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ちょっとしたこと 野口式自動水やり器 2017/06/24 9:05 pm

私は花が好きです。でも庭はなく、やたら出張があります。鉢花を何度も枯らしてきました。

ところが昨年、大発明をしました。靴紐を鉢の土のなか上下方
向にあらかじめ仕込む方法。

片端は鉢穴に出し、紐の上から土を入れ、花を植える。鉢の上にもう一方の紐端を出して、ペットッボトルの水に浸ける。

毛管現象で紐に水が染み、土を潤し鉢底まで。2週間の留守もOK、お試しを!
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この図を見てくださればお分かりかと思います。











現物となると、少々汚い写真となります。これは、前に植えていたものを捨てて、新たに植えようとしています。

紐は何度も使いまわしできます。100円ショップで売っている、木綿製?の靴紐が一番いいようです。靴紐でなくとも、厚みと長さがあって、水を吸うならOK。紐は2本くらい入れた方が、安心です。






鉢底からはたっぷり出します。鉢底に敷く皿にたまった水が上にも上がって行くように。









紐の上から、鉢底石やら土を入れます。












そして苗を植えると、紐は長く外に出ていますね。家を空けないときは、この紐が少々邪魔ですが、私は、鉢にクルクル巻き付けておきます。








そして出かけるときには、大きなペットボトルにたっぷり水を汲み、紐を浸けこむわけです。












写真は2週間家を空けた後。ペットボトルの水はすっかり鉢に移動して、花は元気。











特許申請しようかしら・・・。出来ませんね(笑)
今回は、緩くて軽いお話でした。

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ゆとりある記 蛍もとめて 2017/06/19 1:51 pm

紀の川市鞆渕へ蛍を見に行きました。小さな山里の、清流から自然に蛍が湧いています。

街路灯もない闇の中、蛍求めて足元おぼつかなく歩きました。星空が、黒々と山の輪郭を描きだし、カエルの声がやけに大きく響きます。

栗の花や草の匂いも強く香ります。そんななか、フッと飛ぶ蛍の明るさの尊いこと。

蛍を求めて歩くうち、都会で忘れていたことをたくさん発見できました。
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市役所のある場所から車で40分くらいで鞆渕(ともぶち)。ここの黒豆は、市内でも引っ張りだこの品質。そんなに採れないため、外には出ない逸品です。

黒豆は知っていましたが、蛍も。というわけで、連れて行っていただきました。そうとう山の中に入った感じでしたが、中学校・小学校があり、この時期は蛍を見に来た人の駐車場になっています。

車を出るとひんやり肌寒い、やはり山に登っているのですね。商店街や賑わいなどはない、こじんまりした集落に手作りの看板が立っていました。

この辺りから既に暗いので、知人に携帯で看板を照らしてもらいます。手づくり看板にほのぼのと語られれば、蛍を捕るような気にはなりません。

さらにまた手作り看板。ここを流れる鶴姫川の3つの蛍スポットが、いま蛍がどんな状態なのかわかるようになっています。

「ぼちぼち」「まあまあ」「どっさり」マークの数で状態が分かる仕組み。観光地ではないので、マップが配られたりアナウンスがあるわけでもありません。

この看板・印を頼りに、夜の集落に静かにお邪魔する感じです。

歩き出すとじきに「まあまあ」のスポット。小さな橋の上になりました。三脚を据えて写真を撮ろうとする人、スマホで追いかける人、歓声をあげる人、といっても10人くらいでしょうか。

私のiPadでは到底ダメで、早くも写真に収めるのはあきらめました。

知人が「目に焼き付けてくださいね」と宣います。なるほど、常々、すぐに写真に撮ろうとしすぎますよね。撮れないことが幸いし、丁寧に蛍を観察できました。


川はほんの小さな流れ、橋といっても一間ほど。流れに沿って道が続き、両側には山が迫ります。

少しの平地に家が数軒ずつ。ずっと昔から変わらないような山里なのでしょう。とはいえ、もう真っ暗で、推測の範囲ではあるのですが。

その流れの草むらから、ぽわりぽわりと蛍たち。ゆっくり瞬きながら、飛んでいます。「まあまあ」の量が、なんとなくい感じ。

きれいです。

そこに、橋の近くのお家から、おばあちゃんが息子さんと現れました。93歳、「さっきまで寝ていたけど、息子に起こされて見に来た」のだそうです。

息子さんいわく「ばあさんは蛍より、人を観にくるんだよな」

なるほど、めったに他所の人が来ない里ですから、蛍が湧くとやってくる、人の方がおばあちゃんには珍しく、うれしいのでしょう。

おばあちゃんはニコニコしながら、私たちを見物し「どこから?初めて?また明日おいで」などと話してくれます。

「もう少しすると、あの山へ蛍は帰る」とおばあちゃんが教えてくれた黒い杉木立、蛍のねぐらなのでしょうか。

蛍がねぐらに帰る前に、もう少し奥の蛍スポットまでと、闇の道をゆるゆる登ります。強い栗の花の匂いがしました。椎の木かもしれません、この時期特有の山の香りですね。

水の音の方からは、甘い水の匂いがしてきます。こっちの水は甘いぞ、って本当にあるのかも。

歩くほどに暗くなり、前を行く知人のワイシャツの白色についていくばかり。すると水辺の方から「は〜い、こっちだよ〜」とばかりに、一匹の蛍が飛んで、道を照らしてくれます。

もちろん一匹くらいで道は見えないのですが、そんな気になる強い灯りです。

小さな田んぼが現れました。星空が作り出す、山の黒いギザギザの稜線が、そのまま田植え後の水面に映ります。黒い鏡に黒い山が映り込む美しさ。

ああ、その上をまたふわ〜っと蛍が飛んでいく。私は今、なんて素敵な場所に居るのだろう!身体のなかの悪いものが、抜けていくような思いです。

ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ そんな私をしかりつけるように、大きな声でカエルが鳴きます。確かに、こんな闇の中に居ると、何とも情けなく力のない自分がしっかり見えてきます。いつも、偉そうにしているのに。

それと同時に、妙に落ち着いて腹が座ったようになるのは闇に包まれて、怖いを通り越した安心感でしょうか。

昔、夢中で読んだ梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を思い出しました。





この地に住むお知り合いのおうちに寄りました。「よう、よう、来てくれた〜!」急に明るくにぎやかになります。

土日はけっこう人が来るので、地元の方はこういうジャンパーを着て“ホタルボランティア”として、車を誘導するそうです。

ジャンパーの蛍の絵は印刷ではありません、これも手描きです。





川が近いので湿気があがらないように床が高い家。来客は土間で。蛍の時期でもストーブと炬燵は離せないとか。

温かいコーヒーをいただいて少しおしゃべりしていると、柱時計がボーンと鳴りました。

ここの奥様が煮てくださった鞆渕の黒豆は、今年のお正月、我が家のお節料理の華でした。

あんまりきれいなので写真を撮ったものです。こんないい山里で、こんないい人たちに育てられ、水音と柱時計の音を聞きながら沸々と煮えた黒豆です。美味しいはずですね。

考えるに、黒豆は鞆渕の冬蛍なのかもしれません。

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スローライフ運動 高知のもてなし 2017/06/12 2:54 pm

「ふるさと創生ニッポンおかみさん会全国フォーラムin高知」にコーディネーター役でうかがいました。

参加者330人。会場一体で真面目に話し合った後の、懇親会が印象的でした。もてなす側の高知の女性たちが踊る、食べる、飲む。他所ではご当地の女性は控えがちですが、高知は、自らも楽しみ分かち合う土地柄。

そもそも皿鉢料理は、女性がゆっくり宴会するためのものと聞き納得です。
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こういう催しです。昨年の南三陸町での開催に続き、このフォーラムでのコーディネートは2回目になります。








高知の街を一人でぶらつこうかと思いましたら、商店街のおかみさんがご案内してくださいました。

ここは名高い?「ひろめ市場」。昼から、いえ朝から飲める環境です。入っているお店の多様なこと、安いこと。

小ぶりのギョーザでビールを飲んでいるおじさまに「美味しそうですね」と声をかけると、自分で作ったかのごとく「うん、うまいよ〜」と言いながら、自分の隣に座れと誘います。

いささかまだ早い時間。でも、誰でもすぐ一緒になってしまうところだということがよく分かりました。


アーケードの整った商店街を歩きます。地方に多いシャッター商店街ではありません。

空き店舗がない!ちゃんとお店をやっている。毎日ここを歩ける市民は幸せですね。

シャッター街がわが故郷の顔なら、若い子は一時も早く逃げ出すでしょう。


一軒のお店に入りました。ちょっとおしゃべりできるスペースにアジサイが活けてある。

いい商店街の条件である、「花や緑に気を付けている」にピタリ。同じく「休めるベンチがある」もこのアーケードはOKでした。





チャレンジショップに入ると、ヨサコイの衣装の一部、頭飾りを製作中。

年間を通して、なにかしらヨサコイに向けてわくわくと時が動いている街なのですね。






「はりまや橋」、手前の赤いのが観光用、向うの石の大きな橋が戦後にできた古いもの。

通りかかった観光客に、おかみさん達は橋の説明をして、写真を撮ってあげています。

普段からこういう光景があるのでしょう。



高知名産のサンゴ屋さんには、フォーラム歓迎の貼り紙がありました。

お店のおかみさんのご主人が、高知が空襲で焼けた話、サンゴをどのように加工するかなど、お話してくれます。

一人旅で来ても、高知なら寂しくありませんね。人がほっといてはくれませんから!

おかみさん達と打ち合わせも兼ねて、フォーラム前の晩餐です。

カツオ三種盛をはじめ、地元のお魚が次々と。それらに触れると、書ききれないので最初に運ばれたキビナゴの写真だけにしましょう。

そしてお酒はやはり日本酒です。女性4人で、お銚子が何本空いたか・・・。皆さん強い、強い。

そして夜が明け、フォーラム当日です。

私は壇上でしたので写真がありませんが、尾崎正直・高知県知事の「地産外商」のお話が、しっかり残りました。

会場からも限りなく意見があるのですが、ああ、時間が足りなかったですね〜。

でも、それなりに何とかまとまったかと思います。

そして、冒頭に書いた懇親会。これが皿鉢料理です。

大きなお皿に、オードブルからデザートのスイーツまでがのっている。こんなお皿が何種類も。

主催の高知おかみさん会の皆さんは、2回も試食してメニューを決めたとか。

高知では宴会を「お客」と呼びますが、確かにお客が始まったら、フルコースなどがちまちまと運ばれたのでは、席を立って交流ができない。皿鉢はお客向きなのです。

そして、こうしておけば、女性が何度も台所に立たなくて済む。昔から高知では女性も「お客」できたわけです。

だから懇親会は名刺交換のラッシュ。そして高知のおかみさん達も飲む、飲む。

と思っているとダンスが始まりました。SMAPのメドレーをなんと平均年齢69歳という高知のおかみさん達が踊ります。

「ぎりぎりダンサーズ」というグループ。もちろん男性もおいでで、毎週水曜に商店街のお好み焼き屋さんの上で練習しているとのこと。

「覚えるのももうぎりぎり、体力もぎりぎり、息切れがして」と名前の由来が泣けます。

とはいえ、軽やかなステップと身のこなしに、びっくり。「わ〜〜〜、おかみさん達カッコいい〜〜〜」と叫び続けた私でした。

もちろんヨサコイタイムもあって、鳴子を皆が鳴らしました。この懇親会、よくよく考えると、踊るおかみさん達、鳴子を振ってヨサコイステージに立つ知事、素敵な歌声披露の市長、お猪口を持ち続ける女性たち、皆がほんとに楽しんでいる。しかも地元がです。

遠くからの方々を仕方なく接待しているなんて感じは全くない。「私たち楽しいの〜、混ぜてあげるよ。飲んでいきな〜」というラテン系のノリです。

高知県は「高知家」というコンセプトを打ち出し、皆が家族という考えで県政を進めていますが、この日は私たち外来者も、すっかり家族・親戚になってしまったのでした。

翌朝は、高知城がむこうに見える大通りの市に行きました。日曜市が大きいのですが、この日はこじんまりの木曜市。

それでも、全国からのおかみさん達買う気満々です。







果物が安い。












山菜やコンニャクも。ちりめんも、テンプラも。冷やし飴もところてんも。売っているのも買うのも女性たち。

「こういう市を利用すれば、そんなに生活費がかからない」と伺うと、もう、高知に引っ越ししたくなります。



県東部安芸へ向かいました。途中から「ごめん・なはり鉄道」です。


高知おかみさん会の計らいで、車両をひとつ増やしていただき外のデッキから景色を眺めます。






前日はずっと室内だったので、この解放感はたまりません。

久しぶりの深呼吸です。水平線当たりの黒っぽい海こそ、黒潮。この海を眺めて、龍馬はじめ、多くの偉人が大きな夢を描いたのです。

高知のもてなしは、女性を中心とした、カラッと明るいものでした。自らの胸襟を開くことで、外からの人の心も解放させる。これぞ高知ぜよ、ですね。

お土産に市で買い込んだ、ジャコ。これらを少しずつ食べるたびに、黒潮の海を思い出し、高知のおかみさんのような骨太の女を目指したいと思います。


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ちょっとしたこと 「和」という墓 2017/06/05 1:19 pm

父親の23回忌でした。久しぶりの墓参り、姉夫婦とその子ども・孫、わが夫婦、94歳でまだまだ元気な母親が集いました。

なぜ父はお墓に「和」と一文字刻んだのか?母から説明がありました。

「結婚してもしなくても、どんな姓を名乗っても皆が仲良く入れるように」とのことでした。

「私の後に皆さんどうぞ」と笑う母。はいはい、喜んでつかわしていただきます。
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うちの父は9人兄弟、男女混じった9人のなか男の4番目のため志郎の名でした。家は医者、両親は忙しく幼いころから一番上のお姉さんの嫁ぎ先に弟・吾郎さんと預けられます。

そこはお坊さんであり哲学者の家、雑巾がけなどをしながらも人間としての基本を仕込まれたのかもしれません。母のように慕うこのお姉さん、私にとっては叔母の話、世話になった叔父の話はよく出てきました。

父のおじいさんに当たる人が福沢諭吉と交友があったとかで、父は慶應義塾一筋、慶應ボーイと自分を呼んでいました。雨の中の学徒出陣の行進の録画がテレビなどで流れると「お父さんはあのあたりにいて先輩を見送ったよ」と話していました。

慶應義塾大学の機械工学を出た割には英語に長けて、やがて海外輸出の多い機械のセールスエンジニアになります。

千葉市検見川町の米屋であり市会議員を長くしていた家の次女・母と結婚。苗字は父側の野口を名乗りましたが、母の実家に入る形での結婚でした。

それから当時の省線に乗って、新大久保の会社まで通い続けるサラリーマン生活でした。

高度成長期の営業マンは飲むのと麻雀接待が主です。毎晩どうやって帰って来たのやら。子どもながらに、深夜お酒の匂いをさせて戻り、倒れ伏してゴーゴーと嵐のようなイビキで眠る父に、身体は大丈夫かと心配したものです。私がお酒が強いのと、イビキがひどいのは父譲りです。

父から大きな声で怒られたことはありません。「智子はいつも笑っていなさい」といつも言っていました。ふと見ると、父が私を見ていることがよくありました。「何見てるの?」と聞くと「智子が面白いから」と答えます。

そんな父が大好きだったのは高校ぐらいまで。だんだんあまりにも穏やかな父が、つまらなくなり怒りを覚えるようになります。反抗期ですね。

そんな跳ね返りの私に父が言ったこと。「着物で一人で酒の飲める女になりなさい。昼からお酒が飲めるのは蕎麦屋だからね。ザルを頼んで、海苔のついてるところで一合。残りの蕎麦で一合。それくらいにした方がいい」と教えられました。

そして高校卒業後、学生運動にかぶれた私は家出をします。

父と再び会ったのは数年後でした。私の居場所を探しあて訪ねてきたときに、言った言葉は「苦労したね」。この時も怒りませんでした。

今思えば、平和で温かで笑顔のある、そんな極く平凡な家庭をつくることに、父はずっとあこがれていたんじゃないかなあ。

父の日曜日の夜、くつろいだ印象深い光景です。まだ私が小学生の頃のことです。家の小さな畑で自分が作った枝豆を食べながら父がビールを飲む、ナイターやボクシングをテレビで見ながら飲む。膝の上には私が座っている。

父が座卓の上の枝豆を取るたびに私の口にも入る。ビールを注ごうと手を伸ばすと、父の顔が近づき私のほほに髭がザラリとさわる。

そのうち缶ピースをプシュッと開けて、甘い香りの煙をくゆらせる。「ほら」と見せるのは、ポッ、ポッ、とほっぺをたたきながら作る煙の輪っかでした。

父と仲直りし、もともと喧嘩もしていないのですが、旅行に行ったり私が住んでた静岡に父が泊りに来たり、そんな晩年がありました。

あるときポツリと言いました。「お父さんは、智子を守れなかったんだよ」

今でもその意味が釈然としません。温室のような家庭の中に、「和」の中に、入れておきたかったのか?「でも、出て行った私は、とても幸せなのですからそれでいいじゃない」というようなあいまいな返事を言ったような気がします。父はもっと深いことを言いたかったのかもしれません。

母と相談しながらお墓をさっさと造ったようです。それは冒頭の「和」という字だけのお墓でした。墓地で見渡すと、○○家の墓としないところがいくつかありました。

そういう時代なのでしょう。そして父の場合は、自分が求めた和やかな永遠の家庭をお墓にも、だったのかと思います。



23回忌は母の誕生日も兼ねて。皆でイタリア料理です。父は皆がそろった姿を見ながら大喜びだったはずです。代わりに私が、シャンパンを一本飲みました。

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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。