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スローライフ運動 フォーラム裏仕事 2014/01/06 5:39 pm





昨年の奈良・川上村フォーラムで、スタッフが泊まった宿「朝日館」。ここのことを書いて、フォーラム裏仕事の話題を閉じましょう。

建物は古く廊下はきしみ、隙間風もあります。でも、ハードではなくハートだと教えてくれる宿でした。

「都会のおもてなしには裏がある」とは、神野直彦先生の言葉。ここの裏のない正直な仕事に、私たちは癒され、川上村の品格は支えられています。



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以前、この宿のことは書きました。川上村に来るたびに、もう何度も泊まっている宿です。なのに、毎回感心するその仕事ぶりに、またこうして書きたくなったしまう、学ぶこと多い宿なのです。

土地の評判は、たった一泊したその宿の印象で大きく変わります。自分の寝食を預ける一番長い時間を過ごす、その土地とのかかわりの時間。それをどうしつらえるかで、宿だけでなく
その村・町の評価も決まってくるというものです。






大事なお客様は朝日館にご案内すれば安心、朝日館を好きになってくれるような人が今後、川上村のファンになってほしい。と、私は思います。

伊豆や箱根にあるような温泉ホテルと同じようなところに、奈良県南部川上村まで来て泊まりたいでしょうか?

エレベーターがほしい、部屋ごとにシャワートイレがほしい、ふかふかソファのロビーがほしい、露天風呂がほしい、豪華料理が食べきれないほど並んでほしい、そういうことが評価基準の人たちはそういうことを売りにしている過去の観光地に行けばいいでしょう。

車が着いたとたんに、「ようこそ、お疲れ様です」と、白い割烹着姿で転がるように走って出てくるここの女将さんの姿は、それ自体がもう本当のおもてなしです。






吠えずに、なつかしそうな顔で迎えてくれる「哲」という名のワンちゃん。思わず頭をなでてしまいます。









玄関にはいつも素敵な迎え花。素敵というのはお金がかかっているということではなく、「ああ、今はこんな季節なんだ」と気づかせてくれる素敵な花が大きくどさっと活けてあります。
あるときはウツギ、あるときはガマ、椿だったり、野菊だったり。









部屋ごとの床の間にも、きちんと、花が。季節のない町に暮らしていると、はっとします。こうやって、地方では、山里では、きちんと季節をやっているんだ。

コンクリートの箱であるマンジョンに住んでいると、体験しないことばかりです。何しろ100年は経っている「吉野建て」の旅館。







まずはふすまがサッシのようにぴしりとは閉まらないので、隙間風がひゅ〜〜〜。そして、ゆらりと曲線美のある昔のガラスがはまった硝子戸が風に揺れてカタカタ。

歩くと私の体重を受け止めて軽く揺れキシキシという廊下。体験型の木造の古い家ミュージアムにいるようです。






トイレはぽっとんトイレ。なつかしい!ふにゃふにゃのおとし紙もたまりません。もちろん、シャワートイレは別棟にあるのですが、ここはひとつこのトイレに身をゆだねるべきです。











お湯の出ない洗面所。カネの洗面器に冷たい水を汲み、顔を洗う気持ちよさ。

古いことは不便なのですが、住まい方や文明のあり方などを深く考えるにはとても便利です。東京暮らしで腑抜けになっている私に、まだ、こんな力や可能性があったのか、と気づかせてくれます。








「ぽっとんトイレも平気だ」「凍る水での洗顔もできる」「鍵のかからない部屋でも不安はない」「そんな都会と同じことを求めるより、ここの古さと田舎と自然を楽しむべきだ」と心が強くなってきます。








朝日館の名物は女将さんの次に、柚子羊羹でしょう。しかもこれまた名物のかまどで煮ています。「このかまどにつきっきりでこうして焦げないように混ぜるんですよ」と女将さんの話を聞いていると、今度作るときに手伝いに来たくなります。









かまどは毎日ご飯炊きに活躍します。ということは、ここでは今時貴重なかまど炊きのご飯が食べられるわけです。炊きたての白い湯気を立てるかまど炊きのご飯で、私たちはどれだけ癒されたことか。

ここのおかずはおいしいのですが、まずはこのご飯が“おいしい”の基本なわけです。今回泊まったフォーラムスッタッフは、このご飯を夕飯に4杯たいらげました。このご飯で作ってもらった、お結びは宝石のようです。








女将さんの卵焼き、女将さんの山菜料理、女将さんの粽、いろんなものを食べてきた朝日館です。ここが人を自然にしてくれる、力強くしてくれる、そして心から癒してくれる。だから、ハードなフォーラム裏仕事もみんなバテずにこなせたのでしょう。

川上村はこの宿があって得をしています。この宿がなくて、伊豆・箱根にあるような、温泉ホテルしかなかったら。そこにしか泊まらなかったら、この村の印象はガラリと変わるでしょう。

めったにホテルなどに泊まることのない豪華絢爛がもてなしだと思っている人たちは、自然の中の山里にも、そういうハード整備をし、そんなおもてなしをしがちです。

でも、どんな人たちにこれから村に来てほしいのか、村はどんなもてなしを大事にしていきたいのか、村人は考えるべきでしょう。

今回のフォーラム参加者で朝日館に泊まらなかった人からも、この宿を視察だけした人からも、「川上村で一番印象深かった場所は朝日館」と、今でも声が上がります。

この宿を女将さんの踏ん張りだけで支えるのはだんだん限界になっていくはずです、さあ、どうするのか?一緒に考えていきましょう。

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スローライフ運動 フォーラム裏仕事 2013/12/14 4:58 pm








先日の奈良・川上村のフォーラムでみんなの心をつかんだ一つに「交流会」がありました。

普通は、しかるべき場所で、出来合いのオードブルなど立食でつまみながら、だれも聞かない話が延々続く、交流とは名ばかりのパーティーが多いものです。

川上村は違いました、とことん手作り。村民と他所の人が本当に交流しよう!という意気込みで、みんなでこしらえた「むらの宴」でした。
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川上村で、そもそも村おこしで何をやりたいか、と話し合ったときに「食べものを残したい」「大宴会を」したい、ということでした。

林業が主で畑や田んぼのない川上村で、それでも四季折々の食べものがあり、行事と連動した料理がある。それを大事にしたいし、覚えたい伝えたい。「川上マダムの大先輩から教えてもらいたい」と若いママさんからも声が上がりました。










こんな味を大事にしよう、作ろうとアイディアを出してみると、茶粥、水源地の村らしく水を活かしたもの、鹿肉を活用して、など様々上がりました。

おかゆのことを『おかいさん』と呼びます。「小豆粥、芋粥、茶粥で『おかい三兄弟』だ」と、そんなメニューでもてなすのもいい。「鹿バーガーをもともと作りたかった」「水源地スイーツ、というのがあってもいいのでは」そういい味を今から大切に守り、育てないと村の魅力がなくなってしまう。










なぜ、大宴会なのか?村がたくさんの地区に分かれていて、一つに集うときがない。せっかくダムが出来たのなら、大滝ダムの堰堤を広場として使って、村が一つになる催しをしよう。そして、それにだんだんよその人も混ぜてあげよう。という話が膨らみました。









とにかく交流人口を増やさないと。せっかくのダム湖もスポーツなどに利用していかないと・・・。

そんな話し合いの中から、「村の宴プロジェクト」が育っていきました。11月23日に「スローライフ・フォーラム」があるのなら、その前日に、川上村の宴の試作として「宴会」をやってみよう。









そこで、宴のルールが煮詰まってきました。「地元と他所の人は半々で」「上下なく」「片付けはみんなで」「禁煙」
「地元の味で」「酔い過ぎない」「語り合おう」など。








さて、その場所はどこにするか?丹生川上神社上社、ここでやりましょう。と宮司さんも大賛成!何とかなりますよ、ここで。と計画は具体的なって行きました。











ダムの底にあたる、そこにあった神社が山の上に上がった。その社で、ダムが出来上がったこれからのことが語り合えれば・・・。暗い夜にみんながここまでどう上がるか?マイクロバスで?どうしよう?階段は?電気は?









で、実際のその日を迎えました。全70人、地元と外の人が半々。席次はくじ引き。


司会は会場提供された地元の望月宮司と、NPOスローライフ・ジャパンの長谷川八重さん。何だか数年来の友達のように意気投合です。
























川上村のお母さんたちが煮物、漬物、様々を作り説明してくれました。












みんながスピーチ。まあ、なんて楽しいのでしょう。
知事さんもざっくばらんに。











あのアイディア、「おかい三兄弟」が実現です。どれも美味しい!県外の人には新鮮な味、みんなが作り方を聞いていました。











あのアイディア、「水源地スイーツ」も実現しました。地元の柚子を使っての寒天です。水がおいしいからこういうものが美味しくできます。みんな、とりあい。










佐賀、広島、福井など遠方から参加者が。富山県高岡市から参加の4人組は車で。

万葉集と大伴家持とで奈良とは深い関係にあることをスピーチ。昨年の開催地です。







とどめに出てきたのが「鹿マン」。当初、鹿バーガーを作って売り出したいと燃えていた、川上ヤングマダムたちが、鹿肉入りの中華饅頭にトライ。


これがとってもよくできていて、すぐにも売り出せそう。よくやったね、がんばったね、すごい、すごい。











混ざって座った人たちが、みんな親戚のように仲良くなって、川上村の伝統の味と、新しい味を堪能して。楽しかった〜〜〜!

「やりたいなあ」は必ず「やれる」「できる」を実感した夜でした。みんなの記念写真は一生の宝です。


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スローライフ運動 フォーラム裏仕事 2013/11/25 10:08 pm

奈良県・川上村でのフォーラムが終わりました。このブログは帰りの新幹線で書いています。

いつも思うのですが、シンポジウムなどのステージ上のことはそれまでに積み上げたことの、最後のてっぺんに掲げるもので、そこに至る裏仕事というか、表にでないことがいろいろ山ほどあるほど、表舞台はおもしろくなります。

そんな話を何回かに分けてお伝えしましょう。先ずは「逸品展」。

この「スローライフ・フォーラム」は、私どものNPOの年に一度のお祭りみたいなものです。

様々用意はありましたが、今回、最も力仕事だったのが「逸村逸品展」です。全国都道府県から集まった全100アイテムの“スローライフ逸品”を、梱包し、展示し、また梱包する。この作業が大変でした。






わが事務所を手伝ってくれている丸山さんの自宅は、逸品置き場になり、ダンボールだらけ。猫もダンボールス・トレスで食欲がなくなるほどでした。










その100アイテムの物とチラシなどを、いかに小さく梱包するか。数日がかり、何人ものボランティア作業。荷物は出来上がり、チャーター便に乗せたわけです。



その荷を乗せる時間に合わせて、仕事を抜けてきてくれてダンボールを運んでくださった方々に感謝です。








そして一路、川上村へ。初日の移動日は、村のお好み焼き屋さんで夕飯、イカ焼きなどで力をつけます。









フォーラム会場の「やまぶきホール」その3階ギャラリーが「逸村逸品展」の会場。テーブルと白布が先ずは搬入に。続いて、送り出したダンボールが到着。一気に人手が必要になりました。

ダンボールをあける、品物を出す、説明ポップを貼る。すべてみんなでやるのですから、時間がかかるかかる。








ああでもない、こうでもない。誰かが何かをより良くするために提案すれば、そのたびに「う〜ん、どうかな」とみんなで考える。時間がかかりますが、でも、だから、それが楽しいわけです。









一度展示が終わってホッとすると、続いて当日配布資料づくりもこのスペースで。パワフルな役場や県庁の応援団の方々がやってきてくれます。



手作業を続ける間のおしゃべりがおもしろい。疲れているはずなのに、冗談や笑い話や。こういう時間で、なんだか心が繋がっていきます。


その時、最初のお客様が、会館で働く女性たちです。展示を見た数人が、また数人を呼んで来てくれる。「これ買えないんですか〜〜〜」の連発。なかなか、帰りません。ありがとう、うれしいなあ。






そして、23日10時、正式オープン。お客様がていねいにてねいに見てくれます。

「ほほう」「へええ」といい続けるご夫婦。チラシを次々と持っていく女性。写真を取りまくる男性。




やはり各地で志のもと、作られている物々は、人の心をつかみます。存在感があります。

物が、逸品が、会場じゅうにメッセージを放っている、それをみんなが受け止めている、そんな感じでした。企画した側は涙が出ます。




とはいえ、24日の夕方にはクローズ。「このままあと1週間くらい飾っておきたい」というのが本音でした。


東京に住んでいると、実は、地方の物々に出会うチャンスがたやすくあります。各県のアンテナショップがある、物産展がひっきりなしにある。だから何を見ても逆に驚かなくなっています。


ところが地方では、視察にでも行かないと実物にはなかなかお目にかかれない。まして、奈良県南部で、となると・・・。


これだけの逸品が勢ぞろいすることは、今までなかったのではないでしょうか。









奈良県南部と同じように人口減少に悩む各地で、それでも地域資源を活かして何とか経済おこし、逸品づくりをしているところがたくさんあります。


だから、できるよ、頑張ろうよ!という私達なりのエールは伝わったでしょうか。


どんな高尚な理屈より、現実の物は強い、と私は思います。だからこそ今まで20年以上“逸品運動”を続けてきました。


今回の「逸村逸品展」を見てくださった、奈良県南部の皆様の反応は、私にまた新しい何かを始めるヒントにもなりました。









他地域の活動が、その地域を励ます。それを目の当たりにみて「逸村逸品運動」という動きおこしが、私のライフワークとしてますますはっきりしてきたように思います。


この「逸村逸品展」の担当を、自宅まで開放してやってのけた、丸山 薫さんに拍手です。

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スローライフ運動 逸村逸品運動 2013/10/14 9:14 am















富山県高岡市で「逸村逸品交流会議」がありました。その昔は「一村一品」と言いましたが、今は物だけでなく、いい町がいい物をうみ出す、いい物があるのはいい町「逸村逸品」でしょう。

昨年の我々NPOスローライフ・ジャパンの高岡フォーラムでこの言葉が生まれました。その延長上で今回の会議がありました。そして奈良県川上村では「逸村逸品展」も。運動が育ちつつあります。
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10月12日に開催した「逸村逸品交流会議」で、特に今回こだわったのは「食べ物」でのまちおこしです。














先ずは、先進事例として米粉の発祥地である新潟県胎内市の「蠑国製麺」の齋藤公美さんが、胎内市での米粉のまちづくりの報告を、そして自社の米粉使用生パスタ「エチゴッティ」を紹介をしました。














「蠅屬覆凌后廚旅睚博保さん。この方は、ご自身が作り手ではなく、プロデュースする側。例えば能登の「いしり」(いしる)を地元にもっと普及し、世界にも日本のブランドとしてどのように売り出すかなどを考える方です。

「いしり」の事例を中心に、合わせて「能登人」に会いに来る
ツーリズムなどのお話がありました。













後半は、地元高岡で「ととまる」という名で、魚のすり身をお好み焼き風に焼いて食べるメニューを広めている「飲食店経営サポートとやま」の鎌田隆一さん。※写真がととまる














お隣の氷見市で地場産の煮干でだしをとり、氷見牛と氷見の野菜を使ったカレーを飲食店で出し、レトルトも売り出した「氷見カレー学会」の谷内吉成さん。※写真は氷見カレーのチラシ















名産の庄川柚子を使い「ゆず姫」という名の笹寿司を開発した「庄川町商工会女性部」の伏木喜代美さん。それぞれが活動や悩みを報告しました。※写真がゆず姫の笹寿司とお稲荷さん。

私はコーディネートをやらせていただきましたが、実に参考になり、おもしろかった!が感想です。少し前は“食”の開発となると、話題をさらうだけの際物が多かったのに、きちんと皆さん地元の産物や食文化にこだわって企画開発しておいでです。

また、その食品で土地の食文化がさらに深まったり、新たに創造されたりしていることも分かりました。

その背景や根っこには、「何かやろう、このままじゃダメだ」(谷内さん)という想いや、「生のすり身を使っている珍しい土地なのだから」(鎌谷さん)という地域資源の発見などがあります。

「“ゆず姫”を作っているグループ7名、全員が食品衛生の資格を取りました」(伏木さん)といった腹の座りかたや、「日本の農業、地元の農家を応援したい」(齋藤さん)というグローバルな視点も目立ちました。

共通の悩みは販路の拡大・後継者の育成・情報発信・資金難などです。

でも、「自分達だけでなく、他の業種や学生さん、若いお母さんなどいろいろな人と連携することで解決が」「基本になる知識をしっかり捕まえること、知の集積を」「イベントはフェイスブックなどと連動させてその日だけのことにしないように工夫を」(高峰さん)

「作り手の思い込みでがいい物と思っても、食べにくかったら失敗。先ずはお客様に召し上がっていただけるように」(齋藤さん)










などの意見にうなずく方が多く、その後の会場質問は20分では時間が足りないほどの具体的な意見・感想が続きました。




私は、この会議の会場自体が実は「逸村」なのではと思いました。様々な職種や地域の人が、想いを一つに集まっている。

そして、何とか町や品物をよくしていこうと、知恵を出し合っている、そんな熱気に満ちていることが、良い町の要件なのではと思います。

そして、そんな魅力的な人たちが、繋がりあって支えあって創りあげた品物は必ずいい物になるはずです。

この日の会議がはこうして終わりましたが、今、私のNPOの事務所では、11月24日に開催する「スローライフ・フォーラムin水源地のむら川上」の「逸村逸品展」 にむけて、ダンボールだらけの状態です。全国から様々な品物が集まって来ているのです。

今回の話し合いで出たような、志や悩みや喜びなど、いろいろな想いが詰まった、その土地の顔になるような品々が100アイテム揃いつつあります。

皆さんに呼びかけて、ただの即売会ではない「スローライフ時代の地域の顔になる逸品の展示」なのだと、開催趣旨をご説明するのには時間がかかりますが。

それでも「そういう場に、ぜひ出品して自分達の活動や品物を知って欲しい」という方々、企業、団体に出会え、事務局の当方もうれしい限りです。

高岡の方々もぜひ、奈良県川上村においでくださいね。そして「逸村逸品運動」をみんなで広めていきましょう。

NPOスローライフ・ジャパンのフェイスブックページ「逸村逸品」もご覧ください。↓
https://www.facebook.com/slowlifej?bookmark_t=page

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スローライフ運動 日光へ行こう! 2012/01/22 3:23 pm

2月10・11・12日「スローライフ・フォーラムin日光」を開催です。日光といえば、東照宮や杉並木などを思い出しますが、合併した日光には多様な魅力が。

足尾、栗山など、普通の観光ではなかなか行かないところでの分科会、鬼怒川温泉駅前での全体会という構成で、テーマは「交流」。

この日、日光は全国からの参加者と、日光市民との交流プラットホームになるのです!

栗山分科会などは既に満員御礼、バスを増やす算段をしていますが、事務局・野口としてはさらにお誘いしてします。はい。

詳しくはこちら↓をご覧ください。ご覧いただいたのを前提にさらに解説です。
http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=136

2月10日(金)は8時50分東武線浅草駅を出発。特急りょうもう号で、相老(あいおい)というところまで。(一部8時出発という情報が流れましたが、これは間違い、ゴメンナサイ。)

皆さん、この東武鉄道の特急に乗ったことありますか?全席指定で快適です。日光・鬼怒川方面も同じ。浅草駅の売店は、普通の売店よりいい品揃え(と、私は思う)。ここでカツサンドとビールを買って、小旅行気分ということも。

まあフォーラムの日はビールを我慢しても、お弁当は浅草で買いましょう。で、相老でわたらせ鉄道に乗り換えます。小さな駅、短いホームに着く短い電車に乗ると、昔のバスの車掌さんのようなお姉さんが車内でその先の切符を売ってくれます。いい雰囲気です。

進行方向右が渓谷が見える側。車内販売はありませんが、突然、地元の方がふかしイモなど首に下げて売りに来ることも。

途中、注文していて、お弁当を受け取るシステムもありますが、雪の中2分間で、反対のホームまで走らなければならないので、冬はおすすめできません。私は下見で転びそうになった!

冬のわたらせ鉄道の各駅がイルミネーションで飾られているとのこと。これは楽しみですね。

通洞(つうどう)という駅で降ります。ここはもう、日光市の足尾です。通洞ということばがそもそも鉱山用語。わたらせ鉄道も今は3セクですが、もともと足尾銅山の貨物輸送に使われていた線路です。

ここからはバスで、銅山見学。先週書きました。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=140

見学後、足尾分科会は14時から足尾公民館で。テーマは「産業遺産と環境学習のまちづくり」。通洞駅から近いので、遅く来てここから参加もできます。風のウワサでは、昭和8年頃の、足尾の映像があるとのこと。足尾行進曲とともに流れる昔の様子は貴重なものです。

分科会の後は、「国民宿舎かじか荘」で夜なべ談義、17時から。飲み放題で交流をしっかりした後は、山椒が名物の足尾です「山椒うどん」などで〆。「山椒シフォンケーキ」のさし入れもあるかも。国民宿舎らしく?髭剃りやバスタオルはない「かじか荘」ですが、半露天の岩風呂はいいですよ〜。

翌日11日(土)はバスで栗山まで大移動です。栗山というと、湯西川温泉が知られますが、今回は川俣ダムの方に向かいます。

10時に東武・日光駅、JR・日光駅でこの日から参加の方々をピックアップ。そしてぐんぐん山の中へ。その間、日光について詳しいガイドが車中で。地元にいるスローライフ学会の方が説明です。

昼食にけんちん蕎麦つきの定食を食べて、栗山分科会会場、栗山総合支所へ。ここでは「ばんだい餅」といううるち米で作ったおもちにジュウネン(エゴマ)をぬったものを試食できます。ここのテーマは「山里のおもてなし“食”と“まつり」、それらしい分科会スタートです。

栗山は小さな集落が点々としてある地域。平家の落人伝説があるところですから、昔は本当に交通の便が悪かったはずです。今も残る平家塚(千人分の鎧や武器、小判を埋めたらしい)を発掘したいなんて思わないでください。手が腐るという言い伝えで守られているのですから。

17時から野門(のかど)にあるお宿で夜なべ談義。この野門地区には戊辰戦争の時、東照宮の本尊をこちらに非難させたとかで、今も栗山東照宮として祭られています。

「大野屋」の6つの囲炉裏を囲んで大交流会です。ここの料理はいいですよ〜、女将さんもいいですよ〜、さらに温泉もいいですよ〜。本当はここの料理を食べてから話し合いをすべきなのだけれども・・まあ、しょうがない。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=139

そして最終日12日(日)は、パネリスト・コーディネーターと事務局は鬼怒川温泉駅前の藤原公民館へまっしぐら。一般の参加者は、栗山地区でも湯西川へ入ってここのかまくら祭りを見学、お土産など買って食事もして、全体会会場へ。13時30分から全大会・テーマは「交流」で、16時終了。鬼怒川温泉駅からみんな帰路に着く、という段取りです。

と、事務局目線で一気に説明しましたが、なんだか食べ物のことが多いのは私の性格でしょうか。

今日時点のお申し込みで、遠くは新潟県、富山県、福井県からもご参加。まちづくりのNPO、行政、商工会議所、個人、立場もいろいろな方たちです。

足尾・栗山・全体会のパネリスト、コーディネーターがほとんど泊り込む12日夜は、日本全体を見回しながらの大変な交流夜なべ談義になりそうです。

これだけの全国からの濃い?人たちと、日光市の地元の方々の交流が、みんなの栄養になりスローライフのまちづくりへ一歩も二歩も踏み出すきっかけになれば・・・私の肩こりも報われるというもの。

まだ間に合います、ご参加ください。
お問合せは私のNPOまで。↓

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002東京都新宿区坂町21 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
メール slowlifej@nifty.com

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スローライフ運動 足尾銅山跡 2012/01/15 8:22 pm

“跡”というのは物悲しいものです。城跡、学校跡、歴史や思い出に浸るならいいのですが、鉱毒ガスで自然や暮らしのなくなった銅山跡となると、かなり胸が詰まります。日光市の足尾銅山跡を訪れたとき、寒々しい気持になりました。

でも、植林の跡も見ました。苗はまだまだ大きくなっていませんが、未来に向けて人が動いた跡です。我々は何をすべきか!新しい足尾を感じました。





江戸時代に発見された鉱脈は、寛永通宝を造り、“足尾千軒”といわれる繁栄を築いたそうです。その後、生産は落ち込んだものの、民間の手で返り咲き1884年には日本一の生産量となりました。

しかし1885年には鉱毒被害報道が。精錬に必要な木材を付近の山から切り出し、さらに、精錬時に出る有毒ガスとそれに伴う酸性雨が木々を枯らしたといわれます。木々だけでなく、土壌も、人の身体も、村も・・・・。

これは、日本の近代化、経済成長を急いだ日本の各地で起きた、いわゆる公害と同じ質のものです。つい先日、今の“福島”と“足尾”を同じく論じる大きな新聞記事を見ました。確かにそうかもしれません。

実際に山の中に入ると、今でも山肌はガレキ状態。植物の生えていない山は、カラリカラリと音を立てて崩れているようでした。まるで清流のように崩れた石たちは、乾いた一直線の流れを山肌に造っています。



普段目にしていないだけで、こんなところが、今でもこんな風なままであったんだ。というのが素直な感想です。東京のきらめくにぎわいと、その発展の基礎を創るためにガレキになってしまったところとが、今このときも同時に存在するわけです。

知らなかったら済んだのに、知ってしまった以上どうするの?と山から問われているような苦しさでした。
そんな時、すくわれたのが植林の風景でした。よ〜く見ると、山の上の方まで。調べると1897年から植林が始まっているのだそうです。それなのに、見た目まだ禿山というのは、それだけ土がやられているということなのでしょうか。

ヤシャブシの木は毒ガスに強かったとか、植林された苗の手前で以前からあったようなヤシャブシが枝を広げていました。

足尾では今、植林はもちろんのこと、環境学習を全国から受け入れたり、銅山跡を観光資源にしたり、新しい動きがずいぶん起きています。負の遺産を、世界遺産に登録しようという動きも。

足尾名産の山椒の葉と実を使った「山の薫りのウインナー」が売り出されたり、特産の山椒を使った山椒料理のお店「さんしょう家」が開店したり。http://nikkokekko.blog121.fc2.com/blog-entry-141.html。

閉山後、どんどん人のいなくなったまちの空き家を、若い芸術家が創作に使っているという話も聞きました。

傷ついた分、人は強くなるのでしょうか。足尾が世界に向けて、環境と自然の大切さをアピールする発信地になっていくような気がします。環境観光という形で、私たちはそのお手伝いができるのではないでしょうか。

語り合いましょう。2月10日の「スローライフ・フォーラムin日光」足尾分科会へお運びください。↓
http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=13

※植林が行われている荒れた山々、村の跡などは、私有地。ゲートがあって基本は入れません。撮影も禁止。というわけで、鹿の足跡の写真を載せます。

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スローライフ運動 地震にあって 2011/03/14 3:40 pm




3月11日、揺れのあと、電車で8分の距離を1時間半かけて歩き、帰宅しました。道路は車と人でいっぱいでした。その後はテレビにくぎづけです。

土・日の、北海道阿寒湖温泉での委員会は中止。月曜の日光市での会議も延期。スローライフの「さんか・さろん」も中止。電車は走らず、スーパーに物はなし。

いろいろな影響がでていますが、被災地に比べたら、たかがこの程度のこと!です。

被災地の地名、映像を見るたびに、あの人は大丈夫か?あそこはどうなったか?と想いをつのらせます。ここでは南三陸町のことを書きましょう。





訪れたのは、2009年の1月のこと。仙台から車で約2時間、海のきれいなかわいい町。「スローライフのまちづくり」について話をするために、うかがいました。役場の方が、熱心にまちをご案内くださいました。http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=44





南三陸町の役場は川のすぐ横にあり、古い建物をいまだに使っていました。「貧乏なまちですから、建て替えられませんよ」と笑う役場の方に、「アンティークでいいですよ」なんて言った私です。1階には私の背より高いところに茶色の筋が残り、「かつてここまで、津波でやられたんです」との説明にびっくりしたものです。

「まちなかの川に、秋には鮭が上がるんです。眠っていると、バシャバシャ音がして、ああ、鮭が相当泳いでるなあ〜ってわかるんです」ともうかがいました。「その音を聞くために、わざわざ南三陸にやってくる、そんな旅をしたいですね」と私。会話は新鮮に記憶します。



小さな講演会は山の上の集会所で行われました。「スローライフ座談会」の看板は手づくり、土間にはいくつものストーブが並んでいました。相当の寒さでしたが、下のまちからみんな車で上がってきてくださいました。

こちらが少し話した後、意見のやり取りです。「南三陸のようなまちこそ、これまでの観光ではなく、ゆっくりした時間を町民とともに過ごしてもらおう」という意見がたくさん出ました。













冷えた身体に振舞われたお汁粉が温かく、「野口さん、ここで足をあぶりな」と、囲炉裏端に座っていたおじいさんが席を譲ってくれました。

海辺のホテルに泊り、翌朝は「お魚通り」へ。大きな土産物センターではなく、まちなかのお魚関係の店が何軒かで「お魚通り」と名乗り、観光客を呼んでいます。とってもいい試みだと思いました。





中心になってがんばっている「山内鮮魚店」では志津川のタコを燻製にして「ヒッパリダコ」というアイディア商品を作っていました。農林水産大臣賞、水産庁長官賞受賞が自慢の山内さんです。

店には、新鮮なカキ、三陸ワカメ、タラ、などなど。「商品として小さいサイズの魚は、焼いたり煮たりして付加価値をつければ加工品として商品になるんです」と、山内さん。

息子さんでしょうか、店の若者が説明してくれました「“しっかり朝ごはん”って商品にしたら、これ、都会の人に売れてますよ」。どんなもんだいと、自信にあふれた笑顔でした。





山内さんの仲間「及善蒲鉾」では、自慢のかまぼこの焼き立てをいただきました。おいしかった〜。まじめにやってきた証の賞状が並ぶお店、ここのご主人は「蒲鉾の本場、小田原から嫁さんをもらってね」と、うれしそうにお孫さんを抱き上げましたっけ・・・。








みんなどこにいってしまったのでしょう。
どうしているのでしょう。
あの温かな人たち、美しいまちは。

一つ一つ積み上げて、小さな幸せを丁寧に喜び、
築いてきたものが壊れ、流れてしまいました。


今朝、我が家の近くのスーパーに、南三陸町志津川(株)ヤマウチの「しっかり朝ごはん」シリーズを見つけました。「サバ塩焼き」と「銀鮭酒塩焼き」を買いました。パッケージには「焼けています。三陸産の鮭を厳選。湯せんであたためてOK」とあります。

今日、停電したら、うちではこの魚をいただくことになります。まさか、こうして山内さんのこの魚をいただくことになろうとは。

たくさんのサメが積み上げられていた気仙沼港、海辺の温水プールで市民が健康づくりに励んでいた宮古市、すばらしい大根畑で遊んだ田野畑村、被災地は何処も思い出のある土地ばかりです。

今も余震が揺れるなか、わたしたちは何をすればいいのか。「助けて」といわないで、「助かること」と「助けること」を考え、実行したく思います。

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スローライフ運動 聖地「利賀村」 2010/10/17 9:56 pm





(深山の中の利賀村)

富山県南砺市利賀村には不思議な力があります。どこからともなく「そんなに急いでどうするの」「人生と向きあってごらん」そんな声が聞こえてくるような。

深い緑とのどかな風景に包まれていると、時計を見る回数が減り、都会の灰汁が流れていきます。そして「小さくても大きなことはできる」という‘利賀力’を授かって帰る。何度も通いたいスローライフの聖地といえるでしょう。




(暮らしがつくる風景がきれいです)

読み方は「とがむら」です。2004年に合併して南砺市になりました。私が最初に行ったのは、1993年のこと。1976年に演出家の鈴木忠志さんが、早稲田小劇場の拠点を利賀村に移し、「世界演劇祭利賀フェスティバル」を行うようになって10年後のことです。

急峻な1000メートル級の山に囲まれ、冬は雪に閉ざされる小さな村から‘世界へ’舞台芸術を発信ということで話題になり、それを静岡県の方々と視察に行ったのでした。

富山駅から曲がりくねる道を登り、細い道で対向車とのすれ違いにおびえながら。「救急の医療が必要な時どうしているんだろう」と車中で話したことを覚えています。




(合掌造りの劇場)



でも、着いた利賀村には、びっくりするほどの人。洒落たレストランで食事し、芝居小屋となった巨大な合掌造りで外国の演劇に触れ、池にこしらえた野外劇場で、夜、雨の中、女優さんが身体から湯気をあげながらの熱演を眺め感動したものです。

利賀村の宿はもちろん一杯で雨の夜道を命からがら富山に戻り、ホテルに入って考えました。「あんな不便な小さな村でも、世界に向けてのことができるんだ!」

その後「世界蕎麦博覧会」があるときき、また訪ねました。蕎麦にこんなさまざまな食べ方があったのかと、小さな村から多様な世界を教わりました。

でも、このとき村内をくるくると回ろうと思っても、谷や山にさえぎられ、同じ村内でも移動が困難な地形であることに驚きました。この村で暮らすこと、特に車の運転ができなくなった高齢者は大変でしょう。

次に行ったのは何時だったでしょう?都市部から利賀村に移った人を訪ねての調査ヒアリング。利賀村のさまざまな発信により、ここと出会った人が、なにかしらの暮らしの道をつくって移り住んでいるのでした。




(ササゲは食べて、カボチャは蒔きます。あるおうちの作業場で)




(豆ガラは焚きつけになります。あるおうちの作業場で)


その後、私は利賀村で見つけたかわいらしく素晴らしい木製玩具を仕入れたり、利賀の赤い蕎麦の実をいただいて蒔いてみたり。なんだかんだ利賀村は私の中に、特別なところとして存在し続けていたようです。

そして今回、「スローライフ・フォーラムinとなみ野」(11月12・13・14日)をNPOスローライフ・ジャパン・スローライフ学会が富山県・砺波市・南砺市と行うことになり、また関らせていただいているわけです。




(中谷さん)


先日、利賀村の地域おこしの核となってきた中谷信一さんに、私たちの勉強会「さんか・さろん」で話してもらいました。「これだけいろいろやっている利賀村でも、人口がどんどん減り続け、集落を維持できなくなっている」とのこと。ズキリ、です。

では、何もやっていないところはどうなるのだろう、なのです。中谷さんは今、財団法人利賀ふるさと財団理事長として、温泉施設や観光施設の運営をしていますが、自分の住む上畠地区15戸の集落を何とか維持しようと地区の催しもしています。

家、座敷、土間、納屋、石積み、畑、風景、そんな集落の日常、風景のなかに現代アートを置いて、楽しみ鑑賞する催し「上畠アートフェスティバル」です。




(村で催しがあると立てる手づくりの幟。これもアート)


「なにかあって、他所の人が来ると年寄り達が元気になるんですよ。でも、じゃあ石垣をきれいにしようなんて作業するのも70歳代の高齢者。4メートルの高さにあがるわけですが・・」「もう、風景すら維持できない」という言葉がまたまた刺さります。

私たちがふわっと行って、「あら、いいところね〜」なんていう、利賀村を始めとする日本の過疎地の風景はこんな風になんとか維持しているのが現実でしょう。




(都市では手に入りにくいソーメンカボチャ)



その現実を踏みながらも、都会人は利賀村などに身を運び、身体や心についた汚れや脂を清めさせていただく、そんなことが今、お互いに大事なのではと思います。

利賀村の自然と人に触れるのは、お肉をシャブシャブするのに似ています。清めとともに、教えや学びを得、力を授けてもらい、再び都市に戻る。そしてもちろん何がしかのお礼を、村に置いてくる。定期的に、聖地に出向く習慣を都会と村に作れば、なんとかならないか・・・・、などと思うのですが。

そんなことを含めて話し合う「スローライフ・フォーラムinとなみ野」の「利賀分科会」は11月12日(金)、富山駅13時集合でスタートです。これを機会に、聖地・利賀村巡礼を。予定はこちらです。↓

http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=100



(岩魚の骨酒を回し飲みながら、ゆっくりと語り合いましょう)

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スローライフ運動 ただ、ぼ〜っとすること? 2010/04/15 10:55 pm

スローライフというと、「ただのんびり、ゆっくり、ぼ〜っと暮らすことですか?」と聞かれることが多いです。「いえいえ」と、そんなときに登場するのが“スローライフ曼荼羅”。

衣食住など暮らしをジャンルに分けて、ファストとスローで見比べるものさしのようになっています。

団体早回り旅行はファストツーリズム、地域観光はスローツーリズム。大型店はファスト、地元商店街はスロー。受験勉強はファスト、生涯学習はスロー、という具合。

ワークショップでみんなでアイテムを出して作ると、地域色も出ておもしろく、いつしか皆さんスローライフの真髄をご理解いただけます。

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スローライフ運動 スローライフの紡ぎかた2「掛川市で」 2008/11/18 12:00 am




















スローライフという言葉と出会った頃、私は静岡市に住んでいて、静岡県掛川市の生涯学習のお手伝いをしていました。何でも「○○とは、何か?」と考える「とはなにか学舎」という名の、地域づくりが実践でできる人を育てる塾です。

当時の掛川市は全国にその名が知られる「生涯学習のまち」でした。生涯学習という言葉を産み出した榛村純一さんという、類まれな天才市長に導かれ、このまちは輝いていました。

そこで10年近く、この塾のスタート以前からコーディネーターの役をやらせていただいたことが、今の私の活動の根っこになっていることは確かです。

スローライフ運動を日本で始めるために、まずはどこかのまちで催しをやろう!NPO以前の我々が考えたときに、迷わず「掛川だ!」と声が出ました。川島さんは榛村さんと昔からの知り合いです、私は塾を通してたくさんの意識ある市民を知っていました。

ちょうどその「とはなにか学舎」で川島さんの講義があった日、市長に面会を申し入れました。「スローライフを市の柱にすえませんか」というような話を、広い応接で川島さんは熱心に語りました。

私は市民と行政との協働の催しをやろう、という案として「まるまる30日間スローライフスクール」というロングイベントプランを語りました。

今もよく、「スローライフ月間などをするのに、誰をまず説得すればいいですか?」と各地の市民の方に聞かれることがありますが、私は「まず、首長」と応えます。

スローライフは何課が担当するということではありません、考え方の根源的なことですから、自治体のリーダーが「うむ」と納得して、行政すべてにこの価値観を浸透しなければならないのです。

掛川では榛村さんが生涯学習をずっとやってきたその総仕上げ的な価値観をちょうど求めているときでした。何の企画書も持たないで語る私たちの話に耳を傾けた市長は、さすがであった、と今も思います。

この面会から数ヵ月後、筑紫さんが掛川に入り、筑紫さんとしても初めてのスローライフをテーマにした講演をこのまちでしたのでした。2002年7月、これもまた大変暑い日。この掛川市でスローライフ運動はキックオフしたのでした。

※写真は講演後、行われた「スローライフ月間in掛川」実行委員会の様子。左から川島さん、筑紫さん、榛村市長(当時)

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ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。