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ちょっとしたこと 良いことの知らせ方 2019/10/14 1:31 pm

消費者活動、食品ロス問題、フードドライブ、三世代交流、防災、高齢者の場づくり、など。

大事な活動をしている女性たちが150人ほど集まる場で、発表をうかがいました。皆さんボランティアで頑張っています。

気になったのは伝え方、パワーポイントはもちろん、写真と文章の資料も大変、Facebookをしている人もわずか。この方々が発信力も身につけたら、と強く思いました。
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会合の名は「生活学校・生活会議運動 中部・近畿ブロック研究集会」です。

今回のブログは個人情報もあるので、写真は少なくしました。開催地は和歌山市内。

会場のホテルで、美しい杉のお箸で食事をいただいていると、各地から続々と女性たちが集まってきました。

主催は、公益法人あしたの日本を創る協会、全国生活学校連絡協議会、和歌山県生活学校連絡協議会。

普段、地域おこしの世界にいる私ですら、「生活学校??」と聞かれれば、すらすらと的確に説明ができません。




調べると“女性を中心に、身近な暮らしの中の問題を、学び、調べ、企業や行政と話し合い、ほかのグループとも協力し合いながら、実践活動のなかで解決し、生活や地域や社会のあり方を変えていく活動”とあり、1956年から始まっていま1100の生活学校があるそうです。

生活会議というものも一緒でしたが、ここではこんがらかるので説明を省きます。

そのブロック研究集会の助言者として、私はうかがったのでした。皆さんの活動報告をうかがっていると助言どころか、いたく感心するばかり。

「出前寸劇」で詐欺にあわないようにと啓発活動。大根一本を無駄にしない料理法の研究。中学生に地域の一員になってもらう「子どもと共に行う防災訓練」。親子孫が楽しく過ごせる「ふれあい広場三世代交流」。商店街にちょっと休める場や「高齢者おしゃべりサロン」を作る活動。などなど。

皆さん、お金をかけずに工夫して、良い活動を続けておいででした。

発表をうかがううちに考えました。こういう暮らしに密着した「良いこと起こし」が、こういう女性たちによって行われている。それは、誰から見ても大事なことで、応援したい取組ばかり。

でも、なぜもっともっと世に発信されないのか?!


いわゆるマスコミは、もっと華やかな、またはセンセーショナルな、事件性のあることばかりを追います。縁の下の力持ち的な良いことの動きは、たまに地方紙で小さく報道される程度。

本当は、こうした活動が日々発信されて、そこでどんなに人々が楽しく、人間性あふれる時間を過ごし、地域のつながりができるかが伝えられていいのに。

そう思うと、もったいない、残念、とばかり考えます。

しかし、現場の女性たちを見ていると、発信技術が身についてない。話すこと、紙にして的確にまとめ伝えること、写真や文章で分かりやすく訴えること、パワーポイントや動画でアピールすること。

こういうことまでは、なかなかできないものです。それは、炊き出し料理を作る、子どもやお年寄りとおしゃべりするのとは違う技術です。

ここが欠け落ちているように思いました。その辺のことは、今まで、行政の人がやってくれたり、私たち苦手、で済んできたかもしれません。でも、今や、よいしょとそういうことにもチャレンジしないと、良いことが伝わらない、良いことを広められない時代です。

ドローンも使い、活動をコンパクトな動画にまとめたところがありました。パワーポイントで報告したところもありました。お互いがこういう伝え方を教えあうことも大事でしょう。

予算が無くても、スマホでなんでも写真を撮っておく、動画で撮っておけばなおさらいいでしょう。まとめたりセンスフルにすることは、学生さんや若いメンバーに任せたり、行政に手伝ってもらったりで。

要は、自分たちのやっている「良いこと」を、常に知らせようとする態勢で居ることが大事です。

私もおばちゃんですが、何とかブログを書いたり、目をこすりながらFacebookをやっています。そうすると、だんだん伝え方が身についてくる。

伝えようと、発信すると、仲間が増える。活動が高齢化し後継者に困る、という悩みも消えていく。と思うのですが。

今回、私は「食を通して地域の様々な環境創りを考える」という話をしましたが、「食」は大事ということをまずは伝えるために、キャラメルを配りました。

長い研修でくたびれていた女性たちが、笑顔になり、隣同士で話をするきっかけになりました。あわせて開催地が桃の産地ということも知っていただきました。

知らせる、伝える、はどんな方法でもできる。まずは活動と同じエネルギーをかけて、発信することだと思います。

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ゆとりある記 ベンガラの里で 2019/10/05 2:38 pm

岡山県高梁市「吹屋ふるさと村」。銅山とベンガラの生産で栄えた街並みや、ベンガラ製造を学べる「ベンガラ館」などがある産業観光施設です。

これまで京都でベンガラ格子のある料亭などを見る機会はありましたが、ベンガラそのもの知る機会は初めてでした。

この真っ赤な顔料は、山深い集落に富をもたらしましたが、働く現場はなかなか大変だったようです。
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そもそもベンガラとは何か?をひもどくと、天然には赤鉄鉱として存在するそうです。旧石器時代の洞窟などの赤い絵がこれによるものだとか。

インドのベンガル地方で産出したことから、「ベンガラ」と呼ばれるようになったそうです。日本でも天然の物が古墳の石室の絵に使われ、神社仏閣の建物に塗料として使われてきました。

耐久性に優れていたからです。また赤い色が魔除けや再生の意味を持っていたともいわれます。

そのベンガラを、人工的に造ったのが岡山県中西部、高梁市の山間、吹屋の地でした。






もともと銅山でしたがその副産物である硫化鉄を使ってローハというベンガラの材料にし、これを焼いて酸化させて赤いベンガラを造ることに成功しました。

明治維新後は様々な制限がなくなって、民家の装飾にも使われだします。建築に使われる以外には、有田焼の赤絵などに使われ、ベンガラは日本中で求められます。

1700年代の初期から、吹屋は日本唯一のベンガラ産地として繁栄し続けます。標高550mというこの山村に、昭和の時代までたくさんの人が働き、多くの荷物、お金が動いたのでした。

当時を忍ばせる豪邸が並び、石州瓦の屋根が連なります。国の重要伝統的建造物群保存地区、いま、吹屋は観光スポットになっているのでした。

昭和40年代まで使われていたという工場が再現されて見学できるようになっていました。

どこもかしこもベンガラ色です。








なかなか工程は複雑で、簡単ではないのですが、手前右のローハというものが、やがて奥の赤みを帯びたものに変わっていくのでした。








ローハという材料を、「ほうろく」に朴の葉を敷いた上に盛り、それを窯の中に200枚位積み上げます。松の薪を燃やし、数日700度を超す温度を与えると、赤い色があらわれるのだそうです。







ベンガラとは「弁柄」と書きます。何とも綺麗な、鮮やかで、重みと温かみのある赤です。










窯の次の工程では、ベンガラを水で洗い、不純物を取り除き、水車の力で回す石うすで細かく挽くというもの。

そして、さらには酸を抜くために、何度も水をくぐらした後、天日で乾かし、さらに粒子を整えて、型に詰めて出来上がり。簡単に言えばこういう手順となります。




ベンガラは、一斤いくらという形で取り引きされたようです。工場から商家に移されたベンガラは、完成品として整えられ、蔵に保存されました。







柿右衛門の赤絵も、このベンガラなくしてはありえなかったのでしょう。










かつては黒くすすけていた民家も、明治以降はベンガラで赤くおめかしができるようになった。

色を使える自由さが、西日本の民家を鮮やかにしてきたのでしょう。







観光客はベンガラ染め体験などができます。

都会暮らしには珍しい、古来の色を持ち帰ることができます。








私は、こんなスカーフのプレゼントをいただきました。

赤い色と、グレーとが、ベンガラと山の土、窯の煙などを連想させ、使うたびにこの地を思い出すことでしょう。






情緒を感じる吹屋の町並で、観光をしながら楽しむのはいいのですが、ふと思います。

こうした産業の影には、必ず苦労した人々がいることです。ベンガラを造る工程図に必ず出てくるのが、女性の労働者。

ある人が語りました。「みんな上から下まで真っ赤になってね。それに身体もこわしてね〜」

硫酸が含まれる、煙や水、それにまみれて女性たちが造った美しい赤い色。

そんなことにも思いを馳せる、私たちでいたいものです。

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ちょっとしたこと 北千住に学ぶ再利用法 2019/09/30 11:34 am

足立区北千住、江戸時代は宿場町、いまや5路線が乗り入れるターミナル駅のある街です。マンションが立つ足元には古い建物が残り、便利で懐かしさもある穴場的なところです。

古い家を活かしたカフェ、昔の魚屋さんの氷冷蔵庫を使う街の案内所、古い店の壁に描かれたアート、ケーキの耳ばかりを安
く売る店など。

一度役目を終えたものの、活かし方を学べる街でした。
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北千住をぶらりしたのは8月のこと、暑い日のことでした。

駅前の大きなマンションの間に入り込むと、古い雰囲気が残る商店街が伸びています。







歩いていくと、江戸時代からの絵馬屋さんもありました。

なかの土間、座売りの造りに、昔の様子が想像できます。








もとは、家でしょうか?店だったのでしょうか?

知らなかったら通りすぎてしまうようなこっそり感でカフェがありました。







裸電球の下で、それぞれにゆっくりしているお客さん。

なんと、2階もあるのでした。









テーブルに備えられた本立てには古本が。それもなかなかに、センスのいいものが揃っています。

丁寧にいれられたコーヒーを飲みながら読み進むうちに、時間がトロトロと流れていきます。






昔のアンプやスピーカー、黒板、落書き。

この日咲いたのでしょう、朝顔が花開いた役目を終えて、ホッとしているように見えます。

こういうまちに、けっこう若いカップルや女子たちが訪れています。

この古民家カフェは、次々とお客様が。満席と聞いてあきらめていきます。

北千住ワールド、古くて新しいのでしょう。





街の駅という案内所もありました。

もとは魚屋さんだそうです。










ご案内のボランティアさんの横は冷蔵庫。

もちろん氷は入っていません。今は、販売品やパンフレットの在庫や、服もしまうクローゼット代わりになっていました。






トイレも冷蔵庫と繋がっている!

ビックリハウスみたい。










黒ぐろしたトタンの店。いつか何かに使われそう。

近くには木の壁に大きな猫のイラストも描かれています。








壁のヒビの修復が、面白い模様になっている家。

この壁を使って、あみだくじができそうです。なんだか古いものなんでも使えるように思えてきました。

そして極めつけがこれ。お菓子屋さんですが、アウトレット専門店。ケーキの切れ端が多量に安く売られています。

クリームたっぷり、ロールケーキの耳も。どら焼きの皮だけも。ここは開店前に行列ができるのだそうです。

次回は、写真など撮らず、まっしぐらにここに来ましょう。

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ゆとりある記 珈琲サロニカ 2019/09/23 9:48 am

岡山県新見市のこの喫茶店、微細に挽いた珈琲豆を濾過せずにお湯で煮てとろりとしたものを飲む、ギリシャ珈琲なるものを出してくれます。そのお点前の面白いこと。

さらに「店主へ話しかけると話が止まらなくなります。ご用心」などの“お願い”がメニューに記載。なので、つい、話しかけてしまいます。

でも、倉敷にあった初代サロ二カからのお話は、うかがう価値ある物語でした。

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新見市街地から少し奥まったところ「隠れ家的な店があるのよ」と、この日訪ねた大先輩が連れて行ってくださいました。

どんなお店だろう?とついていくと純和風のおうちに隣接して、これもまた和の雰囲気の小さなお店がありました。




「珈琲サロニカ」、ステンドグラスの灯りが落ち着く店内です。

「このお店に来たら、これを飲んで!というメニューがあればそれを」と失礼な頼み方をすると、お店の奥様が「ギリシャ珈琲というのはいかがでしょう?」と。


迷わずそれを頼みました。


「ミルで最細挽きにした後、さらに、手動で真鍮製のグラインダーを使って極細にします」とメニューを読めばわかるのに。

カウンターの中で何か不思議な所作が始まった!と私は駆け寄ります。そのグラインダーで、ぐりぐりとご主人が粉をさらに細かくされています。お濃茶を練るよな手つき、まさにお点前のよう。


その後、可愛い片手鍋に珈琲粉、ビーカーで測られた水、砂糖、レモンの皮が入り熱せられます。

沸騰寸前で火からおろすをくり返し、最後に茶こしでこすと出来上がり。






小さなカップの底に、当然粉はたっぷり溜まるのですが、その上澄みをそろりといただく。

濃い。珈琲の香りと味が顔中に満ちて、耳から噴き出すみたい。

ママレードがひとさじ、ご機嫌を取るかのように添えられていて、濃い珈琲味を途中で和らげてくれます。


ご主人がグラインダーを見せてくださいました。

重いです。

「だから、粉をするのに力はいりません」とのこと。こんな道具があるんですね。





おしゃべりしながら、じわりじわりとすすっているうちに、最後の粉だけになりました。

これをまた首をそり返して、最後の一滴も口に入れたい、となります。






この「ギリシャ珈琲」を出すようになったいわれを話してくださいました。

ご主人は中学校の先生をされていましたが、そもそも先生になれなかったら喫茶店をしたいと思っていたそうです。

お仲間が集まる喫茶店が倉敷にあってそれが「サロ二カ」、このギリシャ珈琲を出されていたそうです。事情があり倉敷のお店はなくなりましたが、定年し、お店を始めるここのご主人が、その名と味を受け継いだというわけです。

珈琲についても学び、試行錯誤を繰り返し、倉敷の「サロニカ」の方にも試飲して頂きOKとなったとのこと。それほどの重さを持ってつくられるギリシャ珈琲だったのです。

ステンドグラスのランプやドアのカウベルなども、倉敷から受け継いだとのことでした。

「珈琲好きにゆっくりしていただきたい」というこのお店には、“ゆっくり”の仕掛けが満ちています。

どうしてもゆっくりしたくなってしまう椅子とテーブルは、業務用ではなく普通のおうちのリビングなどに使うもの。だからくつろげます。

テーブルの上には万華鏡や、いたずら小箱。そして季節の花、この日は吾亦紅など。

そしてメニューにある「お願い文」これが愉快です。「ケーキ、お菓子、おやつ等に類するものは自由にお持ち込みいただいて結構です。もちろんお持ち込み料は無料です。ただし、店主へのお気遣いから、店主にご用意されることのないよう、よろしくお願いします。中性脂肪が若干高めとなっております」



さらに続きます「店主への話しかけは、必要最小限にとどめられることをお勧めします。安易に話しかけますと、話が止まらなくなる恐れがございますので、ご用心ください。それでも話しかけてみたいという好奇心と勇気をお持ちの方には、昔話・笑い話・怖い話・くだらない話・手品等、そこそこ取り揃えております。無料です」



こんな「お願い文」を読んだら、誰もがクスリと笑い、話しかけたくなっちゃいますよね。

珈琲にもいろいろあります。100円でコンビニで買いサッと飲む珈琲。混んでいてテーブル越しに会話の声も聞こえないなか、あわただしく飲む珈琲。外に行列ができていたりすると、東京では、お金だけおいてとっとと帰れと、という雰囲気まで。なかなか珈琲と“ゆっくり”はセットで体験できません。

ご主人と奥様がニコニコしながらおっしゃいます。「お客様の回転や、利益率を考えるお店では、それが大事なわけで。それはそれでいいと思います。うちは私たち自身が“ゆっくり”したいんです。だからこういう店なんです。」

「サロニカ」とは、ギリシャの港町の名だそうです。ストレス一杯の世間の荒波にもまれて疲れたら、新見のこの店にしばし錨をおろし、ギリシャ珈琲の味とともに、ここで“ゆっくり”を補充して、また旅だちましょう。

大先輩が私をここに連れてきてくださったのは、そういうことだったのかもしれません。2時間も話し込んだころ、「昆布茶もどうぞ」と、備前焼の器が運ばれてきました。

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ゆとりある記 オープンガーデン 2019/09/16 1:23 pm

各地でオープンガーデンが盛んです。個人のお庭を一般に開放する活動。42軒が参加の長野県須坂市で、小林友子さん宅に伺いました。

秋で花は少ないものの、庭のあちこちにベンチや水の流れがあり、来客がゆっくりできるようになっています。特産のフルーツを使ったお茶も。

「私はとにかく人が好きなの」と小林さん。庭だけでなくオープンハート活動なのだと思いました。
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JR長野駅から長野電鉄で20分ほどで須坂駅。駅前には花壇があり、ここが花でまちづくりを進めていることを主張しています。









中でも目を引くのは「信州須坂オープンガーデン」の活動。市民と行政とが協働ですすめ、今年で15年目だそうです。

参加しているお庭はパンフレットにエリアごとに整理され、マップも詳細でこれなら個人でこのパンフレットを頼りに回れるなあ〜と思いました。



今回は一軒のお宅を見せていただくだけ、ゆっくり来るのはまた今度です。

うかがったのは一見純和風のお宅。ところがお庭は洋風なのでした。






うさちゃんの置物と「ウェルカム}の看板が。

ごめんくださいと入ると、このお庭の主、小林さんが「いらっしゃ〜い」と現れました。







細やかな説明が始まります。「ここのレンガも私がやったの。もとはこの庭は純和風だったんだから〜」

ビックリです!バラを中心としたイングリッシュガーデン風なのに。







「子育てが終わってね、一段落で何かしたくなったの。それまで庭なんて興味がなかったのに、たまたま本屋さんでガーデニングの本を見つけて。それから急に燃えちゃって」

庭石を配し、池があり、芝生の広がる日本庭園をどんどん変えていったのだそうです。



道に面しているので外を行く人も楽しめるように、バラはからまり、リンゴも実っています。










小林さんがいなくてもわかるように、植物にはほとんどすべて名札があります。

しかも庭を邪魔しない、グリーン。








バラをからませる垣根は、建築資材を活用したもの。

あれもこれも手づくり、見ているだけで庭造りのノウハウが分かります。







チョロチョロ音をさせて水が流れる装置が合ったり、まろやかに流れる水を眺める装置があったり。

ご主人も定年退職後、奥様のガーデニング熱に巻き込まれていったそうです。






ふと見るとテーブルと椅子がある、だから落ち着いて庭を楽しめます。










「お茶どうぞ〜」と小林さんの声。

フルーツのまち須坂のリンゴやブドウが、たっぷり入ったお茶です。きけば果物に熱湯をかけて一晩おくとか。果物の甘さと風味がでた独特の飲み物。

美味しくて3杯もいただきました。




「日本全国から来てくれるんです。年間?数えたことないけどバスで来る方もあるから2000人位かなあ」

そのいらした方々を写真に収め、コメントをつけてファイルにするのがご主人の役目。ファイルはここあるのはごく一部、膨大になります。



そんなに人が来て、普通ならプライバシーがないとなりますが、「私、人に会うのが好きなのよ〜」。海外の方もみえるそうです。やたらな観光施設よりずっと集客力のあるお庭ですね。

やることがあって、人に会い続けているお二人の若々しいこと。






我が庭と抱え込まないで、外の人を常に意識する、さらに我が町をいいところと思って帰って、また来てほしい・・・と語るこういった市民が育つこの仕掛けは、全国に広がるといいと思います。

庭を開けば心も開く、そしてまちも開けていくということです。


帰りがけに「ブドウをつまんで行ってよ」とご主人。いつまでも甘酸っぱいさわやかな味が残りました。

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お仕事 かたつむりの哲学 2019/09/09 9:43 am

「竹田かたつむり農園」、雲仙市国見町と島原市有明町に畑を持つ農園。大量生産、大量流通に適したように、品種改良された野菜でなく、その土地在来の固定種の野菜を種から育て、種を採り、という種どり農家です。

「ゆっくりと確実に持続性のある農業をしたい。カタツムリの渦は循環を表しています。」と農園のロゴマークを説明する竹田竜太さん、真理さんのお話を聞きました。

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「竹田かたつむり農園」のことは以前にもご紹介したことがあります。でもまた今回お話をうかがってどうしても書きたくなったのでした。
こちらが以前のブログです。
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=483&date=201809



今回は、雲仙市で進行中の「雲仙人(くもせんにん)プロジェクト」の中で、雲仙市で頑張る人の話を聞くサロンでした。

竹田さんは雲仙市国見町と島原市有明町に、合計田んぼ六反と畑六反を抱える農家です。「60品目以上の野菜を、約9割は種どりで作っています」とのこと。サロンのテーブルには、竹田さんの採ったいろいろな野菜の種が瓶に入って並びました。野菜の種など、スーパーにも売っていて珍しくないと思いがちですが、売られているもののほとんどはF1という一代で終わってしまうもの。効率的に作物を作るために、今の農業は種もできない野菜を作るようになってしまったのだそうです。


そもそもなぜ竹田さん夫妻は種どり農家になったのか?もともと竜太さんの実家は国見町で40年来イチゴやメロンを減農薬で作る農家。竜太さんは教師をしていましたが、父親が元気なうちに、と帰り、家業を手伝います。「なんとなく親父のやっている農作業になじめなくて、合わなかったですね。モヤモヤしながら手伝っていました」

同じく教師だった真理さんと結婚し、新婚旅行の時、たまたま宿にあった雑誌に雲仙市吾妻町の種どり農家・岩崎政利さんのことが載っていました。「食い入るように読みましたね。地元にこんな素晴らしい人がいたのかと驚きました」早速、竜太さんは岩崎さんを訪ね、「食べてその美味しさに感動しました。そして岩崎さんの種にまつわる哲学やロマン、ストーリーにも感動して、こういうことが持続可能な農業なんだと思いました」と衝撃を受けます。


真理さんの応援もあり、竜太さんは新規就農制度を利用し、研修を経て独立、いま3年目になります。竹田さんの畑は水道、潅水施設のない畑。そこで農薬・除草剤を使わずに有機栽培で作物を作るという厳しい農業です。

「だから自然を味方にしないとできませんね。種をまくタイミングなどは、月の満ち欠けを見ながらです。引力で水分が上下するのでそれを利用する。定植もそうです。僕が野菜を信じてやっているので大丈夫、真夏に10日間雨が降らなくても定植します。種を大切に農業やっていると、少々の環境変化も野菜は平気、強いと分かってきました」




普通の農家と違うのは、生産から販売も自分でやっていること。「パンフレットのデザインや野菜の食べ方の説明、SNSを使って日々の発信など、そういうことをすべて妻が広報としてやってくれているので助かります」と竜太さん。

そのSNSで「明日は野菜の販売日!」と告知しながら、真理さんは毎週近くのレストラン横の駐車場で販売をしています。(毎週火曜日12時30分から15時、島原市湊新地町450−1 洋食と喫茶「コスタ(升金の蔵)」横駐車場で)常連さんは増え、セット野菜の宅配や、夏場のレストランへの宅配なども定着してきたものの、まだまだ経営は厳しいとのこと。


「でも経営よりも大切なのは将来、100年先も続けられる農業を目指すことなんで、教育活動に力を入れています」お二人とも教員だったことが幸いし、そのネットワークで野菜を育てる指導を子どもたちにしてほしい、と依頼があるそうです。近くの保育園と契約して種から蒔いて種まで取るという活動。年長さんが種を採ったら、その種を翌年の年長さんが蒔くという具合です。夏は平家キュウリ、冬は三浦大根とコブ高菜。「小さい頃から本物野菜を食べて、覚えてもらい、味覚を育てたいんです」

高校や養護学校、長崎大学との交流も。ジャガ堀体験、稲刈り体験なども。伝統野菜、種どり農家のことをそもそも皆が知らないので、理解には時間がかかります。「それにジャガ堀でも、今掘れるというときと、天気と、お客様と、3つの都合が合うのが難しいんです」と真理さん。


「日本は戦後負けてアメリカナイズされて、人口的に作ったF1種が世の中の野菜や稲となりました。東北でも東京でも大根はすべて青首大根なんて嫌じゃないですか」と竜太さん。種を守ることは地域の伝統文化も守ることになる、と語ります。

で、どのように種を採るのか説明がありました。例えば、大村の「黒田五寸ニンジン」。長崎の出島にオランダから400年前に入って来て、以前はニンジンといえばこれだったのが、割れやすい、日持ちしないということで日本中がF1の物ばかりになりました。「黒田五寸ニンジンは、糖度も高く風味があり、一番美味しいと思うのですが。うちで12月からは販売しますから食べて見てください」


ニンジンはセリ科なので綺麗な花が咲く、写真を見せていただき皆からため息が出ます。「うちのニンジンの花にはミツバチやいろんな虫がたくさん来ますよ」花の後にできたさやも見せてくれました。梅雨時にハサミを入れて、2カ月乾かしたものです。振ると種が落ちる。その種には細かい毛が生えていて、そこ産毛が水分を吸って発芽するものの、種まき機では邪魔になる。なので手で揉んで毛を落とす。

「これを師匠の岩崎さんは種を“あやす”といいます。この種嗅いでみてください」とニンジンの種の入った瓶が回りました。さわやかな強い香りがします。ニンジンの種を、初めて見ました、嗅ぎました。


しかし、全部から種を採るわけではありません。これが大変なところ。一度ニンジンを収穫するために抜いてみて、その中から種を採るべきものを選び、その選抜された一度抜いたニンジンを別の場所に植え直して、そこで花を咲かせ、種を採るのだそうです。他の物と交配しないように石垣のあたりに植えるのだそうです。

形のいいのを選ぶのかというとそれもまた違う。「人間と同じです。エリートばかりじゃダメなんです。スマートなのもの、がっしりしたもの、いろいろな物を選抜して種を採らないとやがて絶えてしまう」なるほど、これが種どり農家の思想なのでしょう。収穫以外に、種を採るための畑がまた必要なので、広くないとできないのだそうです。


雲仙を代表する固定種のコブ高菜は、戦後中国から持ってきた種、コブができるのが特徴で持ってきた方が「雲仙コブ高菜」と名付けたそうです。それが、やはり収量の多い他の高菜に負けて消えて行ったのを、岩崎さんが種を探し出して復活させたそうです。絶えないようにプロジェクトチームを作って栽培し、漬物にし、皆で取り組んでいるそのことをイタリアのスローフード協会で発表したところ賞をいただいたのでした。

「雲仙コブ高菜は漬物だけじゃなくて、むしろ生食に向いています。焼いてもいいし、スープにしても美味しい。コブのところが特に美味しくて天ぷらにいい。種は辛いのでマスタードになります。とにかく生命力が強いんです」現在、少しこの漬物の活動の勢いがなくなっているのが心配、という声が参加者からありました。「高菜という名だったので漬物にしがちですが、雲仙菜なんて名前だったらもっと全く別の展開でこの野菜は広がったと思いますね」と真理さん。


なるほど、高菜は漬物にするという思い込みを一度外して考えれば、昔からの野菜も新しい出番があるはずです。「うちはこれからも大事に作っていきますよ」と竜太さんは自信をもって言います。食べる側が漬物以外の使い方で、栄養野菜として柔軟な発想で使っていけばいいんですね。

試食にいただいた“「福島カボチャ」をオーブンでただ焼いただけ”の美味しいこと。実に甘い!「このカボチャ、大きさがちょうどいいんですよ。家族の人数が減っているので小さめで」と真理さん。「万願寺しし唐」もスイカも甘酒も、美味しくいただきました。とにかく味が濃い。

竜太さんが先日東京に行って種どり野菜をプレゼンテーションした時に、専門家から「主役は野菜、あまり調理せずに素材の味をそのまま活かして食べたほうがいい」というお墨付きもいただいたそうです。


今後は?の質問に、「いまは2人なので、将来は何人かでシステム化して、たくさんの方にセット野菜を提供し、安定した暮らしをしたいです。今も日曜は休みにしていますが、若い農家の目標にならなくちゃと思います」と竜太さん。

「皆さんに種どり野菜のすばらしさを、感じて、体験して、買って、広めてもらいたいです。野菜の値段を考えるとそれだけでは経営的に無理。国見で古い土間が残っている家があるので、そこを拠点に観光農園というわけではないですが、畑をめぐってもらい、そこでストーリーを話しながら団体さんを案内して、作業体験もしたり、野菜料理を学んだり、そんな場を考えています」と真理さん。


お2人の農園を支えるにはどうしたら?との参加者の質問に「うちの野菜を定期的に買っていただき、料理して食べてほしい。今、皆が料理をしなくなったから、もう一度丁寧に、こころをこめて料理してほしい。それが健康な日本社会を創ると思う」とのことでした。

クール便で個配は送料が高くつくので、5セット分を1つでまとめて頼む方法があるそうです。これなら5家庭で分ければ送料が安くなるので安心。そのチラシと、野菜を皆がいただき、買い物して帰ったサロンでした。

近い将来、種どり野菜ツーリズムとして、全国から竹田さんの野菜を食べに、人が来るようになるはずです。種のストーリーを聞き、味覚をを育て、100年先も続く農業をかたつむりのようにゆっくり一緒に作っていきたいものです。
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ちょっとしたこと 炭と羊と 2019/09/02 1:12 pm

北海道池田町で二人の女性と会いました。

家業の炭屋を結婚後も続けていたものの「自分の好きなことをしたくて」と“魔女の炭屋”の名で、カフェと炭のアレンジメントを売る店を始めた方。

もう一人「羊と羊毛に魅せられて」関西から十勝の地へ移住。羊の毛をフエルト化させて、部屋を丸ごと包み込む巨大な現代アートを作る方。

池田町の自然の中で、ともに大きくのびやかでした。

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炭屋さんを突然訪ねると、計良文子さんはわざわざ出先から帰ってきてくれました。










「みてみて炭を出すときにはこんなに真黒になるの、これが私でこっちが孫!」店内の大きな写真で説明が始まります。









日本最大級の炭焼き窯を持つ本郷林業が本来の家業ですが、計良さんは「だた炭を売るだけでなく、もっといろいろなことをしようと思って。私、魔女が好きなの。何でもできる、私も魔女になろうと思って」

ここを「魔女の炭屋さん」と名乗るようになります。花も割り箸も炭になって、美しくアレンジされて売られています。

和歌山から指導者も招いて備長炭の作り方も教わり、「十勝備長炭」を作ったそうです。茶会もやりました。

さらに今は、その炭を体験プログラムにして、炭焼き窯に入ったり、炭を使って名物「豚丼」を作ったり。そんなことも始めました。

「この前来た外国のお客様がすごく喜んだの」


細かい炭の量り売り、木酢液の暮らしのなかでの使い方アドバイスなど。燃料の炭が、計良さんの発想でおしゃれなものに変わっています。








カフェの上は計良さんのアトリエ。「この上からの見る下の眺め、いいでしょう」

これから炭を使ったいろいろな教室や体験、おしゃべりがここで展開されていくのでしょう。






計良さんの後ろでは、90歳のお父様が分厚い本を読みながらコーヒーを飲み、お母様が届いた長なすを私に見せてくれます。

「父の頭の中はアイディアがいっぱい詰まっているの、若いですよ。母は肌の手入れに木酢液を使ってるんです」

う〜ん、魔女の家族は知的でお若いのでした。


続いてうかがったのは「スピナーズファーム タナカ」というお店。花に囲まれた可愛いお店の裏には草原が広がり、たくさんの羊がのんびり草を食んでいます。

お店のなかは、羊一色。羊を学ぶいろいろな貼り紙やコメントはトイレの中まで。そして、羊の毛を使った小物から毛糸、織物、編み物。可愛いもの、素敵なものがたくさん並んでいます。

この羊の形のブローチを作っている人に、会いたかったのでした。村上知亜砂さん、こうした小物も作りますが、本当の作品は大きくそしてアートなのでした。








お店の隣の棟に作品があると聞いて入ると、びっくり!

羊の毛が薄く漉いた和紙のように、レースのように繋がり広がり、そこに藍や玉ねぎ、セイタカアワダチソウで色が入り、これまで見たことのない、不思議な作品が展示されていました。

作品の力強さと奇妙さに比べて、ご本人は実に控えめに笑います。

もともと大阪の人だったのが、美術系の学校に行き、棕櫚やからむしなど、繊維類に目覚めていったそうです。

そしてバイクに乗って全国を旅していた時に、十勝に出会う。そして羊と、羊毛に魅了されたのでした。




そして、北海道に移住を決め、札幌を経て、だんだんと夢をかなえ十勝へ、池田町に住むようになりました。

「その間、このスピナーズファーム タナカを始め、この土地の人たちに本当にお世話になったんです。今もお世話になっています、みんな本当にいい人たちで」



「今住んでいるところが広くて安くて、大きな作品を楽々作れます」村上さん、普段は事務の仕事をしながら、住まいに戻れば羊毛にまみれて創作の毎日なのでした。

人を包む、部屋を埋める、壁を丸ごと覆うような羊毛作品は、これまで全国各地の現代アート展に出展されています。





これほど羊毛を使う大きな作品を作り続ける以上、彼女は池田を離れないでしょう。「広い空間が手に入るだけでなく、羊がたくさんいて、毛も安く手に入るんです」

いまチャレンジしているのは、舞台衣装。これはレンタルドレスになります。

そして「清見染め」。池田の清見に湧く温泉を媒染に使い、地元の草で染めた羊毛で小物が試作されていました。池田の新しいお土産が生まれそうです。


お二人に会うと、まちづくりなどは、女性たちのやりたいことをただのびやかに実行させてあげれば、それで転がっていくのではと思えました。

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お仕事 むらフェス・夏まつり 2019/08/26 1:34 pm

那須塩原市の旧金沢小学校で、古い校舎を使って地域づくりを進める動きが始まっています。このほど夏まつりを手作りで開催しました。

地元野菜たっぷりの「ば〜ばカレー」や古い手回しかき氷機での氷の販売、アコーディオンが得意の方の演奏で歌声喫茶、縄文時代の土器・矢じりコレクションの展示、軽トラックを櫓に盆踊り、など。

いずれも元気なシルバーが大活躍でした。
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8月25日(日)閉校している旧金沢小学校が朝からなんだか賑やかです。










校舎の中の教室には、「142年間ありがとう」の文字が残っているのに。










草の茂っていて校庭は、朝、地域の方の労働奉仕で綺麗にされ、竹が組まれて「盆踊り会場」の看板が立ちました。





















この冬「むらフェス」と称して、ここで一回目の催しをした「あつまっぺクラブ」。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=501&date=201901

この日は2回目のフェスです。ここまで来るのに、何度もこの校舎内でミーティングしてきました。

スタート前の打ち合わせです。これから始まるのですが、何日も続いた用意で皆さん少しお疲れモード。

「あれ、プリントが足んない?」「ま、いいや」「わかるわかる」

そのプリントには役割分担が「ひいちゃん」「よしおちゃん」「たかお先生」など、普段、みんなが呼んでいる名前が書かれています。思わず笑ってしまいました。





さあ、お客さんが来始めます。焼きそばなどが湯気をあげ始めると、おばちゃんたちはスイッチが入ります。









地元野菜がいっぱい入った「ばあばカレー」も出来上がり。「ババアじゃないよ、ばあばだよ」と念を押されて。









教室にはいろいろな展示もあります。手芸、写真、絵画、俳句。今回、私が惹かれたのは、この地から出土した土器や矢じり、石器。

縄文時代すでにここには人が住み、この矢じりで獣を獲って暮らしていたのです。ついさっき作ったような矢じりに、心が躍りました。




懐かしのアコーディオンの音色で唄う教室も。これがスローないい音なのです。久しぶりに大声で唱歌を歌いました。









新住民が多い地区の方々が売る「ぶっかけうどん」や、近くの那須拓陽高校の生徒さんが育てた大豆・おから入りのケーキを食べていると、楽団の演奏も始まります。

おじちゃんたちは芸達者です。






体育館への渡り廊下では、米ぬかにEM菌を混ぜて肥料を作るワークショップも。

糠の手ざわりに子供たち大喜びです。







古い古いかき氷機を、誰かがどこかから見つけてきました。私が小さい頃は皆こんな手動のものでした。

「どうだ、歳はとってもちゃんと働けるだろう〜」と声が聞こえそうです。





さっきまで焼きそばを作ったり、ジュースを売っていたおばちゃんたちは、浴衣に着替える時間はありません。なのでフラダンスのいでたちで盆踊りへ向かいます。









塩原音頭が流れました。「踊れないよ〜、忘れちゃった」と言っている端から、なんとなく手足が動き踊れるようになります。思い出していきます。

久しぶりに輪になって踊る時間。これで終わりとなったら、アンコールとなりました。

お金をかけた大規模な夏のイベントが多い中、ここの夏まつりはささやかな、あちこち笑える失敗だらけの超安上がりの手作りイベントです。

それでも、こんなにシルバーたちがはしゃいで動いている姿を見ていると、何処よりも大きなイベント効果があったような気がしました。

ワークショップで出したアイディアを実現した宇都野・金沢地区の皆さん、ド元気なシルバーとともにプランを考え実現していった若いお母さん・お父さん、子供たち、皆さんもお疲れ様でした。

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お仕事 花とは何かを教えられ 2019/08/18 4:37 pm

群馬県中之条町は花と湯のまち、「中之条ガーデンズ」を始め様々な庭園があり、「四万温泉」ほか温泉も豊富です。

さて外から来て、ガーデンで花を愛でる目を即席に養うと、町内の“目を引く魅力的なもの”は、皆“花”“華”?と思えてきます。

地粉で打ったうどん、漬物、アイスクリームも頑張る人も。まちをキラキラ彩る大きなもの、小さなことが花なら、まちは花束なのですね。
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中之条ガーデンズにうかがったのは7月22日、まだ雨が続いている時期でした。

12万屬旅大な園地のなかに様々な庭があるので、ガーデンズなのだそうです。

昨年リニューアルしたばかり、雨でも花好きの私はワクワクです。



著名なガーデンデザイナーによるという、バラの園が次々と続きます。映り込むのは、紅いバラの花かと思うと金魚だったり。

鋭角に切り取られた遠くの緑が、ただそれだけで美しいと感じられます。





中心にあるのが、渦巻き型の高床式花壇。花壇というと赤やピンク、黄色のどこにでもあるような花苗が植わっているのに慣れている者には、一見地味にもみえます。

でもこれがおしゃれで品のある都会人好み?のものなのかも、あえて野草の花壇のような雰囲気です。渋い色や、地味な花も、花なんだと気づきます。


一方こちらはガーデンズのなかの町民花壇。急に植わっているものが変わります。おなじみの花や植え方、さっきまでは少し爪先立っておしゃれぶっていた花壇だったのが、庶民的に。

いろいろな人やグループが、テーマを決めて植えて管理している。肩の力がふっと抜けました。



タイトルは“ふるさとの絆”「花あり、温泉あり、歴史あり、なかんじょう」と。地元では、中之条をこう呼ぶのでしょうか?

“里山の季節の移ろい”のタイトルの花壇、「美しい里山の再生を図りたい」との願いが書かれています。

“花のワルツ”の花壇「やさしい音楽が聞こえてくるようなお庭に」と。どんな人が考えた花壇でしょう。人柄が伝わってきます。

一つ一つ見るのが楽しみです。考えた人、植えた人、それぞれに会ったような気持ちになりました。

私は町民ではないのですが、ここに花壇を持ちたくなりました。通い花壇はできないかなあ〜。

花壇や花もいろいろだ、と思うと、景色のなかの芋畑も花壇にみえてきます。

花はなくとも、葉が綺麗。澄んだ空気の中の景色はそのまま“花”です。

そうか、心惹かれる魅力的なもの、ことは皆“花”と思おう。“華”と書いた方がいいのかもですが。


となると、お昼にいただいた、畑の中の一軒家風のお店の地粉の手打ちうどんも“花”。

「この辺りでは、腰の強いうどんではなく、ふわっとした柔らかめのうどんが好まれる」と近くの方が解説してくれます。

昔はどこのうちでもうどんを打ったのだそうです。


竹の籠に摘み取ったブルーベリーも“花”。











地元の高校生が育てたキュウリで、漬けたお漬物も“花”。











色とりどりのアイディアアイスクリームも“花”。











味噌屋さんで売る、塩こうじジェラードや味噌ジェラードも“花”、それを考えて頑張って売るご夫婦も“花”。









赤松を削った厚手の経木で作った「メンパ」も“花”。











歩道の照明オブジェの足元に、育った苔の緑も“花”。











古い味のある看板も“花”。












地元の人たちが花を飾って手入れをしているこの駅の壁も“花”。















駅にたくさんつるされた風鈴も“花”。そこに書かれた地元小学生のメッセージも“花”。

・・・・・・・・・というわけです。






どんな小さなことでも魅力的な“花”と気づけば、それを束ねれば花束になります。

そもそも花そのものも、小さな花弁がいくつも集まって花になっている。その地域の“花”に気付くことができれば、まさにどこでも“花のまち”になれるはずです。

「気遣いができるような大人になりたい」と小学生が書いた風鈴の短冊。これを私は「いろいろな“花”を見つけられる大人になりたい」と読み替えました。


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お仕事 明治のリゾートを今に 2019/08/12 12:16 pm

明治時代の初期から、日本の観光地には外国人が訪れるようになりました。雲仙温泉も同様、椅子式のカゴに乗って避暑にやって来たそうです。

森の木陰にテントを張ってのパーティ―、池での優雅な舟遊びなど、外国人のリゾート文化はいち早く雲仙に伝わったのです。

そんなお洒落な賑わいを再び作ろうと、若者たちが始めた「雲仙三角フェス」、今年で3回目となりました。
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長崎県雲仙市、標高700メートルにある雲仙温泉。ここの「雲仙お山の情報館・別館」には、明治時代、外国人が乗って来たという椅子に担ぎ棒を取り付けた「チェアカゴ」が展示されています。

陸路、あるいは船で、小浜辺りまでやってきて、最後の雲仙温泉までの上りはこの椅子に座って外国人女性などは避暑に来たのでしょう。

今でも夏の朝は、半そでではひんやりする雲仙温泉です。それでいて、「地獄」と呼ばれるあたりから、高温の温泉があり余るほど湧いている。夏をゆっくり過ごすにはぴったりだったはずです。

展示されている写真には、天幕を張って、その下で飲食を楽しむ外国人客が写っています。

ワインと瓶ビールを飲みながら、子どもたちも加わって食事が始まる?ところでしょうか。

外国人客が増えて、洋式のホテルもでき、だんだん道路も整備されていきました。明治44年には、「特に夏期英語の堪能な巡査を配置し外国人避暑客の便宜を図るようになった」と展示にはあります。

その後、ゴルフ場、プール、テニスコート、娯楽館などができてピアノやチェスなどもそろえられたそうです。


いつの時代の観光案内地図でしょうか?日本語と英語です。

よく見ると、人は外国人が描かれ、乗馬やテニス、ゴルフ、ハイキングなどを楽しんでいます。

この案内を見る限り、雲仙温泉をちょと見て、または1泊して、次の名所旧跡に移動、という周遊観光が行われていたとは思えません。

雲仙温泉に来たならば、滞在し、ゆっくりといい時間を過ごしている。そんな外国人観光客の姿が見えてきます。

そんなリゾート地だった雲仙温泉が、いつしか観光地になってしまった。名所を見て旅館に泊まってご馳走を食べればそれでいい、さっさと帰る。高度成長期の日本はそんな観光地を全国に育てたのです。

「明治時代のこの写真のように、自然のなかでゆっくりする、そんな雲仙温泉を取り戻したい」温泉場の若い人たちが立ち上がり、繋がり、クラウドファンディングなどでお金も集め、ボランティアで最初のフェスは行われました。

山の日にちなんで、山を表す△がつきます。「雲仙△(サンカク)フェス」、正しくはアルファベットで表記されます。

第3回目のこの日、車を降りてシャトルバスに乗ったとたん、たくさんの小さな子ども達と一緒になりました。

そう、このフェスは、音楽を楽しむだけでなく、森の中で子どもが遊べる仕掛けもあるのでした。木登り、けん玉、弾力のあるベルトを綱渡りするスラックライン等々。



おやおや、森の中に可愛いぼんぼり?照明?近づくと紙皿を繋いでできている!

すごい発明、目からウロコ。いったいいくつ、いったい誰が、いつ、どのくらいの時間をかけて作ったのでしょう。





この矢印もチャーミング!場所によってどちらにでも使えるように工夫されている。しかも矢印がくねくねで、「GO—−!」でなく、「ゆるく行ってね〜」と呼びかけている感じ。

付けられた木にセミの抜け殻が。いまやミンミンとこの森で鳴いてフェスを盛り上げているのですね。


昔の外国人客が、テントの下で和服ではしゃいでいる写真。この時代はリゾートといっても、お金持ちの人が遊び、地元がそれに対応し、かしずいてもてなしていました。

「チェアカゴ」を担いだ人に、森でゆっくりする時間はなかったはずです。

でもこの△フェスでは、準備から既に、地元の人も手伝う人も楽しんで、大変だけど活き活きとある意味リゾートをしているのです。紙皿ぼんぼりや矢印からそれが伝わってきます。

現代の本物リゾートは、いい時間を地元も来訪者も一緒に作り上げていくことにあると気づかされました。

△フェスのテント?旅館の古いシーツかな?その下では参加できるワークショップがいろいろ。

森の風を感じ、セミの声といい音楽を聴きながら、普段したことのない体験ができます。






小浜の「アイアカネ工房」さんのテントでは、手ぬぐいの藍染ができました。ビー玉をくるんで絞りにしたり。

参加者は、藍の力に驚いたはずです。藍が食べられることも初めて知ったかも。





クイズもあります。

「ジオパーク」なんて言うと難しいのですが、大昔の大地の動きで、今の具体な何に繋がっているかが分かるというもの。

愉快に学ぶのと同時に、知らない人が仲良くなっていきました。




森の中でコンサート。驚くほど音響がいい、上質です。

好きなところで好きなことをしながら、みんなが聞いています。

木陰っていいなあ〜、と久しぶりに感じました。





外国人客は何を食べたのでしょう?

私は地元のジャガイモが入った蒲鉾「ジャガボコ」と、まるゆでジャガのフライ。








そしてオフィシャルショップで買った自家製レモネード。










外国人観光客が遊ぶ「白雲の池」、今回のフェスの中心の池です。

今も昔も、日本人も外国人も、水を見たら気持ちよく、水面を渡る風は心地よいものでしょう。






この日も子どもたちが水で遊んでいました。

この子たち、初めての「白雲の池」畔での水遊びなのでは。








大人たちも池あそび。

普段は鴨だけが泳いでいる池ですが、この日は何人もの人がスイ〜〜〜〜〜スイ〜〜〜〜。雲仙温泉、白雲の池周りから、“ゆっくり時間”が湧き上がっているようでした。

明治の時代とは違う、さらに本物のリゾートを体験した思いです。観光産業としてのリゾートでなく、人間ルネッサンスとしてのリゾート。長期ではないにしても、中身の濃いみんなで作るリゾートでした。

今回私は、2日間のうちの1日、しかも日中だけの参加だったので、夜のフェスの様子を知りません。この森じゅうに吊るされた紙皿ぼんぼりに灯がついたとき、キャンプファイアーが燃えた時、どんなに綺麗だったか。

ま、また訪れましょう。それがリゾートなのですから。

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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

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略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。