ホーム - スローライフ運動のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

スローライフ運動 飯山の時間 2015/10/05 1:36 pm

北陸新幹線が開通し、長野県飯山まで1時間40分で行けるようになりました。交通の便が良くなると、とかくまちの様子がガラリと変わるものです。

どうかしら?と出かけてみると、棚田はゆたかに輝き、映画『阿弥陀堂だより』に出てくるお堂回りにはコスモスがひっそり揺らぎ、千曲川はあくまでもゆったりと。

丁寧に人と付き合う人情に触れて、飯山の“ゆっくり時間”に湯あみをした思いでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飯山駅です。立派ではありますが、中には冷たさがありません。












仲間がトイレに行っている間、こんなテーブルで荷物の整理ができる。一見、無駄?なような場が暖かにあります。









ね、かわいいでしょう。














どう見てもカフェ、という感じの観光案内所もありました。用がなくてもふらりと入りたくなります。何でも来いという感じのカウンターのお嬢さんたちがまたいい!ポップにも、一生懸命に何か役に立ちたい、という雰囲気が伝わります。




まずは腹ごしらえです。小麦が貴重な時代にオオヤマボクチという植物をつなぎにしたという、その独特のお蕎麦と、上杉謙信が野戦食にしたという笹寿司を。








この郷土食について、きちんとテーブルに説明があります。












さらに、お店のご主人から食べ方の指導が。「掌に寿司をのせて笹を下に引くとご飯のところが浮くのでパクリと」な〜るほど。









飯山在住の人形作家・高橋まゆみさんの人形館に行きました。野に生きる人々の普通の暮らしを人形にした、全国的に知られる作品です。ここの人形館の入り口に、植えてあるのがおや〜〜?





奥にあるのはコンニャク、手前は野沢菜。きれいな市販のフラワーポットではなく、暮らしの中の植物がガーデニングとして使われている。それだけで、ここが何を伝えたいのかが分かりますね。








知り合いの方が案内をしてくださいました。見渡す景色が気持ちいい〜〜!と思ったら、無電柱の道路です。さらっと気遣いをしている。足元には菜の花の芽がずらっと出ていました。








飯山の一つの顔である「菜の花公園」。緑の芽が出そろっているのは野沢菜、春一面に黄色く咲くのは野沢菜なんですね。地元の小学生も、みんながこの菜の花育てをしているそうです。春のここの千曲川はどんなに綺麗でしょうか。






秋は菜の花ではなく、田んぼが黄金色に輝いています。飯山ですから、飯、米にはこだわる。美味しいお米がとれるわけです。









立ち寄った農産物販売所。ここで東京の練馬区から移住してきたというご夫婦に会いました。作られたトマトを売っています。おいしかった〜〜。















たった200円の買い物のお客にも、「お芋たべてって〜」とすすめる元気なおばちゃんがもてなしてくれます。














おばちゃんはどうやら明日は運動会らしい。うふふ。














さて、映画『阿弥陀堂だより』に出てきた、お堂を訪ねました。このお堂は映画のために造られたものですが、ずっと昔からここにあったような存在感です。











近くに落ちる栗がお供えのように置かれてています。畳の上のノートには、ここを訪ねた方々のメッセージが。驚くほどにたくさんの方が、毎日のように来ています。ここに座り、景色を眺めそれだけで帰る。そういう人が静かに訪れる、聖地のようなところなのでしょう。






お堂からの眺めです。東京の時間に追われる暮らしに疲れ切った女性が、ここでだんだん健やかになっていく。本当の生き方を夫婦が見つけていく、という映画。自然や景色だけでなく、ここの人が元気を分けてくれたのでしょう。


この景色を眺めている間、ご案内をしてくださった地元のとある方は、お堂を箒ではいています。大事なお堂に来たら、即、身体が動くのでしょう。シュツシュッというその箒の音を背中で感じながら、眺める飯山の景色です。

実は、この案内の方は、駅の観光案内所にたどり着いた一人の外国の若者を、「一緒に乗せてあげてもいいですか」と運んでいました。シュラフだけでやってきたカリフォルニアからの男性は、棚田の風景に何度も「ワンダフル」と言います。

彼が泊まれるように、山のロッジにテントを手配し、建てるのも手伝い、食べ物を買うお店にも案内し。そんなことをさらりとしておいででした。

彼に限らず、飯山の人は、何かしら教えてあげたい、世話したい、それも素朴にあったかに。という情に溢れているように思えます。

そこにいる人がみんな何かを伝え、何かに誇りを持ち、その自信あるものを他所の人にもおすそ分けしてあげる。それは自然体でささやかでいい。そういうことが出来る人がいれば、人口が少なくたってその土地は素晴らしいまちになる。

何もしない、自分の土地を大事にしない人が、多量にいたってしょうがない。数ではないのですね。

ということを、飯山で過ごしたほんの少しの時間で学びました。新幹線でサッとやってきて、そういうことが学べる地、飯山詣では東京人にとって大事な時間になるはずです。


このエントリーの情報

スローライフ運動 雲仙のご馳走 2015/09/13 9:32 pm

10月31日と11月1日にスローライフ学会が手伝いしてフォーラムを開催する雲仙市。打ち合わせにうかがった1泊2日、あらゆるものを美味しくいただきました。こだわりのフレンチから、素朴な地元のスイーツまで。海と山の幸に恵まれて、それを使いこなす人がいる、だからこんな多様な味があるのでしょう。棚田米のおにぎりを食べに、この秋雲仙に!です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




















まずは「六兵衛」。その昔、飢饉のときに六兵衛という人がサツマイモで作るおそばを思いつき、皆に広めたそうです。今は名物に。サツマイモの甘味と香りがふぁっとするヘルシーな味わいでした。違う土地に来たなあ、と感じる一瞬です。























「一口香」(いっこうこう)というお菓子。生姜とスパイスのの味がきいています。中がみっしり餡子かとおもいきや、皮に薄っすらついているくらいで、中は空洞です。その食感がまたいいです。ソフトタイプとハードタイプがあり。「お前の頭は、一口香か!」という言い方があるそうです。ある意味、お菓子のピーマンですね。




















雲仙市の迎賓館のようなホテル「雲仙観光ホテル」の地元野菜を活かしたフルコース。若いシェフが精力的にチャレンジしています。これは前菜。雲仙のスローフード、カタクチイワシの塩辛「エタリ」で作ったバーニャカウダで、地元の有機野菜でいただきます。こんな工夫のある料理が、次々と。ここに来る来ないで、雲仙の評価は大きく変わるでしょう。





















続いて地元民の味、「小浜チャンポン」です。長崎のチャンポンと問う違うの?と思うのですが、要は魚介類が多く入っているのが小浜流らしい・・。確かに、エビやら貝やらイカがたっぷりで、その出汁がスープを絶品にしています。地元の人はもっぱら自宅で作って食べるとか。チャンポン用の麺、スープ、かまぼこなどもスーパーで売っています。




















もっとジモティーっぽいのはこちらでは?「ミルクセーキ」です。ミルクセーキといえば、関東出身の私には、牛乳と卵と砂糖、これにバニラエッセンスを加えてよく混ぜた飲み物。そういえば昔、家や喫茶店で時々飲んだものでした。それが、雲仙に限らず、長崎県を中心にした九州北部では、“食べるもの”らしいのです。頼むと出てくるのは、こういう柔らかいアイスクリームシャーベットのような物。食べているうちに、溶けたら飲むというわけ。これが美味しかった〜〜〜!もう一度食べたいものと問われたら、迷わずこれ。わたし好みです。


























雲仙には地域野菜でコブのできる高菜「こぶ高菜」があり、その漬物がお土産として人気。この「こぶ高菜漬け」はイタリアのスローフード協会からスローフードとして認定され、さらにその中でもさらに貴重なものとしても認定されています。その高菜漬けを地元の女性たちが、ふかし饅頭にしています。ピリ辛で美味しい、これで一杯やったらいいなあ。



















いわゆるさつま揚げが、子どものおやつのように売っています。魚のすり身に野菜を混ぜて、店の裏で揚げている。その熱々がひとつ50円!5個入りを二袋買いました。




















これは食べられません。今、畑に植えているジャガイモです。種イモを機械の上に積んで、耕運機のようなものを動かすとイモが一つずつ土に収まって植えられていくという仕組み。雲仙一帯がジャガイモの花に包まれるのは数カ月先です。




















お土産に担いできたレモンは一個10円。庭のレモンの樹になったものなので、形も悪いのでどうぞ、ということなのでしょう。雲仙のお振舞なのかもしれません。

良い気候、温泉の恵み、様々の恵みに人の知恵と手が加わって、それが忘れられない味になっています。いただくごとに、そのお店の人とかわす言葉も温かい。また食べに?足を向けたいと、心の底から思う土地です。

このエントリーの情報

スローライフ運動 ゆっくり体験 2015/04/13 6:37 pm

NPOスローライフ・ジャパンが応援する奈良県十津川村谷瀬で「ゆっくり体験」が行われました。昨年春整備した「ゆっくり散歩道」を歩き、今年3月にできた水車を眺め、名産の高菜漬けで「めはり寿司」を作り、むらの行事「餅まき」にも参加する1日。

定員20名が30名の参加となり、運営する集落の人たちはうれしいやら、あわてるやら。でも、とってもいい体験ができたと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4月12日(日)桜はそろそろ散り始めていますが、まだ残っている、そんな時期の催しでした。











前日には、奈良県立大学の学生さんが手伝いも兼ねて参加。集落の産物「高菜」について畑で学びます。









数日前に大きな葉を採って、もう塩漬けにしたそうで、畑には小さな葉しか残っていませんが、この葉もお浸しなどでおいしい。






公会堂では明日の餅まきに向けて、餅つきと餅丸めです。大きなお餅は最後に投げる、縁起の良い物。学生さんの参加であっという間に終了。実はこの後、食べた出来立て草餅きな粉つけがとってもおいしかったのでした。











さあ、「ゆっくり体験」当日です。参加者は、数日前まで17人だったはずが、あれよあれよと増えて子どもも数えると30人を超える人数になりました。まずは日本一の「谷瀬の吊り橋」を渡って。













出席をとって名札をつけて、出発!「ゆっくり散歩道」を展望台まで1.6キロ歩きましょう。この道は昨年春にオープンしたもの。











集落の中の生活道路に道標を立てて歩けるようにしただけですが、吊り橋に来た観光客がずいぶん歩くようになりました。











道のあちこちに桜をはじめ花がきれいです。急いで歩く必要はナシ!普段の暮らしを忘れて、ゆっくり、ゆっくり。









「あれはミツバチを飼っておるんだよ」「わ〜〜、それじゃ谷瀬ハニーでスイーツ作れますね〜」












この道は、集落の人たちで木を伐って展望を確保してあります。ほら、棚田も、キウイ棚も、大きなナシの木も見える。そしてその向こう、写真の左上には谷瀬自慢の手造り水車が。






京都、大阪、奈良、名古屋、和歌山県紀の川市、東京、各地からやってきた人たちが、ゆっくり歩いておしゃべりをして、だんだん友達になっていきます。そして、谷瀬の人から説明を聞いて、どんどん谷瀬が好きになっていきます。







途中、少々急な階段もありますが、最後、森の中を抜けると突然この眺望が!左手に見えるのがさっき渡ってきた「谷瀬の吊り橋」です。「今度、お弁当を持ってまた来ようね」








おなかがすいた〜〜〜。さあ、公会堂で「めはり寿司」作りです。高菜漬けを細かく刻んでご飯に混ぜて、俵型に握り、それを大きな高菜の葉で巻きます。海苔などない山の中、おにぎりといえばこれ、「山に行くにも、学校に行くにもこのめはり寿司だったなあ」と、地元の人。







高菜の甘辛煮も、これは子ども達に好評。こうすれば野菜を食べますね。十津川村特産の肉厚シイタケ入りのお味噌汁もおかわりする人が多く人気でした。








大きなおむすびを、大きな口で、大きく目を開いてガブリと食べる、だから「めはり寿司」なのだそうです。この坊やは本当にガブリ、「おい、大丈夫か?」とお父さん。









少し休んで、水車で記念写真。通りがかりの若いお兄さんたちも一緒に。「この水車、発電し、蓄電した電力で夜は自らをライトアップしているんですよ。いずれここで携帯充電できるようにします」と説明が。






さて、この日のクライマックス、餅まきです。谷瀬ではたくさんのお宮さんがあり、それぞれで餅まきが行われます。この日は2ヶ所の社の合同餅まき。まずは神事の後、いよいよ準備万端で・・。







まずは、袋菓子から〜〜〜〜〜。それ〜〜〜〜〜!
続いて、昨日丸めたお餅を、
それ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
みんな、興奮興奮!










都市部から、それぞれお1人でみえた女性たち。3人とも生まれて初めての餅まき体験とか。その割にはしっかり拾い、地元テレビ局のインタビューにも応じていました。








これにて「ゆっくり体験」の終了です。谷瀬集落、大字の総代さんが深々とご挨拶です。村おこしというと、とかく役場の人がだんどって、住民がそれに従うことが多いのですが、十津川村は、また、谷瀬は特に住民主導。なんといっても、あの吊り橋を自分たちのお金で掛けたという自負があります。


「いろいろ不手際があったとは思いますが、これからもこういう催しを続けていくので、またいらしたください」この言葉には、「そしていつか、人が減るばかりのこの谷瀬に移住してきてください」という想いが込められているのでした。

日本中で、美しい小さな集落が消えつつあります。でも、こうして工夫すれば、他所の人と交流し、むらの可能性も見えてきます。

そして、参加者たちは、都市部では体験できない“ゆっくり”した時間をお土産に、来た時よりもずっと晴々した顔をして「またね〜〜」と帰路に着いたのでした。

このエントリーの情報

スローライフ運動 ゆうべし 2014/12/01 1:36 pm

「柚餅子」とか「ゆべし」と呼ぶ、クルミなどの入ったモチモチした甘いお菓子は各地にありますが、柚子の中身をくり抜いて、そこに様々な物を調合した味噌を詰めて作る、塩辛いお酒の肴になる柚餅子は珍しいものです。

しかも、ここ吊り橋で知られる奈良県十津川村谷瀬では呼び方も昔から「ゆうべし」と呼びます。蒸した後、2カ月干してようやく出来上がる伝統の味。その作業にお邪魔しました。


調べてみると、お菓子のゆべしは柚子のとれない地方に多く、塩辛い酒の肴・珍味タイプのゆべしは柚子がとれる地方の山間部で数か所作られているようです。

江戸時代の本にその製法が残り、はるか昔の源平の時代からあったものとされます。修験道の行者が携帯した保存食ともいわれます。

和歌山県田辺市龍神村、愛媛県松山市、長野県天龍村、岐阜県恵那市そして奈良県十津川村で作られ、十津川村の中でも数カ所の集落で作られて、それぞれ味が違います。



村内のゆべしの中では、谷瀬集落の物が一番お酒向きのように私は思うのですが・・・。谷瀬では、柚子のことを「ゆう」とも呼びます。そのため、ゆべしではなく、「ゆうべし」と呼ぶのではないでしょうか?なんだかとってもやさしい響きです。

今、暮らすお年寄りが子供の頃から家で作ってきたそうですが、昭和40年頃からここの未亡人会の方々が“お小遣い稼ぎ”に始めたのが、今の谷瀬名物「ゆうべし」の起こりとなります。さあ、作業の様子を追いかけましょう!



山里に香る、柚子。年に一回、柚子が実った時期に、谷瀬集落の人たちは3日間、柚子の香に包まれて作業をします。先日の作業は11月25・26・27日でした。朝の8時から夕方まで、お弁当持参で10数人が集まります。作業によっては残業?までして。手作業のなかなか根気のいる仕事です。

まずは大きさや出来具合で、柚子を選別する。それから一斉に、柚子上側、ヘタの周りを直径5センチくらい丸く切れ目を入れ、それを蓋のようにはずし、中の身をすっかりくり抜きだします。

かんきつ類といえば、中の身を食べて皮は捨てるのですが、ここでは反対。ゆずの皮がそっくり器に、いわゆる柚子釜ができます。ここに味噌を詰め、最終的には柚子の皮も味噌も一体化して、もっちりした珍味となるわけです。


味噌には、そば粉、米粉、シイタケ粉、鰹節子、胡麻、落花生、一味唐辛子、酒と秘伝?のレシピによりさまざまのものが調合されます。昔はすり鉢で混ぜていたのでしょう。今はここだけ簡単な機械が活躍です。

柚子の器にこの味噌を詰めます。皮との間に隙間ができないように、スプーンで力を入れて丁寧に。あとは8分目くらいまで詰めて蓋をします。この時詰めすぎないのがコツ。


そば粉などが膨れて、蓋を押し上げておばちゃんたち曰く「ろくろっ首になちまう」のだとか。また、皮に傷がついたり、柔らかい柚子だと破裂して「切腹になっちまう」のだそうです。

蓋も大事。切り取ったその柚子の蓋でないと、ピタリとは合いません。「こうして私は蓋を手に持ちながら、味噌を詰めるの。なくさないようにね」なるほど!

味噌が詰まると、次々と蒸していきます。15分くらいでいいのかと思っていたら、なんと3時間も、高温で蒸し上げていきます。中まで火が通らないとカビがくるそうです。


これを冷まします。3時間も蒸された柚子はクタクタですが、冷めるとだんだん固くなっていきます。この時形を整えます。「切腹があったよ〜、外科医さん手術して〜」おばちゃんたちの会話はとことん楽しい。





それをネットに入れて、集落の上の方。気温が低く、風の通る干場に吊るします。約2カ月間。時間と風が味を育み、お酒の進む、忘れられない旨みが出来上がるわけです。

「ゆうべし」作業は美味しいものを作る作業ではありますが、実はみんなのつながりをつくる時間のように思えました。

手を動かしながら、絶え間なく続くおしゃべり、冗談、笑い。都会にはない、仲間の輪があったかです。

一人暮らしのおばあちゃん曰く。「うちにいるよりここに来た方がいい。楽しいからね。疲れるけど、うちに戻ってから思い出し笑いまでする」

沢山の笑い声に包まれて、谷瀬の美しい風景をながめながら出来上がる「ゆうべし」は美味しいはずです。














※おばちゃんたちは写真嫌い、あえて手元の写真だけにします。手ぬぐいをかぶり、笑っているおばちゃんは私、野口です。

※写真のお皿は去年の「ゆうべし」、チーズとあわせてもおいしいです。

このエントリーの情報

スローライフ運動 空き家考 2014/10/20 3:02 pm

地方の人口を増やすために、各自治体は空き家バンクを設け移住者獲得に必死です。役場は空き家の不動産屋化し、あらゆる手段で都市の人を呼び込もうとしています。

でも、この空き家の扱いは、都市部の賃貸物件のように簡単には行きません。「仏壇があって年に数回墓参りに戻るから貸したくない」「シャワートイレでなければ借りたくない」などなど。双方、ここは少し譲ってと思うのですが・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

遥か昔、20歳代後半に静岡市の山側、市街地から車で1時間ほど入ったところの空き家に住んだことがありました。
そんな昔ですから、「田舎の空き家に住みたがる変な人?」という目で見られながら、夫婦でそれなりの田舎暮らしを楽しんだものです。
夫は念願だったシェパード犬を飼い、私は小さな畑をやる。千葉の実家から両親なども遊びに来て、タケノコを掘ったり、河原で遊んだり。
良い数年間でした。

では何でそこからまた引っ越したの?という疑問が湧くでしょう。
理由は山ほどですが、ある日うちの犬が他の家の犬に怪我をさせたのがきっかけです。

それまでご近所付き合いなどしていたらよかったのですが、全くしないよそ者でしたから、いざトラブルがあった時に
人間関係がうまく処理できなかったのです。

よそ者としてどんなにひどかったというと・・・。
まず、「田舎の空いてる家で、安ければどこでもよかった」ので、ドライブがてら行った先で、たまたま見つけた空き家を借りた。
これは、ラッキーにも大家さんが少し離れたところに新築し、以前の家が空いていた、という場所でした。「この家空いてる?持ち主ご存知ですか?」
という軽いノリで借りたわけです。

大家さんも、貸すのは初めて。よそ者に貸し出すルールなど当時はその集落も大家さんも備えていません。
「変わった若い夫婦が来てくれたよ」くらいで、地元の方は歓迎してくれたのでしょう。

しかし、そこに夜は帰るものの、朝出たら、戻るのは夜遅く。犬も寂しがるだけ。畑は草だらけ。
パソコンなどない頃ですから、在宅勤務などありえずに、編集の仕事に出かけていました。

泊りの出張もある、犬は訓練所に預けられても、回覧板はうちで止まってしまう。
集落で不幸があって、大家さんが知らせに来ても、居ない。もちろん携帯電話などない時代です。
お葬式にも出ない。

簡易水道のため、水源の落ち葉などを掃除する当番があったのですが、それすら出たことがない。
大家さん任せで、しらんぷり。近所といっても相当離れているので、会話はまずなし。

トイレの汲み取りの車がきても、これまた大家さん任せ。それでいて大家さんが時々届けてくれる
野菜などは喜んでもらう。

ああ、ここまで書いてひどすぎます!と怒りたくなる「田舎暮らしつまみ食い」だったわけです。
まあ、かなり昔の若者の非常識といえばそうなのですが、実は、これと同じようなことは今でもあるわけです。

貸す側に、ルールができていない。
その土地の相場家賃がそもそもないでしょうし、契約書などもない。
貸してもいいという家に、古い家具や仏壇がそのままあるけど、どうしようということも多い。
自分たちは平気だったトイレやふろ場を、都会の人は不潔という。それなら貸さない。馬鹿にされたみたい。
なんて風になっていきます。

借りる側に、田舎の暮らしの常識への理解がない。
田舎の人は、みんな一体で集落を維持しているのですが、都会と同じ感覚で移った側は快適な自分たちだけのマンション暮らしと
おなじ感覚で暮らそうとする。プライバシーだの、価値観だの、理屈をこねてお祭りや葬式の下働きなど絶対にしない。
今なら、よそ者はなんでもパソコンを使って、調べ、話し、むらの人と汗はかかない、ということになるでしょう。

どれもこれも、いきなり「空き家」だからと、人が移り住むそのことに問題があるわけです。
田舎の人と、都市の住民と、同じ顔をしていても、違う生き物だ、というくらいの違いを意識してかからないと、
移住が決まってからぎくしゃくします。

「ここの湧き水はうまいよ」という地元の人と、それまで「飲み水は通販のペットボトル入りで暮らしてきました」という都市人は、
違う生き物なのです。

だから最近思うのは、「いきなり」でなく、「お稽古」から始めることの重要性。
人口増加に焦る自治体も、「お稽古」にもっと力を注ぐべきでしょう。

空き家利用の交流イベントなどはそのケース。次にはお試し住みができる「空き家ステイ」の施設整備とシステム、これも始めている所がおおいですね。
続いて、1年位の長い間の、お試し。これは空き家でなくとも、その土地になじめるかというお試しです。仕事探しや仕事起こしも兼ねて。
そして、地元民も、よそ者も、なんとなくいいかなという風に思えたら移住になっていく。これが理想ですね。

空き家は地方だけでなく、東京にもザクザクあります。日本中が空き家だらけになって行っている、その中で、地方の空き家を選んでもらう、
地方にの仲間に入れてもらうためには、空き家との付き合いの濃淡のコーディネートから始めましょう。と思うのですが。

このエントリーの情報

スローライフ運動 南牧村で食べたもの 2014/09/14 3:47 pm

短い滞在でも、貪欲に食べました。

「ほうとう」のような「おっきりこみ」、鰻重ではない「鱒重」、南牧キュウリの浅漬け、カボチャのサッと煮、炭とチーズの入ったお饅頭、おいしいお米のしっかりしたおむすび、名物コンニャクのお煮しめ、などなど。地元の話をうかがいながら食べればおいしさは倍増です。

まだまだ食べきれない魅力がいっぱいの、群馬県南牧村でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


9月13日に開催した「スローライフ・フォーラム南牧村」。事務局は大変ですが、裏仕事だけに体験できること、味わえることがあります。

お世話になったスローライフ学会会員の「南牧自動車」神戸さん、ご主人が「山の斜面に住んでいる南牧でも、一番大変なところに連れてってやるよ」と、夜道の急斜面をくねくねと登ってくれました。

写真には写りませんが、車のエンジンの焼けた臭いからして、どのくらいの斜面かわかります。「昔はここを歩いたんだから。こういうとこに嫁に来たら大変だった」とのこと。



お邪魔したお宅の縁側には、背負子一杯の青い実が。「柿の青い実?」かと思ったら、クルミだそうです。

「これを土んなかに活けておいて、外を腐らせてから中の実をとるの」とここのお母さん。「ほら上がっていきなさいよ」と土間でお茶を呼ばれました。


そこに帰ってきたお父さん、は手に植物の根っこのようなものを持っています。「杖にするに、これが軽くていい」のだそうで、これは木というより草の大木?これで作った杖が近くにありましたが、本当に軽い軽い。

こういうところに住む人は、手近のどんなものをどうして使えばいいかを知っています。




お茶請けに出たのがキュウリ。ザクッと切って、サッと塩をしてあります。漬物というより今、塩をまぶしてくれた感じ。これが美味しいのなんの!






その正体はこの巨大なキュウリ。杖のお父さんいわく「こりゃキュウリというよりウリだよ。売らないけどウリ」なんて言って大笑い、です。

南牧キュウリと言ってこの辺ではみな、作って食べているとのこと。市販のキュウリのようにたくさんならないので、生産向きではない。それだけに口を運ばないとこのサクサク感は味わえません。



南牧村の山側のお隣は上野村、ここの温泉に南牧の人は出かけます。私たちも連れて行っていただきました。で、途中にあったマスの釣堀・民宿、戻るとそこから夕飯が届いていました。

神戸のとーちゃん(失礼)いわく、「あんたら鰻重は食べたことあるだろうけど、鱒重は初めてだろ」確かに!

マスを開いて天ぷらにして、甘辛いたれをくぐらしてご飯にのせてある。これが美味しいのです。こんなマスの食べ方は初めてでした。南牧でたべた上野村の味。隣の村といっても住む人は、上手にお隣をこうして使っているのでした。



おつゆ替わり?にいただいたのは「おっきりこみ」。言葉でいうとこうですが、書けば「おきりこみ」となるのでしょうか。

要は、「ほうとう」ような「すいとん」のような。小麦粉をこねて作った極太麺状のものが、具だくさんのお味噌汁に入って煮込んだもの。お米の作れない、南牧の地の名物です。

こういう粉ものは、食べると落ち着きますね。翌日の朝、汁をたっぷり吸ったものが、また美味しかったです。


南牧では川の流れる音がいつもしています。そして朝は、たくさんの鳥の声。さえずりがまるで降ってくるようです。









「昨日、誰かが置いててくれた」地元のカボチャを神戸のかーちゃん(失礼)が、朝からサッと煮てくれました。紫蘇ジュースと一緒に食べる、さわやかな朝ごはん。









さあ、フォーラム参加者がやってきました。高速バスが遅れ、バスで来た方にはあわただしい食事となりましたが、「おいしい、おいしい」の声が飛び交います。








元幼稚園だった建物が今「ビアカフェBB]という名で、地ビールとピザの店になっています。そこにお願いして、この日は南牧らしいお惣菜とお結びを作っていただきました。ここの80歳代のお母さんが腕を振るってくれました。







もちろん、南牧村が発祥の地といわれるコンニャクの煮しめも。こういうものをみんなで楽しく食べていれば、身体はどんどん元気になりますね。













もちろんここの自慢のピザもいただきました。そう、田舎の味だけではちょっと寂しい、このピザの一切れは満足感を作ってくれます。しかもここのピザは炭入り。南牧村は“炭食”を推進していて、ここの生地は確かに黒いのです。

黒いからと言って、味が劇的に違うということはありません。まちなかの食堂には炭ラーメンも炭焼きそばもあります。炭は身体の毒素を出してくれるとか?なんとなく時々食べなくちゃと思ってしまいます。




お土産にも炭ものがありました。細い炭に見える飴と炭饅頭です。両方に「森林のお炭つき」という名前がついていました。

1泊ではありましたが、おいしかった南牧村です。高所に住む話、杖やキュウリの話、おきりこみの作り方、コンニャクの話、炭の話、いずれもおいしい物には地元の方からのおいしい話がついてきました。

味と話はセットでおいしい。気ぜわしい都会では体験できないことです。一度くらいではわからない魅力がいっぱいの南牧村、これから長いお付き合いになりそうです。ご馳走様。

このエントリーの情報

スローライフ運動 ちびっこ増やし隊 2014/08/29 2:02 pm

奈良県川上村にこんな名前のグループがあります。


子供のいる女性たち、男性たちがゆる〜く繋がって「まあ、楽しくやろうよ!」と活動しています。

この人たちに合うと、田舎暮らしは楽しい、子供がいるとさらに楽しい、というのが伝わってきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川上村は、吉野杉を産する林業の村です。日本のほとんどのこうした村がそうであるようにここも人口減。7月末の人口が1,605人です。つい約1,600人と略してしまいそうですが、この村にはこの5人が大変貴重な人数、そのくらい人口問題は切迫しているのです。

この春に発表された日本創世会議の人口予測では、このままでいくと2040年に457人となり、特に子供を産む中心となる20歳〜39歳の女性は8人になってしまうとか。このままでは自治体として成り立たない、消滅してしまう可能性がある、全国でそのワースト2位になってしまいました。

と、無機的に書くと、とても寂しい寒々しいところのように思えますが、とんでもない。実際に村に伺うと、水源地の村だけあってまずは水がおいしい、山の緑が素晴らしい、野菜が美味しい、人が優しい、村中がみずみずしくってキラキラしています。

ここで都会的な幸せを求めようとしたら難しいですが、今までの、東京基準・ファストライフの物差しではなく、田舎基準・スローライフの物差しで幸せ度を測る価値観を持てば、住みたいまちの上位になるでしょう。

そんな可能性を感じさせてくれるのが「ちびっこ増やし隊」というグループです。2012年に設立、今のメンバーは大人が13人。子供はメンバーというより、大人についてくるその時の人数で構成とのこと。

川上村に子供を増やし、子供を楽しく育てようというグループです。


最初に私が会ったのは、一昨年のことです。川上村のダムが完成しこれにあわせて「なんゆう祭」というおおきなイベントが計画されました。

このなんゆう祭をきっかけにむらづくりのプロジェクトを考えようという村民のミーティングに「ちびっこ増やし隊」中平さんと坂本さん、二人のお母さんが出てきてくれたのです。








中平さんは二人、坂本さんは三人の子持ち、30歳代。でも二人とも学生のような雰囲気のある、ファッショナブルな素敵な方々でした。

「私の旦那、木こりで猟師なんです」「子供を育てるなら自然がいっぱいのこの村がいいと思います」こんな自己紹介が忘れられません。

このむらおこしプロジェクトを考える「寄合」を進行・運営するのが私の仕事だったのですが、この二人のおかげでどれだけ助かったか!

どうしてもシニアや男性が多く、硬直しがちなむらづくりの会合が、彼女たちが子連れで参加することで、急に柔らかくのどかな雰囲気になり、出てくるアイディアもしなやかで豊かなものになりました。




「先輩の“川上マダム”から、伝統料理を習いたい。そんな教室には都会から参加したい女性がいるはず」
「水源地がウリの村だから、美味しい水を活かして“水源地スイーツ”を作ろう」
「ダムサイトを使って大宴会をやろう。まずは村人が顔を合わせる場づくりを」
「鹿肉を使ってバーガーを作りたい。起業したい」
「森で結婚式を挙げるってどう?」
「おかいさん(茶がゆ)を3種作って、“おかい3兄弟”で売ったら」

などなど、何度も繰り返した寄合でのアイディアは尽きませんでした。

こうした会合に子連れはダメと言ったら、その村に未来はないでしょう。これからを創る人たちの意見が入らないのですから。私は子連れ大歓迎で、いつも寄合をすすめます。

多少議事進行が泣き声でストップしても、その声が聞こえる村にしたいのですから排除したらそれでおしまいですよね。

参加のお二人もずいぶん大変だったはずです。お母さんは会議で話したくとも、そのうち子供は寝むくなったり、会議室で遊びまわったりですから。

グループのアイディアをまとめて発表する係になった中平さんが、熟睡する子を抱きながら、その重さに絶えながらも笑顔で発表し続けた姿、印象的でした。








さて、いろいろなアイディアが出た中で、皆がやりたいことは「宴」という言葉に集約されてきました。そして「なんゆう祭」の夜、寄合に参加してきたみんなが実行委員になり、他所の人と村の人がくじ引きで席を決め地元の味で宴会をする交流会を実行したのです。








この時、彼女たちは、鹿肉入りの肉まんを披露、大好評でした。大先輩のおばちゃんたちとも仲良く料理など。

そして何よりは、あの全国で大ブームとなった、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」ダンスで地元を紹介する動画を、川上村バージョンを創り上げたのです。

子供と一緒に原生林で撮影、役場や郵便局、学校などでみんなに踊ってもらって撮影など、その行動力とノリの良さは、ヤンママならではのもの。

そして、「スローライフ・フォーラム」のステージで、この動画を使いみんなの「宴」プロジェクトを紹介したのです。村の象徴の龍を型どった「龍のぼり」に子供たちの手形をウロコのように押して、それを持ちながら踊って踊って!のステージでした。

もちろんこれらすべてが彼女たちの「ちびっこ増やし隊」としての活動か、というと違いますが、その活動がきっかけで開花した動きではあります。

このフォーラムが去年の秋のこと、その後どうしているのかこの夏お二人を訪ねました。

中平さんは、鹿肉バーガーや鹿肉まんでの起業はいったんあきらめていました。鹿肉の処理施設が村にはないからです。「個人的にはこれからネットショップを開いて、川上村のいいものを売りたいんです」と燃えています。

しかし、「ちびっこ増やし隊」の代表としていろいろ顔を出すことが多く、「そこでの私の発言がみんなの総意ではないし、悩むことあります」と、確かに組織運営も含め悩んでいました。「スローライフの寄合では自分がすごく学べてよかったんですよ。お世辞じゃなくて」とも。ともに学ぶ機会がないのかもしれませんね。








坂本さんは、もと縫製工場だったところを借りて、「スキノマ」という工房を開いていました。ミシンと沢山集まった布に、これから作りたいものの夢が繋がっています。









「新作ですよ。魚の写真を布にプリントして作ったの」という、ふわふわのストラップをいただきました。かっこいい!川上村の道の駅でこういう面白グッズを売ってもいいのに、、、頑張って〜。

でも「場は作ったんだけど、みんな来て、と個人で知らない人に呼び掛けることがなかなかできない。まだまだです」とつぶやきます。「ただ、すごく知り合いが増えて、広がった感じはあります。それは確かです」とも。

「ちびっ子増やし隊」は女性の生き方を考えたり、人口問題を研究したり、村おこしを考えたり、など、少しずつは関係しても、肩に力を入れて全員で同じことをしようというガチガチのグループではありません。

「隊」というゆる〜いつながりを保ちながら、そこにかかわる一人一人が方向は同じく、でも違うことを、協力しながら楽しくゆっくりやっているようです。

だから、それぞれが悩み、壁にぶつかります。消滅自治体などと言われた村のグループだけに、期待は大きく、注目も多いでしょう。

いろいろなほかの団体や、近隣のママグループなどと交流しながら、グループとしての厚みや幅を広げる時期に来ていると思いました。

私が、はるか昔、子連れで行けるコンサートを企画したり、女性たちのサロンを開いたり、手探りでずいぶん頑張てやった時代といまは違います。

中平さんも坂本さんもフェイスブックを使いこなし、メンバーとの連絡はライン。スマホママたちは、軽やかに森を駆け抜けています。

「また、相談にのるからね。困ったらメールしてね」と言いながらも、、彼女たちは今流の田舎暮らし術で、悩むことも楽しみながら川上ライフを創って行くんだろうなと思いました。

(「川上村ちびっこ増やし隊」のFBもご覧ください。もちろん夢中で更新などしていませんが、雰囲気が分かります。笑)


このエントリーの情報

スローライフ運動 いいな、方言。その2 2014/02/03 6:29 pm

青森のフォーラムで、方言を地域資源として考える分科会に参加した私ですが、驚いたのは「ワ・ラッセ」という会場にあった自動販売機。これが方言を話すのです。

「あったげ飲み物どんだべ」と勧められ、つられて買えば「釣りっこ忘れねでの〜」と、世話までしてくれます。

1本のコーヒーでなんだか心まで温くなり、東京弁の自販機より、やっぱり方言はいいなあと思ったわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



※見た目はごく普通の自販機ですが、方言を流暢にしゃべります。








先回のブログでは、青森フォーラム・方言分科会で、津軽弁は、ドイツ語と共通点がある。津軽弁を無形文化財にすべし。面白がって楽しんでこだわっていけば自然に残る。使わなくなった道具が世の中から消えるように、無くなるならばそれはしょうがない。この方言ブームをチャンスに積極的に残そう利用しようなどなど。の意見が出て、私が思うには・・・。というところで止まっていました。

で、続きなのですが、冒頭の自販機のように、方言は楽しい、方言は面白いと、どんどんいろいろな形で使っていけばいいと思うわけです。

そもそも今回のフォーラムのメイン会場「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の名前そのものがねぶた祭りのときの掛け声「ラッセラ〜ラッセラ〜ラッセラッセラッセラ〜」から来ているわけで、これを知らなければ??な名称です。もう一つの駅前施設「アウガ」だって、かなり方言ぽい。

そんな中で出会った自販機ですから私的には「これだ―――!」と感動したわけです。

正確に書き出しますと、自販機の前に立つと「まいどさま〜 あったげのみものどんだべ〜 ポイントカード使えるはんで」
で、ここでお金を入れて、買うと。「いっぽ〜ん。釣りっこ忘れねでの〜」といわれるわけです。

これが津軽弁であるかは別にして、こういう方言との出会い方はアリだと思うわけです。

JR青森駅に着いたら、津軽弁と東京弁と交互にアナウンスがあってもいい。切符の自販機が方言でもいい。

これを、どこが発祥の地だから、とか、皆さんにわかるように平均化しないととか、こだわっていると前に進まない。

イベント名でも、施設名でも、商品名でも、使いたいなと思った人がどんどん使ってしまえばと思うわけです。

そう思うと、青森市内の飲食店は、もっと方言メニューを駆使してくれてもいいと思う。ブティックだって、スーパー、百貨店だってポップや店内アナウンスが方言、いいなあと思います。

方言が当たり前に使われていたら、方言を使う人がそこでは主人公であるとはっきり打ち出されるし、他所から来たものにとっては、「わあ、違うところに来た」という実感がわきます。

これを商店街や、青森市の観光現場ではすべて方言でなどと統一したり管理したりすると、また画一的になっていく。

多様に、それぞれが、とにかく「方言は尊い」という考えで居ることが大事、ということだと思います。

今回知った「津軽弁の日やるべし会」の活動は、なんと、27年も続いているとか。頭が下がります。

津軽弁の日の録音CDを青森駅の売店で買いました。また、会の方からも過去の記録のCDを送っていただきました。

これを事務所で再生していると、事務所が津軽弁で溢れます。意味はさっぱり分かりませんが、イントネーションだけでなんだか、のどかな気分になってきます。

どちらのCDにあったエピソードだったか、ポスターの話がありました。

スイカを売っている農家のおじさんが書いたものに「おいすい シイカ」とあったそうです。

スとシが、逆になる津軽弁。何のこだわりもなく、自然体で書いたおじさんが何ともいい感じ。この「おいすい シイカ」食べたくなりますよね。

「やるべし会」の活動以外でも、いろいろな活動が出てくることを期待します。

津軽弁のジャズやシャンソンは有名ですが「津軽弁女子会」とか「津軽弁ツアー」とか。(これは近々始まるとか)「津軽弁で学ぶ津軽料理教室」とか。「津軽弁合コン」や「津軽弁ファッションショー」など、みんなが好きにやりましょう。

小難しく考える人、学問的に方言を研究する人、方言で踊る人、いろいろな方法で方言を楽しみましょう。多様な言葉を持つ国が豊かだし、スローだと思います。

このエントリーの情報

スローライフ運動 いいな、方言。 2014/01/27 7:53 pm

皆さんは方言を話していますか?千葉市生まれの私は、方言らしい方言は身に着けないまま、共通語の東京弁を使って暮らし、今に至ります。だからこれまで各地に出かけ方言に出合うと、うらやましいく思ってきました。

特に今回、青森のフォーラムでは、その方言を地域資源としてまちづくりに活かそうという話し合いに参加。津軽弁の心地よい響きに、とことん魅了されたわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





そもそも方言はついこの間までは“恥ずかしいもの”のように扱われ、そう感じてきた人も多いでしょう。なまりがひどいから東京に出てきた若者がしゃべれなくなった、などということが普通にありました。

この言葉の画一化は、明治政府が近代化をかかげ、方言を“野蛮”な言葉とし、全国津々浦々同じ言葉にしようと圧力をかけた。戦争時にみんなが同じ言葉で話していないと命令が届かない、情報が集まらない、そんな背景もあったといわれます。

だから、全国津々浦々、方言は恥ずかしいもの、方言を話す自分は恥ずかしい者といつしか思うようになってしまった。

あの、太宰 治でさえも生まれ故郷の青森県金木町から、旧制中学の受験で10里離れた青森に行ったとき、少年雑誌に使われている東京の言葉で話さなくては、と身構え、泊まった宿の女中さんが同じ津軽弁で話すので安心した、というようなことを『津軽』の序文に書いています。

東京と東京弁がてっぺんにあり、地方の、地域の方言が下にある、という構造が長く続いてきたわけです。まあ、この辺の難しいことはご専門の方に任せて。

それが、地方の時代といわれ、東京一極集中をなくそうと語られ、地方だ地域だ、まちおこし・むらおこし、などと世の中が変わってきて、地元らしさ、地域資源などといい始めてみると、身近に方言がやっとこさっとこ残っていたわけです。

方言タレントの出現、方言で歌うコンテストなどから始まり、方言ナビ、方言ラジオ体操なども出現、ついには昨年の
「じぇじぇじぇ」ブームとありました。

いずれにしても、ラジオ・テレビの普及でいわゆる標準語などといわれてきた言葉で、全国が塗り替えられていたからこそ、“売り”にできたり、目だったり、面白がられているということでしょう。

そんななか「スローライフ・フォーラムin青森」の「方言を活かしたまちづくり分科会」では、さまざまな意見が出ました。

津軽弁は、ドイツ語と共通点がある。津軽弁を無形文化財にすべし。面白がって楽しんでこだわっていけば自然に残る。使わなくなった道具が世の中から消えるように、無くなるならばそれはしょうがない。この方言ブームをチャンスに積極的に残そう利用しようなどなど。

私が思うには・・・。

※つづきはは少し後で

このエントリーの情報

スローライフ運動 フォーラム裏仕事 2014/01/06 5:39 pm





昨年の奈良・川上村フォーラムで、スタッフが泊まった宿「朝日館」。ここのことを書いて、フォーラム裏仕事の話題を閉じましょう。

建物は古く廊下はきしみ、隙間風もあります。でも、ハードではなくハートだと教えてくれる宿でした。

「都会のおもてなしには裏がある」とは、神野直彦先生の言葉。ここの裏のない正直な仕事に、私たちは癒され、川上村の品格は支えられています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




以前、この宿のことは書きました。川上村に来るたびに、もう何度も泊まっている宿です。なのに、毎回感心するその仕事ぶりに、またこうして書きたくなったしまう、学ぶこと多い宿なのです。

土地の評判は、たった一泊したその宿の印象で大きく変わります。自分の寝食を預ける一番長い時間を過ごす、その土地とのかかわりの時間。それをどうしつらえるかで、宿だけでなく
その村・町の評価も決まってくるというものです。






大事なお客様は朝日館にご案内すれば安心、朝日館を好きになってくれるような人が今後、川上村のファンになってほしい。と、私は思います。

伊豆や箱根にあるような温泉ホテルと同じようなところに、奈良県南部川上村まで来て泊まりたいでしょうか?

エレベーターがほしい、部屋ごとにシャワートイレがほしい、ふかふかソファのロビーがほしい、露天風呂がほしい、豪華料理が食べきれないほど並んでほしい、そういうことが評価基準の人たちはそういうことを売りにしている過去の観光地に行けばいいでしょう。

車が着いたとたんに、「ようこそ、お疲れ様です」と、白い割烹着姿で転がるように走って出てくるここの女将さんの姿は、それ自体がもう本当のおもてなしです。






吠えずに、なつかしそうな顔で迎えてくれる「哲」という名のワンちゃん。思わず頭をなでてしまいます。









玄関にはいつも素敵な迎え花。素敵というのはお金がかかっているということではなく、「ああ、今はこんな季節なんだ」と気づかせてくれる素敵な花が大きくどさっと活けてあります。
あるときはウツギ、あるときはガマ、椿だったり、野菊だったり。









部屋ごとの床の間にも、きちんと、花が。季節のない町に暮らしていると、はっとします。こうやって、地方では、山里では、きちんと季節をやっているんだ。

コンクリートの箱であるマンジョンに住んでいると、体験しないことばかりです。何しろ100年は経っている「吉野建て」の旅館。







まずはふすまがサッシのようにぴしりとは閉まらないので、隙間風がひゅ〜〜〜。そして、ゆらりと曲線美のある昔のガラスがはまった硝子戸が風に揺れてカタカタ。

歩くと私の体重を受け止めて軽く揺れキシキシという廊下。体験型の木造の古い家ミュージアムにいるようです。






トイレはぽっとんトイレ。なつかしい!ふにゃふにゃのおとし紙もたまりません。もちろん、シャワートイレは別棟にあるのですが、ここはひとつこのトイレに身をゆだねるべきです。











お湯の出ない洗面所。カネの洗面器に冷たい水を汲み、顔を洗う気持ちよさ。

古いことは不便なのですが、住まい方や文明のあり方などを深く考えるにはとても便利です。東京暮らしで腑抜けになっている私に、まだ、こんな力や可能性があったのか、と気づかせてくれます。








「ぽっとんトイレも平気だ」「凍る水での洗顔もできる」「鍵のかからない部屋でも不安はない」「そんな都会と同じことを求めるより、ここの古さと田舎と自然を楽しむべきだ」と心が強くなってきます。








朝日館の名物は女将さんの次に、柚子羊羹でしょう。しかもこれまた名物のかまどで煮ています。「このかまどにつきっきりでこうして焦げないように混ぜるんですよ」と女将さんの話を聞いていると、今度作るときに手伝いに来たくなります。









かまどは毎日ご飯炊きに活躍します。ということは、ここでは今時貴重なかまど炊きのご飯が食べられるわけです。炊きたての白い湯気を立てるかまど炊きのご飯で、私たちはどれだけ癒されたことか。

ここのおかずはおいしいのですが、まずはこのご飯が“おいしい”の基本なわけです。今回泊まったフォーラムスッタッフは、このご飯を夕飯に4杯たいらげました。このご飯で作ってもらった、お結びは宝石のようです。








女将さんの卵焼き、女将さんの山菜料理、女将さんの粽、いろんなものを食べてきた朝日館です。ここが人を自然にしてくれる、力強くしてくれる、そして心から癒してくれる。だから、ハードなフォーラム裏仕事もみんなバテずにこなせたのでしょう。

川上村はこの宿があって得をしています。この宿がなくて、伊豆・箱根にあるような、温泉ホテルしかなかったら。そこにしか泊まらなかったら、この村の印象はガラリと変わるでしょう。

めったにホテルなどに泊まることのない豪華絢爛がもてなしだと思っている人たちは、自然の中の山里にも、そういうハード整備をし、そんなおもてなしをしがちです。

でも、どんな人たちにこれから村に来てほしいのか、村はどんなもてなしを大事にしていきたいのか、村人は考えるべきでしょう。

今回のフォーラム参加者で朝日館に泊まらなかった人からも、この宿を視察だけした人からも、「川上村で一番印象深かった場所は朝日館」と、今でも声が上がります。

この宿を女将さんの踏ん張りだけで支えるのはだんだん限界になっていくはずです、さあ、どうするのか?一緒に考えていきましょう。

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 (2) 3 4 »

最新ブログエントリ

最近のブログのコメント

ブログ カレンダー

« « 2019 1月 » »
30 31 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2

写真でみるゆとりある記

雲仙市千々石のところてん屋さん
JT生命誌研究館で
花を愛でる?
麻布十番納涼祭り

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。