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ちょっとしたこと 2018/06/25 11:58 am

姉から96歳の母の具合いが悪いと連絡があり、実家に顔をだしてきました。

母本人はよろよろしているものの口だけは元気で、「お母さんに何があっても驚くんじゃないわよ」と脅します。

「最後の味になるかもしれないから持っていきな」と庭の梅のジャムを。

帰りに「庭の花を土産に持って行きな」「アジサイは水切りよ」と指示。

親分肌で仕切り上手は弱っても変わりません。首を伸ばして私を見送った母は、今週、検査です。
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母のことは何度か書いてきたのでだぶるかと思いますが。

一番昔の記憶は、抱かれておっぱいをしゃぶっている記憶です。私がそんな赤ちゃんの時のことを覚えているのではなく、覚えるくらいになってもおっぱいを求めていたのでしょう。要は甘ったれで、母も甘やかしていたのでしょうね。

次は母の背中におんぶされて、門で父を待っている時間もよく覚えてます。これはよくありました。サラリーマンの父が帰るころを見計らって、よく門の陰に隠れ「わっ!」と脅かしたりしました。いたずら好きの母でした。今思えば、何かおばあちゃんと喧嘩して、私を負ぶって外に出たのかもしれません。

とはいえ母はお嫁に行ったのではなく、父が母の家に入った形。名前だけは父の姓でしたが、母は婿取りをしたような状態で、自分の両親を看取っています。

私が小学生くらいまで、洗濯は井戸でしていました。木のタライに洗濯板。固形石鹸をごしごしつけて。夏は気持ちいいでしょうが、冬はどうやって我慢したのか。
冬の母の手は、しもやけやらあかぎれやら。この時代のお母さんはどこのうちでもそうだったでしょうね。私にはできない!

となりの家に洗濯機が来た時は、母はうらやましそうで、大きなものを持って行き、「絞らせて〜」とローラーの間にシーツなどはさみ、グルグルと取っ手を回すと絞れることに感動していました。そういう時は必ず、場つなぎで私も連れて行かれたものです。

当時はお肉は貴重品、そもそも千葉の田舎の肉屋に、牛肉などあったのか?たまに買う豚肉をフライパンで炒め、生姜醤油をかける。これが我が家でいう焼肉でした。一皿のキャベツの千切りの上にのったお肉を、みんなが少しずつ食べます。決まって「お母さんは、お肉はきらい。下の醤油の染みたキャベツが好き」と言って食べなかった母でした。

独身時代、目黒の“ドレメ”に通っていたので服を作るのが好き。ジャージャーと音を立てる編み機でセーターを編んだり、黒い鉄の足踏みミシンで服を作ったり。私と姉は母手製の服を着せられていました。そうそう、レース編みもずいぶん編んでは人にあげていましたね。

婦人会活動に目覚めて、会長職を引き受けて、「辞めろ」という父と喧嘩したことがありました。天ぷらを揚げながら、ポロポロ涙を流していました。母の涙はこの時しか見ていません。そもそも両親の喧嘩らしきものはこの時だけのように記憶しています。仲良しだったし、どちらかが我慢していたのでしょうね。

戦争の話では、「千葉のまちが空襲にあったとき、焼け野原の街を何キロも歩いて勤め先から帰って来たんだよ、死体も見たよ。」「アメリカ兵が来たら米びつに隠れろとおじいちゃんが言っていた」などと繰り返し話していました。母の家は米屋だったので、大きな茶箱のような入れ物に米があったのだそうです。そこに逃げ込めと、言われていたのでしょう。

私も姉も中学から私立のお嬢様学校に入れられました。母が出た学校に娘二人を入れたかったらしいのです。だから家計は大変で、私が中学生になると母は近くの親戚の薬局の店員さんを始めました。立ちっぱなしで疲れ、「横になるときが一番いいね〜」と布団に寝転がり、よく腰や肩にトクホンを貼らされました。



その後、私は不良になり(笑)、18歳で家出。その後、25歳くらいからまた実家と行き来し、今に至ります。父が亡くなった時も、家がもらい火で全焼した時も動じない母です。あの度胸と、いつも、まずにっこり笑う笑顔は見習いたいと、ここ数年は思ってきました。

昨夜、1年分くらいの梅ジャムを前に、夫と私は母の“すごさ”の話になりました。

火事の時です。母から電話があり、出た夫に、まずは「久しぶりね、二人とも元気?」から話が始まったのでした。しばらく普通の会話をした後、「あのね、今度来ても、泊まってもらうおうちがなくなっちゃったのよ」と。夫はここで、お母さん急にボケたのか?と思ったそうです。

「は?」「だから、もうおうちがないの」「どうしたんですか?」「燃えたの」「か、火事ですか〜〜〜〜!!」この話は、思い出すたびに私たちは大笑いし、さすがお母さんとほめたたえます。

母は、昔から悪い情報を伝えるときはなるべく自分で飲みこんで、淡々とするたちです。なので、この時もボケたのではなく、驚かせまいという気遣いだったのでした。なので、今回私が行っても「あんた、お姉ちゃんによばれたんでしょう」とにっこり笑い、淡々と。冒頭の話となります。

私が小学校の頃は、庭の花を切り、教室へ持って行かされました。電車通学だったので、花を持って行くのは結構大変だったのですが。持って行けば教室が輝いて、うれしかったものです。

今回も母の指示通り私が切った花を見て、満足そうに「今頃の花は青が多いね」と柔らかく笑っていました。


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お仕事 湯せんぺい 2018/06/18 4:52 pm

明治初め旧島原藩主松平公が、作らせたといわれる「湯せんぺい」。

雲仙土産で知られますが、先日、その手焼き作業を見学しました。

熱々の重い鉄の型に、小麦粉などを溶いたものを流し、挟み、ジュワーと音をさせて余分なタネを出し、ゆっくり焼く。

手元を見ていると飽きません。この「湯せんぺい」の耳を
活用して若主人が発案した、チョコバーやグラノーラもあってビックリでした。
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昔は20軒くらいあった「湯せんぺい」屋さん、今は9軒だそうです。その中で、手焼きにこだわっている雲仙温泉の「遠江屋本舗」を訪ねました。

雨の日、店に入ると甘く香ばしい匂いがします。お店の中でお客様にみえるように、 ここの若主人・加藤隆太さんが湯せんぺいを焼いていました。


3キロあるという焼き型を、扱いながら話してくれます。材料は小麦粉・卵・砂糖・温泉水。1階では手焼きを見せているものの、作るのに限度があるので、2階では4枚目ずつ焼く機械焼きをしているとのこと。






手焼きが左のパッケージ(昔の外国人向け雲仙案内)、右が機械焼きのパッケージ、いずれもレトロで可愛いです。









10年前に他の仕事をやめて、この店を継ぐために戻って来た加藤さんは3年前に結婚、笑顔が素敵です。(動画では撮ったのですが、写真に収めなかったので、パソコンの動画から複写の笑顔です)

夏は暑い仕事です、とにかく焼くわけで。

でも、その「湯せんぺい」をソフトクリームにウエハスのようにつけて食べるのが観光客に人気とか。今回は食べなかったので、次回は必ずと思いました。

焼いたらチョキチョキと鋏を使い、耳を切り落とします。その手焼きの耳が美味しい。(左)家人が言うには、「甘いスルメみたい」と。焼きたては柔らかいのですが、すぐに硬くなり、歯ごたえのある耳になる。

パンの耳が歯ごたえあるのと同じでしょうか。我が家ではこの手焼きの耳が大評判です。


2階の機械焼きでできるサクサクした、「湯せんぺい」と同じ食感の耳は、サクサクとした噛み心地を楽しむもの。2通りの耳をぜひ味わってもらいたいです。

加藤さんはアイデアマン、この多量にできる耳をを使って、ドライフルーツと組み合わせたグラノーラを作っていました。ミルクやヨーグルトと合いますね。

さらに、チョコバーも。キンカン味とミクスドライフルーツの味。チョコと湯せんぺい耳入りです。これが美味しい!作者はこれを山歩きのおともにとか、雲仙観光のおともに、と考えたようですが、私はお酒のおともにです。

ワインにあう!!本当にあう!!噛むほどにいろんな味が口の中で広がる、よくぞ作ってくれましたというものです。

サクサク食感のこういうおせんべいは宝塚温泉や有馬温泉で買ったことがあります。

でも、グラノーラやチョコバーはないでしょう。もっと遡れば、加藤さん、湯せんぺいを葉巻のように巻いたものや、クリームを挟んでゴーフルみたいにしたものも作っている。さすが若さですね。

雲仙名産のジャガイモを使ったお菓子も豊富。さらに偉いのは、ここのお店の物だけでなく、島原半島のこれぞという物もお店で売っている、セレクトショップのようなお店作りをしている。この辺りに、未来を感じたわけです。

「ところで何で、せん『べ』いじゃなくて、せん『ぺ』いなの?」と詰め寄ると、メールが届きました。

“「湯せんぺい」の「ぺ」について・・諸説御座います。当地長崎県には、中華街がございます。中華街で買い求められるお菓子の中に、「月餅」(げっぺい)というお菓子がありますよね。湯せんぺい 湯煎「餅」同じ「餅」という漢字を使いますので、中華街をもつ長崎ならではの「なまり」なのではないかと思われます。”

とのこと。真面目に答えてくださいました。

「ぺ」でも「べ」でもいいから、この味、このお店続けてね。そして次なる新製品待ってま〜す。

ある地域に入って、こういうお店、こういう人に会うと、その地域がぐっと好きになります、その地域の可能性を感じます。

いい人いるなあ〜雲仙市。

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ちょっとしたこと 「視点」展をみて 2018/06/11 12:35 pm

全国公募写真展2018「視点」。もう43年も続くリアリズム写真の展覧会です。

全国から寄せられた1185作品のなかから、入選入賞した174作品が展示されています。社会的な作品から、かわいい動物、美しい風景まで。

そこに日本の今があるようで、まるでドキュメンタリー映画を観たような、小説を読んだような深い満足感を得る数時間を過ごしました。都美術館で13日までです。
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写真の作品にはそれぞれ作者の思いがあって、また鑑賞する方にも好みがあります。
今回、落選した私から見れば、「すごいな〜」と思える作品ばかりなのですが。こんな写真を撮りたいな〜という作品をご紹介です。

「長いつきあい」というタイトルの作品。
作品ですからここに勝手に載せるわけにもいきません。図録に載っているものを遠くから撮ってこっそりご紹介です。

何を撮ってあるの?と問われれば、高齢夫婦のスナップが主の6枚組。

「1枚目」夫婦はどこかの公園か、参道などの大きな松の樹?の根元、縁石のようなところに座っています。二人ともコートを着ているから冬でしょうか。日も傾いて影が長く伸びています。旦那さんが発泡酒?のロング缶を持っています。缶ビールは冷たいから、奥さんが渡したのか、ピンクのタオルで巻いて持っています。横に寄り添う奥さんは両足を伸ばし、その間に荷物を置いて、落ちないように足首をあげている。足の荷物に気をつけながら、丁寧に柿ピー?を袋から手渡している「こぼさないでよ〜」。これまた旦那は落とさないように手の平を丸めて受け取っている。この後、彼は柿の種を数粒口に入れてかみ砕き、スーッと一口飲む。きっとその後奥さんも、ポンと数粒口に入れる。すると旦那が缶をぬっと渡す。ロング缶を飲みきるまで、寒くても、つまみはこれだけでも、美味しい時間のはずです。

「2枚目」表情の固まった旦那さんと、眉毛をはっきり描いた奥さんが、どこかの神社から帰ろうとしています。両者ともステッキを持って。奥さんの足の開き方から、スイスイ歩けない様子がうかがえます。旦那は手を引いてやるでもなく、片手はポケット。首にはカバーにしっかり入ったカメラ。この参拝で、彼が彼女を撮るなんてことがあったのでしょうか?と一瞬思うのだけれど・・。きっとこの夫婦にはこの距離感がいいのでしょう。少し離れてお互いの気配を感じながらのっそりのっそり歩く。いきなり振り向いて、「おい、そこに立て」などと旦那がつぶやき、奥さんもコトリとも笑わないでカメラに納まるのかもしれません。本当に仲が悪かったら、一緒に出掛けることもないでしょう。夕飯時、美味いまずいなど会話の無いままテレビをみて、「寝る」と言って彼は布団に入る。そういう暮らしをずっと続けているように思えます。それが二人にとっていい感じなのですから。

「3枚目」どこかのイベント会場か?壁面緑化に黄色いビオラが使われている壁を背に、コート姿でベンチに座った夫婦が食事中です。屋台で買ったお好み焼きか?ピザか?ひとつのプラ容器から二人がお箸を使って食べています。奥さんはブランド品の偽物バック、髪の生え際の毛染めが薄くなってきています。夢中で食いちぎっている旦那は、紺色の野球帽とジャンパー。雨上がりなのか、2人は傘をベンチに立てかけています。奥さんは骨の数の多い少し高級傘、旦那は白いビニール傘。奥さんの口元のしわと、旦那の目元のしわが何ともいい味です。けっこう激しい喧嘩をしてきたのかもしれません。今もしているのかもしれません。でも「あんた残り食べなよ」「お前にやるよ」なんて言葉が聞こえそうです。

「4枚目」奈良東大寺の山門横?のように思えるのですが、ベンガラ色に塗られた壁を背に何かを夫婦が見上げています。いかにも久しぶりの旅行という感じ。眼鏡に帽子、黒いショルダーバックの旦那さんは、ループタイなどしそうなお人柄です。奥さんはツーピースなど着て、少し重いけれど革のバックを下げてきました。秋口でしょうか、奥さんの薄手の半そでの服は着やすそう「新幹線の冷房で膝が冷えないようにすその長い服にしたのよ」かしら。何を見ているのでしょう。東大寺の大屋根を見上げているのしょうか。「大きいね〜」「ああ、でかいなあ」これから大仏に参拝なのか、旦那はワイシャツの襟を止め直しています。素直に見上げるこの夫婦に幸あれと思います。

「5枚目」高齢者夫婦が住んでいるだろう家に干されている洗濯物の写真です。画面の3分の1を占めているのはパイル地のピンク色のシーツ。そして、干してあるのはLLサイズくらいの男物の股引。肌着。ホカホカ部厚い女物靴下。いずれもずいぶん着ているのでゴムが伸びているのか、サイズが大きいのか、ハンガーにかけてさらに洗濯ばさみで止めてあります。洗濯物の下には、発泡スチロールに植わったセダム。つつましく暮らしている、夫婦の姿が見えてきます。この洗濯物の乾く頃、「母さん、夕飯は昨日の鍋の残りでいいからよ」「そうだね、じゃあうどん玉でも入れようかね」なんて会話があるのでしょう。

「6枚目」繋いだ手のアップ。男性は素手で、女性は手袋で。男性の右手の薬指に、女性の左手の人差し指がちょいと絡んでいます。ちゃんとつなぐわけでなく、さらりと触れ合う手と手。少しの温もりを感じているのでしょう。女性の手袋の指先にできた毛玉が、生活感を伝えてくれます。


こうして6枚を眺めると、「人生の楽園」風でもなく、もちろんお金持ち風でもなく、普通にそれぞれに長いつきあいをしている夫婦のほどほどの幸せがあぶりだされてきます。わが夫婦も暮らし始めて41年、長いつきあいになりました。不愛想でも、貧乏でも、おなかが出ても、しわだらけでも・・・・まあまあの幸せをかみしめたいと思います。

写真ていいなあ、6枚の写真から本当にそう思いました。

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お仕事 「ワイン城」の宝 2018/06/04 12:41 pm

北海道池田町の「ワイン城」。自治体ワイン造りの先駆、「城」は北海道観光の重要な立ち寄り先として君臨してきました。

しかしハードもソフトも改修時期です。今回特別に、専門的な解説を受けながら見学できました。

寒冷地のブドウ栽培、地下の古いワインセラー、ブランデー造りなどなど。

物はどこでも買える時代、この「学び」こそが城の宝と、実感しました。
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私はワイン好きでこだわりのワインを日々飲む、というわけではありません。

やたらワインの講釈をする方が多いですが、私はその全く逆でしょう。

だからか、これまで「ワイン城」?観光施設でしょ。くらいでそれ以上の興味は持ちませんでした。

今回うかがったのはお天気の日。「城」は山の中ではなく、JR池田の駅からすぐ、ホームから見えるすぐそこにそびえていました。

線路沿いを歩いていくと、なんだか映画の重要なシーンに出てきそうな線路を渡る歩道橋がありました。

フィルムコミッションの方がこれを見つけたなら大発信するだろうと思える、インスタ映えするサビ感が貴重。

あんまりかっこいいいピカピカの世界では人は緊張するものですが、なんだか味があって心が緩みます。

さっきまでのファストライフと別れて、スローライフに渡る結界のように思えました。

ちょうど子どもたちが楽しそうに渡ってきて、こんにちは〜!と挨拶です。

スローな世界に入ったからか、緑を渡る風や、足元の花に目が行きます。

大型観光バスでドンと着いた「ワイン城」と、こうしてゆっくり歩いて入るのと、印象はずいぶん違うでしょうね。

建物がお城のようなのでこの名がありますが正式には「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。城は地下2階、地上4階、1974年の建設。耐震改修と合わせて今、リニューアルを始めています。

もともと観光施設というよりは、研究所であり、目的は町の農業振興にあったわけで、ここのワインは「十勝ワイン」の名で出荷されています。

ワインにうとい私でも「十勝ワイン」の名は知っていました。
ホームページにはこうあります。

〜〜『昭和20年代後半、十勝地方は次々と自然災害に見舞われました。・・・十勝沖地震・・・2年連続の冷害による凶作となりました。この苦境からどう脱却するのかという中から、「ブドウ栽培」と「ワイン製造」への道が生まれたのです。
当時の町長(丸谷金保氏)の発案で、「秋には山野には山ブドウがたわわに実る。冬の厳しい池田でもブドウ栽培が出来るはず。農業所得のアップにつながり、町内に多い未利用の傾斜地も活用できる。」・・・ゼロからのブドウ栽培といった壮大な挑戦が始まりました。昭和38年には果実酒類試験製造免許を取得し、国内では最初の自治体経営によるワイン醸造を手がけ始めました。』〜〜〜

始まりは、北の地で生き残るための必死の策だったのですね。だから今も「ワイン城」は町営。研究所であり、工場であり、観光施設であり、まちおこしのシンボルということになります。

今回は安井美裕所長さんがご案内くださいました。

大変に知識豊富な方で、穏やかに歴史の話、ワインづくりの話、丸々本一冊分くらいのことを解説くださいました。

各地で観光ガイドのお話を聞きますが、ウケねらいやうわべの話が多く残念なときもあります。

今回の技術肌の所長のお話をうかがう時間は、まさにプレミアムなひとときでした。

「ブドウ・ブドウ酒研究所」略して「ブブ研」の品格と、誠実さがにじみ出てくるようなお人柄です。

最初に見せていただいたのがブドウ畑。「ブブ研」の歴史はまさに品種改良の歴史、寒さの中で育つブドウを作ることだったそうです。

この畑のブドウは、幹がかなり下の方に横たわって見える。これは寒い時期は培土して土の中で冬を過ごすからだそうです。

土を盛り、幹に布団をかけたようにして、春になったらその土をまた取り除く。大変な手間のかかる作業をしているのでした。

一方こちらは、培土しなくても大丈夫な品種。ここまで来るのにどのくらいの改良作業が行われたのか・・。

ここのブドウの基本は山ブドウ。寒さに強い山ブドウと醸造用品種の交配により、耐寒性ある品種にしていったとのことです。

冷涼な北国でつくられるブドウは酸味が強くなる。それを活かして、十勝ワインはこれまで一貫して辛口路線を堅持してきたとのことでした。

苗をどこかから買って植えるわけではありません、「ブブ研」ですから苗から作ります。

一見、美味しそうな野菜にみえるのがブドウの苗。これは寒さに強い「山幸」。この名前でワインも売られています。

この苗そのものを売ってくれないかしら?東京の我が家では、うまく実らないかもしれませんが、窓辺に「ワイン城」のブドウが観葉植物代わりにあるだけでなんだか嬉しい。

「山幸」を飲みながら、「山幸」の緑を楽しむなんて素敵です。

一般観光客が入れないエリアに、「ブブ研」の出発当時の看板が掲げられ、小さな建物がありました。

畑作業を終えた方が農具を洗っています。ワインが美味しい、まずい、安い、高い、などと消費側は簡単に言いますが、日々、こういう方々の汗がブドウを育て、私たちの食卓と健康を作ってくださっているのですね。


その昔の研究所の地下に、ワイン貯蔵庫がありました。

もちろんもっと大きな貯蔵庫は別にあるのですが、ここは超特別なビンテージもののワインセラーです。

急な階段で、一見、忍者屋敷の隠れ穴のようです。



ひんやりした地下はフサフサ?に育った、カビの世界。ここで特別なワインは眠っていました。

このカビに、え?と驚きますが、もちろん飲めるし、むしろワイン好きにはたとえひとなめでも味わいたいところでしょう。

古ければいいというものでもない、その年の気候、その前の年の気候などでブドウの、ワインの出来が違う。ひとつひとつを解説していただきました。

ブランデーの樽が眠る倉庫。ここも一般は入れないエリア。樽が少し動いているように見えるのは、地震によるそうです。

一滴、手の平に垂らしていただきました。両手でこすると、もうこれは純度の高いアルコール。

あのブドウ畑から、ここまで来るのに何年かかり、どれほどの手間がかかっているのでしょう。

ワインの貯蔵樽です。紫色にウエスト辺りが色づいています。

樽はワインを吸い少しずつ蒸発させます。その分空気がたまる。なので、週に2回、ワインを一杯に継ぎ足し、蓋をすれば溢れる。そのこぼれたワインだそうです。きれいです。こんな着物や帯がほしくなる!



「ワイン城」のオフィスエリアで、品評会に出すワインを決めるテイスティングが行われていました。

ワインのテイスティングなんて聞くと、おしゃれでカッコいい世界のように思えますが、雰囲気は実直です。





「ワイン城」は世の中の移り変わりの中で、一歩一歩「ブブ研」として歩んできたのでしょう。

そんな真面目な、本物のところだからこそ、これからは少し笑顔やコミュニケーションや、発信にチャレンジしませんか。

町の中学生がブドウ収穫を手伝い、そのブドウで作ったワインは成人式にプレゼントされるということも聞きました。

もっともっと、城を開放して、町民が参加できる仕組みを考えてもいいでしょう。

十勝ワインに親しんでもらうための、オリジナル資格制度「十勝ワインバイザー」をつくり、早くからワインファンを育てているとのこと。皆でワイン談義できるFacebookページをつくってもいいですね。

今回をきっかけに、何だか私も試験を受けたくなってきました。


屋上からは、広々とした景色とすぐそこの池田駅がみえます。

今までは車と観光バス主体だった観光客も、今後は電車でスローにやってくる人が増えるはずです。電車ならワインもたっぷり飲めますね。

そして、この城の後ろに広がるスローライフな丘、森を散策し、民間のロッジに泊まってもいいでしょう。あちこち巡らない、「ワイン城」でワインのある暮らしを学ぶワイン合宿もいいですね。

所長の質の高い講義などを頂点に、ワインについて、池田のチャレンジについても知る。

さらに、日本の普段のおかずやご飯に合う、ドイツやフランスにもない“和いん”の世界にも触れる。肉じゃがに合うワインは?なんて知りたいですもの。

町民の方々からワイン料理を習ったり。ブドウのツルでリース作りをしたりもしましょう。

ワインはスローフードの代表なのですから、ここで皆がスローライフを身につけて帰る、そんなお城の在り方もあるはずです。

物を買うより、知識や体験にお金を払う人が増えているのですから。


帰りがけに帯広の屋台で「山幸」をいただきました。所長のプレミアム解説をうかがったあとなので、一杯をいただくことに重みを感じます。

山ブドウ由来の味、酸味が、十勝を飲んでいる気分にさせてくれます。

同じテーブルに着いた他のお客様が、イタリアによく行くそうで「イタリアに比べると十勝ワインはもっと研究してほしい」などと話されていました。

横で私は思いました。「十勝は十勝、山ブドウは山ブドウ、イタリアと同じじゃつまらないでしょ、“和いん”なんだから!」と。

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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。