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スローライフ運動 スローライフの紡ぎかた2「掛川市で」 2008/11/18 12:00 am




















スローライフという言葉と出会った頃、私は静岡市に住んでいて、静岡県掛川市の生涯学習のお手伝いをしていました。何でも「○○とは、何か?」と考える「とはなにか学舎」という名の、地域づくりが実践でできる人を育てる塾です。

当時の掛川市は全国にその名が知られる「生涯学習のまち」でした。生涯学習という言葉を産み出した榛村純一さんという、類まれな天才市長に導かれ、このまちは輝いていました。

そこで10年近く、この塾のスタート以前からコーディネーターの役をやらせていただいたことが、今の私の活動の根っこになっていることは確かです。

スローライフ運動を日本で始めるために、まずはどこかのまちで催しをやろう!NPO以前の我々が考えたときに、迷わず「掛川だ!」と声が出ました。川島さんは榛村さんと昔からの知り合いです、私は塾を通してたくさんの意識ある市民を知っていました。

ちょうどその「とはなにか学舎」で川島さんの講義があった日、市長に面会を申し入れました。「スローライフを市の柱にすえませんか」というような話を、広い応接で川島さんは熱心に語りました。

私は市民と行政との協働の催しをやろう、という案として「まるまる30日間スローライフスクール」というロングイベントプランを語りました。

今もよく、「スローライフ月間などをするのに、誰をまず説得すればいいですか?」と各地の市民の方に聞かれることがありますが、私は「まず、首長」と応えます。

スローライフは何課が担当するということではありません、考え方の根源的なことですから、自治体のリーダーが「うむ」と納得して、行政すべてにこの価値観を浸透しなければならないのです。

掛川では榛村さんが生涯学習をずっとやってきたその総仕上げ的な価値観をちょうど求めているときでした。何の企画書も持たないで語る私たちの話に耳を傾けた市長は、さすがであった、と今も思います。

この面会から数ヵ月後、筑紫さんが掛川に入り、筑紫さんとしても初めてのスローライフをテーマにした講演をこのまちでしたのでした。2002年7月、これもまた大変暑い日。この掛川市でスローライフ運動はキックオフしたのでした。

※写真は講演後、行われた「スローライフ月間in掛川」実行委員会の様子。左から川島さん、筑紫さん、榛村市長(当時)

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スローライフ運動 スローライフの紡ぎかた1「筑紫哲也さんと」 2008/11/09 9:30 pm



 

















その日は、とても暑い日でした。2001年7月14日から9月30日まで開催された「山口県きらら博」のある日のこと、宇部空港を降りてからその会場に向かう途中の食事処で、頼んだアサリの酒蒸しを吉永みち子さんとせっせと口に運んでいた筑紫哲也さんの姿を記憶しています。

 今、スローライフ・ジャパンの理事長である川島正英さんがこの博覧会に一部アドバイザー的にかんでいて、開催前と開催後と、何人かの有識者を送り込んでいました。そのある回に、私はたまたま筑紫さんと一緒になったのです。

 それ以前に筑紫さんと会っていたのかいなかったのかはもはや記憶がありませんが、このときのことはよく覚えています。日も後ほど調べればわかるでしょう。家族連れも多いこのご飯屋さんで、出がけに筑紫さんは大きな牡丹餅を二つ買いました。

「今夜、原稿を書かなきゃならないから」つまり夜食です。「でも、暑いからすぐ悪くなりますよ。会場に着いたら冷蔵庫に入れておいてもらいましょう」と私。そんな会話をしたものです。

 会期中に250万人以上の入場のあった催しです、この日も会場はごった返し、ご案内をされているはしから、皆、汗だくでした。当時私はまだ着物はときどき着る程度、この日はノースリーブにミニスカートと裸同然でしたが、暑さだけが思い出に残ります。

 ホースセラピーを提唱されていた吉永さんと一緒に、筑紫さんは、子供たちの乗馬体験コーナーでずいぶん時間をかけてその様子を眺めていました。その後、暑さから逃れるように入った、外より涼しいベコニアガーデン温室で食べた、アイスクリームのおいしかったこと。

 さて、そしてこの日の、夕食のときのことです。今、副理事長である瀧栄治郎さんが、京都から食事の席に参加されました。彼が小脇に抱えていた資料はニューズウィーク、スローライフを特集した記事でした。

 川島さんと瀧さんは、このスローライフという考え方を何とか運動として日本で展開できないか、この山口に筑紫さんが来るのを機会に説明しようとしていたのです。

 説明を聞いたそのとき、即、「いいじゃない、やりましょうよ」そんな反応で筑紫さんが賛成しました。この日、このときが、わがNPOスローライフ・ジャパンの出発でした。

 名前も組織も当然まだなかったのですが、とにかくこの日本を何とかスピードダウンさせなくては、もっとゆっくり本質的な生き方をするような世の中にしなくては、とそんな話が食事中に広がり「スローライフだよ、スローライフ」と、何度もことばが飛び交ったのでした。

 私は多少興奮しながらも、筑紫さんの座布団の横、畳の上に広がった「スローライフ」という文字のニューズウィークを眺めていました。初めて聞くことば、そして、何だかとてもズシリ重いこと。自分が目指してやってきたことは、すべてこれだったのではと肌がザワザワしてきます。

 大人たちが、学生の議論のように熱くスローを語っているそのスピードに乗っていくのが精一杯ながら、自分のかかわっている静岡県掛川市の生涯学習のこと、静岡市での商店街活動‘一店逸品運動’のことなどを、ちょっぴり発言していました。

 スローライフ運動を起こそう!と決まった日の夜、筑紫さんはおそらく冷蔵庫で固くなった牡丹餅をかじりながら原稿を書かれたのでしょう。夜中になる少し前、ホテルのバーでまだ飲んでいるみんなのところに顔を出しました。

 冷房で冷えたためホットワインを注文する私に、「うまいの?そんなの」といいながら、ご本人はコーヒーをすすっていました。

 筑紫さんが亡くなって、2日経ち、以前からずっと書こうと思ってきたこれまでの「スローライフ運動」のことを、今日から書き始めようと思います。

 いずれ整理するつもりなので、文章はめちゃくちゃ、かつ、データも甘いのは承知のうえ。とにかく書きましょう。書きましょう。

※写真は私が始めて見た「スローライフ」の文字。この日の資料です。(「NEWSWEEK 2001.7.4」)

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スローライフ運動 スローライフ・ジャパンのホームページを。 2008/10/25 8:07 pm

スローライフ運動については、NPOスローライフ・ジャパンのホームページをご覧ください。
私のライフワークとして取り組んでいます。↓
http://www.slowlife-japan.jp/

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写真でみるゆとりある記

小浜の足湯100円
帯広「北の屋台」で。
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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。