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ちょっとしたこと 東京半分・地方半分 2020/01/13 11:53 am

都内在住ですが、月の半分は地方に出かけます。行った先では土地の人を訪ね、様々な体験をし、何日かして帰るときには毎回大荷物で帰ります。

お土産というより、その土地の暮らしそのままを持ち帰る感じ。男性は仕事だけであっさり帰りますが、女性は違う。

結果、東京でも地方の生活文化を半分抱えて暮らしています。おかげで地方のことをいつも考え、心と身体が健康でいられます。
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観光で訪ねるのではなく、仕事で地方に行くのではありますが、何日もいると、暮らしている感覚になります。だから風光明媚なところでなく、日常のふとした景色がいいなあと思えます。

朝、仕事場に向かうときに渡る小さな川。「あ、今日もサギがいる。水がキラキラしてきれい」なんて思いながら、深呼吸です。






道ばたの庚申さんに花が上がっている。造花じゃない花です。誰かがちゃんと世話をしているんだ。









河原にどんど焼きの用意がある。明日燃すのかなあ〜。

おばさんが犬とお散歩。堤の上を毎日歩くんだろうな〜。のどかだなあ。

あ、水に鯉がいる。水草がきれい。




あ、旅館の女将さんがお掃除。自分の家の前だけじゃないんだ。通りのずっと向こうまで、丁寧に掃いている。みんながそうだからこの通りきれいなんだ。


向かいのお豆腐屋さん、朝早くから働いて、いま少しほっとしている時間みたい。

こんな風な時間を過ごすと、私の身体に溜まった東京のアクが消えていくように思います。

新宿区のうちの近くにキラキラ輝く流れはあったでしょうか?そこに悠然とサギはいたでしょうか?

庚申さん自体がない、花を活けて世話をする人はもっといない。

どんど焼きをする河原がない、する人もいない。犬の散歩はもっぱらアスファルトの上、あちこち糞だらけ、犬も人も深呼吸などできません。

東京で道をお掃除するのは誰でしょう?煙草のポイ捨ては相変わらず、街路樹の下にはペットボトル。夜は酔っ払いがさらに道を汚します。

地方にある日常が、まっとうな人の暮らしが東京にはない。だからそれに感動し、私の心が清らかになって行くのです。

これは単純な観光ではない、浄化の時間です。だからそこで知り合った人とは、清らかな関係になれる。そこで知った味は持ち帰って、夫にも食べさせたいと思うわけです。


今回過ごしていたのは、おなじみの雲仙市。国見町で4泊5日でした。

会う人ごとに仲良くなって、前に会った人とはもう親戚みたいになって、だから「これ持って行って〜」なんてものが集まります。

けっして市販のおみやげ品ではないものたち。そして、私がもう2年通ってきている中で覚えた、この地の人が普段食べている美味しいものたち。

キャリーバックが閉じるかどうかぎりぎりの量、持ち上げるのにやっとの重さです。

「ゴードーフ」は呉豆腐、豆乳を葛やでんぷんで固めたもの。ぷるぷるで美味しくて、長崎県や佐賀にもあるそうです。スーパーで売っているのを、買ってきました。

雲仙ハムは、地元の人から熱烈な支持のあるソーセージ。お弁当にも入れるし、晩酌にも食べるし、地元の焼き肉屋さんでも出てきます。夫の好物です。

ギンナンをここまで綺麗にするのがどんなに大変か!それを惜しみなく「持ってって」といわれると、こちらお遠慮しません。

直売コーナーで買った「わかめ菜」。サッとゆでるとシャキシャキとわかめのような食感で美味しい。

これも地元の人に教わったもの。








おかず納豆とかもろみ納豆とかいうなめ味噌と、鯖の水煮缶を煎り付けたもの。

私はスーパーフードと呼んでいます。とにかく美味しいし、栄養がある。これは売っていません。さっき通りをはいていた女将さんのお宿のご主人(ムーミンというあだ名)の発明。




ザボンはバラのたくさん植わったお庭と菜園の世話にに忙しいあの方からのプレゼント。彼女の二胡の演奏を今度は聴かせてもらおう。

これらの物がなくなるまで、口に入れるたびに私の暮らしは地方に戻る、あの人を思い出す、心があの地へとなびくのです。

観光でも、定住でもない地方との付き合い方。私はたまたま、仕事の延長でこういう関係ができますが、皆が機会あれば「半分地方」の暮らし方を、望んでいるのではないでしょうか?

東京人は地方に憧れ、地方の人は都会人に地方の良さをおすそ分けしてもいいよ、という気になっている。

いきなり月の半分本当に地方に移動しなくても、別荘など持たなくても、常に地方と生きている気持ちになることから始めたらどうでしょう?食べ物から始めることでできます。

地元の食べものなどに興味のないおじさん方には無理でも、私のような食いしん坊おばさんにはすぐにできることです。地方の物を食べる、の次は、その延長で、産地の畑を訪ねて手伝ったり、その地の行事のある時は泊まりに行ったり、年に何度も訪ねるようになっていけます。

東西南北にそういう関係のある個性的な土地ができれば、なんて楽しいでしょうか。

「半分地方」の暮らし方を皆が実践できるように、今年は知恵を出していきましょう。

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ちょっとしたこと 実家というもの 2020/01/06 11:53 am

私は高校を出てすぐに千葉の実家から離れ、ずっと自活してきました。その間、実家との距離は様々変化しています。

昔は実家は私を拘束するところ、だから近づかない、自分の居場所も教えないひどい娘でした。

東京を離れた30歳代、少し落ち着くと、急接近。貧乏暮らしに援助物資をいただけ場になりました。

そして今や、96歳の母が居るというだけで、心が温まる場になっています。
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私が小学校のころ、海が埋め立てられた千葉市検見川町は、かつては東京湾の漁業が盛んな土地でした。アサリやアオヤギ、カレイ、ワタリガニなどがとれ、海苔の養殖も盛んでした。漁業組合まであったのですから、驚きです。

そんななか、当時越境入学で違う町の小学校に通っていた私は、大きなランドセルを背負って姉と京成電車で3つくらい離れた駅まで通学していました。中学、高校とこれまた電車で市川市まで。ずいぶん京成電車には乗ったものです。

小学校帰り、検見川駅から家までのデコボコのアスファルトの道沿いには四角に漉かれた海苔が干され、近寄ると海の匂いがして、パリパリと海苔が乾いていくかすかな音がしていました。道路の両側には溝があり、どぶ板がはめられていて、その上を歩くとカタンカタンと音がしました。そんな時代です。

いまや人通りはないこの道ですが検見川商店街はそのころ賑わっていて、その一軒の薬局では母働いていました。中学の頃は帰ると、着替えて自転車に乗り、商店街をのぞいで買い物し夕飯作りをするのが私の日課でした。





今回歩いてみると、まだ漁業をやっていた頃の建物がいくつか残っています。昔は各家を屋号で呼んでいましたっけ。





写真の少し向こうに見える緑が我が家に入る門の松の木。小学校の頃は、行ってきますと歩きはじめると、母はここで私が見えなくなるまで手を振っていました。

今から思えば、平和な家庭で、キツキツの収入のなか、ずいぶん私たち姉妹のために学費を納めてくれたと思います。が、そんな平和、平凡さが嫌になったのが高校時代。学生運動に影響されて、在学中からデモなどへ。

卒業後、その延長で家を出ます。親の世話になっていて、社会的な発言などできない、という当時の短絡的な考えからでした。

逃げ回るように疎遠にしていた実家には、今の夫と暮らすようになって顔を出すようになります。苦しくなると静岡県から車を飛ばし、実家へ。そして、お米やお小遣いをもらって。そんなおぼつかない暮らしを続け、ようやく何とか自分の好きなことで暮らせるようになっていきます

。勝手にいなくなって、再び勝手に行き来を始めて、本当にどうしようもない娘です。




その実家からある日電話があり「もう、泊まりに来ても、泊まれる家はないわよ」と母。???と思ってら、もらい火でそれまでの家は全焼したのでした。私が子どもの頃暮らした家の面影は、他界した父の植えたこの梅の樹だけです。



姉夫婦が再び建てた家。実家という印象は薄いのですが、それでも入ると実家の匂いがします。

今年からは玄関にスロープが着きました。「おばあちゃん足が上がらないから、これならゴロゴロを押して自分で動けるから」と姉。最近はこういうのがレンタルであるようです。

母の世話など何もしない妹に比べて、実家を継いだ姉の対応は完璧です。

もう96歳の母ですが、お正月になぜか普通の卵焼きの甘いのを作ることは相変わらずで今年もありました。それを食べながら、思い出話をします。「お父さんは大声上げて怒ったりしなかったけね。お母さんは私の手術のときよく一人で静岡まで来れたね。火事のとき貰い物の服で過ごしたね。私はずいぶん迷惑かけたね」

こちらは細かく覚えているのですが、母は「お母さんみんな忘れちゃったわよ。いまは毎日過ごすだけでせいいっぱい。この補聴器いいのよ。あんたもそのうちするんだからよく見ておきなさい」」と。

私のわが身を振り返る山ほどの反省ごとなどどうでもいいという感じでさっぱりしています。

母の部屋からえんがわ越しにかすかに手を振る母と別れ、戻って来たお正月でした。

山ほどいただきものを担いで帰りながら、実家とは、自分のこれまでを振り返る晒し場のようなところだと私は思うのでした。母は忘れても、こちらが覚えている以上、懺悔しに顔を見に行きましょう。

なんて思っていると母から電話。「トコ、あんた手袋と帽子忘れたわよ。まったく、気をつけなさいよ!お母さん使っちゃうわよ」

母元気です。

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ちょっとしたこと 「ふくしま大交流フェスタ」で 2019/12/23 1:06 pm

先日、このフェスタのために東京国際フォーラムへ出かけました。美味しいものを探しに、そして女友達に会いにです。

西会津町でメープルサイダーを作っている佐藤昭子さん、古殿町で凍み餅を作っている小澤啓子さん。

女性たちは皆、それぞれの事情を抱えながら、笑顔で自信作を売っていました。「くよくよしてもしょうがないもの」飯館村の女性の言葉が心に残りました。
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「ふくしま」と聞くと、心がきゅんとします。地震と津波と原発事故と、一杯つらい思いをして、今もなお。

東京に浮かれて暮らしている者にとっては、本来きゅんとするどころか、いつも考えていなくてはならないのが「ふくしま」のことでしょう。

その「ふくしま大交流フェスタ」が有楽町であるとならば、これはいかねばなりません。

大賑わいの会場へ夫と出向きました。まずは昼食と「なみえ焼きそば」と「ソースかつ丼」です。いただいたパンフレットを眺めると、福島県でのいろんな思い出がよみがえります。

会津美里町では眦椎濕蹐蠅鬚靴泙靴拭ニシンの山椒漬けを作る本郷焼の「ニシン鉢」は今も花入れに使っています。昭和村では「からむし織」の織姫さんにお会いしました。名刺入れも使っていました。

郡山市に初めて行ったのは20歳の頃、ロックコンサートでした。会津若松市では、街で一人飲みをしました。会津木綿の着物は5枚作りましたっけ。飯館村にはスローライフの話をしに伺い、「までい」という言葉を覚えました。

南相馬市、浪江町、双葉町には、災害のドキュメントを撮る夫が訪ねました。数えだせばきりのない福島県との関係です。訪れることで支援になるのですから、もっと頻繁に腰をあげねばいけません。

それが今年一月、古殿町にうかがう機会がありここで「凍み餅」を作る小澤啓子さんと知り合いました。その時のブログはこちらです。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=499&date=201901


凍り付くような寒風の中で保存食を作る、この伝統技術と彼女の明るさにすっかりファンになったものです。

目指すブースはすぐに見つかりました。小澤さんオレンジ色のエプロンで、お仲間たちとせっせと販売中。ゆっくり話す時間はなかったですが、みんなと楽しそうでそれだけでこちらも嬉しくなりました。

そのお隣が、西会津町の佐藤昭子さんがいるブース。イタヤカエデから採った樹液の入った国産メープルサイダーがキラキラしています。

彼女と最初に会ったのはいつでしょう?もう10年以上前になりますか・・・。「キノコママ」の愛称で、彼女の書かれるブログは楽しいものでした。会津でお酒を飲んだり、佐藤さんが六本木にデモンストレーションにいらしたときは見物にうかがったり、コンフィチュールをつくられた時は試食させていただいたり。

震災直後、彼女が作られたおかゆの缶詰は、被災時でそのまま高齢者や赤ちゃんが食べられる逸品。彼女は自分のキノコが栽培できなくなっても、その缶詰を被災地に届けたものです。その後、縁側カフェを開いたり、メープル商品を開発したり。いつも動いている人、という印象です。

Facebookで繋がっていましたが、この秋、ご主人が突然病に倒れ、延命治療もむなしく亡くなってしまったのです。

様子をうかがうと昭子さん、元気に笑っておいででした。






この大きな会場にいる「ふくしま」の方々は、たくさんの悲しみ苦しみとともに笑っているように思います。

天災や人災、そして個人的なご不幸も含め。厳しい気候は、豊かな食文化も育てますが、今年の台風ではまた災害が起きました。

ピンクの幟やオレンジのエプロンは、自分に勢いをつけるためかもしれません。それぞれがいろいろな事情を抱えて、でも、美味しい、安心なものを手間暇かけて、丁寧に作っているのです。

どこのブースもにぎやかで勢いがある、その中をめぐっていると、私は「頑張れ、頑張れ」と「ふくしま」に肩をたたかれているような気になりました。

飯館村のものを販売しているブースで、「いいたて雪っ娘カボチャ」の商品を売っていました。

そこのこれまた元気な女性がどなたかと話しているのが聞こえました。「くよくよしてもしょうがないもの」と。

彼女もきっといろいろなことがあったのでしょう、あるのでしょう。でもカボチャのようにほっこりとお客の私に微笑んで、冗談を言い笑わしてくれます。

応援しなくちゃとうかがった催しで、すっかり励まされて帰ってきました。

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ちょっとしたこと 久々の女友達、長崎で 2019/12/16 2:02 pm

由利さんは、私が昔編集長だったSNSブログサイトで人気の書き手でした。雲仙市で地域拠点を作り、今は長崎。防災・エコをテーマに活動中です。

伸子さんは、私が栃木県那須町に通ったときの、現地有力メンバー。この秋、長崎に移住し古い家を改装中。

このお2人と私が長崎で会いました。久しぶり、初めまして。あいさつの後は即友達に。これから3人で何か始められそうです。

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長崎の街は久しぶりでした。車中から「わ、文明堂!!」などと興奮して写真を撮ってしまいます。古く、堂々としていた県庁は取り壊されて跡形もなく、モダンな新庁舎が海側に建っていました。

ここでオーガニックマルシェがあるというので、ちょうど雲仙にいた私は出かけたのでした。

待ち合わせていた由利さん、会うのは何年ぶりでしょう。5年、6年、いやもっともっとですね。彼女が仙台から雲仙市千々石の風景に惚れて移り住み、立派な古い家を「竹添ハウス」(持ち主の名にちなんで)と呼んで、交流拠点とし始めた頃に、夫と泊めてもらったものです。

10年以上そこで頑張っていた彼女は、いろいろあって雲仙市を離れ、終の棲家を長崎の街なかに据えたのでした。

うかがったマンションは広いすっきりしたワンルーム。持ち物はとことん減らして暮らす由利さん流の生き方が形になっています。ここで彼女は夫と「くらし方研究室」という看板を掲げ、一級建築士の彼はその仕事を、由利さんはくらし方のアドバイザーとして地元テレビ番組出演から執筆・講演などしています。

職住一緒のシンプルな暮らし、長崎の街の景色とともに、甘酒とリンゴをごちそうになります。エコクッキングや防災への提案など、彼女の番組を見せていただきました。基本、今あるものをとことん使いぬいて、お金をかけず知恵を出す暮らしです。

「麺棒がないからできないではなくて、ラップの芯を代わりにしてパイ生地を伸ばす」とか、「災害時はビニール袋にてんぷら粉・卵・水・ツナ缶を入れてよく揉んで袋ごと茹でれば主食ができる」とか。ユーモア満載の番組で、もともっと見たくなります。

最初に出会ったときから彼女は“大人の知的な遊び場”が必要と言っていました。今の暮らしにもそれが満ちています。彼女の着ていた防災ベストには、最低限必要な被災時必需品が各ポケットに入っています。

「笛、マスク、ビニール袋、小銭・・・・・」とザクザク出てきます。「これを特別なところにしまわないで、いつも着てれば安心」防災ウェアはもはや彼女のユニフォームなのでした。

由利さんの家からすぐのところに川があり、橋があり、その先には有名な眼鏡橋。そして長崎で一番古い今も息づく商店街が。仙台を出発し、東京、仙台、雲仙、そしてこの長崎に。自分の流れ方と流れ先を自在に選び、すべてを栄養にして今、彼女はここに居ました。






同じ日、由利さんに紹介したのは、伸子さん。栃木県から長崎にやって来たばかりです。夫の実家が熊本だったのですが、そこには行かずにとにかく九州内で居場所を探そうとウロウロしたそうです。正真正銘の移住者です。結局、長崎市内の築60年の昭和の家を選びました。引っ越したもののまだまだ改装中だそうです。

彼女とも久しぶりです。那須町に私が通い始めたのは10年以上前。温泉があり別荘地があり、酪農や野菜作りが盛ん、観光地でもある那須町。町じゅうをレストランに見立てて“食”でまちおこしをしようと「なすとらん倶楽部」というものを作りました。志のあるいろいろな人が集まり、今も活動が続いています。

忘れられないのが「おいしい那須暦」というカレンダーづくり。その時期に那須町でどんな農作業があるのか、どんな花が咲くのか、どんなものを食べるのかをみんなで書き出し、365枚の絵にして仕上げた手作り暦。

子供や高齢者まで絵を描いて、家庭や学校で吊るされると、自分の絵が出てくる日を楽しみに各人が待ったものです。この暦を作る作業そのものが、まちおこしのいいプログラムとなりました。

冬場の美味しい野菜を使って、「な・す〜ぷ」という共通の名で各店でスープを出そうという仕掛けも考えました。お店ごとに工夫があり面白いスープがいろいろできました。これは「な・スイーツ」「那須弁」と発展していきます。

伸子さんはもともと地元タウン誌を編集していた人、パートナーはデザイナー、だから彼女の存在は様々にこの動きのパワーとなりました。シンポジウムの構成台本から、記者会見の仕切りまで、伸子さんに任せていれば安心だったのです。彼女は地元温泉場の観光協会事務局長もやって、那須を卒業していきます。

実は、由利さん・伸子さんを引き会わす前日、伸子さんは私がかかわっている「雲仙人お出かけサロン」に参加されました。久しぶりの再会記念に日本で一番海に近い駅「大三東駅」で記念写真を撮りました。見た目はおばちゃん2人ですが、心はうきうき高校生なのでした。

大三東駅には「幸せの黄色いハンカチ」にメッセ―ジを書いて飾るところがあります。長崎で新たなステージを迎える伸子さんに幸あれと、黄色い布がなびいていました。

由利さんの活動は、一冊の本になるほどの内容です。それは今こそ世の中に必要な情報であり提案です。絶対本にすべし!と私は勧めました。それを伸子さんが編集したら素敵だな〜なんて思います。

一方、伸子さんがこれから人が交流する場などを考えるとしたら、由利さんの経験は生きるでしょう。長崎の先輩として、街の活用法も由利さんから学べます。

2人が掛け算で刺激しあえば何かが生まれそう、そこに私もからみたいものです。

いろいろなもの、ことを背負って50代、60代の女たちは生きています。重くて潰れそうなこともあったでしょう、パートナーとなんとか乗り越えてきたことも多いでしょう。私も含め、夫婦だけの3カップル。なんとなく似ています。

最も3人共通なのは、とりあえず笑っちゃえ、というタイプの女であること。それがまた今回確認できました。

まだまだいろいろあるでしょうけど、由利さん、伸子さん、ぼちぼちやって行きましょうぞ。

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ちょっとしたこと “ケチ上手” 2019/12/09 11:54 am

『おひとりさまのケチじょうず』著者・小笠原洋子さんが来訪。「ケチな名刺で」と手製名刺でご挨拶、そしておしゃべりが。

ティッシュでなくトイレットぺーパーを利用。余計な食器は持たない。靴は手入れして長く。鍋料理は注ぎ足し変化させて何度も。

そんな彼女がお土産に真っ赤なバラとチョコレートケーキを。上手なケチはお金の使い方の“緩急自在”であることが分かりました
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小笠原さんとの繋がりは10年前になります。2009年「筑紫哲也賞 スローライフの眼 作文コンクール」を開催した際に、『うさぎとかめ逍遥』という作品を寄せられ、「スローライフ賞」に選ばれたのでした。

それだけかと思っていましたら、以前私が「本気のライター講座」って名だったか?とにかく文章を書く、表現をする、そんな講座をやりまして、それに参加者でいらしていたとか?ああ、恥ずかしい。

コンクールが先か、講座が先か、いずれにしてもご縁があったわけです。その細い縁の糸は、この秋の筑紫さんの命日辺りに、小笠原さんからの「本を出版しました」とのご連絡から手繰り寄せられました。

エッセイストである小笠原さんが書かれたのは、地球にもお財布にもやさしい“ケチ道”の話。興味ありとお返事したところ、すぐに出版社が本を送ってくださいました。

私の関わるNPOスローライフ・ジャパンのメルマガに、早速紹介しました。

〜理屈だけでなく、実践されている具体例が書かれていて、笑いながらうなずくことばかり。パーマやヘアカラーなど髪にお金をかけない。白髪のショートを素敵に。透明プラスチック容器は何度か使ってから捨てる。などなど。皆さん多少はしていることだとは思いますが、ズバリと書かれていて潔い!年金生活でも、無駄をなくし、物質から解放されてエレガントに生きる志と知恵にあふれていました。『おひとりさまのケチじょうず』小笠原洋子著 ビジネス社 1300円+税〜


このように紹介した後、私は無性に彼女に会って見たくなり、「機会があれば」とお願いしていたのです。願いはすぐに叶い、小笠原さんがスローライフの事務所に遊びに来てくださいました。

「ケチの本を書いた」と聞くと、完璧節約家で髪振り乱して「あれはいけない、これはいけない」と言いそうですが、現れた小笠原さんはとってもチャーミングな方でした。

小柄な体を藍染めのコートに包み、襟飾りのあるカシミヤ?のあずき色のアンサンブル。輝くシルバーヘアにベレー帽がシックです。

そして、ケチ話はとりとめもなく、大笑いしながら続いたのでした。小笠原さんが紹介している、「出なくなったチューブは切って、中の残りをとことん使う」は、実は私の得意技。

これはやっている方多いでしょう、でもちょっと恥ずかしいというのがあるかも。我が夫に言わせれば「ちまちま、みみっちい」ということになりますが、切った中にはまだごっそり中身がある、捨てられましょうか?歯磨きはほらね、こんなに。まだまだ相当使えます。

姉からもらったファンデーションは、「もう出ない、捨てよう」と思ったときに容器を切ったら中にゴッソリ。水気が少ないほど中に残りやすいのでしょう。

チューブの底から切って使い、切って使い、いよいよ背丈は小さくなっていきます。最後はもちろん、小笠原さんと同じく、楊枝でホジホジです。たくさん取れるとこれまた嬉しい。、

納豆の空容器は、私はそのまま捨てていました。ケチ上手先生によると、「容器を4分の1に折り畳み、テープで止める」。そのテープたるや、スーパーなどで「レジ袋いりません」というと「では、テープだけ貼らしてください」と貼ってくれる数センチのテープを、捨てずに冷蔵庫などに貼って置きそれを使うとのこと。

このすご技は私にはできない。輪ゴムでお許しをと最近は励んでいます。毎日納豆派にとって、確実にゴミの量が減りました。捨てるゴミを少なくするのも、地球に対する礼儀ケチなのでした。

当事務所で、スタッフが「ティッシュより、トイレットペーパーの方が安いですか?」と質問。もちろん安いのですが、小笠原さんのケチはだた安い、高い、ではないのです。「なにも、ほんの少しの汚れに2枚重ねのティッシュ1枚をわざわざ使うことはあるまい」という考え方なのです。

以来、トイレットペーパーをデスクに置きました。5センチで済むときもある、20センチいるときもある、と自分で判断するようになりました。目薬をさした後の涙をわざわざティッシュで拭かずとも、トイペ3センチで充分ということ。今や日々、「これで足る」を知るという訓練です。

持っている食器はほんの引き出しひとつ、とか。鍋料理は何度も変化させて延々と食べる、最後はフライも入れる、とか。その極意をうかがうと実に清々しい。物に埋もれ振り回されている暮らしの、馬鹿馬鹿しさが分かってきます。

私のパソコンはいま、こんなにボロボロ。新幹線などで開くと、横の人のため息が聞こえる。だけれど、まだまだ動く。ガラ系携帯もしかり。何も不便していないから、もう少しこのままで、と自信が着きました。

小笠原さんは節約家であり、お上手なケチ道を楽しんでおいでですが、プロフィールにあるように何冊も本をお出しです。その1冊は彼女が魅了されたドイツの画家の、作品にある風景を訪ねる話。10年間に9回も訪ねている。

本を書くためというよりも、自分が納得するまでの旅だったのでしょう。いわゆる悪い意味でのケチな人はそんな旅を繰り返すでしょうか?使うときにはドーンとお金を使って、ある意味とことん贅沢な旅をされています。

要は、お金の使い方を自在にすること。緩急をつけること。自分物差しで生きること。これがケチ上手の極意と思いました。小笠原さんからは赤いバラとチョコレートケーキをいただきました。筑紫さんの写真が嬉しそうでした。

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ちょっとしたこと 良いことの知らせ方 2019/10/14 1:31 pm

消費者活動、食品ロス問題、フードドライブ、三世代交流、防災、高齢者の場づくり、など。

大事な活動をしている女性たちが150人ほど集まる場で、発表をうかがいました。皆さんボランティアで頑張っています。

気になったのは伝え方、パワーポイントはもちろん、写真と文章の資料も大変、Facebookをしている人もわずか。この方々が発信力も身につけたら、と強く思いました。
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会合の名は「生活学校・生活会議運動 中部・近畿ブロック研究集会」です。

今回のブログは個人情報もあるので、写真は少なくしました。開催地は和歌山市内。

会場のホテルで、美しい杉のお箸で食事をいただいていると、各地から続々と女性たちが集まってきました。

主催は、公益法人あしたの日本を創る協会、全国生活学校連絡協議会、和歌山県生活学校連絡協議会。

普段、地域おこしの世界にいる私ですら、「生活学校??」と聞かれれば、すらすらと的確に説明ができません。




調べると“女性を中心に、身近な暮らしの中の問題を、学び、調べ、企業や行政と話し合い、ほかのグループとも協力し合いながら、実践活動のなかで解決し、生活や地域や社会のあり方を変えていく活動”とあり、1956年から始まっていま1100の生活学校があるそうです。

生活会議というものも一緒でしたが、ここではこんがらかるので説明を省きます。

そのブロック研究集会の助言者として、私はうかがったのでした。皆さんの活動報告をうかがっていると助言どころか、いたく感心するばかり。

「出前寸劇」で詐欺にあわないようにと啓発活動。大根一本を無駄にしない料理法の研究。中学生に地域の一員になってもらう「子どもと共に行う防災訓練」。親子孫が楽しく過ごせる「ふれあい広場三世代交流」。商店街にちょっと休める場や「高齢者おしゃべりサロン」を作る活動。などなど。

皆さん、お金をかけずに工夫して、良い活動を続けておいででした。

発表をうかがううちに考えました。こういう暮らしに密着した「良いこと起こし」が、こういう女性たちによって行われている。それは、誰から見ても大事なことで、応援したい取組ばかり。

でも、なぜもっともっと世に発信されないのか?!


いわゆるマスコミは、もっと華やかな、またはセンセーショナルな、事件性のあることばかりを追います。縁の下の力持ち的な良いことの動きは、たまに地方紙で小さく報道される程度。

本当は、こうした活動が日々発信されて、そこでどんなに人々が楽しく、人間性あふれる時間を過ごし、地域のつながりができるかが伝えられていいのに。

そう思うと、もったいない、残念、とばかり考えます。

しかし、現場の女性たちを見ていると、発信技術が身についてない。話すこと、紙にして的確にまとめ伝えること、写真や文章で分かりやすく訴えること、パワーポイントや動画でアピールすること。

こういうことまでは、なかなかできないものです。それは、炊き出し料理を作る、子どもやお年寄りとおしゃべりするのとは違う技術です。

ここが欠け落ちているように思いました。その辺のことは、今まで、行政の人がやってくれたり、私たち苦手、で済んできたかもしれません。でも、今や、よいしょとそういうことにもチャレンジしないと、良いことが伝わらない、良いことを広められない時代です。

ドローンも使い、活動をコンパクトな動画にまとめたところがありました。パワーポイントで報告したところもありました。お互いがこういう伝え方を教えあうことも大事でしょう。

予算が無くても、スマホでなんでも写真を撮っておく、動画で撮っておけばなおさらいいでしょう。まとめたりセンスフルにすることは、学生さんや若いメンバーに任せたり、行政に手伝ってもらったりで。

要は、自分たちのやっている「良いこと」を、常に知らせようとする態勢で居ることが大事です。

私もおばちゃんですが、何とかブログを書いたり、目をこすりながらFacebookをやっています。そうすると、だんだん伝え方が身についてくる。

伝えようと、発信すると、仲間が増える。活動が高齢化し後継者に困る、という悩みも消えていく。と思うのですが。

今回、私は「食を通して地域の様々な環境創りを考える」という話をしましたが、「食」は大事ということをまずは伝えるために、キャラメルを配りました。

長い研修でくたびれていた女性たちが、笑顔になり、隣同士で話をするきっかけになりました。あわせて開催地が桃の産地ということも知っていただきました。

知らせる、伝える、はどんな方法でもできる。まずは活動と同じエネルギーをかけて、発信することだと思います。

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ちょっとしたこと 北千住に学ぶ再利用法 2019/09/30 11:34 am

足立区北千住、江戸時代は宿場町、いまや5路線が乗り入れるターミナル駅のある街です。マンションが立つ足元には古い建物が残り、便利で懐かしさもある穴場的なところです。

古い家を活かしたカフェ、昔の魚屋さんの氷冷蔵庫を使う街の案内所、古い店の壁に描かれたアート、ケーキの耳ばかりを安
く売る店など。

一度役目を終えたものの、活かし方を学べる街でした。
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北千住をぶらりしたのは8月のこと、暑い日のことでした。

駅前の大きなマンションの間に入り込むと、古い雰囲気が残る商店街が伸びています。







歩いていくと、江戸時代からの絵馬屋さんもありました。

なかの土間、座売りの造りに、昔の様子が想像できます。








もとは、家でしょうか?店だったのでしょうか?

知らなかったら通りすぎてしまうようなこっそり感でカフェがありました。







裸電球の下で、それぞれにゆっくりしているお客さん。

なんと、2階もあるのでした。









テーブルに備えられた本立てには古本が。それもなかなかに、センスのいいものが揃っています。

丁寧にいれられたコーヒーを飲みながら読み進むうちに、時間がトロトロと流れていきます。






昔のアンプやスピーカー、黒板、落書き。

この日咲いたのでしょう、朝顔が花開いた役目を終えて、ホッとしているように見えます。

こういうまちに、けっこう若いカップルや女子たちが訪れています。

この古民家カフェは、次々とお客様が。満席と聞いてあきらめていきます。

北千住ワールド、古くて新しいのでしょう。





街の駅という案内所もありました。

もとは魚屋さんだそうです。










ご案内のボランティアさんの横は冷蔵庫。

もちろん氷は入っていません。今は、販売品やパンフレットの在庫や、服もしまうクローゼット代わりになっていました。






トイレも冷蔵庫と繋がっている!

ビックリハウスみたい。










黒ぐろしたトタンの店。いつか何かに使われそう。

近くには木の壁に大きな猫のイラストも描かれています。








壁のヒビの修復が、面白い模様になっている家。

この壁を使って、あみだくじができそうです。なんだか古いものなんでも使えるように思えてきました。

そして極めつけがこれ。お菓子屋さんですが、アウトレット専門店。ケーキの切れ端が多量に安く売られています。

クリームたっぷり、ロールケーキの耳も。どら焼きの皮だけも。ここは開店前に行列ができるのだそうです。

次回は、写真など撮らず、まっしぐらにここに来ましょう。

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ちょっとしたこと 炭と羊と 2019/09/02 1:12 pm

北海道池田町で二人の女性と会いました。

家業の炭屋を結婚後も続けていたものの「自分の好きなことをしたくて」と“魔女の炭屋”の名で、カフェと炭のアレンジメントを売る店を始めた方。

もう一人「羊と羊毛に魅せられて」関西から十勝の地へ移住。羊の毛をフエルト化させて、部屋を丸ごと包み込む巨大な現代アートを作る方。

池田町の自然の中で、ともに大きくのびやかでした。

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炭屋さんを突然訪ねると、計良文子さんはわざわざ出先から帰ってきてくれました。










「みてみて炭を出すときにはこんなに真黒になるの、これが私でこっちが孫!」店内の大きな写真で説明が始まります。









日本最大級の炭焼き窯を持つ本郷林業が本来の家業ですが、計良さんは「だた炭を売るだけでなく、もっといろいろなことをしようと思って。私、魔女が好きなの。何でもできる、私も魔女になろうと思って」

ここを「魔女の炭屋さん」と名乗るようになります。花も割り箸も炭になって、美しくアレンジされて売られています。

和歌山から指導者も招いて備長炭の作り方も教わり、「十勝備長炭」を作ったそうです。茶会もやりました。

さらに今は、その炭を体験プログラムにして、炭焼き窯に入ったり、炭を使って名物「豚丼」を作ったり。そんなことも始めました。

「この前来た外国のお客様がすごく喜んだの」


細かい炭の量り売り、木酢液の暮らしのなかでの使い方アドバイスなど。燃料の炭が、計良さんの発想でおしゃれなものに変わっています。








カフェの上は計良さんのアトリエ。「この上からの見る下の眺め、いいでしょう」

これから炭を使ったいろいろな教室や体験、おしゃべりがここで展開されていくのでしょう。






計良さんの後ろでは、90歳のお父様が分厚い本を読みながらコーヒーを飲み、お母様が届いた長なすを私に見せてくれます。

「父の頭の中はアイディアがいっぱい詰まっているの、若いですよ。母は肌の手入れに木酢液を使ってるんです」

う〜ん、魔女の家族は知的でお若いのでした。


続いてうかがったのは「スピナーズファーム タナカ」というお店。花に囲まれた可愛いお店の裏には草原が広がり、たくさんの羊がのんびり草を食んでいます。

お店のなかは、羊一色。羊を学ぶいろいろな貼り紙やコメントはトイレの中まで。そして、羊の毛を使った小物から毛糸、織物、編み物。可愛いもの、素敵なものがたくさん並んでいます。

この羊の形のブローチを作っている人に、会いたかったのでした。村上知亜砂さん、こうした小物も作りますが、本当の作品は大きくそしてアートなのでした。








お店の隣の棟に作品があると聞いて入ると、びっくり!

羊の毛が薄く漉いた和紙のように、レースのように繋がり広がり、そこに藍や玉ねぎ、セイタカアワダチソウで色が入り、これまで見たことのない、不思議な作品が展示されていました。

作品の力強さと奇妙さに比べて、ご本人は実に控えめに笑います。

もともと大阪の人だったのが、美術系の学校に行き、棕櫚やからむしなど、繊維類に目覚めていったそうです。

そしてバイクに乗って全国を旅していた時に、十勝に出会う。そして羊と、羊毛に魅了されたのでした。




そして、北海道に移住を決め、札幌を経て、だんだんと夢をかなえ十勝へ、池田町に住むようになりました。

「その間、このスピナーズファーム タナカを始め、この土地の人たちに本当にお世話になったんです。今もお世話になっています、みんな本当にいい人たちで」



「今住んでいるところが広くて安くて、大きな作品を楽々作れます」村上さん、普段は事務の仕事をしながら、住まいに戻れば羊毛にまみれて創作の毎日なのでした。

人を包む、部屋を埋める、壁を丸ごと覆うような羊毛作品は、これまで全国各地の現代アート展に出展されています。





これほど羊毛を使う大きな作品を作り続ける以上、彼女は池田を離れないでしょう。「広い空間が手に入るだけでなく、羊がたくさんいて、毛も安く手に入るんです」

いまチャレンジしているのは、舞台衣装。これはレンタルドレスになります。

そして「清見染め」。池田の清見に湧く温泉を媒染に使い、地元の草で染めた羊毛で小物が試作されていました。池田の新しいお土産が生まれそうです。


お二人に会うと、まちづくりなどは、女性たちのやりたいことをただのびやかに実行させてあげれば、それで転がっていくのではと思えました。

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ちょっとしたこと お店をやりたい:その4 2019/07/20 4:42 pm

お店というと売買の場所と思いがちですが、どこかに出かけるきっかけがある場にもしたいものです。

日本古来の包装材「経木」の良さを知ったなら、那須塩原のその作業所を訪ねる。

藍のお茶の美しさを知ったなら、雲仙市の藍工房を訪ねる。北海道池田町のワインを知ったなら、そのブドウ畑と貯蔵庫を訪ねる。

これまで私が見聞きして来た逸品・場所・人を訪ねる旅も始めましょう。
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先日、スローライフ仲間から「ツアーや小さな旅」「お出かけサロンを」をやれば、というアドバイスをいただきました。
うん、それはいいと言いながら、何年も前からそういうことをやろうと思った、やっていたことを思い出しました。

地域密着の小さな旅は、30歳代からずっと提案し続けてやって来たきたことでした。

伊豆で「伊勢海老スクール」というミニ旅。伊勢海老について漁師さん、仲買人さんから学び、網から外す体験をし、生け簀で伊勢海老つかまえて、旅館の板前さんから伊勢海老のお刺身の作り方を教わる、そんな体験催しをやりました。

今から30年前です。「こんな旅をしたかった」という参加者の言葉が見出しになって、新聞に大きく取り上げられました。

温泉文化研究会を静岡でしていた時は、ただ温泉に入って豪華な料理を食べるのではなく、昔からの、または新しい温泉文化を体験しましょうといろいろなカリキュラムを実験しました。

これは25年前の話です。温泉療法がまだ出始めの頃、当時の仲間が果敢にチャレンジしてくれました。温泉卓球大会、温泉旅館の女将さんに学ぶ着つけ・和食の作法、アジの干物作り体験、ワサビについてとことん学ぶ体験、温泉と組み合わせていろいろやってきました。

掛川では学びのバスと称して、茶工場にいったり、地元の茶農家を訪ねたり、お煎餅屋さんを見学したり、化石を探したり、牧場でソフトクリームを食べたり、美術館を解説付きで回ったり、いろんなメニューを入れ込みました。

東京に移動してからも、湯河原で梅の剪定体験と絵手紙、多治見では焼き物の里のウォーキング、蕎麦の種まきから食べるまでの蕎麦全部体験、ニンニク産地ではニンニクを入れた足湯を発明体験、米粉の産地では米粉の新しいメニューの開発をみんなで、きりたんぽの産地ではいろいろな食べ方できりたんぽをみんなで食べる。フルーツの産地では市民主催のフルーツがテーマの小さな体験催し。そしてスローライフのフォーラムとともに、皆さんを地元見学にあちこちご案内してきました。

各地の「逸品」を“逸村逸品”というコンセプトで紹介し始めてから、逸品を訪ねる旅もいくつか考えて、でも実はこれは実行にまでは至らなかったのです。

そうか、これを再びやろう。忙しさにかまけてふたをしていた企画を開けることにします。

出かけた先で誰かに会い、何かを体験し、珍しいものを食べ、語り合い、その地での新しい関係をつくる。地方や小さな村町の良さを実感する。ずっとやってきたことだし、やりたかったことでした。

こう「やるぞ宣言」をして、いつどこへどんなというわけでもないのですが、すっかり忘れていたやりたい気持ちに火が着きました。

運よく私の妹分が小さな旅行会社もやっています。これはいっちょ相談して、スローライフ・プチツアーを始めようじゃありませんか。まずは丹波篠山へ黒豆の枝豆ツアーと行きますか?!

話を戻すと、つまりそういう企画や呼びかけもするお店にしたいわけです。と、長々の説明でした。

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ちょっとしたこと スダレと絵手紙と 2019/07/06 1:53 pm

群馬県富岡市、駅から歩きだすと絵の描かれたスダレが目に入りました。

ヒマワリの絵に「人生楽しもう」なんてメッセージ。いろいろな絵があっちにも、こっちにも。

名物・ソースカツ丼を食べたお店の奥さんが、偶然その仕掛け人。

絵手紙をされていて、古い蔵にはたくさんの作品が展示されていました。

人通りは少ないですが、たくさんの人におもてなしを受けた気になりました。
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上州富岡の駅を降り、ブラブラと駅前通りを歩き出すと。

「笑顔でおもてなし」とメッセージ。花はグラジオラスでしょうか?

あら、おもしろい!と見始めました。





開いているお店にも、閉店のお店にも、民家にも、いろいろなスダレが下がっています。

「跳べ」と言われれば、うん、頑張ろうと思いますね。







「人生楽しもう」、このおうちは文字通りきれいなお花を咲かせて楽しまれているようです。










スダレを見ていると、ついつい通りを歩いてしまいます。次はどんなのだろう?と、歩くことが苦になりません。









スダレは今や100円ショップでも買えるもの、これにみんなで絵を描けば、こんなおもてなしができるんだと感心しました。









富岡に来たならば食べたい味がカツ丼です。ここのはソースカツ丼、しかもお醤油ベースの甘辛味のタレをくぐらせて3枚のってくる。

このことは以前知っていたので、なつかしく「新洋亭」さんに入ったのでした。

地元客も、観光客もみんながカツ丼をワシワシとかき込んでいる。相変わらず美味しい!

会計の時に「スダレの絵がいいですね」とポツリというと、なんとこのスダレアートを実践しているのは、ここのおかみさん井上かずこさんでした。

私のことも覚えていてくれて、急に話が弾みます。

彼女は絵手紙をされていて、富岡で「糸車の会」というグループの指導もされています。

駅が新しくなったときに「何かをしたくて」始めたのがスダレアートでした。

「もう何年になるかな〜、今年は市外の人が描いてくれてます。スダレを外しに行くと、お店の人がこのまま置いといてといわれて。嬉しいですよ」と井上さん。

「絵手紙飾ってある蔵があるから見て〜」と案内されたのは、すぐ近くにある「絵手紙ギャラリー蔵」。

市に寄贈された古い蔵がリニューアルされて、そこに絵手紙を飾るようになったそうです。

絵手紙は葉書サイズだけかと思うと、いえいえ、いろいろな物にいろいろな大きさで、絵と言葉が描かれています。

お御輿置き場も兼ねていて、お御輿が絵手紙にワッショイと担がれているようでした。

この絵手紙の活動があるから、スダレアートもできるのでしょう。蔵にいる間、どれもこれも楽しくて、にぎやかな声が聞こえてきそうです。

井上さんとおしゃべりに夢中で、蔵の全景をとり忘れました!真っ白い、綺麗な土蔵。

その前はポケットパークのようにイスとテーブルが並び、ゆっくりできます。なにより回りがお花だらけ。地元の人がきちんとお世話されているんですね。




「まちをよくするために何かしたじゃない!みんなができることを何かすればよくなるのよ。絵手紙を募集して、上信電鉄の車両を絵手紙列車にするのもやってるの、いま旅行雑誌にも載ってる。あ、あげるこれ一冊」

といただいた『旅行読売』には、井上さんのお顔がありました。

私は井上さんとおしゃべりしましたが、富岡を訪れて、たとえ誰とも話さなくても、スダレアートを眺め、絵手紙を見て、ここで一休みすれば、たくさんの人にあったような気になるはずです。

井上さんのような人がいる富岡の街は、うらやまし限りです。

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連絡先

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ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。