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お仕事 大豆を蒔く、元気を蒔く 2018/07/23 6:30 am

那須塩原市にうかがうと、炎天下、高校生が大豆を蒔いていました。料理研究家・辰巳芳子さんの「大豆100粒運動」に応えての活動です。

大豆を育てることで日本の食生活を変えようという動き。地元の方々も賛同し、閉鎖した旧小学校を清掃、花壇に大豆を蒔きました。

「高校生と豆腐を作ろうか」「若い人に豆の煮方を教えよう」話が止まりません。大豆は、元気の種にもなりました。
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栃木県立那須拓陽高等学校、歴史ある農業系の強い高校です。











炎天下訪ねると、大豆を蒔いている真っ最中でした。

一見、昔の田植えのようにもみえます。








蒔いているのは、緑色の「加治屋在来」と、











「鞍掛豆」。名前の通りこの大豆は、馬の背に鞍を掛けたような模様です。









辰巳芳子さんの運動に参加を表明のプレート。ワイワイ言いながら作ったんでしょうね。

今、全国の学校、地域で、こういう看板が立っているのだと思います。






紐に付いた印にあわせて2粒ずつ。

若い指が豆を埋め込んでいきます。








黒長靴と麦わら帽子、ちょっと昔っぽいファッションが、今やカッコいい!

さらに、こういう運動に参加することがカッコいいのでした。







さてこの晩、地域の女性たちと会食したのですが、その方たちは既に大豆を蒔いていたのでした。

「○○さんのうねり方はさすがだね〜」「私たちは一足進んでそこに蒔く、紐なんてはらないで、自分の足が物差しだ」「やぱり先輩方のクワの使い方は違うね」

この方たちの先輩というとお幾つなのだろう???なんて思いながら、私はその豆談議に混ざっていました。

「△△さんの煮豆は美味しいよね、しわにならなくて上手だもの」「少しのこってるから食べる?」「こういう煮方を、高齢者が高校生に教えるのいいね」「豆腐作りもいいよ」「味噌は作らなくちゃ」

大豆から、なんだか夢が芽生え膨らんでいるようです。


翌朝7時、旧金沢小学校に、奉仕活動のためにたくさんの人が集まりました。

廃校にはなったけれど、お世話になった学校が荒れていてはだめだから、草を取って、掃除しようということです。





これからこの学校を地域おこしの拠点にだんだんしていきたい、そんな思いも芽生えています。

だから、とにもかくにもまずはきれいにしましょうと、道具はばっちり。皆さんの暑さ対策もばっちり。





今や鹿の運動場になってしまっているグランドを、綺麗にします。一見、潮干狩りのようですが、壮大な草取り。

私などは装備が甘く、すぐに汗だくになり、しかも草はなかなか取れないで、ギブアップ。

皆さんは根気よく、本当に綺麗にしたのでした。





荒れていた花壇は掘り返され、大豆が蒔かれます。

子どもたちは初めてかな?











ここでは3粒ずつ蒔かれていました。

こっそり、「私にも蒔かせて」と一ヶ所豆を入れさせていただきます。

さあ、高校と、このもと小学校と、おばちゃんたちが蒔いた大豆は見事に実をつけてくれるでしょうか?

獲れた豆で何をしよう?この日から、蒔いた人たちは、大人も子どももワクワクし、なんだかムズムズ元気になっているはずです。

汗をかいた後に食べた地元の曲がったキュウリ、来年はみんなの大豆で作った味噌をつけて食べられるかもしれません。


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お仕事 昔の写真展 2018/07/16 11:50 am

久しぶりに十津川村谷瀬へ行くと「谷瀬昔のくらし写真展」が開催中でした。

奈良女子大生と谷瀬住民による手作り展示。眺めながら村人の話がつきません。

90歳のおじいちゃんの若い頃の写真を見て「イケメンだったね〜」、今はヒゲを蓄えてた集落総代の赤ちゃんの頃の写真では「可愛い、ヒゲがない!」なんて声が。

“みんなの昔”が主役になれる写真展は、よそ者にも楽しい場でした。
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4ヶ月ぶりの谷瀬です。今年も「純米酒 谷瀬」になる、酒米がすくすく青々と伸びています。

谷瀬の吊り橋を渡って「ゆっくり散歩道」を歩いていくと、やがてあるのが「こやすば」。

古民家を皆で使えるようにした休憩所です。




ここでは春までは「暮らしの写真展」として、村おこしの様子や、名産品づくりの作業など、谷瀬の今の暮らしを伝える写真展をしていました。

その昔バージョンです。2月頃から奈良女子大学室崎研究室の学生さんが、集落の皆さんに呼びかけて昔の写真を集めてきました。

「ないよ」と言っていた住民が、意外に「あった」と反応。アルバム一冊出てくると、それは宝の山のように、いろいろな情報が埋もれているのでした。

集落の人は、ひたすらあちこちをゴソゴソ探す係です。アルバムがあったら一緒に写真を選び、学生さんがスキャンしてデータにし、プリントしてボードに貼ります。



ちょっと素敵なギャラリー風でしょう?

この撮影時は、「こやすば」の戸が閉まっている状態だったので暗めですが、土日のオープン時は、もっと明るいです。

しかし、時々まだコウモリ君が登場するのですが・・・(笑)。





古民家の黒い板戸と白い障子は、そのままシックな展示スペース。特に、こういうモノクロームの写真に合いますね。










ひときわ目を引くこの写真は、谷瀬名物の吊り橋が昭和29年にかかった時の、渡り初めの様子だそうです。

紋付袴に山高帽姿、何度も流されて苦労してきた、その橋が、皆の力で架かり開通した。その待ちわびていた気持ちが、佇まいから伝わってきます。

今ではもっと立派な吊り橋になっています。この頃の吊り橋は、大風の日はよくねじれた!のだそうです。

一方この写真?これはいったい何を運んでいるのでしょうか?婚礼か何かあって、その荷物をリヤカーで運んでいるのか。

それともいつもの農作業のひとコマなのでしょうか。そんなときにわざわざ写真を撮るのかなあ〜とも思うし。やはり何か特別なものを運んでいるのでしょうね。



集落の人々は、何をしているか?よりも「ああ、○○姉だ」「これ、△▽兄だろう、きっと」なんて、人物の特定に夢中です。

一番右が、いまや最高齢?のお爺ちゃんのはず。素敵です、もちろん今もですが。






電話の交換、という仕事もあったわけですね。











お嫁さん、一世一代の晴れ姿です。

こういう花嫁姿で、吊り橋を渡って谷瀬へお嫁入したのでしょう。今と違い、情報がない時代です。他と比べるなどということもなく、親や親せきの決めた縁談で。

ただただ、嬉しくて恥ずかしくて。いい笑顔ですね。

地元の方々、相変わらず「これ、□□婆じゃないかね」「ああ、そうだそうだ」「ほお〜」という調子。

花嫁姿のご本人は、今は集落においでにならないようですが、こうして写真を飾られるなんて、喜んでくれるはずです。



昭和20年〜30年代くらいは、子どもはみなおさがりを着て、鼻を垂らして、下駄で走り回っていました。

小さな子は、お母さんや上の兄弟にいつもおんぶされていましたっけ。そう、黒い襟のついた“おぶいばんてん”にくるまれると温かでした。

おぶわれているのが、今の谷瀬集落の総代さんです。



吊り橋を渡ってお嫁入し、やがて子どもができて、家を建てる。

当時の家は、新建材など使わない、地元十津川の木を使ってでしょう。自分の山の木を伐って、ということだったはずです。

建前は嬉しい、餅をまいて、幸せを祈る、振る舞う。


写真を見ていると、この小さな集落に暮らし、身体を酷使しながらみんなでささやかながらも幸せをつかんできた、創って来た、そんな皆さんの生きざまが伝わってきます。

集落の人と、学生さんと、飾る場所があれば、こういう試みはどこででもできますね。

誰かの立派な写真を鑑賞するのではなく、自分たちの歩んできた日常が主題になり、自分たちが主役になれる写真展。

写真を前にほとんどおしゃべりは噂話や冗談のですが、それでも住む人たちも、よそ者も混ざって、人のつながりを編むことができます。

ぜひ皆さん、ぶらりとお立ちよりください。そしてぜひ、皆さまの地域でもこんな催しをしてみてください。奈良女子大さんありがとう。


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ちょっとしたこと 会いたい人 2018/07/08 10:43 pm

2015年秋のスローライフ・フォーラムは雲仙市でした。そこに参加していたジャガイモ農家の若者が、私のFacebookにコメントをくださいました。

彼はバンドもやっていて7月にまちおこしのコンサートを計画中。急に会いたくなってメッセージし、今回、彼の軽トラの助手席に乗る機会を得ました!

すると今度は彼が一度会いたかったお醤油屋さんに電話し、私が接着剤で2人が会うことに。

いい出会いとなりました。
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2015年11月1日開催のフォーラムです。
雲仙市のこれからについて、前日、4つの分科会を開催し、その結果を踏まえたシンポジウムが行われました。







この時、各地から雲仙市を訪れたスローライフ学会会員は、雲仙が北海道に次ぐジャガイモの産地えあること。

ジャガイモ畑が雲仙の独得の景観を作っていることなどを学んだのでした。

盛り土したこの赤い土と、独特の石垣が印象深かったものです。


今回、私が目にした荒木政勝さんの記事です。ジャガイモ農家が時々バンドマンになる。

さらに、彼の仲間は、長崎の調理師学校と連携し、棚田で米を育て、その米粉でお菓子を作り、地域の高齢者を訪ねているのでした。









千々石(ちじわ)という海辺の地区、ここで彼と待ち合わせ。そして荒木さんの軽トラックの助手席に乗せていただきました。

おそらくしばらくの間、助手席に人が乗った気配はありません。でも、今夜の酒宴用なのか、青々とした今採ったばかりのシシトウガラシがピカピカ光って転がっています。



荒木さんです。フォーラムの分科会では私の担当のところではなかったので、しっかり顔を覚えていないのですが、彼曰く
ー。

「懇親会で夜中まで飲んでたら、『いい加減にしなさい』って怒られました」とのこと。

確かに、シンポジウムの前日の飲み会で、「もう寝なさい」と私、言いまくったことは覚えています。その一群に彼はいたのですね。

今の活動をとつとつと話す荒木さん。髪は茶色で、しっぽ?のように伸びているところもある。いかにもそれがミュージシャンらしいのですが、活動は大まじめでしかも芯がある。

そこらの都会の軟弱な若者と違う、厚みを感じました。

7月末に開催の“#ミニフェス”のTシャツ。「これも農家のデザインですよ」と。

いろんな人やことが赤い絆で繋がっている、イラスト。彼らはこれを売って、フェス開催の費用を作っているのでした。

「みんなで地元を盛り上げたいから」いろんなことを考えているそうです。コンサートだけでなく、収穫体験や地元の売店なども。

ジャガ農家や水道工事屋さん、釣具屋さん等が、腕まくりなんだそうです。

地域にはそれぞれ、頑張っている人がいるなあ〜と実感します。

荒木さんが電話をしていると思ったら、相手は地元のお醤油屋さんの奥さんでした。

山中ひとみさん、荒木さんとFacebook友達ですが二人は会ったことはありません。

ちょうど「東京からこんな人が来ている」というのはいいきっかけ。荒木さんに連れられてお会いしまた。

「荒木さんとは、バケツの中に何か入れて置くなんて物々交換はしてましたけど、会うの初めて〜」と笑います。


ここでは、この土地で愛される、少し甘い味のお醤油や味噌を造っています。












「うちの工場古いから、撮らないで〜」とひとみさんはおっしゃいますが、お醤油のいい匂いが満ちた工場では、ちょうどお醤油を絞っているところ。

「絞ったカスは、栄養があり塩分もあるので牛さんが食べてくれるんです」と教えてくれました。



「とにかくみんな古いから」と言いながら、ひとみさんは「こんな小切手打つ機械もあるの。穴あけも」と見せてくれます。

道具博物館のようです。







何でもチャレンジのひとみさん、醤油の原料の大豆を育ててみようと、ご近所の方から大豆を分けていただいていました。

「このくらいの間隔で蒔いてね」とご近所さんが丁寧に教えています。





工場内には、大豆も麦も塩もすべて長崎県産の物を使ったという樽もありました。

なかで旨みが静かに育っているのでしょう。








こんな出会いの後、荒木さんのジャガイモ「デストロイヤー」で一杯をする楽しさ。いい夜になりました。

きっとまだまだ市内の人で、出会えばいい人が出会っていないのではという気がしました。

そんなきっかけに私がなれるなら大喜びです。よそ者が地元の人を繋ぐ。人と人が掛け算で化学反応を起こして、何かが始まる、変化が起きる。

そんな接着剤や導火線になれれば・・・。荒木さんと山中さんを見ながらそう思いました。

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お仕事 それぞれの宿で 2018/07/02 1:34 pm

その土地のことを知るには、いろいろな宿に泊まることが大事と思っています。

いま通い始めている雲仙市でも、3泊するなら3種類の宿に泊まります。

今回ある宿では、大女将さんのまかない食事にご一緒し厨房で楽しいおしゃべりをしました。

スポーツ合宿専門の宿では、アスリート並みの食事量にびっくり。地元のはじける宴会に遭遇した夜も。

それぞれに土地の事情を吸収できました。
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雲仙市に毎月通い始めています。今回は、雲仙市国見町を回りました。いろいろな活動や人を訪ねていますが、宿は私セレクトです。

1日目は多比良地区にある「割烹旅館観月荘」という宿。「タイラガネ」(ガネとはカニのこと)呼ばれるカニで有名な海辺のまちです。



2階の部屋でしたが、1人で食事はどうも淋しい。1階に降りてひょいと覗くと、あれ?室内に池がある。大きな鯉が泳いでいます。

厨房で老夫婦がお食事中、「綺麗な鯉ですね」というと「金魚なの」と大女将さん。2人の仲睦まじい姿に、「ここで私も食べたいな〜」なんていうと「どうぞ」と大女将さんがさらりと許してくれました。

ふと見ると、「酒」と書かれたお燗用のヤカン、「のり」と書いた缶、「いりごま」と書いた容器などが並びます。

「みんなお父さんが書いちゃうの」と大女将さん。お爺ちゃんはどうもマジックで表記癖があるようです。



娘さんの若女将さんも加わりました。「このお造りのヒラメはそこの浜でとれたんですよ」「ウリの漬物も沢庵もみんなここで漬けるの。この町は野菜も採れるし」

そこに、嫁いだ娘さんが立ち寄りました。お好み焼きの差し入れです。

ビール1本ですっかりご機嫌の私は「これからはこういう家庭的な宿を求めて外国の方も来ますよ」なんて演説です。

「ええ?こんなとこまで来ますかねえ。雲仙温泉なら来るだろうけど」「来る来る!だから簡単な英語を覚えましょうよ」など、女たちのおしゃべりは果てしなく。



メバルの煮物の美味しかったこと。煮汁をかけたご飯がまた最高でした。

若女将さんはまちづくりに熱心です。この辺りのお店や宿は自慢の逸品を黒い看板に書き出しています。ここは「三角いなり」、そして「おはぎ」も名物。

お爺ちゃんが昔は和菓子屋さんだったことから、当時の銅鍋を使って今も餡を煮るとか。



本当は予約制ですが、翌朝のご飯に若女将さんがわざわざ作ってくださいました。

ゴマのたっぷり入った大きな三角いなりをずしりと食べたあと、さらにおはぎがまた美味しい。海辺でこんな味に出会うとは・・。




2泊目は「遊学の館」。巨大なグランドと大きなお風呂を持つ、スポーツ合宿の宿です。そんなところに個人客が、しかも女性1人でなんて?と思ったらOKでした。

部屋の中のトイレも洗面所も立派。お風呂にはサウナもあり、廊下の横には洗濯機、乾燥機、共同で使う冷蔵庫も。

ここに個人や家族で泊まれることを知ったら、もっともっと賑わうでしょう。とはいえ、夏はもう合宿で満室状態、雲仙市内でもかなり稼働率のいい宿なのです。

夕飯の量が凄かった。刺身、煮魚、エビフライ、餃子、蒸し鶏、エビチリ、豚の陶板焼き、ざるそば。とても食べきれません。

「サッカーの子たちはこのくらいペロリです。ご飯もジャーが空になるし」と調理の方。地元の物を少量食べたい私のような高齢者?!は、今度は夕飯は外で済ませましょう。



それにしてもスポーツ少年たちをいつも相手にしているせいか、従業員の方々の笑顔がさわやかです。応対がいちいち清々しい。最近の普通のお宿に学んでほしい感じの良さでした。

ここはお風呂だけもOK。地元の方々がけっこうお風呂利用にやってきていました。外来者受けの施設をジモティーが上手に利用する、賢いですね。しかもお行儀のいい入り方。

私のようなよそ者が居ると、邪魔にならないようにして家族で入っています。そして洗い場から出るときは、シャワーで自分回りの床をざっと流している。見習わなくちゃと思った仕草でした。



3泊目は「旅館 松栄」。予約の時から女将さんが「この日は宴会が入っているので、うるさいかもしれませんが」とおっしゃいます。

「いえいえこちらも他のところで実は宴会をして、そのあとうかがうので夕飯はなしで、しかも到着遅いです」と条件がピタリ!

いい加減遅く、こちらも酔っぱらって到着するとまだ宴会は続いていました。どうやら地元の農業関係の若者のようです。

私は宴会が大好きなので、盛り上がったりはじけたりは大歓迎。ロビーで女将さんは気にしますが、実はこちらがその輪に飛び込みたいくらい。

そこにスタスタと若者が階段を降りてきました。トイレかな、お水かな?と見ると、ストーン、と音まではしませんでしたがズボンが落ちた〜〜〜!大丈夫、パンツは履いていました。

こちらは大笑いなのですが、女将さんが子どもをあやすように「あら、ダメよ。ズボンあげてよ〜」と世話をしています。

どこに行くのも車社会の田舎の地、普段は外ではなかなか飲めません。皆とたまに飲むのなら、こうして思い切り飲みたいのでしょう。

黒々と日に焼けて、ご機嫌の若者はいい顔をしていました。こういう宿が身近にあること、幸せですね。



お風呂に入っているうちに宴会は引けました。そこで私のお目当ての「野菜ぷりん」です。

実はこの宿は、例の看板に「野菜ぷりん」と書いてある宿。雲仙市の豊富な野菜をたっぷり使って手づくりプリンを手がけています。

一番ベーシックな雲仙名産の「じゃがいもぷりん」をいただきました。夜中のぷりん、ほっこりとしたジャガイモの風味をそのままに、魔法にかかったような甘さが私をとろけさせます。

このノリで、翌朝もう一つ「ゴーヤぷりん」もいただきました。





女将さんは他のお菓子にも挑戦中、料理にも熱心で朝から可愛いジャガグラタンも。玄関にはジャガイモの新種が「女将さん、試しに使って」と届いていました。






雲仙市内に有名で巨大な温泉観光旅館もありますが、3か所3様のこういう宿もまたいいものです。お宿のおかげで土地の素顔に触れ、ますます雲仙が好きになったのでした。

※ちなみにカニの写真は朝の散歩のお友達、タイラガネではありません。

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ちょっとしたこと 2018/06/25 11:58 am

姉から96歳の母の具合いが悪いと連絡があり、実家に顔をだしてきました。

母本人はよろよろしているものの口だけは元気で、「お母さんに何があっても驚くんじゃないわよ」と脅します。

「最後の味になるかもしれないから持っていきな」と庭の梅のジャムを。

帰りに「庭の花を土産に持って行きな」「アジサイは水切りよ」と指示。

親分肌で仕切り上手は弱っても変わりません。首を伸ばして私を見送った母は、今週、検査です。
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母のことは何度か書いてきたのでだぶるかと思いますが。

一番昔の記憶は、抱かれておっぱいをしゃぶっている記憶です。私がそんな赤ちゃんの時のことを覚えているのではなく、覚えるくらいになってもおっぱいを求めていたのでしょう。要は甘ったれで、母も甘やかしていたのでしょうね。

次は母の背中におんぶされて、門で父を待っている時間もよく覚えてます。これはよくありました。サラリーマンの父が帰るころを見計らって、よく門の陰に隠れ「わっ!」と脅かしたりしました。いたずら好きの母でした。今思えば、何かおばあちゃんと喧嘩して、私を負ぶって外に出たのかもしれません。

とはいえ母はお嫁に行ったのではなく、父が母の家に入った形。名前だけは父の姓でしたが、母は婿取りをしたような状態で、自分の両親を看取っています。

私が小学生くらいまで、洗濯は井戸でしていました。木のタライに洗濯板。固形石鹸をごしごしつけて。夏は気持ちいいでしょうが、冬はどうやって我慢したのか。
冬の母の手は、しもやけやらあかぎれやら。この時代のお母さんはどこのうちでもそうだったでしょうね。私にはできない!

となりの家に洗濯機が来た時は、母はうらやましそうで、大きなものを持って行き、「絞らせて〜」とローラーの間にシーツなどはさみ、グルグルと取っ手を回すと絞れることに感動していました。そういう時は必ず、場つなぎで私も連れて行かれたものです。

当時はお肉は貴重品、そもそも千葉の田舎の肉屋に、牛肉などあったのか?たまに買う豚肉をフライパンで炒め、生姜醤油をかける。これが我が家でいう焼肉でした。一皿のキャベツの千切りの上にのったお肉を、みんなが少しずつ食べます。決まって「お母さんは、お肉はきらい。下の醤油の染みたキャベツが好き」と言って食べなかった母でした。

独身時代、目黒の“ドレメ”に通っていたので服を作るのが好き。ジャージャーと音を立てる編み機でセーターを編んだり、黒い鉄の足踏みミシンで服を作ったり。私と姉は母手製の服を着せられていました。そうそう、レース編みもずいぶん編んでは人にあげていましたね。

婦人会活動に目覚めて、会長職を引き受けて、「辞めろ」という父と喧嘩したことがありました。天ぷらを揚げながら、ポロポロ涙を流していました。母の涙はこの時しか見ていません。そもそも両親の喧嘩らしきものはこの時だけのように記憶しています。仲良しだったし、どちらかが我慢していたのでしょうね。

戦争の話では、「千葉のまちが空襲にあったとき、焼け野原の街を何キロも歩いて勤め先から帰って来たんだよ、死体も見たよ。」「アメリカ兵が来たら米びつに隠れろとおじいちゃんが言っていた」などと繰り返し話していました。母の家は米屋だったので、大きな茶箱のような入れ物に米があったのだそうです。そこに逃げ込めと、言われていたのでしょう。

私も姉も中学から私立のお嬢様学校に入れられました。母が出た学校に娘二人を入れたかったらしいのです。だから家計は大変で、私が中学生になると母は近くの親戚の薬局の店員さんを始めました。立ちっぱなしで疲れ、「横になるときが一番いいね〜」と布団に寝転がり、よく腰や肩にトクホンを貼らされました。



その後、私は不良になり(笑)、18歳で家出。その後、25歳くらいからまた実家と行き来し、今に至ります。父が亡くなった時も、家がもらい火で全焼した時も動じない母です。あの度胸と、いつも、まずにっこり笑う笑顔は見習いたいと、ここ数年は思ってきました。

昨夜、1年分くらいの梅ジャムを前に、夫と私は母の“すごさ”の話になりました。

火事の時です。母から電話があり、出た夫に、まずは「久しぶりね、二人とも元気?」から話が始まったのでした。しばらく普通の会話をした後、「あのね、今度来ても、泊まってもらうおうちがなくなっちゃったのよ」と。夫はここで、お母さん急にボケたのか?と思ったそうです。

「は?」「だから、もうおうちがないの」「どうしたんですか?」「燃えたの」「か、火事ですか〜〜〜〜!!」この話は、思い出すたびに私たちは大笑いし、さすがお母さんとほめたたえます。

母は、昔から悪い情報を伝えるときはなるべく自分で飲みこんで、淡々とするたちです。なので、この時もボケたのではなく、驚かせまいという気遣いだったのでした。なので、今回私が行っても「あんた、お姉ちゃんによばれたんでしょう」とにっこり笑い、淡々と。冒頭の話となります。

私が小学校の頃は、庭の花を切り、教室へ持って行かされました。電車通学だったので、花を持って行くのは結構大変だったのですが。持って行けば教室が輝いて、うれしかったものです。

今回も母の指示通り私が切った花を見て、満足そうに「今頃の花は青が多いね」と柔らかく笑っていました。


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お仕事 湯せんぺい 2018/06/18 4:52 pm

明治初め旧島原藩主松平公が、作らせたといわれる「湯せんぺい」。

雲仙土産で知られますが、先日、その手焼き作業を見学しました。

熱々の重い鉄の型に、小麦粉などを溶いたものを流し、挟み、ジュワーと音をさせて余分なタネを出し、ゆっくり焼く。

手元を見ていると飽きません。この「湯せんぺい」の耳を
活用して若主人が発案した、チョコバーやグラノーラもあってビックリでした。
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昔は20軒くらいあった「湯せんぺい」屋さん、今は9軒だそうです。その中で、手焼きにこだわっている雲仙温泉の「遠江屋本舗」を訪ねました。

雨の日、店に入ると甘く香ばしい匂いがします。お店の中でお客様にみえるように、 ここの若主人・加藤隆太さんが湯せんぺいを焼いていました。


3キロあるという焼き型を、扱いながら話してくれます。材料は小麦粉・卵・砂糖・温泉水。1階では手焼きを見せているものの、作るのに限度があるので、2階では4枚目ずつ焼く機械焼きをしているとのこと。






手焼きが左のパッケージ(昔の外国人向け雲仙案内)、右が機械焼きのパッケージ、いずれもレトロで可愛いです。









10年前に他の仕事をやめて、この店を継ぐために戻って来た加藤さんは3年前に結婚、笑顔が素敵です。(動画では撮ったのですが、写真に収めなかったので、パソコンの動画から複写の笑顔です)

夏は暑い仕事です、とにかく焼くわけで。

でも、その「湯せんぺい」をソフトクリームにウエハスのようにつけて食べるのが観光客に人気とか。今回は食べなかったので、次回は必ずと思いました。

焼いたらチョキチョキと鋏を使い、耳を切り落とします。その手焼きの耳が美味しい。(左)家人が言うには、「甘いスルメみたい」と。焼きたては柔らかいのですが、すぐに硬くなり、歯ごたえのある耳になる。

パンの耳が歯ごたえあるのと同じでしょうか。我が家ではこの手焼きの耳が大評判です。


2階の機械焼きでできるサクサクした、「湯せんぺい」と同じ食感の耳は、サクサクとした噛み心地を楽しむもの。2通りの耳をぜひ味わってもらいたいです。

加藤さんはアイデアマン、この多量にできる耳をを使って、ドライフルーツと組み合わせたグラノーラを作っていました。ミルクやヨーグルトと合いますね。

さらに、チョコバーも。キンカン味とミクスドライフルーツの味。チョコと湯せんぺい耳入りです。これが美味しい!作者はこれを山歩きのおともにとか、雲仙観光のおともに、と考えたようですが、私はお酒のおともにです。

ワインにあう!!本当にあう!!噛むほどにいろんな味が口の中で広がる、よくぞ作ってくれましたというものです。

サクサク食感のこういうおせんべいは宝塚温泉や有馬温泉で買ったことがあります。

でも、グラノーラやチョコバーはないでしょう。もっと遡れば、加藤さん、湯せんぺいを葉巻のように巻いたものや、クリームを挟んでゴーフルみたいにしたものも作っている。さすが若さですね。

雲仙名産のジャガイモを使ったお菓子も豊富。さらに偉いのは、ここのお店の物だけでなく、島原半島のこれぞという物もお店で売っている、セレクトショップのようなお店作りをしている。この辺りに、未来を感じたわけです。

「ところで何で、せん『べ』いじゃなくて、せん『ぺ』いなの?」と詰め寄ると、メールが届きました。

“「湯せんぺい」の「ぺ」について・・諸説御座います。当地長崎県には、中華街がございます。中華街で買い求められるお菓子の中に、「月餅」(げっぺい)というお菓子がありますよね。湯せんぺい 湯煎「餅」同じ「餅」という漢字を使いますので、中華街をもつ長崎ならではの「なまり」なのではないかと思われます。”

とのこと。真面目に答えてくださいました。

「ぺ」でも「べ」でもいいから、この味、このお店続けてね。そして次なる新製品待ってま〜す。

ある地域に入って、こういうお店、こういう人に会うと、その地域がぐっと好きになります、その地域の可能性を感じます。

いい人いるなあ〜雲仙市。

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ちょっとしたこと 「視点」展をみて 2018/06/11 12:35 pm

全国公募写真展2018「視点」。もう43年も続くリアリズム写真の展覧会です。

全国から寄せられた1185作品のなかから、入選入賞した174作品が展示されています。社会的な作品から、かわいい動物、美しい風景まで。

そこに日本の今があるようで、まるでドキュメンタリー映画を観たような、小説を読んだような深い満足感を得る数時間を過ごしました。都美術館で13日までです。
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写真の作品にはそれぞれ作者の思いがあって、また鑑賞する方にも好みがあります。
今回、落選した私から見れば、「すごいな〜」と思える作品ばかりなのですが。こんな写真を撮りたいな〜という作品をご紹介です。

「長いつきあい」というタイトルの作品。
作品ですからここに勝手に載せるわけにもいきません。図録に載っているものを遠くから撮ってこっそりご紹介です。

何を撮ってあるの?と問われれば、高齢夫婦のスナップが主の6枚組。

「1枚目」夫婦はどこかの公園か、参道などの大きな松の樹?の根元、縁石のようなところに座っています。二人ともコートを着ているから冬でしょうか。日も傾いて影が長く伸びています。旦那さんが発泡酒?のロング缶を持っています。缶ビールは冷たいから、奥さんが渡したのか、ピンクのタオルで巻いて持っています。横に寄り添う奥さんは両足を伸ばし、その間に荷物を置いて、落ちないように足首をあげている。足の荷物に気をつけながら、丁寧に柿ピー?を袋から手渡している「こぼさないでよ〜」。これまた旦那は落とさないように手の平を丸めて受け取っている。この後、彼は柿の種を数粒口に入れてかみ砕き、スーッと一口飲む。きっとその後奥さんも、ポンと数粒口に入れる。すると旦那が缶をぬっと渡す。ロング缶を飲みきるまで、寒くても、つまみはこれだけでも、美味しい時間のはずです。

「2枚目」表情の固まった旦那さんと、眉毛をはっきり描いた奥さんが、どこかの神社から帰ろうとしています。両者ともステッキを持って。奥さんの足の開き方から、スイスイ歩けない様子がうかがえます。旦那は手を引いてやるでもなく、片手はポケット。首にはカバーにしっかり入ったカメラ。この参拝で、彼が彼女を撮るなんてことがあったのでしょうか?と一瞬思うのだけれど・・。きっとこの夫婦にはこの距離感がいいのでしょう。少し離れてお互いの気配を感じながらのっそりのっそり歩く。いきなり振り向いて、「おい、そこに立て」などと旦那がつぶやき、奥さんもコトリとも笑わないでカメラに納まるのかもしれません。本当に仲が悪かったら、一緒に出掛けることもないでしょう。夕飯時、美味いまずいなど会話の無いままテレビをみて、「寝る」と言って彼は布団に入る。そういう暮らしをずっと続けているように思えます。それが二人にとっていい感じなのですから。

「3枚目」どこかのイベント会場か?壁面緑化に黄色いビオラが使われている壁を背に、コート姿でベンチに座った夫婦が食事中です。屋台で買ったお好み焼きか?ピザか?ひとつのプラ容器から二人がお箸を使って食べています。奥さんはブランド品の偽物バック、髪の生え際の毛染めが薄くなってきています。夢中で食いちぎっている旦那は、紺色の野球帽とジャンパー。雨上がりなのか、2人は傘をベンチに立てかけています。奥さんは骨の数の多い少し高級傘、旦那は白いビニール傘。奥さんの口元のしわと、旦那の目元のしわが何ともいい味です。けっこう激しい喧嘩をしてきたのかもしれません。今もしているのかもしれません。でも「あんた残り食べなよ」「お前にやるよ」なんて言葉が聞こえそうです。

「4枚目」奈良東大寺の山門横?のように思えるのですが、ベンガラ色に塗られた壁を背に何かを夫婦が見上げています。いかにも久しぶりの旅行という感じ。眼鏡に帽子、黒いショルダーバックの旦那さんは、ループタイなどしそうなお人柄です。奥さんはツーピースなど着て、少し重いけれど革のバックを下げてきました。秋口でしょうか、奥さんの薄手の半そでの服は着やすそう「新幹線の冷房で膝が冷えないようにすその長い服にしたのよ」かしら。何を見ているのでしょう。東大寺の大屋根を見上げているのしょうか。「大きいね〜」「ああ、でかいなあ」これから大仏に参拝なのか、旦那はワイシャツの襟を止め直しています。素直に見上げるこの夫婦に幸あれと思います。

「5枚目」高齢者夫婦が住んでいるだろう家に干されている洗濯物の写真です。画面の3分の1を占めているのはパイル地のピンク色のシーツ。そして、干してあるのはLLサイズくらいの男物の股引。肌着。ホカホカ部厚い女物靴下。いずれもずいぶん着ているのでゴムが伸びているのか、サイズが大きいのか、ハンガーにかけてさらに洗濯ばさみで止めてあります。洗濯物の下には、発泡スチロールに植わったセダム。つつましく暮らしている、夫婦の姿が見えてきます。この洗濯物の乾く頃、「母さん、夕飯は昨日の鍋の残りでいいからよ」「そうだね、じゃあうどん玉でも入れようかね」なんて会話があるのでしょう。

「6枚目」繋いだ手のアップ。男性は素手で、女性は手袋で。男性の右手の薬指に、女性の左手の人差し指がちょいと絡んでいます。ちゃんとつなぐわけでなく、さらりと触れ合う手と手。少しの温もりを感じているのでしょう。女性の手袋の指先にできた毛玉が、生活感を伝えてくれます。


こうして6枚を眺めると、「人生の楽園」風でもなく、もちろんお金持ち風でもなく、普通にそれぞれに長いつきあいをしている夫婦のほどほどの幸せがあぶりだされてきます。わが夫婦も暮らし始めて41年、長いつきあいになりました。不愛想でも、貧乏でも、おなかが出ても、しわだらけでも・・・・まあまあの幸せをかみしめたいと思います。

写真ていいなあ、6枚の写真から本当にそう思いました。

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お仕事 「ワイン城」の宝 2018/06/04 12:41 pm

北海道池田町の「ワイン城」。自治体ワイン造りの先駆、「城」は北海道観光の重要な立ち寄り先として君臨してきました。

しかしハードもソフトも改修時期です。今回特別に、専門的な解説を受けながら見学できました。

寒冷地のブドウ栽培、地下の古いワインセラー、ブランデー造りなどなど。

物はどこでも買える時代、この「学び」こそが城の宝と、実感しました。
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私はワイン好きでこだわりのワインを日々飲む、というわけではありません。

やたらワインの講釈をする方が多いですが、私はその全く逆でしょう。

だからか、これまで「ワイン城」?観光施設でしょ。くらいでそれ以上の興味は持ちませんでした。

今回うかがったのはお天気の日。「城」は山の中ではなく、JR池田の駅からすぐ、ホームから見えるすぐそこにそびえていました。

線路沿いを歩いていくと、なんだか映画の重要なシーンに出てきそうな線路を渡る歩道橋がありました。

フィルムコミッションの方がこれを見つけたなら大発信するだろうと思える、インスタ映えするサビ感が貴重。

あんまりかっこいいいピカピカの世界では人は緊張するものですが、なんだか味があって心が緩みます。

さっきまでのファストライフと別れて、スローライフに渡る結界のように思えました。

ちょうど子どもたちが楽しそうに渡ってきて、こんにちは〜!と挨拶です。

スローな世界に入ったからか、緑を渡る風や、足元の花に目が行きます。

大型観光バスでドンと着いた「ワイン城」と、こうしてゆっくり歩いて入るのと、印象はずいぶん違うでしょうね。

建物がお城のようなのでこの名がありますが正式には「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。城は地下2階、地上4階、1974年の建設。耐震改修と合わせて今、リニューアルを始めています。

もともと観光施設というよりは、研究所であり、目的は町の農業振興にあったわけで、ここのワインは「十勝ワイン」の名で出荷されています。

ワインにうとい私でも「十勝ワイン」の名は知っていました。
ホームページにはこうあります。

〜〜『昭和20年代後半、十勝地方は次々と自然災害に見舞われました。・・・十勝沖地震・・・2年連続の冷害による凶作となりました。この苦境からどう脱却するのかという中から、「ブドウ栽培」と「ワイン製造」への道が生まれたのです。
当時の町長(丸谷金保氏)の発案で、「秋には山野には山ブドウがたわわに実る。冬の厳しい池田でもブドウ栽培が出来るはず。農業所得のアップにつながり、町内に多い未利用の傾斜地も活用できる。」・・・ゼロからのブドウ栽培といった壮大な挑戦が始まりました。昭和38年には果実酒類試験製造免許を取得し、国内では最初の自治体経営によるワイン醸造を手がけ始めました。』〜〜〜

始まりは、北の地で生き残るための必死の策だったのですね。だから今も「ワイン城」は町営。研究所であり、工場であり、観光施設であり、まちおこしのシンボルということになります。

今回は安井美裕所長さんがご案内くださいました。

大変に知識豊富な方で、穏やかに歴史の話、ワインづくりの話、丸々本一冊分くらいのことを解説くださいました。

各地で観光ガイドのお話を聞きますが、ウケねらいやうわべの話が多く残念なときもあります。

今回の技術肌の所長のお話をうかがう時間は、まさにプレミアムなひとときでした。

「ブドウ・ブドウ酒研究所」略して「ブブ研」の品格と、誠実さがにじみ出てくるようなお人柄です。

最初に見せていただいたのがブドウ畑。「ブブ研」の歴史はまさに品種改良の歴史、寒さの中で育つブドウを作ることだったそうです。

この畑のブドウは、幹がかなり下の方に横たわって見える。これは寒い時期は培土して土の中で冬を過ごすからだそうです。

土を盛り、幹に布団をかけたようにして、春になったらその土をまた取り除く。大変な手間のかかる作業をしているのでした。

一方こちらは、培土しなくても大丈夫な品種。ここまで来るのにどのくらいの改良作業が行われたのか・・。

ここのブドウの基本は山ブドウ。寒さに強い山ブドウと醸造用品種の交配により、耐寒性ある品種にしていったとのことです。

冷涼な北国でつくられるブドウは酸味が強くなる。それを活かして、十勝ワインはこれまで一貫して辛口路線を堅持してきたとのことでした。

苗をどこかから買って植えるわけではありません、「ブブ研」ですから苗から作ります。

一見、美味しそうな野菜にみえるのがブドウの苗。これは寒さに強い「山幸」。この名前でワインも売られています。

この苗そのものを売ってくれないかしら?東京の我が家では、うまく実らないかもしれませんが、窓辺に「ワイン城」のブドウが観葉植物代わりにあるだけでなんだか嬉しい。

「山幸」を飲みながら、「山幸」の緑を楽しむなんて素敵です。

一般観光客が入れないエリアに、「ブブ研」の出発当時の看板が掲げられ、小さな建物がありました。

畑作業を終えた方が農具を洗っています。ワインが美味しい、まずい、安い、高い、などと消費側は簡単に言いますが、日々、こういう方々の汗がブドウを育て、私たちの食卓と健康を作ってくださっているのですね。


その昔の研究所の地下に、ワイン貯蔵庫がありました。

もちろんもっと大きな貯蔵庫は別にあるのですが、ここは超特別なビンテージもののワインセラーです。

急な階段で、一見、忍者屋敷の隠れ穴のようです。



ひんやりした地下はフサフサ?に育った、カビの世界。ここで特別なワインは眠っていました。

このカビに、え?と驚きますが、もちろん飲めるし、むしろワイン好きにはたとえひとなめでも味わいたいところでしょう。

古ければいいというものでもない、その年の気候、その前の年の気候などでブドウの、ワインの出来が違う。ひとつひとつを解説していただきました。

ブランデーの樽が眠る倉庫。ここも一般は入れないエリア。樽が少し動いているように見えるのは、地震によるそうです。

一滴、手の平に垂らしていただきました。両手でこすると、もうこれは純度の高いアルコール。

あのブドウ畑から、ここまで来るのに何年かかり、どれほどの手間がかかっているのでしょう。

ワインの貯蔵樽です。紫色にウエスト辺りが色づいています。

樽はワインを吸い少しずつ蒸発させます。その分空気がたまる。なので、週に2回、ワインを一杯に継ぎ足し、蓋をすれば溢れる。そのこぼれたワインだそうです。きれいです。こんな着物や帯がほしくなる!



「ワイン城」のオフィスエリアで、品評会に出すワインを決めるテイスティングが行われていました。

ワインのテイスティングなんて聞くと、おしゃれでカッコいい世界のように思えますが、雰囲気は実直です。





「ワイン城」は世の中の移り変わりの中で、一歩一歩「ブブ研」として歩んできたのでしょう。

そんな真面目な、本物のところだからこそ、これからは少し笑顔やコミュニケーションや、発信にチャレンジしませんか。

町の中学生がブドウ収穫を手伝い、そのブドウで作ったワインは成人式にプレゼントされるということも聞きました。

もっともっと、城を開放して、町民が参加できる仕組みを考えてもいいでしょう。

十勝ワインに親しんでもらうための、オリジナル資格制度「十勝ワインバイザー」をつくり、早くからワインファンを育てているとのこと。皆でワイン談義できるFacebookページをつくってもいいですね。

今回をきっかけに、何だか私も試験を受けたくなってきました。


屋上からは、広々とした景色とすぐそこの池田駅がみえます。

今までは車と観光バス主体だった観光客も、今後は電車でスローにやってくる人が増えるはずです。電車ならワインもたっぷり飲めますね。

そして、この城の後ろに広がるスローライフな丘、森を散策し、民間のロッジに泊まってもいいでしょう。あちこち巡らない、「ワイン城」でワインのある暮らしを学ぶワイン合宿もいいですね。

所長の質の高い講義などを頂点に、ワインについて、池田のチャレンジについても知る。

さらに、日本の普段のおかずやご飯に合う、ドイツやフランスにもない“和いん”の世界にも触れる。肉じゃがに合うワインは?なんて知りたいですもの。

町民の方々からワイン料理を習ったり。ブドウのツルでリース作りをしたりもしましょう。

ワインはスローフードの代表なのですから、ここで皆がスローライフを身につけて帰る、そんなお城の在り方もあるはずです。

物を買うより、知識や体験にお金を払う人が増えているのですから。


帰りがけに帯広の屋台で「山幸」をいただきました。所長のプレミアム解説をうかがったあとなので、一杯をいただくことに重みを感じます。

山ブドウ由来の味、酸味が、十勝を飲んでいる気分にさせてくれます。

同じテーブルに着いた他のお客様が、イタリアによく行くそうで「イタリアに比べると十勝ワインはもっと研究してほしい」などと話されていました。

横で私は思いました。「十勝は十勝、山ブドウは山ブドウ、イタリアと同じじゃつまらないでしょ、“和いん”なんだから!」と。

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ゆとりある記 恋するエタリ 2018/05/27 4:47 pm

「エタリ」とはカタクチイワシのこと、長崎県雲仙市ではこの名で呼びます。

お刺身のおいしさは皆さんご存知でしょう。実は、さらにこの塩辛が美味なのです。

スローフード協会国際本部の「味の箱舟」プロジェクトにも認定登録されています。

この塩辛をニンニクとオリーブオイルで煮て、雲仙特産のジャガイモに合わせたら、もう、最高!

強烈に好きになってしまいました。
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小浜温泉から眺めた橘湾です。

ここにエタリは生息しています。










今回、雲仙市に着いたその日にまずはエタリのお刺身をいただきました。

まるでお花のように、エタリが開花しています。ワサビ醤油でも、酢味噌でも。

いくらでも食べられるのはやはり鮮度です。東京ではこうはいきません。


翌日、エタリの揚る南串方面へ行きました。

道筋に、「エタリ」の看板が目立ちます。








小さなスーパーに入るとありました!エタリの量り売り。

なんと1キロ400円という安さです。








お刺身も売っています。

包丁を使わないで指先だけで、手開きにするエタリ。お店の人いわく「刺身の値段は、手間賃だね」








塩辛を発見!昔は各家で当たり前に作っていたとか。

今はスーパーで、少しでも買えるんですね。ただし、南串だから、ということでもあります。

雲仙市内の他のお店の何軒かには、塩辛はありませんでした。




港にエタリ漁の船が。巻き網で獲ります。

エタリ漁の船と一口に言っても、集魚灯のついたもの、ついていないもの、獲れたエタリを運ぶ専門の運搬船、といろいろあるとのこと。

どの船も同じに見えてしまう・・・私でした。


エタリは船から直接、巨大なホースで吸い込まれ、海水で蒸され、主に煮干しになります。

そして、大きなものはお刺身や塩辛になるわけです。







港近くのトラックのコンテナのような倉庫に、エタリの塩辛は漬けられていました。

エタリと塩を5対1、6対1、7対1くらい。魚の状態や気候で、だいたいそのぐらいの比率で混ぜて、重しをするだけ。






やがて魚の水分があがって、しかも発酵が進んで、塩辛になっていく。

3カ月くらいが食べごろとか。

一番上には藁を一緒に入れるのが伝統。なぜか風味がよくなるのだそうです。



昔お米は貴重品、この辺りではサツマイモがご飯代わり、おやつ代わり。

蒸かしたサツマイモと、エタリの塩辛を合わせて食べる。塩味がお芋の甘さを引き出したそうです。

尻尾を持って、ぶら下げて、頭から丸ごとパクリと食べるのが正しい?食べかたとか。

やってみると、そりゃあ塩辛いのですが、エタリの身がまだお刺身のようにプリプリしていて美味しい。

ごくりと飲み終わった後に、強烈な旨みが口に残ります。

頭、しっぽ、骨をとってオイルに浸ければアンチョビです。なので、アンチョビスパゲティを作るときと同じ、ソースを作りました。

正確には、私が「こうすれば美味しいのに。それをジャガイモにかけて食べたいな〜」と騒ぐので、お料理好きの方が目の前でササっと作ってくださったのでした。



エタリを細かくつぶして、ニンニクのすりおろしと一緒にたっプリのオリーブオイルで炒め煮する。

香ばしい香りがしたら出来上がり。熱々をゆでたパスタにかけて青じその葉の千切りを添えるのが私流。




今回は、勉強会の中で、今シーズンの雲仙のジャガイモにかけていただきました。

エタリの塩辛は、いくらスローフード協会がほめたたえても、なかなか食べる人は少ないでしょう。でもこうしてエタリオイルを作っておけばいつでも使えます。

今度、このオイルを商品化してみたいと、夢は膨らむばかり!エタリの美味しさに惚れすぎて、エタリが私に乗り移ったようにも思えるくらいです。

エタリ〜〜、好きだよ〜〜〜!

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ちょっとしたこと 思い出もの 2018/05/20 9:03 pm

「これってあの時のものだな〜」ってもの、身近にありますよね。

30年近く前、静岡県下1市7町で行った地域塾用に買った、ミニリュック。

25年位前、掛川市で行ったまちづくり塾で訪ねた牧場の、宣伝マグカップ。

12年前SNS投稿サイトの編集長をしていた頃、北海道松前の地域ライターを訪ね、求めたシャモジ。

懐かしいだけでなく、今も現役で使っているものばかり。捨てられません!

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30年使っているリュックは、静岡の呉服町商店街のハンドバック屋さんで買った安いものです。

化学繊維でできた小型。ファスナーが少し怪しくて、ここ数年は端を安全ピンで止めていますが、今もスーパーに行くにはこのリュック。

新宿御苑に行くのもこのリュック。

いま、写真がないのここにお見せできませんが、おそらくあと10年は使えるでしょう。



このマグカップは、毎朝使っています。牛の絵がかわいいし、取っ手が私の手にしっくりくる。

だから、ず〜〜〜〜〜〜っと使っているわけです。

割れない、好きだから割らない、大事に使う。それで25年位です。

とても感じのいい、ご夫婦がやっている牧場。ソフトクリームも美味しかった。“しばちゃん”元気かな〜。あの牧場まだあるのかな〜?

「36景学びのバス」という、見学バスみたいなもので月に一回掛川市内のいいところを訪ねていた時に寄ったのでした。


「日刊ブログ新聞 ぶらっと!」というSNS利用の日刊紙のようなものの編集長をやっていました。

各県に地域ライターを何人かずつお願いして、日々、地域のことをブログ発信していただいていました。

そのお一人、松前町の飯田君、今もお元気で私とFacebook友達でいてくれています。

彼とは、そもそも、「半島ツーリズム大学」というのを松前でやった時、私のワークショップに参加してくれたのがきっかけで知り合いました。

その頃は男の子という雰囲気を残していたけれど、今や町会議員さんです。

確か、青森の地域ライターさんを訪ね、それから松前まで回ったのでした。

松前城を案内してくださって、(彼は今もここのガイドさんをしています)、お土産に「松前城」と書かれたシャモジを買ったのでした。

正確には木製の炒め物用ヘラですね。チャーハンや野菜炒めに活躍しています。文字はすっかり滲んでいますが、使うたびになんとなく松前を思い出すものです。


私の古ーい携帯についているストラップ。「瑞龍寺」とあります。

革製で、裏には火ふせの神様が型押ししてある。単なるお土産物風ですが靴ベラにもなるので、実に便利。丈夫で使い込んでいるうちにいい色にもなってきました。

横のペンダントは実は金属製のジグゾーパズルの一片がアクセサリー―になっているもの。これがないと、パズルが完成しないという、不思議な一片です。

いずれも10年くらい前の物かな〜。富山県高岡市へ、スローライフ逸品作りの研究会・ワークショップで通っていたころのものです。

あの勉強会で、どれほどの品物が発案されたか!いま、どのくらい残っているかなあ〜。

ま、残っていなくとも、研究し続けたメンバーの頭にはいろいろなアイディアや経験が納まったはずです。

これはまだ新しいもの。

2年前、長野県飯山市に通い始めたころ、生まれて初めて「かまくら」の中で、鍋をつついて一杯をしました。

こちらの防寒が手薄で、コートだけでした。熱燗を飲んでも追いつかない寒さ。

するとご一緒だった地元の方が、ゴソゴソと出してくれた。「女房がこんなの作るのが好きなんです。使ってください」と帽子とマフラーを出された。

真っ白な雪に囲まれた中で映えた水色のお手製帽子。マフラーとともに、この冬にも使わせていただきました。

あったかです。

いろいろな土地に行くたびに、何かしらの物が増え、「思い出もの」は増えていきます。

断捨離なんて流行していますが、こういう物は一緒に生きている感じで処分はできません。

100歳になった時「これは確かね〜、あそこでね〜」と語れるおばあちゃんでいましょう。

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。