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お仕事 山っ子クラブ 2018/11/12 3:33 pm

奈良県十津川村で、新しい動きが始まりました。子どもたちを、もっと自然のなかで育てようという取り組みです。

周りは全部緑の村ですが、急峻な山は杉、わずかな平地には住宅、子どもがよりつける斜面や森が無いのです。おまけに移動は車。

豊かな自然を身近な自然にするには、知恵や技術が必要なわけです。

まずは村内で子連れで行ける場を洗い出そう、そんな集まりができました。
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広い面積を誇る村ですが、そのほとんどは険しい山。平地はほとんどありません。熊野古道を歩くハイカーにはいいかもしれませんが、ここで暮らすには覚悟がいります。







山に入ればいまや珍しいナツメの実なども見つかりますが、こういう幸に出会えるのは、山を良く知っている高齢者。

若い人にはどこにどんな木があるかわからない、それにこれが食べられるなんてことも知りません。





山に生まれ山で暮らしているからといって、都会と同じようにテレビは見る、ゲームをする、そのうち川で泳ぐなんてこともしなくなる。塾通いが始まる。親も子も、スマホ生活。

何時しか山はあれども、遠い存在になったのです。






杉ばかりが植わった急斜面が川に迫っている地形、とにかく平地がありません。家を建てるのが精いっぱい。田んぼや畑も小さいし斜面になる。

だから山の中の保育園には庭がわずかしかない。サツマイモなどは、土の無い都会と同じビニール袋栽培になります。


いくつかの保育園が一緒に村の「21世紀の森」に行きました。ドングリを拾ったり、松ぼっくりを集めたり。

ここが車で1時間の距離ではなく、保育園や住まいのすぐそこにあればいいのに。楽しい森は標高の高い、くねくね道の先になります。

そう毎日は行けないのです。








水は美味しいし、空気は澄んでいるし、村に移り住んでアトピーが良くなったとか、ぜんそくが治ったなんて話を聞きます。温泉はかけ流しでどんどん湧いています。

平地がない、身近に公園がない、子どもが遊べる森がない、山に入れない、店がない、とないないばかり言っていないで、いいこと探しをしましょう。

住むと決めたのだから、住めば都なのだから。いえいえ、なんてったて、住んでいる人があったか、情が濃いのです。子どもたちには、都会よりもこの村の暮らしを、環境を与えてあげたい。

そう思う大人が、だんだん増えている時代です。


先日の土曜日、「高森のいえ」の広場に十津川材を使った遊具が運ばれました。

「高森のいえ」は高齢者が暮らす場所、皆が集えるような構造になっています。ここに行くのも車で走らなくてはならないのですが、訪れてみるとお年寄りだけでなく子どもにとってもいいところでした。

しかも、今日は滑り台もあります!

集会室の会議机に、そこら辺の草が飾られました。花は花屋で買うしかない東京などとは違う豊かさです。

トウモロコシは「十津川ナンバ」と呼ばれる、在来種。その粉を使った、マフィンがこの日のおやつです。





お母さんやお父さんが、話し合いに集まりました。もっと自然を活用した子育てができないものか?と。

いろいろな意見が出ます。「昔は椎の実を生で食べた。今もあるはず」「川で泳いだ。一度うまったけれど、また川底を掘れば遊べるはず」「泥遊びをさせたい」「広い広い村なんだ、ってことが分かる景色を見せてあげたい」「山の花をおばあちゃんと採ってきて活けるだけでも、自然とのふれあいになる」「アマゴつかみをできるところがある」「地域の人が整備した小さな広場がある」「子連れで降りられる河原がある」

話しているうちに、「ない」が「ある」に変わってきました。

地元のおばあちゃんが作った「釜炒り茶」が美味しい。マフィンにあう。「こういうお茶の作り方も知りたい」「紫蘇茶、おいしい。これも作れそう」「自分が何も知らないので、もっと山の暮らしを知って子どもにも伝えたい」「サンマ寿司も作ったみたい」「めはり寿司も作りたい」

要は、山の暮らしの豊かさを探し、身につけ、子どもにもさせたい、ということで盛り上がります。


ここで緊急動議!

なんとなく私を始め事務局サイドはこの動きを「森っ子プロジェクト」なんて、呼んでいたのですが、、、、。

「この村に森はないんです。山なんです。だから“山っ子”にしましょう」集まっていたみんなが「そうだそうだ、森じゃなくて山だ」ということになり、私も、そうだそうだね、と「森」を撤回したのです。

「山っ子プロジェクト」の「山っ子クラブ」です。これから何をしましょうか?

まずはみんなの山っ子情報を集めたマップを作ろう。ワイワイ何かを食べよう。皆でキャンプしよう。河原で遊ぼう。やりたいことが沸き上がってきました。

1年後くらいには、「ザクロ採って来たよ〜」なんて山っ子たちが現れ、都会から家族が山っ子になりに村を訪ね、“山っ子ブランド”の木製品などを買って帰る。そんなふうに、なるかな?したいな〜!

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お仕事 ワインライフ 2018/10/22 1:47 pm

ブドウ収穫の時期を迎えた北海道池田町を訪ねました。たわわに実る黒い小粒のブドウは名産の十勝ワインになります。

このブドウに魅せられて、会社務めを辞め、家まで建ててブドウ作りを始めた男性に会いました。自分のブドウでワインを。それを楽しみにする第二の人生です。

急がないでゆっくり、実りと熟成を待つ生き方。そこには良い友も集まります。これぞワインライフですね。
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池田町といえば自治体ワイン造りの草分け。「ワイン城」が有名です。

観光バスに乗ってワインを買って帰るのもいいですが、リピーターにはこんな景色を眺めてほしい。

見渡す限りのブドウ畑、地元では当たり前でしょうが、これこそ観光資源。ここからワインが始まるんだ、と実感できます。

たわわに実るとはこのことでしょう。「山幸」というワイン用の品種が収穫真っ盛りでした。










よく見るブドウ棚とは違います。垣根のような作り方、下の方にブドウはなります。手際よさに見とれました。

もちろん畑は持ち主が居るので普通は勝手には入れませんが、実ったブドウと収穫風景はかつての築地市場見学同様、産業観光の一場面。この「山幸」ワインをどうしても買いたくなってしまいますね。



この日の夜は当然のように、ワインでお食事でした。ここでは書けないほどの、銘ワインをいただきました。

そして、別の意味で貴重なこの写真のワインも。

ワインに魅せられて、ブドウ栽培に魅せられて、半移住し、家も建てられた男性のそのお家「クマゲラ亭」のラベルが貼られた「山幸」です。

そのご本人、Hさんと、Hさんを引き寄せるように結果的には池田町に根付かせてしまったYさん、その出会いとつながりのエピソードはドラマチックでした。

大人の男たちの友情というか、絆というか。聞くほどに、人生って面白い、とワインが進みました。

翌朝、Hさんの「クマゲラ亭」を訪ねました。外壁は木を燃やして真黒にした加工、昔の海辺の倉などにあった方法です。

屋根は赤。このため、身体が黒く頭が赤い「クマゲラ」という鳥の名がつけられたとか。私など、まだ実物をみたことがないのですが・・。



Hさんは、何かを栽培したくて、それも実がなるものを作りたくて、ワイン用のブドウにたどり着いたのだそうです。

最初は挿し木にする枝がほしかった。ワイン城を訪ねるうちに、Yさんと仲良くなり、何度も訪ねてはワインを飲みかわしながらワインの魅力に惹かれていきます。

やり手の居ないブドウ畑があることを知り、Yさんの紹介でブドウ栽培を始めました。当初は自宅のある関西から、月に2回飛行機で通ってきての農業だったとか。

そのうち、会社員を辞めてしまい、この家も建てました。なかに入ると、暖炉やロケットストーブ、ブドウ搾り機、バケツ一杯のブドウ、窓辺に並べたブドウと、実に「農的」な暮らしです。

ブドウジュースをご馳走になりました。糖度22度、ほんの一口で元気になり、目の疲れが直りそうな濃さ甘さです。

昨年の干しブドウもいただきました。生では気になるブドウの種が、干しブドウになるとそれほど気にならない。むしろ、カリカリと噛む食感が美味しさを引き出します。

これとバターやチーズで、ブランデーやワインを飲みたいものです。「ぜひ商品化してほしい」とリクエストしました。


Hさんの畑に行きました。彼は垣根造りにはせず、支柱を立てた独特の作り方にチャレンジしています。

支柱にもオリジナルの工夫があります。そういうことのひとつひとつ、考えることが楽しくてしょうがないようです。

実を口に入れながら、収穫時期を考えておいででした。収穫には彼の友だちが、泊りがけで援農?に来るのだそうです。またまたワインパーティーですね。

わたしはワインになるまで待っていられない、このまま生でどんどん食べたくなっちゃいます。

それに普段、見たことのないこのワイン用のブドウの姿が、かわいくて、美しくて。

ブドウの葉や枝も、秋の象徴のようで愛おしい。ご無理を言っていただいてきました。(この写真はHさん撮影)




Hさんのようなワインライフもあれば、これは私のワインライフ。生け花ではなく、活けブドウです。

残念ながら、帯広、羽田と運ぶうちに、葉のほとんどは取れてしまいました。

でもこのツルがいい。冬には葉を落としたツルをたくさんいただいて、カゴなど編みたいと夢は膨らみます。Hさんの畑を手伝って、ツルをいただくなんてことできないかな〜。

もしかしたら観光客だって、ブドウのツルでリースはもちろんのこと、カゴやオブジェを作りたいはず。

ワインライフは飲むだけじゃないのです。

ブドウと葉を、私の事務所のテーブルに飾りました。来客の目を引きます。

食べ物ではなく、活け物ですね。久しぶりにデッサンして絵などを描きたくなってしまいます。

そういえば古い西洋画に描かれたブドウはこんな感じだったのでは・・・。

花を活けるより、こんなふうにブドウを活けこんだテーブルで、ワインを飲みながら食事をしたい。これもワインライフでしょう。

Hさんのおうちを訪ねた時に「あ、ハクチョウだ」とHさんは空を仰ぎました。こんな大空とブドウに囲まれたのびやかな暮らしの選択、素敵だなあと思います。

池田町には、ブドウが年数を重ね育ち、もう収穫できるのに栽培をやる人が居ない畑がまだあるそうです。

このブログをご覧になって、栽培というワインライフをしたくなった方、私にご一報くださいネ。

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お仕事 種どり農家 2018/09/17 1:26 pm

農家以外の人は“野菜農家は種をとり、また来年それを蒔く”と思っている方が多いのではないでしょうか。

でも、いまの時代、種をとる農家は珍しく、市場に出る野菜の多くは一代限りで種もできないと聞きます。

そんな時代に挑戦するかのように、種をとり在来種の野菜を有機栽培している若いご夫婦に会いました。雲仙市の「竹田かたつむり農園」、スローながらも頑張っています。
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以前のブログで「野菜パワー」のタイトルでこの農園の野菜のことを書きました。

まるで野菜の活き造りのようにピチピチと盛られた、鮮やかな野菜たち。この野菜の鉄板焼きの美味しかったこと!

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=477


この時既に、カボチャを3種類いただいています。スーパーで買うカボチャはたいてい4つ切りになったホクホクの西洋カボチャ。

いまの都会の子どもたちは、これとハローウィンで使う巨大なカボチャくらいしか知らないのでは?

でも日本には、もともと地域に根ざしたいろいろなカボチャがあったのでした。

しかし輸送に耐えて、日持ちが良く、今の食文化になじみやすく、作りやすい、失敗のない、同じ形のものがきちんとできる品種が推奨され、農家はそのカボチャばかり作るようになってきたわけです。

できたカボチャを売ってしまえばそれでよし。また来年は苗を買えばいい。種などとらないし、そもそも多量に作られている野菜類は、一年作り収穫すればお役御免。その時、その年だけいいものができる品種に作られていますが、立派な種は残さないのです。

鉄板焼きの時にご一緒はしていたのですが、あらためて農家さんを訪ねました。

「竹田かたつむり農園」の竹田竜太さん。もとは学校の先生、駅伝を走るアスリートでもあった方です。





名刺の肩書には「種どり農家」とあります。

そしてかわいらしいカタツムリの絵をあしらったロゴマーク。「まあ、ゆっくりやろうや」というメッセージがじんわりと伝わってきます。






農薬や化学肥料を一切使わず、種がとれる「在来種・固定種」の野菜を中心に、年間を通して約50品目の野菜を育てているという竹田さんの畑。

これだけの草に負けないで、元気ななすが。普通収穫が終わったら、株は引き抜き捨てられるのでしょう。でもここではまだこれから、種をとるのですから。


「ああ、まだいいのが生ってくれてたなあ」と竹田さん。

ここの青なすは、鉄板焼きでとろける美味しさでしたっけ。








野菜の一生=種から種まで、と付き合いたい。そんな農園ですから、この種が宝物。

こうして眺めると、実に綺麗です。








竹田かたつむり農園のパンフレットにある初夏の畑の様子の絵。「黒田五寸人参」「長崎赤カブ」「雲仙こぶ高菜」「万願寺シシトウ」「青ナス」「小菊カボチャ」「九条太ネギ」「平家キュウリ」「雲仙赤紫大根」などが描かれています。

う〜ん、どれも食べてみたい。もう、大量生産された、何処でも同じ、いつもの野菜じゃ嫌ですもの!

おやおや、竹田さんが草原、いや、畑をスタスタと走っていきます。

どうやらウリが植わっているようです。

「これ、ここら辺だけで作られている特殊なウリで、漬物にすると歯ごたえがあってうまいんです」と竹田さん。

近くのおばあちゃんが種を持っていたとか。今年、種をとれば、来年はもっと皆さんにお分けできることでしょう。

竹田さんの野菜の美味しさを聞きつけて、この日もお菓子素材を探している方が訪問されていました。

市内や長崎のレストラン、旅館などで、定期的にここの野菜を使うところがだんだん増えているとのこと。でもまだまだ数年の取り組みですから、売りさばきが難しい。

雲仙はジャガイモの産地です。ほっといてもあちこちからジャガイモがもらえる土地、だからいくら無農薬とはいえ、少し高い値段が付くと売れない。

「地元で一番使ってほしいのですが、地元になかなか理解されない」のがもどかしいわけです。「ジャガは芽が出てきちゃって〜」(笑)

でもどうでしょう?100グラムなどで計算すると、安売りスーパーと比べてしまいますが、「種とり体験料金」(野菜付)なら一人2000円位とれる。

「いろいろジャガの食べ比べ教室」だったら同じく1500円はとれる。「無農薬ジャガ5種セット」(ジャガ料理名人伝授のレシピ付き)なら合計2キロで1500円になるかも。

この思想のある“畑”を食育の教室ととらえて、物プラス提案や知識や体験を売りましょう。そのうち、みんなが大きな野菜家族になって種から人の輪も育つはずです。

「大変ですね」と私が言うと、「いやいや、まだまだ、これからですよ」と竹田さん。

渉外係の奥様の激励が、明るさのエンジンになっているようでした。

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お仕事 あつまっぺクラブ 2018/09/09 5:33 pm

那須塩原市の金沢・宇都野地区で、地域おこしのワークショップが本格的に動き始めました。

地域の課題や目指す姿を全員が書き出して、各チームで意見をまとめます。そして、これから実践もしていくこの集りに皆で名前も決めました。

7つの候補のなかから、最後は目をつむって手を挙げて。こうして皆が名付け親になると、いよいよ活動に魂が入ってきますね。
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7月以来の那須塩原市です。秋ですね〜、リンゴの収穫時期を迎えていました。









「津軽は青くても甘いから食べてごらん。皮ごとかじるのが一番うまいよ」と農家さん。

先日の台風でリンゴも被害があったようですが、笑顔です。







仰せの通りかじりますと、パリッと新鮮で、ほんとに甘い。久しぶりにリンゴの丸かじりをしました。

その土地に来て、最初に会う人、最初に口に入れるもので、土地の印象が決まります。

この日はにこやかで、甘酸っぱい香りのスタートとなりました。



リンゴ丸々一個の後に、すぐ昼食。名物のお蕎麦。

地元の人が行くお店なので盛りがいい。普通の大盛りサイズが普通盛りです。でも美味しいお蕎麦なのでどんどん入ります。ジモティー支持のお店はさすがですね。

あえて写真は載せませんが、ここのメニューに驚きます。蕎麦屋なのに、フライ定食からカレー、もつ煮込みまである!つまり地元民が居酒屋さんとしても利用している蕎麦屋さん。

お蕎麦大盛りも普通盛りと同額、ご飯のおかわりは自由。さらに、豆からちゃんと挽く淹れたて珈琲もセルフで無料。

こんなお店が身近にあったらどんなに幸せでしょう。

そして、早い夕飯となりました。地元の方のお宅でご馳走になります。

これが美味しかった!

作者は「しその実」と呼ぶ、野菜類の塩もみ。キュウリ、ナス、ミョウガ、生姜、そしてたっぷりのしその実を、塩でサッと揉んで、少し重しをしたもの。

スーパーには売っていませんね。これが白ご飯にあう。他のおかずはすべて持ち帰りにさせていただきました。

さて、食べているだけでなく仕事もしなくてはいけない。会場の「旧金沢小学校」です。

7月に皆で大豆の種を蒔き、うまく育っているか心配だったのですが、見事に大きくなっていました。暗い中でも元気な葉の様子が分かります。

夜7時。かつてこの小学校を使っていた人たち、金沢と宇都野地区の人たちが集まってきました。

この地域は、東京にほどほど近く、自然豊か、新幹線駅があり、温泉もある、牛乳の産地、野菜果物も豊富。蕎麦を食べに、野菜を買いに、アウトレットもあって、都会から人がやってきます。

何の問題もない、幸せな土地のように見えますが、それでも高齢化は進み、交通弱者は困り、若者の仕事が少ない、などなど田舎の悩みはどこも共通ですね。

この旧小学校を活かして、何か地域おこしができないか?それを地元の方とご一緒に進めるのが私の役割です。

昔、この教室に学んだ人、自分の子どもが学んだ人が、閉校した小学校に再び集まり、真剣な顔をして、深く考え、何かしらを書く。

客観的に、面白いシーンです。

小学校時代と違うのは、教科書がなく、学ぶこと、考えることにも正解がない。何でも教えてくれる先生もいない。皆で方向を見出し、少しずつ前に進むだけです。

普段ぼんやりとは考えていても、「地域の目指す姿」を書きましょう!などと言われて、すらすら書けるものではありません。う〜〜〜んとうなってしまいますね。

それでもだんだん言葉になってきます。地域の目標が整理されてきました。

人とのつながりを大切に、自然や伝統文化を受け継いで、高齢者と子どもが元気な、若い人が定住できる、外からも人が遊びに来てくれる、そんなところにしていきたい。

皆の思いはほぼ同じです。

では、その目標に向けて何をしていくのか具体案を考えるのが宿題。次回はアイディアを山盛に出して、「すぐ」やること、「少し先」にやること、「いつか」やることに分けていきましょう。

そして、今年度中に、お試しの実験を皆で何かやりましょう。いつまでも腕組みして、考えているばかりじゃしょうがない!


それにしても、この集りを何と呼ぶ?名前をつけようということになりました。

自分たちの活動に「名」をつけることは、その活動の性格や方向が見えてくるということです。

固い、まじめな役所用語みたいな名前で、これからどんどん人を誘える?来る気になる?

なんてことを話しながら、ひとり2つずつネーミング案を出しました。そして最後は、決戦投票です。

目をつむって手を挙げる、その数を事務局が数える。これが、けっこう真剣な時間です。

結局「あつまっぺクラブ」に決定となりました。決めたチーム、案を出した女性は誇らしげ。

方言が入っているところがいいですよね。「実際にはあ“づ”まっぺ、だね」と、皆が笑います。

子どもに名前がついたようなもの、さあ、これから皆で活動を育てていきましょう。

私、いい感じの土地で、いいワークショップになった時は、調子に乗って買い物をする癖があります。最終の新幹線で大根を丸々抱え、この大荷物で地下鉄にも乗るんだ・・・と反省しきりでした。

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お仕事 集落に学ぶ 2018/08/19 4:14 pm

今年度の奈良県十津川村谷瀬寄合が2回行われました。

小さな集落の小さな会合でいつも思うのは、皆が平らかな関係にある清々しさです。

高齢者も、若者も、女性も、よそ者も皆が意見を言い、皆が実行する姿勢で取り組む。

しかも「ねばならぬ」ではなく「楽しんで」。なので、物事が動いていく。

皆がお互いを必要としている関係、これが社会の原点なのでしょう。
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山の稜線の手前に、集落の人たちで作った水車が見えます。「ゆっくり散歩道」の名で伸びる道、集落の人の生活道ですが、外来者には吊り橋から展望台まで続く散歩道。歩くだけで緑と鳥の声に癒されます。






水車の近くに行くと、伸び放題だったカヤの原が刈られています。後から聞けば「熱中症ギリギリで刈った」のだそうです。
おかげで、散歩しながらの見晴らしが開けました。







会員制で酒米を育て、純米酒づくりをしています。その稲もフサフサ茂りいい調子。春にはいいお酒になるでしょう









展望台へ行く階段に「マムシ注意」の看板。「観光客の方からマムシがいたって聞いて早速4枚つけた」とのことです。









手づくり道案内案山子も増えています。これは有志の女性群の仕事。「だんだん職人みたいな気分で、面白くって」なんだそうです。









ちょうど百日草が盛りでした。花に詳しい方が音頭をとって、奈良女子大生も一緒に植えている、散歩道沿いの花たちです。









これが谷瀬名物?寄合風景。ほぼ一カ月に1回寄り合います。先回、みんながやりたいことを書き出しました。そしてこの回では、その中で特にやりたいことを選んでいきます。







やりたいことのなかでも、「即やること」「年度内にやること」に分けて整理していきます。板書が上手な「たろう」さんは、もうすっかり住人になり切った数年前の移住者さんです。







ほんの40人足らずの少人数で、この大きな山里の空間を維持管理し整備していくのですから大変です。実際に動いている人はそのうち10数人。

それぞれが得意なことを受け取って、いつまでにどうやるかを決めていきます。




水の配管工事から、空き家の整備、その整備した空き家に住みついたコウモリの退治、なんでもやる人たちです。「コウモリの糞、売ったりできないかね〜」なんて冗談も。







今年度やることが出そろいました。一番やりたい意見が多かったのが、「文化的な催しです」。

これまでとにかく他所の人に来てもらおうとばかり考えてきましたが、もう少し自分たちが豊かな時間を過ごし、知的な谷瀬にしていきたい。

古民家を改築した休憩所「こやすば」を、来訪者だけでなくまずは自分たちのくつろぎの場にしようというわけです。

「お月見近辺で、みんなでサロンを開こう」「純米酒・谷瀬を酌み交わそう」「昔のLPレコードをゆっくり聴こう」「ギターを弾こう」「秋の花を活けよう」こんなワクワクが育っていきます。


既に、真空管を使った昔のステレオセットが整備されていました。音にこだわるようです。

こうした小さな試みが、やがて来訪者にも伝わります。そして淀んでいない、流れているせせらぎは、必ずそこに新しい水が流れてきます。

“谷瀬の人口を増やそう。集落を維持しよう”みんなの目標はひとつですから、サクサクっと物事が進む。

体力のない人は昔の知恵を出す、赤ちゃんは場を和ます、納屋に古い民具がある人は展示物に提供する、花の水やりを集中してやるひとも。

こういうつながり方がいくつも連結した日本なら、どんなに素晴らしいか。

となりの人と会話もしない東京新宿の小さな部屋で、そう思う私でした。


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お仕事 フルーツ・ライフ・スクール 2018/07/30 11:59 am

こういう名前の「まちづくり人材育成塾」が果物のまち紀の川市で始まっています。

まちづくりイベントは、とかく楽しいだけで終わりがちです。もう少し深いところで繋がり、思索し、知的な動きを起こせるように。

コーディネートするにあたり、カリキュラムには講義とワークショップ、ウォークの要素も入れました。

さてどうなるか?17歳〜78歳の25人と一緒に、私も学ばせていただいています。
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初回6月入塾式では、副市長から「紀の川市のいま、これから」というテーマで、市の総合計画を講義いただきました。計画など知らない、では済まされない世の中です。「計画なんて見たことないもの、知らないもの」なんていう言い訳は、本当の大人にはありえないことでしょう。高校生も真剣に聞いていました。

その少し固い内容で、紀の川市の目指す姿を知った後にはリラックス!この写真、記念の懇親会ではありません、講義とワークショップの間に設けたフルーツ休憩です。

今回、受講生を集めるには苦労しました。何でも無料が多い中で、年間1万円の参加費を払っても学びたい人を集めたからです。しかも、初回ですからどんな内容かも示せません。

知合いが自然多くなるかと思ったら、全く知らない方が多く手を挙げて、参加動機の文章までしたためて入塾されました。スタッフも講師も、気合が入るわけです。

休憩時間ににも何かを学んでいただこう。農家さんの思いや、梅についての一口知識が貼りだされます。

ワークショップ「お互いを知ろう」では、各人が自分のキャッチフレーズとビジュアルとしてのクレヨン画を。

学生、農家、公務員、会社員、自営業など職業ではつかめなかった、個人のキャラクターがみえてきます。

ソプラノで歌う人だったり、陶芸が趣味だったり、ダンスが得意だったり、お祭り男だったり、手品師だったり、変わった鶏を飼っていたり、地域おこし団体を長年やっていたり、etc。

2回目の講義は「いったい果物とは何なのか」。全国的に活躍されているフルーツの専門家、近畿大学の先生からお話をいただきました。

気軽に「フルーツのまち紀の川市」「フルーツでまちおこし」などと言いがちですが、なぜ紀の川市で果物が多く作られるのか。

私たちが果物と呼んでいるのはどこなのか。果物はどのように増やすのか。など、初めて聞くような話ばかり。

皆から「こういう専門的な話を聞きたかった」と大好評でした。そう、しっかり学ぶ時間は大事なのです。

この日は皆が“果物に関するもの・こと”を持ってくるのが宿題でした。ひとつのことを多様な視点で見る訓練です。

例えば電車を、交通手段としてみるか、コミュニケーションスペースとしてみるか、はたまたいい音を奏でる装置ととらえるか、でそれを“活かす”方法も変わってくるはずです。

果物関係で集まったのは、世界の果物切手、果物にこだわる人の紹介、果物関係のお菓子、果物の字を使った苗字、台湾での桃菓子、神社にある果物由来の故事の彫り物、果物の香りの殺虫剤、果物アップリケのTシャツ、果物の形の消しゴム、などなど。

にわかに「フルーツ・ミュージアム」ができあがりました。

ワークショップのテーマは「多様な果物文化を見渡す」です。ミュージアムに続いて、「フルーツは?」というお題への言葉出し。

「フルーツは・・・・おいしい、きれい、香りがいい、おしゃれ、高いイメージ、近所からもらえる、主食にならない、剥くのが面倒、神様に供える、癒し、感動を与える、暮らしを豊かにする、薬になる、思い出、汗仕事、獣との闘い、6次産業化が可能、」など、いろんな切り口からの言葉が出ました。

一口に「フルーツのまちづくり」言っても、そのフルーツの捉え方はいろいろだということが分かりました。

全12回のうち、3回は「フルーツ・ウォーク」です。地域資源を訪ねながら、歩きながら学び、学びながら皆が仲良くなる時間です。

7月の強烈に暑い日に、一回目のウォークでした。長距離はバスですが、現地で1時間くらいは歩きます。

この日は「偉人の業績を訪ねる」がテーマ。江戸時代の土木技師・大畑才蔵について専門家の方から学びました。

学んでから歩かないと、その偉大さが分からない。小田井用水は見た目はただの水路です。

でも注意してみると、途中で水が消え暗渠になっていたり、サイフォンの構造で川の下を流したり、渡井で川の上を流したり。

少ない勾配でより広い面積を潤す用水を、昔の技術で作った人がいる。そのおかげで、米ができて、人が生きられた。その延長上に、今の紀の川市、果樹栽培もあるのですね。

暑い暑いウォークではありましたが、高校生の男の子が「かんがいというものに興味をもちました」と感想を述べています。

水の便の悪いところに用水を作る努力に想いを馳せていると、道沿いの家に「水」の字が。

防火のおまじない、今もこうして生きています。







もう一人の偉人は華岡青洲。江戸時代の終わり、世界で初めて麻酔を使って手術を成功させた人です。

全国からここに1000人以上の弟子が通ったとか。母と妻を人体実験に使った話は小説にもなり有名です。彼は地域の灌漑にも努め、ため池を造ったりもしています。

生涯、田舎で粗末な暮らしをし医療に尽くすを旨とした人でした。

診療所であり、住まい、塾でもあった「春林軒」が復元されています。ここもしっかり説明を聞きたかったのですが、時間切れ、しかも暑さに皆疲れてしまって・・。また来ましょうね。


そして最後に訪ねたのは現代の偉人!新しい農業の姿にチャレンジする桃農家さん。

桃だけでなく早くからブルーベリー栽培をしかもオーナー制で始め、今は摘み取り体験農園もやっています。

摘み取りだけでなく、マキ割り、ピザ焼き、歴史散策、ネーチャーゲームなど、いろいろな体験も商品にしています。

奥様とお嬢さんはフルーツを活かしたレストランも。季節のかき氷やフルーツパスタなどが好評。

これから農業やカフェをやりたいという方に、具体的な参考事例となりました。何人かが、また訪ねたいとのことでした。

お土産は丸々太った美しい桃、その実りも讃える一日となりました。

このように、人材育成塾といっても他都市のアカデミックな講義中心のやり方とかなり違います。このやり方でどんな変化が起きるのか、スクールを企画した側としてもチャレンジであり、学びなのであります。

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お仕事 大豆を蒔く、元気を蒔く 2018/07/23 6:30 am

那須塩原市にうかがうと、炎天下、高校生が大豆を蒔いていました。料理研究家・辰巳芳子さんの「大豆100粒運動」に応えての活動です。

大豆を育てることで日本の食生活を変えようという動き。地元の方々も賛同し、閉鎖した旧小学校を清掃、花壇に大豆を蒔きました。

「高校生と豆腐を作ろうか」「若い人に豆の煮方を教えよう」話が止まりません。大豆は、元気の種にもなりました。
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栃木県立那須拓陽高等学校、歴史ある農業系の強い高校です。











炎天下訪ねると、大豆を蒔いている真っ最中でした。

一見、昔の田植えのようにもみえます。








蒔いているのは、緑色の「加治屋在来」と、











「鞍掛豆」。名前の通りこの大豆は、馬の背に鞍を掛けたような模様です。









辰巳芳子さんの運動に参加を表明のプレート。ワイワイ言いながら作ったんでしょうね。

今、全国の学校、地域で、こういう看板が立っているのだと思います。






紐に付いた印にあわせて2粒ずつ。

若い指が豆を埋め込んでいきます。








黒長靴と麦わら帽子、ちょっと昔っぽいファッションが、今やカッコいい!

さらに、こういう運動に参加することがカッコいいのでした。







さてこの晩、地域の女性たちと会食したのですが、その方たちは既に大豆を蒔いていたのでした。

「○○さんのうねり方はさすがだね〜」「私たちは一足進んでそこに蒔く、紐なんてはらないで、自分の足が物差しだ」「やぱり先輩方のクワの使い方は違うね」

この方たちの先輩というとお幾つなのだろう???なんて思いながら、私はその豆談議に混ざっていました。

「△△さんの煮豆は美味しいよね、しわにならなくて上手だもの」「少しのこってるから食べる?」「こういう煮方を、高齢者が高校生に教えるのいいね」「豆腐作りもいいよ」「味噌は作らなくちゃ」

大豆から、なんだか夢が芽生え膨らんでいるようです。


翌朝7時、旧金沢小学校に、奉仕活動のためにたくさんの人が集まりました。

廃校にはなったけれど、お世話になった学校が荒れていてはだめだから、草を取って、掃除しようということです。





これからこの学校を地域おこしの拠点にだんだんしていきたい、そんな思いも芽生えています。

だから、とにもかくにもまずはきれいにしましょうと、道具はばっちり。皆さんの暑さ対策もばっちり。





今や鹿の運動場になってしまっているグランドを、綺麗にします。一見、潮干狩りのようですが、壮大な草取り。

私などは装備が甘く、すぐに汗だくになり、しかも草はなかなか取れないで、ギブアップ。

皆さんは根気よく、本当に綺麗にしたのでした。





荒れていた花壇は掘り返され、大豆が蒔かれます。

子どもたちは初めてかな?











ここでは3粒ずつ蒔かれていました。

こっそり、「私にも蒔かせて」と一ヶ所豆を入れさせていただきます。

さあ、高校と、このもと小学校と、おばちゃんたちが蒔いた大豆は見事に実をつけてくれるでしょうか?

獲れた豆で何をしよう?この日から、蒔いた人たちは、大人も子どももワクワクし、なんだかムズムズ元気になっているはずです。

汗をかいた後に食べた地元の曲がったキュウリ、来年はみんなの大豆で作った味噌をつけて食べられるかもしれません。


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お仕事 昔の写真展 2018/07/16 11:50 am

久しぶりに十津川村谷瀬へ行くと「谷瀬昔のくらし写真展」が開催中でした。

奈良女子大生と谷瀬住民による手作り展示。眺めながら村人の話がつきません。

90歳のおじいちゃんの若い頃の写真を見て「イケメンだったね〜」、今はヒゲを蓄えてた集落総代の赤ちゃんの頃の写真では「可愛い、ヒゲがない!」なんて声が。

“みんなの昔”が主役になれる写真展は、よそ者にも楽しい場でした。
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4ヶ月ぶりの谷瀬です。今年も「純米酒 谷瀬」になる、酒米がすくすく青々と伸びています。

谷瀬の吊り橋を渡って「ゆっくり散歩道」を歩いていくと、やがてあるのが「こやすば」。

古民家を皆で使えるようにした休憩所です。




ここでは春までは「暮らしの写真展」として、村おこしの様子や、名産品づくりの作業など、谷瀬の今の暮らしを伝える写真展をしていました。

その昔バージョンです。2月頃から奈良女子大学室崎研究室の学生さんが、集落の皆さんに呼びかけて昔の写真を集めてきました。

「ないよ」と言っていた住民が、意外に「あった」と反応。アルバム一冊出てくると、それは宝の山のように、いろいろな情報が埋もれているのでした。

集落の人は、ひたすらあちこちをゴソゴソ探す係です。アルバムがあったら一緒に写真を選び、学生さんがスキャンしてデータにし、プリントしてボードに貼ります。



ちょっと素敵なギャラリー風でしょう?

この撮影時は、「こやすば」の戸が閉まっている状態だったので暗めですが、土日のオープン時は、もっと明るいです。

しかし、時々まだコウモリ君が登場するのですが・・・(笑)。





古民家の黒い板戸と白い障子は、そのままシックな展示スペース。特に、こういうモノクロームの写真に合いますね。










ひときわ目を引くこの写真は、谷瀬名物の吊り橋が昭和29年にかかった時の、渡り初めの様子だそうです。

紋付袴に山高帽姿、何度も流されて苦労してきた、その橋が、皆の力で架かり開通した。その待ちわびていた気持ちが、佇まいから伝わってきます。

今ではもっと立派な吊り橋になっています。この頃の吊り橋は、大風の日はよくねじれた!のだそうです。

一方この写真?これはいったい何を運んでいるのでしょうか?婚礼か何かあって、その荷物をリヤカーで運んでいるのか。

それともいつもの農作業のひとコマなのでしょうか。そんなときにわざわざ写真を撮るのかなあ〜とも思うし。やはり何か特別なものを運んでいるのでしょうね。



集落の人々は、何をしているか?よりも「ああ、○○姉だ」「これ、△▽兄だろう、きっと」なんて、人物の特定に夢中です。

一番右が、いまや最高齢?のお爺ちゃんのはず。素敵です、もちろん今もですが。






電話の交換、という仕事もあったわけですね。











お嫁さん、一世一代の晴れ姿です。

こういう花嫁姿で、吊り橋を渡って谷瀬へお嫁入したのでしょう。今と違い、情報がない時代です。他と比べるなどということもなく、親や親せきの決めた縁談で。

ただただ、嬉しくて恥ずかしくて。いい笑顔ですね。

地元の方々、相変わらず「これ、□□婆じゃないかね」「ああ、そうだそうだ」「ほお〜」という調子。

花嫁姿のご本人は、今は集落においでにならないようですが、こうして写真を飾られるなんて、喜んでくれるはずです。



昭和20年〜30年代くらいは、子どもはみなおさがりを着て、鼻を垂らして、下駄で走り回っていました。

小さな子は、お母さんや上の兄弟にいつもおんぶされていましたっけ。そう、黒い襟のついた“おぶいばんてん”にくるまれると温かでした。

おぶわれているのが、今の谷瀬集落の総代さんです。



吊り橋を渡ってお嫁入し、やがて子どもができて、家を建てる。

当時の家は、新建材など使わない、地元十津川の木を使ってでしょう。自分の山の木を伐って、ということだったはずです。

建前は嬉しい、餅をまいて、幸せを祈る、振る舞う。


写真を見ていると、この小さな集落に暮らし、身体を酷使しながらみんなでささやかながらも幸せをつかんできた、創って来た、そんな皆さんの生きざまが伝わってきます。

集落の人と、学生さんと、飾る場所があれば、こういう試みはどこででもできますね。

誰かの立派な写真を鑑賞するのではなく、自分たちの歩んできた日常が主題になり、自分たちが主役になれる写真展。

写真を前にほとんどおしゃべりは噂話や冗談のですが、それでも住む人たちも、よそ者も混ざって、人のつながりを編むことができます。

ぜひ皆さん、ぶらりとお立ちよりください。そしてぜひ、皆さまの地域でもこんな催しをしてみてください。奈良女子大さんありがとう。


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お仕事 それぞれの宿で 2018/07/02 1:34 pm

その土地のことを知るには、いろいろな宿に泊まることが大事と思っています。

いま通い始めている雲仙市でも、3泊するなら3種類の宿に泊まります。

今回ある宿では、大女将さんのまかない食事にご一緒し厨房で楽しいおしゃべりをしました。

スポーツ合宿専門の宿では、アスリート並みの食事量にびっくり。地元のはじける宴会に遭遇した夜も。

それぞれに土地の事情を吸収できました。
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雲仙市に毎月通い始めています。今回は、雲仙市国見町を回りました。いろいろな活動や人を訪ねていますが、宿は私セレクトです。

1日目は多比良地区にある「割烹旅館観月荘」という宿。「タイラガネ」(ガネとはカニのこと)呼ばれるカニで有名な海辺のまちです。



2階の部屋でしたが、1人で食事はどうも淋しい。1階に降りてひょいと覗くと、あれ?室内に池がある。大きな鯉が泳いでいます。

厨房で老夫婦がお食事中、「綺麗な鯉ですね」というと「金魚なの」と大女将さん。2人の仲睦まじい姿に、「ここで私も食べたいな〜」なんていうと「どうぞ」と大女将さんがさらりと許してくれました。

ふと見ると、「酒」と書かれたお燗用のヤカン、「のり」と書いた缶、「いりごま」と書いた容器などが並びます。

「みんなお父さんが書いちゃうの」と大女将さん。お爺ちゃんはどうもマジックで表記癖があるようです。



娘さんの若女将さんも加わりました。「このお造りのヒラメはそこの浜でとれたんですよ」「ウリの漬物も沢庵もみんなここで漬けるの。この町は野菜も採れるし」

そこに、嫁いだ娘さんが立ち寄りました。お好み焼きの差し入れです。

ビール1本ですっかりご機嫌の私は「これからはこういう家庭的な宿を求めて外国の方も来ますよ」なんて演説です。

「ええ?こんなとこまで来ますかねえ。雲仙温泉なら来るだろうけど」「来る来る!だから簡単な英語を覚えましょうよ」など、女たちのおしゃべりは果てしなく。



メバルの煮物の美味しかったこと。煮汁をかけたご飯がまた最高でした。

若女将さんはまちづくりに熱心です。この辺りのお店や宿は自慢の逸品を黒い看板に書き出しています。ここは「三角いなり」、そして「おはぎ」も名物。

お爺ちゃんが昔は和菓子屋さんだったことから、当時の銅鍋を使って今も餡を煮るとか。



本当は予約制ですが、翌朝のご飯に若女将さんがわざわざ作ってくださいました。

ゴマのたっぷり入った大きな三角いなりをずしりと食べたあと、さらにおはぎがまた美味しい。海辺でこんな味に出会うとは・・。




2泊目は「遊学の館」。巨大なグランドと大きなお風呂を持つ、スポーツ合宿の宿です。そんなところに個人客が、しかも女性1人でなんて?と思ったらOKでした。

部屋の中のトイレも洗面所も立派。お風呂にはサウナもあり、廊下の横には洗濯機、乾燥機、共同で使う冷蔵庫も。

ここに個人や家族で泊まれることを知ったら、もっともっと賑わうでしょう。とはいえ、夏はもう合宿で満室状態、雲仙市内でもかなり稼働率のいい宿なのです。

夕飯の量が凄かった。刺身、煮魚、エビフライ、餃子、蒸し鶏、エビチリ、豚の陶板焼き、ざるそば。とても食べきれません。

「サッカーの子たちはこのくらいペロリです。ご飯もジャーが空になるし」と調理の方。地元の物を少量食べたい私のような高齢者?!は、今度は夕飯は外で済ませましょう。



それにしてもスポーツ少年たちをいつも相手にしているせいか、従業員の方々の笑顔がさわやかです。応対がいちいち清々しい。最近の普通のお宿に学んでほしい感じの良さでした。

ここはお風呂だけもOK。地元の方々がけっこうお風呂利用にやってきていました。外来者受けの施設をジモティーが上手に利用する、賢いですね。しかもお行儀のいい入り方。

私のようなよそ者が居ると、邪魔にならないようにして家族で入っています。そして洗い場から出るときは、シャワーで自分回りの床をざっと流している。見習わなくちゃと思った仕草でした。



3泊目は「旅館 松栄」。予約の時から女将さんが「この日は宴会が入っているので、うるさいかもしれませんが」とおっしゃいます。

「いえいえこちらも他のところで実は宴会をして、そのあとうかがうので夕飯はなしで、しかも到着遅いです」と条件がピタリ!

いい加減遅く、こちらも酔っぱらって到着するとまだ宴会は続いていました。どうやら地元の農業関係の若者のようです。

私は宴会が大好きなので、盛り上がったりはじけたりは大歓迎。ロビーで女将さんは気にしますが、実はこちらがその輪に飛び込みたいくらい。

そこにスタスタと若者が階段を降りてきました。トイレかな、お水かな?と見ると、ストーン、と音まではしませんでしたがズボンが落ちた〜〜〜!大丈夫、パンツは履いていました。

こちらは大笑いなのですが、女将さんが子どもをあやすように「あら、ダメよ。ズボンあげてよ〜」と世話をしています。

どこに行くのも車社会の田舎の地、普段は外ではなかなか飲めません。皆とたまに飲むのなら、こうして思い切り飲みたいのでしょう。

黒々と日に焼けて、ご機嫌の若者はいい顔をしていました。こういう宿が身近にあること、幸せですね。



お風呂に入っているうちに宴会は引けました。そこで私のお目当ての「野菜ぷりん」です。

実はこの宿は、例の看板に「野菜ぷりん」と書いてある宿。雲仙市の豊富な野菜をたっぷり使って手づくりプリンを手がけています。

一番ベーシックな雲仙名産の「じゃがいもぷりん」をいただきました。夜中のぷりん、ほっこりとしたジャガイモの風味をそのままに、魔法にかかったような甘さが私をとろけさせます。

このノリで、翌朝もう一つ「ゴーヤぷりん」もいただきました。





女将さんは他のお菓子にも挑戦中、料理にも熱心で朝から可愛いジャガグラタンも。玄関にはジャガイモの新種が「女将さん、試しに使って」と届いていました。






雲仙市内に有名で巨大な温泉観光旅館もありますが、3か所3様のこういう宿もまたいいものです。お宿のおかげで土地の素顔に触れ、ますます雲仙が好きになったのでした。

※ちなみにカニの写真は朝の散歩のお友達、タイラガネではありません。

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お仕事 湯せんぺい 2018/06/18 4:52 pm

明治初め旧島原藩主松平公が、作らせたといわれる「湯せんぺい」。

雲仙土産で知られますが、先日、その手焼き作業を見学しました。

熱々の重い鉄の型に、小麦粉などを溶いたものを流し、挟み、ジュワーと音をさせて余分なタネを出し、ゆっくり焼く。

手元を見ていると飽きません。この「湯せんぺい」の耳を
活用して若主人が発案した、チョコバーやグラノーラもあってビックリでした。
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昔は20軒くらいあった「湯せんぺい」屋さん、今は9軒だそうです。その中で、手焼きにこだわっている雲仙温泉の「遠江屋本舗」を訪ねました。

雨の日、店に入ると甘く香ばしい匂いがします。お店の中でお客様にみえるように、 ここの若主人・加藤隆太さんが湯せんぺいを焼いていました。


3キロあるという焼き型を、扱いながら話してくれます。材料は小麦粉・卵・砂糖・温泉水。1階では手焼きを見せているものの、作るのに限度があるので、2階では4枚目ずつ焼く機械焼きをしているとのこと。






手焼きが左のパッケージ(昔の外国人向け雲仙案内)、右が機械焼きのパッケージ、いずれもレトロで可愛いです。









10年前に他の仕事をやめて、この店を継ぐために戻って来た加藤さんは3年前に結婚、笑顔が素敵です。(動画では撮ったのですが、写真に収めなかったので、パソコンの動画から複写の笑顔です)

夏は暑い仕事です、とにかく焼くわけで。

でも、その「湯せんぺい」をソフトクリームにウエハスのようにつけて食べるのが観光客に人気とか。今回は食べなかったので、次回は必ずと思いました。

焼いたらチョキチョキと鋏を使い、耳を切り落とします。その手焼きの耳が美味しい。(左)家人が言うには、「甘いスルメみたい」と。焼きたては柔らかいのですが、すぐに硬くなり、歯ごたえのある耳になる。

パンの耳が歯ごたえあるのと同じでしょうか。我が家ではこの手焼きの耳が大評判です。


2階の機械焼きでできるサクサクした、「湯せんぺい」と同じ食感の耳は、サクサクとした噛み心地を楽しむもの。2通りの耳をぜひ味わってもらいたいです。

加藤さんはアイデアマン、この多量にできる耳をを使って、ドライフルーツと組み合わせたグラノーラを作っていました。ミルクやヨーグルトと合いますね。

さらに、チョコバーも。キンカン味とミクスドライフルーツの味。チョコと湯せんぺい耳入りです。これが美味しい!作者はこれを山歩きのおともにとか、雲仙観光のおともに、と考えたようですが、私はお酒のおともにです。

ワインにあう!!本当にあう!!噛むほどにいろんな味が口の中で広がる、よくぞ作ってくれましたというものです。

サクサク食感のこういうおせんべいは宝塚温泉や有馬温泉で買ったことがあります。

でも、グラノーラやチョコバーはないでしょう。もっと遡れば、加藤さん、湯せんぺいを葉巻のように巻いたものや、クリームを挟んでゴーフルみたいにしたものも作っている。さすが若さですね。

雲仙名産のジャガイモを使ったお菓子も豊富。さらに偉いのは、ここのお店の物だけでなく、島原半島のこれぞという物もお店で売っている、セレクトショップのようなお店作りをしている。この辺りに、未来を感じたわけです。

「ところで何で、せん『べ』いじゃなくて、せん『ぺ』いなの?」と詰め寄ると、メールが届きました。

“「湯せんぺい」の「ぺ」について・・諸説御座います。当地長崎県には、中華街がございます。中華街で買い求められるお菓子の中に、「月餅」(げっぺい)というお菓子がありますよね。湯せんぺい 湯煎「餅」同じ「餅」という漢字を使いますので、中華街をもつ長崎ならではの「なまり」なのではないかと思われます。”

とのこと。真面目に答えてくださいました。

「ぺ」でも「べ」でもいいから、この味、このお店続けてね。そして次なる新製品待ってま〜す。

ある地域に入って、こういうお店、こういう人に会うと、その地域がぐっと好きになります、その地域の可能性を感じます。

いい人いるなあ〜雲仙市。

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写真でみるゆとりある記

鍋ピカかかし
高田の梅漬け柔らかいもの
麻布十番で。野菜を活けてあるお店。
青森県おいらせ町北寄貝

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。