ホーム - スローライフ運動のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

スローライフ運動 たたら文化 2017/07/17 11:38 am

「たたら」とは、炉に空気を送る「ふいご」のこと。たたらで炭を燃やし、砂鉄を溶かし鉄を造ることを「たたら製鉄」と呼びます。転じてその製鉄作業や場所など、全体を「たたら」と呼びます。

先日、出雲方面を訪ね、たたらが人の暮らしに広く関わっていることを知りました。砂鉄を採った跡は棚田に、炭のために山を整備、海運も盛んに、と。たたらは文化の源だったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小さい頃、セルロイドの下敷きに砂をのせ、下から磁石を動かすと、微量の砂鉄が動き、おもしろかったものです。

そんなふうに、土には砂鉄が含まれてはいるのですが、中国地方、島根県・鳥取県などの土には砂鉄が特に多く含まれていて、昔から鉄づくりが盛んでした。

鉄鉱石の少ない日本は、鉄を造るとなると砂鉄からという歴史が長かったようです。『出雲国風土記』(733年)にはすでに「鉄あり」の言葉が出てくるとのこと。それ以前から鉄づくりは始まっていたのでしょう。

5月末に奥出雲地方を訪ねた日、雨あがりの道に黒い砂鉄が浮き出して見えていました。かつて鉄師頭取として栄えた絲原家、奥出雲町の「絲原記念館」の道だからというわけでもないでしょう。いまでもここでは砂鉄が身近なのです。



山を削り、土を水路に流すと、砂鉄が重くて底にたまる。そうして採った砂鉄がこの土地の原点だったのです。何も知らずに出かけた旅でした。








砂鉄を溶かすのが、「高殿」と呼ばれる作業場。ここは雲南市吉田町「菅谷たたら」、栗材でのこけら葺き屋根が美しい。最近修復が終わったばかりです。







なかには鉄づくりの神様「金屋子神」が祀ってあり、炎が上がるため天井が高い。昔にしては巨大な建物です。

中央に多量の土を積んで作った釜が据えられていますが、実はこの下床の深い部分の基礎から、保温や湿気への配慮の有る特別な構造がなされているそうです。




釜にはいくつもの送風用の穴があけられ、竹がパイプのようにつけられて、「天秤ふいご」からの風が送られました。映画『もののけ姫』を思い出します。








雲南市吉田町「鉄の歴史博物館」に展示されていた「和鋼」。砂鉄の不純物は土とともに溶け出し、燃える炭による化学反応で純度の高い鋼ができるのだそうです。







同博物館の展示。ここでは実際のたたら製鉄の記録映画が見られます。炎と戦いながらの、厳かな作業。何でも機械化され、IT化された今の暮らしに何かを訴えるような作品でした。






「菅谷たたら」での解説に使われていた図。「ふいご」を踏む人を「番子」と呼び、重労働なので交代制で踏んでいたとか。

ここから“かわりばんこ”という言葉が生まれているとのことでした。たたら製鉄の世界からいろいろな言葉も生まれているようです。




鉄師頭取は、藩が認める公の鉄産業総合プロデューサー。たたら製鉄全般を仕切り、鉄による富を得るだけでなく、その地域の人々の暮らしまで目配りをしていたそうです。

鉄師の家には藩主が訪れたり、学者や文人、画家なども。産、学、官の要であり交流の拠点でもあったのでしょう。

この庭は奥出雲町桜井家の庭園。たたら製鉄の栄えた数百年の間、ここはある意味、日本の鉄の頂点にあり、最高の文化が輝いていたのです。



砂鉄の含まれた山を削り崩すことを「鉄穴(かんな)削り」とか「鉄穴流し」とかいいます。山を切り崩す途中、お墓があったり、ご神木などがあると削らずに残す。するとそこだけは丘が残る。これを「鉄穴残丘」と呼ぶ。

こんな景色は初めて見ました。田んぼの中にラクダのこぶのように小さな丘がある。それが棚田の水面に映りこんで、綺麗です。ひとつの特殊な産業がつくりあげた景観ですね。


奥出雲の人が自慢する「仁多米」。鉄穴流しで出た多量の土砂で整備されていった棚田の実り。製鉄がダメになっても、棚田は残り、素晴らしい景観と、美味しい米でここの生活を支えています。

肥料には仁多牛糞が使われています。この牛も、鉄の運搬や棚田の耕作に欠かせないもの、たたら製鉄のもたらした名牛なのでした。




たたらに使う大量の炭のために、森林は整備され木に不自由しないように手入れがされていました。さらに、木を伐った後は焼かれ、蕎麦も作られたそうです。






鉄は、山道を運ばれ川を下り、また安来港から北前船で大阪や東北まで運ばれました。鉄が欲しい、鉄を運ぼう、のエネルギーが鉄の道を開拓していったのでしょう。

斐伊川は周りの土地よりも川底が高いとのこと。鉄穴流しででた多量の土砂によるものです。斐伊川は下流に大きな平野を作り、これまた肥沃な土地を作り上げています。

にわか仕込みの「たたら文化」のため、あちこち不正確かもしれないことはお詫びしながらも、単なる鉄づくりでは済まない、膨大なたたらワールドの一部なりともお分かりいただけたらうれしいです。

この秋10月28日(土)・29日(日)は、こんなスケール大きなたたら文化の地へ、学び語りに行くスローライフ・フォーラムとなります。ご予定ください。

このエントリーの情報

スローライフ運動 高知のもてなし 2017/06/12 2:54 pm

「ふるさと創生ニッポンおかみさん会全国フォーラムin高知」にコーディネーター役でうかがいました。

参加者330人。会場一体で真面目に話し合った後の、懇親会が印象的でした。もてなす側の高知の女性たちが踊る、食べる、飲む。他所ではご当地の女性は控えがちですが、高知は、自らも楽しみ分かち合う土地柄。

そもそも皿鉢料理は、女性がゆっくり宴会するためのものと聞き納得です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



こういう催しです。昨年の南三陸町での開催に続き、このフォーラムでのコーディネートは2回目になります。








高知の街を一人でぶらつこうかと思いましたら、商店街のおかみさんがご案内してくださいました。

ここは名高い?「ひろめ市場」。昼から、いえ朝から飲める環境です。入っているお店の多様なこと、安いこと。

小ぶりのギョーザでビールを飲んでいるおじさまに「美味しそうですね」と声をかけると、自分で作ったかのごとく「うん、うまいよ〜」と言いながら、自分の隣に座れと誘います。

いささかまだ早い時間。でも、誰でもすぐ一緒になってしまうところだということがよく分かりました。


アーケードの整った商店街を歩きます。地方に多いシャッター商店街ではありません。

空き店舗がない!ちゃんとお店をやっている。毎日ここを歩ける市民は幸せですね。

シャッター街がわが故郷の顔なら、若い子は一時も早く逃げ出すでしょう。


一軒のお店に入りました。ちょっとおしゃべりできるスペースにアジサイが活けてある。

いい商店街の条件である、「花や緑に気を付けている」にピタリ。同じく「休めるベンチがある」もこのアーケードはOKでした。





チャレンジショップに入ると、ヨサコイの衣装の一部、頭飾りを製作中。

年間を通して、なにかしらヨサコイに向けてわくわくと時が動いている街なのですね。






「はりまや橋」、手前の赤いのが観光用、向うの石の大きな橋が戦後にできた古いもの。

通りかかった観光客に、おかみさん達は橋の説明をして、写真を撮ってあげています。

普段からこういう光景があるのでしょう。



高知名産のサンゴ屋さんには、フォーラム歓迎の貼り紙がありました。

お店のおかみさんのご主人が、高知が空襲で焼けた話、サンゴをどのように加工するかなど、お話してくれます。

一人旅で来ても、高知なら寂しくありませんね。人がほっといてはくれませんから!

おかみさん達と打ち合わせも兼ねて、フォーラム前の晩餐です。

カツオ三種盛をはじめ、地元のお魚が次々と。それらに触れると、書ききれないので最初に運ばれたキビナゴの写真だけにしましょう。

そしてお酒はやはり日本酒です。女性4人で、お銚子が何本空いたか・・・。皆さん強い、強い。

そして夜が明け、フォーラム当日です。

私は壇上でしたので写真がありませんが、尾崎正直・高知県知事の「地産外商」のお話が、しっかり残りました。

会場からも限りなく意見があるのですが、ああ、時間が足りなかったですね〜。

でも、それなりに何とかまとまったかと思います。

そして、冒頭に書いた懇親会。これが皿鉢料理です。

大きなお皿に、オードブルからデザートのスイーツまでがのっている。こんなお皿が何種類も。

主催の高知おかみさん会の皆さんは、2回も試食してメニューを決めたとか。

高知では宴会を「お客」と呼びますが、確かにお客が始まったら、フルコースなどがちまちまと運ばれたのでは、席を立って交流ができない。皿鉢はお客向きなのです。

そして、こうしておけば、女性が何度も台所に立たなくて済む。昔から高知では女性も「お客」できたわけです。

だから懇親会は名刺交換のラッシュ。そして高知のおかみさん達も飲む、飲む。

と思っているとダンスが始まりました。SMAPのメドレーをなんと平均年齢69歳という高知のおかみさん達が踊ります。

「ぎりぎりダンサーズ」というグループ。もちろん男性もおいでで、毎週水曜に商店街のお好み焼き屋さんの上で練習しているとのこと。

「覚えるのももうぎりぎり、体力もぎりぎり、息切れがして」と名前の由来が泣けます。

とはいえ、軽やかなステップと身のこなしに、びっくり。「わ〜〜〜、おかみさん達カッコいい〜〜〜」と叫び続けた私でした。

もちろんヨサコイタイムもあって、鳴子を皆が鳴らしました。この懇親会、よくよく考えると、踊るおかみさん達、鳴子を振ってヨサコイステージに立つ知事、素敵な歌声披露の市長、お猪口を持ち続ける女性たち、皆がほんとに楽しんでいる。しかも地元がです。

遠くからの方々を仕方なく接待しているなんて感じは全くない。「私たち楽しいの〜、混ぜてあげるよ。飲んでいきな〜」というラテン系のノリです。

高知県は「高知家」というコンセプトを打ち出し、皆が家族という考えで県政を進めていますが、この日は私たち外来者も、すっかり家族・親戚になってしまったのでした。

翌朝は、高知城がむこうに見える大通りの市に行きました。日曜市が大きいのですが、この日はこじんまりの木曜市。

それでも、全国からのおかみさん達買う気満々です。







果物が安い。












山菜やコンニャクも。ちりめんも、テンプラも。冷やし飴もところてんも。売っているのも買うのも女性たち。

「こういう市を利用すれば、そんなに生活費がかからない」と伺うと、もう、高知に引っ越ししたくなります。



県東部安芸へ向かいました。途中から「ごめん・なはり鉄道」です。


高知おかみさん会の計らいで、車両をひとつ増やしていただき外のデッキから景色を眺めます。






前日はずっと室内だったので、この解放感はたまりません。

久しぶりの深呼吸です。水平線当たりの黒っぽい海こそ、黒潮。この海を眺めて、龍馬はじめ、多くの偉人が大きな夢を描いたのです。

高知のもてなしは、女性を中心とした、カラッと明るいものでした。自らの胸襟を開くことで、外からの人の心も解放させる。これぞ高知ぜよ、ですね。

お土産に市で買い込んだ、ジャコ。これらを少しずつ食べるたびに、黒潮の海を思い出し、高知のおかみさんのような骨太の女を目指したいと思います。


このエントリーの情報

スローライフ運動 飯山フォーラム裏話 2016/11/28 1:20 pm

年に一度のフォーラムが終わりました。表には出てこない、とてもホットな交流や、心配りなどがあちこちに。

他所からのスローライフ学会会員と地元の方との息のあった司会、藁や野の花を活かした舞台の演出、特産の和紙を活かし
た会場飾り、各地からの差し入れ、市職員の方の名ガイド、などなど。

皆さんの小さな工夫が積み重なって、良い時間となりました。事務局として感謝です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずはジャンプ台。飯山駅前にすぐあるのですが、普通の観光客は知りません。

大きいものは冬用、小さいのは子どもたちが夏に使って練習するとか。それでも迫力の急こう配、これを小さなかごのようなケーブルカーで上がります。

視察に参加した方々の中にはもちろん高所恐怖症の方もアリ、下で見守るしかないのですが、高いところ大好き派は大喜びです。上から転がり落ちたいという始末。



こんなに喜ぶとは、ジャンプに関係なくとも、見学だけで観光資源になりますね。

上からは飯山のまちが見渡せて地形もわかり、ビューポイントとしても最適。急きょここに連れてきてくれた市役所の判断に拍手でした。



「道の駅花の駅千曲川」です。野沢菜の大きな株が山と積まれ、あっという間に売れていきます。賑わう中で大人たちは名物の「野菜カレー」や「おやき」をパクパク。

新鮮で安いものを観たら欲しくなってしまうのは誰でも同じ、特に今、野菜は高いし・・・。ネギに抱き着いたり、初日なのについリンゴに抱き着いたり。


「小菅集落」です。むらそのものが修験道の修行地のような雰囲気。奥社と呼ばれるところでは、実際に山伏の修行が行われています。

今でも独特の祭りが行われており、ここだけのルールとしきたりでむらが回っているような印象でした。ここに何げなくある石が祭礼の時に神の子が乗るステージになるのだそうです。




ふと見ると、落ち葉が飾った階段や、きれいにぶら下がった大根が。







「森の家」では台所のある快適なコテージを見学、「ここなら落ち着いて原稿が書けるなあ」の声が上がります。





その後ろの径を歩きました。バリアフリーに整備された道のうえに、今は落ち葉が一杯。カサカサコソコソの音を楽しみながら皆で遠足気分です。







雪の力で根元から曲がった樹もあります。ブナ林に入ると、しんとしたなかでブナの葉がカチャカチャと金属的な音をたてました。




ため池に写った景色が美しい!この写真は参加のスローライフ学会会員自慢の写真です。冷たい雪解け水をここで温めてから田んぼに流す役割もあるのだそうです。

この後、暗くなって眺めた「神戸のイチョウ」がすごかった。神戸でゴウドと読む地名。ここの巨大なイチョウが真っ黄色に色づいて、これを数日間地元の方々がライトアップしているとのこと。

これも急きょ見に行くこととなりました。バスの中から歓声があがる美しさ。写真はありませんが、心にしっかりとその姿は焼き付いています。飯山の神様のような炎のイチョウ姿でした。



宿泊の「文化北竜館」で、18時30分からの「夜なべ談義」です。テーブルには、笹寿司、エゴ、ぜんまい煮、ジャガイモなます、漬物、馬刺し、蕎麦、新米、等々が。




なかでも米自慢の土地の新米が美味しいこと。漬物とピッタリです。お料理はホテルと打ち合わせて地元料理保存会の方々が作ってくださいました。

この日の司会は、飯山市側は飯山の伝統産業「仏壇」製造販売の鷲森秀樹さんと、NPO法人スローライフ掛川の長谷川八重さん。静岡県掛川市からやって来たスタッフです。


しかし、二人は開始5分前に会ったばかり、打ち合わせも何もありません。「ひでき・八重ちゃん」のコンビでとにかくスタートです。

地元参加の方々をバスで送るべく、8時半終了と時間はタイト。この中で食べる、飲む、しゃべる、名刺交換する、いそがしい〜〜。



でもちゃんとマイクで次々とスピーチです。和歌山県紀の川市から参加の方は「あんぽ柿」をさし入れ。スピーチの間右に立ち「あんぽ柿」を持つ係で助けるのは、遠く雲仙からやってきてくれた女性です。




来年開催地となる「出雲の國」の方々は既にチラシを配って宣伝。来年は10月末になりそうですよ。







翌日、皆さんはまちなかの寺町や仏壇通り、高橋まゆみ美人形館などを見学、そのあいだ事務局は一足先に会場「なちゅら」へ。







舞台装飾で会場の方と、こちらの会員とで知恵を出し合いました。「せっかくだから米どころらしく、舞台にハザガケを作りたい」などと言いだいたのはわがNPOの川島正英理事長。

「森の家」から藁と鉄パイプのハザガケ装置お借りして、一昨日舞台に運び込んだのでした。舞台に立ててくださったのは「なちゅら」のスタッフ。

とんでもないコトを言い出すおじさんにプロはきちんと対応して、つくりあげてくれました。藁の上からは「道の駅」で会員が買ってきた赤い色の鮮やかな「マユミ」の枝が飾られます。

さらに「なちゅら」館長のお家から、奥様の許可を得て持ち込まれた吊るし柿も風情を出してくれました。この演出で、ずいぶん飯山らしいステージとなりましたね。



ロビーには「逸品市」の屋台が並びます。この「いいやま逸品市」を提案した、第3分科会が一昨日から用意したもの。

「お米バー」や「リンゴ・漬物ショップ」「地酒バー」
「和紙製品」「仏壇ショップ?」など、工夫を凝らした「逸品屋台」ができあがりました。

万国旗のように飾られた三角形の旗は飯山特産の「内山和紙」を利用したものです。薫り高い特別ブレンドの「コーヒーショップ」も登場しました。



実は東京では、この日のフォーラムのために飯山勉強会にあたる催しを合計5回開催してきました。その内容を展示です。

地元の方々には、飯山はそれほど勉強するにあたる土地なの
だという自信につながったことでしょう。

政策、童謡、農業、川、観光、すべてにその道の専門家がしっかりと話してくださった内容です。


ウイーンフィルの演奏による名曲「ふるさと」が流れる中、いよいよ開演。こちらの司会は川島理事長と飯山市の職員:根食しのぶさん。普通こういう司会に台本がありますが、うちの場合はナシ。根食さん面喰いましたね?!いつもそうです、ごめんなさい。

神野直彦さん基調講演ではバックに飯山の写真がゆっくりと流れます。そして、これまで3回開いてきた3種類の分科会からの提言を、3人の地元座長が発表。

10分間の持ち時間をどう使うかが課題。横に立つアアドバイザーが「あと、2分」なんて演題で書いて見せたりして、緊張した座長の発表を仕切りました。

ひたすら発表を覚えた座長さん達、お疲れ様でした。私がアドバイザーになった「逸品市」を提案した部会では、最後に勢いを見せようと舞台に上がってから相談。「逸品市をやるぞー!」宣言をしたものです。

パネルディスカッションは、総勢10人。市長が驚いていたように“打ち合わせなし”。増田寛也コーディネーターの進行にただただ身を任せ、3分科会の発表内容を軸に話を煮詰めていきます。

テーブルの上には、花ではなくってリンゴ。これがかわいい演出!これもスローライフ学会会員のアイディア。ただ、お水が飯山のではなかった〜〜!お許しください。

発案山盛りのパネル討論が終わって、その後は皆ロビーの逸品市で歓談。すっかり飲み屋さん状態です。

お客様が引けてから、片づけをして、みんなでお疲れ様の輪。
老いも若きもよそ者も地元も、一緒に抱き合いました。


1000円会費の打ち上げで、3座長が見せてくれたお礼の一気飲み、すごかったです。

またまた通いますよ飯山市。新幹線ができて、東京人と飯山人が知恵を出していろいろチャレンジすることがこれから始まるのです。

フォーラムを機に、飯山の人にも全国の友達の輪が。もはや「今から貯金して出雲へ行こう」という話も。

あああ、面白かった!いろいろ事務局の不手際はお許しを。すべてをカバーしてくださった飯山市職員の皆様ありがとうございました。
※一部、長谷川八重さんの写真をお借りしました。

このエントリーの情報

スローライフ運動 新美ちゃん 2016/03/28 11:54 am


大学生と地域が連携し、各地で地域おこしの動きが起きています。これは大学と地域双方に大変プラスになります。そんな好例を見ました。

奈良女子大学大学院生として十津川村谷瀬に通っていた“新美ちゃん”、彼女の笑顔は集落を元気にし、むらの自然と人々の情けは彼女を大人に育てました。

むらおこしに目覚めた彼女は、この春「地域おこし協力隊」という社会人になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新美ちゃんに初めて会ったのは2年前くらいでしょうか?私が、奈良県十津川村谷瀬集落のむらおこしに通い始めて2年経ち、村の生活道を「ゆっくり散歩道」と名付けて、外の人に歩いてもらおう!とした頃でした。

40人ほどが暮らす集落は、このままだと消えてしまう。日本一を誇る「谷瀬の吊り橋」はあるのですが、その奥の集落に観光客は来ない。ならば散策道をのばして、歩いてもらい、集落が気に入ったら移住もしてもらおう。と、むらの人が大決心をしたのです。


吊り橋から伸びる道を「ゆっくり散歩道」として、テープカットをしみんなで手作り展望台まで歩いた日、新美ちゃんは彼女の通う奈良女子大学ゼミ教官とともに、歩くお客様として参加しました。(写真の役場の方の服の後ろにチラリと見えます)

小雨で冷えた体を、味噌汁と「めはり寿司」で癒し、集落の皆の雰囲気に触れて帰っていきました。

その後、毎月の「寄合」に顔を出すようになりました。ゼミの先生が十津川村に関わっていて、谷瀬にもお邪魔にならない範囲でうかがいたいという希望。集落も私もぜひぜひ、とうけ入れたのです。

じきに集落の人となじみました。彼女の人柄でしょう。それと何よりも関わる姿勢だったと思います。大学が地域に入る場合、この“お邪魔にならない範囲”というのが大事です。

そのわきまえがないと、ただ若さや女子力をアピールするだけで、地元のおじさんおばさんを煙に巻き、キャーキャー騒いで偉そうにして帰る、ということが多いものです。




新美ちゃんの場合、担当の先生がしっかりと地域との付き合い方をわきまえている方でした。土地の人を心より尊敬し、お役に立てれば一緒に手伝わせてください、という姿勢を貫いた。

だから集落の“寄合”でも、主人公はあくまでもむらの人、大学側は偉そうにしない、という形で話し合いや、むらおこしの活動が進みました。




こういう、いい先生・学生さんに出会えた地域はラッキーです。それに、そもそも谷瀬には心より尊敬できる、“知的で立派な田舎の人”が慎み深く暮らしていました。昔から日本一の吊り橋を、自分たちのお金で掛けてしまう団結力のある集落です。

散歩道の整備も、展望台作りも、寄合でやるとなったらみんなでやってしまう。その行動力には、私も常に頭が下がったものです。

その後すぐ、奈良県立大学も加わり、谷瀬は相当にぎやかになりました。

私の役割は、皆さんの話し合いや活動を上手く進行する、まあ、コーディネータ―のような立場です。県や村から仕事としてご依頼を受けて、谷瀬に通ってきました。

私だって、若くはありませんから、口ばかりで力も技術もないわけで・・・。いいプランが出ても、マンパワーが足りない。
そこに、話の分かる、わきまえのある学生さんが明るく楽しく手伝いに来てくれるのですから、ありがたいありがたい。

新美ちゃんたちは散歩道のあちこちに、可愛いプチ看板を手作りで作ってくれました。

道の途中、トイレを借りられる公会堂まで「ここから○○分」と表示しようとしていた彼女たちに、「ひとによって何分か違うし、よりゆっくりしてほしい散歩道だから、時間より『ここから○○歩』『ここから○○メートル』って書こう」と私から提案しました。

ある日、新美ちゃんが友達と「116,117、118」と、公会堂まで歩いて歩数を数えています。正直な子だなあ、と思いました。

秋にはむらのお祭りにあわせて、その餅投げを体験しながら散歩道をあるく「ゆっくり体験」という交流事業の試行もしました。一般のお客様を迎える前に、学生さんでお試しです。集落の人と今後に向けて意見を出し合いました。


外の人が歩き始めると、もっと何かで歓迎したくなります。昔、水車小屋のあったところに水車を造るはなしが持ち上がりました。昔の小屋を壊すと、中から古い農具や漁具が。


普通は燃やしてしまうのですが、こういう物を新美ちゃんたちは喜ぶ。「え〜〜?これなんですか?」フラフープみたいな輪っかは川で魚をとる大きなタモです。「これをいつか飾ろう!インテリアにもいいね」こういうのが学生さんの発想ですね。



学生さんたちは当初民宿に泊まって通っていました。大学としては費用が大変です。むらには空き家があります。それをいわゆる「ゲストハウス」に、村が用意してくれました。集落の人たちが、余った布団や鍋釜を持ち寄って、学生が泊まれるようにしてくれると、新美ちゃんたちが通う回数がぐっと増えました。

集落の手伝いだけでなく、調査や提案など、学生らしい動きが加速しました。新美ちゃんが通って1年後、去年の春には初めて外の人を招いての「ゆっくり体験」を本格的にしました。30人を越す人が集落にやってきました。

「ゆっくり散歩道」を歩いたり、「めはり寿司」を作ったり、「餅投げ」をしたり。学生さんは集落の人のようにスタッフにまわりました。以前は、餅投げの餅を拾っていた新美ちゃんが、この日は一番後ろで写真を撮る係、成長しましたね。








この年の秋には、もう一つの空き家を散歩道の休憩所にしようと、みんなで掃除し、実験オープンしました。名前は「こやすば」(小休場)といいます。庭にはススキが茂る古民家の、根っこを掘り出して、コウモリの糞だらけの内部を掃除して。新美ちゃんたち学生さんの活躍は素晴らしいものでした。



そして、「こやすば」オープンの前日。名産の「ゆうべし」の試食用に、新美ちゃんたちは竹を切り、器にしました。まあ、なんでもやりますね〜。







11月には秋の「ゆっくり体験」を今度は、名産の松茸をのせたピザを作るメニューとしました。1年前には、試行で参加者だった秋の体験、この日、新美ちゃんはピザソースを作る下準備です。








実はこうしている間、学生さんたちは休耕田を耕し田んぼにして、米を作っていました。そして酒を造ろうというのが集落の人とのもくろみでした。私は横で応援しているだけでしたが、この春、見事にお酒ができました。銘酒「谷瀬」の誕生です。

今年度最後の寄合の日、集落の方が「杉玉」を作って、公会堂に飾りました。搾りたてを皆で飲むにふさわしい演出です。ここで、新美ちゃんは自分の論文を発表しました。ただただ谷瀬に遊びに来ているように見えていた彼女ですが、ちゃんと調査・研究活動をしていたのですね。




タイトルには「地域のつながりを活かした中山間地域の子育て・子育ち環境に関する研究ー奈良県吉野郡十津川村を事例としてー」とありました。

人口減少に悩む地域にとって、子育て環境は重要です。若い移住希望者もそこで地域を選びます。さらに、彼女の研究は、育つ側、「子育ち環境」にも視点を当てたものでした。育つ子供たちにとって、どうなのだろう?若者として、高校生等にも調査をしていました。今までにないアプローチです。


谷瀬の人たちも調査に協力したので、発表を真剣に聞きました。本当は、2時間くらいかけて聞き、話し合いたかった内容でした。この論文をつくり、彼女は大学院を卒業。学生として谷瀬に通うのもこれで最後となります。


翌日、谷瀬の人が16人も集まって、吊り橋の下で新美ちゃんを送るBBQを開いてくれました。記念のプレゼントや、みんなからの寄せ書きもありました。

「自分の田舎のような谷瀬に、これからも通います」と宣言した新美ちゃん、自分が田んぼから関わったお米でできたお酒で乾杯。なんと幸せな送別会でしょう!

大学・学生さんが地域に入って、上手くいかない場合は、学生が地域の人を指導しようとする、つまり難しいカタカナ言葉で話す、パソコン技術を振り回す、都会はこんなに進んでいると自慢する、なんてケースです。

谷瀬では、大学側も集落側も素晴らしかった。だから、集落の人たちも、新しい冒険をやる気になったし、学生さんも育ったのでしょう。

新美ちゃんを例に書きましたが、谷瀬に通った二つの大学のそれぞれの先生と学生さんは、立派でした。そして、谷瀬の自然や暮らし、素朴な人々の情に包まれてすくすくと野太い人間に育った気がします。

新美ちゃんの論文にある「子育て・子育ち」環境として、十津川村谷瀬が人間を育てる大きなゆりかごに思えました。

「大学院まで出て、大企業に就職しないの?安定したところに勤めないの?」という声が、新美ちゃんにも聞こえるでしょう。でも、「地域おこし協力隊」になるという選択は、今、一番進んでいる、賢い選択です。

入る土地は十津川村でなくとも、谷瀬卒業の力は、何処に行っても通用します。悩んだり、くたびれたら、また吊り橋を渡って「ただいま〜」って顔を出してね。


このエントリーの情報

スローライフ運動 雲仙「食」談義 2015/11/02 1:54 pm

雲仙市での「地方創生フォーラム」に関わって、私も含め皆さんが話題にしたのが“食の魅力”です。県外からの参加者に「雲仙どうでした?」と聞けば、まず、「美味しかった」という返事が戻るでしょう。

肉じゃが、かまぼこ、豚汁、高菜漬、新米のおむすび、採れたてレタス、いずれも素朴な味。それを囲みながら、だからこそ、地域おこし談義が味わい深いものになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで何が美味しい、まずい、という話をしたいわけではありません。「食べ物」がいかに地域と連動しているのか、地域を語る道具になるのか、また「食べる」ということは、どれだけ地域を感じ取れるのか、人の心をつかむのか、そして隣の人・向かいの人と繋がれるのか、ということを言いたいわけです。

今回、雲仙に入って、最初に口にしたものは、豚丼でした。雲仙のひとは豚をよく食べます。チャンポンに入るのも豚、これは甘辛味をつけた柔らかい豚肉に胡麻をたっぷりまぶし、ご飯の上に、そして中間にもびっしり敷き詰めてあります。観光客も寄りますが、地元の人も食べるお店で。

レジの女性が、「そう?初めて食べた?美味しいでしょ?大盛りもあるの。ここではよく食べるよ」と自慢してくれます。これはフォーラム前日の話。夜は、今度は雲仙の牛肉の焼き肉なのでした。ここでもお店のおばちゃんが「安いででしょ、うまいでしょ」と自慢してくれます。なぜかあるイワシの丸干しもおいしかった〜。




さて、フォーラム当日。飛行機で着いた登壇者や参加者の方々がマイクロバスで食べたのが雲仙特製弁当。雲仙の地域野菜でこぶのある高菜「こぶ高菜」というのがありますが、それの漬物を作っている女性グループが用意してくださいました。

この「こぶ高菜漬け」は日本のスローフードとしてイタリアのスローフード協会から認定されているもの。




巻き寿司やおかずの中に様々使われていて、ピリッと辛く存在感があります。コンニャクもこのグループの手作り品。こうして煮しめやコンニャク稲荷になるまでに、何年がかりの手間暇がかかっているのか。高菜も無農薬なので大変でしょう。作った人の話を聞かなくとも、このお弁当一つで、このグループの食べ物を作る姿勢が伝わってきます。

雲仙の良心をおなかに入れて、みんなが雲仙と一体になった瞬間でした。健康な雲仙が、外来者の身体に染み渡ったわけです。



雲仙市内に入ると、どこまでもどこまでもジャガイモ畑が続きます。暖かい雲仙では、ジャガイモが年に2回とれる。9月にイモを植えた勢いある葉っぱの畑には、そろそろ花がつこうとしていました。

このジャガイモ畑のなかに、記念写真が撮れるところがあるといいなあ〜。または高いところから展望できるところがあるといいなあ。ジャガイモ・ミュージアムなんて、雲仙のジャガイモ文化を学べる・楽しめる体験施設があったらどんなに楽しいでしょう。



ジャガイモ展望台はなかったけれども、棚田展望台はありました。山の斜面に石を積み、石を積み、先祖代々が築いてきた田んぼは見事に美しい。








ここで記念写真ですが、ああ、棚田は写らない・・。近くでこの棚田を守り、米を作っている方々が幟を立てて棚田米を売っていました。

一緒に、目の前で握るおむすびがあったら、この時期売れるだろうな〜〜。重いお米は買わずとも、その場で食べる塩むすびは、小さくても高く売れるでしょう。それで美味しいとなると、重くても買っていく。来年、私がお店をだそうかなあ〜なんて考えます。



雲仙温泉のある山の上の方までバスは上がりました。ここにある有名ホテル「雲仙観光ホテル」で小休止。昔の雲仙リゾートのお話などを伺います。

高熱の温泉が豊富な雲仙です。温泉はお風呂に使いますが、ホテルや旅館では蒸気の上がる地熱の高い地面にパイプを長く引き、地熱で水を熱くしてそれを、暖房や生活温水として利用するそうです。エコですね。

しかもこの呼び方が面白い。「燗付け」というそうです。お酒のお燗と同じ字で呼ぶことが、何とも温泉場らしい文化です。このことをアピールすればおもしろい、「このお部屋は燗付けして暖めています」なんてね。



全国からお取り寄せ人気の高い、このホテルのゴルゴンゾーラチーズケーキ。クルミもたっぷり入っていました。雲仙には庶民的な表情から、こうしたおすましの優雅な世界まであることが食べ物から分かります。







10月31日、この日の昼間には、真面目に熱く4つの分科会がありました。それぞれ地元の方が20人くらい、さらに傍聴者も多く、時間が足りない!でも、これからの雲仙を語るいい場になりました。

で、その続きをさらにみんなで宴の中で話す「夜なべ談義」です。食べながら、飲みながら話せば、さらに本音の輪ができる。よそ者は「おいしい〜!これ何ですか?」から始まって、質問攻め。そうなると、難しい地域おこしの話題にはなかなか乗れなかった人も、口が開く。食べ物のこと、食べることは、誰でもが参加できる地域おこし話題なのです。



この夜の主役は肉ジャガ。雲仙では「ジャガイモ」などと丁寧に呼ばない。「ジャガ」です。昔はクジラの肉でも煮たとか、豚でも作ります。まあ、なんとほっこり美味しく優しく煮てあるのでしょう。ジャガの味がしっかりしている。出島という品種だそうです。究極の肉ジャガづくり教室など、いつかしましょうね。





ジャガ農家のお兄さんのスピーチ。かっこいい〜〜!都会のヒョロヒョロのパソコン男子とは違う、土の匂いのする、それでいた今風のお洒落感のある立ち姿。この人のジャガを食べたい、と心から思います。ジャガイモボーイ、ジャガ王子、たくさん会いたいなあ。






海で獲れる小魚は、かまぼこになります。地元では「かんぼこ」と呼びます。黒砂糖の入った甘い味、ピリ辛味、豆腐のたっぷり入ったさっぱり味の「豆腐かまぼこ」もありました。







「かんぼこは、健康にいいの。豆腐かまぼこはサラダにもいいの」かんぼこ製造の女性が語る「かんぼこ話」はずっと聞いていたいほど。この方を講師に、「かんぼこスクール」などやってみたいものです。ただ、食べて、買って帰るだけではつまらないもの。トコトン知りたい「かんぼこワールド」ですね。




でた〜〜〜〜〜〜〜〜!棚田米のおにぎり。さっき田んぼを上から眺めた、あそこの田んぼでできた米が、キラキラ輝いて。こういうものこそ口を運んで、飛行機に乗って食べに来る価値あるもの。惚れ惚れする甘いもっちりお米でした。






棚田でお米を作っている方のスピーチです。棚田と日々向き合って汗を流しているお姿は、凛々しいし、神々しくもあります。やっていることにウソがないから、自信にあふれている。この人からも「棚田米物語」をとっぷりもっと聞きたいと思いました。






地元の豚を地元のレタスとしゃぶしゃぶに。両方の上手さが掛け算になります。「いい豚は、しゃぶしゃぶにした時にアクがでないよ」と豚農家さん。「水が違うからね、野菜が旨くできる」とレタス農家の青年。

東京ではこんなレタスを生で、さらにしゃぶしゃぶでたっぷりと、なんて贅沢はできません。




わがスローライフ学会会長の増田寛也さんも、地元の青年にまみれて美味しい談義。そのお礼も言葉弾みます。

棚田米、こぶ高菜漬け、カタクチイワシの塩辛「エタリ」、芋の味濃いほくほくのジャガ、牛肉、豚肉、新鮮なお魚、山ほど獲れるイワシ類、多品種のかんぼこ、レタスに始まってたくさんの美味しい野菜、ドラゴンフルーツやかんきつ類などの果物、いろいろななスイーツ、などなど。

海と山と温泉と、それを活用し愛する人のいる雲仙は、食のツーリズムの可能性が一杯です。地元では、ここの人、ここのものを「じげもん」と言いますが、「雲仙じげもん研究会」を立ち上げて、逸品を開発研究しながら、人も磨いていく、そして交流につなげていく、雲仙じげもんツーリズムを始めましょう。

地元のものを食べながら、地元の人と出会い語り合いながら、食べ方や食文化を学びながら、の交流です。

そこでの時間は、単に儲けるための観光おこしではなく、食を媒体とした、語り合い、本物の地域間交流になるはずです。それはとりもなおさず、雲仙の地域おこしになるでしょう。

雲仙へ出かけて、食べたり、しゃべったリ、口を運んで交流しましよう。また行きますよ、雲仙。

このエントリーの情報

スローライフ運動 飯山の時間 2015/10/05 1:36 pm

北陸新幹線が開通し、長野県飯山まで1時間40分で行けるようになりました。交通の便が良くなると、とかくまちの様子がガラリと変わるものです。

どうかしら?と出かけてみると、棚田はゆたかに輝き、映画『阿弥陀堂だより』に出てくるお堂回りにはコスモスがひっそり揺らぎ、千曲川はあくまでもゆったりと。

丁寧に人と付き合う人情に触れて、飯山の“ゆっくり時間”に湯あみをした思いでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飯山駅です。立派ではありますが、中には冷たさがありません。












仲間がトイレに行っている間、こんなテーブルで荷物の整理ができる。一見、無駄?なような場が暖かにあります。









ね、かわいいでしょう。














どう見てもカフェ、という感じの観光案内所もありました。用がなくてもふらりと入りたくなります。何でも来いという感じのカウンターのお嬢さんたちがまたいい!ポップにも、一生懸命に何か役に立ちたい、という雰囲気が伝わります。




まずは腹ごしらえです。小麦が貴重な時代にオオヤマボクチという植物をつなぎにしたという、その独特のお蕎麦と、上杉謙信が野戦食にしたという笹寿司を。








この郷土食について、きちんとテーブルに説明があります。












さらに、お店のご主人から食べ方の指導が。「掌に寿司をのせて笹を下に引くとご飯のところが浮くのでパクリと」な〜るほど。









飯山在住の人形作家・高橋まゆみさんの人形館に行きました。野に生きる人々の普通の暮らしを人形にした、全国的に知られる作品です。ここの人形館の入り口に、植えてあるのがおや〜〜?





奥にあるのはコンニャク、手前は野沢菜。きれいな市販のフラワーポットではなく、暮らしの中の植物がガーデニングとして使われている。それだけで、ここが何を伝えたいのかが分かりますね。








知り合いの方が案内をしてくださいました。見渡す景色が気持ちいい〜〜!と思ったら、無電柱の道路です。さらっと気遣いをしている。足元には菜の花の芽がずらっと出ていました。








飯山の一つの顔である「菜の花公園」。緑の芽が出そろっているのは野沢菜、春一面に黄色く咲くのは野沢菜なんですね。地元の小学生も、みんながこの菜の花育てをしているそうです。春のここの千曲川はどんなに綺麗でしょうか。






秋は菜の花ではなく、田んぼが黄金色に輝いています。飯山ですから、飯、米にはこだわる。美味しいお米がとれるわけです。









立ち寄った農産物販売所。ここで東京の練馬区から移住してきたというご夫婦に会いました。作られたトマトを売っています。おいしかった〜〜。















たった200円の買い物のお客にも、「お芋たべてって〜」とすすめる元気なおばちゃんがもてなしてくれます。














おばちゃんはどうやら明日は運動会らしい。うふふ。














さて、映画『阿弥陀堂だより』に出てきた、お堂を訪ねました。このお堂は映画のために造られたものですが、ずっと昔からここにあったような存在感です。











近くに落ちる栗がお供えのように置かれてています。畳の上のノートには、ここを訪ねた方々のメッセージが。驚くほどにたくさんの方が、毎日のように来ています。ここに座り、景色を眺めそれだけで帰る。そういう人が静かに訪れる、聖地のようなところなのでしょう。






お堂からの眺めです。東京の時間に追われる暮らしに疲れ切った女性が、ここでだんだん健やかになっていく。本当の生き方を夫婦が見つけていく、という映画。自然や景色だけでなく、ここの人が元気を分けてくれたのでしょう。


この景色を眺めている間、ご案内をしてくださった地元のとある方は、お堂を箒ではいています。大事なお堂に来たら、即、身体が動くのでしょう。シュツシュッというその箒の音を背中で感じながら、眺める飯山の景色です。

実は、この案内の方は、駅の観光案内所にたどり着いた一人の外国の若者を、「一緒に乗せてあげてもいいですか」と運んでいました。シュラフだけでやってきたカリフォルニアからの男性は、棚田の風景に何度も「ワンダフル」と言います。

彼が泊まれるように、山のロッジにテントを手配し、建てるのも手伝い、食べ物を買うお店にも案内し。そんなことをさらりとしておいででした。

彼に限らず、飯山の人は、何かしら教えてあげたい、世話したい、それも素朴にあったかに。という情に溢れているように思えます。

そこにいる人がみんな何かを伝え、何かに誇りを持ち、その自信あるものを他所の人にもおすそ分けしてあげる。それは自然体でささやかでいい。そういうことが出来る人がいれば、人口が少なくたってその土地は素晴らしいまちになる。

何もしない、自分の土地を大事にしない人が、多量にいたってしょうがない。数ではないのですね。

ということを、飯山で過ごしたほんの少しの時間で学びました。新幹線でサッとやってきて、そういうことが学べる地、飯山詣では東京人にとって大事な時間になるはずです。


このエントリーの情報

スローライフ運動 雲仙のご馳走 2015/09/13 9:32 pm

10月31日と11月1日にスローライフ学会が手伝いしてフォーラムを開催する雲仙市。打ち合わせにうかがった1泊2日、あらゆるものを美味しくいただきました。こだわりのフレンチから、素朴な地元のスイーツまで。海と山の幸に恵まれて、それを使いこなす人がいる、だからこんな多様な味があるのでしょう。棚田米のおにぎりを食べに、この秋雲仙に!です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




















まずは「六兵衛」。その昔、飢饉のときに六兵衛という人がサツマイモで作るおそばを思いつき、皆に広めたそうです。今は名物に。サツマイモの甘味と香りがふぁっとするヘルシーな味わいでした。違う土地に来たなあ、と感じる一瞬です。























「一口香」(いっこうこう)というお菓子。生姜とスパイスのの味がきいています。中がみっしり餡子かとおもいきや、皮に薄っすらついているくらいで、中は空洞です。その食感がまたいいです。ソフトタイプとハードタイプがあり。「お前の頭は、一口香か!」という言い方があるそうです。ある意味、お菓子のピーマンですね。




















雲仙市の迎賓館のようなホテル「雲仙観光ホテル」の地元野菜を活かしたフルコース。若いシェフが精力的にチャレンジしています。これは前菜。雲仙のスローフード、カタクチイワシの塩辛「エタリ」で作ったバーニャカウダで、地元の有機野菜でいただきます。こんな工夫のある料理が、次々と。ここに来る来ないで、雲仙の評価は大きく変わるでしょう。





















続いて地元民の味、「小浜チャンポン」です。長崎のチャンポンと問う違うの?と思うのですが、要は魚介類が多く入っているのが小浜流らしい・・。確かに、エビやら貝やらイカがたっぷりで、その出汁がスープを絶品にしています。地元の人はもっぱら自宅で作って食べるとか。チャンポン用の麺、スープ、かまぼこなどもスーパーで売っています。




















もっとジモティーっぽいのはこちらでは?「ミルクセーキ」です。ミルクセーキといえば、関東出身の私には、牛乳と卵と砂糖、これにバニラエッセンスを加えてよく混ぜた飲み物。そういえば昔、家や喫茶店で時々飲んだものでした。それが、雲仙に限らず、長崎県を中心にした九州北部では、“食べるもの”らしいのです。頼むと出てくるのは、こういう柔らかいアイスクリームシャーベットのような物。食べているうちに、溶けたら飲むというわけ。これが美味しかった〜〜〜!もう一度食べたいものと問われたら、迷わずこれ。わたし好みです。


























雲仙には地域野菜でコブのできる高菜「こぶ高菜」があり、その漬物がお土産として人気。この「こぶ高菜漬け」はイタリアのスローフード協会からスローフードとして認定され、さらにその中でもさらに貴重なものとしても認定されています。その高菜漬けを地元の女性たちが、ふかし饅頭にしています。ピリ辛で美味しい、これで一杯やったらいいなあ。



















いわゆるさつま揚げが、子どものおやつのように売っています。魚のすり身に野菜を混ぜて、店の裏で揚げている。その熱々がひとつ50円!5個入りを二袋買いました。




















これは食べられません。今、畑に植えているジャガイモです。種イモを機械の上に積んで、耕運機のようなものを動かすとイモが一つずつ土に収まって植えられていくという仕組み。雲仙一帯がジャガイモの花に包まれるのは数カ月先です。




















お土産に担いできたレモンは一個10円。庭のレモンの樹になったものなので、形も悪いのでどうぞ、ということなのでしょう。雲仙のお振舞なのかもしれません。

良い気候、温泉の恵み、様々の恵みに人の知恵と手が加わって、それが忘れられない味になっています。いただくごとに、そのお店の人とかわす言葉も温かい。また食べに?足を向けたいと、心の底から思う土地です。

このエントリーの情報

スローライフ運動 ゆっくり体験 2015/04/13 6:37 pm

NPOスローライフ・ジャパンが応援する奈良県十津川村谷瀬で「ゆっくり体験」が行われました。昨年春整備した「ゆっくり散歩道」を歩き、今年3月にできた水車を眺め、名産の高菜漬けで「めはり寿司」を作り、むらの行事「餅まき」にも参加する1日。

定員20名が30名の参加となり、運営する集落の人たちはうれしいやら、あわてるやら。でも、とってもいい体験ができたと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4月12日(日)桜はそろそろ散り始めていますが、まだ残っている、そんな時期の催しでした。











前日には、奈良県立大学の学生さんが手伝いも兼ねて参加。集落の産物「高菜」について畑で学びます。









数日前に大きな葉を採って、もう塩漬けにしたそうで、畑には小さな葉しか残っていませんが、この葉もお浸しなどでおいしい。






公会堂では明日の餅まきに向けて、餅つきと餅丸めです。大きなお餅は最後に投げる、縁起の良い物。学生さんの参加であっという間に終了。実はこの後、食べた出来立て草餅きな粉つけがとってもおいしかったのでした。











さあ、「ゆっくり体験」当日です。参加者は、数日前まで17人だったはずが、あれよあれよと増えて子どもも数えると30人を超える人数になりました。まずは日本一の「谷瀬の吊り橋」を渡って。













出席をとって名札をつけて、出発!「ゆっくり散歩道」を展望台まで1.6キロ歩きましょう。この道は昨年春にオープンしたもの。











集落の中の生活道路に道標を立てて歩けるようにしただけですが、吊り橋に来た観光客がずいぶん歩くようになりました。











道のあちこちに桜をはじめ花がきれいです。急いで歩く必要はナシ!普段の暮らしを忘れて、ゆっくり、ゆっくり。









「あれはミツバチを飼っておるんだよ」「わ〜〜、それじゃ谷瀬ハニーでスイーツ作れますね〜」












この道は、集落の人たちで木を伐って展望を確保してあります。ほら、棚田も、キウイ棚も、大きなナシの木も見える。そしてその向こう、写真の左上には谷瀬自慢の手造り水車が。






京都、大阪、奈良、名古屋、和歌山県紀の川市、東京、各地からやってきた人たちが、ゆっくり歩いておしゃべりをして、だんだん友達になっていきます。そして、谷瀬の人から説明を聞いて、どんどん谷瀬が好きになっていきます。







途中、少々急な階段もありますが、最後、森の中を抜けると突然この眺望が!左手に見えるのがさっき渡ってきた「谷瀬の吊り橋」です。「今度、お弁当を持ってまた来ようね」








おなかがすいた〜〜〜。さあ、公会堂で「めはり寿司」作りです。高菜漬けを細かく刻んでご飯に混ぜて、俵型に握り、それを大きな高菜の葉で巻きます。海苔などない山の中、おにぎりといえばこれ、「山に行くにも、学校に行くにもこのめはり寿司だったなあ」と、地元の人。







高菜の甘辛煮も、これは子ども達に好評。こうすれば野菜を食べますね。十津川村特産の肉厚シイタケ入りのお味噌汁もおかわりする人が多く人気でした。








大きなおむすびを、大きな口で、大きく目を開いてガブリと食べる、だから「めはり寿司」なのだそうです。この坊やは本当にガブリ、「おい、大丈夫か?」とお父さん。









少し休んで、水車で記念写真。通りがかりの若いお兄さんたちも一緒に。「この水車、発電し、蓄電した電力で夜は自らをライトアップしているんですよ。いずれここで携帯充電できるようにします」と説明が。






さて、この日のクライマックス、餅まきです。谷瀬ではたくさんのお宮さんがあり、それぞれで餅まきが行われます。この日は2ヶ所の社の合同餅まき。まずは神事の後、いよいよ準備万端で・・。







まずは、袋菓子から〜〜〜〜〜。それ〜〜〜〜〜!
続いて、昨日丸めたお餅を、
それ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
みんな、興奮興奮!










都市部から、それぞれお1人でみえた女性たち。3人とも生まれて初めての餅まき体験とか。その割にはしっかり拾い、地元テレビ局のインタビューにも応じていました。








これにて「ゆっくり体験」の終了です。谷瀬集落、大字の総代さんが深々とご挨拶です。村おこしというと、とかく役場の人がだんどって、住民がそれに従うことが多いのですが、十津川村は、また、谷瀬は特に住民主導。なんといっても、あの吊り橋を自分たちのお金で掛けたという自負があります。


「いろいろ不手際があったとは思いますが、これからもこういう催しを続けていくので、またいらしたください」この言葉には、「そしていつか、人が減るばかりのこの谷瀬に移住してきてください」という想いが込められているのでした。

日本中で、美しい小さな集落が消えつつあります。でも、こうして工夫すれば、他所の人と交流し、むらの可能性も見えてきます。

そして、参加者たちは、都市部では体験できない“ゆっくり”した時間をお土産に、来た時よりもずっと晴々した顔をして「またね〜〜」と帰路に着いたのでした。

このエントリーの情報

スローライフ運動 ゆうべし 2014/12/01 1:36 pm

「柚餅子」とか「ゆべし」と呼ぶ、クルミなどの入ったモチモチした甘いお菓子は各地にありますが、柚子の中身をくり抜いて、そこに様々な物を調合した味噌を詰めて作る、塩辛いお酒の肴になる柚餅子は珍しいものです。

しかも、ここ吊り橋で知られる奈良県十津川村谷瀬では呼び方も昔から「ゆうべし」と呼びます。蒸した後、2カ月干してようやく出来上がる伝統の味。その作業にお邪魔しました。


調べてみると、お菓子のゆべしは柚子のとれない地方に多く、塩辛い酒の肴・珍味タイプのゆべしは柚子がとれる地方の山間部で数か所作られているようです。

江戸時代の本にその製法が残り、はるか昔の源平の時代からあったものとされます。修験道の行者が携帯した保存食ともいわれます。

和歌山県田辺市龍神村、愛媛県松山市、長野県天龍村、岐阜県恵那市そして奈良県十津川村で作られ、十津川村の中でも数カ所の集落で作られて、それぞれ味が違います。



村内のゆべしの中では、谷瀬集落の物が一番お酒向きのように私は思うのですが・・・。谷瀬では、柚子のことを「ゆう」とも呼びます。そのため、ゆべしではなく、「ゆうべし」と呼ぶのではないでしょうか?なんだかとってもやさしい響きです。

今、暮らすお年寄りが子供の頃から家で作ってきたそうですが、昭和40年頃からここの未亡人会の方々が“お小遣い稼ぎ”に始めたのが、今の谷瀬名物「ゆうべし」の起こりとなります。さあ、作業の様子を追いかけましょう!



山里に香る、柚子。年に一回、柚子が実った時期に、谷瀬集落の人たちは3日間、柚子の香に包まれて作業をします。先日の作業は11月25・26・27日でした。朝の8時から夕方まで、お弁当持参で10数人が集まります。作業によっては残業?までして。手作業のなかなか根気のいる仕事です。

まずは大きさや出来具合で、柚子を選別する。それから一斉に、柚子上側、ヘタの周りを直径5センチくらい丸く切れ目を入れ、それを蓋のようにはずし、中の身をすっかりくり抜きだします。

かんきつ類といえば、中の身を食べて皮は捨てるのですが、ここでは反対。ゆずの皮がそっくり器に、いわゆる柚子釜ができます。ここに味噌を詰め、最終的には柚子の皮も味噌も一体化して、もっちりした珍味となるわけです。


味噌には、そば粉、米粉、シイタケ粉、鰹節子、胡麻、落花生、一味唐辛子、酒と秘伝?のレシピによりさまざまのものが調合されます。昔はすり鉢で混ぜていたのでしょう。今はここだけ簡単な機械が活躍です。

柚子の器にこの味噌を詰めます。皮との間に隙間ができないように、スプーンで力を入れて丁寧に。あとは8分目くらいまで詰めて蓋をします。この時詰めすぎないのがコツ。


そば粉などが膨れて、蓋を押し上げておばちゃんたち曰く「ろくろっ首になちまう」のだとか。また、皮に傷がついたり、柔らかい柚子だと破裂して「切腹になっちまう」のだそうです。

蓋も大事。切り取ったその柚子の蓋でないと、ピタリとは合いません。「こうして私は蓋を手に持ちながら、味噌を詰めるの。なくさないようにね」なるほど!

味噌が詰まると、次々と蒸していきます。15分くらいでいいのかと思っていたら、なんと3時間も、高温で蒸し上げていきます。中まで火が通らないとカビがくるそうです。


これを冷まします。3時間も蒸された柚子はクタクタですが、冷めるとだんだん固くなっていきます。この時形を整えます。「切腹があったよ〜、外科医さん手術して〜」おばちゃんたちの会話はとことん楽しい。





それをネットに入れて、集落の上の方。気温が低く、風の通る干場に吊るします。約2カ月間。時間と風が味を育み、お酒の進む、忘れられない旨みが出来上がるわけです。

「ゆうべし」作業は美味しいものを作る作業ではありますが、実はみんなのつながりをつくる時間のように思えました。

手を動かしながら、絶え間なく続くおしゃべり、冗談、笑い。都会にはない、仲間の輪があったかです。

一人暮らしのおばあちゃん曰く。「うちにいるよりここに来た方がいい。楽しいからね。疲れるけど、うちに戻ってから思い出し笑いまでする」

沢山の笑い声に包まれて、谷瀬の美しい風景をながめながら出来上がる「ゆうべし」は美味しいはずです。














※おばちゃんたちは写真嫌い、あえて手元の写真だけにします。手ぬぐいをかぶり、笑っているおばちゃんは私、野口です。

※写真のお皿は去年の「ゆうべし」、チーズとあわせてもおいしいです。

このエントリーの情報

スローライフ運動 空き家考 2014/10/20 3:02 pm

地方の人口を増やすために、各自治体は空き家バンクを設け移住者獲得に必死です。役場は空き家の不動産屋化し、あらゆる手段で都市の人を呼び込もうとしています。

でも、この空き家の扱いは、都市部の賃貸物件のように簡単には行きません。「仏壇があって年に数回墓参りに戻るから貸したくない」「シャワートイレでなければ借りたくない」などなど。双方、ここは少し譲ってと思うのですが・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

遥か昔、20歳代後半に静岡市の山側、市街地から車で1時間ほど入ったところの空き家に住んだことがありました。
そんな昔ですから、「田舎の空き家に住みたがる変な人?」という目で見られながら、夫婦でそれなりの田舎暮らしを楽しんだものです。
夫は念願だったシェパード犬を飼い、私は小さな畑をやる。千葉の実家から両親なども遊びに来て、タケノコを掘ったり、河原で遊んだり。
良い数年間でした。

では何でそこからまた引っ越したの?という疑問が湧くでしょう。
理由は山ほどですが、ある日うちの犬が他の家の犬に怪我をさせたのがきっかけです。

それまでご近所付き合いなどしていたらよかったのですが、全くしないよそ者でしたから、いざトラブルがあった時に
人間関係がうまく処理できなかったのです。

よそ者としてどんなにひどかったというと・・・。
まず、「田舎の空いてる家で、安ければどこでもよかった」ので、ドライブがてら行った先で、たまたま見つけた空き家を借りた。
これは、ラッキーにも大家さんが少し離れたところに新築し、以前の家が空いていた、という場所でした。「この家空いてる?持ち主ご存知ですか?」
という軽いノリで借りたわけです。

大家さんも、貸すのは初めて。よそ者に貸し出すルールなど当時はその集落も大家さんも備えていません。
「変わった若い夫婦が来てくれたよ」くらいで、地元の方は歓迎してくれたのでしょう。

しかし、そこに夜は帰るものの、朝出たら、戻るのは夜遅く。犬も寂しがるだけ。畑は草だらけ。
パソコンなどない頃ですから、在宅勤務などありえずに、編集の仕事に出かけていました。

泊りの出張もある、犬は訓練所に預けられても、回覧板はうちで止まってしまう。
集落で不幸があって、大家さんが知らせに来ても、居ない。もちろん携帯電話などない時代です。
お葬式にも出ない。

簡易水道のため、水源の落ち葉などを掃除する当番があったのですが、それすら出たことがない。
大家さん任せで、しらんぷり。近所といっても相当離れているので、会話はまずなし。

トイレの汲み取りの車がきても、これまた大家さん任せ。それでいて大家さんが時々届けてくれる
野菜などは喜んでもらう。

ああ、ここまで書いてひどすぎます!と怒りたくなる「田舎暮らしつまみ食い」だったわけです。
まあ、かなり昔の若者の非常識といえばそうなのですが、実は、これと同じようなことは今でもあるわけです。

貸す側に、ルールができていない。
その土地の相場家賃がそもそもないでしょうし、契約書などもない。
貸してもいいという家に、古い家具や仏壇がそのままあるけど、どうしようということも多い。
自分たちは平気だったトイレやふろ場を、都会の人は不潔という。それなら貸さない。馬鹿にされたみたい。
なんて風になっていきます。

借りる側に、田舎の暮らしの常識への理解がない。
田舎の人は、みんな一体で集落を維持しているのですが、都会と同じ感覚で移った側は快適な自分たちだけのマンション暮らしと
おなじ感覚で暮らそうとする。プライバシーだの、価値観だの、理屈をこねてお祭りや葬式の下働きなど絶対にしない。
今なら、よそ者はなんでもパソコンを使って、調べ、話し、むらの人と汗はかかない、ということになるでしょう。

どれもこれも、いきなり「空き家」だからと、人が移り住むそのことに問題があるわけです。
田舎の人と、都市の住民と、同じ顔をしていても、違う生き物だ、というくらいの違いを意識してかからないと、
移住が決まってからぎくしゃくします。

「ここの湧き水はうまいよ」という地元の人と、それまで「飲み水は通販のペットボトル入りで暮らしてきました」という都市人は、
違う生き物なのです。

だから最近思うのは、「いきなり」でなく、「お稽古」から始めることの重要性。
人口増加に焦る自治体も、「お稽古」にもっと力を注ぐべきでしょう。

空き家利用の交流イベントなどはそのケース。次にはお試し住みができる「空き家ステイ」の施設整備とシステム、これも始めている所がおおいですね。
続いて、1年位の長い間の、お試し。これは空き家でなくとも、その土地になじめるかというお試しです。仕事探しや仕事起こしも兼ねて。
そして、地元民も、よそ者も、なんとなくいいかなという風に思えたら移住になっていく。これが理想ですね。

空き家は地方だけでなく、東京にもザクザクあります。日本中が空き家だらけになって行っている、その中で、地方の空き家を選んでもらう、
地方にの仲間に入れてもらうためには、空き家との付き合いの濃淡のコーディネートから始めましょう。と思うのですが。

このエントリーの情報

ページナビゲーション

(1) 2 3 »

最新ブログエントリ

靖国神社で(2017/08/21)
水鉄砲(2017/08/11)
お店をやりたい(2017/08/06)
高校生頑張る(2017/07/31)
桃づくし(2017/07/23)
たたら文化(2017/07/17)
少しずつの変化(2017/07/10)
看板あれこれ(2017/07/03)
野口式自動水やり器(2017/06/24)
蛍もとめて(2017/06/19)
ホームへ

最近のブログのコメント

ブログ カレンダー

« « 2017 8月 » »
30 31 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2

写真でみるゆとりある記

けやき坂イルミネーション2011
青森まちあるき
中辺路・近露
青山ファーマーズ・マーケット

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。