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ゆとりある記 越谷でロケットストーブ 2019/11/18 11:56 am

ペール缶や一斗缶をつなぎ、なかに煙突を通して作るロケットストーブ。

少量の薪でも気流でロケットのように、勢いよく燃え上がり、災害時やキャンプの時に役立ちます。何より手づくりできる。

以前もご紹介しましたが、先日、埼玉県越谷市で作る機会があり、あらためてその威力に感心しました。

このストーブ、お米を炊いたり豚汁を作るだけでなく、人と人や、地域の関係も温めてくれます。
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11月13日(水)埼玉県越谷市にお住いのスローライフ学会会員・小松崎いずみさん、中島プレス工業(有)主催の「ロケットストーブ作り体験」に参加してきました。

講師はこのお二人。JDSA日本災害救援活動士協会の神徳政幸さん(右)と、玉田拡之さん(左)。神徳さんはなんと和歌山県紀の川市からいらしてくださいました。


会場はお隣がお墓の自治会館の駐車場。まずは自己紹介です。

集まったのは地域の防災に貢献している女性たち、小松崎さんの会社の方々、東京からは持続可能なエネルギーに取り組む企業の方も参加。私と夫のように、賑やかし係もいます。




最初の試練は金切りバサミ。金切り声をあげるのは得意な女性たちですが、こういうことは初めて。

花バサミとも勝手が違う。「あら〜〜、全然進まないよ〜〜」こういう時に講師がやってしまえば簡単なのですが、笑いながら見守ります。いつかできるのですから。




ペール缶のぐるりを切り離すのですが、金属用のこぎりのようなサンダーで切ればすぐ。でもすぐできちゃつまらない。数人一組で、ああでもないこうでもないと切るからいいのです。

その合間に記念写真も。右の女性が小松崎さんです。




風のある結構寒い朝だったのですが、「暑くなっちゃたよ〜〜あたし」と上着を脱ぐ女性も。

だんだん本気モードになってきます。







煙突が入るところは、放射線状に切り込みを入れていく。ほらほら、もうずいぶん慣れてきました。

「農家もやってるからね、外の仕事は慣れてるから」なるほどパソコン相手の日常を送る私とは、越谷女性、力の入れ方が違います。





「ペール缶をつないで、煙突を入れるとこういう形になるわけで・・・・」ようやく出来上がりの感じが見えてきました。

青いジャンバーの専務さん「社長がロケットストーブって騒いでて、何のことやらわからなかったのが、ようやくわかったよ」




ペール缶同士はインパクトドライバーという、銃のような道具でネジを止めていきます。

ウイ〜〜〜〜ンと音を立てながら、ネジが入ると気持ちいい。スカッとして、癖になりそうです。






生まれて初めてのインパクトドライバー扱い。恐る恐るやるとネジは飛んで行ってしまう。

「ま、こういうのは慣れやから」と神徳先生。







煙突が入ったら、断熱と煙突固定のためのパーライトを詰めます。二袋位、相当入るものです。

「こぼさないで〜。はいカメラ目線ね!」神徳講師は必ず周りを笑わせてくれる人。災害時、どんな状況下でも笑いさえ忘れなかったら、何とかなる、と思うと、こういう方は大事です。私もこういう人になりたいなあ〜。


細い小さな木っ端を入れて火を付けました。落ち着くまでは煙が出ます。

女性たちが鍋の底に水溶きしたクレンザーをたっぷり塗ります。このひと手間が大事。このおまじないをしておくと、どんなに煤のついた真黒鍋もタワシでこすればサッときれいになる。越谷女性から暮らしの知恵を教わりました。


墓参りの水をくむところで、お米を炊く用意。ビニールに一合のお米と一合の水を入れて、このまま鍋のお湯に入れて炊きます。









越谷は野菜の産地。立派な長ネギ、椎茸、小松菜。これで豚汁を作りましょう。

たくさんあるネギにベーコンを巻いて、焼けば美味しいよ〜。だんだんキャンプの雰囲気になってきました。





3台の出来立てロケットストーブがフル活動。薪はほんの少しでゴーッと火が立ち上るので、お湯はグラグラです。

頼もしい感じ。これならお風呂に入れなくても、川の水を沸かして身体を拭くくらいのお湯はすぐに作れますね。




この間に、一斗缶で作るロケットストーブも作ります。これは実に簡単。サクサクッとできました。










味見の時だけ登場の方もいます。越谷女性軍の手作りお味噌がまた美味しいこと。

野菜の味と味噌の味で、出汁などいらないくらい。







蒸しパン粉を水と一緒にビニールの中で湯煎して、おやつも出来上がりました。










9時から始めて、12時にはランチ。調理ストーブを作るところからなのですから大したもんです。

一度でもこういうことをやっておくと自信が着きますね。お湯を沸かせば湯煎でお米も炊ける、ケーキも作れる。綺麗な水が無ければ、缶コーヒーでも缶入りトマトジュースでもお米は炊けます。湯煎に使う水は汚くとも、缶入り、ペットボトル入りの水分でご飯は作れます。

一家に一台、ロケットストーブがあれば、電気やガスが止まった時も心強いでしょう。ロケットストーブの考え方は、まさにスローエネルギー。自分に必要なエネルギーは自らの力で、と強く考えさせられました。

朝は知らない同士だった皆さんが、終わるころにはお仲間に。一緒に何かを作る作業は人を近づけますね。身体も心もホカホカした越谷でした。

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ゆとりある記 静岡でお茶を思う 2019/11/11 12:07 pm

静岡市で開かれた「世界お茶まつり」を覗いてきました。“世界”というだけあって「世界の路上茶体験」「国際シンポジウム」「汽車土瓶と茶の木人形の展示」など、内容は本格的です。

ペットボトルのお茶が当たり前になり、家族で「お茶にしようか」と急須でお茶を淹れる機会が無くなっています。

お茶は単なる飲みものでなく、いい時間を作ってくれるものとあらためて思いました。
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春と秋とお茶まつりがあり、「世界」と付くのは数年に一回だそうです。ちょうどよいときに静岡に用があり、立ち寄ることができました。








東静岡駅にあるグランシップという施設、以前、静岡に住んでいた者としてはなつかしい。

建物の外も中もお茶一色の催し。もっと時間に余裕をもって来るべきでした。






いきなり茶の樹の販売。

これを買って帰れば、我が家の窓辺でも茶摘みができるのでしょうか?フライパンで炒る、釜炒り茶なら作れそう。







なつかしい手もみの技。熱い「ほいろ」の上で、しわの深い手が動きます。それぞれの揉む動作に名前があって、役割があります。

今の時代に、まだこういう伝統が残っているのが嬉しい。針のように細くまで揉み上げたお茶は高級品です。つまんで食べれば、ポリポリと美味しいもの。



世界の路上茶体験コーナーで「ウズベキスタン」のお茶を体験。

茶葉は緑、これをティーポットに入れて、お砂糖を少し、お湯を注いで、さらにレモンを半分搾ってから、ポトンと入れてしまう。ま、レモンティーですね。

取っ手のない、湯のみのような茶器でいただきました。


展示物を見ると、これは楽しいお茶のサッカーボール?お茶の花とお茶の葉がパッチワークのようになっている。

サッカー王国静岡ですから、こんなボールが本当にあってもいいくらい。可愛いデザインで、ほしくなります。




世界各地のお茶、発酵茶や碁石茶や。お茶を飲む場の設えがあったり。茶席がいろいろあったり。何冊もの本を読むくらいの濃い情報です。

なかでも気に入ったのは「茶の木人形」。お茶の木を彫りあげた茶娘。根付に使われたとかで、小さい。なんともかわいいのです。江戸から明治にかけて作られたとか。知りませんでした!

頭のなかにお茶のことがいろいろ詰まった状態で友達の事務所(そふと研究室)に行くと、茶箱とふるいが積んであります。

これは展示物ではありません。もうやめてしまうお茶屋さんから引き取って来たとか。ここはお茶をテーマにしたツアーを企画しているので、こんなこともあるのでしょう。

ほおっておけばゴミになってしまう貴重なお茶文化です。茶箱は買いたい人があるでしょう。ふるいはドライフラワーと一緒に壁に掛ければインテリアになります。

友達が仕事を片付けている間、お茶について考えました。少し聞くことができたシンポジウムで話されていたこと。

お茶離れが進んでいるけれども、ペットボトルのお茶でかろうじてお茶が飲まれている。これからプラスチックごみが問題になって、ペットボトルが消えていくと、お茶は生き残れるのか?

かつてお茶のペットボトルが売り出されたときに、静岡では「ただで飲めるお茶をお金を払って買うのか」なんて話題がありました。

静岡ではどこも茶畑で、お茶は「ある」ものでした。食堂に行けば美味しいお茶が当たり前に出てきていたのですから、そう思うのも無理はありません。

それがいつの間にやら、会議のお茶は全国的にペットボトルになり、家でも大きなペットボトルのお茶が使われるようになり、急須の出番がなくなりました。茶葉を買う人が少なくなっています。

日常茶を茶葉を使って急須でだす人は減って、葉でだすのならこだわりのあるブランド茶とか、有機農法茶とか、玉露とか、特別なものを求めるのではないでしょうか。特別な時にそれを淹れる。ペットボトルか高級茶か、2極化しているように思います。

でも、それも寂しい気がします。「おーいお茶にするか〜」なんて言葉が日常の中になくなって、リーフは高級品だけになるとは。

最近は「お茶する?」という呼びかけは、カフェに行ってタピオカなどをすする行為となる始末。

お茶のみ友達、お茶の間、お茶漬け、お茶うけ、茶柱なんて世界はペットボトルでは創れない。お茶を飲まなくなった私たちは、一緒に大事なものやことをなくしてしまったのかもしれません。

せめて夫婦で、家族で、仕事場で「お茶にしましょう」と呼び掛けて、お茶を葉で淹れたいものです。細い葉がお湯を含んで広がって、時間とともに香りたち、うまみと甘みと渋みのある緑の液が出来上がり、それを均等に何度も少しずつ注いでつぎわけて、憩いの時間を分かち合う。

そんな生活習慣を取り戻せば、少しはこの日本が良くなるのではと思うのです。

と、まずは自分に淹れたお茶。少々出がらし、急須はネットのあるガラス。ま、これでもいい、、、から始めます。

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ゆとりある記 阿寒湖 「カムイルミナ」 2019/10/27 2:09 pm

北海道阿寒湖温泉、夜間、森に映し出されるデジタルアートのアトラクション「カムイルミナ」を観てきました。闇の中1.2キロを、光る杖を頼りに歩きます。

自然を敬うことを忘れた人間たちが、神・カムイから飢饉という罰を受け、許しを請うまでのお話。

国立公園でこういうショーをやるとカムイの怒りに触れそうですが、それ以上に強いメッセージ、感動を得ました。
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阿寒湖温泉とのお付き合いは、釧路市と合併する前から。20年近くになるのでしょうか?

どんな観光地にしていくのかの計画を作る会合に参加したり、まちづくりのワークショップをやったり、女性のグループを作って様々な試みをしたり。

今回は「NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構 グランドデザイン懇談会」という会議に参加しました。そして、会議以前、前日に、今年始まった「カムイルミナ」を観るというのが大事な役割でした。

湖近くに「ボッケ」と呼ばれる、温泉が泥の中からボコッボコッと湧き出しているところがあります。その近くまで行くと、地面が多少熱く、生きている地球を感じる場所です。

そこへ続く散歩道は気持ちが良く、これまでに何度も歩いたものです。

辺りが暗くなるまえに、プロジェクションマッピングなどが仕込まれた森は、どんなふうになっているのか、見に行きました。


おやおや?すぐにこんな機械が見つかりました。苔のような感じのもので覆ってはいるのですが、あら捜しをしようとしている私にはすぐ見つかってしまいます。

セリフや音楽や、映像、光、等々が展開されるのですから、そりゃあいろいろな物が仕込まれているわけです。



初めて散歩する人は気づかずに歩いてしまうでしょうが、ふとのぞき込むとこんなライトが。

しかももう夕暮れで、これから始まるショーに向けてのリハーサルをしているらしい。だから自然のままのお散歩は、無理な時間帯に入っていたのでした。




ボッケの沼にももはやレーザー光線?の青い色が揺らめきます。音もなっています。

ショーのまえにわざわざ見に来る私もたちが悪いのですが、「16時半からはアトラクションに向けてリハーサル中です。多少光や音でご迷惑おかけしますがお許しください」なんて立て看板が、ところどころにあればいいのに。

今期はもうすぐ終了なので、この辺は来年の課題でしょう。

そうこうするうちに日が暮れて、お夕飯もしっかりいただいて、ワインも飲んでほろ酔いで、いよいよ「カムイルミナ」の観賞となりました。









地元のお嬢さんが、諸注意などをしてくれます。持って歩く特殊な杖は「リズムスティック」といって、下の方はピカリと光って足元を照らし、上の方からは音が出るという優れもの。

説明をするお嬢さんは、なんとなく誇らしげ。日本で初めて国立公園で行われているこのアトラクションはやはり自慢でしょう。

ただ温泉に入って帰る観光地なら、こういうお嬢さんがおしゃれに働くチャンスも少なかったはずです。芸術性の高い観賞にたえうるものがあることが、これからの観光地には大事なのですから。


このゲートから歩きはじめます。

なんとなくヨーロッパのおとぎ話に出てくるような雰囲気、デザイン。杖を突きながら歩く私たちは森の探検家のようです。







早速フクロウが現れました。フクロウが語ります。カムイの世界にカケスを使いにやって、人間界のことを許してもらわねば。

本来、自然をいただけば、人間は感謝しその命に敬意を払い、必要な量だけをいただいてきたのでした。

それが採りすぎ、感謝もしなくなった。カムイは怒られたのです。この物語はアイヌの伝説にあるものです。


森で鹿に矢を放っても、鹿は受け止めてくれなくなった。それだけでなく、カムイの世界に消えて行ってしまった。

童話のようなのどかな世界ではありません。映っているものは美しいのですが、「人間たちよ〜〜〜!」と私たちはフクロウから厳しくお説教をされているような気になってきます。

「すみません」とつい思います。数日前には各地が洪水になったばかり、これは私たちの愚かなライフスタイルに起因していますもの。カケスを応援するために、急がなくちゃと進みます。


緑の大きな球体がありました。阿寒湖の自然を象徴するマリモです。

マリモはどうやら私たちの味方をしてくれるようです。「ドンド ドン ドン ド ドン」と独特のリズムで音が響きます。

「人間たちよ マリモのリズムを刻め」フクロウからの指令です。カケスを応援するリズムは、マリモのリズム。

マリモが少しずつ時間をかけて大きくなっていく、そのリズムに私たちはもっと耳を傾けなくてはならない。急に大きくなるなんてできないことを、私たちは知るべきだったのです。

ボッケの沼は血の海のような怖い世界になっていました。神の声が聞こえます。

「人間たちの生き方を改めるように願う。動物たちはカムイの世界に避難してきている。

人間たちは飢えに苦しむだろうが、感謝の気持ちを持たないものへ自分たちの命は捧げられないと。礼節を失った人間による不条理に耐えられない」

ボッケからの湯気と硫黄の匂いが、その言葉を包みます。厳しい突き付けは、国連の気候行動サミットでスピーチしたスエーデンのグレタさんを思い出させます。


人間たち、私たちは、一所懸命に「マリモのリズム」を杖で刻みます。

大勢が杖をドンドンしている様子は、皆でお経を唱えているような雰囲気にも思えます。

そうこうしていると・・・。


最後のシーンとなりました。カケスと私たちの願いが通じ、森の動物たち、魚も戻ってくるのでした。

フクロウは言います。

「動物たちが戻って来た。やったぞ!皆の助けが無ければなしえなかった。

今宵学んだことを忘れてはならんぞ。そして周りの人々に伝えるんじゃ。

次は神々もそう簡単にはお許しにならんだぬだろう。ありがとう。本当にありがとう」

とてもほろ酔いでご機嫌にキレイキレイと観る内容ではありません。重い反省の気持ちを抱えて宿に戻ることになります。こういうメッセージを真正面から伝える観光地は、勇気があると思いました。

そりゃ、少しの自然破壊はあるかもしれませんが、身を切ってまでも、いま阿寒湖の人たちが自然との共生を伝えたいのだ、と理解しましょう。

数か月間、森の中にライトやスピーカーを仕込む位、ゴルフ場を造ることに比べたら可愛いものです。阿寒湖温泉に来て、温泉に入ってお酒を浴びるほど飲んで、湖さえ眺めないで帰る観光客はまだまだいるでしょう。

でも、この「カムイルミナ」を観た若いカップルや家族連れは、何かを持ち帰り、暮らし方を少しずつ変えていくのではないでしょうか?そういう提案のある土地に阿寒湖はなろうとしているのでしょう。

メッセージを出すのなら、阿寒湖温泉も観光地としてカムイに怒られないように真剣に取り組まなくてはならないでしょう。世界の人がやってくる阿寒湖です、ウソはつけません。

杖から聞こえていた「フーンコ フンコ フーンコ フンコ♪」という声は、アイヌの女性がフクロウの鳴き声を唄ったものだそうです。これはマリモのリズムと同じです。

この夜、目をつむっても、この唄とリズムが私の身体を巡るのでした。

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ゆとりある記 ベンガラの里で 2019/10/05 2:38 pm

岡山県高梁市「吹屋ふるさと村」。銅山とベンガラの生産で栄えた街並みや、ベンガラ製造を学べる「ベンガラ館」などがある産業観光施設です。

これまで京都でベンガラ格子のある料亭などを見る機会はありましたが、ベンガラそのもの知る機会は初めてでした。

この真っ赤な顔料は、山深い集落に富をもたらしましたが、働く現場はなかなか大変だったようです。
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そもそもベンガラとは何か?をひもどくと、天然には赤鉄鉱として存在するそうです。旧石器時代の洞窟などの赤い絵がこれによるものだとか。

インドのベンガル地方で産出したことから、「ベンガラ」と呼ばれるようになったそうです。日本でも天然の物が古墳の石室の絵に使われ、神社仏閣の建物に塗料として使われてきました。

耐久性に優れていたからです。また赤い色が魔除けや再生の意味を持っていたともいわれます。

そのベンガラを、人工的に造ったのが岡山県中西部、高梁市の山間、吹屋の地でした。






もともと銅山でしたがその副産物である硫化鉄を使ってローハというベンガラの材料にし、これを焼いて酸化させて赤いベンガラを造ることに成功しました。

明治維新後は様々な制限がなくなって、民家の装飾にも使われだします。建築に使われる以外には、有田焼の赤絵などに使われ、ベンガラは日本中で求められます。

1700年代の初期から、吹屋は日本唯一のベンガラ産地として繁栄し続けます。標高550mというこの山村に、昭和の時代までたくさんの人が働き、多くの荷物、お金が動いたのでした。

当時を忍ばせる豪邸が並び、石州瓦の屋根が連なります。国の重要伝統的建造物群保存地区、いま、吹屋は観光スポットになっているのでした。

昭和40年代まで使われていたという工場が再現されて見学できるようになっていました。

どこもかしこもベンガラ色です。








なかなか工程は複雑で、簡単ではないのですが、手前右のローハというものが、やがて奥の赤みを帯びたものに変わっていくのでした。








ローハという材料を、「ほうろく」に朴の葉を敷いた上に盛り、それを窯の中に200枚位積み上げます。松の薪を燃やし、数日700度を超す温度を与えると、赤い色があらわれるのだそうです。







ベンガラとは「弁柄」と書きます。何とも綺麗な、鮮やかで、重みと温かみのある赤です。










窯の次の工程では、ベンガラを水で洗い、不純物を取り除き、水車の力で回す石うすで細かく挽くというもの。

そして、さらには酸を抜くために、何度も水をくぐらした後、天日で乾かし、さらに粒子を整えて、型に詰めて出来上がり。簡単に言えばこういう手順となります。




ベンガラは、一斤いくらという形で取り引きされたようです。工場から商家に移されたベンガラは、完成品として整えられ、蔵に保存されました。







柿右衛門の赤絵も、このベンガラなくしてはありえなかったのでしょう。










かつては黒くすすけていた民家も、明治以降はベンガラで赤くおめかしができるようになった。

色を使える自由さが、西日本の民家を鮮やかにしてきたのでしょう。







観光客はベンガラ染め体験などができます。

都会暮らしには珍しい、古来の色を持ち帰ることができます。








私は、こんなスカーフのプレゼントをいただきました。

赤い色と、グレーとが、ベンガラと山の土、窯の煙などを連想させ、使うたびにこの地を思い出すことでしょう。






情緒を感じる吹屋の町並で、観光をしながら楽しむのはいいのですが、ふと思います。

こうした産業の影には、必ず苦労した人々がいることです。ベンガラを造る工程図に必ず出てくるのが、女性の労働者。

ある人が語りました。「みんな上から下まで真っ赤になってね。それに身体もこわしてね〜」

硫酸が含まれる、煙や水、それにまみれて女性たちが造った美しい赤い色。

そんなことにも思いを馳せる、私たちでいたいものです。

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ゆとりある記 珈琲サロニカ 2019/09/23 9:48 am

岡山県新見市のこの喫茶店、微細に挽いた珈琲豆を濾過せずにお湯で煮てとろりとしたものを飲む、ギリシャ珈琲なるものを出してくれます。そのお点前の面白いこと。

さらに「店主へ話しかけると話が止まらなくなります。ご用心」などの“お願い”がメニューに記載。なので、つい、話しかけてしまいます。

でも、倉敷にあった初代サロ二カからのお話は、うかがう価値ある物語でした。

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新見市街地から少し奥まったところ「隠れ家的な店があるのよ」と、この日訪ねた大先輩が連れて行ってくださいました。

どんなお店だろう?とついていくと純和風のおうちに隣接して、これもまた和の雰囲気の小さなお店がありました。




「珈琲サロニカ」、ステンドグラスの灯りが落ち着く店内です。

「このお店に来たら、これを飲んで!というメニューがあればそれを」と失礼な頼み方をすると、お店の奥様が「ギリシャ珈琲というのはいかがでしょう?」と。


迷わずそれを頼みました。


「ミルで最細挽きにした後、さらに、手動で真鍮製のグラインダーを使って極細にします」とメニューを読めばわかるのに。

カウンターの中で何か不思議な所作が始まった!と私は駆け寄ります。そのグラインダーで、ぐりぐりとご主人が粉をさらに細かくされています。お濃茶を練るよな手つき、まさにお点前のよう。


その後、可愛い片手鍋に珈琲粉、ビーカーで測られた水、砂糖、レモンの皮が入り熱せられます。

沸騰寸前で火からおろすをくり返し、最後に茶こしでこすと出来上がり。






小さなカップの底に、当然粉はたっぷり溜まるのですが、その上澄みをそろりといただく。

濃い。珈琲の香りと味が顔中に満ちて、耳から噴き出すみたい。

ママレードがひとさじ、ご機嫌を取るかのように添えられていて、濃い珈琲味を途中で和らげてくれます。


ご主人がグラインダーを見せてくださいました。

重いです。

「だから、粉をするのに力はいりません」とのこと。こんな道具があるんですね。





おしゃべりしながら、じわりじわりとすすっているうちに、最後の粉だけになりました。

これをまた首をそり返して、最後の一滴も口に入れたい、となります。






この「ギリシャ珈琲」を出すようになったいわれを話してくださいました。

ご主人は中学校の先生をされていましたが、そもそも先生になれなかったら喫茶店をしたいと思っていたそうです。

お仲間が集まる喫茶店が倉敷にあってそれが「サロ二カ」、このギリシャ珈琲を出されていたそうです。事情があり倉敷のお店はなくなりましたが、定年し、お店を始めるここのご主人が、その名と味を受け継いだというわけです。

珈琲についても学び、試行錯誤を繰り返し、倉敷の「サロニカ」の方にも試飲して頂きOKとなったとのこと。それほどの重さを持ってつくられるギリシャ珈琲だったのです。

ステンドグラスのランプやドアのカウベルなども、倉敷から受け継いだとのことでした。

「珈琲好きにゆっくりしていただきたい」というこのお店には、“ゆっくり”の仕掛けが満ちています。

どうしてもゆっくりしたくなってしまう椅子とテーブルは、業務用ではなく普通のおうちのリビングなどに使うもの。だからくつろげます。

テーブルの上には万華鏡や、いたずら小箱。そして季節の花、この日は吾亦紅など。

そしてメニューにある「お願い文」これが愉快です。「ケーキ、お菓子、おやつ等に類するものは自由にお持ち込みいただいて結構です。もちろんお持ち込み料は無料です。ただし、店主へのお気遣いから、店主にご用意されることのないよう、よろしくお願いします。中性脂肪が若干高めとなっております」



さらに続きます「店主への話しかけは、必要最小限にとどめられることをお勧めします。安易に話しかけますと、話が止まらなくなる恐れがございますので、ご用心ください。それでも話しかけてみたいという好奇心と勇気をお持ちの方には、昔話・笑い話・怖い話・くだらない話・手品等、そこそこ取り揃えております。無料です」



こんな「お願い文」を読んだら、誰もがクスリと笑い、話しかけたくなっちゃいますよね。

珈琲にもいろいろあります。100円でコンビニで買いサッと飲む珈琲。混んでいてテーブル越しに会話の声も聞こえないなか、あわただしく飲む珈琲。外に行列ができていたりすると、東京では、お金だけおいてとっとと帰れと、という雰囲気まで。なかなか珈琲と“ゆっくり”はセットで体験できません。

ご主人と奥様がニコニコしながらおっしゃいます。「お客様の回転や、利益率を考えるお店では、それが大事なわけで。それはそれでいいと思います。うちは私たち自身が“ゆっくり”したいんです。だからこういう店なんです。」

「サロニカ」とは、ギリシャの港町の名だそうです。ストレス一杯の世間の荒波にもまれて疲れたら、新見のこの店にしばし錨をおろし、ギリシャ珈琲の味とともに、ここで“ゆっくり”を補充して、また旅だちましょう。

大先輩が私をここに連れてきてくださったのは、そういうことだったのかもしれません。2時間も話し込んだころ、「昆布茶もどうぞ」と、備前焼の器が運ばれてきました。

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ゆとりある記 オープンガーデン 2019/09/16 1:23 pm

各地でオープンガーデンが盛んです。個人のお庭を一般に開放する活動。42軒が参加の長野県須坂市で、小林友子さん宅に伺いました。

秋で花は少ないものの、庭のあちこちにベンチや水の流れがあり、来客がゆっくりできるようになっています。特産のフルーツを使ったお茶も。

「私はとにかく人が好きなの」と小林さん。庭だけでなくオープンハート活動なのだと思いました。
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JR長野駅から長野電鉄で20分ほどで須坂駅。駅前には花壇があり、ここが花でまちづくりを進めていることを主張しています。









中でも目を引くのは「信州須坂オープンガーデン」の活動。市民と行政とが協働ですすめ、今年で15年目だそうです。

参加しているお庭はパンフレットにエリアごとに整理され、マップも詳細でこれなら個人でこのパンフレットを頼りに回れるなあ〜と思いました。



今回は一軒のお宅を見せていただくだけ、ゆっくり来るのはまた今度です。

うかがったのは一見純和風のお宅。ところがお庭は洋風なのでした。






うさちゃんの置物と「ウェルカム}の看板が。

ごめんくださいと入ると、このお庭の主、小林さんが「いらっしゃ〜い」と現れました。







細やかな説明が始まります。「ここのレンガも私がやったの。もとはこの庭は純和風だったんだから〜」

ビックリです!バラを中心としたイングリッシュガーデン風なのに。







「子育てが終わってね、一段落で何かしたくなったの。それまで庭なんて興味がなかったのに、たまたま本屋さんでガーデニングの本を見つけて。それから急に燃えちゃって」

庭石を配し、池があり、芝生の広がる日本庭園をどんどん変えていったのだそうです。



道に面しているので外を行く人も楽しめるように、バラはからまり、リンゴも実っています。










小林さんがいなくてもわかるように、植物にはほとんどすべて名札があります。

しかも庭を邪魔しない、グリーン。








バラをからませる垣根は、建築資材を活用したもの。

あれもこれも手づくり、見ているだけで庭造りのノウハウが分かります。







チョロチョロ音をさせて水が流れる装置が合ったり、まろやかに流れる水を眺める装置があったり。

ご主人も定年退職後、奥様のガーデニング熱に巻き込まれていったそうです。






ふと見るとテーブルと椅子がある、だから落ち着いて庭を楽しめます。










「お茶どうぞ〜」と小林さんの声。

フルーツのまち須坂のリンゴやブドウが、たっぷり入ったお茶です。きけば果物に熱湯をかけて一晩おくとか。果物の甘さと風味がでた独特の飲み物。

美味しくて3杯もいただきました。




「日本全国から来てくれるんです。年間?数えたことないけどバスで来る方もあるから2000人位かなあ」

そのいらした方々を写真に収め、コメントをつけてファイルにするのがご主人の役目。ファイルはここあるのはごく一部、膨大になります。



そんなに人が来て、普通ならプライバシーがないとなりますが、「私、人に会うのが好きなのよ〜」。海外の方もみえるそうです。やたらな観光施設よりずっと集客力のあるお庭ですね。

やることがあって、人に会い続けているお二人の若々しいこと。






我が庭と抱え込まないで、外の人を常に意識する、さらに我が町をいいところと思って帰って、また来てほしい・・・と語るこういった市民が育つこの仕掛けは、全国に広がるといいと思います。

庭を開けば心も開く、そしてまちも開けていくということです。


帰りがけに「ブドウをつまんで行ってよ」とご主人。いつまでも甘酸っぱいさわやかな味が残りました。

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ゆとりある記 2つのお花見 2019/06/16 2:20 pm

雲仙市小浜で、いま「ジャカランダ」という青紫の花が見頃です。

世界三大花木のひとつ、アフリカから50年前に種が届き、温泉で地面の暖かい小浜で上手く育ったようです。

市の木「ヤマボウシ」も見頃。花のようにみえるのは総苞片という葉の一種ですが、奥雲仙の草原で真っ白に咲く様子は雲のようです。

東京では経験できない、温泉地ならでは、高原ならではの花見でした。
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ジャカランダは葉はねむの木のようで、花がなくてもなかなか風情のある樹形をしています。

夕日で有名な小浜の海岸沿いに植えられ、シルエットはいい雰囲気。いつか花を見たいと思っていました。





今回見事に、開花時期にうかがうことができました。

かつて花の咲いたこの樹を見た人が「紫雲木」と呼び、日本に紹介したというのが分かります。

大木はこんもりと紫の雲のようにみえました。




知人がアフリカに行ったときに、「街路樹で青紫の花の咲く樹があり、それはそれは美しく、日本の桜並木のようだった。」と写真を見せてくれたことがあります。

海辺の温泉、小浜のまちも、そんな風景になりつつあります。





近づけばこんな花。藤のようでもあり、スミレのようでもあり。ひとつひとつが筒状になっている。

ふんわりと香りもしています。








説明看板と顕彰碑がありました。

ジャカランダの原産地は南米ブラジル。南米やアフリカ、オーストラリアなどでは、街路樹や公園樹として植えられている世界三大花木のひとつ、とあります。

日本でこの花が咲く街は、雲仙市と日南市、熱海市ということでした。


50年ほど前にアフリカ諸国の政府顧問をしていた南島原市出身の方が、ジャカランダの種をこの地に贈った。

それを、既に故人となられた元小浜町長はじめ、たくさんの方々が、育て増やしてきた。今も、地元の方々が大切に苗を増やし、植え続けているのだそうです。



開花情報を確かめてやってきたという観光客が、盛んに写真を撮っています。私もその一人。

道路の向かいのパン屋さんにはたくさんの鉢植えが。やがてあの苗も、この温泉街を飾っていくことでしょう。






翌日うかがったのは、奥雲仙田代原。牛の遊ぶ高原です。

ここに市の木、ヤマボウシが咲いているというニュースを見て連れてきていただきました。







キャンプ場の中に大きなヤマボウシが、満開です。

標高500mくらいのところを好むというヤマボウシにはここが適しているのか、今までこんな立派なヤマボウシを見たことはありません。

こちらもまた白い雲かと思えるような姿で、何本もそびえています。


ヤマボウシの花にみえるのは、蕾を包む「総苞片」という葉と同じもの。その中心にあるのが本当の花です。

枝の葉の上にこれがついているので、大木であればあるほど近くに寄ると白い部分がみえなくなってしまう。綺麗なものは遠くから眺めましょうということでしょうか。



黒い牛が草を食む草原の向こう、緑の中にあっちにも、こっちにもヤマボウシの木が白く見えます。

なんとものどかな時間。








キャンプ場には地元の方々が「ニュースでみて」と見物に来ています。

キャンプをしなくても、やはり花は人を呼ぶ。







自分の住む土地で、ぶらりと出かければこんな花々に出会えるのは幸せですね。

東京の樹々は窮屈そう、ビルに囲まれ、公園でも人だらけ。

のびやかに咲く花木をおおらかに眺める、こんな観光も雲仙市にはあるのでした。



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ゆとりある記 キウイフルーツカントリー 2019/06/10 11:57 am

静岡県掛川市の「キウイフルーツカントリーJAPAN」を久しぶりに訪ねました。日本最大のキウイ観光農園です。

個人農園、ちゃんと入園料があります。そのかわりキウイだけでなく、いろいろな動物と遊べ、散策コースやトイレにまで学べる仕組みがあり飽きません。茶摘みやケーキ作り、バーベキューも。

農産物は“物”だけではない、景色、知識、体験、笑い、繋がりも、と納得しました。

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うかがったのは5月の中旬。今の梅雨のような本降りの雨の日でした。

掛川の友人が車を出してくださったのですが、降りるたびにずぶ濡れになるワンちゃんにはご迷惑をかけました。





10数年ぶりの「キウイフルーツカントリーJAPAN」、観光農園とか、着地型観光とか言われる前から、キウイの出荷だけにとどまらず、農業の可能性にチャレンジして来た農園です。







普通の農家の農園は、入るのにお金をとらない。もぎ取りなどやるときだけお金をとる。というのが多いのですが、ここは年中とります。

入園したらそれだけの価値のある時間を提供できる、という自信があるのでしょう。

こんな雨の日にも、私たち以外のお客様があります。


入口のショップでお支払い。もうこの時から、キウイワールドが始まります。よくぞこれだけの“キウイもの”を集めたなあと感心。

手作り風のショップの壁には、キウイの葉っぱ、枝が押し付けられて、キウイフルーツの柄になっていました。ひと工夫ですね。




スプーン1杯のキウイフルーツの種をアメリカ旅行から持ち帰り、この農園を築いてきた園長の平野正俊さん。

久しぶりなのですが、ファッションも雰囲気も昔と変わっていません。

ちょうど開花の時期で、受粉に忙しく眠い中をご案内いただきました。

この農園にはキウイフルーツが80種類もあるそうです。次々と新品種も作りだしてきました。

20年前、まだ世の中に緑色のキウイばかりだった頃、ここで黄色いキウイ、中が赤いキウイ、水滴のような形のキウイ、ウインナソーセージのように細長いキウイを見て、味わって驚いたものです。



巨大なビニールハウスのなかでは、キウイの葉の下でお弁当を食べたりバーベキューをしたりできます。コンサートやイベントも開かれます。

足元に敷き詰められているのはキウイの枝のこま切れ。ザクザクと踏むといい感触。



2002年にNPOスローライフ・ジャパンが最初の「スローライフ・フォーラム」と「スローライフ月間」を掛川市民の皆さんとやったことを思い出しました。

「ここで築紫哲也さんなどたくさんの人が、掛川名物の“イモ汁”を作って食べたよね」と平野さん。そうでしたそうでした、ここでそんなことをやりました。

当時なかったのは、後ろの方にずらりと並ぶトラクター。平野さんの趣味でいろいろなトラクターや農機具が集められ、展示?されています。子どもたちが乗って遊んでいるとか。

トラクターなど見たこともない都会っ子は、さぞかし喜ぶことでしょう。


たまたまうかがった時期が花の季節。思いがけずキウイフルーツのお花見となりました。

「受粉すると、キウイは花や茎が桃色に色づくの」と平野さん。なるほど、ほんわりピンク色になった色っぽい花々があります。

キウイの花と葉が、雨に濡れてキレイキレイ。


雨など気にせず、広大な園地をお散歩です。雨でも気持ちがいいのですから、お天気ならば虫取りや、観察や、森まで入ればジャングル遊びや、いろんなことができますね。

それにしても胸の丈ほど草が茂っています。「うちは除草剤は使わないから。草は味方」と平野さん。



草はこのように機械で刈り取って、そのまま土を覆い、キウイの根のお布団に、栄養になるわけです。

この辺も、昔からここがこだわってきたこと。考え方はブレていません。






散策道の途中にはいろいろなクイズがあります。「キウイのしゅうかくするきせつはいつかな?」「キウイの種はいくつくらいでしょう?」

え〜と、、、、。考えながら歩きます。

子どもも大人も知らず知らずに、キウイや動物のことを覚える仕掛けになっています。


キウイエリアを超えて高台まで行くと、草がなく木が転がっているところがありました。

「ここは羊のお仕事場!」だそうです。???

つまり、ここに伐った木をほおりこんでおくと羊がセッセと樹皮を剥き、食べてくれるのだそうです。すごい消化力!



お仕事の結果がこれ。いい仕事してくれますね〜。

山の木を伐って、こうしてまた何かに利用する。ここではそんなことをずっと続けてきたのでしょう。

途中の草原が、結婚式を挙げる広場にもなっている。ウエディングゲートも手作りで建っていました。



園地のてっぺんまで行くと、掛川らしい茶畑が広がります。最近は高齢化で茶園ができなくなり、「やってくれないか」と相談があるそうです。

美しい茶園も、茶葉の収穫だけでは成り立たない。後継ぎもいない、行き詰る農業の問題を抱えているのでした。

平野さんのところでは、お茶摘み体験やお茶づくり体験をこれまた20年近く前からやっています。外国人の方は茶娘の恰好をしたがります。

春から秋まで、それなりのお茶体験ができるプログラムが用意されている。だから、いまキウイの実は実っていなくても、お茶体験のお客様が多いそうです。

羊、ヤギ、豚、アイガモ、ザリガニ。まだいろいろ遊べるのですが、我々はハウスでキウイを食べる方を選択。「お好きなだけどうぞ」、細長い「香緑」という珍しいキウイが美味しい。

緑に囲まれて動物を身近に、身体にいい甘酸っぱい味を口にしていると、初対面でも仲良くなります。キウイ茶会は長々と続きました。


この園のあちこちにあるメッセージはすべて手描き。「○○禁止」なんて言葉ではなく、子どもにわかる優しい言葉と絵。目にするたびになんとなく笑みがこぼれます。

来園すれば自然に顔が緩む。同行した初めての方は「参考になることだらけでです」と目を丸くしながらも、久しぶりにストレスを忘れ、伸び伸びと解き放たれたかのようでした。



トイレに行って「なるほどね〜!」と私は声を上げました。羊の小腸は26〜28mもあるのだそうです。だから、木の皮も旺盛に食べちゃうんですね。

と、ここでは、トイレでもひと学びできる工夫がありました。

ただ儲けるだけでなく、農園存続のためだけでなく、ここでは平野さんがとことん遊んでいる、楽しんでいることが園の雰囲気を創っているようです。しかも彼はものすごく勉強もしている。英語を自由に操る、冒険少年農業者です。

報徳思想の強い雨の掛川で、久しぶりにいい時間を過ごしました。

キウイフルーツカントリーJAPAN
https://kiwicountry.jp/

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ゆとりある記 お茶ツーリズム 2019/05/19 2:18 pm

緑きらめく静岡市の茶園で、お茶摘みをし、お茶の飲み比べをし、珍しい茶ソーダやすすり茶を味わう90分の「茶旅」を体験しました。

「そふと研究室」というところが企画するオーダーメイドのお茶ツアー。時季・人数・時間・やりたいことにあわせて、細やかにコーディネートしてくれます。

終了後さらに体験したのは、静岡名物のおでん。もちろんここでも焼酎のお茶割でした。
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静岡市街・浅間通りにあるのが「そふと研究室」、「リベロツアー」という旅行センターもやっています。

まちおこしのコンサルタントのような仕事やイベント企画までいろいろなことをやる研究室ですが、数人の女性で運営。

少人数・オーダーメイドの旅を「はいはい、なんでもまずはご希望をうかがいましょう」とお客側のわがままを聞いて、できる限りかなえるという方針とか。


今回はたった3人で、時間は少なく、ちょっぴり体験したい。お茶ツーリズムの濃いところだけを。というわがままをお願いしました。

朝、市街地からほんの20分、見事な茶園に連れて行っていただけました。スタッフで日本茶インストラクターの鈴木和恵さんが説明してくれます。

茶畑は分散してある。柿の木やシュロなどを目印に植えてあったり。一ヶ所だけ広くとしないのは天候で全滅などのリスクを避ける意味もある。急斜面の茶畑を70〜80歳代の高齢者が頑張って守っている。摘み取り20日くらい前から黒い覆いをすると渋みが出ずに旨みが増す。

と、一気にお茶の知識を吸収です。

刈り込んでいない自然仕立ての茶園で、さあ、摘んでみましょう!となりました。よく言う“一芯二葉(いっしんによう)”の摘み方です。

さらに鈴木さんからアドバイスが。“茎尻(くきじり)”は5ミリ程度にとどめる。長く茎を入れないこと。つまり茎茶になってしまうわけですね。

そして爪でちぎらないこと。お茶の樹はデリケートです。「爪を使わずともプチプチ折れますから」

せっかく茂っているのに、たったこれだけしか摘まないなんてもったいないと思うのですが、「この“みるい”ところが美味しいお茶になるんです」とのことです。

「?みるい?」これは、この辺りの言葉で、未熟な、柔らかいとかの意味。「あの子はまだみるいね」など人の評価にも使われるとか。

鈴木さんは函館出身ですが、お茶の魅力にすっかりのめり込んで資格もとり、いまやこんな静岡弁まで操っているのでした。

「そふと研究室」の代表の坂野真帆さん。実は、かつての私の部下?というか、アシスタントというか、をしていてくれた方です。

独立し、いつの間にやら旅行業務取扱管理者の資格をとり、いわゆる“着地型旅行”のかなり少人数のお客様にも対応、もちろんインバウンドにも対応する独自のツアーを生業にしています。

富士下山ツァーなんていうスローなメニューもある。

株式会社として続いていることにアッパレと思っていましたが、今回、初めて私は、お客としてうかがったというわけです。

胸までの緑のプールに入ったような感じ。目の前の“みるい”芽を摘みます。本当に簡単にプチプチ折れます。









とはいえ、本気摘みではありません。写真撮って〜とか、日に焼ける〜とか、カゴに全然たまらないよ〜なんて調子。









でも何か口に入るものを収穫するのは楽しいものでして「俺、全然興味ないよ、茶摘みなんて」と言っていたわが夫まで、「結構おもしろいな〜、できる、摘める」と顔をほころばし始めます。

鈴木さんのお勧めで、茶の芽を口に入れると、苦いのですが口がさっぱりとしました。



「この辺が一番写真に映えますよ」とおすすめの場所で記念写真です。

なんだかよっぽど働いたような雰囲気ですが実はカゴはまだまだ空っぽ。仕事として何日も、歌にあるように摘めよ摘め摘め♪という時代は大変だったでしょう。




はしゃいでいる大人たちを移動させるには技がいります。でも坂野・鈴木コンビが上手に「はい、移動しましょうね」と連れて行ってくれたのが茶園の持ち主である「森内茶農園」。

茶工場の横に車を止めて、江戸時代から続くというお宅にお邪魔しました。ここのお茶は日本はもちろんのこと世界的なコンテストでも金銀の賞をとっているそうです。

出迎えてくださったのは森内真澄さん。手もみ保存会の師範でもあり、日本茶アドバイザーを育てる講師、たくさんの資格のあるかた。

農家のお母さんというより、素敵なお茶カフェのマダムという雰囲気です。




玄関にあった茶刈り機を「ちょっと持ってみたい」と希望すると、森内さん「どうぞどうぞ、なんなら袋もつけましょうか〜?」ノリがいいです。この辺もオーダーツアーですね。

二人でもつこの機械はとても軽い、でも袋に茶葉がたまってくるとそれが重いのだそうです。



土間のカフェに座ると、この3点セットが出ました。きれいです!グラスのが「茶ソーダ」。お茶をソーダで割っているので、甘くなくさわやか。

続いていただいたのが「すすり茶」。上級茶葉の上に氷をひとかけのせ、自然に溶けた水で茶葉が開き、濃い水出し茶ができる、これをお皿を口に運びすするのです。初めての体験、濃くて美味しい大人の味ですね。

このアイディアは森内さんのもの。「家のどんな小皿でもいいからやってみて」と。実はこうした後の、生き返ったような茶葉に最後は「茶の実油」というオイルをかけて、岩塩も少し振りサラダのようにいただいたのです。これも衝撃的な美味しさでした。

イチゴとワサビの羊かんをいただいている間に、鈴木さんが4種のお茶を淹れてくれます。可愛い急須と湯呑を使って、そのお点前がお見事。








「香駿(こうしゅん)」というお茶だそうです。同じ種類の茶樹から、加工によって違う味わいのお茶ができる。

左が普通の煎茶、次が少し発酵した釜炒り茶、次がいわゆるウーロン茶、そして一番右が紅茶。左から順に飲んでいくと、大きな変化が分かります。お茶っておもしろいですね。


普段、ペットボトルのお茶をラッパ飲みばかり。そんなお茶の世界にどっぷり浸かった者には、ひさしぶりの旨味、香り、そして茶文化の体験です。

いい急須がほしくなりました。






森内さんのお茶の販売はすべて1000円、重さは様々ですが値段が統一してあるのがおもしろいしパッケージもかわいい。「私がお釣りの計算ができないから、ははは〜」と森内さんは笑います。







鈴木さん、森内さん、坂野さん、3人茶姉妹とすっかり仲良くなった90分。

また夏、秋、と遊びに来たくなります。本当は早朝茶市場見学もしたかったのですが、時期既に遅しでした。





こういう農村の日常の世界に入ると、観光施設とは違う時間が流れます。

駐車場の近くでは、ほかの農家さんがモミをまいて稲の苗を用意中。ひとこと二言の会話が思い出になります。





夕飯の後、たっての希望で静岡おでんの店40軒近くが並んでいるエリアに繰り出しました。これはもちろん自由行動ですが。

入ったお店は、もとバスガイドだったおばさまがやっているお店。昔の話が止まりません。ご一緒した女性客は台北からの一人旅、日本の全都道府県を回り静岡が最後だそうです。

おでん横丁にまで外国から個人客が来る時代、お茶ツーリズムにも外国人の方が多いのが分かります。そんな話を聞きながら、「静岡割り」という焼酎のお茶割りをいただいたのでした。


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ゆとりある記 本多木蝋工業所 2019/05/12 10:18 pm

木蝋で「もくろう」と読みます。長崎県島原市、日本でただ一軒、化学薬品を使わずにハゼの実を圧搾機でしぼり、100%純粋な木蝋をとり、和ろうそくを作る本多俊一さんを訪ねました。

ここの木蝋は1792年雲仙普賢岳噴火の後、島原藩がハゼを植えさせ蝋で財政再建したことに始まるそうです。

和ろうそくの揺らぐ炎は精神を安定させるとか。現代こそ、この伝統技術が必要です.
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島原鉄道大三東駅からすぐのところに、本多木蝋工業所はあります。工業所といえども、資料館、売店、作業場などが連なっている広いスペース、もとは住まいなどだった建物を利用しているので、はるか昔からここで木蝋がつくられてきたような雰囲気です。





作業場の方に入ると、いきなりハゼの実が山と積まれていました。ここが木蝋作りのところなのでハゼと分かりますが、山でこの実を見ても、ハゼ、蝋の材料とわかりません。私だけでなく、わからない人が多いのではないでしょうか。






それほどまでに縁遠くなってしまった木蝋を、本多俊一さん、美佐さんご夫妻が守っておいででした。

お二人とも学校の先生だった方、家業として本多さんのお祖父様から続いていましたが、それを「もう時代遅れだからやめよう」ではなく、「貴重な伝統産業工芸館にだから残そう」と思った、それが偉い。

やはり教師という職業上、何が大切かわかる。儲かる儲からないの基準でなく、守りたい!守るべき!の一念だったのでしょう。

ここでご夫婦は、木蝋を作りながら、木蝋がどんなものなのか、そして地域にどんな存在だったのか、生涯学習として伝える活動をされています。

昭和12年に製造されて、今も現役の「玉締め式圧搾機」。国内であと数軒木蝋を作るところはありますが、薬品を使って多量に蝋を取る仕組み。これは、江戸時代からの純粋な絞り方、唯一の技術です。






隣には、実際に江戸時代に使われていた絞り機の復元したものが並んでいます。今でも絞ることができるとか。噴火でやられた島原で、人々は必死に火山灰に強いハゼを植え、蝋を絞ってきたのでしょう。






ハゼの実は、砕き、蒸し、絞られます。その液を置いておくと、上に分厚く蝋の層ができます。奥様が包丁で切って見せてくれました。分厚い氷が張ったような状態です。







それを集め、丼?に流して固めたものがロウソクなどの材料のなっていくわけです。少し緑色を帯びた土色。

初めて見る独特の色です。木蝋はJAPAN WAXといわれ、ロウソクのほか、鬢付け油、口紅、クリーム、クレヨン、医薬品、減摩剤など様々に使われてきたそうです。



さすがもと先生と思える解説は、学習に来た人たちがわかりやすいようにつくられた、多様な展示資料で説明されます。









ハゼの木の芯のところの黄色い部部分は染料になり、美しい黄色のスカーフなど染める体験もできるとか。などなど、いろいろ学べます。








昔は、ハゼ畑があって、実をちぎって収穫する「ちぎり子さん」という仕事もあったとか。ハゼはかぶれると皆が嫌がるけれども、実を収穫時期のハゼはかぶれる成分を出さないので安心なのだそうです。






ここで作った和ロウソクに火を灯していただきました。なんだかあったかな、ユラユラする炎です。洋ロウソクは中に糸の芯が入っていてただ燃えるだけ。でも、このロウソクは中が空洞になっている。空気が通って、風がなくともゆらめくということです。





眺めていると、なんだかずっと見ていたくなります。この炎とずっと一緒にいたくなります。最近は仏壇で拝みこともなく、ロウソクを使っても危ないからすぐに消す、お線香にチャッカマンで火をつけてなんてことも多いのでは。

そうなると、ロウソクは遠いものになりました。バースデーケーキや、洒落たパーティーくらいしかロウソクの出番がありません。

だから、洋も和もない。その希少な和ロウソクの材料のハゼがどんどんなくなっている、なんてことも知りませんでした。

でも今回、本物のゆらめく炎を見ました。家庭内でざわめくことが多いなら、家族で炎を見つめる時間を設けたらどうでしょう。スマホのスイッチを切って、和ロウソクを見つめる時間を作りませんか。この炎と一緒に自分と向き合えば、ストレスは溶けていくことでしょう。

今の世の中こそ、和ロウソクの出番です。しかも薬品を使わない、安全安心な和ロウソクの出番です。

ハゼの木を植えたくなりました。

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。