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スローライフ運動 篠山で知ったこと 2019/03/25 1:33 pm

丹波篠山フォーラムで市民の方々と語り合う、グループトークがありました。その中でいろいろ学びました。

「篠山は日本三大狩猟地のひとつ」「黒豆はいまや黒枝豆として集客の目玉」「丹波焼では料理プラス器を提案中」「デカンショセレクションとして、優れたもの、ことを推奨」

10人くらいが集まると多様な話が出ます。小さな話し合いが大事、ということを実感で知りました。
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このグループトークは同時進行で3つのテーマで行われました。「みどり」「ひかり」「みのり」。私が参加したのは「みのり」、農産物や逸品作りなどの話の場。もちろん話はどんどん広がったのでした。

まずは篠山のいいところを話します。市役所の女性が進行をしてくれます。ここに書ききれないほどのことが出ました。
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<篠山のいいところ>

・ちょうどいい阪神間にある。距離感がいい1時間で来れる行けるがいい。
・1時間で都会と全く違う風土がある。
・都市部の大学とコラボしやすい。
・ネズミの物語『篠山本鼠草紙』が暖かみがあっていい。
・天気のいい日の犬の散歩が好き。
・夕日がきれい。
・人間サイズ、歩けるところがたくさんある。
・古いと新しいが上手に同居している。
・デカンショという皆がひとつになれる歌がある。
・食べ物そのものが、何か工夫しなくてもそれだけで単純に美味しい。
・霧があり、寒暖の差があり、水がきれいで、いい土だから。
・黒豆、山の芋、牡丹鍋、箱寿司、さば寿司、美味しいものがある。
・先祖から黒豆という大特産物を引き継いだ。昭和の終わりころから黒枝豆として人気に。全国に発送して親しまれている。さらに5年前に黒豆納豆を作った。今後は冷凍黒枝豆で世界へ。
・黒豆の皮にポリフェールが豊富、血液サラサラ、血管に良い。
・体にいいものばかりがある。
・植林していない雑木が多い。秋になると黄色になる。
・日本三大猟地のひとつ。山が自然なので猪がいいものを食べていて猪肉が美味しい。
・圃場が狭いので特産品が作りやすい。
・農家が豊か、家も大きい。改装すると使える広さ。
・丹波焼は日本六古窯のなかでも元気、若者が多い。「丹波スタイル」という新しい試みもしている。
・日本遺産に認定でお客も増えている。丹波は明らかに変わっている。
・農産物をいい器で食べるということができる。出来合いのおかずでも、器で違う。器をどう使うかも提案している。
・「丹波篠山デカンショセレクション」という認定の仕組みを民間で作って回している。物だけでなくコトや技術も。
・固有名詞で「○○さんの皿で、○○さんの猪肉を食べる」というこだわりをする。酒も地酒。丹波焼での乾杯が条例化されている。
・デカンショ祭りを成功させるために1年間動いている。
・10月の篠山は祭りだらけ。毎日どこかで祭り大小の祭りが。交流に繋がる。
・自治会や職業にとらわれていない集まりが結構ある
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休憩を挟んで、これからのことを考えました。またまたいろいろな意見が出ます。もちろん私もいろいろ話しました。

<こうなるといい、こうしたい>

・変えないこだわりがある。それも大事だが商店街復活は大きな目標。
・大正時代の味を変えない店がある一方、味をどんどん変えているところもある。それでいいと思う。
・都会でしんどかったら田んぼに来てぼーっとすれば気分爽快になるよと、若者に訴えたい。
・米は大きな田んぼでないと。どんどん機械をいれて農業しやすい環境にしたい。
・中山間地、条件不立地でももやって行かないと。山と畑の接点で活動する人を増やさないとならない。山の管理や狩猟、林業など。これ以上獣を増やさないようにしないと豊かさを維持できない。
・農業を守るために山を守る。伐採したところでグランピングしたり、山で茶会等。山に入って行けばいい。篠山は入れる。
・農業だけだとダメ、いろいろできるマルチプレイヤーを目指す。
・交流の中で、都会の人に例えば「苦労豆」と呼ばれるほどの黒豆づくりの大変さを知ってもらい、獣害から一緒に自分たちが守った黒豆という認識をしてほしい。特別な黒豆になるはず。そんな中で本当に美味しいという声を聞けば、農業者のモチベーションになる。
・田舎には人口が減った時、コンパクトになった時でもやっていけるノウハウがある。上水道がダメなら簡易水道、下水がダメなら合併浄化槽と。そんなアドバイスを都会にしてあげたい。
・鹿を解体しながらそれをスポーツトレーナーの研修に使った。筋のつき方などが具体的にわかる。狩人×?をいつも考えている。
・集いの強化が大事。人が話し合っていろいろなことを決めていく。そのためにもいろいろなカフェがあるといい
・発信するにも情報源がいる。こういう出会いの話し合いの場が必要。
・ブランドなどはあっという間に消える、そうならないように日々コツコツと積み重ねる努力が必要だ。
・昔の料理や味の伝承が必要。学校給食に篠山の味を出そう。
・あらゆることに子どもを混ぜていこう。
・100均ライフから、100年ライフへ。篠山がそれを提唱しよう。
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要約してこのくらいですから、本当はもっと意見が出ています。つくづく思うのは、『みんなよく考えている、よくわかっている』ということです。

私は一応アドバイザーという役でしたが、こちらが勉強になりました。他の2つのグループも内容濃い話し合いだった思います。

私たちのようなよそ者が来ることで、話し合う機会ができるならば、「丹波篠山スローライフトーク」なんて集まりを、定期的にやったらどうでしょう。毎月の美味しいものがあれば、よそ者は話し合いに飛んできます。

フォーラムのパネルトークはどうしても大きな話になりがちです。グループトークの市民の皆さんによる、手の届く具体的なこういう話が、私にとっては重たいみのりある場に思えました。

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スローライフ運動 雲部のもてなし 2019/03/11 5:49 pm

地域の味で集う「夜なべ談義」は、わがスローライフ・フォーラムの名物です。

今回の篠山市雲部「里山工房くもべ」のお料理には皆が感激でした。

焼き豆腐、なます、押し寿司、ぬた、白和え、などなど。献立は素朴ですが、身体に良いものを、手間をかけて料理している。

都市部はもちろん、田舎でもこういう味は消えつつあります。雲部の人の心意気が、篠山市の印象を高めてくれました。

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毎回この「夜なべ談義」をこしらえるのには苦労します。地元の味でお願いしたい、他所からの何か持ち込みもあるかもしれない、安上がりに。普通の旅館やホテルでは面倒で断られます。

でも、何処の土地でも同じような、お刺身、天ぷら、ミニステーキに頼るような宿料理で交流などしたくありません。


たいていの場合、板前さんが柔軟な発想や技がなく、「出来ない」の一言で終わります。

というなかで、「里山工房くもべ」は「了解!」、即答でした。「とことん地元の味を作りましょう」と。全国各地から篠山市に集まる、ある意味“観光慣れ”している人たちが、何を喜ぶのかお判りなのでした。


廃校になった小学校ですから、ハードは宴会用にはできていません。一階に、ランチ中心のレストランはある。でも、きっと80人近い人たちのパーティーは初めてだったかも。

下見に行ったとき、ここの責任者・今井さんの笑顔と自信に惚れて、お願いしました。



うかがう3日前にはこんなメールが届きました。

「3月9日丹波篠山雲部へ御出でくださる皆々様方へ 丹波篠山雲部 里山工房くもべの今井でございます。いよいよ3月9日スローライフ学会前夜祭(夜なべ談義)が迫ってきました。 今、丹波篠山は、紅梅、白梅咲きそろい、野には土筆や蕗の薹が我先に土中から顔出しています。また、山野辺には藪椿が咲き、まさしく春到来を感じさせます。さて、当日、皆様ご賞味いただく献立も決まりました。今日は徳利、盃、手塩皿類、料理を盛る鉢類も準備できました。明日からは黒豆を煮たり、蕗の薹を収穫したり、鹿肉を調理したり、大根、白菜などなどの野菜も収穫をして水洗いをするなど、皆様を心からおもてなししたく、喜心、老心、大心の心構えで、里山工房くもべのスタッフ一同取り組んでおります。どうか心安く弥生の夜を丹波篠山雲部でお過ごしください。重ねて心よりお待ち申し上げております。合同会社里山工房くもべ 代表社員 今井進拝」

このメールを読んで胸が熱くなりました。食事に行く予定のところから、こんなに温かなお手紙をいただいたことはありません。

このお手紙をスローライフ学会参加者、皆が読んで、いざ、篠山市雲部へ、となったのです。「篠山はなんていところなんだろう」と、行く前から誰もが思ったことでしょう。



前日、チラリと様子を見にうかがうと、私よりずっと先輩の皆様が、机椅子を運んだり、棚に布をかけたり。食器は昔ながらのものが集められています。紙コップ・紙皿などの出番はありません。頭が下がりました。






そして当日、ずらりと並んだお料理が凄かった。最初に目を引いたのは錦糸卵が春らしい「黒豆寿司」、名産の黒豆が炊き込まれたご飯の押しずしです。「さばずし」もピカピカ。昔は魚がここまで届かない、鯖は貴重だったのです。





なますを豆腐であえるここ独得の「豆腐なます」。一軒ある手作り豆腐屋さんの炭火で炙った焼き豆腐を煮たもの。「たいたん」という言葉にほっこりします。

名産の山の芋と栗を使った「きんとん」、「鹿肉の香味揚げ」「ネギのぬた」「菜の花の辛し和え」等々、有名な「牡丹鍋」も野菜一杯で湯気を上げていました。

これらをどのように出すのか、これが雲部の知恵の見せどころでした。大きな部屋はないけれど、学校なので廊下はあります。廊下を活かしたバイキング方式になりました。





理科室で作った猪鍋を、廊下の窓から顔を出していただくというバイキングも。これもアイディアですね。廃校が、この日は見事に生き返った感じです。

おもしろい趣向で、取り皿にいただいてくる、様々な田舎料理。その味に、会場が狭いなんて文句は出てきません。皆ご機嫌で、次々にスピーチをしたり、お土産物を配ったり。

テーブルの上のお皿には、好みのいろいろな料理が並びます。料理を挟んで地元の人と、他所の人が語る語る。そして料理を取りに行ったら、座る場所を変えてまた話す。




「あ、それまだ私食べていない」「昔はこういう料理はお葬式や法事なんかでよく作ったの、今はなかなかね」「こんな焼き豆腐食べたことないです」「バーナーで焼いてるのとちがうよ」「猪って柔らかい、美味しい」「味噌味が独得でしょ。スープがおいしいよ」「地酒も地ビールもいけますね」「油揚げはこういう風に甘く煮なくちゃね」「黒豆納豆の天ぷら、食べてごらんうまいよ」

途中で今井さんが、料理を作ってくださった地元の女性たち、配膳係の助っ人たちなどを皆に紹介してくださいます。

マイクを持ってスピーチなどしない、女性たちですが、この料理がすべてを主張し、本質を語っていました。



米、黒豆、山の芋、野菜を育て、収穫し、どうすれば美味しく食べられるのか、代々伝えてきた、この地の人の文化・技に抱かれた思いです。

訪れた私たちも、地元の方々のご苦労が分かるので、握手や拍手、感謝の夜になりました。

もしこれが、普通のホテルの宴会場で、何処にでもある料理を囲んだら、こんな感動や交流はなかったでしょう。今回篠山を訪れた私たちの仲間が、「篠山よかったよ」と語る半分以上は、このおもてなしによるものと確信します。

ネオンや明るいビルの無い、真っ暗な里山雲部の夜。地元の人と、外からの人がそれぞれに輝いていました。

雲部で知った本当のスローフード、スローライフです。ありがとうございました。

※写真は一部、事務局スタッフの藤井頼暁さん撮影のものをお借りしました。

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スローライフ運動 丹波篠山黒豆づくし 2018/04/02 1:34 pm

兵庫県篠山市へ初めてうかがいました。ご存知のとおり、「黒豆」の産地です。

「黒豆の館」というところがあって、バイキングで黒豆料理が食べられます。甘煮はもちろん、黒豆コロッケ、黒豆巻き寿司、黒豆キッシュ、スイーツなど、一食でどれほど黒豆を食べたことか。

街なかには、黒豆専門の老舗がどっしりと店を構え、丹波焼の黒豆箸置きまで。特産というものがあるところはいいなあ〜。
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いろいろなパンフレットをひもどくと、ここで上質の黒豆ができるのは、標高200〜300mの盆地で、昼夜の温度差が大きく丹波霧と呼ばれる深い霧が立ち込め、粘土質の肥沃な土壌、清らかな水があるため、とあります。

ただ“苦労豆”といわれるほどに、収穫まで手間がかかるのだそうです。手間をかけて品質を維持しているともいえます。

はるか昔から黒大豆は作られてきたとのこと、昔は普通の大豆は味噌用、黒大豆は主に薬用とされていたそうです。

今でこそ、美味しいだけでなくポリフェノールなど身体にいいといわれる成分が注目されていますが、昔の人はちゃんと分かっていたのですね。

1600年代〜700年代の本などに、既に篠山の黒大豆は名産品として紹介されているそうです。

そしてこの地の殿様が大いに黒豆を気に入り、年貢を黒豆で収めさせていたそ。そしてその黒豆は遠く江戸まで献上されていて、諸国大名たちにその美味しさ広まって行ったのだとか。

で、他の土地の黒豆と何が違うか?まずは大きい、ふっくら炊ける、甘味がある、皮が柔らかいけれど破れない。上質のものには表面に白い粉がふく特色も。

普通の黒豆は70日位で収穫となりますが、ここのは100日かける。しかも機械をなるべく使わずに。名前も特別に「丹波黒」と呼ばれている、などなど。なんだかとにかくすごいのです。

もともと私は黒豆好きですから、篠山市を訪れたらまずは食べたい。そこで「黒豆の館」にまっしぐらでした。「笹山市地域活性化センター黒豆の館」が正式名。

まちなかからは離れているのですが、平日にも関わらず「田舎バイキング」という名の黒豆料理バイキングには、並ぶ人が居ます。

地元の野菜を使ったバイキングなど各地にあり当たり前ですが、やはり黒豆に特化すると人を呼びますね。身体にいいものを皆が食べたいのですから。

笑ってしまうくらい、黒豆が使われているのですが、私が一番美味しいと思ったのは「黒豆ごはん」大きな丹波黒がゴロゴロ入っている。黒豆ご飯は深い旨みがありました。

売店に売られていた「黒豆ごはんの素」を買ってくるべきだった、と今さら悔やまれますが・・・。もちろんお茶は黒豆茶。一緒に食べたクッキーはお土産にしました。


お城の近くには享保年間に創業の黒豆専門店「小田垣商店」が、のれんをゆったりと掲げています。暮れに、ここまでわざわざ丹波黒を求めにやってきて、大掃除の傍らコトコトと煮るなんて、そんな暮らしをしてみたい!





ふとみると、あらまあ〜黒豆の箸置き。丹波焼のある篠山市です、焼き物で黒豆ができてしまうのがおもしろい。各窯がそれぞれ作っているとのこと。

黒豆というモチーフを、各業種が上手く加工したり創作したり、もっといろいろあるのでしょうね。

黒豆バック、黒豆枕、黒豆のイヤリング、ネックレス、黒豆ダンス、黒豆Tシャツ、などなど。食べるだけではない黒豆の出番が沢山ありそうです。


どこどこといえば何々、という特産品があるのは強いですね。
そういう意味では今回もう一つの丹波篠山の顔、猪肉をきちんと食べられなかった。

遅すぎました。冬場は冷凍でない本当の猪肉が食べられる土地です。これまた悔しい。次の冬を待ちましょう待ちましょう。

今回はさらっとでしたが、さてこれから何回通いましょう。そのたびに、私はまた黒豆を何粒も食べて食べて、元気になっていくのです。



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スローライフ運動 出雲の國で味わった 2017/10/30 3:20 pm

打ち合わせや住民の方々との交流のために、何度も出雲の國にうかがってきましたがフォーラム本番となると、その味わいは格別のものに。

「夜なべ談義」では、たたら製鉄の歴史文化の産物といえる棚田の「仁多米」おむすび、蕎麦を中心に、煮しめやお豆腐など。ご馳走とともにホットな会話を味わいました。

ステージには斐伊川源流の山の樹々、花が。この味わいも秀逸なものでした。
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スローライフ・フォーラムの名物は「夜なべ談義」です。地元の人と、他所からの人が、地元の味を楽しみながら語り合う。

一見ただの宴会のように見えますが、まずは宴席に上座・下座もない。一応、皆が語りたい人については目立つところに座ってもらいますが、あとは混ぜこぜ。

そして、なるべく皆が交流できるように、楽なように、座敷で座布団ではなく、足腰が楽なテーブルとイス。今回も、会場に無理をいってそうしていただきました。

そして、テーブルには、エビの天ぷらやお刺身盛り合わせなどはナシ!今の時代、そんなものはご馳走ではない。この日の会場は出雲の國でも奥の奥、奥出雲町の「斐乃上荘」。



こういう場で、何処でも食べられる定番の“宿めし”が出たら、ガッカリですものね。

これは出雲市の特産の生姜。さわやかな辛さ、そしてきめが細かい。まずはこれをかじって乾杯。






私のお気にいりはこの「煮しめ」。山菜がたくさん入っている。これで飲むのがまた美味しい。

雲南市では、こうした煮しめの教室をやっているとか。観光客はもちろん、最近は地元のお母さんと娘さんとセットで学びに来る方もあるそうです。

確かに、「麻婆豆腐の素」や「カルボナーラパスタの素」などはスーパーにありますが、「お煮しめの素」などはない。手間と素材の良さがお煮しめの素なのでしょうから、よそ者はここに口を運んで味わうしかないですね。


ステージでは蕎麦打ちが始まりました。よくこういう会では、カラオケとか太鼓とかが歓迎の出し物として出てきますが、うるさいものはいりません。

だって、人々は語り合いたいのですから。そういう時に見せていただくのは蕎麦打ちの技がぴったりでした。



たたら製鉄のためには、広大な森林を炭にする必要がある。木を伐ったらすぐにはもとに戻らない。焼き畑にし、蕎麦を育てる。そんな出発の蕎麦が、やがて出雲の割り子蕎麦となっていく。

特に美味しい奥出雲の新そばを、目の前で打ってくださって。こんな贅沢な宴会芸はありません。蕎麦に人生をかけた方の話をうかがいながら、その技を学んでいる若者が一生懸命蕎麦を切る。「うまくなったよ」と師匠から声がかかると、若者は目を細めました。



そんな愛情と真剣さが繋ぎになった蕎麦です。尊い技を拝見させていただき、さらにそれをいただいたのでした。








神々が降り立つという船通山のある地です。神々しいほどのいい水が湧く。

その水で作った、お豆腐。Uターンした若者が、豆腐作りに決意をもって向かい合っています。

その豆腐を、夕日の名所、出雲市・日御碕近くの藻塩でいただく。この味わいは、もてなしの極みでしょう。外食産業のほとんどが冷凍やレトルトの解凍や電子レンジのチンで出す、それに慣れている舌には衝撃が走る清冽な味でした。

持ち込んだ各地の食材、料理を、地元の方が説明します。食べ物の話は、老若男女が関われる。

だから話が弾む、笑顔がこぼれる。そうして初めて同士が仲良くなり、地域おこしの話にも及んでいきます。





テーブルの上で、王様のような存在感で鎮座していたのは奥出雲町「仁多米」のおむすび。

砂鉄を採るために山を崩し、そのあとを棚田にしていった、その歴史が作ったブランド米です。






横にかしずくのは飯南町の「とんばら漬け」、福神漬けのようでそれとも違う、独特の歯ごたえと、甘辛過ぎない味付けが箸を呼び寄せます。








出雲市に住んでいても、なかなか食べられない!と白むすびをほおばる若者。


「うん、うまいです」







長崎県雲仙市、広島市、兵庫県淡路市、大阪市、奈良市、和歌山県海南市、静岡県掛川市、埼玉県越谷市、新潟市、東京と各地からスローライフ学会会員がやってきました。

これはフルーツ産地、和歌山県紀の川市の柿、参加者からの差し入れです。



そして、翌日の朝ご飯。これがまたすばらしかった。

もちろん仁多米のご飯。地元マイタケのお味噌汁。地元産ブランドキャベツのお浸し。地元豆腐の湯豆腐。地元の沢庵古漬け。






そして、地元の卵。地元の醤油屋さんの「卵かけ醤油」「椎茸醤油」が並びます。











誰かが食べながら話しています。「餌に着色料をいれて黄身を不自然に赤くしている卵が多いけど、ここのは自然の色だね」

「久しぶりに旨い卵かけご飯を食べたよ」あっちこっちでお替りをしています。もちろん私もご飯2膳お替りでした。

地元の牛乳も美味しかった〜。

いつもこの宿がこういう料理なのではありません。温泉宿に来たら、ずらりと揚げ物、お造り、煮物、焼き物、と定番の物ものが並ばなくては嫌な方もあるでしょう。

特に板前さんの世界でも、田舎の家で食べるような「おかず」は人に出すものではない、という考え方が強いものです。

ここは緩急自在、何を喜ぶ人なのかを見極めて料理を選べばいい。さらに、何を、どういう物を喜ぶ人に来てほしいのかもその土地が自らが見極めなくてはならないでしょう。

こういう地元の味をこんな風に喜ぶ人たちがいる、こんな交流ができる、そんな実験になったならフォーラムをやって、夜なべ談義をやって、良かったなあと私は思うわけです。

泊まったみんながバスに乗り込もうとしていたら、花を積んだ軽トラが。

これから出雲市まで行ってフォーラムのステージにお花を活けてくださるのです。

斐乃上荘の玄関にいつもある、迎え花が素朴で素敵で、是非これをステージにとお願いしたところ、願いが叶いました。



普段見ている近所の花、山の枝、秋の彩りが、「なんだか、こんなんでいいのかねえ〜」と言いながら活ける地元の女性の手によって、素晴らしいステージ花に仕立てられていきます。








花屋さんの花を注文すれば、実に簡単にお金で解決し、何処ででも同じような花がステージを飾ったでしょう。

でも、この日のフォーラムでは、斐伊川サミットにふさわしい川の上流、水源に近い山の樹々、花々が晴れやかに活けこまれました。

講演やパネリストの言葉を聞きながら、考えながら、ふと目をとめ仰ぎ見る、この日の花のすばらしさ。



いろいろな物を食べ、様々なところを見て、学んで、たくさんの人と語り合ったスローライフ・フォーラムin出雲の國。

このたたら文化の地で、ヘルシーで素朴な本物「たたらフード」を守り、育て、発信するプロジェクトを始めたいものです。

そして、全国から神様が集まるように、全国から食いしん坊でわきまえのあるスローライフ人が、集まる仕掛けを皆で考えていきましょう。

今回のフォーラムで出雲の濃い応援団が、ぐっと増えたのですから。

なんてことを考えながら、台風で遅れた飛行機をまちつつ、出雲発祥というぜんざいをすすったのでした。

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スローライフ運動 美しき出雲の國 2017/09/25 2:13 pm

出雲に足を運ぶ度、沢山の写真を撮ってきました。むろん素人のスナップです。

写真を撮りたくなる土地は“いい土地”といわれます。そういう意味では、出雲方面は素晴らしい。

飯南町では「大しめ縄」、雲南市では「こけら葺きの屋根」、奥出雲町では「ソロバン玉」、出雲市では瀬戸物を繋いだ「一式飾り」。

普通の観光地ではなかなか出会わない、いずれも美しいものばかりです。
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昨年も「出雲のかたち」というような内容で、出雲ならではのデザイン・形について書きました。
    ↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=365&date=201605

こういうことに気付くのは私だけではないはずです。



飯南町の「大しめなわ創作館」。出雲大社はじめ、全国の大しめ縄を作っています。

この入口に吊るされた見事なしめ縄。この美しい形。力強く、まろやかで、あったかな印象。世界に、このようなデザインがあるでしょうか。




うかがったときには、ドバイの個人のお庭に飾る予定の大しめ縄ができていました。

宗教や風土は違っても、この美しさはわかるのでしょうね。







雲南市、高殿と呼ばれる、たたら製鉄の炉がある高屋根の建物。栗の木のこけら葺きが几帳面に並び美しい。たたらの高殿は日本でここだけです。








用の美でしょう。高殿の中の土製のたたら製鉄の炉。左右から空気が送られる管が。

そして、地下5メートルまで、湿気を防ぐ構造が造られているそうです。見えるところも、見えない地下も、左右対称です。






奥出雲町の鉄穴(かんな)残丘からの眺めです。

砂鉄を採るために山や丘を削り、そのあとには棚田を整備した先人たち。削る際に残した墓地やご神木のあるところは小さな丘になって残ります。

上ってみれば回り一面棚田。米作りの美しい光景が広がっていました。

奥出雲はソロバンの産地です。たたら製鉄での商売でソロバンが必要だったとか、製造技術は広島から伝わったとか、いろいろな話が残ります。

それにしても、木をくりぬいて造るソロバン玉のきれいなこと。






とにかく面白い。瀬戸物を針金で繋いで、これはヤマタノオロチを作っている、市役所に展示のもの。



以前このブログを書きました。今は出雲市の「平田の一式飾り」の話。なぜ一式というかはブログを読んでいただいて。
    ↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=368&date=201606




瀬戸物に穴を開けずに、元に戻せるというのがルール。再利用の美でしょうか。










出雲市は夕日の聖地といわれます。その夕日ポイントの一つ「稲佐の浜」に行くと、夕日を見に来た人が一杯。

その中で、気になったのがこのカップル。背中の夕日を入れて自撮りしているのですが、その向こうに、夕日で金色に輝く窓の家がある。童話にそんな話があったこと思い出します。

神様がここからやってくるという稲佐の浜の夕日、そう思うと特別な夕日に思えてきます。友達と戯れながら眺めた夕日の美しさを、彼女たちは忘れないでしょう。

大自然やテーマパークでもない、出雲の國のいろいろ。こういう美しさを愛でるには、ゆっくり何度も行かなくてはなりません。

その下見のつもりで、10月28日・29日の「スローライフ・フォーラムin出雲の國」へお越しください。



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スローライフ運動 奥出雲で燻されて 2017/09/17 4:24 pm

島根県奥出雲町にある「囲炉裏サロン“田楽荘(だらくそう)”」を訪ねました。

移住した白山洋光さん・里香さんがお住まいの250年前の古民家。農作業や民泊体験ができます。

天井は煤で真黒、栗の木が燃える囲炉裏端は煙いのですが炎を見ながらだと話が弾み、安らいで時間がたつのを忘れます。

体中が煙臭くなりましたが、“燻される”ことは、“癒される”ことなのではと思えました。

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お二人は関東で出会い、13年前、今のように移住ブームになる前に、奥出雲に来ました。お二人いわく「気にいって勝手に来た」のだそうです。

今でこそ、移住者募集で行政が手厚く応援している仕組みがありますが、それよりもずっと前です。

外食産業にいらした洋光さん(45歳)は、「食べるもとは、作るからやらないと」と思い、だんだん無農薬の農業や自然を大切にする暮らしなどに目覚めていったそうです。

里香さん(44歳)は松江出身、外国の子どもたちに日本語を教えることを目指して大学から東京へ。

2人とも、満員電車に揺られてクタクタになる暮らしが嫌になり「何処に身を置いて、どう暮らすか」を真剣に考え、奥出雲にたどり着いたとのことです。

道路からの入り口は、藤のツルが絡まって、緑の門のような、トンネル状になっています。

どんな背広姿のおじさんも、ここをくぐれば子どものように瞳が光り出す。そんな、ファストライフからスローライフへ至るトンネルのような印象です。




白山さんたちが住む前は、おばあちゃんが一人で暮らしていたとか。快適に直せばできるのでしょうが、あえて昔のままの壁、雰囲気を残しています。

「遠くにいるここの身内の人たちが、またここに住みたくなったらお渡しする、それまでこの家のお守りをするつもり」なのだそうです。



土間も昔のままで、ピカピカ。土に雲母が混ざっていて、光線によって光ります。

贅沢な入り口、入った途端に煙の匂いがしました。なつかしいと思うのは、ある年代以上の人でしょう。私はなつかしい。

家に囲炉裏こそなかったですが、お風呂を薪で沸かしていた。あの匂いです。

広い座敷。昔はここで、お客様を迎え、お葬式も結婚も、法事もやって来たはずです。

今は、田舎を体験したい人たちが泊まる。5人が限度。完全予約制で2食を一緒に作って、泊まって、体験料は一人8,800円です。

夏にはここに麻の蚊帳が吊られる。ああ〜その時来たいなあ〜。

冬は家ごと雪に包まれることもあるとか。その方が温かい。雪のない冬は、家の中で零下15度にもなるそうです。

そもそもここの名前の「田楽荘」は、出雲弁で馬鹿者という意味の言葉「だらくそ」から。白山さんのジョーク。

里香さんから「奥へどうぞ」と促されて、囲炉裏端へ。






暗い!都市の普通の家の照明になれていると、ここはかなり暗い。もちろん電気は通じていますが、あえてピカピカに明るくしないのがお二人の方針とか。

そのうち目が慣れてきました。確かにこの古い家には、このくらいの明るさが似合っています。

それに薄暗いと緊張がほぐれるというか、リラックスできるというか。化粧直ししていないことも、疲れた顔のことも、自分で恥ずかしくない、気にならなくなります。


囲炉裏端で「まこも茶」と「キンカントマト」「藻塩」が出ました。

この在来種のトマトの美味しいこと。白山さんはこういう物にこだわって農作しています。出雲市の夕日の名所・日御碕あたりで作られる本物の塩の、これまた美味しいこと。この塩で日本酒が飲めるなあ〜。

「まこも茶」は穏やかな味がして、何杯も。飲めば飲むほど善人になるように思えます。この地の名水で淹れているからでしょうか。

白山さんはとめどもなく語ります。奥出雲について地元の人よりも知っている感じ。おそらくよそ者の方が、いろいろに興味を持って探求するからでしょう。

それだけでなく、白山さん夫妻の言葉の端々に、土地の人への尊敬の気持ちが感じられます。おじいちゃんやおばあちゃんが守ってきたこと、繰り返してきたことの尊さを、他所から来たからなおさら分かる。それを地元の人にも気づいてほしい。お二人とも力説はしませんが、普段の暮らしのなかで、それを示しているように思えました。

囲炉裏の横のコンテナには青い渋柿が。里香さんが柿渋をとるための作業中です。










ミキサーにかけて樽に詰め、3年ぐらい置くと渋が取れるとか。この渋と囲炉裏の煤を混ぜて木を磨くと長持ちして、艶も出るそうです。









「柿渋は二日酔いにもいいんです」と白山さん。お二人には、誰も相手にしない青渋柿も宝なのです。









お二人は奥出雲でお仲間と綿の栽培も。その綿が5パーセント含まれた、ピュアコットンのタオルも販売されています。

お母さんに抱かれているような安心感ある肌触り。普段使っているタオルは何だったのだろう?と考えてしまいます。




台所のカウンターに小さな粒の梅干しが瓶に詰まっていました。手間を考えると、私にはできません!

「植物や野菜が大好きなんです。苦にならないんです」と里香さん。カボチャにもピーマンにもその愛情が注がれています。

ガスは使わない。囲炉裏の火でご飯を炊き、味噌汁を作り、お茶を煮だす。人が多い時は、囲炉裏にいくつも火をおこす。「慣れれば大変じゃないですよ」と。

囲炉裏端でお二人は火の番をしながら寝るそうです。煙は家を守り、虫を寄せ付けない。衣服に煙の匂いが付くと、その匂いで猪やクマなどが人のテリトリーと判断して襲ってこない。お二人からいろいろなことを教わりました。

「人が囲炉裏を囲むようなところを作りたかった」という白山さん。その意味が分かったように思います。

奥出雲で、すっかり燻されて、癒されて、東京に持ち帰ったタオルからは煙の匂いがしました。

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スローライフ運動 出雲そば 2017/09/04 1:35 pm

10月28・29日の「スローライフ・フォーラムin出雲の國」の準備で、何度もうかがうたびに出雲そばを食べています。

殻ごと挽いた強く香るそばが、小さな器三段に納まった「割り子そば」は有名。

先日はもう一種「釜揚げそば」も。そば湯と一緒に盛られたそばに、出汁をかけて食べる温かい食べ方はこれからの季節にぴったり。そばにも地域色がある・・・うれしい限りです。
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出雲の國・斐伊川サミット10周年記念のフォーラムです。出雲市・雲南市・奥出雲町・飯南町が対象エリア。斐伊川(ひいかわ)はその昔は氾濫を繰り返し、神話に出てくるヤマタノオロチはこの川のことではないかという説もあるほどです。

以前にも書きましたがこのエリアは、中国地方の製鉄の中心。江戸時代には日本の鉄の7〜8割はここで造られていたとか。

砂鉄の含まれた山を削り、土を川に流し、その間に砂鉄だけを取り出しやり方。多量の土が流された斐伊川はいつしか土地より川底の高い、天井川になったそうです。

砂鉄はこのような「たたら場」に運ばれ、多量の炭の中で溶かされ、鋼になりました。

火力を上げるために、風を送るふいごのことを「たたら」といいます。雲南市菅谷にある高い天井を持つ高殿方式のたたら場では、はるか昔は人が踏んだたたらが、水力に置き換えられ、真ん中の窯に、左右からたくさんの竹の管を通って風が届く仕組みになっていました。

いつしかたたらを使った製鉄を「たたら製鉄」といい、作業やその土地までも「たたら」と呼ぶようになったようです。

たたら製鉄に砂鉄の次に大事なのは炭。たたら場を造るための地下工事にも湿気をとるために炭が敷かれたり、燃やされたり。

そして、ひとたび火がつけば4日間高熱の炎を確保するためにおびただしい量の炭が必要だったとか。たたら製鉄は、周囲の山々の木々をすべて炭にするほどの一大産業だったわけです。

もちろん森を再生しながらの作業なのですが、すぐには森は戻らない。まずは木を伐った後は、焼き畑にしてそばを植えたのだそうです。

ああ、やっとそばの話になりました。つまりは、出雲のそばはたたら製鉄産業の副産物でもあったわけです。

食べる文化はどこから入ったか?松江に信州松本から松平直政が藩主としてやってきたときに、そば打ち職人をそば処信州から連れてきたのだそうです。

それが“楽しむ出雲そば文化”の出発でしょう。外でお弁当代わりにそばを楽しんだので、四角い箱・割り子を何段も重ねて、そこにそばを入れて持って行ったようです。

それが、近代になって、四角い割り子は四隅が洗えず不衛生と、丸型の割り子になったいうお話が。形はどの店も丸とはいえ、木目を活かしたもの、朱塗りのもの、黒いものなどいろいろです。

普通3段ですが、出雲市役所近くのお店でいただいたときは、ほかのお料理も山と食べたので2段でした。

そばの殻ごと粉にするので出雲のおそばは黒い。更科そばとは違う、素朴で力強い表情です。

店主は「新そばが出る前の、今が一番悪い時。しかも今日は極端に暑い、いいそばが打てなくて・・」とおっしゃいます。「食べるほうは素人ですから、お気になさらず」などと言いながらいただくと、やはりさすがそば処、おいしいです。

ワサビは使わず紅葉おろしが出雲流。薬味を載せて、出汁をかけて。いただいた後の残りの出汁は、次の一段にまたかける。というのがお作法。

このおそばと一緒にいただく地酒のおいしいこと。そばには日本酒が合いますね。

実はここのご主人、元は市役所職員。そばが好きで好きでおそば屋さんになってしまった方でした。だから解説やおもてなしのツボも外しません。出雲のためにという姿勢が、満ち溢れています。




「割り子」に感動していると、こういうのもあるともう一つの名物が出てきました。「はいります?」とご主人。「はいります、はいります」と私。

「釜揚げ」と言うそうです。私の知る限りの釜揚げはうどん。茹でられたうどんが、桶の中のお湯にゆらゆらとあり、それをすくって出汁に浸けて食べるものです。

そういう感じかと思ったら、違う。茹でたそばがそば湯ごと器に。そば湯にまどろみながら?出てくる。そば湯ですからなんだかトロリとしている。

ここに薬味をのせて、出汁をかけていただくのです。ツルツルではなく、ズズッ、ズズッ、と重くすする食べ方。スープで食べるスパゲティに近いものがあります。

江戸っ子には嫌う方もあるでしょう。私はもともと、そば湯好きですし、ポタージュなども好き。冬はこれがいいなあ〜。

翌日、訪れた飯南町。頓原(とんばら)というここにも、もちろん知る人ぞ知るそば屋さんがありました。「一福」というお店。生そばも売っていて、持ち帰れるし、送れるし。

昨夜、出雲そばの代表的二つの顔をいただいたので、ここでは海藻・アカモク入りの温かいおそばにしました。頓原漬けという福神漬け風のお漬物が、そばの間のいいアクセントでした。

時間があればそば打ちの様子をゆっくりと拝見していたかったのですが。残念。もしもこのお店が東京にあったなら、もっとおすまししていて値段は倍以上でしょうね。

奥出雲町、こここそがまた幻のそばが作られているというところ。おそば屋さんもたくさんあります。出雲大社前のように観光客がにぎわう土地ならともかく、一見、本当に田舎の小さな町にこれだけのおそば屋さんがあり、栄えていることに驚きました。

地元の方に聞くと、たいてい家には「割り子」の容器はあるとか。でも家では打たないで、最近は皆そば屋さんに食べに来たり、注文したりだそうです。

さっきお昼のおそばを食べてばかりだったのですが、やはりここでも食べたい。ベーシックな割り子を頼みましたが、スルスルっと入ってしまいます。うまい。とにかくうまい。

身体中が出雲のそばで清められたような気持ちで、東京に戻ってきました。この満腹・満足も、出雲のたたら文化といえるのでしょう。

ああ、このブログを書いていて思い出しちゃいました。おそば食べたいな〜〜〜。

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スローライフ運動 たたら文化 2017/07/17 11:38 am

「たたら」とは、炉に空気を送る「ふいご」のこと。たたらで炭を燃やし、砂鉄を溶かし鉄を造ることを「たたら製鉄」と呼びます。転じてその製鉄作業や場所など、全体を「たたら」と呼びます。

先日、出雲方面を訪ね、たたらが人の暮らしに広く関わっていることを知りました。砂鉄を採った跡は棚田に、炭のために山を整備、海運も盛んに、と。たたらは文化の源だったのです。

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小さい頃、セルロイドの下敷きに砂をのせ、下から磁石を動かすと、微量の砂鉄が動き、おもしろかったものです。

そんなふうに、土には砂鉄が含まれてはいるのですが、中国地方、島根県・鳥取県などの土には砂鉄が特に多く含まれていて、昔から鉄づくりが盛んでした。

鉄鉱石の少ない日本は、鉄を造るとなると砂鉄からという歴史が長かったようです。『出雲国風土記』(733年)にはすでに「鉄あり」の言葉が出てくるとのこと。それ以前から鉄づくりは始まっていたのでしょう。

5月末に奥出雲地方を訪ねた日、雨あがりの道に黒い砂鉄が浮き出して見えていました。かつて鉄師頭取として栄えた絲原家、奥出雲町の「絲原記念館」の道だからというわけでもないでしょう。いまでもここでは砂鉄が身近なのです。



山を削り、土を水路に流すと、砂鉄が重くて底にたまる。そうして採った砂鉄がこの土地の原点だったのです。何も知らずに出かけた旅でした。








砂鉄を溶かすのが、「高殿」と呼ばれる作業場。ここは雲南市吉田町「菅谷たたら」、栗材でのこけら葺き屋根が美しい。最近修復が終わったばかりです。







なかには鉄づくりの神様「金屋子神」が祀ってあり、炎が上がるため天井が高い。昔にしては巨大な建物です。

中央に多量の土を積んで作った釜が据えられていますが、実はこの下床の深い部分の基礎から、保温や湿気への配慮の有る特別な構造がなされているそうです。




釜にはいくつもの送風用の穴があけられ、竹がパイプのようにつけられて、「天秤ふいご」からの風が送られました。映画『もののけ姫』を思い出します。








雲南市吉田町「鉄の歴史博物館」に展示されていた「和鋼」。砂鉄の不純物は土とともに溶け出し、燃える炭による化学反応で純度の高い鋼ができるのだそうです。







同博物館の展示。ここでは実際のたたら製鉄の記録映画が見られます。炎と戦いながらの、厳かな作業。何でも機械化され、IT化された今の暮らしに何かを訴えるような作品でした。






「菅谷たたら」での解説に使われていた図。「ふいご」を踏む人を「番子」と呼び、重労働なので交代制で踏んでいたとか。

ここから“かわりばんこ”という言葉が生まれているとのことでした。たたら製鉄の世界からいろいろな言葉も生まれているようです。




鉄師頭取は、藩が認める公の鉄産業総合プロデューサー。たたら製鉄全般を仕切り、鉄による富を得るだけでなく、その地域の人々の暮らしまで目配りをしていたそうです。

鉄師の家には藩主が訪れたり、学者や文人、画家なども。産、学、官の要であり交流の拠点でもあったのでしょう。

この庭は奥出雲町桜井家の庭園。たたら製鉄の栄えた数百年の間、ここはある意味、日本の鉄の頂点にあり、最高の文化が輝いていたのです。



砂鉄の含まれた山を削り崩すことを「鉄穴(かんな)削り」とか「鉄穴流し」とかいいます。山を切り崩す途中、お墓があったり、ご神木などがあると削らずに残す。するとそこだけは丘が残る。これを「鉄穴残丘」と呼ぶ。

こんな景色は初めて見ました。田んぼの中にラクダのこぶのように小さな丘がある。それが棚田の水面に映りこんで、綺麗です。ひとつの特殊な産業がつくりあげた景観ですね。


奥出雲の人が自慢する「仁多米」。鉄穴流しで出た多量の土砂で整備されていった棚田の実り。製鉄がダメになっても、棚田は残り、素晴らしい景観と、美味しい米でここの生活を支えています。

肥料には仁多牛糞が使われています。この牛も、鉄の運搬や棚田の耕作に欠かせないもの、たたら製鉄のもたらした名牛なのでした。




たたらに使う大量の炭のために、森林は整備され木に不自由しないように手入れがされていました。さらに、木を伐った後は焼かれ、蕎麦も作られたそうです。






鉄は、山道を運ばれ川を下り、また安来港から北前船で大阪や東北まで運ばれました。鉄が欲しい、鉄を運ぼう、のエネルギーが鉄の道を開拓していったのでしょう。

斐伊川は周りの土地よりも川底が高いとのこと。鉄穴流しででた多量の土砂によるものです。斐伊川は下流に大きな平野を作り、これまた肥沃な土地を作り上げています。

にわか仕込みの「たたら文化」のため、あちこち不正確かもしれないことはお詫びしながらも、単なる鉄づくりでは済まない、膨大なたたらワールドの一部なりともお分かりいただけたらうれしいです。

この秋10月28日(土)・29日(日)は、こんなスケール大きなたたら文化の地へ、学び語りに行くスローライフ・フォーラムとなります。ご予定ください。

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スローライフ運動 高知のもてなし 2017/06/12 2:54 pm

「ふるさと創生ニッポンおかみさん会全国フォーラムin高知」にコーディネーター役でうかがいました。

参加者330人。会場一体で真面目に話し合った後の、懇親会が印象的でした。もてなす側の高知の女性たちが踊る、食べる、飲む。他所ではご当地の女性は控えがちですが、高知は、自らも楽しみ分かち合う土地柄。

そもそも皿鉢料理は、女性がゆっくり宴会するためのものと聞き納得です。
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こういう催しです。昨年の南三陸町での開催に続き、このフォーラムでのコーディネートは2回目になります。








高知の街を一人でぶらつこうかと思いましたら、商店街のおかみさんがご案内してくださいました。

ここは名高い?「ひろめ市場」。昼から、いえ朝から飲める環境です。入っているお店の多様なこと、安いこと。

小ぶりのギョーザでビールを飲んでいるおじさまに「美味しそうですね」と声をかけると、自分で作ったかのごとく「うん、うまいよ〜」と言いながら、自分の隣に座れと誘います。

いささかまだ早い時間。でも、誰でもすぐ一緒になってしまうところだということがよく分かりました。


アーケードの整った商店街を歩きます。地方に多いシャッター商店街ではありません。

空き店舗がない!ちゃんとお店をやっている。毎日ここを歩ける市民は幸せですね。

シャッター街がわが故郷の顔なら、若い子は一時も早く逃げ出すでしょう。


一軒のお店に入りました。ちょっとおしゃべりできるスペースにアジサイが活けてある。

いい商店街の条件である、「花や緑に気を付けている」にピタリ。同じく「休めるベンチがある」もこのアーケードはOKでした。





チャレンジショップに入ると、ヨサコイの衣装の一部、頭飾りを製作中。

年間を通して、なにかしらヨサコイに向けてわくわくと時が動いている街なのですね。






「はりまや橋」、手前の赤いのが観光用、向うの石の大きな橋が戦後にできた古いもの。

通りかかった観光客に、おかみさん達は橋の説明をして、写真を撮ってあげています。

普段からこういう光景があるのでしょう。



高知名産のサンゴ屋さんには、フォーラム歓迎の貼り紙がありました。

お店のおかみさんのご主人が、高知が空襲で焼けた話、サンゴをどのように加工するかなど、お話してくれます。

一人旅で来ても、高知なら寂しくありませんね。人がほっといてはくれませんから!

おかみさん達と打ち合わせも兼ねて、フォーラム前の晩餐です。

カツオ三種盛をはじめ、地元のお魚が次々と。それらに触れると、書ききれないので最初に運ばれたキビナゴの写真だけにしましょう。

そしてお酒はやはり日本酒です。女性4人で、お銚子が何本空いたか・・・。皆さん強い、強い。

そして夜が明け、フォーラム当日です。

私は壇上でしたので写真がありませんが、尾崎正直・高知県知事の「地産外商」のお話が、しっかり残りました。

会場からも限りなく意見があるのですが、ああ、時間が足りなかったですね〜。

でも、それなりに何とかまとまったかと思います。

そして、冒頭に書いた懇親会。これが皿鉢料理です。

大きなお皿に、オードブルからデザートのスイーツまでがのっている。こんなお皿が何種類も。

主催の高知おかみさん会の皆さんは、2回も試食してメニューを決めたとか。

高知では宴会を「お客」と呼びますが、確かにお客が始まったら、フルコースなどがちまちまと運ばれたのでは、席を立って交流ができない。皿鉢はお客向きなのです。

そして、こうしておけば、女性が何度も台所に立たなくて済む。昔から高知では女性も「お客」できたわけです。

だから懇親会は名刺交換のラッシュ。そして高知のおかみさん達も飲む、飲む。

と思っているとダンスが始まりました。SMAPのメドレーをなんと平均年齢69歳という高知のおかみさん達が踊ります。

「ぎりぎりダンサーズ」というグループ。もちろん男性もおいでで、毎週水曜に商店街のお好み焼き屋さんの上で練習しているとのこと。

「覚えるのももうぎりぎり、体力もぎりぎり、息切れがして」と名前の由来が泣けます。

とはいえ、軽やかなステップと身のこなしに、びっくり。「わ〜〜〜、おかみさん達カッコいい〜〜〜」と叫び続けた私でした。

もちろんヨサコイタイムもあって、鳴子を皆が鳴らしました。この懇親会、よくよく考えると、踊るおかみさん達、鳴子を振ってヨサコイステージに立つ知事、素敵な歌声披露の市長、お猪口を持ち続ける女性たち、皆がほんとに楽しんでいる。しかも地元がです。

遠くからの方々を仕方なく接待しているなんて感じは全くない。「私たち楽しいの〜、混ぜてあげるよ。飲んでいきな〜」というラテン系のノリです。

高知県は「高知家」というコンセプトを打ち出し、皆が家族という考えで県政を進めていますが、この日は私たち外来者も、すっかり家族・親戚になってしまったのでした。

翌朝は、高知城がむこうに見える大通りの市に行きました。日曜市が大きいのですが、この日はこじんまりの木曜市。

それでも、全国からのおかみさん達買う気満々です。







果物が安い。












山菜やコンニャクも。ちりめんも、テンプラも。冷やし飴もところてんも。売っているのも買うのも女性たち。

「こういう市を利用すれば、そんなに生活費がかからない」と伺うと、もう、高知に引っ越ししたくなります。



県東部安芸へ向かいました。途中から「ごめん・なはり鉄道」です。


高知おかみさん会の計らいで、車両をひとつ増やしていただき外のデッキから景色を眺めます。






前日はずっと室内だったので、この解放感はたまりません。

久しぶりの深呼吸です。水平線当たりの黒っぽい海こそ、黒潮。この海を眺めて、龍馬はじめ、多くの偉人が大きな夢を描いたのです。

高知のもてなしは、女性を中心とした、カラッと明るいものでした。自らの胸襟を開くことで、外からの人の心も解放させる。これぞ高知ぜよ、ですね。

お土産に市で買い込んだ、ジャコ。これらを少しずつ食べるたびに、黒潮の海を思い出し、高知のおかみさんのような骨太の女を目指したいと思います。


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スローライフ運動 飯山フォーラム裏話 2016/11/28 1:20 pm

年に一度のフォーラムが終わりました。表には出てこない、とてもホットな交流や、心配りなどがあちこちに。

他所からのスローライフ学会会員と地元の方との息のあった司会、藁や野の花を活かした舞台の演出、特産の和紙を活かし
た会場飾り、各地からの差し入れ、市職員の方の名ガイド、などなど。

皆さんの小さな工夫が積み重なって、良い時間となりました。事務局として感謝です。


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まずはジャンプ台。飯山駅前にすぐあるのですが、普通の観光客は知りません。

大きいものは冬用、小さいのは子どもたちが夏に使って練習するとか。それでも迫力の急こう配、これを小さなかごのようなケーブルカーで上がります。

視察に参加した方々の中にはもちろん高所恐怖症の方もアリ、下で見守るしかないのですが、高いところ大好き派は大喜びです。上から転がり落ちたいという始末。



こんなに喜ぶとは、ジャンプに関係なくとも、見学だけで観光資源になりますね。

上からは飯山のまちが見渡せて地形もわかり、ビューポイントとしても最適。急きょここに連れてきてくれた市役所の判断に拍手でした。



「道の駅花の駅千曲川」です。野沢菜の大きな株が山と積まれ、あっという間に売れていきます。賑わう中で大人たちは名物の「野菜カレー」や「おやき」をパクパク。

新鮮で安いものを観たら欲しくなってしまうのは誰でも同じ、特に今、野菜は高いし・・・。ネギに抱き着いたり、初日なのについリンゴに抱き着いたり。


「小菅集落」です。むらそのものが修験道の修行地のような雰囲気。奥社と呼ばれるところでは、実際に山伏の修行が行われています。

今でも独特の祭りが行われており、ここだけのルールとしきたりでむらが回っているような印象でした。ここに何げなくある石が祭礼の時に神の子が乗るステージになるのだそうです。




ふと見ると、落ち葉が飾った階段や、きれいにぶら下がった大根が。







「森の家」では台所のある快適なコテージを見学、「ここなら落ち着いて原稿が書けるなあ」の声が上がります。





その後ろの径を歩きました。バリアフリーに整備された道のうえに、今は落ち葉が一杯。カサカサコソコソの音を楽しみながら皆で遠足気分です。







雪の力で根元から曲がった樹もあります。ブナ林に入ると、しんとしたなかでブナの葉がカチャカチャと金属的な音をたてました。




ため池に写った景色が美しい!この写真は参加のスローライフ学会会員自慢の写真です。冷たい雪解け水をここで温めてから田んぼに流す役割もあるのだそうです。

この後、暗くなって眺めた「神戸のイチョウ」がすごかった。神戸でゴウドと読む地名。ここの巨大なイチョウが真っ黄色に色づいて、これを数日間地元の方々がライトアップしているとのこと。

これも急きょ見に行くこととなりました。バスの中から歓声があがる美しさ。写真はありませんが、心にしっかりとその姿は焼き付いています。飯山の神様のような炎のイチョウ姿でした。



宿泊の「文化北竜館」で、18時30分からの「夜なべ談義」です。テーブルには、笹寿司、エゴ、ぜんまい煮、ジャガイモなます、漬物、馬刺し、蕎麦、新米、等々が。




なかでも米自慢の土地の新米が美味しいこと。漬物とピッタリです。お料理はホテルと打ち合わせて地元料理保存会の方々が作ってくださいました。

この日の司会は、飯山市側は飯山の伝統産業「仏壇」製造販売の鷲森秀樹さんと、NPO法人スローライフ掛川の長谷川八重さん。静岡県掛川市からやって来たスタッフです。


しかし、二人は開始5分前に会ったばかり、打ち合わせも何もありません。「ひでき・八重ちゃん」のコンビでとにかくスタートです。

地元参加の方々をバスで送るべく、8時半終了と時間はタイト。この中で食べる、飲む、しゃべる、名刺交換する、いそがしい〜〜。



でもちゃんとマイクで次々とスピーチです。和歌山県紀の川市から参加の方は「あんぽ柿」をさし入れ。スピーチの間右に立ち「あんぽ柿」を持つ係で助けるのは、遠く雲仙からやってきてくれた女性です。




来年開催地となる「出雲の國」の方々は既にチラシを配って宣伝。来年は10月末になりそうですよ。







翌日、皆さんはまちなかの寺町や仏壇通り、高橋まゆみ美人形館などを見学、そのあいだ事務局は一足先に会場「なちゅら」へ。







舞台装飾で会場の方と、こちらの会員とで知恵を出し合いました。「せっかくだから米どころらしく、舞台にハザガケを作りたい」などと言いだいたのはわがNPOの川島正英理事長。

「森の家」から藁と鉄パイプのハザガケ装置お借りして、一昨日舞台に運び込んだのでした。舞台に立ててくださったのは「なちゅら」のスタッフ。

とんでもないコトを言い出すおじさんにプロはきちんと対応して、つくりあげてくれました。藁の上からは「道の駅」で会員が買ってきた赤い色の鮮やかな「マユミ」の枝が飾られます。

さらに「なちゅら」館長のお家から、奥様の許可を得て持ち込まれた吊るし柿も風情を出してくれました。この演出で、ずいぶん飯山らしいステージとなりましたね。



ロビーには「逸品市」の屋台が並びます。この「いいやま逸品市」を提案した、第3分科会が一昨日から用意したもの。

「お米バー」や「リンゴ・漬物ショップ」「地酒バー」
「和紙製品」「仏壇ショップ?」など、工夫を凝らした「逸品屋台」ができあがりました。

万国旗のように飾られた三角形の旗は飯山特産の「内山和紙」を利用したものです。薫り高い特別ブレンドの「コーヒーショップ」も登場しました。



実は東京では、この日のフォーラムのために飯山勉強会にあたる催しを合計5回開催してきました。その内容を展示です。

地元の方々には、飯山はそれほど勉強するにあたる土地なの
だという自信につながったことでしょう。

政策、童謡、農業、川、観光、すべてにその道の専門家がしっかりと話してくださった内容です。


ウイーンフィルの演奏による名曲「ふるさと」が流れる中、いよいよ開演。こちらの司会は川島理事長と飯山市の職員:根食しのぶさん。普通こういう司会に台本がありますが、うちの場合はナシ。根食さん面喰いましたね?!いつもそうです、ごめんなさい。

神野直彦さん基調講演ではバックに飯山の写真がゆっくりと流れます。そして、これまで3回開いてきた3種類の分科会からの提言を、3人の地元座長が発表。

10分間の持ち時間をどう使うかが課題。横に立つアアドバイザーが「あと、2分」なんて演題で書いて見せたりして、緊張した座長の発表を仕切りました。

ひたすら発表を覚えた座長さん達、お疲れ様でした。私がアドバイザーになった「逸品市」を提案した部会では、最後に勢いを見せようと舞台に上がってから相談。「逸品市をやるぞー!」宣言をしたものです。

パネルディスカッションは、総勢10人。市長が驚いていたように“打ち合わせなし”。増田寛也コーディネーターの進行にただただ身を任せ、3分科会の発表内容を軸に話を煮詰めていきます。

テーブルの上には、花ではなくってリンゴ。これがかわいい演出!これもスローライフ学会会員のアイディア。ただ、お水が飯山のではなかった〜〜!お許しください。

発案山盛りのパネル討論が終わって、その後は皆ロビーの逸品市で歓談。すっかり飲み屋さん状態です。

お客様が引けてから、片づけをして、みんなでお疲れ様の輪。
老いも若きもよそ者も地元も、一緒に抱き合いました。


1000円会費の打ち上げで、3座長が見せてくれたお礼の一気飲み、すごかったです。

またまた通いますよ飯山市。新幹線ができて、東京人と飯山人が知恵を出していろいろチャレンジすることがこれから始まるのです。

フォーラムを機に、飯山の人にも全国の友達の輪が。もはや「今から貯金して出雲へ行こう」という話も。

あああ、面白かった!いろいろ事務局の不手際はお許しを。すべてをカバーしてくださった飯山市職員の皆様ありがとうございました。
※一部、長谷川八重さんの写真をお借りしました。

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写真でみるゆとりある記

奈良町で。
弘前からの摘果りんごを飾って
中滝ふるさと学舎
荻窪

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。