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お仕事 桃づくし 2017/07/23 10:42 pm

この時期の紀の川市は桃一色です。桃を買いに来るお客様で桃渋滞が起きる。桃直売所には開店前から行列ができる。

ならば市民主催の催しも桃一色にと、「桃づくし体験」が行われました。

低農薬農園の桃をもぎ取り、桃農家のお話を伺い、桃の剥き方を教わり、桃100パーセントの氷蜜を使ったかき氷作りを体験し、桃バーガーをほおばる。

こんな贅沢、産地ならではですね。
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果物産地、紀の川市。桃山町には「あら川の桃」というブランド桃があります。農家さんは、今の時期毎日4時間睡眠がとれればいい方、という過酷なスケジュールで動いています。

年に一度の実りの時期ですもの、しょうがないですよね。




手前の桃畑の向こうには緩やかな山、その上にはカンカンに晴れた夏空。

近くを紀の川がゆったりと流れています。







桃ロードと呼ばれる道路のあちこちに、農家直営の売店が。少し眠そうな農家さんが、次々と桃を箱に入れています。並べた先から争うように数箱単位で買われていく。

安い!自家用ならB級品で十分ですね。東京に持って行って行商したくなってしまいます。



さてこの日の催しは「まるごと『あら川の桃』づくし体験」。家族連れの中に私も混じります。

畑に行くと、重そうに桃が実っていました。







途中で、作業中の農家さんから少しお話をうかがいます。

「こういう桃は、なかが割れてる。こういう桃がいい」「でもそれを見るには売っている桃をひっくり返してみなくちゃだめですね。さわることになる」などなど、質問山ほど。





桃を採るには両手で持って、腰を下ろししゃがむようにして引くと上手に採れる。

生まれて初めての桃収穫です!!







採れたよ〜。ずっしり。












桃を抱えて歩く桃畑、低農薬の畑には草が生え、虫も一杯。子どもたちはもっと遊びたくてなごりおしい。

さて次は・・・。







◆先頭の幟を持っている方が、この企画をした「紀州百匠隊」。
https://www.facebook.com/kishu100show/?fref=ts



桃をむきます。エイッと上から下に包丁を入れると、種までパカッと割れる。果物ナイフで種をほじりだすと、果肉は半球状にたっぷり。こうしてから皮をむくと、果肉の無駄はほとんど出ません。

「たしかに桃の缶詰ってこうなっているね〜」と目からウロコの剥き方でした。



桃のかき氷も体験です。南紀州の名水「古座川源流の水」を時間をかけて凍らせた氷。

これを昔ながらの手回しかき氷機でシュッシュッシュッシュッ。力を入れないと回りません、力を入れ過ぎてもダメ。





これに「あら川の桃」100%の手作り桃ソースを2段に分けてかけて、さらにアイスクリームものせちゃう。

なんと贅沢な、なんと美味しい。暑さが上品な甘味で飛んでいきます。





「あら川の桃バーガー」も別メニューで食べられます。

美熊野牛のミンチで作ったハンバーグと、少し甘い味のついた桃がメイン。されど、これだけのものがはさまれます。桃とお肉がぴったりなのでした。




◆この企画のもうひとりの企画者が「野かふぇ おりや」。
https://www.facebook.com/nocafe.oriya/
桃のかき氷、桃バーガーが普段から食べられます。営業日に注意。


帰りにのぞいたある農家さんの直売所。桃とヨーグルトのスムージーも売っています。

最近の農家はいろいろ頑張っているのですね。








翌日は選果場の売店で「桃かき氷」を販売の(一社)フルーツ・ツーリズムのお手伝い。

地域の農家さんたちの小さな売店、桃を売るだけでなくかき氷が初めて販売となりました。





水を一滴も加えていない、桃のソースをかけた氷。桃を買いに来たお客様が、「それでは、一杯」と召し上がっていきます。










今回は、市民グループと、和歌山大学の学生さんとで氷屋さんにチャレンジ。

農家と地域おこし市民と学生とのつながりができました。暑い中頑張った人たちで、次なる展開がまた生まれていくことでしょう。








桃はいいなあ〜。おいしいものはいいな〜。皆が幸せな顔になる。

紀の川市の桃、8月中旬までが旬です。








フルーツ・ツーリズムについてはこちらです。
https://www.facebook.com/purupuruclub.kinokawa/


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お仕事 吊り橋ウエディング 2017/04/17 11:23 am

2013年から私が通っている奈良県十津川村谷瀬、自慢の「日本一の吊り橋」でこのほど結婚式が行われました。集落に移住したカップルの吊り橋ウエディングです。

「このままではむらが消える、吊り橋から集落に人を呼び込み歩いてもらい、気に入ったら住んでもらおう」と、むら消滅の危機感から皆で整備してきた「ゆっくり散歩道」を新郎新婦が歩きます。

谷瀬集落の願いが叶った春となりました。
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谷瀬の吊り橋に続く「ゆっくり散歩道」のことは、もう何度もこのブログで書いていますのでお馴染みとは思います。

数回の寄合(ワークショップ)を重ね、むらにもっと外の人に入ってきてもらおうと、そう決意したのが2013年の春のことでした。




そしてその後、できる範囲で集落の人は整備をすすめました。
むらのただの農道が「ゆっくり散歩道」として変身したのは2014年4月6日のことです。

テープカットと同時に、これまで閉ざしていた集落はオープンになったのでした。


一応、昔のブログを付けておきます。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=255&date=201404



整備といっても球根を植えたり、立て看板を作ったりした程度。これまでのむらの道と姿は変わりません。

でも「ゆっくり散歩道」なんて呼ぶと、むらの人の気分が違います。テープカット後、みんなで普段の道をゆっくりと歩いてみる。そうすると谷瀬はけっこういいところだ、と違う視点でみえてきます。



その後の集落の人たちの動きがすごかった。もともと紙や文字を見て難しいことを話し合うより、身体を動かすことが得意の皆さんです。

散歩道の途中にある森山神社に説明看板がない。よし立てよう。説明文が決まったら(写真はその文案を検討しているところ)、あっという間に手作りの立派な看板が立ちました。



「ゆっくり散歩道」がオープンと同じ時期に、奈良女子大の先生・生徒さんが研究のために応援に入ってきてくれました。

それまで地味だった道標が、学生さんの手によりかわいい道標になります。






散歩道のゴールの高台からは「谷瀬の吊り橋」が見えます。それなら展望台にしようと、集落の人たちはバサバサと木を伐って展望できるようにしました。

ここまでの道も邪魔な木はなくし、丸太で階段もつけ、橋の古い板でベンチまで造りました。

「ゆっくり散歩道」を歩く「ゆっくり体験」を催し、むら名物の高菜漬けでご飯をくるんだ「めはり寿司」づくり体験もやりました。

奈良県立大学の皆さんもこの動きに加わって、谷瀬は急ににぎやかになっていきます。


2013年の時点で、昔あった水車をまた造りたい、とう話は出ていましたがこれも造ってしまいます。

集落に大工さんが居て、図面を取り寄せながら、かなり苦労しながらも造りあげてしまいました。






もともと技術はあり、動けるのだけれど、何をやればいいのかそれがキッパリ見えていなかったのでしょう。

「ゆっくり散歩道」という幹が通って、そこにいろいろな枝が出て、様々な実りが出てきたのです。

道に面した空き家は、「こやすば」という名の休憩所になりました。学生さんの若い力と集落の人たちの技術で、崩れかかった民家がよみがえりました。


そして、ただの田舎道をたくさんの人がブラリブラリと歩くようになったのです。











この頃には、今回の新郎“タロウ”さんは、しっかりと集落の一員になっていました。写真左。

2014年にタロウさんは生駒市から谷瀬に住み始め、展望台ができたころにはご両親もどんなところかと訪ねておいででした。

集落名産の「ゆうべし」作りにも、食に興味のあるタロウさんの姿がありました。

一見、髪が長く、ファッションも独得なので、ヒッピー風の人かなあ、と思ったのですが、彼の言動は“体育会系”のような筋の通ったさわやかさがありました。




タロウさんは、谷瀬からかなり離れたそれでも村内の神社に週数日通う仕事をしています。なかなか厳しい仕事です。そんな彼が谷瀬で米を作りたいと言い始めました。

なんとか彼が谷瀬で暮らしていけるように、みんなが気遣います。荒れ果てたやり手のいない休耕田を放っているより、耕して水田にした方がいいに決まっています。

「頑張れ、道具も田んぼも使っていいよ!」「どうせなら酒米を植えて、お酒まで造るか!」と勢いづきます。

そこへ学生さんも「米づくりしたい」と相乗りし、いくつもの田んぼで酒米が育ちました。



皆で作った酒米でお酒を仕込む、となると地元の酒屋さんも「なるべく手伝ってごらん、見に来てごらん」ということになります。

集落の人も、学生さんもこぞって参加しました。

昨年春「純米酒 谷瀬」ができあがった頃には、タロウさんは酒造りのリーダー。寄合でも大きな存在となりました。

そしてふと気づくと、今回の花嫁“リョウコ”さんも、寄合に顔をだし、谷瀬の一員になっていったのです。


先日の4月7日、吊り橋結婚式の日。私はうかがえませんでしたが、雨と思っていたら谷瀬ではこの時晴れたのだそうです。

この吊り橋結婚式の様子は、奈良県南部東部振興課のご厚意で写真を使わせていただいております。

吊り橋の向こうから新婦リョウコさんと親族が、谷瀬の集落総代に先導されて歩いてくる。

それを、谷瀬側からタロウさんがご両親と傘をさして迎えに行く。吊り橋の真ん中で、指輪交換。なんとも美しい光景です。

やがて一塊になった一行は笛の音とともに、吊り橋を渡り切り谷瀬に入ったのでした。


2014年4月6日、「ゆっくり散歩道」がオープンしたその同じ場所で、二人の頭に集落の方々が作った野の花の混じったライスシャワーが撒かれます。

軽トラに温室様の幌が着いたこれも地元住民手づくりのパレードカーで、「ゆっくり散歩道」を二人が動き出します。

カラカラと鳴る空き缶が、「ゆっくり散歩道」のうれしい笑い声のようだったでしょう。


普段観光客がのんびり登る、杉並木の中の階段。その先に集落のお宮さんがあります。

ここを白無垢の花嫁さんが登るなんて、数年前誰が考えたでしょうか?





少し前、副総代がおっしゃっていたこと。

「夏、夜明け前にふと田んぼを見ると、二人が田にはいつくばって草を取っていた。その姿を見て、この二人は大丈夫だと思った」

お二人に、そして谷瀬に幸あれです。



吊り橋ウエディングの報告も兼ねての、先日4月10日の寄合です。そこにはタロウさん・リョウコさんに加えて、新しい住民となったご夫婦の姿がありました。家具職人の方です。

一方、平均年齢をぐっと下げる新人も登場。寄合ではすやすや眠ったり、オムツを替えたり。

そして次なる新住民の方が、同じく赤ちゃんとともに移られることが予定されているとか。

谷瀬におめでたいことが続きます。


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お仕事 バスピン 2017/04/10 8:43 am

この名を紀の川市で聞いたのは昨年の今頃。「え、野口さん知らない?バスケットのついたミニピンポン台で遊ぶの。子供の頃、毎日やってた」とのこと。

調べてみると50年前、和歌山市発祥。私の故郷千葉までは、流行っていなかったのです。

誰でも手軽にできるので、今はまちづくりの仕掛けなどにも使われているとか。それではと、この度小さな催しをしてみました。

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これがバスピンです。可愛いでしょう?私は小さなガレージに置きましたが、おしゃれなマンションの一室でも似合いますね。

「バスケットピンポン」の手引きによれば“穴狙いの卓球台”として1966年に和歌山市で生まれたそうです。

公務員をされていた故・北原雄一さんが、人と人とのコミュニケーションを育てる何かしらを考えようと、小さなピンポンを考えました。もう一工夫と、奥様が穴をあけてネットを張ってバスケットにすればと提案されたそうです。

和歌山ですから、ミカンを入れる赤いネットが身近にあった。最初はそのネットを使っていたとか。


お馴染みのフルーツでまちおこしの紀の川市「ぷる博」の中で、企画したので「バスピンやってフルーツ食べよう」という単純な趣向です。

テーブルにたくさんのかんきつ類やメロンパンなど用意して、さあ、いらっしゃい。




勝ち抜いたら、折り紙で作ったフルーツメダルと、デコポンがプレゼントです。

こんな催しを、バスピン台を買って、ルールもわからないままエイヤッとやってみました。






そんな無謀なやり方を風のうわさでお聞きになったのか、日本バスケットピンポン蠅遼霧桐也さん(考案者北原さんの息子さん)が、救世主のように現れて、基本のキの字を指導してくださいます。

きちんと知ると、皆の上達が早いのでした。




大人も子どもも、初心者もベテランも一緒にできるのがバスピンの良さです。

穴にスポッっと入ると、どんなチビちゃんでも大人を負かす可能性が出てくる。だから大人が子どもに手加減などしません。真剣にやっても負けたりするのです。実際、わが夫は、小学一年生に負けました。





子どもたちだけでも、放っておいてできる。










ダブルスなんかも、面白がってできる。









通りががかった家族が、すぐできる。












親子で、ササッとできる。










スマホもパソコンもテレビもゲームも手放して、何だかみんなで夢中になってしまった数時間。

初めての人も、大人も子どもも、すっきりしたいい気分になります。

もしこれが、空き店舗だらけの商店街にあったらどうでしょう。高いお金を払わなくとも、毎日ジム代わりに通う人たちが出るかもしれません。

皆が汗をかき、仲良くなれるのなら、そういう商店街にはまた命を吹き込むことができるでしょう。

企業や学校や家庭でちょっとバスピンすれば、しかめっ面や肩こりがなくなります。

キャンプに持って行って、この台でピクニックランチをしてもいいですね。ワインやダッチオーブン料理も似合いそう。

バスピンカフェやバスピンブティックがあってもいい。な〜んて、全く運動がダメな私が惚れてしまったのでした。

ひと汗かいて大笑いした後の、果物の美味しかったこと!

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お仕事 酒を造り、酢を造る。 2017/04/02 10:25 pm

蟠綵盗顕譴箸いΣ饉劼瞭本酒とお酢の工場を見学しました。和歌山は日本で一番お酢の消費が多いとか。その地で支持されているお酢屋さん。伝統的な酢蔵を見せてもらうのは希少な体験です。

お酢は酒粕から造るのですが、いいお酢のためにいい酒粕が必要と酒も造り始めた、というのですからさすがです。100年も使う木桶でコモをかぶって時を待つ、お酢の姿に頭が下がりました。

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九重雜賀(ここのえさいか)は、和歌山県紀の川市の企業。もともとは和歌山にあった酢造元で、1908年の創業。

ブランド桃「あら川の桃」で知られる紀の川市桃山に2014年移転されています。




100年を超える歴史の中で、お酢の原料である酒粕を、自社で造る。そして、食事に合う日本酒を造る。

そのために、1934年から日本酒の製造も始めたそうです。

細やかな手仕事に真摯に向き合う企業だからでしょう、そのお酒がまた上質のものができ上がり、数々の賞を受賞していきます。

上質の酒、上質の酒粕、従ってそのお酢は半端なものではないということになります。

紀の川市のお米を原料にしたお酒、麹のついた米を噛むと、いい甘味がします。

これが最後は酢にまでなるんですね。酒蔵の見学後、酢蔵の見学となりました。







創業から変わらない、酢の製造。それは30石(5400リットル)の大木桶が約40桶並ぶ静かな風景でした。









材料の酒粕は2年以上経って熟成したこげ茶色、これをお湯などで溶き、これまた100年前から絶やさず受け継いでいる酢酸菌をいれ、120日待つ。

さっきまでのお酒の白い世界と色が一変します。




桶には藁で作ったコモが何枚もかけられ、温度変化から守られる。

布団でくるんだ赤ちゃんのように、静かに発酵が育つのを待つのです。「静置発酵」というのだそうです。





木の蓋を開けると、38度〜40度という桶の中のお酢の元から、もわっと湯気があがりました。

覗くと黒褐色の液が、とろりと眠っているように、かすかに起きて何か考えているように居られます。

座禅をしているようでもありました。

いまなお、こんな方法で本当のお酢を造っている企業があるなんて、驚きでした。

この日は特別に見学会が行われたので、利き酒や利き酢という趣向も。お酒は確かに美味しい。

見学し造っている人たちのお話をうかがった後だからなおさらでしょうか、有名な日本酒の産地の、有名なお酒と比べて抜きんでている気がします。



そしてお酢。毎日飲めば身体が喜ぶだろうなあ、というまろやかな味。

普通のお酢以外にも、これまた受賞作品の万能だし酢「お手間とらせ酢」「柚子 寿司召し酢」などのアイディア製品も揃っていました。

しかも瓶にかかったラベルに点字表記がある、すごいなあ。



クイズのように利き酒・利き酢をしながら、私たちはもっとお酒やお酢に繊細でなくてはいけないと反省します。

もっと敏感な舌を持たねば、こんなに苦労して伝統の製法で造っている職人さんに、そして酢酸菌に申し訳ない。

2時間いて感じたのは、社員の方々がとても仲がいい、家族も仲良くやっている、“うちの味”に自信を持っている、手を抜かない、ということでした。

そんな“気”のようなものが、お酒にもお酢にも伝わるのだと思います。



世の中ごまかしばかりの嫌なニュースが多い今、こういう企業にに出会うと嬉しくなります。私も正しく生きよう、と背筋が伸びます。

帰りがけに見つけた昔の金属の看板、桃畑との境に大事に飾られています。

「捨てられませんよね」と語る社長、社員の方が着る法被には「より良い酸を食卓へ」とありました。


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お仕事 折ると巻くと 2017/03/19 12:10 am

午前と午後に分けて、「折り紙体験」と「巻き寿司体験」をしました。

6種類の果物キャラクターを折る、小さな葉っぱやヘタの部分が難しい。

飾り巻き寿司、いわゆる“デコ巻“は、超細巻きをいくつか組み合わせてくくり巻き、金太郎飴のように切るとあら不思議!イチゴやパンダの形が現れるというもの。

パソコンに触れない折ると巻くの1日は、いつもと違う心地よい疲れでした。

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相変わらず紀の川市の話題ですみません。ただいま開催中の「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会 “ぷる博”」、65種類の体験催しがありますが、その43番の「折り紙」と8番の「デコ巻き」を体験しました。

まずは折り紙。桃山町の「野かふぇ おりや」さんを会場に、佐野由美さんが指導してくださいました。











フルーツの産地紀の川市には、「ぷるぷる娘」という果物の妖精キャラがいます。これを折りましょうという趣向。佐野さんオリジナルの折り方です。

テーブルに並べられた折り紙が、まぶしいくらいに美しい。懐かしい。何年ぶりでしょう折り紙なんて・・・。


折順のペーパーが配布されるのですが、見る前にもうどんどん折りたくなります。

急ぐと雑になる。きちんと端を合わせて、きちんと折るのがコツ。う〜ん難しい。





自分の不器用さを確認することになります。特に小物、葉っぱや飾りを小さな紙で折るとなると、もう大変。先生助けて〜〜。








でも何とか形になり、表情は書き込みます。











できた〜。なんだかうれしい、かわいい。










この子たちを皆家に連れて行けば、にぎやかになりますね〜。










続いてデコ巻きです。ナンシー山口さんが先生。日本デコずし協会認定インストラクターの方。そういう資格があるんだ〜とびっくり。








山口さんおたくの一室がお教室。英語の先生であり、外国のお客様を高野山にガイドなどしている山口さん、日本文化を伝える巻きずしもその延長で覚えようと決意したのだそうです。

桜でんぶやゴマなど食べられるもので色を付けたごはんと、海苔が材料。


このご飯を、短く細く巻く。設計図はあるのですが、ナンシーさんの指導通りにどんどん巻く。









細くするはずが太くなったり、海苔が離れてしまったり。しくじるのですが、ナンシーさんは「OK,OK」とけん引してくれます。

息を止めてあんまり真剣にやっていて、ついおかしくなったりして大笑い。




出来上がった部品?の巻物や、ソーセージ、などを重ねてぐわっと大きく一気に包み込みます。

これはパンダになります。








野沢菜などを軸に使った、これはイチゴ。この切り分けるときが、醍醐味。ごくりと唾をのむ瞬間です。









パンダたくさん!ここでいただき、かつお持ち帰りもあります。

普段使わない脳を使った感じ、普段使わない指の筋肉を使た感じ?経験のない疲れです。

折ったり、巻いたり、おしゃべりしたり。なんだかとにかく面白かったのでした。

「ぷる博」詳しくはこちらから→ http://fruits.oyoyaku.com/
#ぷる博

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お仕事 市役所がフルーツ一色 2017/03/06 1:34 pm

果物産地の紀の川市で、市民手作りの「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会」がスタート。

5日、市役所を会場にオープニング催しがありました。役所玄関に生のハッサクを積み上げた「ハッサク姫と王子」が登場、1階では「ふるうつ茶会」が、駐車場では「フルーツマルシェ」や「いちごミニ電車」。頭上にはフルーツ風船。

市民が市役所を、フルーツ色に染め上げた1日でした。
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人口約64,300人、和歌山県の北、紀の川市。3月3日、紀の川市役所です。

正面に見えるのは、ハッサクの山。黄色いミニ富士山のようにもみえます。

果物産地・紀の川市で「フルーツのまちおこし」を進めている市民グループ「一社フルーツ・ツーリズム」のメンバーが、せっせと作ったものです。もはやこれだけで、フルーツ市役所の雰囲気。


3月4日、市役所2階の廊下には、フルーツ風船が並びました。

そういう物は売っていませんから、ピンクの風船には緑の長細い風船で葉をつけ桃に。細い紫色の風船をクリクリひねってブドウに。と、すべて手作業でフルーツにしていきます。

50mの糸、1mに一つずつ。その万国旗のようにフルーツ風船が下がったものが3本できあがりました。近畿大学の学生さんが助っ人に来てくれました。


市役所1階のロビーは、徐々にお茶席に変化しています。

桃農家の家族、IT企業の方、印刷屋さん、建築業、ハッサク農家、主婦、いろいろな市民が、茶席をつくっていきます。







ロビーのガラス面には、借りたレモンの実った植木鉢、伐り出した竹、桃の枝など。

「ブロックを置いて、こう立てればいいかな?」関東とこちらと、二地域居住の方が設営中。





市役所正面に、スターバックス風の丸いマークがあがりました。「ふるうつ流」という流派?にちなんだ「ふるうつ紋」、オリジナルデザインです。

実はこれは昨年作って使ったもの、ずっと倉庫に保存していて再利用。

「高いところ得意ですから上りますよ〜」と大学を出てハッサク農家を選んだ青年が頑張ります。

薬剤師の娘さんも、元校長先生も、みんな仲間。なんとなくゆるゆると、準備が進んでいきました。


そして、5日。「ぷる博」のオープニングフェスティバルなので「ぷるフェス」と呼ぶ催し。

テープカットの後は、地元中学の吹奏楽部が盛り上げてくれました。

ステージの進行は桃農家の主婦の方と、柿農家であんぽ柿を作っている男性。おいしそうな二人の掛け合いが見事です。

いつも車が止まっている駐車場は、今日は和歌山電鐵さんが100mの線路を敷いて、ミニトレインを運行。

本物のいちご電車そっくりの、ミニ版。可愛くて大人にも人気。







さあ、「ふるうつ茶会」です。季節のイチゴをかたどった上生菓子。甘味の強いキウイフルーツや柑橘も水菓子ですね。

お菓子はフルーツ・ツーリズムメンバーの手作り。口に含むと穏やかな甘みとイチゴの香り、おいし〜〜!



「ふるうつ流」はリラックスしたお茶。自分で茶筅を振って、お茶をたてます。

こういう茶席なら、いかめしい殿方もぶらりと入れるというもの。家族連れも楽しんでいました。






駐車場には「フルーツマルシェ」も。どのテントもフルーツに関係する味ばかり。

これはすっかり紀の川市名物になってしまった「フルーツ寿司」。洋風のお寿司で、ちゃんとお魚も使われていて塩コショウで食べる、なかなかおしゃれな味なのです。



「フルーツカレー」本日は、キウイの入ったカレーで、上にハッサクのトッピングです。

キウイの甘酸っぱさが、カレーのスパイシーな味と合う。ハッサクのほろ苦い酸味もまた、カレーを引き立てています。

フルーツ・ツーリズムの料理チームの作品。今回も完売でした。


レモンパン、栗のパン、あんぽ柿を使ったパン。どんどん売れていきます。

この干し柿使用のパンが、妙に美味しかったのです。

マルシェにはフルーツにこだわった地元のお店が、たくさん参加しました。



市役所南館の壁を飾ったのは、地元の子どもたちの描いたフルーツや農作業の絵。

果物を食べて喜んでいる様子、桃の花畑、摘花しているおばあちゃん、剪定しているおじいちゃん。

これは「フルーツ・カレンダー」を作った際に募集した絵で、今回全作品を掲示したのでした。


お若い方たちはこういうコーナーがお好き。

この顔出しの枠は、前日に土木建築業の方が一人、せっせと作られたものです。







最後はハッサクのお振舞い。「低農薬なので皮はマーマレードで食べてくださいね〜」「フルーツ風船もお土産にどうぞ〜」

写真にはありませんが、このほか子ども向けのフルーツプチ体験があったり、市役所探検ツアーがあったり。

この日参加したお客様は、みな「市役所」+「フルーツ」=楽しい!ということを実感したはずです。

フルーツ市民の力で、ますます紀の川市を元気にしよう!と、4月9日まで続く「ぷる博」には市民企画の催しが一杯です。

お気に入りの催しにぜひご参加ください。
「ぷる博」についてはこちらから↓
http://fruits.oyoyaku.com/app/page/info/20170110puruhaku_panf


おかげさまで私ども夫婦は「ハッサク姫・王子」に。いい記念となりました。(笑)

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お仕事 えびす市場 2017/02/20 1:49 pm

先週に続き奈良県吉野町の話題。蛭子神社のある上市地区を活性化しようと、住民が集まり「え〜びす」というグループができました。

何度も会議をして、先日「初えびす」の日に「えびす市場」と「懐かしの写真展」を開きました。住民手づくりの賑わいおこしです。

柿の葉寿司や吉野和紙、地酒をはじめ、極安バザーも。1300人が訪れ、苦労した「え〜びす」の皆さん、えびす顔でした。

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上市はなかなかいい感じの、野口好み?のまちです。

古い家と、路地と、吉野川と、雰囲気のあるところです。詳しくは前のブログに書きました。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=394


ここでわたしが最初のワークショップをしたのが、昨年12月14日のこと。役場が一度下ごしらえの会合をして下さっていたので、まちを良くするアイディアは、どんどん具体的なことが出ました。







そのアイディアを、すぐやること、少し先、いつかに分けて、さらにグループごとに人気投票をして、書き出します。50人近くいると、整理が大変!

でも、みんなのやりたいことの傾向が見えてきました。





中でも、「初市」、「初えびす」の市の日に、何かやろうという動きには、時間がありません。

にぎわい起しをやりたい人が、急きょ1月5日に集まって、またまたワークショップ。

ここで、写真展やお店をやろうということが決まっていきました。



そして1月20日。この日は、「上市みらい会議」と役場が決めた名前に、みんなで愛称をつけました。少し固かったのです。

蛭子神社のある上市ですから、みんなの集まりを「え〜びす」と呼ぶことに決定。多数決です。





1月20日、全体が集まった2回目のWS。ただ賑わえばいいのか?まちを愛する人を育てながら?などなど、わたしは理屈をこねます。

でも時間がないので、後半は「初市」についての打ち合わせ。

フリーマーケットとバザーとどう違うのか?何かやりたい個人が手を挙げるべきなのでは?町内会に呼び掛けて、不用品を出してもらう、組織的にやるしか時間がない。個人の写真をいろいろ呼びかけて集めては?今年はとりあえず、できる範囲で写真を飾るしかない。会場は2か所?開催は2日間?いや1日だ、1か所だ、云々。

などなど、もめるもめる。

こういう時間が一番おもしろい。みんなが真剣に前を向いているから、譲らない、声も大きくなる、血圧も上がる・・・。
こういう場面がまちおこしには大事です。これはできるぞ、と感じた瞬間でした。


そしてあっという間に2月10日。みんなが用意した「えびす市場」という名の店が明日開店です。

まちの中心にすわる蛭子神社にもお神酒がいっぱい。







夜10時近く、「え〜びす」が使う元スーパーの空き店舗にはまだ電気がついています。

あいにくの雪もよう、まだ用意をしているのかしら?みんな風邪ひかないかしら?






2月11日、初市当日。晴れました〜。

いつもはモノトーンの上市のまちが、露店の極彩色に変わります。








わあ〜、いい看板。誰が作ったんだろう?ちゃんと「初市」の歴史や、えびすさんについても解説がある。

ただ、物売りだけの場でなく、学びもある場にしよう!の実践ですね。





中をのぞくと、まだまだ準備中?いやもう開店?

値段の取り決めや会計など、ぎりぎりまで準備なのでしょう。おじさま達、おばさま達、皆さん若くはありません。昨日までの準備で、もはやヘトヘトのはずです。





上市で人気の「焼餅」、並びました〜。











やはり名物の柿の葉寿司も、スタンバイ。











なんとなく開店したかな?と思ったら、次々とお客さんです。

みんな、ただの露店だけじゃつまらなかったのでしょう。それに、センターのスペースを占める不用品バザーの安いこと。

え?コートが300円? ベビーカーが1000円?ざくざくと売れていきます。


一方、上市の昔の写真を飾る「上市懐古写真展・資料展」はしっとりと、ゆっくりと。

昔を思い出したり、初めて見る光景だったり。お年寄りも若者も実に丁寧に見入っていました。






これが昔の上市の「初市」だそうです。蛭子神社前。今もこのあたりの風情は健在。

レジャーのないころ、この「初市」はみんなの楽しみだったのでしょうね。







時代は変わり、吉野町の「地域おこし隊」として都会から素敵な女性がやってきています。

「えびす市場」のお隣の空き店舗で、彼女のアイディア木工品を販売。

新しい、センスのある視点が、まちをよくしていこうと頑張っていました。同じ「初市」でのチャレンジです。


私は、お客様の人数を数える係を、ちょっぴりお手伝い。すると、うどんと柿の葉寿司をスタッフとして分けていただけました。

同じテーブルでご一緒した「え〜びす」のおじ様たち。くたびれ顔でも、時々冗談を飛ばしてくださいます。

きっと明日からどっと疲れが出るでしょう。(もはや疲れている)でも、どの方も、後姿がかっこよく青春しているみたいです。

みんながチャレンジした「初市」、まちが再び青春した日。「えびす市場」には、なんと1300人のお客様が訪れたのでした。

眠っていた不用品自身が、喜んでいるように見えました。使い方で、新しい命が吹き込まれる。それは、物も、人も、まちもでしょう。

携帯などの部品を再利用してアートや、アクセサリーにしたものも展示販売に。う〜ん、終わったものが新しく美しく輝いている。

上市の「え〜びす」の動きは、そんなことを教えてくれたのでした。


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お仕事 体験催し運営チェック 2017/02/06 2:13 pm

着地型観光と呼ばれる、地域資源を活かした体験プログラムが盛んです。

でも、その現場を仕切るのはたいてい素人の市民。地域愛に燃えて企画しても、結局お客様を迎えるとドタバタになってしまいがち。

企画側とお客様、双方の満足のために、一目でわかる運営チェックを作りました。

ワークショップで何人かの頭で考えると、発見もあり良い出来上がりになりました。紀の川市で。
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現場のコーディネートについては、今までこのブログでずいぶん書いてきています。

どんなに凝った渾身の内容でも、会場が寒かったりすると参加者には「早く終わってほしい催し」になってしまう。どんなに冒頭に一生懸命説明しても、ずっと立ちんぼで聞かされたのでは「最初から疲れた」になってしまう。

まあ、こういうことに気を付けましょうというようなことです。

例えは悪いですが、家でお母さんが気づかってくれるようなこと。悪いというのは、お父さんだって気づかって当然のことだからですが。

最初に、気を付けることをアイテムであげました。これのもとは、紀の川市フルーツ・ツーリズム、「体験チーム」のお一人が本一冊になるくらいの注意アイテム集的なものを作ってくださいました。それを下敷きに、最低限の簡単なものを作ろうというもくろみです。



それを私一人で作って、はい!と見せたのではみんなの中に染み込まない。なのでワークショップにしました。

前日、地域おこし協力隊の女子と、お部屋にこもりおおきな“曼荼羅”風のものを作ります。

カードに書きだした、最低数の気を付けようアイテムを、「衣」「食」「住」「情報」「記録」「運営管理」などのカテゴリーに分けていく。

さらにそれを、事前、当日、事後の時間軸を意識しながら置いていく。まあ、楽しい下ごしらえの作業です。



そして「体験催しコーディート講座」ワークショップ。毎回、何人参加かわからない、来た人数あわせでやっている人づくり塾。

地域づくりできる技術を市民に身につけてもらうための講座です。が、一番身に着けていただきたいのは、実は若手市職員ではあります。

さあ、元の大図が広げられたので、2班に分かれて、足りないアイテムなどを出していきましょう。

いろいろな人が居るので、気づくところが様々。そこがワークショップの面白さです。



体験プログラムといっても今回の場合、個人が数人のスタッフでそれほどたくさんのお客様相手でなく行うケースを頭に置いて考えました。

「下見やリハーサルが大事」と主張されるのは、先の本一冊になるくらいを作られた男性。

彼は、以前、予定していた催しで実っているはずの柿が予定通りに色付かず大慌てした経験を持ちます。自然の物相手ならなおさらリハーサルや下見は大事でしょう。

「道具一式の予備」が大事と加えたのは、アクササリーや造花などのスクール指導の女性。

なるほど、いざ、というときに道具が壊れたり、無くなったり、急に人が増えたりなどしますものね。



「当日スケジュールを紙に書く」を加えたのは、コンニャク作りの名人。この女性は「料理チーム」の方。

あまり詳しい打ち合わせができないまま、スタッフが当日集合だとする。時間の入ったスケジュールのプリントが配られる、貼りだされている、それだけでなんとなく皆動けます。

お客様も、それがあると、今、時間が押しているのか余裕があるのかわかる。みんなで、やることと時間を管理できます。

「駐車場や場所の地図」とおっしゃったのはデザイナーの男性。

確かに、当日「どこかわからないんですが〜」の問合せに電話で説明していると他のことができません。前もって参加者にファックスしていればOKですね。

「始まる前のスタッフの気合い入れ」と加えたのは、20代の市職員。この女性、「気合い」を表す絵として「力こぶ」を描きました。

「和やかな雰囲気作り」ああ、これも大事。折り紙大好きの主婦の方からです。

ついつい進行に夢中になると、どんな雰囲気で体験時間ができあがっているのか客観的に見ることを忘れます。笑顔もなくなります。(私が反省せねば・・・)

「食べ物・飲み物」「荷物置きスペース」「弱者への配慮」「事後のお礼状」などなど、びっしりになっていきました。



実は、こういうことを言い出したらやはり本一冊になってしまうのです。

が、この「体験催し運営チェック曼荼羅」をざっと見るだけでも、ひとつ頭に残ったことがあるだけでも、現場のコーディネートはうまくいくのではと思うのです。

巨大な「曼荼羅」はこの後、たくさん絵が加わって、A4サイズに手書きで縮小され、コピーして完成。

この3月5日から始まる「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会“ぷる博”」の、65の体験催し企画者「仕掛け人」さんに配られることになります。

さあ、気合を入れて、失敗は栄養です。今回で催し仕掛け人として、みんなぐっと成長しましょう!

「ぷる博」についてはこちらから↓
http://fruits.oyoyaku.com/app/page/info/20170110puruhaku_panf



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お仕事 パンフレット配送大作戦 2017/01/30 11:31 am

和歌山県紀の川市で3月から始まる「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会」略して「ぷる博」のパンフレットができました。

35000部を行政が配れば簡単なのでしょうが、企画も編集もずっと市民中心に進めてきた催しです。

ここも市民力の見せどころ、寒い倉庫でぜんざいを食べながら50部ずつ梱包し、配送リストから自分が行くところを選んで出動。

大作戦は今、終盤に入りました。(今回のブログの半分の写真はは、紀の川ぷるぷるクラブのフェイスブックからお借りしています)
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これがそのパンフレットです。フルーツをテーマにまちおこしをする紀の川市の「フルーツ・ツーリズム」の話題は何度も書いてきましたが、ここ数年間の活動のいよいよ山場です。

3月5日から4月9日の約一カ月間、紀の川市全域でフルーツにちなんだ体験催しを65個開催します。


桃のジャムを作ろう、フルーツバーガー食べよう、フルーツジェラードでパフェを作ろう、アウトドアクッキングしよう、フルーツ一杯のパンを焼こう、フルーツアクセサリー作ろう、フルーツバルで飲もう、テーブルフォトを学ぼう、フルーツ缶バッチ作ろう、フルーツカルタ大会、ダンボールハウス創ろう、選果場を見学、フルーツトレインに乗ろう、ハッサクオブジェで記念写真撮ろう、etc。

まあ、よくもまあたくさんの、プログラムが集まったものです。


市民が企画し、市民が交渉し、市民が原稿を作り、市民が写真を集め、市民がデザインし、市民が校正し、出来上がったパンフレットです。

みんな愛着があります。






35000部のパンフレットが市役所の倉庫に搬入されるとき、フェイスブックで集合がかかりました。

「矢印の建物に、あったかい恰好して集まれ〜。暖房はないよ〜」










1月19日到着、すごい量!これをみんなで50冊ずつに梱包して、1月中には世の中に出し終えます。

まずは配達された、トラックのお兄さんにもパンフ贈呈。「気に入った催しに、ぜひ来てくださいね」









このエリアのここに何部、そういうリストをあらかじめ作成。それを仕分けていきます。

お母さんと一緒の子どもたちも活躍。








冷え切ったころには、ぜんざいの差し入れが。フルーツ・ツーリズムの活動では、何かしら美味しいものが登場します。









シールになるはずだったあて名書きが、上手く印刷できずに急きょ手書きに変わったり。

2日間かかるはずだった作業が1日で終わり、その連絡が上手くいかないで、2日目の朝、倉庫にやって来た人がいたり。

役所主導の作業でないので、必ずすったもんだがあります。でもこんなことをもう3年もやってくると、みんな慣れてきました。

○○でなきゃダメ、ではなくて、▽▽でもいい、となんでも思えるようになります。

みんな強くなりました。




1月22日には毎月のワークショップ。この日集まったフルーツ・ツーリズムのメンバーは、配送リストから自分が持って行けるところを拾い出し、その分のパンフレットを台車で運び帰りました。

何時、誰が、何処に、何冊持って行くか?リストがだんだん、埋まっていきます。




そして1月24日は「パンフお渡し会」。この「ぷる博」でなにかしらの催しを主催する市民を「仕掛け人」さんと呼びます。

必殺?のようですが、これも「案内人」や「説明者」なんてやわなものでなく、しっかり自主運営してもらいたいからと市民事務局で決めた呼び名です。

仕掛け人さんには、ここでのぼりやポスターと一緒にドッサリとパンフが渡されました。



フルーツ・ツーリズムは昨年暮れに「一般社団法人」になっています。ですから、お金には少々シビアです。

仕掛け人になるには、参加費1万円を支払います。ま、35000部のパンフで宣伝してもらえるのだから、そうそう高くはない。

ツーリズムメンバーも、私も、県庁職員さんも、地域おこし協力隊も、みんな催しをやるからには支払う。こういう習慣が、次回の「ぷる博」に繋がるのですから。


雪で車がつかえない、子どもがもどした、熱が出た、市民事務局はいつも突発的なことがあります。

もちろん市職員も現場には居るのですが、市職員が仕切ってはいけません。

企画運営できる市民が少しずつ育っているのですから、市職員は邪魔しないように黒子になる。

30分前まで司会者が決まらずに、でもどうにか会合がスタートしました。



説明資料や参加者アンケートなどに、まちがいや抜け落ちがボロボロ。でもみんなが笑顔でガンバロウ!の記念写真を撮れたのは、みんなで支え合って創っていこうという気持ちの表れでしょう。

誰かを責めることは自分を責めることになる。失敗を活かして、今後に繋げよう、が基本ですものね。


お渡し会欠席の仕掛け人さんへ、市外のホテルへ、市外の観光施設へ交通機関へ、コンビニへ、スーパーへ、パンフ届け隊は出動していきます。

2人で回れば、長い1日、車の中でいろいろ話し、普段より濃いコミュニケーションができます。単なる配送でなく、その時間を活かさなくては。


雪の日に、朝からいくつも梱包を持って回った主婦の方いわく。「パソコンや難しいことは不得手だけれど、こういうことならできるから・・・」

娘さんと一日配送作業をしたお父さん。「知っているようで、まだ知らないお店や、場所がありますね。配送をしながら新しい出会いがあってうれしいですよ」

頭が下がります。







近くの自治体に話を通して、大口の配送をやってのけた農家さんもいました。

普通なら、市職員が頼みに来るのに、桃農家が興奮して体当たり説明にやって来た!ま、それが紀の川流。先方は驚いたことでしょう。今度はこちらが引き受けなくちゃね。




「お店にぷる博コーナー作りました〜」なんて写真も送られてきます。








私が買い物をしたパン屋さんでは「今回催しには参加できなかったけど、パンフは配るからね」とわざわざ挨拶に。



そして、東京のわがNPOの事務所にも梱包が。皆さんパンフがほしい方、お声かけくださいね。

さあ、これを全国の私の知り合いに配りましょう。

イベントとは、何かが起きること。「ぷる博」開催は3月からですが、実はもう大きなイベントは起きているわけです。

パンフ配送体験催しを皆が体験中なのですから。今までにない新鮮な経験です。お金があって、すべて宅配便にしたのなら、配送での出会いや発見もなかったでしょう。コミュニケーションも進まなかった。

時間はかかって、大変ですが、この作戦で紀の川市民はまたひと回り大きくなったようです。

それにしてもみんなが本気になると強い、婦人会に、ヨガのグループに、太鼓の会に、知り合いの美容院に、いつも持っていて通りすがりの人に、と分けているのですからきめ細かくてどんどん広がっていく。

どこかの観光協会で、立派なパンフレットやポスターが山と積まれ、廃棄になっていくのを見たことがありますが、もうそんな時代じゃないんですね。

35000部があっという間、いまやパンフが足りない?という悩みを抱えつつ。配布リストの「完了」という文字を眺める私でした。


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お仕事 田舎体験ハウス玉岡 2017/01/23 12:35 pm

奈良県十津川村谷瀬集落で、むらおこしや移住促進にむけて、村外の人が農作業や、むらの暮らし体験をしたりする拠点です。

といえばかっこいいですが、空き家を少し片づけてそのままの利用なので、都会人にはあまり快適ではありません。

「でもそれが田舎の現実で、それが嫌ならここには住めないから特別に改修しない」というのが集落の人たちの考えです。

潔い、と私は思いました。
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私のNPOがむらおこしをお手伝いしている谷瀬の集落です。日本一の吊り橋があり、柚子で作った珍味「ゆうべし」が特産品。

もう何度もこのブログでご紹介していますね。通って4年になろうとしています。

ここのむらおこしは、ただの生活道に「ゆっくり散歩道」と名前を付けて、観光客に歩いてもらおうということから始まりました。

外の人に谷瀬を見てもらい、気に入ってもらえば移住に繋がるのでは、というわけです。

かわいい道標を立てて案内すると、吊り橋まで来た人が集落を歩き出しました。

この看板などは、私の後からこのむらおこしに参加した、大学生が描いています。






つい最近、厳寒の1月21日にも、神戸から来たという若者がブラブラと、歩いていました。

こういう何でもない田舎の風景が魅力的なのでしょう。

春、秋はもちろん、真夏もかなりの人が歩くようになっています。




谷瀬のむらおこしの動きに欠かせないのが、この家。「田舎体験ハウス玉岡」です。

玉岡とは屋号、だから普通は「玉岡」とだけ呼びます。

正面が母屋、左手前が新宅と呼ばれる離れ。いずれも古民家などではない、普通の古い家。母屋は昭和のもの?新宅は平成になってから?と思える造りです。

バスを降りて、吊り橋を渡り、「ゆっくり散歩道」の途中から坂道をぐんぐん上ったところ。バス停から30分くらい歩いた高台です。

お店はありませんから、ここに来るためには食料も背負ってくる。車を使わない私には、けっこうハードルの高い場所です。


「玉岡」に入る前に、山の中を歩いてちょっとご案内。

この道を、懐中電灯を頼りに、夜歩くのは結構スリルがあります。

足の下には沢の音がする・・・。







そして毎回行くのが公会堂。ここで、ほぼ月に一回「寄合」と呼ばれる会合をしているのです。









私は、寄合のコーディネーターですから、要は引き回し役。年間のむらおこし活動が上手く前に進むように、合意形成していく係です。

ここで、昨年末に「田舎体験ハウス玉岡」のことが話されました。

移住者を目的に巨額の改修費をつぎ込んで、空き家をゲストハウスなどにするケースが多い昨今です。話し合って、谷瀬はそういうことはしないでいこう、という結論でした。

もちろんお金がないから、は、大きな理由ですが、冒頭にあるように「綺麗でおしゃれで、都会的な家に改修しても、村の暮らしの現実は違うのだから、最初から谷瀬の今が分かる、そんな体験ハウスであった方がいい」という理由でした。

つまり、それが分かっていて、それでもよくて、またはそれがよくて、ここに移住してくる人でないと、住んだところで続かないだろうというわけです。

なるほどなあ、と思いました。


さあ、「玉岡」です。昔の家ですね。

集落がこの家の管理をするようになったとき、家にあったものものをそうとう捨てたそうです。

そして、その後、この家には新しい役割が芽吹いていきました。





ズラリと並んでいるのは、名札までついた学生さんたちの作業着です。

集落を学びのフィールドとする大学生が、宿泊滞在することが多いのです。

先回来た学生さんたちが、帰りしなに洗濯して干していったのでしょう。

名札を見て、ああ、あのこも来たんだ、居たんだ、なんて考えます。



通ってきているのは、奈良女子大と奈良県立大のふたつのゼミ、その先生と学生さん達。

先生はお二人とも女性、学生さんもほとんど女子というのが特色でしょうか。

一部屋は荷物置き場にしています。



「玉岡」にはノートがあり、いつ誰がどんな作業で入ったかが分かります。

蕎麦を刈り取り粉に引く。畑を耕す。稲刈りをする。お茶摘みをする。花を植える。看板を書き換える。

こうした集落の農作業やむらおこし作業を学生さんが手伝い、または体験したいと集落にリクエストし、「玉岡」に合宿して活動する。

盆踊りにも参加する、餅まきにも裏方をする、空き家を休憩所にするための大掃除をする、寄合にもでる。谷瀬の半住民のように、暮らすように学んでいるわけです。



いつも思うのですが、あんまりきれいなハウスなら、都会と同じで学生さんにとっては変化がない、つまらないところでしょう。

というより、もともと都会の物差しを田舎に持ち込んでもしょうがないのです。

水は簡易水道ですから、「玉岡」に入ったら、まず蛇口をひねる。しばらくは茶色い水、時には砂が混じっていることもある。

田舎の水とは、そういうもの。その代り、塩素臭くない、飛び切り美味しいお水だと知るわけです。


お風呂も普通のお風呂です。この家族風呂で、学生さんが10人くらいとなると、いつまで経っても全員は入れない。

そこで、毎日シャンプーしなくてもいいや、とか、お湯がぬるくてもいいや、とか、シャワーに勢いがなくともいいや、など快適でなくとも暮らせるのだということを身に着つける。

私などは、湯船にすっかりふやけて浮いているムカデを引き上げて、しみじみしたこともあります。

虫と暮らすことが、田舎の暮らしなんですよね。密室でない「玉岡」には、いろんな虫がわんさかやってきます。

ただ、あまりに不便なことは何とかしなくては、ということになる。

学生さんたちはDIYも学びの一環として、ぶわぶわだったトイレの床を張り替え、ボロボロ落ちていた壁も塗り直してしまいました。

集落の大工さんの指導を仰いでの作業。これが、もともと綺麗にリニューアルされていたら、学生さんは技術を身につけられなかったでしょう。

少し前の田舎の人たちは、多少の家の修繕は皆自分でしていたわけですから。

そして、こんなトイレの札までも。

これは、私が泊まった時に、トイレのカギが壊れ、トイレが使えなくなった大事件に発します。









今回、私一人で「玉岡」に泊まってみて、あらためていろいろ考えました。

炬燵に入ってブルブル震えるのも、布団がいつまでも凍ったように冷たいのも、田舎では当たり前。

不便を工夫して乗り越えて、皆が暮らしてきている。快適でないから、不便だから、と困るのは、自分にそれを乗り越える知恵と技がないからなのでしょう。

そう思うと玉岡は田舎体験施設としては上級品、ということになります。


一人で寂しいなら、外の花を活ければいい。

大きな田舎家に一人泊まる寒々しさが、急に華やぎました。








時計の音も友達です。

かつて、採れたという大きな松茸の絵?写真?も、いろんな想像をかき立ててくれます。









そうやって過ごした翌日、きれいな朝がやってきました。

不便で大変で快適でない、そんなところだからこそ見られる美しい朝、そして味わえる空気です。







そう、やっぱり「玉岡」は今のままの方がいい。あまり、きちんと整備しすぎると、育つ感性も育たないし、訪れた人が強くなれない。

そんなふうに思ったわけでした。






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写真でみるゆとりある記

麻布十番で
キリン横浜工場の緑化
紀の川市青洲の里で水鉄砲作り。
紀の川市青洲の里で水鉄砲作り。

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。