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お仕事 ワークショップ38回 2018/03/26 1:32 pm

2014年から続いた、和歌山県紀の川市でのワークショップが終わりました。果物産地でフルーツをテーマに交流を起こし、紀の川市ファンを増やすための動き。

市役所担当によると、38回で約190名、延べ約1200人の参加だそうです。

最終回に、写真で振り返りました。市民が初回に出したアイディアを、この4年半で市民の手で着実に実現してきたことがわかります。ご苦労様!
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最初の頃に配った、ワークショップの進め方の紙です。(写真)まずは皆が何をやりたいかを思いっきり書き出します。

そして、次の回でそのアイディアを整理し、「すぐやること」「少し先にやること」「いつかやること」に分けた。こんなことから始まりました。



フルーツをテーマに交流を起こし、ファンを増やす「フルーツ・ツーリズム」を始めよう!という目的は最初からはっきりしていました。なのでまずは私がその話を40分くらいしています。

「世の中はファストライフからスローライフに変わりつつある。産物の果物をただ売るだけでなく、文化として捉えよう。物からコトへ。フルーツ観光も単なるもぎ取りではなく、フルーツによる生活提案がなくては。まちじゅうが下を向いてただ果物を生産している、巨大な果物工場ではダメだ」なんて話をしたと思います。(写真は初回の次第と最終回の次第)



昨年から担当についた市役所の新人さんが、38回を振り返る写真を整理してくれました。(写真)今回、振り返りをして、初回の頃のアイディア眺めると、出たアイディアは確実に実現されています。






「フルーツ川柳公募」(これはその後進化してフルーツカルタとなり、巨大カルタを体育館で取り合う催しが2回行われています)、「フルーツカレンダー」(小学生からフルーツの絵を公募し、365日すべて違う手描きの絵で埋めるカレンダー。今年で3年目の発行)、「ふるうつ茶会」(フルーツのお菓子で催すリラックス茶会。桃野点や宵野点、市役所ロビーでの茶会も)。

そして「フルーツ料理の開発」(コンテストをしたり、飲食店がフルーツを使ってメニューを工夫したり。フルーツ寿司、フルーツパスタ、キウイすき焼き、などなど)、「フルーツ商品開発」(フレッシュフルーツかき氷、桃守り、桃ハンドクリーム)、(写真はハンドクリーム)「フルーツ博覧会」(「ぷる博」の名でフルーツにちなんだ小さな催しを市域各地でたくさん開催。今年で2回目)。



書ききれませんが、みんなよくやってきたなあ〜とつくづく思います。(写真は最終回に配った市からの挨拶文と「ぷる博2」のパンフ)








最終回のワークショップのために電車に乗ると、今、ちょうど開催中の「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会 ぷる博2」の中吊りが。(写真)

街じゅうで、今回は52種類の体験催しが開催されている。それを、一昨年できた一般社団法人フルーツ・ツーリズムが仕切っている。私はお客として参加すればいい。「ぷる博5、10、15」と続くのでしょうか。


最終回ワークショップ前にランチに出かけると、まず清見オレンジの生絞りがでて、お料理のサツマイモも清見果汁煮、ドレッシングも果汁入り。

母娘でやっているかわいいカフェで、普通にこういう料理が出てきました。最初にこのまちに来た、5年前にはなかったな〜。



最終回会場には38回分のワークショップ資料が並んでいました。私は現場は回しても資料などは作らない怠け者ですから、市担当者が苦労して作って来たものです。

初回からずっとこのワークショップをお世話してくれた担当者がその資料を撮影中(写真)。普通の行政の仕事とは違う初めての試みばかりなので、大変だったと思います。

どんな風に苦労だったのか?これは解説していかないとわかりにくいかもしれません。実は、市民発案の企画を市民が実践!といいながら、最初の頃は、とことん行政が上手にお世話をしていました。

とにかく「まちづくりは楽しい」と思ってもらうために、前にでないように、でもうまくカバーして、市民がやったと思えるような形に支えていたのです。

だから、市民の方々は「こんな会議のやり方もあったんだ」とか「子連れでもまちおこしに参加できる」「面白いことやれた」なんて手応えを持ったはずです。

しかし、成功体験を持った後は、自走してもらわねばならない。ワクワクしたワークショップは、だんだん辛い、合同会議のようになっていきました。

やることを企画メモにする、テーマごとのチームが予算を持ち、それを収支計画を経てて使い、必ず利益も出す。夢を追っていれば良かったワークショップは、現実味を帯びてきます。

でも、ここで踏ん張らないと、いつまでも行政が市民をお客様のようにチヤホヤし、市民も持続可能な活動を作れない。事務局作業は誰かがやらねばならない。でも行政はやらないように舵を切る。つまり、市担当者も私も、意地悪な嫌な人になったのでした。

何でもハイハイとやってあげる方がどんなに容易いか。企画書を書いてあげる、収支計画もたててあげる、役割分担も作ってあげる、タイムスケジュールも、広報も、記録も、報告書も、、。

やってしまうことは容易いのですが、後から困るのは市民です。「市役所がやってよ」と頼んでくる市民と行政は戦わねばならない。ワークショップ参加者はずいぶん嫌な思いをしたと思います。そしてイエスマンにならない市職員・地域おこし協力隊はしんどかったと思います。


ワークショップではマイクなんかで話したくないのに、必ずマイクが回わってくる、何か言わなくちゃならない。「質問なんかありません」といえば「では感想を」と私がたたみかける。

でもこれは訓練で、誰かの発表に対し、感想や質問をかぶせることで、発表内容をより良いものに研いでいくという作業です。わざと厳しい質問をしてあげるのは仲間への愛情表現なのです。

普通の主婦の方が、当たり前にマイクで話せるようになるまで時間がかかりました。(写真は最終回での発表、みなマイク発表は当たり前になって)


最終回にあわせてか、参加者の若者が「フルーツ・ツーリズム」の活動を論文にまとめてくれました。客観的に文字にしていただくと、ああ、そういうことをしてきたんだなあ〜と思えます。


最後に、私が紀の川市に通うことになったそのきっかけを作った今の部長さんから熱いメッセージがありました。この方は、途中、ご自分の部署が変わっても、一市民としてワークショップに通い続けてきた方です。

『この事業は「紀の川市の観光ファンを拡大する」ことが一番の目的であることは間違いないことですが、この事業を通じて、多くの市民の方を発掘することができました。いまでは、市民と市民との交流ができ市内のあちこちで化学反応が起きています。最近、紀の川市では長期総合計画策定のための市民アンケートを取っています。「“紀の川市はフルーツのまち”というイメージがありますか」の問いに、「そう思う」が前年度は43.6%、今年度は47.1%。「どちらかといえばそう思う」が前年度は37.6%、今年度は40.4% 。合計でいいますと81.2%が87.5%になった、実に一年間で6.3%も上がったことになります。これを分析するとこの一年間での伸びは、やはり、青果を売っていることだけでなく、フルーツを通じての文化・歴史・体験等の数多くの取り組みが、市民の「フルーツのまち」としての認識を高めたといえるのではないでしょうか。まさしく、フルーツ・ツーリズムの活動が、フルーツ・ツーリズムに携わっていただいた方の「紀の川市が好き、愛している」という気持ちが、この数値をもたらしたといっても過言ではないと断言します。』


東京と地方とを比較して、長い間、「わがまちは何もない、自慢できない、東京がいい」という物差しが根強いものでした。

それが「○○のまち」と言える言葉が持てたことは、座標軸を変えたことになります。

まちづくりの動きの評価をなかなか数字で示すことができないものですが、これは私にとってうれしい数字となりました。

「紀の川市フルーツのまちづくり」のファーストステージが終わり、続いてセカンドステージへ。

新年度は、まちづくりができる人を育てる「人材育成塾」が始まります。

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ゆとりある記 “巻きうどん”劇場 2018/03/19 2:14 pm

なんともドラマチックな劇場型?うどんを見つけました。「巻きうどん」です。

板状に伸ばしたうどんの生地を、ロールケーキのように巻いてある。これを巻かれた丸い状態のまま好きな幅に切って、茹でて食べる。

その仕組みに驚き、輪切りにして笑い、巻きをほどいて嬉しく、茹でて香りたち、食べてモチモチ。「わ〜〜!」と、何度声を上げたでしょう。栃木県那須塩原市で発見です。
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私が見つけたのは那須塩原市の「道の駅 アグリパル塩原」。なんじゃこりゃ?って感じでした。

ご案内の方が当たり前のように「切って茹でるんですよ〜」とゆるく説明してくれます。もうこの時点でワクワクしてきました。

お昼にはここでおソバと、クロロフィルの含まれた古代米のモチ米「緑米」入りのお餅を食べたのですが、その時に、「今は蕎麦蕎麦というけど、昔はうどんばかりだったなあ」と話をうかがったばかり。


蕎麦どころでもありますが、実はこの辺は小麦の産地、地粉で家でうどんを当たり前に打っていたのだそうです。

手間がかかるので、それを簡単にしたのが「巻きうどん」。食べたいだけを切ってゆでる、そのほうが痛みもない、という知恵なのでしょう。




調べると、隣の大田原市にもありますし、埼玉県下にもある。さらに四国の讃岐にもあるという情報が入りました。

まあ、うどん文化のところでは、きっとこれは便利で昔からあるのでしょう。




私は道の駅で買ったのですが、それを造っている「秋山製麺」 https://akiyamaseimen.jimdo.com/
に寄ることができました。それにしても安すぎる〜〜。

小さなお店で、若い店主さんが笑顔で迎えてくれます。「もっとこの珍しい巻きうどんを、前面に出した看板にすれば」などと、大人たちがいろいろ言うのを青年はニコニコと柔らかく受け止めます。


赤ちゃんが生まれたばかりとか、お祝いのお返しには坊やの顔の写真がついたうどんが用意されていました。昔からの味を、若夫婦がこれからも伝えてくれるのでしょう。

お店では、地小麦、地蕎麦を挽いて、売っています。手作りのいろいろなカゴ類も売っています。ゆっくり寄りたいお店ですね。いろいろな粉も買いたかった〜〜。



一見、まるで竹輪のような「巻きうどん」に驚く私。地元の方々はいろいろアドバイスをくださいます。

「釜茹でで、小麦の味を楽しんでね」「茹でて、ネギを少し、塩味はちゃんとあるからほんの香付けで醤油を数滴で食べて」「煮込まない方が私は好き」「生卵をまぶして食べてもいいよ」

もともと、「ほうとう」とか、「ひっつみ」とか、「耳うどん」とか、「お切込み」とか、小麦粉モチモチのものが大好きな私です。今すぐここで茹でて食べたい!という思いでした。



そういう割には、自宅でご飯を食べるチャンスがなく、冷蔵庫で5日間が過ぎ、賞味期限ぎりぎりにようやく食べることができました。

もっと早く食べていれば、生地が離れやすかったのでしょう。置いておいた時間が長く、輪切りにすると羊かんのような切り身になります。この切る感触がいい、グ〜グ〜と、小麦感満載。



切って切り身を見て、このまま塊かな、ダメかな、と思ったら、ちゃんと離れる!

ゼンマイのように丸まったうどん生地は、そっと触ると上手にほぐれ、一本ずつのうどん状にになったのでした。横で夫は一安心、「この羊かんみたいなままで茹でて食べるのかと思ったよ〜」




グラグラのお湯に放つと、おおお!小麦の香りが家に満ちます。「巻きうどん」に命が入ったようです。

10分くらい茹でて、サッと水で締めてから食べました。というか、もう茹でながら何本もすすっていましたが。




アドバイス通り、お醤油数滴とネギ。これは粋ですね。食事というより、日本酒のあて。











続いて生卵かけ、これはうどんの塩味がマイルドになる。カルボナーラ風です。











夫は、鯛の出しのお澄ましをかけた、熱々のかけうどんが気に入ったようです。












私は冒険。パクチーをちらし、ニンニクをひとかけ、そこにオリーブオイルをたっぷり。これは「マキウドーン・ノ・イタリアーノ」って味。気に入った!!パーティーで出したら、ワインとあいますね。

いずれにしても、歯ごたえと小麦の味、香りがたまらない。第一、白くない自然の色がいい、でしょ。

面白いと美味しいが掛け算でやって来たみたい。これだけのために、また那須塩原に行きたくなります。

うどん好きのあの人にも、この人にもあげよう。お土産で渡して、あそこのうちの子どもたちを楽しませてやろう。と、もうクルクル頭が回ります。

私より一足先に食べたうどん好きのお宅では、甘辛味の肉豆腐の最後に入れて、煮込みうどん風にしたとか。「実に旨かった、ありがとう」とお礼をいただきました。

全国各地のお菓子や名物を食べているお宅で、このワイルドな「巻きうどん」が、まるでミニイベントのような「巻きうどん」が、俄然、存在感を示したわけです。

そうか、今度は煮込もう。そして、秋山製麺のお兄さんに「オリーブオイルがぴったり」とおすすめしよう、と思った興奮の夜でした。

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ちょっとしたこと 7年経って 2018/03/12 2:32 pm

東日本大震災から7年、ここ数日の報道は急に思い出したように震災や復興を扱っていました。

で、私たちはどうでしょう?あの時は、原発は要らないと思ったし、本当に暮らし方を変えようと思ったはず。その本当は、何だったのでしょう。

外国から「あの災害で学習した日本はどう変わったか?」と問われたら・・。

私たちは各人が、自分の言葉で世界に説明する責任があるはずです。
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あの日、NPOの事務所にいると大きな揺れが始まりました。怖がりの私はテーブルの下に潜り込みました。男性2人が、玄関のドアを開け、倒れそうなロッカーを抑えています。まだ揺れてる、まだ揺れてる、いつまで揺れるんだろう、どうなっちゃうんだろう。すごく長かった。

揺れが収まると、家族に電話。直後なのでまだ繋がった。無事を確認すると、40センチくらいズレているロッカーを戻します。ラジオをつける、ネットで調べる。東北だ、大きい。

阪神大震災の時の様子が思い出されます。潰れたビル、倒れた高速道路、同じくらいなのでは。神戸に住んでいた人から、揺れで畳の上を身体がゴロゴロ転がったと聞きました。そんなことも思い出します。

津波警報も出ていました。海辺の方はどうしているのか?思いを北に向けることもできないで、自分の現実でした。電車が止まっている。そのうち動くかも、そのうちって何時?これはまずい、もう帰りましょう。

うちのNPOですらそうだったのですから、都内のオフィスから一斉に人が吹き出しました。駅も道路も人だらけ。駅に行っても動く見込みはありません。事務所にいた3人は「とにかくご無事で」と言いあって別れました。

1人は大変幸運にタクシーに乗れ、渋滞だったり動かなかったりしながらも、歩かずに四谷から中野坂上までたどりつけた。もう1人は仕事を終えてから、都内からさいたま市まで歩き続けた。そして私は、やはり歩いて帰宅したのでした。

四谷から麻布まで、数キロではありますが、歩くのは初めてでした。しかもこの日は着物。着物は慣れているものの、長距離を歩くには向いていない。でも、タクシーなどつかまりませんし、自転車を買ってしまおうかとも、でも着物では。

覚悟してペットボトルとキャラメルを持って出発。ヘルメットをかぶっている女性、非常持ち出し品リュックを背負っているサラリーマン、披露宴帰りの人、子ども連れのお母さん、いろんな人が静々と流れのようになって歩いていきます。

あまりしゃべらない、どうなるんだろうという不安で、皆が寡黙になっていました。いい加減歩くと、もはやハイヒールの女の子は靴を脱いでストッキングで歩き出します。皆、かっこなんてどうでもいい、って感じでした。

六本木まで来た時に、どこかの高級車を売っている店先の大きなテレビに人が集まっていました。見たこともない、凄い津波の様子が映っていました。足がワナワナしました。早くうちに着きたい。

途中の大きなスーパーにはもう品物がなかったので、路地に入ったところの店でカップ麺と魚肉ソーセージを買いました。家に食べ物はあるものの、何かしら買っておきたかったのです。

ようやく家に着くと夫はテレビに釘づけでした。そして、私たちはその後、コマーシャルのないテレビをずっとみることになります。そのテレビから流れる情報は、あまりに悲惨でした。

そして、原発の爆発事故。「今すぐに影響を及ぼすものではないので、落ち着いて行動してください」と繰り返された虚しい政府発表。もっと虚しいヘリコプターからの散水。消防車からの放水。都内では地区ごとに順番で停電にするとか、しないとか。節電節電。

地震、津波の直接被害に目を奪われているうちに、放射能汚染は広く遠くに広がっていたのでした。換気扇をふさげとか、窓に目張りしろとか、子どもは外に出すなとか。うがい薬を飲むといいとか。いろいろな話が伝わって来ました。

当時通っていた合気道道場の外国人の子どもたちは皆、本国に避難しました。東京も危ないから、九州まで移住するという人もいました。

この震災で、福島でつくってくれていた電気を、東京がジャブジャブ使っていたことに初めて気づいたものです。でも急にお店の音楽を止めても、ショウウィンドウを暗くしても、イルミネーションをやめても、もう元には戻らない。福島の人は追い出され、人生が狂い、健康を害した。そして今も。

あの時、一度、日本はわかったのに。膨大な犠牲の上に、過ちに気付いたのに。7年経った今は何?と思うわけです。テレビではばかばかしいお笑い芸人が大食いをやっている。政治家は私利私欲に走り、忖度した役人は犠牲になる。何がどう変わったの?変えたの?

こうしてその時のことの思い出話はできるのに、その後、日本を変えるために私がやって来たことを具体的に書けないもどかしさ。「スローライフ運動をやっています」そのくらいで海外にむけて説明になるのでしょうか?

飯館村で「までいにやれや」と言ってくれたおばあちゃんに、顔向けできるのでしょうか?と思います。

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ちょっとしたこと 会議の進行役とは 2018/03/05 3:33 pm

いま、ファシリテーター研修をやっています。これまでもやりましたが、いつも強調するのは「会議だけかっこよく回してもだめ」ということ。

都会の会議室で若者だけでならともかく、地方の村おこしの現場でカタカナで話したってしょうがない。

会議以前にもっと広く深いところで、いろいろ段取りすること
があるし、それもケースごとに違う。進行役はいろいろ学ぶことあるのです。
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ネットなどで調べると、“Facilitatorは会議などを円滑に運営、管理する進行役を指す。”とあります。

確かにそうかとは思うのですが、実際には円滑ばかりが良いということもありません。

こてこての論争などが起きることもあります。それはそれで私などは面白く、「よくぞ言った」という場面もありますし、時にはブルブル震えて泣きながら発言、なんてこともあります。

そんな本音が出た方が、その後は上手くいくことも。時間通りに、うわべだけで話すよりもずっと価値ある会議になることも見逃せません。

こんな解説もあります。“ファシリテーターは議事進行やセッティングなどを担当するが、会議中に自分の意見を述べたり自ら意思決定はしない。”

そうもしていられないことがあります。活動がかなり遅れている時、えいやっと何か動きを起こさないと突破できないとき、
「もう、とにかくやってみようよ」などと意見を述べ、「みな、それでいいね」などと決定していくこともあるのです。

これで勢いがついて、または野口さんに怒られちゃうからなどの理由で、何かが動き出すことが多々あります。

何かのせいにして、しょうがなくやった。失敗してもあの人のせいだから・・・。

それでも何か得るものがあれば、やって良かったということになる。そういうことを引き受ける役割もあると、私は思っています。

“「場を作る」「意見を引き出し整理し絞りこむ」などが主な役割と”の解説もあります。この場合の場づくりにはどこまで含まれるのか。

以前こんなことがありました。意見がなかなか出てこない。時々つらそうな顔もある。なぜ?と思っていたら、参加していたおばちゃんたちは皆、膝が痛かったのです。

座敷の会議は、意見以前にそれがしんどかった。次に椅子とテーブルにしたら、笑顔がこぼれた。この辺りは、都会の若僧にはわかるまい(笑)。

煙草の問題もありました。土地の有力者がヘビースモーカー、皆がそれを文字通り煙たがっていた。それを当たり前のように私が禁煙ルールにする、そんな場の設定も決定もあるわけです。

さらに踏み込んでいえば、会議などは氷山の一角。そもそもその会議が何の目的で、何回行われるのかを意識して、最初に全体を設計する必要がある。

例えば、8回行って、とにかく参加者が「地域づくりは面白いと実感できるワクワクと、達成感を」が着地点。

ならば、その会議をよりワークショップ式にして、取り合ずワクワクできるように、とことんほめて世話をして「いいね、いいね」で何かしらの試行を成功するようにお膳立てする。

8回終了時には目的通りの状態まで持って行く。これも役割だと私は認識しています。

それはもうファシリテーターではなく、地域おこし推進係なのです。だからそういう立ち位置にまで行かないとだめ、単なる会議の進行ではないよ、といいたいわけです。

なのに、「ファシリテーターってかっこいい」と思っている若者も多いものです。

一方、ホイホイしないで、厳しく、世話をしないで「企画から予算まで考えられる場にする」が着地点。

ならば、これは会議は楽しくありません。本当にことに取り組んで、大人として何かを牛耳る喜びを知って初めて楽しいような場にする。

そんな場ですから、単純楽しいを求める人にはつまらなくなります。そういう場づくりもあります。

何回で、どこまで持って行くのかは、仕事として一番気がかりなところとなるはずです。

地方の小さな会議では、言葉よりも現実で、待ったなしの場合もあります。

草を刈る人もいなくなった。集落には店もない。でも何とかこの十数人でむらを維持したい、希望を見出したい。

そんな小さな寄合で、「私、会議のファシリテーターをさせていただきます野口です」なんて自己紹介をしたとたん、みんな引いてしまうでしょう。

でも、現実、そういうコンサルタントが多い、かっこよすぎる進行が多い、ポストイットが飛び交うだけ。

東京は日本のごく一部、こんなところで通用しても本物の仕事師にはなれません。

と、褌を締め直して、??私、またファシリテーター研修などするわけです。はい。

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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。