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ゆとりある記 篠山時間を振り返り 2019/03/18 4:26 pm

よそ者と土地の人との交流では、いろいろなことが起きます。良いことだけでなく、嫌な場面や失礼なことも。

篠山の観光施設でおかしいな?と思うことがありました。

一方、訪れた我々側は静かな町並みを奔放に歩き、宿を大勢で覗き込んだり。私などは「早く早く」と大声を上げたり。

お互いの無礼に目を向けないと、本当の磨き合いにならないと私は思います。ただ今、反省しきり・・・。

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※今回は写真は無し、長いのでお時間あるときにどうぞ。

さて、交流にはお作法があります。

お金を払ったんだからわがままする。旅の恥はかき捨てでいい。お金をいただいたんだからかしずく。お金さえいただけば、後ろでアッカンベーをする。これが、今までの観光の世界でした。よそ者と土地の人は、お金を間に関係が作られていたのです。

それが交流時代となると、お金は間に入るものの、そのお金が最終目的ではなく、お互いが何かを得るように時間を分かち合うことになる。ともにいい場をつくろうと気遣い合うということになる。

でもそれは理想であってなかなかそういうわけにはいきません。お作法が身に着くまで経験の積み重ねなのです。

今回、スローライフ・フォーラムで40人近くが視察に回り始めた時のまず最初の昼ご飯のことでした。お店に着くと、なかに入れてくれない。理由は「まだ用意ができていません」とのこと。待合の部屋もないので、皆が入り口や階段に立ちっぱなしとなりました。

団体用の部屋をのぞけば、ほぼ料理は並んでいます。あと小鉢とお味噌汁くらいでしょうか。それなら、まずは座らしてもらいたい。

「全部そろってなくても座るだけ、いいですか」
「いえ、用意ができてからお客様を入れろと言われていますから」従業員の女性は頑なです。

お店の厨房の方に回り、「責任者の方は?」と聞き、「料理が揃ってからじゃないとダメと言われ、皆、外で待っているのですが」と訴えました。

店長?らしき人は「ええ?何で」と言いながらやってきて、私たちお客の前で「なんで入れないんだ?」「だって、用意できてからっって言ったじゃないですか」と口論。結局「どうぞどうぞ」と店長は私たちを案内し座ることができました。

女性店員さんは「出来立てを食べてほしかったんです」と私に言いますが、食事のメインの黒豆コロッケは冷たく冷えています。そんなスタートでした。

その時何が大事なのか、判断できる人が育っていないと、世の中上手くはいきません。メニューの説明もないので、せっかくの黒豆や山の芋を使った昼食が味気ないものになりました。

でもこれには伏線があります。団体で席を確保するには、ある程度の値段の豪華な定食を頼まなくてはならない。それを私が値切って1200円のものにしていただいた。高い定食にすれば、1人パートさんを頼めたのかもしれない。

女性店員さんも一人でパニックだったのです。そこに東京弁の私にガミガミ言われて、膨れっ面にもなりますよね。

続いて、観光施設のアプローチの坂道ででした。「足元注意」という看板が立っています。何故注意なのかわかりませんが、その危険なところを覆うように分厚いベニヤ板が乗せられています。

そのべニヤが反り返っていてこれ自体が実に危ない。ベニヤにつまづいて転びそうになる。少なくとも3人つまづくのを私は見ました。

本当なら私は気づいたのですから“気づいたもの責任”として、施設の人に言いに行くか、べニアをどかすかなどすべきだったはずです。それを「危ないな〜」なんてつぶやいて、眺めていました。

どなたか男性が「裏返した方がいいのでは」とつぶやく。そうこうしているうちに、1人の男性が見かねてベニヤを裏返す。それをみんな見て、ある意味ほっとしたのですが、それでもまたつまづく。

つまりベニヤをポンと乗せただけではもともとダメなのです。それで何とかなると踏んでいる施設がおかしい。何度もつまづく人が出ているうちに、チケット売りの女性がようやく何か変だと気付きました。ベニヤに近づくところまでは見ましたが、どうしたのやら。

誰もが自分の持ち場だけ守ればいいと思います。私のように「危ないな〜」と眺めることはできます。でも、一歩踏み出すことでいい場づくりはできるのですが・・・。

なんて反省する前に、お客様が必ず歩くアプローチをそんな状態で平気でいることが??ですね。

さて、篠山の悪口を書いたようになりましたが、実はこちら、よそ者グループもひどかった。

篠山には城下町全体をホテルにという考え方で古民家を改修した「NIPPONIA」という名のホテルが何棟もあります。一般社団法人ノオトというところが、10年くらい前から進めるプロジェクト。ホテルに限らず、街を歩ていると「ここもノオトさんが入ってお店にしつつあります」という解説を何度も聞きました。

この動きは有名ですから、チラリとでもホテルのなかを覗きたい。レストランなら窓の隙間から様子を眺めたい、料理の匂いも嗅ぎたい。と、私たちよそ者は思います。そうなると、しっとりしたいいムードの「NIPPONIA」ののれんをあげて、いくつもの頭がのぞくことになりました。

ちょうど到着のお客様があったのに、この群がったよそ者は気づかない。そもそもそんなふうにならないようにノオトさんでは視察についてきちんと有料のメニューを用意されている。

これは我々の旅の恥はかき捨て行為、かき捨てられた地元はたまりません。ほんとにごめんなさい。

よそ者はわがままです。私のことです。フォーラム会場に、「普通の花など飾らずに、地元らしい何か飾りを」と役所にリクエストしていました。それはいいことではありますが、担当者の仕事が増えます。そういうなら私が自分で探して飾ればいい、のです。

なのに、やさしい役所の方が、どこかで木製のイノシシを借りてきてくださいました。これが数頭並んだだけで、牡丹鍋が名物の篠山らしくなります。

そうなると、私は周りにササの山など作りたくなる。「杉の枝や、ササの枝などあるといいなあ〜」。つぶやいたところで、私が山に入って採って来るわけでもない。ジワジワと望むのですからたちが悪いです。

一度諦めたのにも関わらず、その希望は周りに染みだしていました。チラリと子耳に挟んだ善意の地元の方がササを用意してくれる、「と言っていた」と聞くと、「ああ、もういいのに」と思いながらも「ありがたいな」とも。

そして結局数本のササが既に開場した会館に届いたのでした。木製のイノシシにふわっと置くだけで雰囲気が出ます。ここまでしてくれて・・・と嬉しいような、申しわけないような。これもまたごめんなさい、なのでした。

学識経験者とか呼ばれる人たちは、実によく語ります。語ると興奮して、止まらなくなります。声も大きくなります。地元の方々の話し合いの傍聴でつい大きな声で話し、しまいにうるさいと怒られた。怒られた方は「休憩時間かと思っていた」のですが・・・こんなこともありました。

そして、話し合い、交流すると言っていながら、ついつい説教がましく話をしてしまう。東京目線を振りまわす。ふと気づくとそんな私が居たりしたものです。

篠山は素敵なところ、文化的なところと強い思い込みがありました。町屋が美術館に変わる!「まちなみアートフェスティバル」など資料を見ただけでも素晴らしいと思います。一度、ちゃんと来なくてはと思います。

そんなところなので、冒頭のちょっとしたソフトの不備がこたえるのです。「篠山でこんなことがあるなんて・・・」と思ってしまうわけです。

ただの観光客なら、熱心に見学しないし、語り合うこともないでしょう、でもこれからは興味のかたまりのような我々のような人たちが地元の人と語りたくてやってくる。きっとトラブルも増えます。

双方に、お作法ができあがっていかなくてはなりません。今回の失敗は、よそ者、地元、共にうかがえば、ここに書ききれないほどあることでしょう。

無礼ごとも含めて、これからも交流を勧めましょう。臆病に本音を出さないでいたら、今までの観光と同じです。悪いところも出し合いながら、指摘しながら、磨き合いましょう。

よそ者として失礼しました。そして、これからもよろしく。

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ゆとりある記 黒糖作り 2019/02/25 10:04 pm

サトウキビを絞り、その汁を煮詰める。単純な作業ですが、なかなか難しい。

大規模工場で機械生産なら楽なのでしょうが、昔ながらのかまどで薪をくべ、大鍋で4時間、人が混ぜ続けて煮詰めていくやり方。混ぜ物も一切ナシ、こだわりの黒糖作りです。

出来上がりは単純でない甘さ、なんとなく海の香りもする色々な旨味の含まれた濃い甘さ。元気になりそうです。雲仙市南串山で。
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雲仙市の南側、南串山町。ジャガイモやレタスをつくっていますが、サトウキビも栽培しています。

ザワワ、ザワワ♪という歌がありますが、この海風がどうもサトウキビを健康に育てるらしい。

有馬自然食品の南串山工場にうかがったのは、先月のこと。この冬の黒糖作りの最後に間に合いました。

竹さおのようなサトウキビが積んである、海辺の小さな工場で4人ほどでの作業です。「黒海道」という品種のサトウキビ。これをを刈ったら絞って、汁をとり、煮詰める。その工程は毎日決まった形では行われません。

今日はこの人数でこの作業、今日はやらない、などなど、なかなか見学したくてもタイミングが合わなかったのでした。

作業場の奥に据えられた煉瓦とコンクリートのかまど、火口は4つ。大きな釜が4つのり、それぞれから湯気が勢いよく上がっています。

釜のは30分置きで仕掛けられ、順繰りに4時間立つと汁は煮詰まって、黒糖になっていくわけです。



薪の燃える匂いと、サトウキビの汁が煮える甘い匂いと、湯気と、熱が、作業場に満ちています。










グラグラ煮える汁を、働く男性たちは一時も目を離しません。大きな木製のヘラで、かき混ぜ続けます。

そしてアクをていねいにすくって。







私が舌なめずりをしていたのでしょう、カップに煮えている汁を汲んでくださいました。










「う〜〜ん、おいしい」サラサラとはしていますが、もう黒糖の味です。

これをパンケーキなどにかけたら美味しいだろうな〜。







そうこうしているうちに、一番端の釜が煮詰まって来たようです。温度を計っています。










ここまでドロドロになると、混ぜるのは二人がかり。力がいるし、すぐ焦げてしまう。










鍋に数滴たらすと、代表の宮崎さんが外へ走り出しました。瞬間のかたまり具合と、その色を海辺の明るさの元で確かめるのです。









良しとなったら火を消します。かまどの薪ですから、即は消えません。火を出し、サトウキビの搾りかすをかけたりします。









そして今度は大きなすり鉢へ移して、ゴリゴリゴリ。こうして空気を混ぜ込まないとカチコチの飴になってしまう。

なるほどまた試食したものは、既にお箸の先につければ飴になっていたのでした。





計りの上に型をのせ、重さを計りながら流し込みます。ここまで来るのに4時間から6時間くらい。

何だか魔法の薬ができあがったような感じです。







食べやすいようにサイコロ状に切り分けて出来上がり。

最近は、生姜入りなども作っているそうです。








商売としては全く合わない作業でしょう。こんなに手間がかかるなら、もっと高価でもいいはずです。

でもここの黒糖男たちはそんなことは言わない。要はこの作業が好きなんですね。そして、誰かがやらなくては無くなってしまうから、なのでしょう。

もちろん完全手作り釜炊き黒糖となれば人気です。引っ張りだこで品物は足りない。

でもサトウキビ栽培をしてくれる人が増えないと、黒糖もできないし、釜の前で何時間も混ぜる作業に耐えないとこの味ができない。

ただ甘いだけでない、旨みと、少し塩のような味も感じる、濃い、でもすっきりとした甘さ。上等なお菓子を食べているような本物の黒糖です。

どなたか志ある若者たちが、この作業を継いでいかないでしょうか?

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ゆとりある記 湯沢の雪 2019/02/18 1:43 pm

秋田県湯沢市を訪問、豪雪地帯です。東京から行った者には白い世界が珍しく、はしゃぎました。

雪に埋もれた電話ボックス、雪下ろしの様子、除雪車、避寒して市役所で勉強する学生、写真をたくさん撮りました。私と同じように外国人グループも雪そのものを夢中で撮影です。

雪の苦労を横に置けば、特別な体験でなくとも、雪国の日常を見せるだけで観光メニューになると思います。
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今年の秋湯沢で「第2回地域共生社会推進全国サミット」が開かれます。今回はそのプレイベントとして行われた「平成30年度湯沢市地域福祉セミナー」へお邪魔しました。

その間に歩いた、見た、雪の世界がなんとも印象深かったのです。

ホテルから眺めた湯沢の中心街です。雪国に来たな〜と実感します。この写真を撮ってすぐに家族に送るくらい、雪の経験の薄い都会人には嬉しいものです。








ちょうど湯沢の冬のお祭り「犬っこまつり」が終わったばかり。商店街には犬っこを祀った雪の祠「おどっこ」がまだ残っていました。どうやって作るのか?シンプルでおしゃれな形です。犬っこまつりにはのべ17万人の人、500匹のワンコが訪れたそうです。





地方の駅前商店街は何処も同じ、シャッターの閉まったお店が目立ちます。雪かきする人の居ないお店前には雪がこんもり。喜ぶ話ではないのでしょうが、よそものにはスリルある商店街に思える、そろりそろりと歩くことそのものが珍しい行為なのですから。





学校がえりの小学生が「投げるのと受けるのと、交代でやろう」なんて言いながら、雪のぶつけっこをしています。雪遊びしながら帰るなんて、東京の子たちにもさせてあげたい。







公園にある電話ボックスは、半分くらい雪に埋もれていました。「冬期間使用中止とさせていただきます」の貼り紙。無理もありません、そもそも電話ボックスまでたどり着けないし、ドアも開かないし。

でもこの雪帽子をどっさり被ったその姿が、かわいくて愛おしくて・・・。何枚も写真を撮っていたら、歩く人に「???」と見られてしまいました。

屋根の上で雪下ろししている人の横を、除雪した雪を運ぶトラックが通り抜けます。

毎冬、この雪との付き合いに、いえ戦いに、どれほどの労力とお金が使われるのでしょう。





ツララだって、私はきれいと思って写真を撮りますが、地元の人には何でもないもの。むしろ危ないもの、嫌なものなのでしょう。

「きれいだなあ〜」と何度もつぶやく私と、住んでいる人のギャップは大です。





雪に埋もれそうなお家は、砂糖菓子でできているように見えます。雪砂糖のお布団をかぶって、ふんわりと眠っているかのようです。

春になったら、「わ〜〜〜よく寝た」なんてこのお家が手足を伸ばし、雪を振るって落とすのでしょうか。なんて童話のようなことを想像します。



でも現実は、雪下ろしができないのか?空き家なのか?心配しなくてはいけない状態でしょう。

そんな家がいっぱいあります。童話では済まされません。道路横の歩道が雪で埋もれると、車道を歩かなくてはならない。だから歩道を確保する。そんな作業も日常のことです。



きれい、素敵といった雪が、風と共に吹き荒れてくると、車にに乗っていても怖さを感じました。

私はこれで東京に帰るけど、湯沢の人たちはこの雪と暮らしていくのですね。

そんな中、湯沢市役所に行くとホッとする光景がありました。避寒できる市役所ロビー、どんな雪でもここなら安心と、高校生が勉強中。東京のコンビニにたむろしている学生とは、違う姿です。

女性グループが手芸のサークル活動中。家でひとり寒々としているよりも、市役所に集まれば暖房代も節約できるし、人にも会えるし、心もぬくもるのでしょう。

この日は休日でしたが、平日はもっともっと学生さんが集まっているとか。市役所もそのために遅くまで開いているのです。ここでは窓の向こうの白い雪が、むしろ温かく見えました。

雪国の厳しさも含めて、こんな湯沢の雪暮らしをガイド付きでご案内して頂けたら嬉しいです。何も地吹雪ツアーや屋根の雪下ろしなんてハードなメニューでなくていいのです。

ただの雪の積もった庭や、古い建物を盛んに写真に収める外国人の方々に何人も会いました。私と同じ、雪というだけではしゃぐ人たちです。

雪の似合う場所に連れて行ってもらったり、雪のなかをかき分けて祠にお参りしたり、街路樹に着いた雪が冬の桜のように見える風景を撮影したり、ツララの下がる路地をくねくねと歩いたり、除雪作業を眺めたり。

そんな湯沢の普通の雪暮らしを知るだけで、ちょっとのぞくだけでいいのですが・・・・。もちろん雪かきの必要な商店街の歩道くらいなら、素人の来訪者も多少お手伝いして帰ることもできますね。

雪の街のウォッチングツアー、1時間2000円。最後は市役所で感想お茶っこミーティング。参加記念に雪貯蔵リンゴ一個付き。そんな企画を誰かしてくれないかな〜。

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ゆとりある記 クエを食え 2019/02/11 11:58 am

和歌山県に通うのも今年度で終わり。「それならこの冬、クエをぜひ食べて」と友人に誘われて、日高町のクエ民宿に泊まりました。

九州地方ではアラとも呼ばれる高級魚、何でそんなに高いのか?今回その理由が初めて分かりました。

なかなか獲れない、養殖できない。白身で上質の脂とコラーゲン、旨みはフグに勝るとなれば引っ張りだこのはずです。

一生に一度?の記念となりました。
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日高町のパンフレットにはズバリ「クエの町」とあります。

なぜここで獲れるのか、それが昔からなのか、地元ではどのように扱われてきたのかなど、普通ならしっかり取材する私ですが、この日はレジャーです。ただただ喉を鳴らしてうかがいました。

どうやら「クエ鍋」は昨年の「ニッポン全国鍋グランプリ」で見事「グランプリ 金の鍋賞」を取ったのだそうです。

だからなおさら人気が高まり、民宿もかなりのお客様があったのでした。


海のすぐ横にあるこのお宿、偶然にも「クエ」漁師さんであり、鍋コンテストにも出られているクエの大親分のような方の民宿でした。








親分です。(失礼)でもその立派なクエとそれを釣り上げた雄姿には風格があります。

このご主人自らが、食事の席には「クエ語り」をしに現れてくださいました。

クエは群れないこと、この地の100人近い漁師のうちクエを釣っているのは10人位、20キロのクエなら20年生きている、生きたイカを餌に釣ること、70メートルくらい深いところにいる、等々詳しく教えてくださいます。

「テグスに伝わるトントントントンというのはイカが泳いでいるから、これがググッと引かれる、これはクエが噛みついたとき、この時あわてちゃいけない。じきにもっとグイッと引かれる、これは奴が飲みこんだから、そして、4、5、6、7数えたら思い切り引き上げる」

うかがいながら、海上でのクエとの戦いが想像できます。

「奴らは危ないとなったら岩の下に潜り込んでヒレを広げてそれで踏ん張って、あげられないようにするから力くらべだね。上げられないときもあるから、前の年に俺が掛けた針をつけたままのを上げたこともあるよ」

クエ様の登場です。

白い美しいお刺身。鍋用の厚切り。コリコリするのは胃袋です。

「奴ら何を食ってるかわからないから、胃袋はよ〜く洗うんです。それをバター炒めする。旨いでしょう!」




鍋用のクエにはアラの部分もあり、これをまず先に入れてから野菜、クエと加えていきます。

モミジおろしとネギを薬味にポン酢で。

あれ?そんなに脂っこくないんだ。歯ごたえのある上品な白身魚風。ところが食べているうちに気付きます。細かい脂の粒々がポン酢の上に浮いている。脂が上質なんですね、だから脂っこくない。

そして驚いたのは皮と肉の間のプルプル。コラーゲンの厚み、これは噛むほどに旨みが出てくる。

「クエばっかり食べないで、野菜も食べてね」とご主人は言い終えて席を立ちました。

忠告通り野菜に箸を伸ばすと、いつしか白菜もキノコもクエの旨味をすっかり吸い込んで、只者ではない野菜に変わっています。

クエはもちろん、このクエスープを抱きかかえたようなクエ鍋の野菜の美味しさに惚れました。


こんな鍋を食べながらですから、ヒレ酒が進むこと。

例の蓋をしておいて、マッチで火をつけるとボッと音までする、あれを楽しみます。

唐揚げが出て、クエの炊き込みご飯が出て、その他にもクエの何かが出てはいたのですが、酔ってしまいました。


昨夜、あれほど食べたのにおなかが空いている。クエの脂はそういう脂なんだ、と思いながらの朝・・・・、あれ?顔の肌が上質のクリームを塗ったようにしっとりしています。

既にクエ効果でしょうか?

朝ご飯のクエ雑炊がまた美味。もう一杯、もう一杯といただけます。


「クエの解体がありますよ」との声を聞き、宿の裏路地をのぞきました。

クエ様のお頭です。既にウロコは落とされ、白い肉をみせ、大きな頭は金具を打ち込まれて、まな板に固定されていました。

近づくと、食べられてしまいそうな迫力です。


クエを三枚におろすのですが、さばくというより、確かに解体といった方がいい荒仕事。包丁は使わず、ナタ一本でさばいていきます。

白身の分厚い肉が骨から離れると、クエの身体がまるで生きているかのようにブルンとくねりました。




ご主人が、クエ用の釣り針を見せてくれます。ペンダントにして首から下げてもいいような大きさ。

そしてもう一つ見せてくれたのはクエの“耳石(じせき)”。親指の爪ほどの貝殻のような白いものですが、クエの耳?あたりから出てくるそうで、これを研究するとクエの年齢がしっかりわかるのだとか。

人間ならめまいの原因などになる耳石、クエの暮らしではどんな役割を果たしているのでしょう。

クエの生態はまだまだ分からないことばかりで、大学や和歌山県で研究を進めているとか。解明できれば、もっとクエは獲りやすく、庶民にも食べやすくなるのかもしれません。


ご主人とご長男です。息子さんのクエさばきは素晴らしいものでした。

「長男が宿を継いで、次男が漁を継いでくれました」とご主人は満足そうに笑います。こういうおうちが何軒もあれば、今後のクエの町も安泰なのですが。

クエ貯金してでもまた伺いますから、頑張ってほしいなあ〜。

民宿からすぐの浜には、大きな海と空が広がっていました。今日もこの海原のどこかで、クエは群れずに1人堂々と泳いでいるのでしょう。

あんまり大衆魚になるよりも、養殖なんてされるよりも、幻のクエといわれるぐらい、ワイルドな存在でいてほしいと私的には思います。

次にこの海を見るのはいつになるのか?クエをまた食べることがあるのだろうか?いろいろなことを考えながら、私も悠然と泳ぎ出そうかと思うのでした。


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ゆとりある記 凍み餅 2019/01/14 12:00 pm

その存在は知っていましたが、造るところを見せていただき、さらに地元で食べることができました。

福島県古殿町「ふるさと工房おざわふぁーむ」の小澤ご夫妻が郷土の味を消してなるかと頑張っています。

「ごぼっ葉」という山菜を混ぜて餅を搗くと、お餅が凍り、乾燥してもボロボロにならない、昔からの知恵です。

寒さと時間、手間が美味しさをつくる、究極のスローフードでした。
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「おざわふぁーむ」です。もとは酪農をされていたそうで、いまこの建物は農業体験工房のように使われています。

泊まったり、米づくりをしたり、郷土料理を習ったり。牛を育てていた場所が、人を育てる場になっています。




近づくと赤いネックレスのように下がっている干し柿がきれいで、おいしそうで・・・。










その横に下がっている白いものが「凍み餅」でした。

一見、凍み豆腐かと思うのですが、実は白い紙でお餅を包んであるのです。







小澤啓子さん。訪ねると、この夜私たちがいただく懇親会用の郷土料理を調理中でした。

「夜にうかがうんですが、昼の凍み餅を干している様子が見たくて寄りました」と私が声をかけると、「見て、見て〜」と「凍み餅」づくりの途中を見せてくださいました。






「凍み餅」に欠かせないのが「ごぼっ葉」。学名は「オヤマボクチ」という山菜の一種。

これを夏のうちに採って乾かして保存します。一見、フキの葉っぱの乾いたもののように見えます。

この葉っぱの裏側にはヨモギのように細かい産毛のようなものがあり、これがお餅のつなぎになるそうです。

「いい、これをこうして手で揉むでしょう。繊維だけはこうして残るの、粉々にならないの」と、小澤さんが実験してくれました。



カラカラに乾いた葉っぱなので、強く揉めば粉々になるはずです。それが蜘蛛の巣の塊のように、モハモハがしっかり残る。

これをお餅に混ぜて搗くのですから、お餅はしっかり繋がる。鉄筋入りのコンクリみたいなもんですね。




工房には「ごぼうっ葉」入りのお餅がたくさん搗かれ、型に流されていました。










これを切り分けて、一枚ずつ紙に包む。切るのも包むのも大変な作業でしょう。










包み終えたものを紐で繋げて、水に浸ける。たっぷり水をしみ込ませてから吊るすのだそうです。

外に吊るしたお餅は、寒さで凍り、それが昼には溶けて水が抜ける。その繰り返し。フリーズドライとはこのこと!昔の人が考えた保存食ですね。




小澤さんが見せてくださいました、昨年の「凍み餅」。よ〜く乾いています。

寒いだけでなく風がないとダメ、40日くらい吊るすとか。乾ききった「凍み餅」は実際何年も持つそうです。






一方これは「ごぼうっ葉」の入っていない普通のお餅。

上の方にヒビが入っています。つなぎがないとこうなるんですね。








さて、「凍み餅」は食べるときにも時間がかかる。乾いて眠っているお餅を目覚めさせる?には、5時間以上水に浸けないとダメ。

でも、水に浸ければ本当に普通の搗きたてのお餅と変わらないようになるのですから、驚きです。

水を得たお餅はぐっと膨らんで大きくなります。それを切り分けて油少々のフライパンで焼く。


焼けたお餅は砂糖醤油を絡めれば、出来上がり。

ほんのり「ごぼっ葉」の香りがする「凍み餅」。これは本当に美味しかったです。






普通のお餅とは違う、もっちりしっかりしていて、かたくはないけれど柔でもない。寒さに耐えて一度乾くと、餅が厳しい修行を耐え抜いて、強く存在感あるさらに美味い物に変わるのでしょうか。

ただのお餅じゃないのです。
私の目の前で、地元のお若い方は3つ召し上がりました。



小澤昌男さん。お酒を飲みながら昔の話をいろいろしてくださいました。

この地の人が味わい深いのは、寒風がつくった顔、人柄なのでしょうか。いつまででも一緒に居たくなる、懐深い温かさです。

「凍み餅」を東京で食べるのもいいですが、やはりこれは小澤さんご夫婦に米づくり、「ごぼうっ葉」採りも教わり、「凍み餅」づくりの仕事を何度も通って手伝って、最後に食す。そんな時間を過ごしたいものです。

古殿町に通うほどに、寒風に震えるたびに、きっと私も味わい深い人間になれるかと思いました。

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ゆとりある記 紀の川市と雲仙市 2018/11/19 12:07 pm

私が仕事をしている、両市の方々が仲良くなっています。スローライフ・フォーラムで同室になったのが始まり。

その後、紀の川市から2回雲仙へ。そして今回は雲仙市から紀の川市へ。

オフィシャルでなく、自費で動くこの人たちは凄い!とつくづく思います。原動力は「わがまちを良くしたい」という一念。

普通の視察以上の濃い交流、そんな素敵なシーンに同席できて嬉しい限りです。
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雲仙市のMさんは、私どもNPOスローライフ・ジャパンの13日回目の「スローライフ・フォーラム」2009年8月 鳥取県因幡地区での「スローライフ・フォーラムin鳥取」に参加されました。「智頭町での分科会が忘れられない」と今も語ります。

その後、20回目の2014年9月 群馬県南牧村での「フォーラム」にもやってきました。その時は、市職員になったばかりのKさんも一緒でした。そして「このフォーラムを雲仙でやってください」と、増田寛也さん(スローライフ学会会長)に直接交渉した姿を今でも私は覚えています。

そして、遂に2015年11月、Mさんが中心になり、Kさんが司会をしてくれて、「雲仙市市制施行10周年記念事業」として「スローライフ・フォーラム」が開催されました。450人もの方が参加してくださいました。

自分の地域でフォーラム開催後も、Mさん・Kさんはうちのフォーラムに現れてくださいます。2016年11月長野県飯山市での「スローライフ・フォーラムin飯山」、2017年10月島根県出雲市での「スローライフ・フォーラムin出雲の國」。この22回・23回のフォーラムで、Mさんは和歌山県紀の川市のNさんと同室になり、意気投合します。

飯山での夜、浴衣姿の各地の男女が車座になって話し合った時そこにお2人はいました。その後、紀の川市のNさんが雲仙市を訪ねます。MさんとKさんはとことん雲仙市を案内したそうです。

そして、この秋です。紀の川市のNさんの上司Jさんが、雲仙市に「ドラム缶ピザ窯」を造りにやってきてくれました。部下のTさん、Nさんを従えて。

雲仙市では、職員のM2さん、Tさんはじめ、市民の方がたがワークショップイベントとして彼らを受け入れました。子どもを含む50人以上の人が楽しみました。

もちろん、この日もMさん、Kさんは居ました。

Jさん部隊の活躍は話題となり、紀の川市と雲仙市の交流が始まったと新聞記事にもなりました。その時のことの私のブログがこれです。
「ピザ窯造り交流」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=484


さあ、そして今回は雲仙からMさん、Kさん、M2さん、Mさんの娘さんがやってきました。まずは紀の川市役所で紀の川市のNさん、雲仙市のMさんの久しぶりの対面です。


紀の川市に初めての方が来るとき、Jさんは「パラグライダーに乗せちゃろう」といたずらを仕込みます。実は私もその洗礼を受け、その後、紀の川市のとりこになって行ったのでした。

今回、雲仙を代表?して飛ぶことになったのはKさんです。

飛び立つ丘の上でみんながはしゃぎます。なんだかお祭りみたい。これから屋台がでるような、ワクワク感!





Kさんを前の椅子に抱えて飛んでくれるのは、6年前にJさんの計らいで、私を飛ばせてくれたインストラクターさん。

紀の川市と雲仙市がひとつになって飛び立つようで、下の方で眺めている私はなんだかウルウルしていました。雨のはずだったお天気が、なんと青空も少し見えてきて・・・。









ふわりふわりと優雅に飛ぶパラグライダーは、紀の川市と雲仙市を乗せて何だかとっても楽しそう。こんな日が来るなんて、両方に関わる私には不思議な思いでした。







Jさん、Nさんは2日間に渡って雲仙チームを紀の川市ご案内でした。世界初、麻酔をして外科手術を成し遂げた華岡青洲ゆかりの場所。

ここはかつて全国から医学を学びに、延べ2000人以上の人がやって来たそうです。昔の人は実にダイナミックに動いていた、学ぶためならどんな遠くからも来ていた。

学人の中に、現在の長崎県から何人どこの国から来ていたのか、雲仙チームは緻密なチェックです。ただの観光とは視点が違いますね。

青洲は地域のために土木工事もしていました。ため池の多い紀の川市、用水について水のとり方について質問と説明が続きます。


西国33番札所の3番「粉河寺」のある紀の川市粉河。ここの「力寿し」で食事。

フルーツのまち紀の川市の名物「フルーツ寿司」が生まれていった物語をご主人からうかがいます。このお寿司はJさんやNさんが38回続けたワークショップのなかから生まれ、育ったものでした。

紀の川市のJさんが、最初の試作を食べた時の話を披露します。雲仙市のMさんが「アイディアを即、翌日作るということが凄いな」と感心します。


そこに、紀の川市のTさんが「今度12月に雲仙に行く予定」と披露。すかさずMさんが「うちで牡蛎焼くから来い」とハグハグ。

結局、私もお邪魔する運びになりました。きっと地元の方々も何人か集まることになるでしょう。

行政主導の都市交流とか姉妹都市とかはあります。でもそれは、なんだか白々しく仰々しくなります。

必然性なく出会った人たちが、「まちづくり」というエネルギーで繋がり、惹かれていく。こういうこの指とまれの、ネットワークがこれからは強いと思います。お互いに刺激して、一番学べるはず。

私などは、何処も仕事でうかがうので、交通費も日当もいただいての訪問です。でもここでまるで親戚のようにニコニコして群れているいる人たちは、自分の意志でお金で動き、身体を運んでいる。アッパレです!

だから、案内や説明のツボが分かっている、見方、聞き方、学び方のツボがはっきりしている。濃い視察が行われるわけです。

こんな清々しい人たちに混ぜてもらえる幸せを、私は感じていました。

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ゆとりある記 おきりこみ 2018/11/04 5:17 pm

久しぶりに、群馬県富岡市を訪れました。市役所庁舎や商工会議所が新しくなっていました。富岡製糸場のイメージに合った、おしゃれなデザインです。

こういう歴史のある街に来たら、古くからの郷土料理を味わいたい。「おきりこみ」をいただきました。

小麦産地ならではの手打ち幅広生麺と、野菜の煮込みです。どんなにハードが新しくなっても、この味はきっと変わらないでしょう。

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会議の予定に私の予定が合わないまま、ずっと欠席で、2年ぶりくらいに富岡市の会議に出ました。

その簡に、あら〜〜〜新庁舎が。

隈研吾さんらしい、木をたくさん使った建物。富岡製糸場のレンガ造りの横にあってもぴたりとするようなデザイン。なんといっても建物前の芝生が心をのびやかにしてくれます。



製糸場で働いていた工女をモチーフにしたゆるキャラ「お富ちゃん」も石像で!









昔は製糸で栄えた土地です。まちのあちこちに当時をしのばせる立派な蔵などがありますが、それを活かしたというこの建物。

富岡市商工会議所です。江戸時代の老舗へ入っていく感じ。












内部もなかなか素敵。こんなテーブルを使って、まちづくりのワークショップなどやれば、良いアイディアが出そうです。








さてそんな新しい建物とは対照的な昔からの商店街、そこの「おきりこみ」の幟の店に入りました。

もともとはお寿司屋さんだそうです。

「おっきりこみ」なのか「おきりこみ」なのか、いつもこの「っ」についてが話題になりますが、どうも正解はないようです。

群馬県は小麦の産地、その小麦で幅広の麺をうち、季節の野菜と煮込んだのが「おきりこみ」。

打ち粉と一緒に煮込むので、汁がとろりとする。味噌味か醤油味かはその店か、家の好み。

少し秋も深まった富岡に来たのだから、熱々の「おきりこみ」をなんとしても食べたい!と駄々をこね、友達と一緒にこの日やっているお店に連れてきていただいたのでした。



座敷にドーンとあるのは、「おきりこみ」のストックです。一度煮たものを、食べるときに煮直して食べる、これを「たてっかえし」というそうです。できたてよりも味が染みている。

ここのおかみさんは、前日に粉をまとめておいて、朝、麺棒で伸ばし切る。煮干しの出しをとり、この大鍋で煮るのだそうです。

「手打ちを出しているのはうちくらいだよ」と自信ありげ。小さい頃から打って来たから、何十年かの大ベテランだそうです。


1人ずつの鉄鍋に、「たてっかえし」をいれ、熱々にして「鍋に触っちゃダメ、やけどするよ」と出してくれました。

これに一味唐辛子をかけて食べるのですから、温まりますね。

多少塩辛いものの、これが上州空っ風の地の味でしょう。




おかみさんが話します。

「いま40歳になる息子が小さい時に、おきりこみを出したらこんなもん食えるか、といったことがあって。頭にきて、車にのせて河原に置いてきた(笑)。そんなことがあったねえ」

郷土の味というのはその家々の、いろいろな思い出も染み込んでいるものなんですね。

石臼が普及した江戸時代中頃から、この料理があるそうです。米の貴重な時代、おなか一杯になる粉食は嬉しかったでしょう。

また、上州はかかあ天下の地で、女性が強くたくましく働いていた中で、短時間で作れるものでもあったようです。

街はいろいろ変わっても、こうした食文化や味の記憶は何かしら残り、受け継がれていくことを願うばかりです。

帰り道、もとは繭の倉庫だったという建物が地場産品の店になっていました。

早速、お土産に「おきりこみ」を買いました。おかみさんのように芋がらなどは入れられませんが、それらしきものを作ってみましょう。




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ゆとりある記 オリーブオイル搾り 2018/10/29 2:27 pm

オリーブの実を摘み取り、洗い、選別し、搾るという一連の作業を、雲仙市で体験しました。

枝からぶら下がり光る、揺れる、イヤリングのような実をとるのは楽しい作業です。おしゃべりしながら集めた実は緑色やワイン色、宝石のよう。

これを機械にかけるとやがてタラりタラり。100キロの実で、5キロのオイルがとれるそうです。強烈なバージンオイルの味は衝撃でした。
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オリーブです。

ね、まるでアクセサリーのようにきれいですよね。

このまま摘み取らないで枝ごと活けたら、素敵なカフェやブティックにぴったり。







今回お誘いくださった、稲田信忠さん。本業はイナダ創研という、生産省力化機械製作の会社の経営者。

図面を引かずに相談を解決する機械を作ってしまう、“発明王”の名を持つ人です。

この厳つい感じ(失礼!)の人が、オリーブ栽培に目覚め、お茶や化粧品まで手掛けようとしておいでなのだから面白い!

耕作放棄地にオリーブを植える運動を起こし、ナチュラルファーミングという会社も起業されました。

オリーブの収穫なんてめったにない体験。私だけではもったいないので、お知り合いに声をかけました。

人間は収穫欲求があるのでしょうか、どんどん採り始めます。

「これをこのまま口に入れて、食べられればうれしいわね〜」




「野口さんでも採れるところを残しておきましたよ」と稲田さんが気づかってくださって、私たちが収穫したのは道路に近いところ。

もちろん無肥料・無農薬です。

「脚立に乗るの何年ぶりだろう?楽しい〜〜〜!」



「簡単に採れるのね〜、葉っぱもきれい」

「実をかじるとビックリする味よ。でもその実を手にこすりつけると、油がスッと肌に入ってくの」

「へえ〜。顔に塗ろうかな〜」

作業をしながらの、こんな会話がのどかで楽しいのです。


首から下げていた袋からポロポロとオリーブを空けると、なんだか気分は地中海。

これだけで体験観光メニューになりますね。







たっぷりの水で洗い、浮いた実ははねて、さらに柄や、しぼんでいる実、カメムシが刺した後のある実、大きな傷のあるものなどをひとつずつチェックして避けていきます。

少々面倒ではありますが、これをやった後の手はすべすべになるというごほうびが。




機械に投入。

イタリア製の搾油機です。稲田さんがこれを作ってしまうのも時間の問題でしょう。








さあ、オリーブの実が砕かれ潰され始めました。

一気に周囲が青青しいような、少しツンとするような、独特の匂いで満ちてきます。







機械にお任せの間に、工場横で即席オリーブパーティー。

以前に搾ったオイルと岩塩を、特産のジャガイモを練り込んだパンにつけてパクリ。

オリーブの塩漬けの入った、コロッケをパクリ。

「これはワインを飲まなくちゃね〜」と何度もいうのは私。

家庭用のこの塩漬けはいわゆる浅漬け、塩分が少しでパクパク食べられました。


稲田さんのところでは実やオイルに限らず、葉にも注目。オリーブの葉のリーフティーとパウダーティーを作っています。

強い苦みがあるのですが、それを解決する発明が上手くいったとのこと。これから本格的に商品化されるそうです。

パウダー茶は、先日、地元の洋菓子屋さんが、新作のお菓子に既に使われました。抹茶ブームの後は、オリーブ粉茶のブームが来るのかもしれません。

オリーブの樹の盆栽もあるのだとか、これには驚きました。


そうこうしているうちに、タラりタラりと、そのうちチョロチョロと、オイルが出てきました。

小さなプラ容器でほんの少し飲んでみます。








「おいしい〜〜〜〜」という声は上がりません。

何でもおいしがる私の、この複雑な顔。

辛い、えぐい、酸っぱい、青青しい。人を寄せ付けないパンチのある味です。でも、これこそがポリフェノールの味。バージンオイルなのでした。

雲仙は小豆島などのオリーブ栽培に比べたら、まだまだ始まったばかりで産地ともいえない段階です。

でも確実に国産オリーブの需要はある。この数年でどこの家でも当たり前に、オリーブオイルを使うようになっているのですから。

そしてさらには、「少し高くてもいいから、無農薬の国内産のオイルを使いたい」と思っている人は、今や少なからずいます。

その人たちに向けて、オリーブを植える、植える。畑を荒らしているよりはいい。

そして実だけでなく、栄養や薬効もある葉も加工して摂取できるようにする。いずれ機械も日本で作る。

和オリーブの世界はこれからなのです。

雲仙は観光地です。温泉国際観光地ならではのオリーブの発展があるでしょう。

旅館やホテルで、雲仙オリーブオイルを使ったお料理を楽しめます。和食としてのオリーブオイルの活用が期待できます。

温泉蒸しした和野菜に、地元のオリーブオイルなんて、贅沢ですね。お刺身にお醤油とオリーブオイルも合います。

この地ならではのカタクチイワシの塩辛とオリーブオイルは相性抜群です。

温泉療法の後に、オリーブオイルでお肌のお手入れもできるでしょう。

今回のオリーブ体験がプログラム化すれば、自分で収穫し搾ったオイルをおみやげにもできます。


いろいろな実りの妄想がキラキラと広がる、雲仙オリーブに期待しましょう。


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ゆとりある記 お手振り「SL大樹」 2018/10/15 2:39 pm

日光市の下今市駅から鬼怒川温泉まで走っている「SL大樹(たいじゅ)」に乗りました。

ほんの35分間の蒸気機関車体験ですが、驚いたのは沿線の方々が手を振ってくれること。家のベランダから、イモ畑から、ふと見ると手を振っています。

ついこちらもニコニコと振り返します。往復乗ると、何人もの人と友達になった気分。

淋しくなったらお手振りを求めて、また乗りましょう。
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東武鬼怒川線に50年ぶりにSLが走ったのは昨年の夏。下今市の駅舎もぐっとレトロに、新しく古くなりました。









SLについての魅力は、撮り鉄、乗り鉄、SLマニアの方にお任せするとして。ここのSLは首都圏からすぐに、サッと乗れるというのがひとつの際立った特色と私は思います。

片道35分ならば、日帰りで往復2回なんて乗り方が可能なのですから。





東武鉄道の偉かったのは、SLを単なる観光資源だけにせず、まちづくりのきっかけにしようとしたこと。

「SL大樹にみんなで手を振ろうプロジェクト」や花植え、絵画募集、ネットワーク組織の立ち上げなどを行い、沿線住民の地域づくり運動を展開しています。



カメラを向ければ、関係者がサッとポーズを取ってくれる。

駅員さんもSLアテンダントさんも、素敵な笑顔ですね。







誰もが写真を撮りたい撮られたい時代ですから、SLなどはとても良いモチーフなのでしょう。










運行初日などに、地域の人たちがずらっと並んで手を振るということは多々あります。

でも、ここではずーっと一年以上も、誰かが手を振っている。

SLを撮りに来ている人が、カメラそっちのけで手を振っている。




ふと見ると、景色の中に手を振っている人がいる。

右にも、左にもです。









手を振られれば、こちらもつい嬉しくて振り返すから、ああ、写真が間に合いませーん。










あの親子は、何時からあそこで待っていてくれたのか?

今日の夕飯の時に、このお手振りの話をするのでしょうね。また振りに行こうね、なんて話すのでしょうか。







山手線のようにしょっちゅう走っているわけではないので、調べて待って手を振る。傘を振り回したりしている。

あのエネルギーは何なのだろう?こちらにも力が伝わってきます。元気になります。

わーい!と声が出ます。



イモ畑の端のおじさんは、どんな気持ちであそこに1人、ちょっぴり恥ずかしそうに立っているのだろう。

旗までもって、振ってくれる。

心がジーンと熱くなります。きっと客車の窓からもたくさんの人が手を振っている、その笑顔がおじさんにも届いているはずです。


ベランダでワンちゃんを抱いて、その小さな足を振っている女性も。

なかにはSLの絵を描いた大きな看板みたいのを持って、飛びはねている家族もいます。

これまた、こちらが大きく手を振っているうちに写真が撮れず・・。



踏切で止まっている車、手前から2番目の車の窓で手が振られてます。

遠く離れていても、向こうとこちらが繋がっている感じ。糸電話で声まで聞こえてきそう。








病院の前には、車いすのおばあちゃんが。お手振りをするために外まで出てきていました。SLへのお手振りは、ワクワク感もあるし健康に役立っているのでは。

なんだか、泣けました。





こんなに普段、手を振られてことなどありません。

理屈じゃない、ただただ笑顔が手を振ってくれる、そうするとこちらも笑顔で手を振る。

窓越しに、損得抜きの人間関係ができている。「人間て、いいなあ〜」と思えてきます。



都会暮らしは過酷です。他人を無視しないと生きていけないこともある。

いえ、家族でも、夫婦でも。笑顔で手を振るなんてこと、だんだんなくなってきています。

そもそも今回の旅行で、家族のだれかが手を振って見送ってくれたかしら?

このSLに乗って、たくさんの手のひらをみて、心が温まった人が多いのではないでしょうか。

そして、「SLが走っている、すごいなあ自慢だな」と胸を張るそんな地元家族も多いことでしょう。

この「SL大樹」に乗ると、アテンダントさんが昔のSL写真のハガキにスタンプを押してくださいます。

都会のマンションに、これを飾っておきましょう。そして「なんだか1人っぽっちで、心が寒いなあ〜」という気持ちになったら、「SL大樹」に乗ることを思い出しましょう。

大樹に身を預ければほっとして、たくさんの手のひらが心を温めてくれます。

温泉にも浸かれば、身体も温まって帰れますね。


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ゆとりある記 練馬の「農」 2018/10/01 2:27 pm

東京23区の中で最も農地の多い練馬区、減少する都市農業をさまざまな工夫で支えています。

援農する“農サポーター”を育てる「農の学校」。農業者が開
校する農の塾「農業体験園」。果物狩りできる「果樹あるファーム」も各種。もちろん「区民農園」や農産物販売の「ねりマルシェ」の開催も。

農が身近にあることの幸せを、皆で大事にしていきたいものです。
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環状八号線からすぐの高松地区を歩きました。車がたくさん行き来している道路から、少し入るとこんな風景がありました。

そこらじゅうが畑や田んぼ、森、という土地の方には、この写真を見て、そんなに貴重か?と思われるかもしれません。

畑には住宅が迫っていますし、大規模農業というような畑でもありません。

でも向こうにはかつて農家がたくさんあったころの屋敷林が少し見える。土が見える。育つ苗が見える。

もしこの近くに住んでいる会社員なら、通勤の朝、マンションを出て歩きながらも、土を耕す人の姿をみたり、ブロッコリーの収穫の様子を見たりする。挨拶もするかもしれない。

土の匂いや、季節の変化を感じる。ヒバリの姿も見るかもしれない。もうそれだけで、この畑は価値あるものなのではないでしょうか。畑からは“癒し”という農産物を受け取っていることになります。

私の住んでいる新宿区四谷には、こんな風景はありません。野菜に出会うのはスーパーの売り場だけ。

土を見るのは街路樹の足元か、小さな公園位なのですから。

練馬区には農地や農家が多いとはいえ、ぐんぐん減っています。人口がいまだに集まっている東京で、減り続けているのは農家と緑でしょう。

「歳をとって、いつまでも安い値段にしかならない野菜を作っているより、もう引退したい」という農家さんがほとんどです。

ならばサポーターを派遣しましょう、というのが練馬区の考え方。高松の「農の学校」では、希望する区民が農家さんや専門家から知識や技術を学ぶことができます。

卒業すれば、相性のいい農家さんのお手伝いに行くことになる。平成27年にできて55人が卒業、31人が農のサポーターとして動いているそうです。

都市部の高齢者で、それまでサラリーマンなどしてきた人、特に男性は、退職後しばらくは好きなことをしても結局はテレビ人間になりがちです。そしてぶくぶく太り、病気になるだけ。

それなら感謝されて作物をつくる応援をする役割を担う方が、建設的です。そういう場があれば学びたいという方、これからますます増えることでしょう。

学んでいるうちに友達もできる、いい空気も吸える、筋肉も着く。農だけでなく、ここは第二の人生学校なのではないでしょうか。

これも、農地と農家さんがあるからできることです。

練馬の農家さんはいいアイディアを考えました。農業は続けたい、いろいろな事情から続けなくてはならないのではあるけれど、マンパワー的に無理。

ならば、農作業を教えてあげる、畑を塾にしよう、というわけです。教えるだけでなく、ちゃんと結構広いエリアで作物を作ってもらう。それを利用者が買い取ったという考え方で、授業料?使用料?体験料?的なものを年に数万円いただく。

これならば農業を続けられる。畑も守れる。自分の身体もしんどくない、というわけです。

畑が農の塾のようになっていると農園が17カ所もあるとのこと。これは他の都市も見習いたいですね。

一般的な区民農園もあります。小さな畑にいろいろ植えている姉妹に出会いました。

「イチゴ作ってみようと思って〜。ホームセンターで苗を買いました」苗ひとつだけ植えて、イチゴは実るのでしょうか?収穫はあるのでしょうか?

「深く植える?浅く植える?どっちだろう?」おぼつかない農作業ですが、もうこの人たちは“くつろぎの時間”“実りへの想像”という上質の時間を得ているのです。

デュズニーランドに行くのとは違う、リフレッシュタイム。こういう時間を自分に用意できるなんて、おしゃれですね〜。

畑の横に「マルシェ」スペースもありました。あちこちで年に30回位農産物のマルシェが立つ。

練馬区民でなくても楽しみ、だからマルシェには年間4万人も集まるのだそうです。

そうなると、畑は、農産物は、観光資源・交流資源となるわけです。キャベツは単にビタミンや繊維を私たちにもたらす物ではなく、「ねりマルシェに行ってみよう」という人寄せパンダにもなるのです。

ブルーベリー農園の多い練馬は「果樹あるファーム」という果物狩り、摘み取りができる農園にも人が集まります。

道ばたにはこんな直売所もあります。

覗いていると、向かいのおうちからお爺さんが現れました。ついいろいろおしゃべりをします。ネギを買います、ナスを買います。ああ、生姜もおいしそう。

もしこれが小さな子どもとお母さんなら、お爺さんは「そこの畑から採ったナスだよ」と教えてくれるでしょう。

子どもはナスの花が黄色いこと、ぶら下がってなることを知ります。お母さんは、抜きたてのネギには泥がついていることを知ります。

興味がわけば、区民農園や農業体験園を借りて農作業もするでしょう。自分が育てた野菜は残しません、捨てません。一度経験すれば、すべての農産物を見つめる目が変わるでしょう。

こうした経験のない子どもや若い親はどうなるのか?生き物のわからない、生き物を扱えない、生き物に優しくできない、そんな人間になるはずです。

都心のマンションに暮らし、育ち、という子どもたちは、親がよほど努力しない限り、自然・緑・生き物・野菜・農作業などを知らずに育ちます。

お受験にパスして高学歴になったとして、歪んだ物差ししか持たない人間ができてしまうでしょう。

だからこそ、練馬は偉いし、素敵だと思うわけです。

すぐそこで採れた野菜が手に入る、食べられる、とうことがどんなに素晴らしいことか。

歩ている時にあった焼肉屋さんは、近くの農家さんの経営。メニューより先に練馬の野菜の讃歌が書かれていました。

こういうお店があることは、この地の誇りですね。

練馬の「農」は、“癒し”“上質なリフレッシュ時間”“生涯学習”“いきがい”“元気な身体”“人の繋がり”“健全な子ども”“緑”“季節の伝達”“賑わい”“地域の誇り”という農産物を創り出します。

さらに、災害時には避難場所になり、畑の野菜は食べることもできます。近々、「世界都市農業サミット」も計画中と聞きました。

練馬、えらいぞ!

そう思いながら、私、いま「練馬大根」についての小学生用のガイドブックを読んでおります。

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野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。