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ゆとりある記 恋するエタリ 2018/05/27 4:47 pm

「エタリ」とはカタクチイワシのこと、長崎県雲仙市ではこの名で呼びます。

お刺身のおいしさは皆さんご存知でしょう。実は、さらにこの塩辛が美味なのです。

スローフード協会国際本部の「味の箱舟」プロジェクトにも認定登録されています。

この塩辛をニンニクとオリーブオイルで煮て、雲仙特産のジャガイモに合わせたら、もう、最高!

強烈に好きになってしまいました。
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小浜温泉から眺めた橘湾です。

ここにエタリは生息しています。










今回、雲仙市に着いたその日にまずはエタリのお刺身をいただきました。

まるでお花のように、エタリが開花しています。ワサビ醤油でも、酢味噌でも。

いくらでも食べられるのはやはり鮮度です。東京ではこうはいきません。


翌日、エタリの揚る南串方面へ行きました。

道筋に、「エタリ」の看板が目立ちます。








小さなスーパーに入るとありました!エタリの量り売り。

なんと1キロ400円という安さです。








お刺身も売っています。

包丁を使わないで指先だけで、手開きにするエタリ。お店の人いわく「刺身の値段は、手間賃だね」








塩辛を発見!昔は各家で当たり前に作っていたとか。

今はスーパーで、少しでも買えるんですね。ただし、南串だから、ということでもあります。

雲仙市内の他のお店の何軒かには、塩辛はありませんでした。




港にエタリ漁の船が。巻き網で獲ります。

エタリ漁の船と一口に言っても、集魚灯のついたもの、ついていないもの、獲れたエタリを運ぶ専門の運搬船、といろいろあるとのこと。

どの船も同じに見えてしまう・・・私でした。


エタリは船から直接、巨大なホースで吸い込まれ、海水で蒸され、主に煮干しになります。

そして、大きなものはお刺身や塩辛になるわけです。







港近くのトラックのコンテナのような倉庫に、エタリの塩辛は漬けられていました。

エタリと塩を5対1、6対1、7対1くらい。魚の状態や気候で、だいたいそのぐらいの比率で混ぜて、重しをするだけ。






やがて魚の水分があがって、しかも発酵が進んで、塩辛になっていく。

3カ月くらいが食べごろとか。

一番上には藁を一緒に入れるのが伝統。なぜか風味がよくなるのだそうです。



昔お米は貴重品、この辺りではサツマイモがご飯代わり、おやつ代わり。

蒸かしたサツマイモと、エタリの塩辛を合わせて食べる。塩味がお芋の甘さを引き出したそうです。

尻尾を持って、ぶら下げて、頭から丸ごとパクリと食べるのが正しい?食べかたとか。

やってみると、そりゃあ塩辛いのですが、エタリの身がまだお刺身のようにプリプリしていて美味しい。

ごくりと飲み終わった後に、強烈な旨みが口に残ります。

頭、しっぽ、骨をとってオイルに浸ければアンチョビです。なので、アンチョビスパゲティを作るときと同じ、ソースを作りました。

正確には、私が「こうすれば美味しいのに。それをジャガイモにかけて食べたいな〜」と騒ぐので、お料理好きの方が目の前でササっと作ってくださったのでした。



エタリを細かくつぶして、ニンニクのすりおろしと一緒にたっプリのオリーブオイルで炒め煮する。

香ばしい香りがしたら出来上がり。熱々をゆでたパスタにかけて青じその葉の千切りを添えるのが私流。




今回は、勉強会の中で、今シーズンの雲仙のジャガイモにかけていただきました。

エタリの塩辛は、いくらスローフード協会がほめたたえても、なかなか食べる人は少ないでしょう。でもこうしてエタリオイルを作っておけばいつでも使えます。

今度、このオイルを商品化してみたいと、夢は膨らむばかり!エタリの美味しさに惚れすぎて、エタリが私に乗り移ったようにも思えるくらいです。

エタリ〜〜、好きだよ〜〜〜!

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ちょっとしたこと 思い出もの 2018/05/20 9:03 pm

「これってあの時のものだな〜」ってもの、身近にありますよね。

30年近く前、静岡県下1市7町で行った地域塾用に買った、ミニリュック。

25年位前、掛川市で行ったまちづくり塾で訪ねた牧場の、宣伝マグカップ。

12年前SNS投稿サイトの編集長をしていた頃、北海道松前の地域ライターを訪ね、求めたシャモジ。

懐かしいだけでなく、今も現役で使っているものばかり。捨てられません!

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30年使っているリュックは、静岡の呉服町商店街のハンドバック屋さんで買った安いものです。

化学繊維でできた小型。ファスナーが少し怪しくて、ここ数年は端を安全ピンで止めていますが、今もスーパーに行くにはこのリュック。

新宿御苑に行くのもこのリュック。

いま、写真がないのここにお見せできませんが、おそらくあと10年は使えるでしょう。



このマグカップは、毎朝使っています。牛の絵がかわいいし、取っ手が私の手にしっくりくる。

だから、ず〜〜〜〜〜〜っと使っているわけです。

割れない、好きだから割らない、大事に使う。それで25年位です。

とても感じのいい、ご夫婦がやっている牧場。ソフトクリームも美味しかった。“しばちゃん”元気かな〜。あの牧場まだあるのかな〜?

「36景学びのバス」という、見学バスみたいなもので月に一回掛川市内のいいところを訪ねていた時に寄ったのでした。


「日刊ブログ新聞 ぶらっと!」というSNS利用の日刊紙のようなものの編集長をやっていました。

各県に地域ライターを何人かずつお願いして、日々、地域のことをブログ発信していただいていました。

そのお一人、松前町の飯田君、今もお元気で私とFacebook友達でいてくれています。

彼とは、そもそも、「半島ツーリズム大学」というのを松前でやった時、私のワークショップに参加してくれたのがきっかけで知り合いました。

その頃は男の子という雰囲気を残していたけれど、今や町会議員さんです。

確か、青森の地域ライターさんを訪ね、それから松前まで回ったのでした。

松前城を案内してくださって、(彼は今もここのガイドさんをしています)、お土産に「松前城」と書かれたシャモジを買ったのでした。

正確には木製の炒め物用ヘラですね。チャーハンや野菜炒めに活躍しています。文字はすっかり滲んでいますが、使うたびになんとなく松前を思い出すものです。


私の古ーい携帯についているストラップ。「瑞龍寺」とあります。

革製で、裏には火ふせの神様が型押ししてある。単なるお土産物風ですが靴ベラにもなるので、実に便利。丈夫で使い込んでいるうちにいい色にもなってきました。

横のペンダントは実は金属製のジグゾーパズルの一片がアクセサリー―になっているもの。これがないと、パズルが完成しないという、不思議な一片です。

いずれも10年くらい前の物かな〜。富山県高岡市へ、スローライフ逸品作りの研究会・ワークショップで通っていたころのものです。

あの勉強会で、どれほどの品物が発案されたか!いま、どのくらい残っているかなあ〜。

ま、残っていなくとも、研究し続けたメンバーの頭にはいろいろなアイディアや経験が納まったはずです。

これはまだ新しいもの。

2年前、長野県飯山市に通い始めたころ、生まれて初めて「かまくら」の中で、鍋をつついて一杯をしました。

こちらの防寒が手薄で、コートだけでした。熱燗を飲んでも追いつかない寒さ。

するとご一緒だった地元の方が、ゴソゴソと出してくれた。「女房がこんなの作るのが好きなんです。使ってください」と帽子とマフラーを出された。

真っ白な雪に囲まれた中で映えた水色のお手製帽子。マフラーとともに、この冬にも使わせていただきました。

あったかです。

いろいろな土地に行くたびに、何かしらの物が増え、「思い出もの」は増えていきます。

断捨離なんて流行していますが、こういう物は一緒に生きている感じで処分はできません。

100歳になった時「これは確かね〜、あそこでね〜」と語れるおばあちゃんでいましょう。

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ちょっとしたこと まだこれから 2018/05/14 2:40 pm

96歳の実家の母が尻もち、お見舞いの電話をすると「お母さんもそろそろ歳ね」と笑い声。

同じ年齢のドナルド・キーン氏は新聞紙上で、100歳を超えて1人暮らしの友人を讃え「101歳に負けないぞ」と。

昨日読んだ小冊子には、江戸時代の土木技術者・大畑才蔵の話。彼は66歳にして人生最大数10キロに及ぶ用水路工事に取り組んでいます。

まだまだ私などこれから、ということですね。

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家事現役の母はそれなりに弱ってきています。なので、今回も踏ん張れずに転んだのだそうでした。

姉から聞くと、転んだまま起き上がれな自分にショックだったようです。首も腰も手術し、脳梗塞もしたんだからしょうがない。とはなかなか思えない性格です。

その母に母の日プレゼントで、今回は瀬戸内寂聴の『いのち』と佐藤愛子の『老い力』の2冊を送ったのでした。

転んだせいでしょうか、「まあ、お母さんもこういうのを読んで覚悟していかなくちゃね」と母は語ります。

少々可愛そうに思ったら「ま、あんたもじきにこうなるわよ」と笑う。「お母さんね、気に入らない色のファンデーションがあるから、今度来たらあげるわよ」とも。

この母の前では、私はひれ伏すしかありません。私など未だに子ども・ガキなのでした。

キーンさんの話に出てくるアメリカの101歳おばあちゃんは、実に知的好奇心に富む美人らしい。

毎日、新聞を隅々まで読み、おしゃれも欠かさない、香水も、だそうです。

キーン氏は彼女との会話を楽しみ、負けちゃいけないと思うそうです。100歳にして一人で、知的。理想の姿ですね。

しかし、昔もすごい人はいました。人生50年といわれた時代に、66歳で大工事を任された大畑才蔵にも驚きます。

皆が隠居どころかなくなる年齢にして燃える男、カッコいいですね。現場に立ち、68歳で100日の工期で休んだのは1日だけとか。

74歳で現役を引き、79歳で亡くなりますが、彼のおかげで水に困っていた土地は紀の川の水を引き、広大な水田になったのでした。

昔の偉人でいえば、私の父の実家近く、佐原に伊能忠孝が居ます。九十九里出身、佐原の酒屋に婿養子に入り、49歳で隠居。50歳から新たな人生を歩みました。

55歳から71歳まで10回にわたり日本中に測量の旅に出かけ、ひたすら歩き地図を作った人です。

以前佐原で、記念館を訪れた時、千葉県人として誇らしく思いました。

大畑も伊能も、現代に置き換えれば80〜90歳代くらいで世界に誇る偉業を成し遂げたということになるでしょう。

この方々と比べるにはおこがましいですが、私などまだまだこれから。「で、どうするの今後?」という段階なのですね。

はい、頑張りましょう。

母の尻もちから、いろいろ学んだ母の日でした。そういう意味でお母さんありがとう、です。

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ゆとりある記 井上孝治写真展で 2018/05/07 11:55 am

東京・国分寺駅前、古い家をギャラリーにした会場。畳の部屋での展示が昭和20年代後半頃の日常スナップ、モノクロ作品にピタリでした。

褌で川遊びする少年たち。“氷柱”をこっそり舐める男の子。七輪を扇ぐおかっぱ頭の少女。着物に白い割烹着で笑う女性。街頭テレビに夢中のおじさん達。放し飼いの犬。

何だか今よりこの頃の方が、みんな活き活きしていたように思えました。
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「おうちギャラリー ビブリオ」という会場、本当に築半世紀という普通のおうちです。

ブロック塀から既に展示スペースのよう。







写真をアップで紹介するわけにもいかないので、このブロック塀に貼られたポスターでご覧ください。

右が氷柱を舐める子。坊主頭には白い“ハタケ”ができています。

右から二つ目は、線路をおっかなびっくり覗いて、電車が来るかとみている子。こんな格好で私ものぞきましたっけ。

次が駄菓子屋前で。買った飴に髪の毛がついちゃった女の子。これも経験あります。

道路の真ん中にポツンと座り、遠くを見る犬。車の一台も、人の一人もいない道。リードの無い後ろ姿には風格があります。


この写真展は黒岩比佐子著『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』復刻記念の催し。

井上さんは3歳の時に事故で聴覚を失ったそうです。カメラを持ったのは10代の頃。以来、自分のメッセージを写真に託してきたのでしょう。

フランスのアルル国際写真フェスティバルに招待されるほどの評価を得ながら、その招待状を枕もとに息を引き取ったのが1993年のこと。

この本は、99年にルポライター黒岩によって文藝春秋から出版され、その後、角川学芸出版から文庫本になり、そしてこの度またコミー蠅ら復刻されたそうです。

この度私は会場で買い求め、ようやく読み始めていますが井上さんの写真はもとより、その生き方が実に瑞々しい。

彼のもともとの性格なのでしょう、重く暗くと思いがちな障害を抱えた人生は、スカッとさわやかで素敵なのです。そう、つい思う私の方がおかしいのでしょう。

写真をやっている夫は、はるか昔から井上さんを知っていて、最初写真を見た時は、「なんて独特な作風なのか?!」と思っていたそうです。

その後、耳が不自由と聞いて、「何か納得した」と話していました。

彼は言葉では伝えられないような情感を音楽家が作曲したり唄うように。力強いメッセージを舞踏家が踊るように。写真というもう一つの言葉を使ったのでしょう。

ま、そういうことはともかく、とにかくこの頃の庶民の様子がいいのです。

撮っているのは彼が住んでいた福岡。日本のどこもこんなだったのでしょう、道路はぬかるみ、子どもはハナタレ、家はおんぼろ、自転車やリヤカーが交通手段。

銘仙の縦じまの着物を着た奥さんを後ろに、前には坊やを乗せて、黒い重そうな自転車をこいでいくお父さん。

今はこんな姿はないでしょうが、なんだか3人が運命共同体のようで、小さな幸せがギーギーと音を立てて動いていくように見えます。

ギャラリーに置かれた古いステレオからこれまた古いジャズが流れ、いい感じ。


写真集を見るほどの点数はなかったですが、この昔の普通の人たちの写真は、今年の連休の私へのごほうびになりました。

スマホやパソコンばかり眺めて居る現代人より、ずっと素敵な過去がある。

その大切なことを井上さんの写真は教えてくれたようです。

べた焼きを見られるような配慮もあって、井上さんが他にも何を見て、何を伝えようとしているかが分かります。

総ての普通のことに優しい、それを大事にすくい上げている視点が素晴らしい。

畳の上で、丸いちゃぶ台を囲んで座っていると、写真に写っている七輪と、白い割烹着姿が現実になり、メザシと肉じゃがが運ばれてきそうでした。

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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。