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お仕事 フルーツ・ライフ・スクール 2018/07/30 11:59 am

こういう名前の「まちづくり人材育成塾」が果物のまち紀の川市で始まっています。

まちづくりイベントは、とかく楽しいだけで終わりがちです。もう少し深いところで繋がり、思索し、知的な動きを起こせるように。

コーディネートするにあたり、カリキュラムには講義とワークショップ、ウォークの要素も入れました。

さてどうなるか?17歳〜78歳の25人と一緒に、私も学ばせていただいています。
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初回6月入塾式では、副市長から「紀の川市のいま、これから」というテーマで、市の総合計画を講義いただきました。計画など知らない、では済まされない世の中です。「計画なんて見たことないもの、知らないもの」なんていう言い訳は、本当の大人にはありえないことでしょう。高校生も真剣に聞いていました。

その少し固い内容で、紀の川市の目指す姿を知った後にはリラックス!この写真、記念の懇親会ではありません、講義とワークショップの間に設けたフルーツ休憩です。

今回、受講生を集めるには苦労しました。何でも無料が多い中で、年間1万円の参加費を払っても学びたい人を集めたからです。しかも、初回ですからどんな内容かも示せません。

知合いが自然多くなるかと思ったら、全く知らない方が多く手を挙げて、参加動機の文章までしたためて入塾されました。スタッフも講師も、気合が入るわけです。

休憩時間ににも何かを学んでいただこう。農家さんの思いや、梅についての一口知識が貼りだされます。

ワークショップ「お互いを知ろう」では、各人が自分のキャッチフレーズとビジュアルとしてのクレヨン画を。

学生、農家、公務員、会社員、自営業など職業ではつかめなかった、個人のキャラクターがみえてきます。

ソプラノで歌う人だったり、陶芸が趣味だったり、ダンスが得意だったり、お祭り男だったり、手品師だったり、変わった鶏を飼っていたり、地域おこし団体を長年やっていたり、etc。

2回目の講義は「いったい果物とは何なのか」。全国的に活躍されているフルーツの専門家、近畿大学の先生からお話をいただきました。

気軽に「フルーツのまち紀の川市」「フルーツでまちおこし」などと言いがちですが、なぜ紀の川市で果物が多く作られるのか。

私たちが果物と呼んでいるのはどこなのか。果物はどのように増やすのか。など、初めて聞くような話ばかり。

皆から「こういう専門的な話を聞きたかった」と大好評でした。そう、しっかり学ぶ時間は大事なのです。

この日は皆が“果物に関するもの・こと”を持ってくるのが宿題でした。ひとつのことを多様な視点で見る訓練です。

例えば電車を、交通手段としてみるか、コミュニケーションスペースとしてみるか、はたまたいい音を奏でる装置ととらえるか、でそれを“活かす”方法も変わってくるはずです。

果物関係で集まったのは、世界の果物切手、果物にこだわる人の紹介、果物関係のお菓子、果物の字を使った苗字、台湾での桃菓子、神社にある果物由来の故事の彫り物、果物の香りの殺虫剤、果物アップリケのTシャツ、果物の形の消しゴム、などなど。

にわかに「フルーツ・ミュージアム」ができあがりました。

ワークショップのテーマは「多様な果物文化を見渡す」です。ミュージアムに続いて、「フルーツは?」というお題への言葉出し。

「フルーツは・・・・おいしい、きれい、香りがいい、おしゃれ、高いイメージ、近所からもらえる、主食にならない、剥くのが面倒、神様に供える、癒し、感動を与える、暮らしを豊かにする、薬になる、思い出、汗仕事、獣との闘い、6次産業化が可能、」など、いろんな切り口からの言葉が出ました。

一口に「フルーツのまちづくり」言っても、そのフルーツの捉え方はいろいろだということが分かりました。

全12回のうち、3回は「フルーツ・ウォーク」です。地域資源を訪ねながら、歩きながら学び、学びながら皆が仲良くなる時間です。

7月の強烈に暑い日に、一回目のウォークでした。長距離はバスですが、現地で1時間くらいは歩きます。

この日は「偉人の業績を訪ねる」がテーマ。江戸時代の土木技師・大畑才蔵について専門家の方から学びました。

学んでから歩かないと、その偉大さが分からない。小田井用水は見た目はただの水路です。

でも注意してみると、途中で水が消え暗渠になっていたり、サイフォンの構造で川の下を流したり、渡井で川の上を流したり。

少ない勾配でより広い面積を潤す用水を、昔の技術で作った人がいる。そのおかげで、米ができて、人が生きられた。その延長上に、今の紀の川市、果樹栽培もあるのですね。

暑い暑いウォークではありましたが、高校生の男の子が「かんがいというものに興味をもちました」と感想を述べています。

水の便の悪いところに用水を作る努力に想いを馳せていると、道沿いの家に「水」の字が。

防火のおまじない、今もこうして生きています。







もう一人の偉人は華岡青洲。江戸時代の終わり、世界で初めて麻酔を使って手術を成功させた人です。

全国からここに1000人以上の弟子が通ったとか。母と妻を人体実験に使った話は小説にもなり有名です。彼は地域の灌漑にも努め、ため池を造ったりもしています。

生涯、田舎で粗末な暮らしをし医療に尽くすを旨とした人でした。

診療所であり、住まい、塾でもあった「春林軒」が復元されています。ここもしっかり説明を聞きたかったのですが、時間切れ、しかも暑さに皆疲れてしまって・・。また来ましょうね。


そして最後に訪ねたのは現代の偉人!新しい農業の姿にチャレンジする桃農家さん。

桃だけでなく早くからブルーベリー栽培をしかもオーナー制で始め、今は摘み取り体験農園もやっています。

摘み取りだけでなく、マキ割り、ピザ焼き、歴史散策、ネーチャーゲームなど、いろいろな体験も商品にしています。

奥様とお嬢さんはフルーツを活かしたレストランも。季節のかき氷やフルーツパスタなどが好評。

これから農業やカフェをやりたいという方に、具体的な参考事例となりました。何人かが、また訪ねたいとのことでした。

お土産は丸々太った美しい桃、その実りも讃える一日となりました。

このように、人材育成塾といっても他都市のアカデミックな講義中心のやり方とかなり違います。このやり方でどんな変化が起きるのか、スクールを企画した側としてもチャレンジであり、学びなのであります。

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お仕事 大豆を蒔く、元気を蒔く 2018/07/23 6:30 am

那須塩原市にうかがうと、炎天下、高校生が大豆を蒔いていました。料理研究家・辰巳芳子さんの「大豆100粒運動」に応えての活動です。

大豆を育てることで日本の食生活を変えようという動き。地元の方々も賛同し、閉鎖した旧小学校を清掃、花壇に大豆を蒔きました。

「高校生と豆腐を作ろうか」「若い人に豆の煮方を教えよう」話が止まりません。大豆は、元気の種にもなりました。
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栃木県立那須拓陽高等学校、歴史ある農業系の強い高校です。











炎天下訪ねると、大豆を蒔いている真っ最中でした。

一見、昔の田植えのようにもみえます。








蒔いているのは、緑色の「加治屋在来」と、











「鞍掛豆」。名前の通りこの大豆は、馬の背に鞍を掛けたような模様です。









辰巳芳子さんの運動に参加を表明のプレート。ワイワイ言いながら作ったんでしょうね。

今、全国の学校、地域で、こういう看板が立っているのだと思います。






紐に付いた印にあわせて2粒ずつ。

若い指が豆を埋め込んでいきます。








黒長靴と麦わら帽子、ちょっと昔っぽいファッションが、今やカッコいい!

さらに、こういう運動に参加することがカッコいいのでした。







さてこの晩、地域の女性たちと会食したのですが、その方たちは既に大豆を蒔いていたのでした。

「○○さんのうねり方はさすがだね〜」「私たちは一足進んでそこに蒔く、紐なんてはらないで、自分の足が物差しだ」「やぱり先輩方のクワの使い方は違うね」

この方たちの先輩というとお幾つなのだろう???なんて思いながら、私はその豆談議に混ざっていました。

「△△さんの煮豆は美味しいよね、しわにならなくて上手だもの」「少しのこってるから食べる?」「こういう煮方を、高齢者が高校生に教えるのいいね」「豆腐作りもいいよ」「味噌は作らなくちゃ」

大豆から、なんだか夢が芽生え膨らんでいるようです。


翌朝7時、旧金沢小学校に、奉仕活動のためにたくさんの人が集まりました。

廃校にはなったけれど、お世話になった学校が荒れていてはだめだから、草を取って、掃除しようということです。





これからこの学校を地域おこしの拠点にだんだんしていきたい、そんな思いも芽生えています。

だから、とにもかくにもまずはきれいにしましょうと、道具はばっちり。皆さんの暑さ対策もばっちり。





今や鹿の運動場になってしまっているグランドを、綺麗にします。一見、潮干狩りのようですが、壮大な草取り。

私などは装備が甘く、すぐに汗だくになり、しかも草はなかなか取れないで、ギブアップ。

皆さんは根気よく、本当に綺麗にしたのでした。





荒れていた花壇は掘り返され、大豆が蒔かれます。

子どもたちは初めてかな?











ここでは3粒ずつ蒔かれていました。

こっそり、「私にも蒔かせて」と一ヶ所豆を入れさせていただきます。

さあ、高校と、このもと小学校と、おばちゃんたちが蒔いた大豆は見事に実をつけてくれるでしょうか?

獲れた豆で何をしよう?この日から、蒔いた人たちは、大人も子どももワクワクし、なんだかムズムズ元気になっているはずです。

汗をかいた後に食べた地元の曲がったキュウリ、来年はみんなの大豆で作った味噌をつけて食べられるかもしれません。


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お仕事 昔の写真展 2018/07/16 11:50 am

久しぶりに十津川村谷瀬へ行くと「谷瀬昔のくらし写真展」が開催中でした。

奈良女子大生と谷瀬住民による手作り展示。眺めながら村人の話がつきません。

90歳のおじいちゃんの若い頃の写真を見て「イケメンだったね〜」、今はヒゲを蓄えてた集落総代の赤ちゃんの頃の写真では「可愛い、ヒゲがない!」なんて声が。

“みんなの昔”が主役になれる写真展は、よそ者にも楽しい場でした。
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4ヶ月ぶりの谷瀬です。今年も「純米酒 谷瀬」になる、酒米がすくすく青々と伸びています。

谷瀬の吊り橋を渡って「ゆっくり散歩道」を歩いていくと、やがてあるのが「こやすば」。

古民家を皆で使えるようにした休憩所です。




ここでは春までは「暮らしの写真展」として、村おこしの様子や、名産品づくりの作業など、谷瀬の今の暮らしを伝える写真展をしていました。

その昔バージョンです。2月頃から奈良女子大学室崎研究室の学生さんが、集落の皆さんに呼びかけて昔の写真を集めてきました。

「ないよ」と言っていた住民が、意外に「あった」と反応。アルバム一冊出てくると、それは宝の山のように、いろいろな情報が埋もれているのでした。

集落の人は、ひたすらあちこちをゴソゴソ探す係です。アルバムがあったら一緒に写真を選び、学生さんがスキャンしてデータにし、プリントしてボードに貼ります。



ちょっと素敵なギャラリー風でしょう?

この撮影時は、「こやすば」の戸が閉まっている状態だったので暗めですが、土日のオープン時は、もっと明るいです。

しかし、時々まだコウモリ君が登場するのですが・・・(笑)。





古民家の黒い板戸と白い障子は、そのままシックな展示スペース。特に、こういうモノクロームの写真に合いますね。










ひときわ目を引くこの写真は、谷瀬名物の吊り橋が昭和29年にかかった時の、渡り初めの様子だそうです。

紋付袴に山高帽姿、何度も流されて苦労してきた、その橋が、皆の力で架かり開通した。その待ちわびていた気持ちが、佇まいから伝わってきます。

今ではもっと立派な吊り橋になっています。この頃の吊り橋は、大風の日はよくねじれた!のだそうです。

一方この写真?これはいったい何を運んでいるのでしょうか?婚礼か何かあって、その荷物をリヤカーで運んでいるのか。

それともいつもの農作業のひとコマなのでしょうか。そんなときにわざわざ写真を撮るのかなあ〜とも思うし。やはり何か特別なものを運んでいるのでしょうね。



集落の人々は、何をしているか?よりも「ああ、○○姉だ」「これ、△▽兄だろう、きっと」なんて、人物の特定に夢中です。

一番右が、いまや最高齢?のお爺ちゃんのはず。素敵です、もちろん今もですが。






電話の交換、という仕事もあったわけですね。











お嫁さん、一世一代の晴れ姿です。

こういう花嫁姿で、吊り橋を渡って谷瀬へお嫁入したのでしょう。今と違い、情報がない時代です。他と比べるなどということもなく、親や親せきの決めた縁談で。

ただただ、嬉しくて恥ずかしくて。いい笑顔ですね。

地元の方々、相変わらず「これ、□□婆じゃないかね」「ああ、そうだそうだ」「ほお〜」という調子。

花嫁姿のご本人は、今は集落においでにならないようですが、こうして写真を飾られるなんて、喜んでくれるはずです。



昭和20年〜30年代くらいは、子どもはみなおさがりを着て、鼻を垂らして、下駄で走り回っていました。

小さな子は、お母さんや上の兄弟にいつもおんぶされていましたっけ。そう、黒い襟のついた“おぶいばんてん”にくるまれると温かでした。

おぶわれているのが、今の谷瀬集落の総代さんです。



吊り橋を渡ってお嫁入し、やがて子どもができて、家を建てる。

当時の家は、新建材など使わない、地元十津川の木を使ってでしょう。自分の山の木を伐って、ということだったはずです。

建前は嬉しい、餅をまいて、幸せを祈る、振る舞う。


写真を見ていると、この小さな集落に暮らし、身体を酷使しながらみんなでささやかながらも幸せをつかんできた、創って来た、そんな皆さんの生きざまが伝わってきます。

集落の人と、学生さんと、飾る場所があれば、こういう試みはどこででもできますね。

誰かの立派な写真を鑑賞するのではなく、自分たちの歩んできた日常が主題になり、自分たちが主役になれる写真展。

写真を前にほとんどおしゃべりは噂話や冗談のですが、それでも住む人たちも、よそ者も混ざって、人のつながりを編むことができます。

ぜひ皆さん、ぶらりとお立ちよりください。そしてぜひ、皆さまの地域でもこんな催しをしてみてください。奈良女子大さんありがとう。


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ちょっとしたこと 会いたい人 2018/07/08 10:43 pm

2015年秋のスローライフ・フォーラムは雲仙市でした。そこに参加していたジャガイモ農家の若者が、私のFacebookにコメントをくださいました。

彼はバンドもやっていて7月にまちおこしのコンサートを計画中。急に会いたくなってメッセージし、今回、彼の軽トラの助手席に乗る機会を得ました!

すると今度は彼が一度会いたかったお醤油屋さんに電話し、私が接着剤で2人が会うことに。

いい出会いとなりました。
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2015年11月1日開催のフォーラムです。
雲仙市のこれからについて、前日、4つの分科会を開催し、その結果を踏まえたシンポジウムが行われました。







この時、各地から雲仙市を訪れたスローライフ学会会員は、雲仙が北海道に次ぐジャガイモの産地えあること。

ジャガイモ畑が雲仙の独得の景観を作っていることなどを学んだのでした。

盛り土したこの赤い土と、独特の石垣が印象深かったものです。


今回、私が目にした荒木政勝さんの記事です。ジャガイモ農家が時々バンドマンになる。

さらに、彼の仲間は、長崎の調理師学校と連携し、棚田で米を育て、その米粉でお菓子を作り、地域の高齢者を訪ねているのでした。









千々石(ちじわ)という海辺の地区、ここで彼と待ち合わせ。そして荒木さんの軽トラックの助手席に乗せていただきました。

おそらくしばらくの間、助手席に人が乗った気配はありません。でも、今夜の酒宴用なのか、青々とした今採ったばかりのシシトウガラシがピカピカ光って転がっています。



荒木さんです。フォーラムの分科会では私の担当のところではなかったので、しっかり顔を覚えていないのですが、彼曰く
ー。

「懇親会で夜中まで飲んでたら、『いい加減にしなさい』って怒られました」とのこと。

確かに、シンポジウムの前日の飲み会で、「もう寝なさい」と私、言いまくったことは覚えています。その一群に彼はいたのですね。

今の活動をとつとつと話す荒木さん。髪は茶色で、しっぽ?のように伸びているところもある。いかにもそれがミュージシャンらしいのですが、活動は大まじめでしかも芯がある。

そこらの都会の軟弱な若者と違う、厚みを感じました。

7月末に開催の“#ミニフェス”のTシャツ。「これも農家のデザインですよ」と。

いろんな人やことが赤い絆で繋がっている、イラスト。彼らはこれを売って、フェス開催の費用を作っているのでした。

「みんなで地元を盛り上げたいから」いろんなことを考えているそうです。コンサートだけでなく、収穫体験や地元の売店なども。

ジャガ農家や水道工事屋さん、釣具屋さん等が、腕まくりなんだそうです。

地域にはそれぞれ、頑張っている人がいるなあ〜と実感します。

荒木さんが電話をしていると思ったら、相手は地元のお醤油屋さんの奥さんでした。

山中ひとみさん、荒木さんとFacebook友達ですが二人は会ったことはありません。

ちょうど「東京からこんな人が来ている」というのはいいきっかけ。荒木さんに連れられてお会いしまた。

「荒木さんとは、バケツの中に何か入れて置くなんて物々交換はしてましたけど、会うの初めて〜」と笑います。


ここでは、この土地で愛される、少し甘い味のお醤油や味噌を造っています。












「うちの工場古いから、撮らないで〜」とひとみさんはおっしゃいますが、お醤油のいい匂いが満ちた工場では、ちょうどお醤油を絞っているところ。

「絞ったカスは、栄養があり塩分もあるので牛さんが食べてくれるんです」と教えてくれました。



「とにかくみんな古いから」と言いながら、ひとみさんは「こんな小切手打つ機械もあるの。穴あけも」と見せてくれます。

道具博物館のようです。







何でもチャレンジのひとみさん、醤油の原料の大豆を育ててみようと、ご近所の方から大豆を分けていただいていました。

「このくらいの間隔で蒔いてね」とご近所さんが丁寧に教えています。





工場内には、大豆も麦も塩もすべて長崎県産の物を使ったという樽もありました。

なかで旨みが静かに育っているのでしょう。








こんな出会いの後、荒木さんのジャガイモ「デストロイヤー」で一杯をする楽しさ。いい夜になりました。

きっとまだまだ市内の人で、出会えばいい人が出会っていないのではという気がしました。

そんなきっかけに私がなれるなら大喜びです。よそ者が地元の人を繋ぐ。人と人が掛け算で化学反応を起こして、何かが始まる、変化が起きる。

そんな接着剤や導火線になれれば・・・。荒木さんと山中さんを見ながらそう思いました。

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お仕事 それぞれの宿で 2018/07/02 1:34 pm

その土地のことを知るには、いろいろな宿に泊まることが大事と思っています。

いま通い始めている雲仙市でも、3泊するなら3種類の宿に泊まります。

今回ある宿では、大女将さんのまかない食事にご一緒し厨房で楽しいおしゃべりをしました。

スポーツ合宿専門の宿では、アスリート並みの食事量にびっくり。地元のはじける宴会に遭遇した夜も。

それぞれに土地の事情を吸収できました。
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雲仙市に毎月通い始めています。今回は、雲仙市国見町を回りました。いろいろな活動や人を訪ねていますが、宿は私セレクトです。

1日目は多比良地区にある「割烹旅館観月荘」という宿。「タイラガネ」(ガネとはカニのこと)呼ばれるカニで有名な海辺のまちです。



2階の部屋でしたが、1人で食事はどうも淋しい。1階に降りてひょいと覗くと、あれ?室内に池がある。大きな鯉が泳いでいます。

厨房で老夫婦がお食事中、「綺麗な鯉ですね」というと「金魚なの」と大女将さん。2人の仲睦まじい姿に、「ここで私も食べたいな〜」なんていうと「どうぞ」と大女将さんがさらりと許してくれました。

ふと見ると、「酒」と書かれたお燗用のヤカン、「のり」と書いた缶、「いりごま」と書いた容器などが並びます。

「みんなお父さんが書いちゃうの」と大女将さん。お爺ちゃんはどうもマジックで表記癖があるようです。



娘さんの若女将さんも加わりました。「このお造りのヒラメはそこの浜でとれたんですよ」「ウリの漬物も沢庵もみんなここで漬けるの。この町は野菜も採れるし」

そこに、嫁いだ娘さんが立ち寄りました。お好み焼きの差し入れです。

ビール1本ですっかりご機嫌の私は「これからはこういう家庭的な宿を求めて外国の方も来ますよ」なんて演説です。

「ええ?こんなとこまで来ますかねえ。雲仙温泉なら来るだろうけど」「来る来る!だから簡単な英語を覚えましょうよ」など、女たちのおしゃべりは果てしなく。



メバルの煮物の美味しかったこと。煮汁をかけたご飯がまた最高でした。

若女将さんはまちづくりに熱心です。この辺りのお店や宿は自慢の逸品を黒い看板に書き出しています。ここは「三角いなり」、そして「おはぎ」も名物。

お爺ちゃんが昔は和菓子屋さんだったことから、当時の銅鍋を使って今も餡を煮るとか。



本当は予約制ですが、翌朝のご飯に若女将さんがわざわざ作ってくださいました。

ゴマのたっぷり入った大きな三角いなりをずしりと食べたあと、さらにおはぎがまた美味しい。海辺でこんな味に出会うとは・・。




2泊目は「遊学の館」。巨大なグランドと大きなお風呂を持つ、スポーツ合宿の宿です。そんなところに個人客が、しかも女性1人でなんて?と思ったらOKでした。

部屋の中のトイレも洗面所も立派。お風呂にはサウナもあり、廊下の横には洗濯機、乾燥機、共同で使う冷蔵庫も。

ここに個人や家族で泊まれることを知ったら、もっともっと賑わうでしょう。とはいえ、夏はもう合宿で満室状態、雲仙市内でもかなり稼働率のいい宿なのです。

夕飯の量が凄かった。刺身、煮魚、エビフライ、餃子、蒸し鶏、エビチリ、豚の陶板焼き、ざるそば。とても食べきれません。

「サッカーの子たちはこのくらいペロリです。ご飯もジャーが空になるし」と調理の方。地元の物を少量食べたい私のような高齢者?!は、今度は夕飯は外で済ませましょう。



それにしてもスポーツ少年たちをいつも相手にしているせいか、従業員の方々の笑顔がさわやかです。応対がいちいち清々しい。最近の普通のお宿に学んでほしい感じの良さでした。

ここはお風呂だけもOK。地元の方々がけっこうお風呂利用にやってきていました。外来者受けの施設をジモティーが上手に利用する、賢いですね。しかもお行儀のいい入り方。

私のようなよそ者が居ると、邪魔にならないようにして家族で入っています。そして洗い場から出るときは、シャワーで自分回りの床をざっと流している。見習わなくちゃと思った仕草でした。



3泊目は「旅館 松栄」。予約の時から女将さんが「この日は宴会が入っているので、うるさいかもしれませんが」とおっしゃいます。

「いえいえこちらも他のところで実は宴会をして、そのあとうかがうので夕飯はなしで、しかも到着遅いです」と条件がピタリ!

いい加減遅く、こちらも酔っぱらって到着するとまだ宴会は続いていました。どうやら地元の農業関係の若者のようです。

私は宴会が大好きなので、盛り上がったりはじけたりは大歓迎。ロビーで女将さんは気にしますが、実はこちらがその輪に飛び込みたいくらい。

そこにスタスタと若者が階段を降りてきました。トイレかな、お水かな?と見ると、ストーン、と音まではしませんでしたがズボンが落ちた〜〜〜!大丈夫、パンツは履いていました。

こちらは大笑いなのですが、女将さんが子どもをあやすように「あら、ダメよ。ズボンあげてよ〜」と世話をしています。

どこに行くのも車社会の田舎の地、普段は外ではなかなか飲めません。皆とたまに飲むのなら、こうして思い切り飲みたいのでしょう。

黒々と日に焼けて、ご機嫌の若者はいい顔をしていました。こういう宿が身近にあること、幸せですね。



お風呂に入っているうちに宴会は引けました。そこで私のお目当ての「野菜ぷりん」です。

実はこの宿は、例の看板に「野菜ぷりん」と書いてある宿。雲仙市の豊富な野菜をたっぷり使って手づくりプリンを手がけています。

一番ベーシックな雲仙名産の「じゃがいもぷりん」をいただきました。夜中のぷりん、ほっこりとしたジャガイモの風味をそのままに、魔法にかかったような甘さが私をとろけさせます。

このノリで、翌朝もう一つ「ゴーヤぷりん」もいただきました。





女将さんは他のお菓子にも挑戦中、料理にも熱心で朝から可愛いジャガグラタンも。玄関にはジャガイモの新種が「女将さん、試しに使って」と届いていました。






雲仙市内に有名で巨大な温泉観光旅館もありますが、3か所3様のこういう宿もまたいいものです。お宿のおかげで土地の素顔に触れ、ますます雲仙が好きになったのでした。

※ちなみにカニの写真は朝の散歩のお友達、タイラガネではありません。

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野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。