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ゆとりある記 凍み餅 2019/01/14 12:00 pm

その存在は知っていましたが、造るところを見せていただき、さらに地元で食べることができました。

福島県古殿町「ふるさと工房おざわふぁーむ」の小澤ご夫妻が郷土の味を消してなるかと頑張っています。

「ごぼっ葉」という山菜を混ぜて餅を搗くと、お餅が凍り、乾燥してもボロボロにならない、昔からの知恵です。

寒さと時間、手間が美味しさをつくる、究極のスローフードでした。
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「おざわふぁーむ」です。もとは酪農をされていたそうで、いまこの建物は農業体験工房のように使われています。

泊まったり、米づくりをしたり、郷土料理を習ったり。牛を育てていた場所が、人を育てる場になっています。




近づくと赤いネックレスのように下がっている干し柿がきれいで、おいしそうで・・・。










その横に下がっている白いものが「凍み餅」でした。

一見、凍み豆腐かと思うのですが、実は白い紙でお餅を包んであるのです。







小澤啓子さん。訪ねると、この夜私たちがいただく懇親会用の郷土料理を調理中でした。

「夜にうかがうんですが、昼の凍み餅を干している様子が見たくて寄りました」と私が声をかけると、「見て、見て〜」と「凍み餅」づくりの途中を見せてくださいました。






「凍み餅」に欠かせないのが「ごぼっ葉」。学名は「オヤマボクチ」という山菜の一種。

これを夏のうちに採って乾かして保存します。一見、フキの葉っぱの乾いたもののように見えます。

この葉っぱの裏側にはヨモギのように細かい産毛のようなものがあり、これがお餅のつなぎになるそうです。

「いい、これをこうして手で揉むでしょう。繊維だけはこうして残るの、粉々にならないの」と、小澤さんが実験してくれました。



カラカラに乾いた葉っぱなので、強く揉めば粉々になるはずです。それが蜘蛛の巣の塊のように、モハモハがしっかり残る。

これをお餅に混ぜて搗くのですから、お餅はしっかり繋がる。鉄筋入りのコンクリみたいなもんですね。




工房には「ごぼうっ葉」入りのお餅がたくさん搗かれ、型に流されていました。










これを切り分けて、一枚ずつ紙に包む。切るのも包むのも大変な作業でしょう。










包み終えたものを紐で繋げて、水に浸ける。たっぷり水をしみ込ませてから吊るすのだそうです。

外に吊るしたお餅は、寒さで凍り、それが昼には溶けて水が抜ける。その繰り返し。フリーズドライとはこのこと!昔の人が考えた保存食ですね。




小澤さんが見せてくださいました、昨年の「凍み餅」。よ〜く乾いています。

寒いだけでなく風がないとダメ、40日くらい吊るすとか。乾ききった「凍み餅」は実際何年も持つそうです。






一方これは「ごぼうっ葉」の入っていない普通のお餅。

上の方にヒビが入っています。つなぎがないとこうなるんですね。








さて、「凍み餅」は食べるときにも時間がかかる。乾いて眠っているお餅を目覚めさせる?には、5時間以上水に浸けないとダメ。

でも、水に浸ければ本当に普通の搗きたてのお餅と変わらないようになるのですから、驚きです。

水を得たお餅はぐっと膨らんで大きくなります。それを切り分けて油少々のフライパンで焼く。


焼けたお餅は砂糖醤油を絡めれば、出来上がり。

ほんのり「ごぼっ葉」の香りがする「凍み餅」。これは本当に美味しかったです。






普通のお餅とは違う、もっちりしっかりしていて、かたくはないけれど柔でもない。寒さに耐えて一度乾くと、餅が厳しい修行を耐え抜いて、強く存在感あるさらに美味い物に変わるのでしょうか。

ただのお餅じゃないのです。
私の目の前で、地元のお若い方は3つ召し上がりました。



小澤昌男さん。お酒を飲みながら昔の話をいろいろしてくださいました。

この地の人が味わい深いのは、寒風がつくった顔、人柄なのでしょうか。いつまででも一緒に居たくなる、懐深い温かさです。

「凍み餅」を東京で食べるのもいいですが、やはりこれは小澤さんご夫婦に米づくり、「ごぼうっ葉」採りも教わり、「凍み餅」づくりの仕事を何度も通って手伝って、最後に食す。そんな時間を過ごしたいものです。

古殿町に通うほどに、寒風に震えるたびに、きっと私も味わい深い人間になれるかと思いました。

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ゆとりある記 紀の川市と雲仙市 2018/11/19 12:07 pm

私が仕事をしている、両市の方々が仲良くなっています。スローライフ・フォーラムで同室になったのが始まり。

その後、紀の川市から2回雲仙へ。そして今回は雲仙市から紀の川市へ。

オフィシャルでなく、自費で動くこの人たちは凄い!とつくづく思います。原動力は「わがまちを良くしたい」という一念。

普通の視察以上の濃い交流、そんな素敵なシーンに同席できて嬉しい限りです。
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雲仙市のMさんは、私どもNPOスローライフ・ジャパンの13日回目の「スローライフ・フォーラム」2009年8月 鳥取県因幡地区での「スローライフ・フォーラムin鳥取」に参加されました。「智頭町での分科会が忘れられない」と今も語ります。

その後、20回目の2014年9月 群馬県南牧村での「フォーラム」にもやってきました。その時は、市職員になったばかりのKさんも一緒でした。そして「このフォーラムを雲仙でやってください」と、増田寛也さん(スローライフ学会会長)に直接交渉した姿を今でも私は覚えています。

そして、遂に2015年11月、Mさんが中心になり、Kさんが司会をしてくれて、「雲仙市市制施行10周年記念事業」として「スローライフ・フォーラム」が開催されました。450人もの方が参加してくださいました。

自分の地域でフォーラム開催後も、Mさん・Kさんはうちのフォーラムに現れてくださいます。2016年11月長野県飯山市での「スローライフ・フォーラムin飯山」、2017年10月島根県出雲市での「スローライフ・フォーラムin出雲の國」。この22回・23回のフォーラムで、Mさんは和歌山県紀の川市のNさんと同室になり、意気投合します。

飯山での夜、浴衣姿の各地の男女が車座になって話し合った時そこにお2人はいました。その後、紀の川市のNさんが雲仙市を訪ねます。MさんとKさんはとことん雲仙市を案内したそうです。

そして、この秋です。紀の川市のNさんの上司Jさんが、雲仙市に「ドラム缶ピザ窯」を造りにやってきてくれました。部下のTさん、Nさんを従えて。

雲仙市では、職員のM2さん、Tさんはじめ、市民の方がたがワークショップイベントとして彼らを受け入れました。子どもを含む50人以上の人が楽しみました。

もちろん、この日もMさん、Kさんは居ました。

Jさん部隊の活躍は話題となり、紀の川市と雲仙市の交流が始まったと新聞記事にもなりました。その時のことの私のブログがこれです。
「ピザ窯造り交流」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=484


さあ、そして今回は雲仙からMさん、Kさん、M2さん、Mさんの娘さんがやってきました。まずは紀の川市役所で紀の川市のNさん、雲仙市のMさんの久しぶりの対面です。


紀の川市に初めての方が来るとき、Jさんは「パラグライダーに乗せちゃろう」といたずらを仕込みます。実は私もその洗礼を受け、その後、紀の川市のとりこになって行ったのでした。

今回、雲仙を代表?して飛ぶことになったのはKさんです。

飛び立つ丘の上でみんながはしゃぎます。なんだかお祭りみたい。これから屋台がでるような、ワクワク感!





Kさんを前の椅子に抱えて飛んでくれるのは、6年前にJさんの計らいで、私を飛ばせてくれたインストラクターさん。

紀の川市と雲仙市がひとつになって飛び立つようで、下の方で眺めている私はなんだかウルウルしていました。雨のはずだったお天気が、なんと青空も少し見えてきて・・・。









ふわりふわりと優雅に飛ぶパラグライダーは、紀の川市と雲仙市を乗せて何だかとっても楽しそう。こんな日が来るなんて、両方に関わる私には不思議な思いでした。







Jさん、Nさんは2日間に渡って雲仙チームを紀の川市ご案内でした。世界初、麻酔をして外科手術を成し遂げた華岡青洲ゆかりの場所。

ここはかつて全国から医学を学びに、延べ2000人以上の人がやって来たそうです。昔の人は実にダイナミックに動いていた、学ぶためならどんな遠くからも来ていた。

学人の中に、現在の長崎県から何人どこの国から来ていたのか、雲仙チームは緻密なチェックです。ただの観光とは視点が違いますね。

青洲は地域のために土木工事もしていました。ため池の多い紀の川市、用水について水のとり方について質問と説明が続きます。


西国33番札所の3番「粉河寺」のある紀の川市粉河。ここの「力寿し」で食事。

フルーツのまち紀の川市の名物「フルーツ寿司」が生まれていった物語をご主人からうかがいます。このお寿司はJさんやNさんが38回続けたワークショップのなかから生まれ、育ったものでした。

紀の川市のJさんが、最初の試作を食べた時の話を披露します。雲仙市のMさんが「アイディアを即、翌日作るということが凄いな」と感心します。


そこに、紀の川市のTさんが「今度12月に雲仙に行く予定」と披露。すかさずMさんが「うちで牡蛎焼くから来い」とハグハグ。

結局、私もお邪魔する運びになりました。きっと地元の方々も何人か集まることになるでしょう。

行政主導の都市交流とか姉妹都市とかはあります。でもそれは、なんだか白々しく仰々しくなります。

必然性なく出会った人たちが、「まちづくり」というエネルギーで繋がり、惹かれていく。こういうこの指とまれの、ネットワークがこれからは強いと思います。お互いに刺激して、一番学べるはず。

私などは、何処も仕事でうかがうので、交通費も日当もいただいての訪問です。でもここでまるで親戚のようにニコニコして群れているいる人たちは、自分の意志でお金で動き、身体を運んでいる。アッパレです!

だから、案内や説明のツボが分かっている、見方、聞き方、学び方のツボがはっきりしている。濃い視察が行われるわけです。

こんな清々しい人たちに混ぜてもらえる幸せを、私は感じていました。

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ゆとりある記 おきりこみ 2018/11/04 5:17 pm

久しぶりに、群馬県富岡市を訪れました。市役所庁舎や商工会議所が新しくなっていました。富岡製糸場のイメージに合った、おしゃれなデザインです。

こういう歴史のある街に来たら、古くからの郷土料理を味わいたい。「おきりこみ」をいただきました。

小麦産地ならではの手打ち幅広生麺と、野菜の煮込みです。どんなにハードが新しくなっても、この味はきっと変わらないでしょう。

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会議の予定に私の予定が合わないまま、ずっと欠席で、2年ぶりくらいに富岡市の会議に出ました。

その簡に、あら〜〜〜新庁舎が。

隈研吾さんらしい、木をたくさん使った建物。富岡製糸場のレンガ造りの横にあってもぴたりとするようなデザイン。なんといっても建物前の芝生が心をのびやかにしてくれます。



製糸場で働いていた工女をモチーフにしたゆるキャラ「お富ちゃん」も石像で!









昔は製糸で栄えた土地です。まちのあちこちに当時をしのばせる立派な蔵などがありますが、それを活かしたというこの建物。

富岡市商工会議所です。江戸時代の老舗へ入っていく感じ。












内部もなかなか素敵。こんなテーブルを使って、まちづくりのワークショップなどやれば、良いアイディアが出そうです。








さてそんな新しい建物とは対照的な昔からの商店街、そこの「おきりこみ」の幟の店に入りました。

もともとはお寿司屋さんだそうです。

「おっきりこみ」なのか「おきりこみ」なのか、いつもこの「っ」についてが話題になりますが、どうも正解はないようです。

群馬県は小麦の産地、その小麦で幅広の麺をうち、季節の野菜と煮込んだのが「おきりこみ」。

打ち粉と一緒に煮込むので、汁がとろりとする。味噌味か醤油味かはその店か、家の好み。

少し秋も深まった富岡に来たのだから、熱々の「おきりこみ」をなんとしても食べたい!と駄々をこね、友達と一緒にこの日やっているお店に連れてきていただいたのでした。



座敷にドーンとあるのは、「おきりこみ」のストックです。一度煮たものを、食べるときに煮直して食べる、これを「たてっかえし」というそうです。できたてよりも味が染みている。

ここのおかみさんは、前日に粉をまとめておいて、朝、麺棒で伸ばし切る。煮干しの出しをとり、この大鍋で煮るのだそうです。

「手打ちを出しているのはうちくらいだよ」と自信ありげ。小さい頃から打って来たから、何十年かの大ベテランだそうです。


1人ずつの鉄鍋に、「たてっかえし」をいれ、熱々にして「鍋に触っちゃダメ、やけどするよ」と出してくれました。

これに一味唐辛子をかけて食べるのですから、温まりますね。

多少塩辛いものの、これが上州空っ風の地の味でしょう。




おかみさんが話します。

「いま40歳になる息子が小さい時に、おきりこみを出したらこんなもん食えるか、といったことがあって。頭にきて、車にのせて河原に置いてきた(笑)。そんなことがあったねえ」

郷土の味というのはその家々の、いろいろな思い出も染み込んでいるものなんですね。

石臼が普及した江戸時代中頃から、この料理があるそうです。米の貴重な時代、おなか一杯になる粉食は嬉しかったでしょう。

また、上州はかかあ天下の地で、女性が強くたくましく働いていた中で、短時間で作れるものでもあったようです。

街はいろいろ変わっても、こうした食文化や味の記憶は何かしら残り、受け継がれていくことを願うばかりです。

帰り道、もとは繭の倉庫だったという建物が地場産品の店になっていました。

早速、お土産に「おきりこみ」を買いました。おかみさんのように芋がらなどは入れられませんが、それらしきものを作ってみましょう。




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ゆとりある記 オリーブオイル搾り 2018/10/29 2:27 pm

オリーブの実を摘み取り、洗い、選別し、搾るという一連の作業を、雲仙市で体験しました。

枝からぶら下がり光る、揺れる、イヤリングのような実をとるのは楽しい作業です。おしゃべりしながら集めた実は緑色やワイン色、宝石のよう。

これを機械にかけるとやがてタラりタラり。100キロの実で、5キロのオイルがとれるそうです。強烈なバージンオイルの味は衝撃でした。
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オリーブです。

ね、まるでアクセサリーのようにきれいですよね。

このまま摘み取らないで枝ごと活けたら、素敵なカフェやブティックにぴったり。







今回お誘いくださった、稲田信忠さん。本業はイナダ創研という、生産省力化機械製作の会社の経営者。

図面を引かずに相談を解決する機械を作ってしまう、“発明王”の名を持つ人です。

この厳つい感じ(失礼!)の人が、オリーブ栽培に目覚め、お茶や化粧品まで手掛けようとしておいでなのだから面白い!

耕作放棄地にオリーブを植える運動を起こし、ナチュラルファーミングという会社も起業されました。

オリーブの収穫なんてめったにない体験。私だけではもったいないので、お知り合いに声をかけました。

人間は収穫欲求があるのでしょうか、どんどん採り始めます。

「これをこのまま口に入れて、食べられればうれしいわね〜」




「野口さんでも採れるところを残しておきましたよ」と稲田さんが気づかってくださって、私たちが収穫したのは道路に近いところ。

もちろん無肥料・無農薬です。

「脚立に乗るの何年ぶりだろう?楽しい〜〜〜!」



「簡単に採れるのね〜、葉っぱもきれい」

「実をかじるとビックリする味よ。でもその実を手にこすりつけると、油がスッと肌に入ってくの」

「へえ〜。顔に塗ろうかな〜」

作業をしながらの、こんな会話がのどかで楽しいのです。


首から下げていた袋からポロポロとオリーブを空けると、なんだか気分は地中海。

これだけで体験観光メニューになりますね。







たっぷりの水で洗い、浮いた実ははねて、さらに柄や、しぼんでいる実、カメムシが刺した後のある実、大きな傷のあるものなどをひとつずつチェックして避けていきます。

少々面倒ではありますが、これをやった後の手はすべすべになるというごほうびが。




機械に投入。

イタリア製の搾油機です。稲田さんがこれを作ってしまうのも時間の問題でしょう。








さあ、オリーブの実が砕かれ潰され始めました。

一気に周囲が青青しいような、少しツンとするような、独特の匂いで満ちてきます。







機械にお任せの間に、工場横で即席オリーブパーティー。

以前に搾ったオイルと岩塩を、特産のジャガイモを練り込んだパンにつけてパクリ。

オリーブの塩漬けの入った、コロッケをパクリ。

「これはワインを飲まなくちゃね〜」と何度もいうのは私。

家庭用のこの塩漬けはいわゆる浅漬け、塩分が少しでパクパク食べられました。


稲田さんのところでは実やオイルに限らず、葉にも注目。オリーブの葉のリーフティーとパウダーティーを作っています。

強い苦みがあるのですが、それを解決する発明が上手くいったとのこと。これから本格的に商品化されるそうです。

パウダー茶は、先日、地元の洋菓子屋さんが、新作のお菓子に既に使われました。抹茶ブームの後は、オリーブ粉茶のブームが来るのかもしれません。

オリーブの樹の盆栽もあるのだとか、これには驚きました。


そうこうしているうちに、タラりタラりと、そのうちチョロチョロと、オイルが出てきました。

小さなプラ容器でほんの少し飲んでみます。








「おいしい〜〜〜〜」という声は上がりません。

何でもおいしがる私の、この複雑な顔。

辛い、えぐい、酸っぱい、青青しい。人を寄せ付けないパンチのある味です。でも、これこそがポリフェノールの味。バージンオイルなのでした。

雲仙は小豆島などのオリーブ栽培に比べたら、まだまだ始まったばかりで産地ともいえない段階です。

でも確実に国産オリーブの需要はある。この数年でどこの家でも当たり前に、オリーブオイルを使うようになっているのですから。

そしてさらには、「少し高くてもいいから、無農薬の国内産のオイルを使いたい」と思っている人は、今や少なからずいます。

その人たちに向けて、オリーブを植える、植える。畑を荒らしているよりはいい。

そして実だけでなく、栄養や薬効もある葉も加工して摂取できるようにする。いずれ機械も日本で作る。

和オリーブの世界はこれからなのです。

雲仙は観光地です。温泉国際観光地ならではのオリーブの発展があるでしょう。

旅館やホテルで、雲仙オリーブオイルを使ったお料理を楽しめます。和食としてのオリーブオイルの活用が期待できます。

温泉蒸しした和野菜に、地元のオリーブオイルなんて、贅沢ですね。お刺身にお醤油とオリーブオイルも合います。

この地ならではのカタクチイワシの塩辛とオリーブオイルは相性抜群です。

温泉療法の後に、オリーブオイルでお肌のお手入れもできるでしょう。

今回のオリーブ体験がプログラム化すれば、自分で収穫し搾ったオイルをおみやげにもできます。


いろいろな実りの妄想がキラキラと広がる、雲仙オリーブに期待しましょう。


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ゆとりある記 お手振り「SL大樹」 2018/10/15 2:39 pm

日光市の下今市駅から鬼怒川温泉まで走っている「SL大樹(たいじゅ)」に乗りました。

ほんの35分間の蒸気機関車体験ですが、驚いたのは沿線の方々が手を振ってくれること。家のベランダから、イモ畑から、ふと見ると手を振っています。

ついこちらもニコニコと振り返します。往復乗ると、何人もの人と友達になった気分。

淋しくなったらお手振りを求めて、また乗りましょう。
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東武鬼怒川線に50年ぶりにSLが走ったのは昨年の夏。下今市の駅舎もぐっとレトロに、新しく古くなりました。









SLについての魅力は、撮り鉄、乗り鉄、SLマニアの方にお任せするとして。ここのSLは首都圏からすぐに、サッと乗れるというのがひとつの際立った特色と私は思います。

片道35分ならば、日帰りで往復2回なんて乗り方が可能なのですから。





東武鉄道の偉かったのは、SLを単なる観光資源だけにせず、まちづくりのきっかけにしようとしたこと。

「SL大樹にみんなで手を振ろうプロジェクト」や花植え、絵画募集、ネットワーク組織の立ち上げなどを行い、沿線住民の地域づくり運動を展開しています。



カメラを向ければ、関係者がサッとポーズを取ってくれる。

駅員さんもSLアテンダントさんも、素敵な笑顔ですね。







誰もが写真を撮りたい撮られたい時代ですから、SLなどはとても良いモチーフなのでしょう。










運行初日などに、地域の人たちがずらっと並んで手を振るということは多々あります。

でも、ここではずーっと一年以上も、誰かが手を振っている。

SLを撮りに来ている人が、カメラそっちのけで手を振っている。




ふと見ると、景色の中に手を振っている人がいる。

右にも、左にもです。









手を振られれば、こちらもつい嬉しくて振り返すから、ああ、写真が間に合いませーん。










あの親子は、何時からあそこで待っていてくれたのか?

今日の夕飯の時に、このお手振りの話をするのでしょうね。また振りに行こうね、なんて話すのでしょうか。







山手線のようにしょっちゅう走っているわけではないので、調べて待って手を振る。傘を振り回したりしている。

あのエネルギーは何なのだろう?こちらにも力が伝わってきます。元気になります。

わーい!と声が出ます。



イモ畑の端のおじさんは、どんな気持ちであそこに1人、ちょっぴり恥ずかしそうに立っているのだろう。

旗までもって、振ってくれる。

心がジーンと熱くなります。きっと客車の窓からもたくさんの人が手を振っている、その笑顔がおじさんにも届いているはずです。


ベランダでワンちゃんを抱いて、その小さな足を振っている女性も。

なかにはSLの絵を描いた大きな看板みたいのを持って、飛びはねている家族もいます。

これまた、こちらが大きく手を振っているうちに写真が撮れず・・。



踏切で止まっている車、手前から2番目の車の窓で手が振られてます。

遠く離れていても、向こうとこちらが繋がっている感じ。糸電話で声まで聞こえてきそう。








病院の前には、車いすのおばあちゃんが。お手振りをするために外まで出てきていました。SLへのお手振りは、ワクワク感もあるし健康に役立っているのでは。

なんだか、泣けました。





こんなに普段、手を振られてことなどありません。

理屈じゃない、ただただ笑顔が手を振ってくれる、そうするとこちらも笑顔で手を振る。

窓越しに、損得抜きの人間関係ができている。「人間て、いいなあ〜」と思えてきます。



都会暮らしは過酷です。他人を無視しないと生きていけないこともある。

いえ、家族でも、夫婦でも。笑顔で手を振るなんてこと、だんだんなくなってきています。

そもそも今回の旅行で、家族のだれかが手を振って見送ってくれたかしら?

このSLに乗って、たくさんの手のひらをみて、心が温まった人が多いのではないでしょうか。

そして、「SLが走っている、すごいなあ自慢だな」と胸を張るそんな地元家族も多いことでしょう。

この「SL大樹」に乗ると、アテンダントさんが昔のSL写真のハガキにスタンプを押してくださいます。

都会のマンションに、これを飾っておきましょう。そして「なんだか1人っぽっちで、心が寒いなあ〜」という気持ちになったら、「SL大樹」に乗ることを思い出しましょう。

大樹に身を預ければほっとして、たくさんの手のひらが心を温めてくれます。

温泉にも浸かれば、身体も温まって帰れますね。


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ゆとりある記 練馬の「農」 2018/10/01 2:27 pm

東京23区の中で最も農地の多い練馬区、減少する都市農業をさまざまな工夫で支えています。

援農する“農サポーター”を育てる「農の学校」。農業者が開
校する農の塾「農業体験園」。果物狩りできる「果樹あるファーム」も各種。もちろん「区民農園」や農産物販売の「ねりマルシェ」の開催も。

農が身近にあることの幸せを、皆で大事にしていきたいものです。
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環状八号線からすぐの高松地区を歩きました。車がたくさん行き来している道路から、少し入るとこんな風景がありました。

そこらじゅうが畑や田んぼ、森、という土地の方には、この写真を見て、そんなに貴重か?と思われるかもしれません。

畑には住宅が迫っていますし、大規模農業というような畑でもありません。

でも向こうにはかつて農家がたくさんあったころの屋敷林が少し見える。土が見える。育つ苗が見える。

もしこの近くに住んでいる会社員なら、通勤の朝、マンションを出て歩きながらも、土を耕す人の姿をみたり、ブロッコリーの収穫の様子を見たりする。挨拶もするかもしれない。

土の匂いや、季節の変化を感じる。ヒバリの姿も見るかもしれない。もうそれだけで、この畑は価値あるものなのではないでしょうか。畑からは“癒し”という農産物を受け取っていることになります。

私の住んでいる新宿区四谷には、こんな風景はありません。野菜に出会うのはスーパーの売り場だけ。

土を見るのは街路樹の足元か、小さな公園位なのですから。

練馬区には農地や農家が多いとはいえ、ぐんぐん減っています。人口がいまだに集まっている東京で、減り続けているのは農家と緑でしょう。

「歳をとって、いつまでも安い値段にしかならない野菜を作っているより、もう引退したい」という農家さんがほとんどです。

ならばサポーターを派遣しましょう、というのが練馬区の考え方。高松の「農の学校」では、希望する区民が農家さんや専門家から知識や技術を学ぶことができます。

卒業すれば、相性のいい農家さんのお手伝いに行くことになる。平成27年にできて55人が卒業、31人が農のサポーターとして動いているそうです。

都市部の高齢者で、それまでサラリーマンなどしてきた人、特に男性は、退職後しばらくは好きなことをしても結局はテレビ人間になりがちです。そしてぶくぶく太り、病気になるだけ。

それなら感謝されて作物をつくる応援をする役割を担う方が、建設的です。そういう場があれば学びたいという方、これからますます増えることでしょう。

学んでいるうちに友達もできる、いい空気も吸える、筋肉も着く。農だけでなく、ここは第二の人生学校なのではないでしょうか。

これも、農地と農家さんがあるからできることです。

練馬の農家さんはいいアイディアを考えました。農業は続けたい、いろいろな事情から続けなくてはならないのではあるけれど、マンパワー的に無理。

ならば、農作業を教えてあげる、畑を塾にしよう、というわけです。教えるだけでなく、ちゃんと結構広いエリアで作物を作ってもらう。それを利用者が買い取ったという考え方で、授業料?使用料?体験料?的なものを年に数万円いただく。

これならば農業を続けられる。畑も守れる。自分の身体もしんどくない、というわけです。

畑が農の塾のようになっていると農園が17カ所もあるとのこと。これは他の都市も見習いたいですね。

一般的な区民農園もあります。小さな畑にいろいろ植えている姉妹に出会いました。

「イチゴ作ってみようと思って〜。ホームセンターで苗を買いました」苗ひとつだけ植えて、イチゴは実るのでしょうか?収穫はあるのでしょうか?

「深く植える?浅く植える?どっちだろう?」おぼつかない農作業ですが、もうこの人たちは“くつろぎの時間”“実りへの想像”という上質の時間を得ているのです。

デュズニーランドに行くのとは違う、リフレッシュタイム。こういう時間を自分に用意できるなんて、おしゃれですね〜。

畑の横に「マルシェ」スペースもありました。あちこちで年に30回位農産物のマルシェが立つ。

練馬区民でなくても楽しみ、だからマルシェには年間4万人も集まるのだそうです。

そうなると、畑は、農産物は、観光資源・交流資源となるわけです。キャベツは単にビタミンや繊維を私たちにもたらす物ではなく、「ねりマルシェに行ってみよう」という人寄せパンダにもなるのです。

ブルーベリー農園の多い練馬は「果樹あるファーム」という果物狩り、摘み取りができる農園にも人が集まります。

道ばたにはこんな直売所もあります。

覗いていると、向かいのおうちからお爺さんが現れました。ついいろいろおしゃべりをします。ネギを買います、ナスを買います。ああ、生姜もおいしそう。

もしこれが小さな子どもとお母さんなら、お爺さんは「そこの畑から採ったナスだよ」と教えてくれるでしょう。

子どもはナスの花が黄色いこと、ぶら下がってなることを知ります。お母さんは、抜きたてのネギには泥がついていることを知ります。

興味がわけば、区民農園や農業体験園を借りて農作業もするでしょう。自分が育てた野菜は残しません、捨てません。一度経験すれば、すべての農産物を見つめる目が変わるでしょう。

こうした経験のない子どもや若い親はどうなるのか?生き物のわからない、生き物を扱えない、生き物に優しくできない、そんな人間になるはずです。

都心のマンションに暮らし、育ち、という子どもたちは、親がよほど努力しない限り、自然・緑・生き物・野菜・農作業などを知らずに育ちます。

お受験にパスして高学歴になったとして、歪んだ物差ししか持たない人間ができてしまうでしょう。

だからこそ、練馬は偉いし、素敵だと思うわけです。

すぐそこで採れた野菜が手に入る、食べられる、とうことがどんなに素晴らしいことか。

歩ている時にあった焼肉屋さんは、近くの農家さんの経営。メニューより先に練馬の野菜の讃歌が書かれていました。

こういうお店があることは、この地の誇りですね。

練馬の「農」は、“癒し”“上質なリフレッシュ時間”“生涯学習”“いきがい”“元気な身体”“人の繋がり”“健全な子ども”“緑”“季節の伝達”“賑わい”“地域の誇り”という農産物を創り出します。

さらに、災害時には避難場所になり、畑の野菜は食べることもできます。近々、「世界都市農業サミット」も計画中と聞きました。

練馬、えらいぞ!

そう思いながら、私、いま「練馬大根」についての小学生用のガイドブックを読んでおります。

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ゆとりある記 ピザ窯造り交流 2018/09/24 4:42 pm

私は、和歌山県紀の川市と長崎県雲仙市とお付き合いがあります。このたび、両市の方が交流する機会がありました。

ドラム缶でピザ窯を造る技術のある紀の川市民が「これがあると、地域おこしに役立つから」と、わざわざ雲仙を訪ねたのです。

雲仙市民も受けて立ち、ジャガイモ農家をスタッフ隊長にワークショップに40人も集合。みんなで造った窯で焼いたピザは美味でした。
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「紀の川市の人がピザ窯を造ろうかって言ってるけどどうする?」なんて私が話をしたのは今年の7月ごろだったと思います。

そう言われても見たことも聞いたこともない「え、ドラム缶で?」というところから、話は始めなくてはなりません。




何か組織があって、そこが受け入れるとか、役所の仕事としてオーダーするとか、そういう話じゃありません。

「そりゃ、あれば便利だろうけど」「ドラム缶はどうするの」
何時、何処で、誰が、誰に向けて、どうやるのか。決めるにも話し合うにも心もとないところからのスタートでした。


たまたま私と知り合ったということで「やれば〜?」といわれてしまった雲仙市千々石のジャガイモ農家青年も、迷惑な話です。

そもそも彼は自分の仕掛けたイベントをこの夏に抱えていたわけで、ドラム缶もピザも考えられない状態でした。




「行くなら、フェリーの切符もとるよ。ドラム缶は現地で手に入るかな〜?」来てくださる紀の川市の方からは、もう行程表くらい作らないと、と私が迫られます。

「どうするの、やるの?やらないの?それだけ決めて」なんて今度は私が雲仙に迫ります。





「やりますよ!」「うん?やるのね、じゃあやろう!」とまずそこが決まってこの企画は走り出しました。

雲仙で、たまたま知った人の何人かに声をかけます。「一緒に考えませんか?やりませんか?」

そして、4人の市民がファミレスに集まりました。市民の立場で加わった雲仙市役所の職員さんも。

紀の川市の人と一緒に連絡を取り合うファイスブックメッセージグループをつくったり、ラインで繋がったり。

それからは必要な道具から、集客人数、体験料の割り出しまで。まあ、いろいろ打ち合わせがはるか離れた2つの市をまたいで頻繁に行われました。



やるということが決まり、本人たち同士で話が進みだしたら、私のような接着剤の役はあまり口出ししない方がいいです。

言い出せば限りなく何か言い出してしまう。

そうして迎えた9月23日です。雨でないだけで半分成功したようなもの。



私は島原外港に前泊し、紀の川市からの一行を出迎える役でした。そして、千々石までご案内です。

ピザの材料は揃ってるのかな?受付は誰がするんだろう?そもそも人が来るのかしら?




いろんなドキドキはあったのですが、現地に着くと女性スタッフがまずはカレーで腹ごしらえ中。

その様子を見て急に安心しました。紀の川の方々には、チャンポンの昼食が用意されていました。道具などを出したり設営しているうちに、あらあら〜〜?次々と人が集まってきます。



「こんにちは〜」「あら来てくれたの」「久しぶり〜」「どんなのかと思って覗きにね」なんて声が飛び交います。

子ども連れが多いのがうれしい。ドラム缶をみて子どもたちは興味津々です。

これだけの人を集めるのに、どんなに大変だったか。雲仙の人たちはすごいなあ。



ジャガイモ農家の隊長が開会のあいさつをし、紀の川市から来た3人も挨拶。作る手順などの説明が始まります。

まずはドラム缶を輪切りにして、雲仙の文字をアルファベットで切って。





ジグゾーとかサンダーとか、荒っぽい道具が音を立てはじめます。誰もが何かしら作業をしましょう。

そう、だから、スカート姿でも高齢者でも、鉄を切ったり、ねじを回したり、金切りバサミを使ったり、です。

鉄工女子のような方も現れたりして、作業はぐんぐん進みます。


一方、別のチームはロケットストーブづくりも。これまた家族で煙突を固定したり、ねじを締めたり。

ほんの少しの枝を燃すだけでゴーッと音を立てて燃えるので、着火役に抜てきされたの女の子はこわごわと、でもうれしそうでした。





家庭のパン焼き器のなかの釜を動員して、ピザ生地は作られます。

トマトソースはとことんお手製です。トッピングの野菜は10分前に採って来たもの。これを焼くのですから美味しいに決まっています。





出来あがった窯に薪をくべると、あっという間に窯の温度が上がりました。

これがドラム缶ピザ窯の特色、すぐに熱くなって、ばらして運べる。だから屋外の市民イベントなどにぴったり。

この窯があるだけで、何かやってみようという気になるのです。



参加者を特におもてなししない、とにかく何かしらやってもらう。すると皆が仲間になっていきます。

先にやった人が教えてあげたり、人の動きを補佐してあげたり。

催し自体、プロが企画していませんから、ふわふわと不安定。それをそこにいる人みんなが何かしら気づいて、支えて、よくしている感じが伝わります。


ロケットストーブの方ではお湯を沸かし、パスタを茹でました。雲仙のアンチョビを使ったソースを絡めます。

ニンニクとオリーブオイル、ワインが飲みたくなりますね。これも役割が決まっているわけでもない、そこにいた人がなんとなくやっている。




知らない人同士が一緒に、何かをやる。段取りは悪いし、ゆるゆるしているし。

私などついつい、大声をあげて仕切っってしまったりなのですが、そのゆるさの方が大きくおおらかで、ヒスを起こす方が恥ずかしくなりました。

こういう人の繋がり方、いいなあ〜。




誰か一人が100%満足して、他の人がそれに従うよりも、この指とまれで集まった人たちが、30%ずつぐらい思いを叶える。

そして他の人の思いを知ったり、30%でも結構嬉しいということを知る、そんな時代なのではないか、なんて考えもし、、ました。

ついきちんと進行しようとするのは、私の悪い癖です。こんなにみんながニコニコして、初めての人たちが家族みたいになれたなんて大成功ですもの。

ドラム缶ピザ窯造りは、地域を救う!なんて言っても大げさではないですね。

紀の川市と雲仙市の市民の皆さん、これからも親戚づきあいしましょう。

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ゆとりある記 春日部ぶらり 2018/08/27 1:47 pm

とっても暑い日、これといった用もなく、訪れたまちです。

立ち寄って初めて知る歴史、歩いてみて気づく特色に猛暑を忘れます。

旧日光街道の宿場、昔は川港もあり、今も蔵のある旧家が並びます。

路地には風情ある飲み屋さんやラーメン屋さんが。麦わら帽子の産地でもありました。

ついつい汗だくで写真をたくさん撮ることに。涼しくなったらまた行きましょう。
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普段どこかに行くとなると、取材だったり、視察だったり、いずれにしてもご説明の方がついてくださったり、下調べをばっちりして行ったりします。

それは用があるからで、用がないとなると実に無防備にリラックスして出かけます。

夫のゼミの撮影会だそうで、私はその付録。要は居ても居なくてもいいのですから、ほんとに気が楽です。

駅から東に歩き出して、「あら〜?春日部ってもとは粕壁だったんだ〜」と発見。






立札に店と蔵とあるように、ここは明治時代の建物とか。










大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)これは読めません。かつてはここが利根川の本流だったそうです。






橋の上の公園に、今風のオブジェ。お仲間はイメージ的な写真を狙って撮っておいでですが、もう、私は暑くて暑くて。

来なけりゃ良かったとか、日に焼けるとか、どこかに喫茶店がないか、なんてことばかり。

おお!サンダル風の靴から出ている足の甲がヒリヒリ焼けてきています。






少ない日陰をたどるように歩いていくと、ぽつんぽつんと古い建物がある。

う〜ん、魅力的。カフェなんかにするといいなあ〜。






樹齢600年のイヌグス、江戸時代は船着き場の目印だったそうです。

今は数メートルで朽ちていますが、さぞかし目立ったことでしょう。

立て看板には「粕壁宿は米や麦の集散地として栄え、古利根川を利用した舟運が行われていました。」とあります。

私もここで、昔の船頭さんのように一休みさせてもらいました。


意外に水が多く、葦などが茂る古利根川です。

身近にこれだけの水面があるというのはうらやましい。

江戸日本橋から4つ目の宿場、街道は人や馬が歩き、荷はこの川から揚げられ、にぎやかだったでしょう。

当時の喧騒が目をつむると聞こえるようです。

今は東京のベッドタウン、休日の暑い川辺に人の気配はありません。皆、エアコンのきくマンションの中でジッとしているのでしょうか。


人気を感じずに何だか淋しくなっていたら、細い路地にこんな店?を見つけました。

夕方になったら開店するらしいです。冷たいホッピー飲みたいな〜。

きっとランニングにステテコ姿のおじさん等が、昔の船頭さんのように、宿場の木賃宿の番頭さんのように、世間話をしながら飲むのでしょうね。

混ざりたい!


「ぷらっとかすかべ」という案内所に麦わら帽子がありました。昔から産地だったそうです。今も技術が残っている。

ああ、もう夏も終わり。来年、買いに来ますね。

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ゆとりある記 野菜パワー 2018/08/05 8:41 pm

雲仙で地元野菜のステーキを食べてきました。私がそう呼んでいるだけで本当はお肉も含む鉄板焼きです。

でもお肉の存在がかすむほど、カボチャやオクラ、アオナス等の野菜がおいしく、色がカラフル、美しい。食べているうちに身体が弾んで元気になっていくようです。

16種類の野菜を食べて、都会との味の違いに驚きました。複雑な料理などよりも、新鮮本物野菜の勝ちでした。
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出かけたのは雲仙市の雲仙温泉にある民芸風のお宿「雲仙福田屋」です。その別邸にある鉄板焼きのお店にうかがいました。

ここの旅館、お店が、地元の野菜に力を入れていて、鉄板焼きの野菜は特に有機野菜にこだわっている。この日はそれを味わってみよう、という設えでした。


前菜からして鱧以外は野菜だらけ、右下の小鉢にみえる緑色は茎ワカメのような、キクラゲのような食感の野菜。

名前を忘れましたが、調理前は一番下の写真にある丸い厚めの葉っぱです。






さあ、お野菜が現れました。よく旅館料理に出てくる魚の船盛のような迫力です。

椎茸は2種、ジャンボシイタケ、アカチャンシイタケ。カボチャは3種、ソウメンカボチャ、ヒダカボチャ、バターナッツカボチャ。ジャガイモも3種、ナガサキコガネ、ドラゴンレッド、デストロイヤー。ビーツとウズマキビーツ。オクラとダビデオクラ。フジミアマナガトウガラシ、アオナス、アイチワセシロというタマネギ。ビショウニンニク。合計16種類。

野菜の名は少々聞き間違えていたらごめんなさい。


焼き始めました。油は普通のサラダ油。オリーブオイルは野菜の味より勝ってしまうのだそうです。

色とりどりのトランプのカードを広げたように、輪切りの野菜が鉄板の上に広がります。







料理長の草野さん。雲仙及び島原半島の野菜のおいしさが自慢です。自ら畑に出向き、有機野菜を集めてきます。それを活かすのはやはりシンプルな鉄板焼きだとこのコースに取り組んでいます。

「島原半島の野菜は味に力がありますからね。何もつけなてもおいしいですよ」語りながらの素早いヘラさばきは、まるでショーのようです。



あらあら、先ほどのソウメンカボチャが焼けてきました。となると、内側がまるで素麺のような繊維状にほぐせてそこだけ離れます。

これはやはり地元特産長ネギを使ったクリームソースでパスタのようにいただきました。

他のお野菜は、それぞれ一口大に切り分けてくださって、海水から採ったふわふわの本物お塩。大根おろし、発酵から味噌などでいただきます。

とはいえ、何もつけなくても草野さんおっしゃるように充分味があります。カボチャもジャガイモもそれぞれ違う香り、味わい、食感です。

都市部では、鮮度の落ちた農薬も使った野菜を、いろいろな味をつけてごまかして口に入れているのかもしれません。

よく旅館に泊まると、品数で勝負のように料理が並びますが、こうした美味しい野菜が手に入るなら、それで勝負するのも一案です。私などにはむしろ嬉しい。

素材を選び、活かすやり方で提供する、それが料理人の腕なのでしょう。

実は、お隣にはこの野菜を作っている若いご夫婦が同席していました。有機野菜を作るのは、大変でしょう。それに挑戦している清々しい笑顔です。このご夫婦のところへは、あらためて訪ねるつもりです。


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ゆとりある記 恋するエタリ 2018/05/27 4:47 pm

「エタリ」とはカタクチイワシのこと、長崎県雲仙市ではこの名で呼びます。

お刺身のおいしさは皆さんご存知でしょう。実は、さらにこの塩辛が美味なのです。

スローフード協会国際本部の「味の箱舟」プロジェクトにも認定登録されています。

この塩辛をニンニクとオリーブオイルで煮て、雲仙特産のジャガイモに合わせたら、もう、最高!

強烈に好きになってしまいました。
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小浜温泉から眺めた橘湾です。

ここにエタリは生息しています。










今回、雲仙市に着いたその日にまずはエタリのお刺身をいただきました。

まるでお花のように、エタリが開花しています。ワサビ醤油でも、酢味噌でも。

いくらでも食べられるのはやはり鮮度です。東京ではこうはいきません。


翌日、エタリの揚る南串方面へ行きました。

道筋に、「エタリ」の看板が目立ちます。








小さなスーパーに入るとありました!エタリの量り売り。

なんと1キロ400円という安さです。








お刺身も売っています。

包丁を使わないで指先だけで、手開きにするエタリ。お店の人いわく「刺身の値段は、手間賃だね」








塩辛を発見!昔は各家で当たり前に作っていたとか。

今はスーパーで、少しでも買えるんですね。ただし、南串だから、ということでもあります。

雲仙市内の他のお店の何軒かには、塩辛はありませんでした。




港にエタリ漁の船が。巻き網で獲ります。

エタリ漁の船と一口に言っても、集魚灯のついたもの、ついていないもの、獲れたエタリを運ぶ専門の運搬船、といろいろあるとのこと。

どの船も同じに見えてしまう・・・私でした。


エタリは船から直接、巨大なホースで吸い込まれ、海水で蒸され、主に煮干しになります。

そして、大きなものはお刺身や塩辛になるわけです。







港近くのトラックのコンテナのような倉庫に、エタリの塩辛は漬けられていました。

エタリと塩を5対1、6対1、7対1くらい。魚の状態や気候で、だいたいそのぐらいの比率で混ぜて、重しをするだけ。






やがて魚の水分があがって、しかも発酵が進んで、塩辛になっていく。

3カ月くらいが食べごろとか。

一番上には藁を一緒に入れるのが伝統。なぜか風味がよくなるのだそうです。



昔お米は貴重品、この辺りではサツマイモがご飯代わり、おやつ代わり。

蒸かしたサツマイモと、エタリの塩辛を合わせて食べる。塩味がお芋の甘さを引き出したそうです。

尻尾を持って、ぶら下げて、頭から丸ごとパクリと食べるのが正しい?食べかたとか。

やってみると、そりゃあ塩辛いのですが、エタリの身がまだお刺身のようにプリプリしていて美味しい。

ごくりと飲み終わった後に、強烈な旨みが口に残ります。

頭、しっぽ、骨をとってオイルに浸ければアンチョビです。なので、アンチョビスパゲティを作るときと同じ、ソースを作りました。

正確には、私が「こうすれば美味しいのに。それをジャガイモにかけて食べたいな〜」と騒ぐので、お料理好きの方が目の前でササっと作ってくださったのでした。



エタリを細かくつぶして、ニンニクのすりおろしと一緒にたっプリのオリーブオイルで炒め煮する。

香ばしい香りがしたら出来上がり。熱々をゆでたパスタにかけて青じその葉の千切りを添えるのが私流。




今回は、勉強会の中で、今シーズンの雲仙のジャガイモにかけていただきました。

エタリの塩辛は、いくらスローフード協会がほめたたえても、なかなか食べる人は少ないでしょう。でもこうしてエタリオイルを作っておけばいつでも使えます。

今度、このオイルを商品化してみたいと、夢は膨らむばかり!エタリの美味しさに惚れすぎて、エタリが私に乗り移ったようにも思えるくらいです。

エタリ〜〜、好きだよ〜〜〜!

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写真でみるゆとりある記

帯広「北の屋台」で。
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長野県安曇野で

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。