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ゆとりある記 2つのお花見 2019/06/16 2:20 pm

雲仙市小浜で、いま「ジャカランダ」という青紫の花が見頃です。

世界三大花木のひとつ、アフリカから50年前に種が届き、温泉で地面の暖かい小浜で上手く育ったようです。

市の木「ヤマボウシ」も見頃。花のようにみえるのは総苞片という葉の一種ですが、奥雲仙の草原で真っ白に咲く様子は雲のようです。

東京では経験できない、温泉地ならでは、高原ならではの花見でした。
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ジャカランダは葉はねむの木のようで、花がなくてもなかなか風情のある樹形をしています。

夕日で有名な小浜の海岸沿いに植えられ、シルエットはいい雰囲気。いつか花を見たいと思っていました。





今回見事に、開花時期にうかがうことができました。

かつて花の咲いたこの樹を見た人が「紫雲木」と呼び、日本に紹介したというのが分かります。

大木はこんもりと紫の雲のようにみえました。




知人がアフリカに行ったときに、「街路樹で青紫の花の咲く樹があり、それはそれは美しく、日本の桜並木のようだった。」と写真を見せてくれたことがあります。

海辺の温泉、小浜のまちも、そんな風景になりつつあります。





近づけばこんな花。藤のようでもあり、スミレのようでもあり。ひとつひとつが筒状になっている。

ふんわりと香りもしています。








説明看板と顕彰碑がありました。

ジャカランダの原産地は南米ブラジル。南米やアフリカ、オーストラリアなどでは、街路樹や公園樹として植えられている世界三大花木のひとつ、とあります。

日本でこの花が咲く街は、雲仙市と日南市、熱海市ということでした。


50年ほど前にアフリカ諸国の政府顧問をしていた南島原市出身の方が、ジャカランダの種をこの地に贈った。

それを、既に故人となられた元小浜町長はじめ、たくさんの方々が、育て増やしてきた。今も、地元の方々が大切に苗を増やし、植え続けているのだそうです。



開花情報を確かめてやってきたという観光客が、盛んに写真を撮っています。私もその一人。

道路の向かいのパン屋さんにはたくさんの鉢植えが。やがてあの苗も、この温泉街を飾っていくことでしょう。






翌日うかがったのは、奥雲仙田代原。牛の遊ぶ高原です。

ここに市の木、ヤマボウシが咲いているというニュースを見て連れてきていただきました。







キャンプ場の中に大きなヤマボウシが、満開です。

標高500mくらいのところを好むというヤマボウシにはここが適しているのか、今までこんな立派なヤマボウシを見たことはありません。

こちらもまた白い雲かと思えるような姿で、何本もそびえています。


ヤマボウシの花にみえるのは、蕾を包む「総苞片」という葉と同じもの。その中心にあるのが本当の花です。

枝の葉の上にこれがついているので、大木であればあるほど近くに寄ると白い部分がみえなくなってしまう。綺麗なものは遠くから眺めましょうということでしょうか。



黒い牛が草を食む草原の向こう、緑の中にあっちにも、こっちにもヤマボウシの木が白く見えます。

なんとものどかな時間。








キャンプ場には地元の方々が「ニュースでみて」と見物に来ています。

キャンプをしなくても、やはり花は人を呼ぶ。







自分の住む土地で、ぶらりと出かければこんな花々に出会えるのは幸せですね。

東京の樹々は窮屈そう、ビルに囲まれ、公園でも人だらけ。

のびやかに咲く花木をおおらかに眺める、こんな観光も雲仙市にはあるのでした。



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ゆとりある記 キウイフルーツカントリー 2019/06/10 11:57 am

静岡県掛川市の「キウイフルーツカントリーJAPAN」を久しぶりに訪ねました。日本最大のキウイ観光農園です。

個人農園、ちゃんと入園料があります。そのかわりキウイだけでなく、いろいろな動物と遊べ、散策コースやトイレにまで学べる仕組みがあり飽きません。茶摘みやケーキ作り、バーベキューも。

農産物は“物”だけではない、景色、知識、体験、笑い、繋がりも、と納得しました。

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うかがったのは5月の中旬。今の梅雨のような本降りの雨の日でした。

掛川の友人が車を出してくださったのですが、降りるたびにずぶ濡れになるワンちゃんにはご迷惑をかけました。





10数年ぶりの「キウイフルーツカントリーJAPAN」、観光農園とか、着地型観光とか言われる前から、キウイの出荷だけにとどまらず、農業の可能性にチャレンジして来た農園です。







普通の農家の農園は、入るのにお金をとらない。もぎ取りなどやるときだけお金をとる。というのが多いのですが、ここは年中とります。

入園したらそれだけの価値のある時間を提供できる、という自信があるのでしょう。

こんな雨の日にも、私たち以外のお客様があります。


入口のショップでお支払い。もうこの時から、キウイワールドが始まります。よくぞこれだけの“キウイもの”を集めたなあと感心。

手作り風のショップの壁には、キウイの葉っぱ、枝が押し付けられて、キウイフルーツの柄になっていました。ひと工夫ですね。




スプーン1杯のキウイフルーツの種をアメリカ旅行から持ち帰り、この農園を築いてきた園長の平野正俊さん。

久しぶりなのですが、ファッションも雰囲気も昔と変わっていません。

ちょうど開花の時期で、受粉に忙しく眠い中をご案内いただきました。

この農園にはキウイフルーツが80種類もあるそうです。次々と新品種も作りだしてきました。

20年前、まだ世の中に緑色のキウイばかりだった頃、ここで黄色いキウイ、中が赤いキウイ、水滴のような形のキウイ、ウインナソーセージのように細長いキウイを見て、味わって驚いたものです。



巨大なビニールハウスのなかでは、キウイの葉の下でお弁当を食べたりバーベキューをしたりできます。コンサートやイベントも開かれます。

足元に敷き詰められているのはキウイの枝のこま切れ。ザクザクと踏むといい感触。



2002年にNPOスローライフ・ジャパンが最初の「スローライフ・フォーラム」と「スローライフ月間」を掛川市民の皆さんとやったことを思い出しました。

「ここで築紫哲也さんなどたくさんの人が、掛川名物の“イモ汁”を作って食べたよね」と平野さん。そうでしたそうでした、ここでそんなことをやりました。

当時なかったのは、後ろの方にずらりと並ぶトラクター。平野さんの趣味でいろいろなトラクターや農機具が集められ、展示?されています。子どもたちが乗って遊んでいるとか。

トラクターなど見たこともない都会っ子は、さぞかし喜ぶことでしょう。


たまたまうかがった時期が花の季節。思いがけずキウイフルーツのお花見となりました。

「受粉すると、キウイは花や茎が桃色に色づくの」と平野さん。なるほど、ほんわりピンク色になった色っぽい花々があります。

キウイの花と葉が、雨に濡れてキレイキレイ。


雨など気にせず、広大な園地をお散歩です。雨でも気持ちがいいのですから、お天気ならば虫取りや、観察や、森まで入ればジャングル遊びや、いろんなことができますね。

それにしても胸の丈ほど草が茂っています。「うちは除草剤は使わないから。草は味方」と平野さん。



草はこのように機械で刈り取って、そのまま土を覆い、キウイの根のお布団に、栄養になるわけです。

この辺も、昔からここがこだわってきたこと。考え方はブレていません。






散策道の途中にはいろいろなクイズがあります。「キウイのしゅうかくするきせつはいつかな?」「キウイの種はいくつくらいでしょう?」

え〜と、、、、。考えながら歩きます。

子どもも大人も知らず知らずに、キウイや動物のことを覚える仕掛けになっています。


キウイエリアを超えて高台まで行くと、草がなく木が転がっているところがありました。

「ここは羊のお仕事場!」だそうです。???

つまり、ここに伐った木をほおりこんでおくと羊がセッセと樹皮を剥き、食べてくれるのだそうです。すごい消化力!



お仕事の結果がこれ。いい仕事してくれますね〜。

山の木を伐って、こうしてまた何かに利用する。ここではそんなことをずっと続けてきたのでしょう。

途中の草原が、結婚式を挙げる広場にもなっている。ウエディングゲートも手作りで建っていました。



園地のてっぺんまで行くと、掛川らしい茶畑が広がります。最近は高齢化で茶園ができなくなり、「やってくれないか」と相談があるそうです。

美しい茶園も、茶葉の収穫だけでは成り立たない。後継ぎもいない、行き詰る農業の問題を抱えているのでした。

平野さんのところでは、お茶摘み体験やお茶づくり体験をこれまた20年近く前からやっています。外国人の方は茶娘の恰好をしたがります。

春から秋まで、それなりのお茶体験ができるプログラムが用意されている。だから、いまキウイの実は実っていなくても、お茶体験のお客様が多いそうです。

羊、ヤギ、豚、アイガモ、ザリガニ。まだいろいろ遊べるのですが、我々はハウスでキウイを食べる方を選択。「お好きなだけどうぞ」、細長い「香緑」という珍しいキウイが美味しい。

緑に囲まれて動物を身近に、身体にいい甘酸っぱい味を口にしていると、初対面でも仲良くなります。キウイ茶会は長々と続きました。


この園のあちこちにあるメッセージはすべて手描き。「○○禁止」なんて言葉ではなく、子どもにわかる優しい言葉と絵。目にするたびになんとなく笑みがこぼれます。

来園すれば自然に顔が緩む。同行した初めての方は「参考になることだらけでです」と目を丸くしながらも、久しぶりにストレスを忘れ、伸び伸びと解き放たれたかのようでした。



トイレに行って「なるほどね〜!」と私は声を上げました。羊の小腸は26〜28mもあるのだそうです。だから、木の皮も旺盛に食べちゃうんですね。

と、ここでは、トイレでもひと学びできる工夫がありました。

ただ儲けるだけでなく、農園存続のためだけでなく、ここでは平野さんがとことん遊んでいる、楽しんでいることが園の雰囲気を創っているようです。しかも彼はものすごく勉強もしている。英語を自由に操る、冒険少年農業者です。

報徳思想の強い雨の掛川で、久しぶりにいい時間を過ごしました。

キウイフルーツカントリーJAPAN
https://kiwicountry.jp/

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ゆとりある記 お茶ツーリズム 2019/05/19 2:18 pm

緑きらめく静岡市の茶園で、お茶摘みをし、お茶の飲み比べをし、珍しい茶ソーダやすすり茶を味わう90分の「茶旅」を体験しました。

「そふと研究室」というところが企画するオーダーメイドのお茶ツアー。時季・人数・時間・やりたいことにあわせて、細やかにコーディネートしてくれます。

終了後さらに体験したのは、静岡名物のおでん。もちろんここでも焼酎のお茶割でした。
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静岡市街・浅間通りにあるのが「そふと研究室」、「リベロツアー」という旅行センターもやっています。

まちおこしのコンサルタントのような仕事やイベント企画までいろいろなことをやる研究室ですが、数人の女性で運営。

少人数・オーダーメイドの旅を「はいはい、なんでもまずはご希望をうかがいましょう」とお客側のわがままを聞いて、できる限りかなえるという方針とか。


今回はたった3人で、時間は少なく、ちょっぴり体験したい。お茶ツーリズムの濃いところだけを。というわがままをお願いしました。

朝、市街地からほんの20分、見事な茶園に連れて行っていただけました。スタッフで日本茶インストラクターの鈴木和恵さんが説明してくれます。

茶畑は分散してある。柿の木やシュロなどを目印に植えてあったり。一ヶ所だけ広くとしないのは天候で全滅などのリスクを避ける意味もある。急斜面の茶畑を70〜80歳代の高齢者が頑張って守っている。摘み取り20日くらい前から黒い覆いをすると渋みが出ずに旨みが増す。

と、一気にお茶の知識を吸収です。

刈り込んでいない自然仕立ての茶園で、さあ、摘んでみましょう!となりました。よく言う“一芯二葉(いっしんによう)”の摘み方です。

さらに鈴木さんからアドバイスが。“茎尻(くきじり)”は5ミリ程度にとどめる。長く茎を入れないこと。つまり茎茶になってしまうわけですね。

そして爪でちぎらないこと。お茶の樹はデリケートです。「爪を使わずともプチプチ折れますから」

せっかく茂っているのに、たったこれだけしか摘まないなんてもったいないと思うのですが、「この“みるい”ところが美味しいお茶になるんです」とのことです。

「?みるい?」これは、この辺りの言葉で、未熟な、柔らかいとかの意味。「あの子はまだみるいね」など人の評価にも使われるとか。

鈴木さんは函館出身ですが、お茶の魅力にすっかりのめり込んで資格もとり、いまやこんな静岡弁まで操っているのでした。

「そふと研究室」の代表の坂野真帆さん。実は、かつての私の部下?というか、アシスタントというか、をしていてくれた方です。

独立し、いつの間にやら旅行業務取扱管理者の資格をとり、いわゆる“着地型旅行”のかなり少人数のお客様にも対応、もちろんインバウンドにも対応する独自のツアーを生業にしています。

富士下山ツァーなんていうスローなメニューもある。

株式会社として続いていることにアッパレと思っていましたが、今回、初めて私は、お客としてうかがったというわけです。

胸までの緑のプールに入ったような感じ。目の前の“みるい”芽を摘みます。本当に簡単にプチプチ折れます。









とはいえ、本気摘みではありません。写真撮って〜とか、日に焼ける〜とか、カゴに全然たまらないよ〜なんて調子。









でも何か口に入るものを収穫するのは楽しいものでして「俺、全然興味ないよ、茶摘みなんて」と言っていたわが夫まで、「結構おもしろいな〜、できる、摘める」と顔をほころばし始めます。

鈴木さんのお勧めで、茶の芽を口に入れると、苦いのですが口がさっぱりとしました。



「この辺が一番写真に映えますよ」とおすすめの場所で記念写真です。

なんだかよっぽど働いたような雰囲気ですが実はカゴはまだまだ空っぽ。仕事として何日も、歌にあるように摘めよ摘め摘め♪という時代は大変だったでしょう。




はしゃいでいる大人たちを移動させるには技がいります。でも坂野・鈴木コンビが上手に「はい、移動しましょうね」と連れて行ってくれたのが茶園の持ち主である「森内茶農園」。

茶工場の横に車を止めて、江戸時代から続くというお宅にお邪魔しました。ここのお茶は日本はもちろんのこと世界的なコンテストでも金銀の賞をとっているそうです。

出迎えてくださったのは森内真澄さん。手もみ保存会の師範でもあり、日本茶アドバイザーを育てる講師、たくさんの資格のあるかた。

農家のお母さんというより、素敵なお茶カフェのマダムという雰囲気です。




玄関にあった茶刈り機を「ちょっと持ってみたい」と希望すると、森内さん「どうぞどうぞ、なんなら袋もつけましょうか〜?」ノリがいいです。この辺もオーダーツアーですね。

二人でもつこの機械はとても軽い、でも袋に茶葉がたまってくるとそれが重いのだそうです。



土間のカフェに座ると、この3点セットが出ました。きれいです!グラスのが「茶ソーダ」。お茶をソーダで割っているので、甘くなくさわやか。

続いていただいたのが「すすり茶」。上級茶葉の上に氷をひとかけのせ、自然に溶けた水で茶葉が開き、濃い水出し茶ができる、これをお皿を口に運びすするのです。初めての体験、濃くて美味しい大人の味ですね。

このアイディアは森内さんのもの。「家のどんな小皿でもいいからやってみて」と。実はこうした後の、生き返ったような茶葉に最後は「茶の実油」というオイルをかけて、岩塩も少し振りサラダのようにいただいたのです。これも衝撃的な美味しさでした。

イチゴとワサビの羊かんをいただいている間に、鈴木さんが4種のお茶を淹れてくれます。可愛い急須と湯呑を使って、そのお点前がお見事。








「香駿(こうしゅん)」というお茶だそうです。同じ種類の茶樹から、加工によって違う味わいのお茶ができる。

左が普通の煎茶、次が少し発酵した釜炒り茶、次がいわゆるウーロン茶、そして一番右が紅茶。左から順に飲んでいくと、大きな変化が分かります。お茶っておもしろいですね。


普段、ペットボトルのお茶をラッパ飲みばかり。そんなお茶の世界にどっぷり浸かった者には、ひさしぶりの旨味、香り、そして茶文化の体験です。

いい急須がほしくなりました。






森内さんのお茶の販売はすべて1000円、重さは様々ですが値段が統一してあるのがおもしろいしパッケージもかわいい。「私がお釣りの計算ができないから、ははは〜」と森内さんは笑います。







鈴木さん、森内さん、坂野さん、3人茶姉妹とすっかり仲良くなった90分。

また夏、秋、と遊びに来たくなります。本当は早朝茶市場見学もしたかったのですが、時期既に遅しでした。





こういう農村の日常の世界に入ると、観光施設とは違う時間が流れます。

駐車場の近くでは、ほかの農家さんがモミをまいて稲の苗を用意中。ひとこと二言の会話が思い出になります。





夕飯の後、たっての希望で静岡おでんの店40軒近くが並んでいるエリアに繰り出しました。これはもちろん自由行動ですが。

入ったお店は、もとバスガイドだったおばさまがやっているお店。昔の話が止まりません。ご一緒した女性客は台北からの一人旅、日本の全都道府県を回り静岡が最後だそうです。

おでん横丁にまで外国から個人客が来る時代、お茶ツーリズムにも外国人の方が多いのが分かります。そんな話を聞きながら、「静岡割り」という焼酎のお茶割りをいただいたのでした。


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ゆとりある記 本多木蝋工業所 2019/05/12 10:18 pm

木蝋で「もくろう」と読みます。長崎県島原市、日本でただ一軒、化学薬品を使わずにハゼの実を圧搾機でしぼり、100%純粋な木蝋をとり、和ろうそくを作る本多俊一さんを訪ねました。

ここの木蝋は1792年雲仙普賢岳噴火の後、島原藩がハゼを植えさせ蝋で財政再建したことに始まるそうです。

和ろうそくの揺らぐ炎は精神を安定させるとか。現代こそ、この伝統技術が必要です.
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島原鉄道大三東駅からすぐのところに、本多木蝋工業所はあります。工業所といえども、資料館、売店、作業場などが連なっている広いスペース、もとは住まいなどだった建物を利用しているので、はるか昔からここで木蝋がつくられてきたような雰囲気です。





作業場の方に入ると、いきなりハゼの実が山と積まれていました。ここが木蝋作りのところなのでハゼと分かりますが、山でこの実を見ても、ハゼ、蝋の材料とわかりません。私だけでなく、わからない人が多いのではないでしょうか。






それほどまでに縁遠くなってしまった木蝋を、本多俊一さん、美佐さんご夫妻が守っておいででした。

お二人とも学校の先生だった方、家業として本多さんのお祖父様から続いていましたが、それを「もう時代遅れだからやめよう」ではなく、「貴重な伝統産業工芸館にだから残そう」と思った、それが偉い。

やはり教師という職業上、何が大切かわかる。儲かる儲からないの基準でなく、守りたい!守るべき!の一念だったのでしょう。

ここでご夫婦は、木蝋を作りながら、木蝋がどんなものなのか、そして地域にどんな存在だったのか、生涯学習として伝える活動をされています。

昭和12年に製造されて、今も現役の「玉締め式圧搾機」。国内であと数軒木蝋を作るところはありますが、薬品を使って多量に蝋を取る仕組み。これは、江戸時代からの純粋な絞り方、唯一の技術です。






隣には、実際に江戸時代に使われていた絞り機の復元したものが並んでいます。今でも絞ることができるとか。噴火でやられた島原で、人々は必死に火山灰に強いハゼを植え、蝋を絞ってきたのでしょう。






ハゼの実は、砕き、蒸し、絞られます。その液を置いておくと、上に分厚く蝋の層ができます。奥様が包丁で切って見せてくれました。分厚い氷が張ったような状態です。







それを集め、丼?に流して固めたものがロウソクなどの材料のなっていくわけです。少し緑色を帯びた土色。

初めて見る独特の色です。木蝋はJAPAN WAXといわれ、ロウソクのほか、鬢付け油、口紅、クリーム、クレヨン、医薬品、減摩剤など様々に使われてきたそうです。



さすがもと先生と思える解説は、学習に来た人たちがわかりやすいようにつくられた、多様な展示資料で説明されます。









ハゼの木の芯のところの黄色い部部分は染料になり、美しい黄色のスカーフなど染める体験もできるとか。などなど、いろいろ学べます。








昔は、ハゼ畑があって、実をちぎって収穫する「ちぎり子さん」という仕事もあったとか。ハゼはかぶれると皆が嫌がるけれども、実を収穫時期のハゼはかぶれる成分を出さないので安心なのだそうです。






ここで作った和ロウソクに火を灯していただきました。なんだかあったかな、ユラユラする炎です。洋ロウソクは中に糸の芯が入っていてただ燃えるだけ。でも、このロウソクは中が空洞になっている。空気が通って、風がなくともゆらめくということです。





眺めていると、なんだかずっと見ていたくなります。この炎とずっと一緒にいたくなります。最近は仏壇で拝みこともなく、ロウソクを使っても危ないからすぐに消す、お線香にチャッカマンで火をつけてなんてことも多いのでは。

そうなると、ロウソクは遠いものになりました。バースデーケーキや、洒落たパーティーくらいしかロウソクの出番がありません。

だから、洋も和もない。その希少な和ロウソクの材料のハゼがどんどんなくなっている、なんてことも知りませんでした。

でも今回、本物のゆらめく炎を見ました。家庭内でざわめくことが多いなら、家族で炎を見つめる時間を設けたらどうでしょう。スマホのスイッチを切って、和ロウソクを見つめる時間を作りませんか。この炎と一緒に自分と向き合えば、ストレスは溶けていくことでしょう。

今の世の中こそ、和ロウソクの出番です。しかも薬品を使わない、安全安心な和ロウソクの出番です。

ハゼの木を植えたくなりました。

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ゆとりある記 写真展「戦禍の記憶」をみて 2019/05/06 12:24 pm

写真家・大石芳野さんの写真展に行きました。ベトナム、カンボジア、アフガニスタン、コソボ、広島、長崎、沖縄など、戦争の犠牲となった人々を40年間追い続けた約150点の作品群です。

「同時代に生きる自分を重ねながら平和への思いを新たにしてほしい」と作者から。

“令和騒ぎ”にうんざりしていましたが、意外に来場者が多く、そのことに私はほっとしたものです。
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ここで私の講釈を読むよりも、あと数日開催しているので、ご覧になっていただきたい。
東京都写真美術館で5月12日(日)まで
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3114.html




長い連休や、皇室万歳ムードや、令和狂乱マスコミにうんざりしていた日、この写真展に行って目が覚めました。


以前いただき、冷蔵庫にとめておいたチラシにはこんな案内文があります。

〜〜20世紀は「戦争の世紀」でした。二度にわたった世界大戦は、人類の危機ともいうべき大量の殺戮と破壊をもたらし、深い悔恨を残して幕を閉じました。しかし安寧は長くは続きませんでした。中国国内の革命戦争、新興イスラエルとアラブ諸国との中東戦争、アジア、アフリカ各地の独立闘争、米ソを軸とする東西冷戦に起因した朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻など多くの戦争がありましたが、21世紀を迎えても、ひと時も収まることなく継続しています。この写真展は、国際的なドキュメンタリー写真家大石芳野が戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問うものです。〜〜

この文章をもっと理解してうかがうべきだったのですが、実に気軽に出かけた私です。そんな私を迎えた入口の写真は、高齢の品の良い女性の深い深い怒りの顔でした。

露骨に怒鳴ったりしてはいないのでしょうが、たくさんのことを諦めて、耐えてきた、その理不尽さを知的な目が訴えています。

「ボーッと生きてるんじゃないよ」と喝を入れられました。彼女は、ベトナム人80歳。解放軍の夫、3人の息子、2人の孫を戦争で失っているということでした。

もし私だったら、どうするだろう。生きていられないのでは。こんなふうにきちんと身なりを整え、強い眼差しでいられないでしょう。

「写真の中の一人ひとりに、同時代に生きる自分を重ねながら、平和への思いを新たにしていただけることを願っています」と、冒頭の大石さんからのメッセージにありました。

写真の一枚ずつに、どういう状況の人なのか、大石さんが取材された内容が詳しく添えられています。必然的に、今の自分と、今の日本に生きる人たちと、比べてしまいます。

枯葉剤の影響で、自分の子がこの子と同じく無眼球で生まれたら、私はどうしているだろう。

森で一週間、戦い続けていたというライフルを持った女性。彼女と同じ24歳が、 この東京でどんな暮らしをしているのか。戦うのだろうか、戦えるのだろうか。ちやほやされて、甘えるばかりの24歳の今の日本人に、いったい何ができるのでしょう。

何時間も並んで、ミルクの配給を受けるカンボジアの子ども達。好き嫌いの多い今の日本の子ども達は、並んで待つことすらできないでしょう。

市場に行ったまま夫は帰ってこなかった。5人の子を一人で育てている35歳の女性は70歳にもみえる。今の日本で、夫が殺され、手がかりも無かったら、そんな事件ひとつでも大事件でしょう。彼女のような母がたくさん!それが戦争なんですね。



コソボ。目の前で父親を銃殺された少年。家族、親戚、20人の中でただ一人生き残った少女。この子たちはどうなるのか。自分の子が、孫がそんな境遇になったら。

スーダン。難民キャンプのテントで子どもを産んだ15歳の子。日本では受験や化粧、スマホでBFとラインといった年齢です。

自宅の下に埋まっていた不発弾が爆発し、足をなくしたラオスの人。日本なら政府を訴えるのでしょうか。

銃殺した若者の肝臓を焼いて食べた、と平然と語る元ポルポト幹部。殺す側も壊れていく。

そして、同じく日本人も同じようなことをしてきました。731部隊。人間の冷凍実験で、人を吊るした釘が残ります。生きたまま私が実験に使われたら、気を失うまで、死ぬまで何を考えるのでしょう。

娘狩りでさらわれて、日本軍の慰安婦にされたら。刺繍が「桜の花にみえない、朝鮮半島の花のムクゲだ」といわれ、爪のなかに竹串を刺される、首に焼き印を押される拷問。銃剣で人を刺し、食べ物を奪う。

そううことを、もっともっとひどいことを日本もしてきたのです。家ではいいお父さんだった人を、殺人魔にするのが戦争です。



広島、長崎の原爆の被害。そして沖縄戦。私が持っていた案内チラシにあった写真は伊江島の壕から発見された遺品や遺骸を弔う様子の写真でした。

何かの儀式の写真かと思っていたのでした。戦後数十年しての発掘。「こんなに長く暗くジメジメしたところに居させて悪かった」と弔っている様子でした。

非難した壕のなかで、子どもの声で米軍に見つかるからと2歳の子に毒を注射する。軍からの命令と集団自決する。沖縄にはさらに今、私たちはいろいろな苦しみを強いています。

展示された作品は、ここに書ききれない内容ですが、最後の大石さんの言葉が残りました。

「歴史は繰り返す。しかし私たちは決して繰り返させてはならない。戦争は国と国とが終結の調印をしても、一人ひとりのなかでは決して終わらないからだ。被害者も、加害者も」

実はこの日、写真展の会場は実に混んでいました。ここにいる人たちが一斉にしゃべったら“大賑わい”という表現になったことでしょう。

ところが、来場者はたくさんいるのに話す人はいません。皆が沈黙して、何か歯を食いしばるようにして、一点ずつをみている。まるでお通夜の会場のような、大勢の静けさです。それほどに写真が迫ってくるのでした。

若い人も多い、そのことに驚きました。令和のスタートの馬鹿騒ぎの日に、こういう作品群をみたことを、考えたことを忘れないでほしいと思います。



テレビのインタビューで「令和は平和な時代になってほしいです」という言葉を何度も聞きました。「平和はつくるもの、守るもの」と、強く思います。

どんなにかっこいいビルが建っても、おしゃれなマンションに住んでも、素敵なネイルをしても、美味しいワインを飲んでも、パソコンを操っても、しょせんついこの間まで大人たちはみな人殺しに加担し、止められなかった戦争のためにみんなが死んでいった、そんな国に私たちは生きています。そして、地球上の今日も続く戦いを見て見ぬふりををしています。

地震でも、津波でも、噴火でも、台風でもない、戦争は人が人に振りかざす災いです。人が起こすのですから、人が止めるべきでしょう。

70歳代後半の大石さんが、いまなおこういう仕事を続けていることに、同じ女性として頼もしく、励みになりました。

私、続きます。

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ゆとりある記 おしかけマルシェ 2019/04/22 12:17 pm

篠山市の地域おこし協力隊が東京・五反田で「丹波篠山おしかけマルシェ」を開くと聞いて行ってきました。

今が旬の篠山特産品、希少な「花山椒」を使ったお料理や、タケノコの水煮、山の芋など普段は出会えない味が並びます。

会場は定休日の知合いのお店に押しかけた形。そこにSNSで情報を知ったお客様が押しかけます。

こういう場をもっとつくらなくてはと思いました。
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この催しを企画したのは、梅谷美知子さんです。先日の「スローライフ・フォーラムin丹波篠山」の際、篠山市雲部「里山工房くもべ」での「夜なべ談義」で配膳などをしてくださって、さらに翌日の「グループトーク」では、テーマ「みどり」のチームに参加され、元気一杯の発言をされていた地域おこし協力隊さんです。



その後、フェイブックでお友達になってはいましたが、少し前に熱きメールが届いたのでした。「東京五反田で、篠山の美味しいものを紹介するマルシェをやります。お店は、その日がお休みの食堂を使わせてもらいます」






篠山が美味しいものの宝庫であるのは、3月にうかがって確認済み。季節が変わるとどんなものが?・・・テーマ:「花山椒と筍の山椒まつり」として、美味しそうなメニューがチラシに紹介されていました。

それを当日確認に出向きました。




「筍、アスパラガス、原木しいたけ、鹿のホイル焼き〜山椒みそソース」SNSで知ったというおじさまが「うまいよ」とつつきながららビールをぐびり。








クラフトビールが3種類。桜の香りを加えたホワイトビール、これが珍しいものでした。










「春野菜のすり流し(ポタージュ)山の芋・花山椒をそえて」
菜花やホウレンソウ、空豆などをミキサーにかけて、お出しと黒豆味噌で味つけしたものに山の芋がポトン!花山椒の薬味で食べる贅沢なポタージュ。






「筍ぼたんちらし」
今頃の猪は、地中の筍を早々とたらふく食べて肥えているとか、その筍猪入りのちらしです。









「黒豆きな粉のカンノーリ」
新しい地域おこし協力隊の男子が作ったスイーツ。パイ生地のなかにクリームが入り、きな粉と黒豆がイタリアのお菓子を和風・篠山風にしています。







小さな売店に少しずつ篠山の味が並び、買いものする人も結構います。「山菜や山椒が好きなんで。Facebookで調べてきました」という若い都会的な男性が、筍や山椒の実漬けなどを買っていきます。






幻の!といわれる、何にでもあうという「山椒味噌」を私は買いました。黒豆の味噌というのがウリです。









同行者は「この前食べた山の芋が美味しかったから買おう!」と重さを計ってもらっています










借りている厨房は予約のとれない店といわれる「食堂とだか」、お客様も少なからず「とだか」繋がりで来店。なので、このお知り合いのお店に助けられたマルシェではありました。







さらに、料理人としては未熟な梅谷さんたちの試みですから、満点とはいきません。販売の仕方も含めて、言いがかりをつけたらきりがないほど(笑)。








でもこんな若い人たちを見ていると、何とか協力できないかと私は思うのです。食べる、買う、だけでなく、地方と都市を結ぼうとしているこの人たちの具体的に力になることは?私にできることは?と考えます。






たまたまこの食堂が知り合いだったので、梅谷さんたちは「おしかけマルシェ」ができましたが、こういうことがしたくとも押しかける場所がないのが現実でしょう。

県単位では、都内に物産館などありますが、市や町村で、しかもそこの特定の農家さんや食品屋さんが都内に押しかけようにも、手がかりがないのです。

押しかけてもいいよ、押しかけておいで、と招いてあげられるような場所を作ることが、都市部で地域おこしなどを語る者の役目だと思うのです。

この日、梅谷さんは大きな“たんこぶ”を作りました。ゴーンと音がしたと思ったら、それは張り切って動き回る梅谷さんが鉄の塊の構造物に思い切り頭をぶつけた音でした。

眼鏡を落としながら「私、てんぱり過ぎちゃって〜〜!」と照れ笑いする彼女を、抱きしめてあげたくなります。

今日までどれだけ“てんぱって”きたのでしょうか。農家さんを回り、食材を手配し、味を決め、援軍の友達を頼み、大荷物を背負ってやってきたに違いありません。慣れないことにどれだけ大変だったのか、何日寝ていないのでしょうか。

美味しい、不味い、高い、安い、良い、悪い、を上から目線でいうことは簡単です。

「ならば、あなたは地方と都市を繋ぐために、何をやっているの?やって見なさいよ、身体をはって、“たんこぶ”つくってみなさいよ」と梅谷さんに突き付けられたように思えました。

右が梅谷さん。“たんこぶ”治れ〜〜。

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ゆとりある記 篠山時間を振り返り 2019/03/18 4:26 pm

よそ者と土地の人との交流では、いろいろなことが起きます。良いことだけでなく、嫌な場面や失礼なことも。

篠山の観光施設でおかしいな?と思うことがありました。

一方、訪れた我々側は静かな町並みを奔放に歩き、宿を大勢で覗き込んだり。私などは「早く早く」と大声を上げたり。

お互いの無礼に目を向けないと、本当の磨き合いにならないと私は思います。ただ今、反省しきり・・・。

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※今回は写真は無し、長いのでお時間あるときにどうぞ。

さて、交流にはお作法があります。

お金を払ったんだからわがままする。旅の恥はかき捨てでいい。お金をいただいたんだからかしずく。お金さえいただけば、後ろでアッカンベーをする。これが、今までの観光の世界でした。よそ者と土地の人は、お金を間に関係が作られていたのです。

それが交流時代となると、お金は間に入るものの、そのお金が最終目的ではなく、お互いが何かを得るように時間を分かち合うことになる。ともにいい場をつくろうと気遣い合うということになる。

でもそれは理想であってなかなかそういうわけにはいきません。お作法が身に着くまで経験の積み重ねなのです。

今回、スローライフ・フォーラムで40人近くが視察に回り始めた時のまず最初の昼ご飯のことでした。お店に着くと、なかに入れてくれない。理由は「まだ用意ができていません」とのこと。待合の部屋もないので、皆が入り口や階段に立ちっぱなしとなりました。

団体用の部屋をのぞけば、ほぼ料理は並んでいます。あと小鉢とお味噌汁くらいでしょうか。それなら、まずは座らしてもらいたい。

「全部そろってなくても座るだけ、いいですか」
「いえ、用意ができてからお客様を入れろと言われていますから」従業員の女性は頑なです。

お店の厨房の方に回り、「責任者の方は?」と聞き、「料理が揃ってからじゃないとダメと言われ、皆、外で待っているのですが」と訴えました。

店長?らしき人は「ええ?何で」と言いながらやってきて、私たちお客の前で「なんで入れないんだ?」「だって、用意できてからっって言ったじゃないですか」と口論。結局「どうぞどうぞ」と店長は私たちを案内し座ることができました。

女性店員さんは「出来立てを食べてほしかったんです」と私に言いますが、食事のメインの黒豆コロッケは冷たく冷えています。そんなスタートでした。

その時何が大事なのか、判断できる人が育っていないと、世の中上手くはいきません。メニューの説明もないので、せっかくの黒豆や山の芋を使った昼食が味気ないものになりました。

でもこれには伏線があります。団体で席を確保するには、ある程度の値段の豪華な定食を頼まなくてはならない。それを私が値切って1200円のものにしていただいた。高い定食にすれば、1人パートさんを頼めたのかもしれない。

女性店員さんも一人でパニックだったのです。そこに東京弁の私にガミガミ言われて、膨れっ面にもなりますよね。

続いて、観光施設のアプローチの坂道ででした。「足元注意」という看板が立っています。何故注意なのかわかりませんが、その危険なところを覆うように分厚いベニヤ板が乗せられています。

そのべニヤが反り返っていてこれ自体が実に危ない。ベニヤにつまづいて転びそうになる。少なくとも3人つまづくのを私は見ました。

本当なら私は気づいたのですから“気づいたもの責任”として、施設の人に言いに行くか、べニアをどかすかなどすべきだったはずです。それを「危ないな〜」なんてつぶやいて、眺めていました。

どなたか男性が「裏返した方がいいのでは」とつぶやく。そうこうしているうちに、1人の男性が見かねてベニヤを裏返す。それをみんな見て、ある意味ほっとしたのですが、それでもまたつまづく。

つまりベニヤをポンと乗せただけではもともとダメなのです。それで何とかなると踏んでいる施設がおかしい。何度もつまづく人が出ているうちに、チケット売りの女性がようやく何か変だと気付きました。ベニヤに近づくところまでは見ましたが、どうしたのやら。

誰もが自分の持ち場だけ守ればいいと思います。私のように「危ないな〜」と眺めることはできます。でも、一歩踏み出すことでいい場づくりはできるのですが・・・。

なんて反省する前に、お客様が必ず歩くアプローチをそんな状態で平気でいることが??ですね。

さて、篠山の悪口を書いたようになりましたが、実はこちら、よそ者グループもひどかった。

篠山には城下町全体をホテルにという考え方で古民家を改修した「NIPPONIA」という名のホテルが何棟もあります。一般社団法人ノオトというところが、10年くらい前から進めるプロジェクト。ホテルに限らず、街を歩ていると「ここもノオトさんが入ってお店にしつつあります」という解説を何度も聞きました。

この動きは有名ですから、チラリとでもホテルのなかを覗きたい。レストランなら窓の隙間から様子を眺めたい、料理の匂いも嗅ぎたい。と、私たちよそ者は思います。そうなると、しっとりしたいいムードの「NIPPONIA」ののれんをあげて、いくつもの頭がのぞくことになりました。

ちょうど到着のお客様があったのに、この群がったよそ者は気づかない。そもそもそんなふうにならないようにノオトさんでは視察についてきちんと有料のメニューを用意されている。

これは我々の旅の恥はかき捨て行為、かき捨てられた地元はたまりません。ほんとにごめんなさい。

よそ者はわがままです。私のことです。フォーラム会場に、「普通の花など飾らずに、地元らしい何か飾りを」と役所にリクエストしていました。それはいいことではありますが、担当者の仕事が増えます。そういうなら私が自分で探して飾ればいい、のです。

なのに、やさしい役所の方が、どこかで木製のイノシシを借りてきてくださいました。これが数頭並んだだけで、牡丹鍋が名物の篠山らしくなります。

そうなると、私は周りにササの山など作りたくなる。「杉の枝や、ササの枝などあるといいなあ〜」。つぶやいたところで、私が山に入って採って来るわけでもない。ジワジワと望むのですからたちが悪いです。

一度諦めたのにも関わらず、その希望は周りに染みだしていました。チラリと子耳に挟んだ善意の地元の方がササを用意してくれる、「と言っていた」と聞くと、「ああ、もういいのに」と思いながらも「ありがたいな」とも。

そして結局数本のササが既に開場した会館に届いたのでした。木製のイノシシにふわっと置くだけで雰囲気が出ます。ここまでしてくれて・・・と嬉しいような、申しわけないような。これもまたごめんなさい、なのでした。

学識経験者とか呼ばれる人たちは、実によく語ります。語ると興奮して、止まらなくなります。声も大きくなります。地元の方々の話し合いの傍聴でつい大きな声で話し、しまいにうるさいと怒られた。怒られた方は「休憩時間かと思っていた」のですが・・・こんなこともありました。

そして、話し合い、交流すると言っていながら、ついつい説教がましく話をしてしまう。東京目線を振りまわす。ふと気づくとそんな私が居たりしたものです。

篠山は素敵なところ、文化的なところと強い思い込みがありました。町屋が美術館に変わる!「まちなみアートフェスティバル」など資料を見ただけでも素晴らしいと思います。一度、ちゃんと来なくてはと思います。

そんなところなので、冒頭のちょっとしたソフトの不備がこたえるのです。「篠山でこんなことがあるなんて・・・」と思ってしまうわけです。

ただの観光客なら、熱心に見学しないし、語り合うこともないでしょう、でもこれからは興味のかたまりのような我々のような人たちが地元の人と語りたくてやってくる。きっとトラブルも増えます。

双方に、お作法ができあがっていかなくてはなりません。今回の失敗は、よそ者、地元、共にうかがえば、ここに書ききれないほどあることでしょう。

無礼ごとも含めて、これからも交流を勧めましょう。臆病に本音を出さないでいたら、今までの観光と同じです。悪いところも出し合いながら、指摘しながら、磨き合いましょう。

よそ者として失礼しました。そして、これからもよろしく。

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ゆとりある記 黒糖作り 2019/02/25 10:04 pm

サトウキビを絞り、その汁を煮詰める。単純な作業ですが、なかなか難しい。

大規模工場で機械生産なら楽なのでしょうが、昔ながらのかまどで薪をくべ、大鍋で4時間、人が混ぜ続けて煮詰めていくやり方。混ぜ物も一切ナシ、こだわりの黒糖作りです。

出来上がりは単純でない甘さ、なんとなく海の香りもする色々な旨味の含まれた濃い甘さ。元気になりそうです。雲仙市南串山で。
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雲仙市の南側、南串山町。ジャガイモやレタスをつくっていますが、サトウキビも栽培しています。

ザワワ、ザワワ♪という歌がありますが、この海風がどうもサトウキビを健康に育てるらしい。

有馬自然食品の南串山工場にうかがったのは、先月のこと。この冬の黒糖作りの最後に間に合いました。

竹さおのようなサトウキビが積んである、海辺の小さな工場で4人ほどでの作業です。「黒海道」という品種のサトウキビ。これをを刈ったら絞って、汁をとり、煮詰める。その工程は毎日決まった形では行われません。

今日はこの人数でこの作業、今日はやらない、などなど、なかなか見学したくてもタイミングが合わなかったのでした。

作業場の奥に据えられた煉瓦とコンクリートのかまど、火口は4つ。大きな釜が4つのり、それぞれから湯気が勢いよく上がっています。

釜のは30分置きで仕掛けられ、順繰りに4時間立つと汁は煮詰まって、黒糖になっていくわけです。



薪の燃える匂いと、サトウキビの汁が煮える甘い匂いと、湯気と、熱が、作業場に満ちています。










グラグラ煮える汁を、働く男性たちは一時も目を離しません。大きな木製のヘラで、かき混ぜ続けます。

そしてアクをていねいにすくって。







私が舌なめずりをしていたのでしょう、カップに煮えている汁を汲んでくださいました。










「う〜〜ん、おいしい」サラサラとはしていますが、もう黒糖の味です。

これをパンケーキなどにかけたら美味しいだろうな〜。







そうこうしているうちに、一番端の釜が煮詰まって来たようです。温度を計っています。










ここまでドロドロになると、混ぜるのは二人がかり。力がいるし、すぐ焦げてしまう。










鍋に数滴たらすと、代表の宮崎さんが外へ走り出しました。瞬間のかたまり具合と、その色を海辺の明るさの元で確かめるのです。









良しとなったら火を消します。かまどの薪ですから、即は消えません。火を出し、サトウキビの搾りかすをかけたりします。









そして今度は大きなすり鉢へ移して、ゴリゴリゴリ。こうして空気を混ぜ込まないとカチコチの飴になってしまう。

なるほどまた試食したものは、既にお箸の先につければ飴になっていたのでした。





計りの上に型をのせ、重さを計りながら流し込みます。ここまで来るのに4時間から6時間くらい。

何だか魔法の薬ができあがったような感じです。







食べやすいようにサイコロ状に切り分けて出来上がり。

最近は、生姜入りなども作っているそうです。








商売としては全く合わない作業でしょう。こんなに手間がかかるなら、もっと高価でもいいはずです。

でもここの黒糖男たちはそんなことは言わない。要はこの作業が好きなんですね。そして、誰かがやらなくては無くなってしまうから、なのでしょう。

もちろん完全手作り釜炊き黒糖となれば人気です。引っ張りだこで品物は足りない。

でもサトウキビ栽培をしてくれる人が増えないと、黒糖もできないし、釜の前で何時間も混ぜる作業に耐えないとこの味ができない。

ただ甘いだけでない、旨みと、少し塩のような味も感じる、濃い、でもすっきりとした甘さ。上等なお菓子を食べているような本物の黒糖です。

どなたか志ある若者たちが、この作業を継いでいかないでしょうか?

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ゆとりある記 湯沢の雪 2019/02/18 1:43 pm

秋田県湯沢市を訪問、豪雪地帯です。東京から行った者には白い世界が珍しく、はしゃぎました。

雪に埋もれた電話ボックス、雪下ろしの様子、除雪車、避寒して市役所で勉強する学生、写真をたくさん撮りました。私と同じように外国人グループも雪そのものを夢中で撮影です。

雪の苦労を横に置けば、特別な体験でなくとも、雪国の日常を見せるだけで観光メニューになると思います。
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今年の秋湯沢で「第2回地域共生社会推進全国サミット」が開かれます。今回はそのプレイベントとして行われた「平成30年度湯沢市地域福祉セミナー」へお邪魔しました。

その間に歩いた、見た、雪の世界がなんとも印象深かったのです。

ホテルから眺めた湯沢の中心街です。雪国に来たな〜と実感します。この写真を撮ってすぐに家族に送るくらい、雪の経験の薄い都会人には嬉しいものです。








ちょうど湯沢の冬のお祭り「犬っこまつり」が終わったばかり。商店街には犬っこを祀った雪の祠「おどっこ」がまだ残っていました。どうやって作るのか?シンプルでおしゃれな形です。犬っこまつりにはのべ17万人の人、500匹のワンコが訪れたそうです。





地方の駅前商店街は何処も同じ、シャッターの閉まったお店が目立ちます。雪かきする人の居ないお店前には雪がこんもり。喜ぶ話ではないのでしょうが、よそものにはスリルある商店街に思える、そろりそろりと歩くことそのものが珍しい行為なのですから。





学校がえりの小学生が「投げるのと受けるのと、交代でやろう」なんて言いながら、雪のぶつけっこをしています。雪遊びしながら帰るなんて、東京の子たちにもさせてあげたい。







公園にある電話ボックスは、半分くらい雪に埋もれていました。「冬期間使用中止とさせていただきます」の貼り紙。無理もありません、そもそも電話ボックスまでたどり着けないし、ドアも開かないし。

でもこの雪帽子をどっさり被ったその姿が、かわいくて愛おしくて・・・。何枚も写真を撮っていたら、歩く人に「???」と見られてしまいました。

屋根の上で雪下ろししている人の横を、除雪した雪を運ぶトラックが通り抜けます。

毎冬、この雪との付き合いに、いえ戦いに、どれほどの労力とお金が使われるのでしょう。





ツララだって、私はきれいと思って写真を撮りますが、地元の人には何でもないもの。むしろ危ないもの、嫌なものなのでしょう。

「きれいだなあ〜」と何度もつぶやく私と、住んでいる人のギャップは大です。





雪に埋もれそうなお家は、砂糖菓子でできているように見えます。雪砂糖のお布団をかぶって、ふんわりと眠っているかのようです。

春になったら、「わ〜〜〜よく寝た」なんてこのお家が手足を伸ばし、雪を振るって落とすのでしょうか。なんて童話のようなことを想像します。



でも現実は、雪下ろしができないのか?空き家なのか?心配しなくてはいけない状態でしょう。

そんな家がいっぱいあります。童話では済まされません。道路横の歩道が雪で埋もれると、車道を歩かなくてはならない。だから歩道を確保する。そんな作業も日常のことです。



きれい、素敵といった雪が、風と共に吹き荒れてくると、車にに乗っていても怖さを感じました。

私はこれで東京に帰るけど、湯沢の人たちはこの雪と暮らしていくのですね。

そんな中、湯沢市役所に行くとホッとする光景がありました。避寒できる市役所ロビー、どんな雪でもここなら安心と、高校生が勉強中。東京のコンビニにたむろしている学生とは、違う姿です。

女性グループが手芸のサークル活動中。家でひとり寒々としているよりも、市役所に集まれば暖房代も節約できるし、人にも会えるし、心もぬくもるのでしょう。

この日は休日でしたが、平日はもっともっと学生さんが集まっているとか。市役所もそのために遅くまで開いているのです。ここでは窓の向こうの白い雪が、むしろ温かく見えました。

雪国の厳しさも含めて、こんな湯沢の雪暮らしをガイド付きでご案内して頂けたら嬉しいです。何も地吹雪ツアーや屋根の雪下ろしなんてハードなメニューでなくていいのです。

ただの雪の積もった庭や、古い建物を盛んに写真に収める外国人の方々に何人も会いました。私と同じ、雪というだけではしゃぐ人たちです。

雪の似合う場所に連れて行ってもらったり、雪のなかをかき分けて祠にお参りしたり、街路樹に着いた雪が冬の桜のように見える風景を撮影したり、ツララの下がる路地をくねくねと歩いたり、除雪作業を眺めたり。

そんな湯沢の普通の雪暮らしを知るだけで、ちょっとのぞくだけでいいのですが・・・・。もちろん雪かきの必要な商店街の歩道くらいなら、素人の来訪者も多少お手伝いして帰ることもできますね。

雪の街のウォッチングツアー、1時間2000円。最後は市役所で感想お茶っこミーティング。参加記念に雪貯蔵リンゴ一個付き。そんな企画を誰かしてくれないかな〜。

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ゆとりある記 クエを食え 2019/02/11 11:58 am

和歌山県に通うのも今年度で終わり。「それならこの冬、クエをぜひ食べて」と友人に誘われて、日高町のクエ民宿に泊まりました。

九州地方ではアラとも呼ばれる高級魚、何でそんなに高いのか?今回その理由が初めて分かりました。

なかなか獲れない、養殖できない。白身で上質の脂とコラーゲン、旨みはフグに勝るとなれば引っ張りだこのはずです。

一生に一度?の記念となりました。
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日高町のパンフレットにはズバリ「クエの町」とあります。

なぜここで獲れるのか、それが昔からなのか、地元ではどのように扱われてきたのかなど、普通ならしっかり取材する私ですが、この日はレジャーです。ただただ喉を鳴らしてうかがいました。

どうやら「クエ鍋」は昨年の「ニッポン全国鍋グランプリ」で見事「グランプリ 金の鍋賞」を取ったのだそうです。

だからなおさら人気が高まり、民宿もかなりのお客様があったのでした。


海のすぐ横にあるこのお宿、偶然にも「クエ」漁師さんであり、鍋コンテストにも出られているクエの大親分のような方の民宿でした。








親分です。(失礼)でもその立派なクエとそれを釣り上げた雄姿には風格があります。

このご主人自らが、食事の席には「クエ語り」をしに現れてくださいました。

クエは群れないこと、この地の100人近い漁師のうちクエを釣っているのは10人位、20キロのクエなら20年生きている、生きたイカを餌に釣ること、70メートルくらい深いところにいる、等々詳しく教えてくださいます。

「テグスに伝わるトントントントンというのはイカが泳いでいるから、これがググッと引かれる、これはクエが噛みついたとき、この時あわてちゃいけない。じきにもっとグイッと引かれる、これは奴が飲みこんだから、そして、4、5、6、7数えたら思い切り引き上げる」

うかがいながら、海上でのクエとの戦いが想像できます。

「奴らは危ないとなったら岩の下に潜り込んでヒレを広げてそれで踏ん張って、あげられないようにするから力くらべだね。上げられないときもあるから、前の年に俺が掛けた針をつけたままのを上げたこともあるよ」

クエ様の登場です。

白い美しいお刺身。鍋用の厚切り。コリコリするのは胃袋です。

「奴ら何を食ってるかわからないから、胃袋はよ〜く洗うんです。それをバター炒めする。旨いでしょう!」




鍋用のクエにはアラの部分もあり、これをまず先に入れてから野菜、クエと加えていきます。

モミジおろしとネギを薬味にポン酢で。

あれ?そんなに脂っこくないんだ。歯ごたえのある上品な白身魚風。ところが食べているうちに気付きます。細かい脂の粒々がポン酢の上に浮いている。脂が上質なんですね、だから脂っこくない。

そして驚いたのは皮と肉の間のプルプル。コラーゲンの厚み、これは噛むほどに旨みが出てくる。

「クエばっかり食べないで、野菜も食べてね」とご主人は言い終えて席を立ちました。

忠告通り野菜に箸を伸ばすと、いつしか白菜もキノコもクエの旨味をすっかり吸い込んで、只者ではない野菜に変わっています。

クエはもちろん、このクエスープを抱きかかえたようなクエ鍋の野菜の美味しさに惚れました。


こんな鍋を食べながらですから、ヒレ酒が進むこと。

例の蓋をしておいて、マッチで火をつけるとボッと音までする、あれを楽しみます。

唐揚げが出て、クエの炊き込みご飯が出て、その他にもクエの何かが出てはいたのですが、酔ってしまいました。


昨夜、あれほど食べたのにおなかが空いている。クエの脂はそういう脂なんだ、と思いながらの朝・・・・、あれ?顔の肌が上質のクリームを塗ったようにしっとりしています。

既にクエ効果でしょうか?

朝ご飯のクエ雑炊がまた美味。もう一杯、もう一杯といただけます。


「クエの解体がありますよ」との声を聞き、宿の裏路地をのぞきました。

クエ様のお頭です。既にウロコは落とされ、白い肉をみせ、大きな頭は金具を打ち込まれて、まな板に固定されていました。

近づくと、食べられてしまいそうな迫力です。


クエを三枚におろすのですが、さばくというより、確かに解体といった方がいい荒仕事。包丁は使わず、ナタ一本でさばいていきます。

白身の分厚い肉が骨から離れると、クエの身体がまるで生きているかのようにブルンとくねりました。




ご主人が、クエ用の釣り針を見せてくれます。ペンダントにして首から下げてもいいような大きさ。

そしてもう一つ見せてくれたのはクエの“耳石(じせき)”。親指の爪ほどの貝殻のような白いものですが、クエの耳?あたりから出てくるそうで、これを研究するとクエの年齢がしっかりわかるのだとか。

人間ならめまいの原因などになる耳石、クエの暮らしではどんな役割を果たしているのでしょう。

クエの生態はまだまだ分からないことばかりで、大学や和歌山県で研究を進めているとか。解明できれば、もっとクエは獲りやすく、庶民にも食べやすくなるのかもしれません。


ご主人とご長男です。息子さんのクエさばきは素晴らしいものでした。

「長男が宿を継いで、次男が漁を継いでくれました」とご主人は満足そうに笑います。こういうおうちが何軒もあれば、今後のクエの町も安泰なのですが。

クエ貯金してでもまた伺いますから、頑張ってほしいなあ〜。

民宿からすぐの浜には、大きな海と空が広がっていました。今日もこの海原のどこかで、クエは群れずに1人堂々と泳いでいるのでしょう。

あんまり大衆魚になるよりも、養殖なんてされるよりも、幻のクエといわれるぐらい、ワイルドな存在でいてほしいと私的には思います。

次にこの海を見るのはいつになるのか?クエをまた食べることがあるのだろうか?いろいろなことを考えながら、私も悠然と泳ぎ出そうかと思うのでした。


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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。