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お仕事 集落の人がやったこと 2020/03/23 12:16 pm

昨年の春に「年度内でやること10」を決めた十津川村谷瀬集落です。

休憩所の充実、子どもの遊び場作り、散歩道整備、加工所の活用、田舎体験ハウスの活用、などなど目標を少しずつ実現してきました。

休日に「むら」のために汗をかくことは、都会のサラリーマンにはわかりにくいでしょう。

でも、彼らの汗は「むら」への奉仕ではなく、自分の暮らし充実させる楽しい汗なのでした。
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昨年4月始めに皆でやりたいことを出して、人気投票をし、決めた10アイテムは次のことです。この時のことはその時のブログに詳しく書きました。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=512&date=201904

 屬海笋垢弌廖併曲眛擦竜抃峠蝓砲僚室足∋劼匹發陵靴咯譴鼎り散歩道の清掃・整備っ祺旭豌,轡瓮縫紂爾鼎りァ崚勅紡慮灰魯Ε攻眠」の利用促進Α屬弔りば」(加工所)の活用Ъ鬚糧力拡大(集落の酒米で造る「純米酒 谷瀬})┘ヤ対策村内の交流年間花計画


こうやってやりたいことを決めるのは簡単ですが、実際にやり抜くとなると大変です。何せ、集落といっても住んでいるのは56人、そのうち子どもは8人。大人は高齢者が多く、この4〜5年で移住した新住民が住民中の22人を占めるので、どうしても本当に作業を進める人は限られてきます。

新住民は今まだだんだんに環境になじんでいるとき、子どももまだ小さいし、いろいろ取り決める「寄合」にも出にくいです。数えてみると、いつも男女7〜8人が中心です。

皆さん普通に働いています。さらにつり橋横の「茶屋」も交代で出て運営しています。自分のところの米や野菜も作っています。集落の伝統食「ゆうべし」も皆で土産物として毎年製造しています。盆踊りがあり、敬老会があり、季節ごとの小さな祭りがあり、餅まきがあり、餅もつき、丸めて、、、などなど普段の集落の用件の上に、さらに今年度やることがのるのですから、仕事のない日こそが忙しい。

休日は寝坊するどころか、休日こそ早起きして、くたくたになるほど動くわけです。私が通う「寄合」で、先回の寄合から何をしたのか?進めたのか?振り返りがあります。その記録をざっと見てみましょう。


・4月14日、「ゆっくり散歩道」の清掃をした。車道の下の急斜面。空き缶、ペットボトル、不燃物、整髪料の空き瓶が10本くらいなぜか多かった。空き缶をまとめて袋に入れて捨てていることも。
・4月29日「つくりば」(加工所)の完成式、村長もみえた。ここの縁側は皆が腰かけるのにいい。看板の板は北谷さんへ渡してある。冷凍庫など運んだ。5月17日酒粕を詰める作業をした。「こやすば」初仕事で高菜も詰めた。
・5月12日、お茶摘み体験を奈良女子大の学生さんとやった。お茶揉みの機械も使用したがとても楽でいい。
・5月26日田植え。奈良女子大、県立大で12名が参加。普通の酒米と、「香り米」も植えた。機械植えは学生さん四苦八苦したが。 
・夏は雨が多かった。8月14・15日、台風がひどく全村避難勧告が出た。
・稲が順調だったが台風で倒れた。酒米は大丈夫。香り米は背が高く元気。
・草刈りと道普請もやった。
・8月4日橋の日が行われた。
・谷瀬の盆踊りを室内で開催した。
・村全体の「ふれあい物語」盆踊りに参加。
・「つくりば」で、ブルーベリー、柿の葉、ドクダミも乾燥させた。
・谷瀬が河瀬監督作品でユーチューブにのった。
・観光客が墓の方に入ることを禁じる看板を作った。
・モチ粟「婿だまし」の収穫。普通、粟は黄色いが、この古い種類は白い。
・9月28日第二回の「月の宴」、玉岡で開催。19人参加。お料理を持ち寄って子どもも参加した。山口百恵からクラッシクまでいろいろなレコードをかけた。芋のツルなど珍しい料理もでた。
・9月28日「つくりば」の看板取り付け。北谷さん作。彫って塗ってある。
・10月6日稲刈り、収量は面積大きく作ったのに昨年と同じ。天気のせいで少ない。奈良女子大が総勢15人で参加した。
・香り米も2種類作った。茶がゆに少し入れるだけで香ばしい香りがする。背が高いので藁が役立つ。玉置神社のしめ縄に使う。
・10月26・27日に奈良女が林業実習で「田舎体験ハウス玉岡」を使った。夕飯のカレーとサラダを集落が作った。
・11月9日は看板の基礎をやった。
・11月24日チューリップを植えた。酒米の藁が余っているので畑に入れた。展望台への道の松倒木も処分。道案内看板も立てた。「つくりば」の入り口道路を入りやすいようにした。
・11月25・6・7日「ゆうべし」(ユズを使った伝統食)づくり。「つくりば」で1800個。すべて谷瀬のユズ。今まだ干してある。
・鍋で集落のクリスマスパーティーを「田舎体験ハウス玉岡」で開催。20人弱が集まった。
・1月11日子ども遊び場づくりを打ち合わせた。砂場でもどうかと思ったが野生動物のこともあり、ベンチ、平均台などとなった。つり橋の廃材を使い、これを手始めにだんだん増やす。
・2月8日チューリップ花畑に出そろう
・2月10日男子会で遊び場づくり打ち合わせ
・2月15日「鯨のハリハリ鍋」で集落懇親会
・2月春向けの案山子作り、完成。服は皆から集めたもの。
・2月28日「純米酒 谷瀬」麹仕込み作業(美吉野醸造で)
・2月28・29日 東京で酒の販売
・3月1日「ゆっくり散歩道」の道案内看板、修理と書き直し作業。
・3月5日「純米酒 谷瀬」蒸米を桶に入れる、酒米洗い作業(美吉野醸造で)
・3月15日「つくりば」横の広場にベンチを作る、周辺にユズの苗を植える。
・3月18日「つくりば」で高菜を漬ける。
・3月20日谷水で飲み物を冷やす散歩道の自動販売開始
・3月20・21・22日臨時茶屋「こやすば」にオープン。「めはり寿司」など売る。


日にちを記録していないものもありますが、たった数人でこれだけのことをやっている。頭が下がります。

米作りそしてその延長の酒の仕込みなどには、通ってくれている大学生のマンパワーが貴重なものになっています。

もちろん作業でなく楽しい催し、懐かしのレコード鑑賞飲み会、鍋パーティー、クリスマス会などには新住民やお年寄り、子どもたちも出てきます。

もし私だったら、年間これだけの作業がこなせるだろうか?とつくづく思います。風邪を引いたなどと言ってさぼりたくなるでしょう。都会のサラリーマンなど、「お金を払うから地域のことは勘弁してほしい」 などと平気で宣います。

何がこの人たちの原動力なのか?それはやったことが形になるからでしょう。努力がうやむやに消えないで、具体になる。

球根を植えれば芽が出て花が咲き、子どもも観光客も喜ぶ。案山子を作れば散歩道がにぎやかになり、話が弾む。手作りの看板を作れば、皆が眺めてくれる。米を作り、お酒にすれば集落にお金が入る。

自分たちが汗をかいていれば、学生さんも応援に来てくれる。若い人と語らうのは楽しい。お店の一軒もない集落で、20人くらいで皆で鍋をつつけば大きな家族のような気分になる。

ああ、この谷瀬集落に住んで本当に良かったと思う。と、自分の心がすがすがしくなるのでしょう。

10アイテムがすべてできたわけではありません。でも少しずつ進んでいる。何より10アイテムを気にしていることが大事です。

さあ、この4月からやることは何でしょう。明後日の「寄合」が楽しみです。(写真は先回の寄合)


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ちょっとしたこと 「べきだ」と「ワクワク」 2020/03/16 1:32 pm

先日こんなことがありました。ある方からのご意見「このまちはこうすべきだ、そうしないとダメになる」と、ごもっともなお話。

一方、別のまちづくりの会合では「こうすべきだではなくて、自分がワクワクするかで決めていきたい」と発言が。前者は男性から、後者は女性からです。

握りこぶしを上げるより笑顔のほうがいい、と私など単純に思うのですが。調整はなかなか難しいです。
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これはよくある話だとは思います。

男性に多い「すべき」論は、(まあ、男性にときめつけてはいけませんが)とかくこれまでの組織にのっとったまちづくりの場面に出てきます。

こうすべきだから、こう動くべきだ。このまちは、こうなるべきだ。べき、べき、の積み重ねで、ググっと人を力で押していく。

そういうときの会合は、皆が腕組みをし、眉間にしわを作って下を向いている。発言者は限られた人のみ。空気が重く、よどんでいる。

だから、何か議決されても、べきの山盛なので、ハートが入らない。誰かにプレゼンしても、勢いがなく声が詰まってしまう、ということになります。

一方、「ワクワク」「ドキドキ」を語るのは女性軍。紅組です。(これもまた、女性と、紅と限定するのもよくないのですが、やや、かなり女性に多い)しかも地べた繋がりや業種繋がりではなく、この指止まれのネットワーク繋がりの場合が多い。

たいていその核には、「市は」「町は」なんて言葉はなく、「美味しい」「楽しい」「面白い」「可愛い」「おしゃれ」なんて言葉があります。それでワクワクしてドキドキすることをどんどんやり、あら?と気づいたら、まちが変化してきていた。という構造です。

会合では、うるさいくらいに皆がしゃべります。必ず食べ物、飲み物があります。大笑いを何度もします。自分おこしとまちおこしが連動していますがら、誰かに説明するのも力が入ります。止めてもやるからね、という勢いが出ます。

さて、そう眺めると、ワクワクの紅組に軍配が上がりそうなのですが、そうでもありません。勢いのあるワクワクおしゃべりは、あっちこっちに飛び散って、いったい何の話だったのかが分からなくなってしまう。趣味に走り過ぎて、他の人を遠ざけてしまうこともある。夢中になりすぎて、家庭や健康に響くこともある。この辺の加減が難しい。

私のようなまちおこしのコンサルタントの役は、紅組、白組両方ともに頑張っていただいて、組織派・ネットワーク派それぞれに影響して変化して頂き、混ぜこぜになり、めでたしめでたしに持って行くことなのでしょう。ほぼ同時に、両者の違う物差しを見た気がして、今日はつぶやいてみました。
(写真は昨日の新宿御苑です。)

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ちょっとしたこと マスク狂乱に想う 2020/03/08 2:43 pm

マスクに限らず、このところの紙類買い占めや、転売、デマ、長蛇の列に、人間の劣化をつくづく感じます。

国民全体がマスクを求め、自分ごととして怯え慌てる新型肺炎ですが、今、本当は同じ重みでもっと強く、自分のこととして
福島のことを考えるべきなのではないでしょうか。

手作りマスクなどでは防げない原発事故を、私達はまだ抱えたままでいるのです。
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続きは後ほど

リードで偉そうなことを書きましたが、私もマスクを探しました。ストックはあったのですが、買っておこうかと、、、思った時には既に遅かったのでした。

マスクをすれば安全ということはない、むしろ、自分の咳やくしゃみを飛ばさないためにマスクが必要。と何度もニュースなどで聞き、納得はしているのですが、やはり人ごみに出かけるときにはマスクをしたくなります。

また、周りの人がしていると何となく安心する。変なものですね。だからどんどん数が必要になるのはわかります。

出かけるときは、お茶でうがい、石鹸のない洗面所では、手洗いのあと除菌シート。

となると、この除菌のシートもほしくなる。マスクがなくなった次には、こういうものがなくなって行きました。

東京はこんなでも、地方に行けば違うだろうと思ったら甘かった。都内ではあまり見ないほどの巨大な地方のまちのドラッグストアですら同じ状態です。

マスクも除菌シートももはや買えないなあ〜とあきらめました。

そんな出先で飛び込んできた話が、「トイレットペーパー、ティッシュ、オムツなどがなくなっちゃうらしい」という話。こういう話は女性たちの間を急速に飛び交います。

「いま、駆け回って少し手に入れてきた」という女友達のメッセージから、世の中にそんな話が流れたことを知りました。東京の夫に電話すると、「デマだよデマ」の一言。

地方から東京に戻る途中のトイレで、ある女性が必死に電話中。「デマらしいよ。だからお父さん買わなくていいから。え?無い?売ってない?じゃあ、さがして買って、困るから」みんなこんなだったのでしょう。

東京に戻り近くのドラッグストアに行くと、棚はカラでした。スーパーもカラです。「お1人様1つずつ」の貼り紙がむなしく残ります。

そこで思いました。このシーンは経験したな〜。

3.11の日、電車が止まり、四谷から麻布まで着物姿で歩いたことを思い出します。途中のコンビニも、スーパーも棚に物がない。牛乳もパンも、缶詰も、バナナも。これから日本はどうなるんだろう?と思いながら、物を求めつつ、歩きつつ、津波の映像を見ていましたっけ。

あの時に日本国民は学んだはずでした。何が大切で、何を優先すべきなのか。

命が一番、自分のことは自分で守る、そして弱者を助ける、デマに騙されない、小さなことで争わない、足るを知る。

大事な人や家が津波で流された。「明るい未来のエネルギー」と讃えてきた原発爆発し、住み慣れた土地から即離れなければならなくなった。

そんな人たちを何とか支え、寄り添うためにも、節電したり、暮らしを見直したり、してきたはずです。

使い捨てにすっかり慣れただけで、マスクなどほしければ作ればいいのでした。昔は母がガーゼで作ってくれたものを洗って使っていたのですから。

ハンドソープや除菌スプレーがなくとも、固形石鹸でせっせと洗えばよい。楽しようと思うと、便利グッズが欲しくなるわけです。

ティッシュでなくても鼻はかめる。トイレットペーパーがない時代でも生きてきた。

3.11以来、日本人は思いあらためたはずなのに。たかがマスクや紙などで大騒ぎなんて、恥ずかしいと反省です。

9年も経っても、家に戻れない。9年も経っても、廃炉の道筋すら見えない。復興五輪なんて大ウソです。

マスクを探すエネルギーの半分を、もっと大変な人たちのために使いませんか?日本を変えるために使いませんか?とニュースを見るたびに思います。

でも先日いい話を聞きました。布製の手作りマスクにチャレンジした人が、久しぶりに「縫う」ということをして、「自分で何か作ることは楽しい」と話していたのです。

「子どもが休みで、料理をみんなでするのでそれなりに楽しい」そういう考え方もあります。

3.11を思えば、たいしたことではありません。今も、不自由な暮らしをしている被災者からすれば、「マスクぐらいで大騒ぎして」ということです。

新型コロナウィルスのニュースで、福島の話題が消えないことを望みます。

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お仕事 蒲鉾物語 2020/03/02 2:33 pm

蒲鉾屋さんの女将さんのお話を、うかがう機会がありました。島国の日本は小魚に恵まれ、古くから練り製品があったようです。平安時代には、既に蒲鉾という文字が文献に残るとか。

その蒲鉾の消費が落ち込んでいる、若い人は練り製品よりハンバーグ、おまけに材料の小魚が獲れない。課題は山ほどです。

でも元気な女将さん「蒲鉾は身体にいい!」という言葉に納得しました。
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いま通っている雲仙市に「みゆき蒲鉾本舗」(国見町多比良)というお店があります。

思い起こせば私の関わるNPOが、雲仙市で「雲仙の地方創生を語り合う」というフォーラムをした2015年、懇親会「夜なべ談義」でここの女将さん・久山つや子さんにお会いしています。

「地元では蒲鉾を“かんぼこ”と呼びます。栄養一杯なのでどうぞ召し上がって」と山ほどのかんぼこを差し入れてくださいました。笑顔の素敵な方だなあと思いました。

その後、東京日本橋・長崎県のアンテナショップでまたお会いしました。訪れる都民を圧倒する勢いで島原半島名物の「豆腐蒲鉾」の試食を勧めていました。

「野口さん、持ってって、持ってって」と、私が買い物した以上のお土産をいただきました。

そういう方です。


雲仙市に通うようになって、私はお店にも立ち寄ることが多くなりました。そのたびに「コーヒーにもあうのよ、蒲鉾は」と出してくれる。「これ揚げたて、美味しいよ」と出してくれる。

私が特別でなく、久山さんは知り合いの人皆にそんな感じです。そしてお店から帰るときは、自ら外に出て、道行く車を止めて誘導し、こちらの車が見えなくなるまで手を振ってくれる。

近くのある旅館のばあちゃんは、「あの女将さんはね、うちに用があってくるときも必ず蒲鉾を握ってくるからね」とほめたたえます。他のお店と一緒に出先で販売するときも、他の店のものまで売ってしまう。お客さんをその笑顔で離しません。

そんな久山さんに、先日は店先でお話をしていただきました。いつものまちおこしの勉強会「雲仙人サロン」です。少人数ではありましたが中身の濃いアットホームなサロンとなりました。

蒲鉾は1115年、平安時代の文献に出てくるそうです。当時のものは竹に魚のすり身をつけたもの。その形が蒲(ガマ)に似ていた、武器の鉾にも似ていたことからこの名があるとか。その後、室町時代になって板付きの蒲鉾が登場したそうです。島国の日本では練り製品の歴史は長いのです。歴史のから久山さんの話は始まりました。

「平清盛のテレビでこんなセリフがあったの。“今日はしけで魚が獲れないから、お殿様に蒲鉾を献上しよう”嬉しかった〜。900年以上の歴史あるものを、今、私が作っているんだと思ってね」と久山さんは語ります。

長崎県は蒲鉾屋さんが154社ある一番多い県、消費量も一番。島原半島名物の豆腐蒲鉾は100年の歴史があるのすごいでしょう。昔はもっともっと蒲鉾屋さんがあったのよ」なるほど、天ぷら、ちくわ、蒲鉾、豆腐蒲鉾などは、雲仙市の人々にはごくごく身近な物、あるのが当たり前なのですがこの食文化は世界に誇るものなのです。



 歴史は気を抜くと途絶えてしまうかもしれません、久山さんは時代にあうように、また飽きないように多様な商品を開発してきました。余っていたイカを材料にしたもの、チーズ入り、ピリ辛味、柚子胡椒入り、お節句に合わせての桃の形、鯉の形の蒲鉾等々。詰め合わせも個人個人の注文に応じる努力をされています。

「お父さんにねこういうの作ってというと、はいよってすぐ作ってくれて。いい人だった」と亡くなったご主人と二人三脚で、工夫を続けて歩んできた話も。そして「ただ商品を売るだけじゃなくて、それを通して人に出会えるからいいの、蒲鉾屋で良かった〜」久山さんは根っからの人好き、蒲鉾好きなのです。

かつてまちおこしのために長い長いちくわを作るイベントをやったところ、それを聞きつけて北海道網走市から挑戦状が届きました。網走はすり身の発祥地、ここでもまちおこしで長いちくわを作っていた。

これをきっかけに、両市の交流が始まり、既に12年になります。地域の顔となる産物を守り続けると同時に、地域間交流も民間レベルで進めています。「野口さん、今度東京の新橋で飲もうね、おいで」とお声がかかった集まり、一体なんでしょうと伺うと、雲仙市、網走市の方々の交流に都内その他の方も混ざっての飲み会でした。

網走の甘い味の天ぷら(さつま揚げ)と、久山さんの太いちくわがおつまみに回ってきました。両方の味が口の中で混じって本当の交流です。行政主体の交流でなく、“想い”だけで繋がっている人たちの気持ちのいい宴会でした。

さて、久山さんはサロンに来た人に「イワシの団子汁」とご飯、もちろん蒲鉾をたくさん用意してくださいました。「こうやって食べると大家族みたいね、美味しいね」ほんとその通りです。美味しい美味しい。

そして練り製品の栄養価についてもご教示が。上質のタンパク質、たくさんのカルシウムと鉄分、低脂肪。血液サラサラ、動脈硬化予防の成分も。私は練り製品の塩分が気になっていましたが、ハムやウインナよりも低塩分。調理に気をつければいいし、スープに入れれば出汁が出て、味付けにもなる。カレーのお肉代わり、野菜炒めにも。活用法はどんどん出てきます。

身体にいいことはわかるけど魚を毎日食べるのには大変ですが、練り製品は楽に食べられる。何で今までもっと食べなかったのかと反省しました。「毎日蒲鉾食べているから、私の身体はどこも悪くないの(笑)」久山さんのようにパワフルになりたければ練り製品だ、と納得します。

ただ長崎県は食べる習慣はありますが、蒲鉾の登場はお正月だけ、ちくわの登場はおでんの時だけ、なんて人も多いでしょう。練り製品より肉製品の方が子どもたちや若者には支持が高いことは確かです。そうすると皆が脂肪のとりすぎになって行く。何でもっと練り製品に注目しないのかと淋しさがあります。さらに「魚がだんだん獲れなくなってそれが悩みなの。豆腐蒲鉾の大豆も本当は地元で作ってほしいの」と久山さんは悩みを打ち明けます。

島原半島の片隅で、蒲鉾、ちくわで踏ん張る女将さん、日本の食文化や健康を彼女だけに任せるわけにはいきません。私は今日から蒲鉾大使になろうと心に決めました。

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ゆとりある記 古い家と麦畑と 2020/02/22 2:28 pm

先日東京・三鷹市に伺って印象深かったのは、伝承されている大正時代の家と麦畑でした。

縁側に木枠の引き戸建具が入り、冬の日射しが畳に届く家。そのガラスの向こう黒土の庭で子どもが積み木で遊んでいる。はめ殺し窓の高層マンションとは違う景色です。

そして麦畑では、麦踏みをした後の麦がよいしょと体を起こしています。

いずれも、都市住民に何が大事かを伝える装置でした。
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NPOスローライフ・ジャパンの「お出かけさろん」として三鷹市へ伺ったことは、こちらへ報告をあげていますので全体の話はこれをご覧ください。

http://www.slowlife-japan.jp/modules/katsudou/index.php?page=detail&bid=405

ここでは個人的感想です。「星と森と絵本の家」という場所。主は、大正時代の家で絵本を見たり、遊んだり、学んだりできるようになっています。



こういう家は何とも懐かしい。ガラス戸がはまり、裏には竹やぶがあり。遊んでいると、竹やぶを吹き抜ける風の音がする。

身体に当たるお日様がポカポカと暖かく、夕方になっても外にいたいものです。





ガラス戸からは庭の様子がよく見えて、きっと座敷にいるお母さんは子どもの様子をのぞいては微笑みかけたりしたことでしょう。

子どもも少し遊ぶのに飽きると縁側を開けて、「おかあさ〜ん、おなかすいた〜〜」なんて。

蒸かしたサツマイモなどが運ばれて、縁側で母子はおやつをしたのでは。


家のなかにはいろいろな展示物がありましたが、このミシンがまたなつかしい。

昔は服を作るという作業が、家事としてありました。子供服はもちろん、母は自分のワンピースも作っていた。

ダダダダという足踏みミシンの音は、母が頑張っている音で、その音を聞きながら子どもたちは絵本を読んだりままごとをしましたっけ。

縁側もない、ガラスの引き戸建具もない、土の庭もない、ミシンもない、母もいない、そんなマンションにカギを開けて一人帰り、カップラーメンを食べて、即、塾に行く、今の都会の子どもたち。

竹やぶを渡る風の音を聞くことはあるのでしょうか?



かつては小麦の産地だった三鷹市では、都市農業としてわずかな土地に麦を作り、その麦文化を伝えようとしています。

私を始め、訪れた面々は、葉を見ただけではどれが大麦か小麦かわかりません。広大な麦産地の畑から比べたら、猫の額にも満たない小さな麦畑ですが、ここで伝えられる麦文化は貴重です。



先般子どもたちが麦踏み体験をしたとかで、麦の苗が寝ています。一見かわいそうなのですが、直に元気に起き上がるのだそうです。

なんで麦踏みをするのか?言葉は知っていてもやったことがない。意味も分からない都市住民です。昔は霜柱が立ったから苗が浮く、それを踏みつけると、土に戻る。苗そのものも丈夫になる。へえ〜ということばかり。

麦も知らない、霜柱も最近は見たことない、麦踏みの意味も知らない、小麦と大麦の使い道も知らない。なのに私たちは、焼きたてのあの店のパンとかあのビールとか、食へのこだわりだけは持っている。


昔の家で絵本を読んだり、麦畑を見たり、そんな中で感じることや考えることが大事だと実感しました。それは子どもはもちろん、今の都市の大人に必要なことでしょう。

この古い家を使える形で残したり、麦を作る三鷹市の人々に感謝です。

どんどん情緒が欠乏し、自然はネットで見るだけ、人間力も落ちている。そんな私たちは自分のために、今回のような経験を頻繁に用意しなくてはなりません。

藁の山に映る、自分の影など初めて見ました。

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お仕事 土佐・ニンニク・生姜・ニラ 2020/02/16 3:05 pm

高知へ女性団体の研修に行った翌日、土佐市で活動する「とさし旬物クラブ」を訪ねました。

農家の女性グループ、自分たちの野菜でニンニクの効いた焼肉のタレや生姜焼きのタレも作っています。ニラの作業場も訪ねました。

いずれも身体にいいものばかり。活動へのアドバイスどころか、こちらが元気いっぱいになって帰ってきました。
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研修に参加させていた団体のどこかにお邪魔したいなあ〜と思い、一番近いところへ。どうもどこかに出かけて講演してそのまま帰るのはイヤで、現場を訪ねたくなる性分です。急に言い出すので事務局にはご迷惑をおかけしました。

私のわがままを聞いてくださって、わざわざ時間をとってくださったのは土佐市の「とさし旬物クラブ」の方々。8名の農家の方が、農産物のブランド化や商品開発に頑張っておいでです。3人の方が「ドランゴン広場」という直売所においでになりました。

ここで売っているのが彼女たちの野菜と、「焼肉のたれ」です。たれがかご盛りになった横にあるお店のポップにはこうありました。









「えっ手作りの焼肉のタレ?・・・・・定番のを使えば間違いがない・・・がこのタレを食べると考えが変わります。あっ、これが正解なんだと。食欲をそそるニンニクがきいた甘辛いタレ。野菜炒めや豆腐ステーキにもよく合います。・・・」






早速お3人の目の前で舐めてみました。わあニンニク、そして甘い、そしてほんのり酸っぱい!口の中に野菜のうまみが残ります。このまま熱いご飯に食べてもいいくらい、焼きおにぎりにしてもいいでしょう。

お話をうかがうと、メンバーの中にトマトを作ってる方があり、そのトマトを隠し味にしたとか。なるほど瓶にはトマトの絵です。材料の野菜はメンバーの畑から。いい野菜をふんだんに使える強みですね。

「ニンニクが強くてよくないかしら?」と心配も。いえいえ、そのニンニクがいい。パンチがあってトマトと共に特色になる。むしろ、ニンニク調味料として胸を張っていいのでは。

すると、「こういうのもあります」と出てきたのが「生姜焼きのタレ」。まだ開発中だそうですが、瓶丸ごと生姜の微塵切りがいっぱいです。生姜の産地だからできる技。これも生姜を入れ過ぎかな?という心配はあるかもですが、生姜調味料として量を加減していろいろに使ってもらえばいい。

キュウリの漬物を作るとか、カツオのたたきに使うとか、生姜焼きと決めないでデビューさせた方がいいのではと申し上げました。

ご近所の方も使うのだから、材料はケチらない、いいものをちゃんと作る。ご立派です。彼女たちの野菜にはロゴマークがついていて、目立ちます。








そのマークの付いたニラの作業場を訪ねました。元ビデオのお店だった建物が、ニラを計り束ねる場所になっています。

入ったとたんに強い強いニラの匂い。中では女性たちがリズミカルに綺麗な緑のニラを計り束ねていきます。




どうやって食べますか?とうかがうと。毎朝の味噌汁。肉ニラ炒め。卵とじ。玉城焼。オムレツ。お浸し。ニラすき焼き。と次々料理名が上がります。

ニラはほかの野菜と違って扱いが簡単、即ザクザク切れる。私も大好きです。「風邪の引き始めはね、ニラをたっぷり入れた熱い雑炊を食べれば治るよ」とのこと。今後はニラを常備しましょう。

地元の学校給食にも野菜を治め、食育活動もしているという「とさし旬物クラブ」さん。こういう女性たちの地域での日々の活動が、少しずつ地方を日本を良い方向へ導いてくれるのだと思います。

土佐を、高知を、日本をパワフルにするために、ニンニク・生姜・ニラに特化した商品開発をしていくのもいいですね。

ニラの作業場に居た数分間、鼻から口からニラの匂いを嗅ぎ、全身ニラの香りに包まれ、元気いっぱいになった感じで帰りました。

※急きょ丸1日私を案内してくださった、高知おかみさん会推薦の素敵な男性“マッチャン”ありがとう。


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お仕事 高知パワー 2020/02/09 3:00 pm

高知で研修をしてきました。地域おこしに頑張る女性たち対象です。

気づいたことを書き出してもらうと「身近なものを大切に」「何もなくても何かを作る」「へえ〜?!から、新しいことが生まれる」「繋げば広がる」「必ず何か逸品がある」などでした。

でも、研修しなくとも、高知は既にそれを実行しているように思えます。商店街やおもてなしに、高知パワーを見ました。
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以前うかがったのは2017年6月のこと、全日本おかみさんフォーラムのシンポジウムでコーディネーターをしたときのことでした。その時感じた高知のおもてなし、いわゆる高知の『お客』文化についてはこちらに詳しく書いています。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=418&date=201706
高知の場合、かしずいてお客様をおもてなしする、自分のことはさておいて客人をもてなす、ということではなく、根本的にまず自分たちが楽しんで、そこに混ぜてあげる、楽しさのおすそ分けをしてあげる、ということだと思います。

「何がお好みですか?」なんてことはなく、「美味しいよ、楽しいよ、ほら混ざってごらん」ということです。なので、以前は商店街のおかみさんたちがダンスを披露してくれたことに偉く感動したものでした。

今回も、着いたその日に「ダンスの練習を見ませんか?」とお誘いが。

商店街の中にある、あるかみさんのお店、お好み焼き屋さんの上の階にダンススタジオがあり、おかみさんたちはもちろん地域のそれなりの地位にある男性たちが一緒に毎週水曜日お稽古をしているのです。


お店から駆け付けたおかみさん、スーツの上着とネクタイを取った割腹のいい身体を軽やか?に動かしながら今回の出し物「パブリカ」などを練習中でした。

さっき食べた高知ならではの「カツオの塩たたき」や「亀の手」「チャンバラ貝」の味わいに酔いしれているわけにはいきません。見物しながら、こちらも身体をゆすったのでした。

翌日の研修は、高知県女性商業者等活躍促進事業で、“集まれ土佐のおかみさん 女はいつも今が旬「女性活躍推進セミナー」”と勇ましいものです。私の講演とワークショップは「女性の力で、繋ぐ、広げる」というタイトルにしました。

いつも思うのですが、講演というのは一方的でよくない。ワークショップも妙に手慣れた人の独壇場になりがち。

なので、おかみさんたちがほんわかと参加できる程度のワークショップにしました。

前半の私の話の中で印象深かった言葉をあとで各人書き出してもらう。それを各グループでまとめて、一つに絞り、発表してもらうというやり方にしました。


そういうルールだと、私の話を皆さん熱心に聞いたくださいます。メモなどもしっかり取って。

そのあとは一人ずつが全員、印象深かった言葉とその理由を述べるのですから、初めて同士でも何となく知り合うことができる。


名前と所属を言うだけの自己紹介より、しっかり繋がれます。そしていつものメンバーでない人たちも一緒に話し合えば、視点や考えが広がります。

男性もかなり混ざっていましたが、あっという間の90分。こちらも楽しく過ごせました。各班の発表に、冒頭の言葉が出てきたわけです。

その後、新年会も兼ねた交流会です。御馳走で出てきたのが田舎寿司。昔からこの地の人が食べてきた、ミョウガの漬物や、コンニャクなどが具になったお寿司。これが素朴で美味しい。

身近なものを大切に、宴会料理に出すことがいいなあ〜。しかもこのお寿司こそが何もなくても何かを作ったものですね。

そしてダンスが始まりました。初めて見る人たちは「へえ〜〜〜?!」です。あのおかみさんが思い切り軽やかに踊っている。あの局長が、あの支店長踊ってる。平均年齢70歳を超えているんだって。へえ〜!です。

こんなに若々しくパワフルなら、私たちも頑張ろう。おばあちゃんだって、お爺ちゃんだって、と新しい気持ちが起きていきます。

驚いたのは懇親会参加者全員を紹介し、皆が一言ずつ挨拶する場面があったこと。しかも司会のおかみさんはのどかに間違えっぱなし。

それが名物のようで皆が大喜び。いい繋がり方です、全員のことが覚えられて世界も広がります。

なんだ、研修なんてしなくとも、高知は立派にやっている。高知のパワーこそ逸品なのだと思ったわけでした。

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スローライフ運動 瓦版に時代を見る 2020/02/03 11:55 am

今号も500号特集。創刊当時の「瓦版」内容を振り返ってみましょう。10週分をみるだけでも、10年前の世の中が少しつかめます。

菅政権、ワールドカップ、建設途中のスカイツリー、クールビズ、iPad、電子書籍、冬のソナタ、口蹄疫、草食系、など。

書き手がそれぞれ何を訴え、どんな言葉をすくい上げてきたか?「瓦版アーカイブ」の中に、この国の動きを見る思いです。
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500号を数え、創刊当時の「スローライフ瓦版」を見たいという声が届きました。これはどなたでも見ることができます。

スローライフ・ジャパンのホームページの左側に「スローライフ瓦版 アーカイブはこちらから」というコーナーがあります。ここから全500号を見ることができます。読み返すと、実に面白い。10週分だけかいつまんでみましょう。

■2010.4.20創刊号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=2&req_uid=4
・早野透さんが朝日新聞政治記者を退き、桜美林大学教授になられたお話。
・この日の「さんか・さろん」では今は亡き映画プロデューサーの武重邦夫さんが、映画づくり新時代における「青春100物語」を提唱。
・神野直彦さんは「観客文化から参加文化へ」とスローライフを解説されました。

■2010.4.27第2号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=3&req_uid=4
・増田寛也さん東京大学で大学院生を教える2年目の気持ちをフランクに。
・斉藤睦さんが六本木の東京ミッドタウンに西会津町のキノコ農家を応援に。まだ東日本大震災前の話です。

■2010.5.11第3号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=4&req_uid=4
・中村桂子さんは、新幹線移動は週一回にすること、それ以上動くと体を壊すという知人の忠告を守っているとのこと。

■2010.5.18第4号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=5&req_uid=4
・この年、11月に富山県砺波市でスローライフ・フォーラム開催の予告が。ちなみに前年は兵庫県淡路島でした。

■2010.5.25第5号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=6&req_uid=4
・山下茂さんが「ぬるーい温泉を!」のお話、次からはビールのお話も。
・このころは「日光『食』の研究所」から、「たかおか屋」からなどというコーナーもありました。

■2010.6.1第6号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=7&req_uid=4
・川島英樹さんが、クールビズ姿、iPad、電子書籍という言葉をコラムの中で使われています。
・増田寛也さんから「宮崎県で口蹄疫が猛威を振るっている」話も。

■2010.6.8第7号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=8&req_uid=4
・長谷川八重さん企画によるお出かけさろん「掛川路さんか・さろん」いよいよ来週ですよと呼びかけが。泊りがけのさろん。

■2010.6.15第8号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=9&req_uid=4
・坪井ゆづるさんが京都でぶらりと途中下車、みちくさ体験。このころは坪井さんが今ほど怒っていません!
・野口はスカイツリー建設途中の様子を書いています。

■2010.6.22第9号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=10&req_uid=4
・掛川では「増田寛也会長と走るサイクリングツアー」が行われたとの報告。まだみんなのどかでした。

■2010.6.29第10号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=11&req_uid=4
・丸岡一直さん、よそよそしい介護「マニュアル」よりも、北の地の高齢者をタケノコが元気にするという印象深い話。
・7月の「さんか・さろん」予告では、テーマ『地域変動する政治』―参院選をくぐって菅政権は?中央だけでなく「地方政治」も―となっています。


お時間あるときにどうぞ「瓦版アーカイブ」をご覧ください多少文字化けしている部分があることお許しください。

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ちょっとしたこと ブログを書くということ 2020/01/27 2:18 pm

“瓦版”のおかげで、私は毎週ブログを書くことになりました。週刊日記のように9年8カ月間。独り言ではなく、読み手があるのはうれしく、緊張感があります。

「自分の地域が何回出たか表にしてます」「プリントしてバッグに入れて読んでいます」「まとめて本にしてください」感想がうれしい。

週1回、自分の仕事や暮らしを鏡に映すつもりで、これからも言葉にしていきます。
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ブログそのものはそれ以前からポツポツ書いていたのですが、途中さぼり、いよいよメルマガに載せるからということで毎週書くことになります。「スローライフ瓦版創刊号」に載せたものはこちら。

2010年4月21日号  ただぼ〜っとすること?
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=47&date=201004

スローライフについて今も説明するときに使う曼陀羅図?について紹介しながら、スローライフとはただぼ〜っとすることではないのだと説明していますが、実に短いブログでした。


次の週は、神奈川県湯河原市での地域観光のコーディネーター養成講座のこと。ここで「亀の手」という海の味の紹介をしています。「野口さんのブログには美味しそうなものがたくさん出てくるのでうれしい」とよく言われますが、確かに食べ物の話は多いです。

2010年4月28日号 亀の手で乾杯
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=48&date=201004

この10年近いブログ書きの中で、一番しんどかったのが東日本大震災のときでした。それまでにブログでご紹介した方々のうち、何人もと連絡がつかなくなりました。泣きながら書いたブログです。

2011年3月14日(記) 地震にあって
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=96&date=201103


そしてこの10年のなかで一番仕事として力を注いだのが和歌山県紀の川市でのフルーツ・ツーリズム。ここの話題は何回書いたでしょうか?その最後のワークショップを終えて書いたのがこれでした。いろいろ勉強させていただいた仕事でした。

2018年3月26日(記)ワークショップ38回
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=458&date=201803

振り返ればいろいろなことが出てきます。ブログを書くことで自分の記録と反省と発信ができてきました。文字にすることは頭を整理すること、写真を撮ることは視点を定めることと思います。

強がりばかりでやって来た私が、この「瓦版」に載せるブログがあったからこそ、少しは大人?になれたかと思います。
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せっかくですので今回は裏話も。

この「スローライフ瓦版」は書き手以外に、編集スタッフが4〜5人かかわっています。たかだか毎週のメルマガにずいぶんな人数とお思いでしょうが、当方の活動は皆がボランティア。各人仕事を持っていてその仕事の合い間に、作業をすることになります。

発行が火曜朝と決まっているので、事務所に集まるのは月曜日。それまでに寄せられたいろいろな原稿を、決まった文字数に整え、漢字・ひらがなを統一した形にし、組んでいきます。

原稿の中に??のところがあると、各書き手の方々にご連絡し、確かめます。そして最後の読み合わせを。1人の目でやらないことが鉄則、これがなかなか大変。

事務所に来れない場合は、居るどこかから参加し、編集作業にかかわるルール。なかなかできることじゃありません。と言って、まあ、続けているわけですが・・・。

編集長・川島さんは高齢ながらパソコンを何とか使い「この『』は“”の方がいいね」とか「ここで行替えになるとおかしい」とか、なかなか譲らないところは譲らない。

なので、最終の組み込みと配信係の篠原さんは火曜当日の朝まで直しを受け付けます。(これについては今回本人が書かれていますが)

そもそも、メルマガは「月に一回くらい出せるといいね」と発案されたのですが、川島さんは新聞出身なので日刊にしたいくらい!「せめて週刊で行こう」「え、し、週刊、ですか?!」というのがスタッフたち。

このやりとりから今に至ります。


「逸村逸品」を探して書き、「まちむらニュース」も作る丸山さんは、送信リストの管理もしてくれています。3000人を超える方々に送るとなると、戻りも多い。メールアドレスも変わる。もちろん「もういりません」という方もある。それぞれに対応をしていく細かな作業です。

熊本に住む藤井さんはシステムを考えてくだって、さらに、当方のIT関係全般のお世話を。今や子育てエッセイも始めてくれました。

小松崎さんは時々彗星のようにやってきて、掃除から資料整理まで雑用をこなしてくれます。Facebookの毎日の更新も彼女がドンと引き受けてくれています。

皆がこの「瓦版」を軸に繋がり、日々を紡いでいるように思います。毎月の勉強会「さんか・さろん」、毎年の「スローライフ・フォーラム」も、この「瓦版」があればこそお知らせし、報告し、ということもできるわけです。スローライフ運動の芯になっている、よりどころでもあるのです。

さあ、1000回まで続けますか。あ、言ってしまった!!

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ちょっとしたこと 山沢栄子写真展をみて 2020/01/20 1:46 pm

日本の女性写真家の草分け山沢さんは、27歳単身で貨物船に乗りアメリカへ。写真を学び帰国後、活躍します。

晩年のVTRが会場に流れていました。外国の取材陣を前に、自分の70歳代の抽象作品をみながら「これもNO、NO!」とダメ出ししている88歳の姿でした。

彼女は96歳で没しますが、果たして私は最後まで創作をし、こんな厳しい生き方ができるのか?背筋が伸びる思いでした。
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私は昔からどなたかの個展などにうかがっても、作品よりもその作品を作られたその作者の人生に興味を持ってしまうタイプです。なので、作品より年譜を長く眺めていたりで、同行の夫に怒られたりします。

訪れた東京都写真美術館、今回もそうでした。1899年大阪に生まれた山沢さんは、1926年に渡米、当初は油絵を学ぶつもりでした。貨物船に乗って1人海を渡るときに、海に向かって話しかけたそうです。大きく希望は膨らんでいたものの、さぞかし心細かったことでしょう。「この時から私は自然と話すようになった」との言葉がありました。


アメリカに渡ったものの、実家の父親が亡くなり、働きながら学ぶことになります。その働いた先が女性写真家コンスエロ・カナガののところでした。この5歳年上のアメリカ女性から写真技術を学びます。そして、3年後には、絵よりも写真を身につけて帰国しました。

必死なときに出会った人からは大きな影響を受ける、彼女は短時間ではあっても生涯の師と仰ぐカナガ女史と出会えたことがラッキーだったはずです。もともと絵画志望だったということが、彼女の静物画のような作品から納得します。


大阪に写真スタジオを開き、ポートレート写真を撮って活躍します。当時の実業界の大人たちが、アメリカ仕込みの女性写真家に写真を撮ってもらうことを喜んだはずです。

彼女の言葉に、「写真は女だからといって安くはならない。男も女も同じ値段。今の日本は女性というだけで賃金が安く、たいした仕事が無い。写真技術においては平等だ」というようなことがありました。これは私のうら覚えですが、意味はあっていると思います。

当時、「職業婦人」として珍しがられ、「女だてらに」スタジオをもち、といわれた山沢さん、今からは考えられないほどの先駆者としての苦労があったはずです。



ポートレートは作品でない。そうみると、中年以降になって作品らしいものが出てきます。その中でも今回の展覧会の中心となる「私の現代」という作品群は抽象絵画のような作品。山沢さん70歳代〜80歳代の作品です。色の鮮やかさや、発想の豊かさは若いアーチストのものかと思わせます。一方、これも写真なの?という気持ちにもなりました。

私が印象深かったのは、戦時中疎開していた信州で撮った写真。ポートレートではなく、当時の地元の人々の暮らしや素顔が映っていました。彼女はもと豆腐屋さんが使っていたという工場に住み、そこに引かれていた豊富な湧き水を使って、写真作業をしていたようです。フィルムや印画紙の水洗に水がありがたかったのでしょう。

女優・山本安英の写真も興味深いものでした。山沢さんは山本さんと親交があり、彼女の写真をたくさん撮っています。信州に疎開していた、山本さん、木下順二さんの若い姿が清々しい。

「私の現代」の抽象表現で世界的に知られる山沢さんが、外国の記者からインタビューされている4分間のビデオ。当時、老人ホームに暮らす88歳の山沢さんはかくしゃくとしています。関西弁だからか、元気な男おばさんのような感じです。その勢いある話し方で、10年前くらいの作品を、「これはダメだね」というかのように、首を振りながら「ノー」と言って作品集のページをめくる。きっと今ならもっといい作品を撮れるという気持ちなのでしょう。

さて私はどうする?こういう人を前にただ「ご立派!です」などとなまっちょろいことは言えません。96歳で亡くなるまで、山沢さんはきっと何らかの創作を続けていたと思います。私はできるか?何をするのか?どう歩むのか?代表作を70歳代に作るのなら、さあ、これからだ。年の初めに、ずしんときました。

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写真でみるゆとりある記

またくるからね〜。
紀の川サイクリング
奈良県十津川村谷瀬で
頑張る女性たち

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。