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ゆとりある記 山田町で食べたもの 2016/10/29 8:52 pm

岩手県山田町に通っています。白石集落の活性化のお手伝いですが、行くたびにおいしいものに出会います。

カキのソテーリンゴソースかけ、プリプリのホタテ貝、味のしみた煮しめ、あっさり味のラーメン、クルミと黒砂糖がたっぷり入った素朴なお団子。

どれも山田はすごいよ〜と叫びたいおいしさなのですが、飛び切りは地域おこしのお仲間と輪になって食べた手作りのお弁当でしょう。

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素晴らしいカキが採れる山田です。産地に来たら生をと思いますが、地元の方は生より焼いたり揚げたりを好むそうです。

あああ、海の味。一つで満足です。






ソテーが出ました。この店のオリジナル、甘く味付けしたリンゴを裏ごしして、ソースとして掛けてあります。

バターの塩味と甘いリンゴ、濃厚なカキの味が絶妙。





食べるまでは至らなかったですが、ここの海産物店ではイカを持ち込むと、ノシてくれるみたいです。

生ではなく、よく干したイカを持ち込むようですが、ノックアウトするのではなく、柔らかく薄いノシイカにしてくれるようです。通っているうちにいつか、試したい・・。




山田の人、というよりこのあたりの人は“だんご”という呼び名で、いろいろなおやつを食べます。

野菜の直売所に行けば、その手作り“だんご”のずらりと並ぶコーナーがありました。

お餅、小麦の餡入りだんごや、米粉の大福のようなもの、小麦の皮で餃子のような形を作り中にクルミや黒砂糖・ゴマの入ったもの、青い豆をつぶして米粉と混ぜて固めたもの、などなど。

ケーキ屋さんやお菓子屋さんがある暮らしに慣れていると、??なのですが、こういう土地では自ら作る。しかも永年食べていて口に合ったものを、ということでしょう。

とにかく、みんな、“だんご”を、作るのも食べるのも好きなんです。



会合にも小麦の“だんご”と、米粉の“だんご”が持ち込まれます。中に手作りの小豆餡がたっぷり入って、ゆで上げてある。手間がかかっています。

都市部の女性がクッキーやシフォンケーキを焼く感じで、ささっと作ってしまうのでしょう。




醤油味の“だんご”もあります。











「ひゅうず」という名の“だんご”。まるで餃子ですよね。上にゴマがかかっているのもある。










食べるのが難しい、普通にかぶりつくと中のとろけた黒砂糖がたれてしまう。

でも、でも、もっちもちの小麦と、ゴマと黒砂糖の味、そしてクルミの味、食感がたまりません。






そしてラーメン。漁師さんたちが朝ごはん代わりに食べるラーメンだそうです。

シンプル!お店のメニューはこれだけ。








鰹節味のラーメンです。お味噌汁とごはん、お茶漬け、などと通ずる超さっぱり味。

起き抜けにも食べられる、毎日でも食べられるさらっとした味。このラーメンのために山田まで来たいくらい。うなりました!






集落の方々との懇親会の時です。松茸ご飯とホタテのお刺身が出ました。

もちろんいつもこんなごちそうではないのですが、私を歓迎してくださったのでしょう。

口のなかで、香り高い松茸と、甘いホタテの味が混じって山田の海と山が合体したおいしさ。そこの海で採れた貝、そこの山で採れた松茸です。

東京の高級料亭でも、この味は出ないでしょう。鮮度が違うし量が違う。やはりおいしいものは、その土地まで口を運ぶしかありません。



昼間の体験催しの際のごちそう煮しめも絶品でした。前日夜中に、白石のお母さんたちが煮て、一晩味をしませたものです。

手間と時間がかかっている分、おいしい。このおいしさには、お母さんたちの労力と睡眠時間がつぎ込まれているのです。頭が下がるおいしさです。

まちのファストフードとは対極にあるものでした。




なんだか山田町に食べに通っているようですが、山田の幸を食べることでこの地域と身体で繋がったような実感です。

先日、集落の方々とピクニックをしました。と言っても、地元を歩いてお弁当を食べたのですが。

これがまた、おいしかった。

甘い味のお赤飯、ヤーコンのきんぴら、松茸ご飯、だし巻き卵、などなど。一番のびっくりは、松茸の漬物でした。旨さの塊が塩漬けになている。

おいしいおいしい、と食べていると。地元の人たちも、おいしいおいしい、と。

「久しぶりにこんなにゆっくり、みんなとお弁当して。よかった。おいしかった」ということでした。

みんな毎日忙しすぎるんですね。そんな笑顔が輪になって食べた皆さん手作りのお弁当。これが秀逸だったことは確かです。


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ちょっとしたこと 緑化工場 2016/10/24 4:06 pm

先週の「瓦版」で、キリンビールの「○○づくり」が話題に出ましたが、先日私は緑化に熱心な企業ということで、そのキリン横浜工場を見学しました。

ビアレストラン回りには緑があって当然と思っていたのですが、その質と量にびっくり。

海抜の低い土地に大木を育て、住民の避難場所にもなる芝生広場にはバッタの逃げ場も。ビオトープも整備。公園のような散歩道は、近所の保育園や高齢者も利用。

殺風景になりがちな工場でも、努力すればできるという見本です。
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もともと横浜はビール産業発祥の地、1870年・明治3年にビール工場ができたそうです。

そしてキリンビールのもととなる日本の工場ができたのが1885年・明治18年、1888年にはキリンラガービールが売り出されたそうです。

その後、関東大震災で工場は倒れ、1926年・大正15年に今の場所生麦に移転。そして1991年に大規模なリニューアルの時から緑化が本格的に始まったそうです。

地元の人にとっては、産業の象徴のようなビールのタンク、その工場を地元の人に愛され使ってもらえる緑地にと。

あちこち見せていただいたのですが、ここでは割愛。一般の方が入れるところだけの記録にとどめますね。

とはいえ、文字だけでお伝えすると・・・社員の方々が毎日必ず通るという400メートルの通路は、足元も壁面も緑。季節の花も咲いています。

その緑のフェンスの向こうは、ビールを運ぶトラックが行き来しています。トラックの運転手さんも緑を横目に出荷。

研究棟も大きな木が屋上までにょきにょき。緑を見ながら、研究開発できる。なんともうらやましくなる職場環境でした。


一般の人が工場見学ツア―などで訪れる入口。高速道路ができても、シンボルツリーの楠の木は残したそうです。







増築工事中のエントランスプラザにも、壁面緑化が。何かできれば必ず緑化、というルールがあるのかもしれません。








ビールが楽しめる「ビアビレッジ」の横辺りから、緑の中をそぞろ歩けます。

まるで公園のような一般開放エリア。かつてはツツジの寄せ植えが主。2012年から多様な植栽をしているtのこと。

近くに住んでいれば、毎日お散歩したくなります。



ハウベと呼ばれる鎧屋根をもつ二つの煙突は横浜のランドマークだったとか。いまは使っていないのですが残してあります。

この「ヒルトップガーデン」は、普段は家族連れが遊ぶところ。そして災害時には一次避難場所にもなるそうです。ここまでくると、もう工場という感じはないですね。

実はこの芝生の丘の下を、トラックが走り抜けているのだそうです。物流とお客さまの世界を上手に分ける工夫です。


「エコパッチ」という、バッタの逃げ込み場所もありました。

バッタは近くの保育園の子たちのお友達です。







「ビオトープ」も。高速道路の下、ビアレストランの横に作ってあります。観察会やツアーの場にも。ビールをにぎやかに飲む人間たちをよそに、トンボたちがすいすい飛んでいました。







パートナー会社の社員さんが常駐管理体制で緑世話をしています。

ここに遊びに行けば、このガーディナーさんにいろいろ園芸のことを相談できる。

取材していて、なんだかうらやましくなりました。緑化などこれっぽっちも考えない企業もあるのに、近くの住人や社員の方々はいいなあ〜。

ご案内いただいた方からは「水と農産物でできているビールです。自然や緑を大切にするのは当然」との言葉がありました。

本当は世の中全体が、「当然!」になるべきなのでしょう。

量より質を目指すというビールをいただきました。知的な味がしました。

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ゆとりある記 足利のこだわり 2016/10/16 5:27 pm

久しぶりに、栃木県足利市に行きました。滋養野菜「アマランサス」にこだわっている和食屋さんでは、アマランサスのうどん、マドレーヌ、パンが出来上がっていました。

CDショップなのに、燻製卵など売り出していたお店では、オリジナルの「音符カステラ」を販売。カフェコーナーも新設。

こだわりを持って、どんどん変化していくお店に頼もしさを感じました。
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「あしかが一店逸品の会」が誕生して、もう7〜8年になるでしょうか?立ち上げの時にはずいぶん私も通い、一緒に逸品を探し、逸品を育てたものです。

当初からはお店の軒数が減ったものの、今も会は続き、こうしたマップも健在でした。





マップの右手前の「和風レストラン加茂川」へ行きました。看板に「アマランサスにこだわる店」と堂々と描いています。

この堂々とが、何とも清々しい。

アマランサスは実は雑穀としてご飯などに炊き込み、葉は健康野菜として食べられるもの。

あまり八百屋さんには出回らないものですが、健康食品店や自然派ショップではずいぶん見かけるようになりました。

このお店ではずいぶん前から、アマランサスに注目しています。



名物のソースカツ丼や、ボリュウム満点の和定食もありますが、このアマランサスうどんは秀逸でしょう。

翡翠のような色、いかにも体によさそうな輝きです。

おかみさんのお話。「介護疲れの時に、アマランサスの種をまきました。その芽が出て、育っていくことがうれしくて。子どものように思えたんです」

つまり、ここのアマランサスは自家農園で育てられている、自慢のもの。勢いよく伸びるアマランサスに、おかみさんも育てながら元気をもらってきたのでしょう。



カルシウムと鉄分に富んだこのアマランサスで、お客様も元気になってほしい。

ということで、アマランサスドレッシングが生まれました。そして、生のうどん。このたびは、粉末にすることにも成功し乾麺もできていました。

新製品が次々と誕生していきます。


「粉にするまで10年かかりましたよ」とご主人。アマランサス以外も、畑でたくさんの野菜や花を作っている方です。



アマランサスマドレーヌもありました。












粉ができたので、パンにも練り込んで。見事な緑が美味しそうなアマランサスのパンです。

こだわるならとことんこだわる、やってみる、他にないものを信じて作る。ウケねらいや、儲けのためでなく、まずはお客様に健康を届けたいから。

アマランサスが好き!その一途さが、この店を支えています。


もう一軒うかがったのが「ハマダ」というお店。

以前は、CDショップ、ファンシーグッズのお店だったのですが・・・。燻製卵「はまたまご」を作り、続いて燻製チーズ「はまちいず」を作り。

お店にカフェを作り、テイクアウトできる店構えにも変化していました。

何屋さんなのでしょう???と不思議に思うことが、なんとも魅力的。ズバリ突き止められないから、惹かれるわけです。



なかでも驚きの看板商品は、「音符カステラ」なるもの。

人形焼きのような、鈴カステラのような、縁日で売っている丸いカステラのような。

店主・浜田さんの発明です。

買って帰れば、必ず見た人が「わ〜〜、かわいい〜」というでしょう。そして口に入れればなんだか、リズムが生まれ、のどかなメロディーを口ずさみたくなる。



「この金型からすべて特注で造ったんです。形が複雑なんで焼き加減が難しい」とおっしゃいます。

そりゃそうです、おそらくこんなカステラ世界にここだけでしょう。







米粉の麺・フォーを使ったユニークなラーメンや、マンゴーかき氷、まるで黒ビールのような泡立ったコーヒーなど、「食」への冒険が体験できるお店です。

それでいてちゃんと美味しい、また食べたくなる。定番のフレンチトーストなど、どうしてもいつか私は食べた〜〜い。

お土産にいただいた「音符カステラ」を家人に見せると、「こういうの考えるの偉いなあ〜」としみじみ。

そう、「加茂川」さんにしても、「ハマダ」さんにしても、“何屋”なんて概念は捨てて、自分の信念にまっしぐら。しかもおおいに楽しんでいる。

これで何とか儲けてやろう、みたいな、歯を食いしばって、といった悲壮感がない。だから、こちらも、客側もゆるく混ぜてもらえる。

そんなこだわり方が足利スタイルなんだろうな、と思いました。

一店逸品運動で、魂の入った人たちは強い。大丈夫、大丈夫。また行きますね〜。

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お仕事 白石集落の蕎麦 2016/10/10 3:24 pm

岩手県山田町、大きな震災被害のあったまち。そばでむらおこしをしている白石集落を訪ねました。

「そばづくり全部体験」という全5回の体験の一つ、そばの刈り取りに参加しました。

汗だくで刈っても、束ねるとわずかばかり、実となるとほんの少しでしょう。そば一人前の粉を取るには大変な道のりです。

白石のそばは、都会の老舗高級そばとは違う世界、さまざま教えてくれるそばでした。
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いま、山田へ行くには、盛岡、宮古経由で、バス・車での移動です。鐡道の開通は何時になることやら。

震災後も、最近も、がけ崩れや台風など、これでもかと災害が襲ってくる印象です。

まちに入ると、どこもかもが工事現場。高層の復興住宅や、そびえる堤防、道路、商業施設の工事、公共施設の工事、工事。

まだまだつらい現実があり、多くの皆さんが仮設住宅に暮らしておいでです。



そんななか海側から、山の方にしばらく行ったところにある、白石(しろいし)集落は、震災以前、10年ほど前から休耕田でそばを作っています。

なだらかな稜線、中山間地の里山風景の中に、そば畑?らしきものが広がっていました。

なるほど、花が咲いていればともかく、素人目にはそばがどこにあるのやらなかなか判別できません。


道沿いにあるのが、水車と加工所。白石のむらおこしの活動拠点になっています。

「白石そばづくり全部体験」という催しですから、これまでに、ー錣泙、△修个里花見が行われ、この日の収穫、
そして今後ぅ好ぁ璽弔鼎りソ蹴笋修仄蠡任疎慮海予定されています。

そば打ち体験だけはよくありますが、ここまで全部というのは珍しいですね。



集落のお母さんたちがご挨拶。14〜5人の参加者は、鎌を片手にヤル気満々。











さて、刈り始めました。草取りが間に合わなあったとかで、そばはボウボウに茂った草の中に混じって生えています。

草を抜き、そばを刈り。あ、と気が付けば、そばを踏みつけ。こんがらかりながら、せっかくの実をこそげ落としたりのそば収穫。





そばだけを寄せてみれば、なんとなく実がたくさんあるように見えますが、これを粉にしたとして、何人分になるのか?

もちろんこの日だけでは刈れないくらい、そば畑はあるので結果多くは採れるのでしょうが、普段食べているそば一枚がどれほどの作業の先にあるものなのか!が感じ取れたのでした。


秋の小川がサラサラ流れる横を、そば刈り隊はのどかに次の畑に移動していきます。

作業の間、歩く間に、初めて同士がいろいろおしゃべり。そば友達というか、仲間というか。そんな気持ちが育っていきました。





ふと見ると、私たちそば刈り隊が汗だくで刈ったくらいの畑を、地元のおばあちゃん二人がサクサクと刈りあげています。

しかも美しく。さすがプロの仕事だと思いました。






水車に戻ってのお昼ご飯。おむすびと煮しめと、漬物、天ぷら。おいしいおいしい。

「そばが好きなんでね、とにかく最初から最後までやってみたかった」と中年の男性。

「こっちの暮らしはいいですよ。皆さん親切で。こういうことも楽しめるし」と、ご夫婦で移住したしてきた方。おしゃべりが広がります。次回のスイーツ作りも楽しみになってきました。

そばは一つの手段、そばを通して仲間が出来たり、地元を知ったり、風景を楽しんだり、深呼吸したり、汗をかいたり、昔を知ったり。

高級店のおそばにはない、他の美味しさが大盛りの白石そばなのです。


この体験とは別に、夜、集落での集まりがありました。その時、かわいい温いそばが出ました。

細ーく切られた、上品なおそばとは違う、お母さん風のそばです。

なんだか、ほっこりする味。老舗のおそばは向き合うと多少緊張感が走りますが、ここのはくつろぎのそばとでも言いましょうか。

白石の風土や人柄が、そのままそばには出るのかもしれません。

さあ、このそばを核に、どんなむらおこしを展開していくのか。粉をこねて、形にして、さいごは皆を笑顔にする。

そのそば作りの技を、むらおこしにも活かしましょう。のどかに、そぼくに、ゆったりと、お母さんパワーを繋ぎに。


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お仕事 金の繭 2016/10/03 12:53 pm

群馬県富岡市、かつて養蚕の盛んだった地で、現役の養蚕農家を訪ねました。

ストーブの焚かれた部屋で、お蚕さんの赤ちゃんがむしゃむしゃと桑を食べています。

宝ものを拝見するように、黄色い繭の並んだ部屋へ。「ぐんま黄金」という品種。

「金の繭なんて呼ぶよ。ほら、足も黄色い」蚕をつまんで見
せてくださった農家さんは、子どもを自慢しているようでした。
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昔は、数千軒あった養蚕農家がいまは数十件、希少な現場です。

観光用の見学施設では、蚕を何匹か見たことがありますが、やはり生産現場となると迫力がありました。

すぐ隣にも桑畑がある昔からの大きな養蚕用の家。

「お蚕さんはね、牛なんかと同じで、何頭って数えるよ」とここの農家のお母さんが話してくださいます。


お蚕といういい方も、頭という数え方も、かつて日本の繁栄と生活を支える大切なものだったなごりでしょう。

その、尊敬を持って呼ぶ態度は、お蚕さんの扱いにも現れます。






赤ちゃん蚕のいる部屋は、保育器に入った赤ちゃんがいるような温度管理された部屋。

床には消毒用の石灰がまかれています。ここに、今日来たばかりのチビちゃんたちがびっしり、桑を食べています。

「少しここは温度が高すぎるね。あれ?まだ、あがってこないね」お母さんが下の方を覗くと、これまた一段下にびっしり。

お蚕さんは上に上がってくる習性があるので、入荷?したお蚕さんが、上の新しい桑の葉の方に上がってくるのを待っているとのことでした。



何万頭というおびただしい数なので、つまんで移動させるわけにもいきません。

「結構、待つ、てこと多いですよ」と、修行に来ている地域おこし協力隊の青年が語ります。お蚕さんに人間が合わせる、が基本なのでしょう。

別の棟に行くと、ここはもう繭になっている部屋です。段ボールでできた小さな仕切の中に、白い繭玉が並びます。

よく見ると、たくさんのお蚕さんがまだしがみつています。自分が繭を作る場所を探しているのでしょう。

この時期になると、お蚕さんは桑を食べなくなり、モコモコ太っていた身体も少し縮み、茶色、飴色のようになってきます。

そして、「ここにする」と決まったら、段ボールの一つのスペースに糸をかけて自分をクルクルと包んでいくわけです。

その糸の長さは1200 メートルとか。つまり、この繭玉からスルスルと一本の1200メートルの糸が取れるのです。

卵からここまで約一カ月、意外に早い。農家的には桑の葉が採れる時期に、何度か繭を出荷できるということになります。



改良を続けてこういうやり方になったのでしょう。この段ボール製の繭の団地のような装置がすごい!

お蚕さんは、上っていく習性があるので、上の方に繭が集中する。

そうなるとその重さで、ぐるりと回転し、軽い方、つまり繭の少ない方が上になり、お蚕さんは上に向かい、空いている部屋にたどり着けるという仕組み。

効率的にたくさんのお蚕さんに、同時期に繭になってもらう装置「回転マブシ」というそうです。

「金色のがいるよ」ともう一棟を案内されました。急な階段を上った部屋には、たくさんの回転マブシが。

見れば、確かに黄色い繭です。お蚕さんを一頭お母さんが見せてくれました。金色のお蚕さんは足も黄色です。




「ほらね、黄色いよ」とお母さんが見せてくれるのですが、お蚕さんが元気に動くので写真が撮れない。

「ほらほら、こらこら」お母さんは、赤ちゃんをあやすように笑います。





珍しい金色の繭からは、輝く金色の糸が取れる。希少なものです。その繭をお母さんが分けてくれました。持っているだけで、幸せになりそうです。

「お蚕さんは手間がかかる」と語る農家さんですが、何十万頭かのお蚕さんをわが子のように愛情を注いでいる思いが説明から伝わります。


石油ストーブはつけっぱなし、そして空気を動かす扇風機も回りっぱなし。大事に大事に、広い広い家の二階を使って。

かつては、人間よりずっと良い環境の中で、お蚕さんを育てたのでしょう。

子どものように育て、その命をいただいて、生きていく。私たちはそういうサイクルの中で、暮らしているのですね。

この生産技術と、お蚕さんの文化が、何とか伝承されること願いました。

化学繊維の大量生産ととは違う、生き物との付き合いの中から繊維をいただくという手間暇が、私たちには貴重なことです。お蚕さんは、いろいろなことを教えてくれます。



帰りに寄ったあるお宅、近代的でおしゃれな家の玄関でお蚕さんが飼われていました。

ここのパパさんと子どもたちが、昨夜もこのお蚕さんが繭を作る様子をずっと見ていたそうです。





どんなことを話したのでしょう、どんな世話をしたのでしょう。富岡市では育てたい人には、こうした養蚕セットを配布しているそうです。

お蚕さんを飼って、繭にして行く時間は、現代の家族にはふんわりとあったかな時を紡ぐはず。私もお蚕さんと暮らしたくなりました。




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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。