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ゆとりある記 新宿御苑の効能 2018/04/30 12:12 pm

「新宿御苑」、この都心の貴重な緑の苑には、自然に飢えた人々がむさぼるようにやってきます。

子どもは大声をあげて走る、夫婦は手を繋いでゆっくり散歩、若者が花を観察。

普段できないことをして、皆の表情がとても良いのが印象的です。

自然に癒される、子どもが子どもになれる、夫婦が夫婦になれる、生涯学習できる、外国人も多く国際交流もできる。200円の効能は大です。
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ホームページにから抜粋すると―ー。新宿御苑は広さ58.3ヘクタール、周囲3.5km。園内は、イギリス風景式庭園、フランス式整形庭園、日本庭園がたくみに組み合わせられています。

日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。約1万本の木々が茂り、四季折々の自然が楽しめる都会のオアシスです。

新宿御苑の歴史は、天正18年(1590)に譜代大名であった内藤氏が徳川家康よりこの地を拝領したときに始まります。

明治5年(1872)には、日本の近代農業振興を目的とする内藤新宿試験場が設置され、その後、宮内庁所管の新宿植物御苑となり、明治39年には日本初の皇室庭園である新宿御苑が誕生しました。―ーーとあります。



だから最近ちょいちょいと造った公園とはわけが違う、歴史を感じるし、第一品がある。

わざわざ遠方からここまでやってくる人も多いのに、我が家からは目と鼻の先。歩いて5〜6分で着いてしまいます。

自分の庭がないので、「御苑」をうちの庭として使う。お弁当を作って行って食べて、芝生で日光浴したり。お花見したり。ウォーキングをしたり。本当によくいきます。

いろいろな庭があるので変化がある、季節ごとの花がある、だから飽きることがありません。他の人も多かれ少なかれ、都会暮らしで足りない何かをここで補填しているのでしょう。



昨日は夫が講師をしている現代写真研究所、ゼミの撮影会。「ヒューマンウォッチング」がテーマだったので、いつもにまして御苑に集う人の様子を観察しました。

桜の時期は、やたら外国人観光客が多かったのが、今や緑の時期となると団体客が少なく、大騒ぎの人が居なくてほっとします。

緑の日にちなんでのちょっとしたイベントがあるくらい。皆が芝生でくつろいでいました。



一番キラキラと輝くようにはしゃいでいるのは子どもたちです。普段、都会のマンション暮らしでは、走り回れない。これは狭いし、階下へ音迷惑になるから。大声を出せない。これも同じく、狭いから家族がみんなうるさがるし、ご近所に響く。

声を上げず、走らない子になっている。針金を巻かれた盆栽のような子どもたちが、新宿御苑では解き放たれる。

走っても騒いでも、空と緑が許してくれる。親も一緒に走ってくれる。子どもが子どもになれるのでした。



樹々に囲まれた散歩道では、中年の夫婦が何か話しながらゆっくり歩んで。いつしかふんわり手を繋いだり、腕を組んだり。

時間に追われる日々のなかではできないしぐさが自然にできる。歩きながらいろんな話もする。

ちょっとした肌のぬくもりと、心のぬくもりに触れている。家でのお父さん・お母さんの役目から解放されているのでした。

意外に、若い人が植物に感心を持っていたりする。もちろんインスタ映えする花や緑を求めてはいるのでしょうが、小さな芽や、葉の葉脈や、花弁や、幹や枝や、、、。写真を撮ったり、ジッと見つめていたり。

樹についての解説文をカップルで声を上げて読んでいたり。一日でかなり学ぶはずです。御苑で植物に開眼したら、一生楽しめる趣味を持つことになりますね。



団体はさすがに減っていましたが、もともと外国人が好む御苑です。こちらと視線があえば微笑むし、片言で植物や天気の話をしてみたり。

外国ファミリーの憩う姿にこちらも見入ったり。数人いるエキサイティングな外国人観光客に笑ってしまったり。

もしも御苑がなかったら、今の私の住まいはつまらないただの狭い空間です。緑豊かな田舎に暮らす人からは、????でしょうが、それほどに都会の暮らしは生身にきつい。緑の懐に身体を預けないと持たないのです。



ストレスフルになったなら、「新宿御苑に3日通い、芝生でお昼寝、お散歩一周、ベンチで一人読書」なんて処方箋をお医者さんが出してあげればいい。ドリンク剤や睡眠薬を飲むよりもずっと安上がりに身体・心が元気になれます。

都会の他の公園も、みな同じような役割を果たしていることでしょう。でも新宿御苑は新宿の大雑踏の中に突然ある聖地です。だから尊い。

災害時には避難先になっていますが、実は普段から都市生活からの避難先なのでした。

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ちょっとしたこと 荻窪商店街ぶらり 2018/04/23 11:25 am

静岡市呉服町で“一店逸品運動”をしてから、もうどれほどの商店街とお付き合いをしたことでしょう。仕事がらというよりも、とにかく商店街好きの私です。

今回は東京・荻窪の商店街を歩きました。駅付近にいくつもの商店街があります。店の数よりも、新旧が、品の良しあしが混在していることがおもしろい。

しかも住んでいる人が楽しんでいる。それが大事と思いました。
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我が家から少し丸ノ内線に乗ると荻窪、JRなら中央線です。ベッドタウンというには活気があり開けている、学生さんも多い、ま、ビジネス街ではないけれどたくさんの人が居る街です。

駅から南へ北へ、いくつかの小さな商店街がある。先日いただいたあんころ餅がかなり美味しかったので、その店がある教会通りにまずは行きました。

この商店街の顔というべき蜂蜜屋さんです。65種類、10各国の蜂蜜がある。もともと養蜂をしていた老舗、量り売りもしています。

こういう専門店がひとつでもあると、その商店街の重みが出ますね。

蜂蜜レモンのようなさわやかな飲み物を、試飲させていただきました。


洋食屋さん、ここのポップがおもしろい。

メニューと値段だけじゃなくて「マタニティマークをお持ちなら10%割引」とか「名古屋出身の店長がモーニング始めました。ドリンクにトースト・ゆで卵つけます」なんてある。

マタニティ割引は他のところでもどんどんやるべきだなあ〜。

モーニング本場の出身なら、どうしてもやりたくなっちゃったんだろうなあ〜。

なんて、思いながら、今度ここに入ってみようと決めます。

道に車は入ってきませんが、とにかく自転車が多い。地元の人が行ったり来たり。その合間を縫って、私のような来訪者がウロウロしている。

日常と晴れが混じっています。









やややや!すごいクリーニング屋さんがありました。

建物自体が“世間遺産”的存在。いつごろからあるのでしょうか、なかではおじいちゃんがせっせと働いていて、おばあちゃんと会話している。

昭和のドラマのワンシーンになりそうな世界。下調べなどしないでポンと来るのが好きな私です。

この「洗濯屋さん」は調べれば、そうとう取材されたり、写真に撮られていたりするはずです。

なのに、サッシではない木製の窓の向こうで、淡々と仕事をしている。この商店街が浮かれてヒラヒラと飛んでいかないように文鎮の役割をしているようでした。

8畳間くらいかな〜、もっと小さいかな〜貸ギャラリーです。たった1日でも貸してくれる。

確かに安くはありませんが、お仲間と数日借りて壁面をシャアして写真展もいいなあ。

こういうところに、自分のスペースを持てるというのがうれしい。貼り紙がおしゃれです。



おしゃれ空間があったと思ったら、商店街から横に入るとすぐに庶民の生活空間。

運動靴が、まるでオブジェのように乾かしてあります。

こういう脇道に入り込んで、暮らしのお邪魔にならない範囲でウロウロするのも楽しい。




ありました、ありました、和菓子屋さん「榛名屋」。おにさん一人で店番のいい感じ。

お目あてのあんころ餅は、一見、ぼた餅なのですが、なかはお米でなくて草餅が入っているという優れもの。とにかくあんこが美味しいお店。

次から次へと、地元のおばちゃんたちが買っていきます。おにぎりもあれば、海苔巻きもある、ヒジキの煮物もある。このままお店ごと持って帰りたいくらい。

ショーケースひとつで勝負しているのもいさぎ良い。


ここんところお疲れモードとの夫と店頭で念入りに打ち合わせして、今日は柏餅にしました。

買って、即、ここで食べます。というと、おにさんがお皿にのせてくれました。

通りを歩く人を眺めながら食べる私のは味噌柏、美味しい〜。

ショーケースには、今どき珍しいちゃんとした生け花が飾られています。そして付箋に、生けてあるものの名前が。「うりはだ楓、カーネーション」などとメモしてある。

聞けば「お客さんから聞かれるんですが、すぐ忘れちゃうんで」とおにいさん。あんころ餅買いながら花の名を聞く、聞かれたら応えられるようにメモしておく。

こんな関係がこの商店街にはあるんですね。


さて、荻窪駅に戻り、南側に抜けるために別の商店街を行くと、こんな看板が。

そうそう、ほんと、文化です。と言いながらこのまま入りたくなります。アツアツの餃子にかぶりつき、ビールをくいっと。

これは必ずや、実行しに来ないと。


学生さんも多い街です、古本屋さんも目立ちます。ここは古レコード屋さん。レ、レコードですぞ。

どんなのがあるんだろう?買っても聞けないけど、見たい。ジャケットだけでも、昔の気分に浸りたい。

マニアックな若者と、私のようなシニアも来るのではないでしょうか。




駅南口の商店街のパン屋さん。テラスでバケットサンドなども食べられます。私は暑いのでジンジャエール。

なんでこの店にしたのか?

立て看板に「ドリンクのみのご利用、ワンちゃん同伴大歓迎です」とあったから。気持ちのいい店ですね。

さて、ここまで書くと、荻窪大好き、商店街絶賛で終わるのですが。ふと考えます。

私が通う、地方のまちにはこんな商店街はありません。昔、商店街だったらしき遺跡のような通りは残る。

もとお店をやっていただろうガラス戸のなかの土間は、自転車やシルバーカー、応接セットが置かれたり、君子ランやシクラメンが飾られたり。

ポツンとあるお店も息絶え絶えだったり。そういうお店すらなくなっているところもあります。

人が東京に集中し、地方の交通は車が中心になり、大規模店ができて、などなど商店街が滅んでしまったのには様々な理由があるでしょう。

お店を覗きながら、いろいろ会話する、歩き回るこの楽しみは地方のまちではもう体験できないのでしょうか?

ならば、せめて、まだ残っている頑張っている数軒の個店を住んでいる人が支えてあげたいものです。わが故郷には店らしい店が全くない、なんてことでいいのでしょうか。

荻窪にはたくさんの学生さん、若い夫婦、子どもたちが居ました。この人たちが古里に帰った時に、小さいながらも商店街や専門のお店を大事にする、楽しめる人になってもらえればと思います。

人口の多い東京は、そういう見本事例として、頑張る個店や商店街を買い支え、文化遺産としてもにぎわう商店街というものを維持しなくてはいけないと思います。


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ちょっとしたこと お店をやりたい:その3 2018/04/16 1:31 pm

私、スローライフをテーマにしたお店をやりたいと騒いでおりますが、今日はその場所のお話。

新宿四谷で普通の貸店舗を借りるには、ビックリするほどの家賃がかかります。

それにどこかの空き家を、事務所も兼ねた古民家カフェのような設えにできないものかと思うと、そもそもそういう物件がない。

家賃が安く空き家がいっぱいの地方と、東京のこの差は何なのでしょう?
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東京にも空き家はたくさんありますが、ごく普通の一戸建てで風情がありません。

または持ち主が放ってあるのか荒れていたり、または本当に崩れかけていたり。田舎の立派な空き家を見ている私には、使いたくないような家ばかり。

ならば普通の貸店舗を正々堂々とお金を積んで借りなさい、ということになりますが、これまた笑ってしまうくらい高い。

月々数十万を払うとならば、そこでよっぽどお金を稼がないとやっていけないということになります。

かつて、私が24歳の頃、都内のマンションに住んでいて7万7千円の家賃を払っていました。当時のその値段ですから結構広く、女友達と共有していました。

それが、東京を出て静岡県に移動し、ある海辺の町に住んだとき、同じ広さが7000円で借りられました。10分の1以下です。

しかもそのアパートは、窓を開ければこんもり緑の茂った山が見え、一歩外に出れば大きな富士山を仰げる。水道は柿田川湧水からの冷たい美味しい水。

いったい私は何のために働いてきたのか、スモッグ一杯の都会で家賃を払うだけのために徹夜してきたのか、と、ショックでした。

当時は周囲から「なぜ、東京からこんな町に来たのか。もったいない」といわれました。

皆が何とか田舎から東京に出たい、東京に追いつきたいと思っていた時代です。私の逆流は不思議だったでしょう。

その数年後、、静岡の山地の川のほとりに、古い農家の空き家を見つけ住んだこともあります。この時は、広い庭付きで10,000円。

畑もやりました、釣もしました、シェパードも飼いました。近くの人が、猟で射止めたキジや猪を届けてくれました。お風呂に入ろうとすると沢蟹がいる、そんな暮らしでした。

今でこそ、仕事さえあれば、田舎に住みたいという人は多いものですが、当時はまだ珍しかった。

それをさんざんやってきて、今やまた東京に住み、さらに東京で店までやりたいと思っている。これもまた、逆流なのかもしれません。

こんな悩みを打ち明けると、「野口さんごと田舎にひっこして、そのお店のプランをわが町でやってよ」という人が何人か出てきました。

でもそうじゃダメで、ここは譲れない。こんなにひどい東京にこそ、少しでも良いもの良いことの細胞を移植しなくてはと思うわけです。

地方のむら・まちと繋いで、少しでも東京に良い血を流したいのです。東京に住む者が真剣に東京のことを考えないと、日本が危ないから。

店舗を借りる場合、家賃6ヶ月分の敷金と、2カ月分の手数料。数十万の家賃×8倍、プラス内装・什器備品、きゃ〜〜〜〜〜!

田舎では、日曜大工以上の技術者である友達たちが、内装ぐらいお茶の子さいさいで助けてくれるでしょう。物もいろいろ集まってくるでしょう。

東京では、総てがお金ということになりがちです。今から、こうして騒いで仲間を募るしかありません。

では騒ぎましょう!

「私のうち、古いけど使っていいよ」なんて人が現れないかな〜。

以下、以前のブログです。
「お店をやりたい」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=426&date=201708


「お店をやりたい:その2」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=431&date=201709


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お仕事 行灯づくり 2018/04/08 10:29 pm

自分で行灯(あんどん)を作ることがあろうとは、思ってもみませんでした。

それが紀の川市の催し「ぷる博」のひとつのプログラムで実現しました。

桧の木枠と、和紙、そこからこぼれる光が柔らかく、暖かく。のどかな春にぴったりです。

そして数人でおしゃべりしながら物を作る、夢中で不慣れなことに挑戦する時間もまたいい。

指導してくださったご夫婦に感謝します。

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おなじみの果物産地、和歌山県紀の川市の「第二回紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会 “ぷる博2”」。

市民が企画するフルーツにちなんだ小さな催し52種類のうちのひとつ、「プロの建築士が指導する本格的なオリジナル行灯づくり」に参加しました。

というか、本当の日程には予定が合わず、同じくやりたくてもできなかった人と、特別にお願いしてです。

この日は桜が満開の夜でした。「夕方から行灯づくりをした後に、夜桜も見たいね」「最初が峰のライトアップしている時間内に山まで行けると思う」

あれもこれもと欲張って、「行灯をサクサクと作ろう」なんていいながらの参加でした。

建築設計がお仕事の脇田守夫さんは、周囲からは「ジャムおじさん」と呼ばれているジャム作りの名人。

甘辛味のなんでも美味しく料理できるタレ作りの名人、「タレおじさん」でもあります。

それがこの度は「行灯おじさん」に。

設計事務所兼ご自宅を体験会場に、この日は3人に教えてくださいました。

目の前に建具屋さんがあって、木っ端が余っているのだそうです。建具に使う木は狂いがないようにかなり乾かしている。

だからよく燃える。昔は燃していたのですが、最近は燃すのも難しい時代。

もらいたいと申し出ると、どうぞどうぞといただけたとのこと。

それを材料にしているので、用意された木片は美しくカンナがかけられ、桧の香りがする、軽い。

これを、十字に組み、その後ボンドで枠を作り、貼り付けていくという作業でした。

木で作る枠が直角になるように固定するための、ベニヤと木で作られた固定装置が個人ごとに用意されています。

それで押さえながら作った木枠のボンドが接着するまでは、太いゴムバンドが活躍。

ここまで用意されていると、気軽に「サッと作って、桜へ行こう」なんて思っていたのが申し訳ない。

というより、なんだかとっても、普段はしないこういう作業が面白くなりました。

そこに、さらに障子張り用のノリを歯ブラシでせっせと塗って、紙を貼ります。










これが職人気分にしてくれます。乾いている木はノリをどんどん吸い込むので気が抜けない。










でも脇田さんの指導通りに黙々と作業していくと、だんだん行灯らしくなってきました。










底になる板に、足もつける。足の高さがあるのでコードの太さが邪魔にならない。細かな気配りです。









どの場面でも活躍するのがドライヤーです。乾くのをスピードアップするために、奥様の規子さんがぶんぶん乾かしてくださいます。









ソケットとコードを取り付けると、なんだか、できてきましたよ。











フルーツがテーマの催しですから、果物をプリントした和紙をさらに中に重ねると、果物柄の行灯になります。

灯りをつけると「かわいい〜〜〜」「できた〜〜〜〜」。

このまま、ずっとここに居て、だらだら呑気にしていたくなります。



「桜のライトアップに間に合ったね」と脇田夫妻。一緒に急いでくださったのです。すまない気持ちを抱きながら「ありがとう、行ってきまーす」

普段と違う頭を使った感じでした。木の感触や、ボンドのにおいや、和紙を貼るドキドキ感。

友だちと一緒に何かを作る楽しさ。すっかり心がシンプルになっています。昼間の疲れが吹き飛んでいます。


脇田さんが誰でも作れるようにと、段どってくださった。下ごしらえが完璧だったので、だから私でも作れた。

そんな、ナンチャッテ行灯づくりなのですが、それでも何かを作れた、達成感がありました。

心を清めてから見たからでしょうか、山の頂の桜の美しいこと。

行灯が暖かに灯るように、桜も暖かそうにライトアップされていました。

地元の方が、桜を植えて、育てて、大きくなったのでライトアップして、訪れる人をもてなしてくれています。

一度にではない、少しずつ設備を整えて、ライトをひとつひとつと足して、コードを伸ばして、みんなのために。

行灯の灯りと桜のライトアップがだぶります。

コツコツと作ることが美しさに繋がる。ライトアップ装置を整備してくださった地元の方々に、普段よりずっと感謝する気持ちになったのでした。

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スローライフ運動 丹波篠山黒豆づくし 2018/04/02 1:34 pm

兵庫県篠山市へ初めてうかがいました。ご存知のとおり、「黒豆」の産地です。

「黒豆の館」というところがあって、バイキングで黒豆料理が食べられます。甘煮はもちろん、黒豆コロッケ、黒豆巻き寿司、黒豆キッシュ、スイーツなど、一食でどれほど黒豆を食べたことか。

街なかには、黒豆専門の老舗がどっしりと店を構え、丹波焼の黒豆箸置きまで。特産というものがあるところはいいなあ〜。
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いろいろなパンフレットをひもどくと、ここで上質の黒豆ができるのは、標高200〜300mの盆地で、昼夜の温度差が大きく丹波霧と呼ばれる深い霧が立ち込め、粘土質の肥沃な土壌、清らかな水があるため、とあります。

ただ“苦労豆”といわれるほどに、収穫まで手間がかかるのだそうです。手間をかけて品質を維持しているともいえます。

はるか昔から黒大豆は作られてきたとのこと、昔は普通の大豆は味噌用、黒大豆は主に薬用とされていたそうです。

今でこそ、美味しいだけでなくポリフェノールなど身体にいいといわれる成分が注目されていますが、昔の人はちゃんと分かっていたのですね。

1600年代〜700年代の本などに、既に篠山の黒大豆は名産品として紹介されているそうです。

そしてこの地の殿様が大いに黒豆を気に入り、年貢を黒豆で収めさせていたそ。そしてその黒豆は遠く江戸まで献上されていて、諸国大名たちにその美味しさ広まって行ったのだとか。

で、他の土地の黒豆と何が違うか?まずは大きい、ふっくら炊ける、甘味がある、皮が柔らかいけれど破れない。上質のものには表面に白い粉がふく特色も。

普通の黒豆は70日位で収穫となりますが、ここのは100日かける。しかも機械をなるべく使わずに。名前も特別に「丹波黒」と呼ばれている、などなど。なんだかとにかくすごいのです。

もともと私は黒豆好きですから、篠山市を訪れたらまずは食べたい。そこで「黒豆の館」にまっしぐらでした。「笹山市地域活性化センター黒豆の館」が正式名。

まちなかからは離れているのですが、平日にも関わらず「田舎バイキング」という名の黒豆料理バイキングには、並ぶ人が居ます。

地元の野菜を使ったバイキングなど各地にあり当たり前ですが、やはり黒豆に特化すると人を呼びますね。身体にいいものを皆が食べたいのですから。

笑ってしまうくらい、黒豆が使われているのですが、私が一番美味しいと思ったのは「黒豆ごはん」大きな丹波黒がゴロゴロ入っている。黒豆ご飯は深い旨みがありました。

売店に売られていた「黒豆ごはんの素」を買ってくるべきだった、と今さら悔やまれますが・・・。もちろんお茶は黒豆茶。一緒に食べたクッキーはお土産にしました。


お城の近くには享保年間に創業の黒豆専門店「小田垣商店」が、のれんをゆったりと掲げています。暮れに、ここまでわざわざ丹波黒を求めにやってきて、大掃除の傍らコトコトと煮るなんて、そんな暮らしをしてみたい!





ふとみると、あらまあ〜黒豆の箸置き。丹波焼のある篠山市です、焼き物で黒豆ができてしまうのがおもしろい。各窯がそれぞれ作っているとのこと。

黒豆というモチーフを、各業種が上手く加工したり創作したり、もっといろいろあるのでしょうね。

黒豆バック、黒豆枕、黒豆のイヤリング、ネックレス、黒豆ダンス、黒豆Tシャツ、などなど。食べるだけではない黒豆の出番が沢山ありそうです。


どこどこといえば何々、という特産品があるのは強いですね。
そういう意味では今回もう一つの丹波篠山の顔、猪肉をきちんと食べられなかった。

遅すぎました。冬場は冷凍でない本当の猪肉が食べられる土地です。これまた悔しい。次の冬を待ちましょう待ちましょう。

今回はさらっとでしたが、さてこれから何回通いましょう。そのたびに、私はまた黒豆を何粒も食べて食べて、元気になっていくのです。



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写真でみるゆとりある記

1971年女川原発設置反対漁民決起大会の写真
佐賀県太良町で
那須塩原市
ロケットストーブ

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。