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ゆとりある記 春日部ぶらり 2018/08/27 1:47 pm

とっても暑い日、これといった用もなく、訪れたまちです。

立ち寄って初めて知る歴史、歩いてみて気づく特色に猛暑を忘れます。

旧日光街道の宿場、昔は川港もあり、今も蔵のある旧家が並びます。

路地には風情ある飲み屋さんやラーメン屋さんが。麦わら帽子の産地でもありました。

ついつい汗だくで写真をたくさん撮ることに。涼しくなったらまた行きましょう。
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普段どこかに行くとなると、取材だったり、視察だったり、いずれにしてもご説明の方がついてくださったり、下調べをばっちりして行ったりします。

それは用があるからで、用がないとなると実に無防備にリラックスして出かけます。

夫のゼミの撮影会だそうで、私はその付録。要は居ても居なくてもいいのですから、ほんとに気が楽です。

駅から東に歩き出して、「あら〜?春日部ってもとは粕壁だったんだ〜」と発見。






立札に店と蔵とあるように、ここは明治時代の建物とか。










大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)これは読めません。かつてはここが利根川の本流だったそうです。






橋の上の公園に、今風のオブジェ。お仲間はイメージ的な写真を狙って撮っておいでですが、もう、私は暑くて暑くて。

来なけりゃ良かったとか、日に焼けるとか、どこかに喫茶店がないか、なんてことばかり。

おお!サンダル風の靴から出ている足の甲がヒリヒリ焼けてきています。






少ない日陰をたどるように歩いていくと、ぽつんぽつんと古い建物がある。

う〜ん、魅力的。カフェなんかにするといいなあ〜。






樹齢600年のイヌグス、江戸時代は船着き場の目印だったそうです。

今は数メートルで朽ちていますが、さぞかし目立ったことでしょう。

立て看板には「粕壁宿は米や麦の集散地として栄え、古利根川を利用した舟運が行われていました。」とあります。

私もここで、昔の船頭さんのように一休みさせてもらいました。


意外に水が多く、葦などが茂る古利根川です。

身近にこれだけの水面があるというのはうらやましい。

江戸日本橋から4つ目の宿場、街道は人や馬が歩き、荷はこの川から揚げられ、にぎやかだったでしょう。

当時の喧騒が目をつむると聞こえるようです。

今は東京のベッドタウン、休日の暑い川辺に人の気配はありません。皆、エアコンのきくマンションの中でジッとしているのでしょうか。


人気を感じずに何だか淋しくなっていたら、細い路地にこんな店?を見つけました。

夕方になったら開店するらしいです。冷たいホッピー飲みたいな〜。

きっとランニングにステテコ姿のおじさん等が、昔の船頭さんのように、宿場の木賃宿の番頭さんのように、世間話をしながら飲むのでしょうね。

混ざりたい!


「ぷらっとかすかべ」という案内所に麦わら帽子がありました。昔から産地だったそうです。今も技術が残っている。

ああ、もう夏も終わり。来年、買いに来ますね。

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お仕事 集落に学ぶ 2018/08/19 4:14 pm

今年度の奈良県十津川村谷瀬寄合が2回行われました。

小さな集落の小さな会合でいつも思うのは、皆が平らかな関係にある清々しさです。

高齢者も、若者も、女性も、よそ者も皆が意見を言い、皆が実行する姿勢で取り組む。

しかも「ねばならぬ」ではなく「楽しんで」。なので、物事が動いていく。

皆がお互いを必要としている関係、これが社会の原点なのでしょう。
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山の稜線の手前に、集落の人たちで作った水車が見えます。「ゆっくり散歩道」の名で伸びる道、集落の人の生活道ですが、外来者には吊り橋から展望台まで続く散歩道。歩くだけで緑と鳥の声に癒されます。






水車の近くに行くと、伸び放題だったカヤの原が刈られています。後から聞けば「熱中症ギリギリで刈った」のだそうです。
おかげで、散歩しながらの見晴らしが開けました。







会員制で酒米を育て、純米酒づくりをしています。その稲もフサフサ茂りいい調子。春にはいいお酒になるでしょう









展望台へ行く階段に「マムシ注意」の看板。「観光客の方からマムシがいたって聞いて早速4枚つけた」とのことです。









手づくり道案内案山子も増えています。これは有志の女性群の仕事。「だんだん職人みたいな気分で、面白くって」なんだそうです。









ちょうど百日草が盛りでした。花に詳しい方が音頭をとって、奈良女子大生も一緒に植えている、散歩道沿いの花たちです。









これが谷瀬名物?寄合風景。ほぼ一カ月に1回寄り合います。先回、みんながやりたいことを書き出しました。そしてこの回では、その中で特にやりたいことを選んでいきます。







やりたいことのなかでも、「即やること」「年度内にやること」に分けて整理していきます。板書が上手な「たろう」さんは、もうすっかり住人になり切った数年前の移住者さんです。







ほんの40人足らずの少人数で、この大きな山里の空間を維持管理し整備していくのですから大変です。実際に動いている人はそのうち10数人。

それぞれが得意なことを受け取って、いつまでにどうやるかを決めていきます。




水の配管工事から、空き家の整備、その整備した空き家に住みついたコウモリの退治、なんでもやる人たちです。「コウモリの糞、売ったりできないかね〜」なんて冗談も。







今年度やることが出そろいました。一番やりたい意見が多かったのが、「文化的な催しです」。

これまでとにかく他所の人に来てもらおうとばかり考えてきましたが、もう少し自分たちが豊かな時間を過ごし、知的な谷瀬にしていきたい。

古民家を改築した休憩所「こやすば」を、来訪者だけでなくまずは自分たちのくつろぎの場にしようというわけです。

「お月見近辺で、みんなでサロンを開こう」「純米酒・谷瀬を酌み交わそう」「昔のLPレコードをゆっくり聴こう」「ギターを弾こう」「秋の花を活けよう」こんなワクワクが育っていきます。


既に、真空管を使った昔のステレオセットが整備されていました。音にこだわるようです。

こうした小さな試みが、やがて来訪者にも伝わります。そして淀んでいない、流れているせせらぎは、必ずそこに新しい水が流れてきます。

“谷瀬の人口を増やそう。集落を維持しよう”みんなの目標はひとつですから、サクサクっと物事が進む。

体力のない人は昔の知恵を出す、赤ちゃんは場を和ます、納屋に古い民具がある人は展示物に提供する、花の水やりを集中してやるひとも。

こういうつながり方がいくつも連結した日本なら、どんなに素晴らしいか。

となりの人と会話もしない東京新宿の小さな部屋で、そう思う私でした。


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ちょっとしたこと デカンショ節 2018/08/13 2:54 pm

兵庫県篠山市の民謡で、毎年8月15・16日には「デカンショ祭」としてやぐらを囲んで総踊りが行われます。

昔、篠山の若者から旧制一高の学生に伝わり、宴会のはやし唄として広まったため、年配の方々はご存知でしょう。

ただの盆踊りの曲かと思うと、歌詞がなかなかいい。「半年寝て暮らす」とか「酒は呑め呑め」「唄うて廻れ世界いずこの果てまでも」と、スローライフソングなのです。
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「デカンショデカンショで半年暮らす ヨイヨイ あとの半年寝て暮らす ヨオーイ ヨオーイ デカンショ」

私が知っている「デカンショ節」この歌詞。どこでどう覚えたのかは定かではないですが、「デカンショ節?知ってるよ」とこのくらいは唄えたものです。

それがこの度たまたま篠山市でお仕事をすることになり「え?ここの歌なの?」から始まったわけです。

私に常識がないといえばそうなのですが、若い人に聞くと「デカンショ節???」とその歌の存在そのものを知らない方が多いのが現実です。

ならば調べましょ、伝えましょう、とこのブログです。


篠山には「篠山城址」の近くに「丹波篠山デカンショ館」があり、この歌の歴史が分かります。

もともとは江戸時代から篠山地方で唄われていた「みつ節」という歌が元歌だそうです。

一年中続く厳しい農作業や労働から解き放たれて、盆踊りに酔う。夜明けまでこの歌と踊りが続いたようです。

旧篠山藩青山家は、明治になり廃藩後、篠山の若者を東京に招き学ばせました。

その若者たちが夏、避暑に今の千葉県館山市に泊まった時、声張り上げて唄った歌がこの盆踊り歌でした。

同じ宿にいた旧制一高(現東大)の学生が気に入り、この歌を覚え、東京に戻ってからも唄いまくったことでやがて全国に広まったのだそうです。

日本各地から集まっていた一高生が、この歌の媒体となり流行らせたのですね。


「デカンショ」の意味は「どっこいしょ」から。丹波杜氏の出稼ぎが盛んだったことから、「出稼ぎしよう」。哲学者のデカルト、カント、ショーペンハウエル、の頭文字。などの諸説がありますが、特別な意味は無いようです。

戦後、篠山の盆踊りを篠山の伝統であるデカンショ節に統一しようと、1953年、各地区の盆踊りを統一し大会が開かれました。

その後、「デカンショ祭」として年々盛んになり、兵庫県下最大の民謡の祭へ。1970年大阪で開かれた万国博覧会では、400名の踊り子が出演したそうです。

と、歴史はこれくらいにして、この歌詞を眺めましょう。

囃子言葉は同じものの、時代の移り変わりの中で次々と歌詞が加わり、いま約300くらいあるのだそうです。

さらに、毎年公募で新作が集められ受賞作品が加えられています。


そんな中で古くからの歌詞の10選があります。

|闇伴鳥鎧害箸留遒(ヨイヨイ)花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)

※以下囃子言葉は一緒

▲妊ンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす

C闇伴鳥核洩弔僚里如(孤霖辰┐携少年

っ闇伴鳥鎧咳なれど 霧の降るときゃ海の底

ゼ鬚楼め飲め茶釜でわかせ お神酒あがらぬ神はない

ζ腓量端鬚呂匹覆燭つくる おらが自慢の丹波杜氏

盆のお月さん丸こて丸い 丸てまんまるこてまだ丸い

┐錣燭靴稈闇箸両〃育ち 中に甘味も渋もある

雪がちらちら丹波の宿に 猪が飛び込む牡丹鍋

デカンショデカンショと唄うて廻れ 世界いずこの果てまでも

,鉢は都市と田舎の、地方から世界を視野に、というスケール大きい交流の歌です。
△脇くのと同じだけ休みましょう。ライフスタイルの話。
は東京に出なくとも、地方で文武を鍛えられるという教育の考え方。
い筬はスローフード。
高度な技術自慢。

などなど、深読みすると実にいい歌詞なのです。そしてこの歌に出てくる光景や歴史がしっかり保存されている。

そんなことから、この「デカンショ節」をテーマにしたストーリーは2017年日本遺産に認定されています。

先日、篠山にうかがうと、「デカンショ祭」の直前、街は「デカンショ」の言葉だらけ。横断幕が特産の黒豆畑の上に張られています。

この地で育った子どもたちには「デカンショ」は日常語なのでしょう。

「デカンショ節」の歌詞も曲ものびやかで、知的で、郷土自慢で好ましいのですが、なんといっても自分の住む土地に、皆が唄い踊れる「歌」があることがうらやましい。

地域がひとつになれるものがあることは、力になるなあと思いました。だからこそ、市名変更が実現しそうなのでしょうね。

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ゆとりある記 野菜パワー 2018/08/05 8:41 pm

雲仙で地元野菜のステーキを食べてきました。私がそう呼んでいるだけで本当はお肉も含む鉄板焼きです。

でもお肉の存在がかすむほど、カボチャやオクラ、アオナス等の野菜がおいしく、色がカラフル、美しい。食べているうちに身体が弾んで元気になっていくようです。

16種類の野菜を食べて、都会との味の違いに驚きました。複雑な料理などよりも、新鮮本物野菜の勝ちでした。
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出かけたのは雲仙市の雲仙温泉にある民芸風のお宿「雲仙福田屋」です。その別邸にある鉄板焼きのお店にうかがいました。

ここの旅館、お店が、地元の野菜に力を入れていて、鉄板焼きの野菜は特に有機野菜にこだわっている。この日はそれを味わってみよう、という設えでした。


前菜からして鱧以外は野菜だらけ、右下の小鉢にみえる緑色は茎ワカメのような、キクラゲのような食感の野菜。

名前を忘れましたが、調理前は一番下の写真にある丸い厚めの葉っぱです。






さあ、お野菜が現れました。よく旅館料理に出てくる魚の船盛のような迫力です。

椎茸は2種、ジャンボシイタケ、アカチャンシイタケ。カボチャは3種、ソウメンカボチャ、ヒダカボチャ、バターナッツカボチャ。ジャガイモも3種、ナガサキコガネ、ドラゴンレッド、デストロイヤー。ビーツとウズマキビーツ。オクラとダビデオクラ。フジミアマナガトウガラシ、アオナス、アイチワセシロというタマネギ。ビショウニンニク。合計16種類。

野菜の名は少々聞き間違えていたらごめんなさい。


焼き始めました。油は普通のサラダ油。オリーブオイルは野菜の味より勝ってしまうのだそうです。

色とりどりのトランプのカードを広げたように、輪切りの野菜が鉄板の上に広がります。







料理長の草野さん。雲仙及び島原半島の野菜のおいしさが自慢です。自ら畑に出向き、有機野菜を集めてきます。それを活かすのはやはりシンプルな鉄板焼きだとこのコースに取り組んでいます。

「島原半島の野菜は味に力がありますからね。何もつけなてもおいしいですよ」語りながらの素早いヘラさばきは、まるでショーのようです。



あらあら、先ほどのソウメンカボチャが焼けてきました。となると、内側がまるで素麺のような繊維状にほぐせてそこだけ離れます。

これはやはり地元特産長ネギを使ったクリームソースでパスタのようにいただきました。

他のお野菜は、それぞれ一口大に切り分けてくださって、海水から採ったふわふわの本物お塩。大根おろし、発酵から味噌などでいただきます。

とはいえ、何もつけなくても草野さんおっしゃるように充分味があります。カボチャもジャガイモもそれぞれ違う香り、味わい、食感です。

都市部では、鮮度の落ちた農薬も使った野菜を、いろいろな味をつけてごまかして口に入れているのかもしれません。

よく旅館に泊まると、品数で勝負のように料理が並びますが、こうした美味しい野菜が手に入るなら、それで勝負するのも一案です。私などにはむしろ嬉しい。

素材を選び、活かすやり方で提供する、それが料理人の腕なのでしょう。

実は、お隣にはこの野菜を作っている若いご夫婦が同席していました。有機野菜を作るのは、大変でしょう。それに挑戦している清々しい笑顔です。このご夫婦のところへは、あらためて訪ねるつもりです。


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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。