜氏の出稼ぎが盛んだったことから、「出稼ぎしよう」。哲学者のデカルト、カント、ショーペンハウエル、の頭文字。などの諸説がありますが、特別な意味は無いようです。

戦後、篠山の盆踊りを篠山の伝統であるデカンショ節に統一しようと、1953年、各地区の盆踊りを統一し大会が開かれました。

その後、「デカンショ祭」として年々盛んになり、兵庫県下最大の民謡の祭へ。1970年大阪で開かれた万国博覧会では、400名の踊り子が出演したそうです。

と、歴史はこれくらいにして、この歌詞を眺めましょう。

囃子言葉は同じものの、時代の移り変わりの中で次々と歌詞が加わり、いま約300くらいあるのだそうです。

さらに、毎年公募で新作が集められ受賞作品が加えられています。


そんな中で古くからの歌詞の10選があります。

|闇伴鳥鎧害箸留遒(ヨイヨイ)花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)

※以下囃子言葉は一緒

▲妊ンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす

C闇伴鳥核洩弔僚里如(孤霖辰┐携少年

っ闇伴鳥鎧咳なれど 霧の降るときゃ海の底

ゼ鬚楼め飲め茶釜でわかせ お神酒あがらぬ神はない

ζ腓量端鬚呂匹覆燭つくる おらが自慢の丹波杜氏

盆のお月さん丸こて丸い 丸てまんまるこてまだ丸い

┐錣燭靴稈闇箸両〃育ち 中に甘味も渋もある

雪がちらちら丹波の宿に 猪が飛び込む牡丹鍋

デカンショデカンショと唄うて廻れ 世界いずこの果てまでも

,鉢は都市と田舎の、地方から世界を視野に、というスケール大きい交流の歌です。
△脇くのと同じだけ休みましょう。ライフスタイルの話。
は東京に出なくとも、地方で文武を鍛えられるという教育の考え方。
い筬はスローフード。
高度な技術自慢。

などなど、深読みすると実にいい歌詞なのです。そしてこの歌に出てくる光景や歴史がしっかり保存されている。

そんなことから、この「デカンショ節」をテーマにしたストーリーは2017年日本遺産に認定されています。

先日、篠山にうかがうと、「デカンショ祭」の直前、街は「デカンショ」の言葉だらけ。横断幕が特産の黒豆畑の上に張られています。

この地で育った子どもたちには「デカンショ」は日常語なのでしょう。

「デカンショ節」の歌詞も曲ものびやかで、知的で、郷土自慢で好ましいのですが、なんといっても自分の住む土地に、皆が唄い踊れる「歌」があることがうらやましい。

地域がひとつになれるものがあることは、力になるなあと思いました。だからこそ、市名変更が実現しそうなのでしょうね。

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ゆとりある記 野菜パワー 2018/08/05 8:41 pm

雲仙で地元野菜のステーキを食べてきました。私がそう呼んでいるだけで本当はお肉も含む鉄板焼きです。

でもお肉の存在がかすむほど、カボチャやオクラ、アオナス等の野菜がおいしく、色がカラフル、美しい。食べているうちに身体が弾んで元気になっていくようです。

16種類の野菜を食べて、都会との味の違いに驚きました。複雑な料理などよりも、新鮮本物野菜の勝ちでした。
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出かけたのは雲仙市の雲仙温泉にある民芸風のお宿「雲仙福田屋」です。その別邸にある鉄板焼きのお店にうかがいました。

ここの旅館、お店が、地元の野菜に力を入れていて、鉄板焼きの野菜は特に有機野菜にこだわっている。この日はそれを味わってみよう、という設えでした。


前菜からして鱧以外は野菜だらけ、右下の小鉢にみえる緑色は茎ワカメのような、キクラゲのような食感の野菜。

名前を忘れましたが、調理前は一番下の写真にある丸い厚めの葉っぱです。






さあ、お野菜が現れました。よく旅館料理に出てくる魚の船盛のような迫力です。

椎茸は2種、ジャンボシイタケ、アカチャンシイタケ。カボチャは3種、ソウメンカボチャ、ヒダカボチャ、バターナッツカボチャ。ジャガイモも3種、ナガサキコガネ、ドラゴンレッド、デストロイヤー。ビーツとウズマキビーツ。オクラとダビデオクラ。フジミアマナガトウガラシ、アオナス、アイチワセシロというタマネギ。ビショウニンニク。合計16種類。

野菜の名は少々聞き間違えていたらごめんなさい。


焼き始めました。油は普通のサラダ油。オリーブオイルは野菜の味より勝ってしまうのだそうです。

色とりどりのトランプのカードを広げたように、輪切りの野菜が鉄板の上に広がります。







料理長の草野さん。雲仙及び島原半島の野菜のおいしさが自慢です。自ら畑に出向き、有機野菜を集めてきます。それを活かすのはやはりシンプルな鉄板焼きだとこのコースに取り組んでいます。

「島原半島の野菜は味に力がありますからね。何もつけなてもおいしいですよ」語りながらの素早いヘラさばきは、まるでショーのようです。



あらあら、先ほどのソウメンカボチャが焼けてきました。となると、内側がまるで素麺のような繊維状にほぐせてそこだけ離れます。

これはやはり地元特産長ネギを使ったクリームソースでパスタのようにいただきました。

他のお野菜は、それぞれ一口大に切り分けてくださって、海水から採ったふわふわの本物お塩。大根おろし、発酵から味噌などでいただきます。

とはいえ、何もつけなくても草野さんおっしゃるように充分味があります。カボチャもジャガイモもそれぞれ違う香り、味わい、食感です。

都市部では、鮮度の落ちた農薬も使った野菜を、いろいろな味をつけてごまかして口に入れているのかもしれません。

よく旅館に泊まると、品数で勝負のように料理が並びますが、こうした美味しい野菜が手に入るなら、それで勝負するのも一案です。私などにはむしろ嬉しい。

素材を選び、活かすやり方で提供する、それが料理人の腕なのでしょう。

実は、お隣にはこの野菜を作っている若いご夫婦が同席していました。有機野菜を作るのは、大変でしょう。それに挑戦している清々しい笑顔です。このご夫婦のところへは、あらためて訪ねるつもりです。


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お仕事 フルーツ・ライフ・スクール 2018/07/30 11:59 am

こういう名前の「まちづくり人材育成塾」が果物のまち紀の川市で始まっています。

まちづくりイベントは、とかく楽しいだけで終わりがちです。もう少し深いところで繋がり、思索し、知的な動きを起こせるように。

コーディネートするにあたり、カリキュラムには講義とワークショップ、ウォークの要素も入れました。

さてどうなるか?17歳〜78歳の25人と一緒に、私も学ばせていただいています。
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初回6月入塾式では、副市長から「紀の川市のいま、これから」というテーマで、市の総合計画を講義いただきました。計画など知らない、では済まされない世の中です。「計画なんて見たことないもの、知らないもの」なんていう言い訳は、本当の大人にはありえないことでしょう。高校生も真剣に聞いていました。

その少し固い内容で、紀の川市の目指す姿を知った後にはリラックス!この写真、記念の懇親会ではありません、講義とワークショップの間に設けたフルーツ休憩です。

今回、受講生を集めるには苦労しました。何でも無料が多い中で、年間1万円の参加費を払っても学びたい人を集めたからです。しかも、初回ですからどんな内容かも示せません。

知合いが自然多くなるかと思ったら、全く知らない方が多く手を挙げて、参加動機の文章までしたためて入塾されました。スタッフも講師も、気合が入るわけです。

休憩時間ににも何かを学んでいただこう。農家さんの思いや、梅についての一口知識が貼りだされます。

ワークショップ「お互いを知ろう」では、各人が自分のキャッチフレーズとビジュアルとしてのクレヨン画を。

学生、農家、公務員、会社員、自営業など職業ではつかめなかった、個人のキャラクターがみえてきます。

ソプラノで歌う人だったり、陶芸が趣味だったり、ダンスが得意だったり、お祭り男だったり、手品師だったり、変わった鶏を飼っていたり、地域おこし団体を長年やっていたり、etc。

2回目の講義は「いったい果物とは何なのか」。全国的に活躍されているフルーツの専門家、近畿大学の先生からお話をいただきました。

気軽に「フルーツのまち紀の川市」「フルーツでまちおこし」などと言いがちですが、なぜ紀の川市で果物が多く作られるのか。

私たちが果物と呼んでいるのはどこなのか。果物はどのように増やすのか。など、初めて聞くような話ばかり。

皆から「こういう専門的な話を聞きたかった」と大好評でした。そう、しっかり学ぶ時間は大事なのです。

この日は皆が“果物に関するもの・こと”を持ってくるのが宿題でした。ひとつのことを多様な視点で見る訓練です。

例えば電車を、交通手段としてみるか、コミュニケーションスペースとしてみるか、はたまたいい音を奏でる装置ととらえるか、でそれを“活かす”方法も変わってくるはずです。

果物関係で集まったのは、世界の果物切手、果物にこだわる人の紹介、果物関係のお菓子、果物の字を使った苗字、台湾での桃菓子、神社にある果物由来の故事の彫り物、果物の香りの殺虫剤、果物アップリケのTシャツ、果物の形の消しゴム、などなど。

にわかに「フルーツ・ミュージアム」ができあがりました。

ワークショップのテーマは「多様な果物文化を見渡す」です。ミュージアムに続いて、「フルーツは?」というお題への言葉出し。

「フルーツは・・・・おいしい、きれい、香りがいい、おしゃれ、高いイメージ、近所からもらえる、主食にならない、剥くのが面倒、神様に供える、癒し、感動を与える、暮らしを豊かにする、薬になる、思い出、汗仕事、獣との闘い、6次産業化が可能、」など、いろんな切り口からの言葉が出ました。

一口に「フルーツのまちづくり」言っても、そのフルーツの捉え方はいろいろだということが分かりました。

全12回のうち、3回は「フルーツ・ウォーク」です。地域資源を訪ねながら、歩きながら学び、学びながら皆が仲良くなる時間です。

7月の強烈に暑い日に、一回目のウォークでした。長距離はバスですが、現地で1時間くらいは歩きます。

この日は「偉人の業績を訪ねる」がテーマ。江戸時代の土木技師・大畑才蔵について専門家の方から学びました。

学んでから歩かないと、その偉大さが分からない。小田井用水は見た目はただの水路です。

でも注意してみると、途中で水が消え暗渠になっていたり、サイフォンの構造で川の下を流したり、渡井で川の上を流したり。

少ない勾配でより広い面積を潤す用水を、昔の技術で作った人がいる。そのおかげで、米ができて、人が生きられた。その延長上に、今の紀の川市、果樹栽培もあるのですね。

暑い暑いウォークではありましたが、高校生の男の子が「かんがいというものに興味をもちました」と感想を述べています。

水の便の悪いところに用水を作る努力に想いを馳せていると、道沿いの家に「水」の字が。

防火のおまじない、今もこうして生きています。







もう一人の偉人は華岡青洲。江戸時代の終わり、世界で初めて麻酔を使って手術を成功させた人です。

全国からここに1000人以上の弟子が通ったとか。母と妻を人体実験に使った話は小説にもなり有名です。彼は地域の灌漑にも努め、ため池を造ったりもしています。

生涯、田舎で粗末な暮らしをし医療に尽くすを旨とした人でした。

診療所であり、住まい、塾でもあった「春林軒」が復元されています。ここもしっかり説明を聞きたかったのですが、時間切れ、しかも暑さに皆疲れてしまって・・。また来ましょうね。


そして最後に訪ねたのは現代の偉人!新しい農業の姿にチャレンジする桃農家さん。

桃だけでなく早くからブルーベリー栽培をしかもオーナー制で始め、今は摘み取り体験農園もやっています。

摘み取りだけでなく、マキ割り、ピザ焼き、歴史散策、ネーチャーゲームなど、いろいろな体験も商品にしています。

奥様とお嬢さんはフルーツを活かしたレストランも。季節のかき氷やフルーツパスタなどが好評。

これから農業やカフェをやりたいという方に、具体的な参考事例となりました。何人かが、また訪ねたいとのことでした。

お土産は丸々太った美しい桃、その実りも讃える一日となりました。

このように、人材育成塾といっても他都市のアカデミックな講義中心のやり方とかなり違います。このやり方でどんな変化が起きるのか、スクールを企画した側としてもチャレンジであり、学びなのであります。

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お仕事 大豆を蒔く、元気を蒔く 2018/07/23 6:30 am

那須塩原市にうかがうと、炎天下、高校生が大豆を蒔いていました。料理研究家・辰巳芳子さんの「大豆100粒運動」に応えての活動です。

大豆を育てることで日本の食生活を変えようという動き。地元の方々も賛同し、閉鎖した旧小学校を清掃、花壇に大豆を蒔きました。

「高校生と豆腐を作ろうか」「若い人に豆の煮方を教えよう」話が止まりません。大豆は、元気の種にもなりました。
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栃木県立那須拓陽高等学校、歴史ある農業系の強い高校です。











炎天下訪ねると、大豆を蒔いている真っ最中でした。

一見、昔の田植えのようにもみえます。








蒔いているのは、緑色の「加治屋在来」と、











「鞍掛豆」。名前の通りこの大豆は、馬の背に鞍を掛けたような模様です。









辰巳芳子さんの運動に参加を表明のプレート。ワイワイ言いながら作ったんでしょうね。

今、全国の学校、地域で、こういう看板が立っているのだと思います。






紐に付いた印にあわせて2粒ずつ。

若い指が豆を埋め込んでいきます。








黒長靴と麦わら帽子、ちょっと昔っぽいファッションが、今やカッコいい!

さらに、こういう運動に参加することがカッコいいのでした。







さてこの晩、地域の女性たちと会食したのですが、その方たちは既に大豆を蒔いていたのでした。

「○○さんのうねり方はさすがだね〜」「私たちは一足進んでそこに蒔く、紐なんてはらないで、自分の足が物差しだ」「やぱり先輩方のクワの使い方は違うね」

この方たちの先輩というとお幾つなのだろう???なんて思いながら、私はその豆談議に混ざっていました。

「△△さんの煮豆は美味しいよね、しわにならなくて上手だもの」「少しのこってるから食べる?」「こういう煮方を、高齢者が高校生に教えるのいいね」「豆腐作りもいいよ」「味噌は作らなくちゃ」

大豆から、なんだか夢が芽生え膨らんでいるようです。


翌朝7時、旧金沢小学校に、奉仕活動のためにたくさんの人が集まりました。

廃校にはなったけれど、お世話になった学校が荒れていてはだめだから、草を取って、掃除しようということです。





これからこの学校を地域おこしの拠点にだんだんしていきたい、そんな思いも芽生えています。

だから、とにもかくにもまずはきれいにしましょうと、道具はばっちり。皆さんの暑さ対策もばっちり。





今や鹿の運動場になってしまっているグランドを、綺麗にします。一見、潮干狩りのようですが、壮大な草取り。

私などは装備が甘く、すぐに汗だくになり、しかも草はなかなか取れないで、ギブアップ。

皆さんは根気よく、本当に綺麗にしたのでした。





荒れていた花壇は掘り返され、大豆が蒔かれます。

子どもたちは初めてかな?











ここでは3粒ずつ蒔かれていました。

こっそり、「私にも蒔かせて」と一ヶ所豆を入れさせていただきます。

さあ、高校と、このもと小学校と、おばちゃんたちが蒔いた大豆は見事に実をつけてくれるでしょうか?

獲れた豆で何をしよう?この日から、蒔いた人たちは、大人も子どももワクワクし、なんだかムズムズ元気になっているはずです。

汗をかいた後に食べた地元の曲がったキュウリ、来年はみんなの大豆で作った味噌をつけて食べられるかもしれません。


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お仕事 昔の写真展 2018/07/16 11:50 am

久しぶりに十津川村谷瀬へ行くと「谷瀬昔のくらし写真展」が開催中でした。

奈良女子大生と谷瀬住民による手作り展示。眺めながら村人の話がつきません。

90歳のおじいちゃんの若い頃の写真を見て「イケメンだったね〜」、今はヒゲを蓄えてた集落総代の赤ちゃんの頃の写真では「可愛い、ヒゲがない!」なんて声が。

“みんなの昔”が主役になれる写真展は、よそ者にも楽しい場でした。
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4ヶ月ぶりの谷瀬です。今年も「純米酒 谷瀬」になる、酒米がすくすく青々と伸びています。

谷瀬の吊り橋を渡って「ゆっくり散歩道」を歩いていくと、やがてあるのが「こやすば」。

古民家を皆で使えるようにした休憩所です。




ここでは春までは「暮らしの写真展」として、村おこしの様子や、名産品づくりの作業など、谷瀬の今の暮らしを伝える写真展をしていました。

その昔バージョンです。2月頃から奈良女子大学室崎研究室の学生さんが、集落の皆さんに呼びかけて昔の写真を集めてきました。

「ないよ」と言っていた住民が、意外に「あった」と反応。アルバム一冊出てくると、それは宝の山のように、いろいろな情報が埋もれているのでした。

集落の人は、ひたすらあちこちをゴソゴソ探す係です。アルバムがあったら一緒に写真を選び、学生さんがスキャンしてデータにし、プリントしてボードに貼ります。



ちょっと素敵なギャラリー風でしょう?

この撮影時は、「こやすば」の戸が閉まっている状態だったので暗めですが、土日のオープン時は、もっと明るいです。

しかし、時々まだコウモリ君が登場するのですが・・・(笑)。





古民家の黒い板戸と白い障子は、そのままシックな展示スペース。特に、こういうモノクロームの写真に合いますね。










ひときわ目を引くこの写真は、谷瀬名物の吊り橋が昭和29年にかかった時の、渡り初めの様子だそうです。

紋付袴に山高帽姿、何度も流されて苦労してきた、その橋が、皆の力で架かり開通した。その待ちわびていた気持ちが、佇まいから伝わってきます。

今ではもっと立派な吊り橋になっています。この頃の吊り橋は、大風の日はよくねじれた!のだそうです。

一方この写真?これはいったい何を運んでいるのでしょうか?婚礼か何かあって、その荷物をリヤカーで運んでいるのか。

それともいつもの農作業のひとコマなのでしょうか。そんなときにわざわざ写真を撮るのかなあ〜とも思うし。やはり何か特別なものを運んでいるのでしょうね。



集落の人々は、何をしているか?よりも「ああ、○○姉だ」「これ、△▽兄だろう、きっと」なんて、人物の特定に夢中です。

一番右が、いまや最高齢?のお爺ちゃんのはず。素敵です、もちろん今もですが。






電話の交換、という仕事もあったわけですね。











お嫁さん、一世一代の晴れ姿です。

こういう花嫁姿で、吊り橋を渡って谷瀬へお嫁入したのでしょう。今と違い、情報がない時代です。他と比べるなどということもなく、親や親せきの決めた縁談で。

ただただ、嬉しくて恥ずかしくて。いい笑顔ですね。

地元の方々、相変わらず「これ、□□婆じゃないかね」「ああ、そうだそうだ」「ほお〜」という調子。

花嫁姿のご本人は、今は集落においでにならないようですが、こうして写真を飾られるなんて、喜んでくれるはずです。



昭和20年〜30年代くらいは、子どもはみなおさがりを着て、鼻を垂らして、下駄で走り回っていました。

小さな子は、お母さんや上の兄弟にいつもおんぶされていましたっけ。そう、黒い襟のついた“おぶいばんてん”にくるまれると温かでした。

おぶわれているのが、今の谷瀬集落の総代さんです。



吊り橋を渡ってお嫁入し、やがて子どもができて、家を建てる。

当時の家は、新建材など使わない、地元十津川の木を使ってでしょう。自分の山の木を伐って、ということだったはずです。

建前は嬉しい、餅をまいて、幸せを祈る、振る舞う。


写真を見ていると、この小さな集落に暮らし、身体を酷使しながらみんなでささやかながらも幸せをつかんできた、創って来た、そんな皆さんの生きざまが伝わってきます。

集落の人と、学生さんと、飾る場所があれば、こういう試みはどこででもできますね。

誰かの立派な写真を鑑賞するのではなく、自分たちの歩んできた日常が主題になり、自分たちが主役になれる写真展。

写真を前にほとんどおしゃべりは噂話や冗談のですが、それでも住む人たちも、よそ者も混ざって、人のつながりを編むことができます。

ぜひ皆さん、ぶらりとお立ちよりください。そしてぜひ、皆さまの地域でもこんな催しをしてみてください。奈良女子大さんありがとう。


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写真でみるゆとりある記

橿原市耳成駅近くで
奈良県吉野町国栖で
紀の川市民祭り
昔の写真展 十津川村谷瀬

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。