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お仕事 土佐・ニンニク・生姜・ニラ 2020/02/16 3:05 pm

高知へ女性団体の研修に行った翌日、土佐市で活動する「とさし旬物クラブ」を訪ねました。

農家の女性グループ、自分たちの野菜でニンニクの効いた焼肉のタレや生姜焼きのタレも作っています。ニラの作業場も訪ねました。

いずれも身体にいいものばかり。活動へのアドバイスどころか、こちらが元気いっぱいになって帰ってきました。
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研修に参加させていた団体のどこかにお邪魔したいなあ〜と思い、一番近いところへ。どうもどこかに出かけて講演してそのまま帰るのはイヤで、現場を訪ねたくなる性分です。急に言い出すので事務局にはご迷惑をおかけしました。

私のわがままを聞いてくださって、わざわざ時間をとってくださったのは土佐市の「とさし旬物クラブ」の方々。8名の農家の方が、農産物のブランド化や商品開発に頑張っておいでです。3人の方が「ドランゴン広場」という直売所においでになりました。

ここで売っているのが彼女たちの野菜と、「焼肉のたれ」です。たれがかご盛りになった横にあるお店のポップにはこうありました。









「えっ手作りの焼肉のタレ?・・・・・定番のを使えば間違いがない・・・がこのタレを食べると考えが変わります。あっ、これが正解なんだと。食欲をそそるニンニクがきいた甘辛いタレ。野菜炒めや豆腐ステーキにもよく合います。・・・」






早速お3人の目の前で舐めてみました。わあニンニク、そして甘い、そしてほんのり酸っぱい!口の中に野菜のうまみが残ります。このまま熱いご飯に食べてもいいくらい、焼きおにぎりにしてもいいでしょう。

お話をうかがうと、メンバーの中にトマトを作ってる方があり、そのトマトを隠し味にしたとか。なるほど瓶にはトマトの絵です。材料の野菜はメンバーの畑から。いい野菜をふんだんに使える強みですね。

「ニンニクが強くてよくないかしら?」と心配も。いえいえ、そのニンニクがいい。パンチがあってトマトと共に特色になる。むしろ、ニンニク調味料として胸を張っていいのでは。

すると、「こういうのもあります」と出てきたのが「生姜焼きのタレ」。まだ開発中だそうですが、瓶丸ごと生姜の微塵切りがいっぱいです。生姜の産地だからできる技。これも生姜を入れ過ぎかな?という心配はあるかもですが、生姜調味料として量を加減していろいろに使ってもらえばいい。

キュウリの漬物を作るとか、カツオのたたきに使うとか、生姜焼きと決めないでデビューさせた方がいいのではと申し上げました。

ご近所の方も使うのだから、材料はケチらない、いいものをちゃんと作る。ご立派です。彼女たちの野菜にはロゴマークがついていて、目立ちます。








そのマークの付いたニラの作業場を訪ねました。元ビデオのお店だった建物が、ニラを計り束ねる場所になっています。

入ったとたんに強い強いニラの匂い。中では女性たちがリズミカルに綺麗な緑のニラを計り束ねていきます。




どうやって食べますか?とうかがうと。毎朝の味噌汁。肉ニラ炒め。卵とじ。玉城焼。オムレツ。お浸し。ニラすき焼き。と次々料理名が上がります。

ニラはほかの野菜と違って扱いが簡単、即ザクザク切れる。私も大好きです。「風邪の引き始めはね、ニラをたっぷり入れた熱い雑炊を食べれば治るよ」とのこと。今後はニラを常備しましょう。

地元の学校給食にも野菜を治め、食育活動もしているという「とさし旬物クラブ」さん。こういう女性たちの地域での日々の活動が、少しずつ地方を日本を良い方向へ導いてくれるのだと思います。

土佐を、高知を、日本をパワフルにするために、ニンニク・生姜・ニラに特化した商品開発をしていくのもいいですね。

ニラの作業場に居た数分間、鼻から口からニラの匂いを嗅ぎ、全身ニラの香りに包まれ、元気いっぱいになった感じで帰りました。

※急きょ丸1日私を案内してくださった、高知おかみさん会推薦の素敵な男性“マッチャン”ありがとう。


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お仕事 高知パワー 2020/02/09 3:00 pm

高知で研修をしてきました。地域おこしに頑張る女性たち対象です。

気づいたことを書き出してもらうと「身近なものを大切に」「何もなくても何かを作る」「へえ〜?!から、新しいことが生まれる」「繋げば広がる」「必ず何か逸品がある」などでした。

でも、研修しなくとも、高知は既にそれを実行しているように思えます。商店街やおもてなしに、高知パワーを見ました。
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以前うかがったのは2017年6月のこと、全日本おかみさんフォーラムのシンポジウムでコーディネーターをしたときのことでした。その時感じた高知のおもてなし、いわゆる高知の『お客』文化についてはこちらに詳しく書いています。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=418&date=201706
高知の場合、かしずいてお客様をおもてなしする、自分のことはさておいて客人をもてなす、ということではなく、根本的にまず自分たちが楽しんで、そこに混ぜてあげる、楽しさのおすそ分けをしてあげる、ということだと思います。

「何がお好みですか?」なんてことはなく、「美味しいよ、楽しいよ、ほら混ざってごらん」ということです。なので、以前は商店街のおかみさんたちがダンスを披露してくれたことに偉く感動したものでした。

今回も、着いたその日に「ダンスの練習を見ませんか?」とお誘いが。

商店街の中にある、あるかみさんのお店、お好み焼き屋さんの上の階にダンススタジオがあり、おかみさんたちはもちろん地域のそれなりの地位にある男性たちが一緒に毎週水曜日お稽古をしているのです。


お店から駆け付けたおかみさん、スーツの上着とネクタイを取った割腹のいい身体を軽やか?に動かしながら今回の出し物「パブリカ」などを練習中でした。

さっき食べた高知ならではの「カツオの塩たたき」や「亀の手」「チャンバラ貝」の味わいに酔いしれているわけにはいきません。見物しながら、こちらも身体をゆすったのでした。

翌日の研修は、高知県女性商業者等活躍促進事業で、“集まれ土佐のおかみさん 女はいつも今が旬「女性活躍推進セミナー」”と勇ましいものです。私の講演とワークショップは「女性の力で、繋ぐ、広げる」というタイトルにしました。

いつも思うのですが、講演というのは一方的でよくない。ワークショップも妙に手慣れた人の独壇場になりがち。

なので、おかみさんたちがほんわかと参加できる程度のワークショップにしました。

前半の私の話の中で印象深かった言葉をあとで各人書き出してもらう。それを各グループでまとめて、一つに絞り、発表してもらうというやり方にしました。


そういうルールだと、私の話を皆さん熱心に聞いたくださいます。メモなどもしっかり取って。

そのあとは一人ずつが全員、印象深かった言葉とその理由を述べるのですから、初めて同士でも何となく知り合うことができる。


名前と所属を言うだけの自己紹介より、しっかり繋がれます。そしていつものメンバーでない人たちも一緒に話し合えば、視点や考えが広がります。

男性もかなり混ざっていましたが、あっという間の90分。こちらも楽しく過ごせました。各班の発表に、冒頭の言葉が出てきたわけです。

その後、新年会も兼ねた交流会です。御馳走で出てきたのが田舎寿司。昔からこの地の人が食べてきた、ミョウガの漬物や、コンニャクなどが具になったお寿司。これが素朴で美味しい。

身近なものを大切に、宴会料理に出すことがいいなあ〜。しかもこのお寿司こそが何もなくても何かを作ったものですね。

そしてダンスが始まりました。初めて見る人たちは「へえ〜〜〜?!」です。あのおかみさんが思い切り軽やかに踊っている。あの局長が、あの支店長踊ってる。平均年齢70歳を超えているんだって。へえ〜!です。

こんなに若々しくパワフルなら、私たちも頑張ろう。おばあちゃんだって、お爺ちゃんだって、と新しい気持ちが起きていきます。

驚いたのは懇親会参加者全員を紹介し、皆が一言ずつ挨拶する場面があったこと。しかも司会のおかみさんはのどかに間違えっぱなし。

それが名物のようで皆が大喜び。いい繋がり方です、全員のことが覚えられて世界も広がります。

なんだ、研修なんてしなくとも、高知は立派にやっている。高知のパワーこそ逸品なのだと思ったわけでした。

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スローライフ運動 瓦版に時代を見る 2020/02/03 11:55 am

今号も500号特集。創刊当時の「瓦版」内容を振り返ってみましょう。10週分をみるだけでも、10年前の世の中が少しつかめます。

菅政権、ワールドカップ、建設途中のスカイツリー、クールビズ、iPad、電子書籍、冬のソナタ、口蹄疫、草食系、など。

書き手がそれぞれ何を訴え、どんな言葉をすくい上げてきたか?「瓦版アーカイブ」の中に、この国の動きを見る思いです。
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500号を数え、創刊当時の「スローライフ瓦版」を見たいという声が届きました。これはどなたでも見ることができます。

スローライフ・ジャパンのホームページの左側に「スローライフ瓦版 アーカイブはこちらから」というコーナーがあります。ここから全500号を見ることができます。読み返すと、実に面白い。10週分だけかいつまんでみましょう。

■2010.4.20創刊号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=2&req_uid=4
・早野透さんが朝日新聞政治記者を退き、桜美林大学教授になられたお話。
・この日の「さんか・さろん」では今は亡き映画プロデューサーの武重邦夫さんが、映画づくり新時代における「青春100物語」を提唱。
・神野直彦さんは「観客文化から参加文化へ」とスローライフを解説されました。

■2010.4.27第2号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=3&req_uid=4
・増田寛也さん東京大学で大学院生を教える2年目の気持ちをフランクに。
・斉藤睦さんが六本木の東京ミッドタウンに西会津町のキノコ農家を応援に。まだ東日本大震災前の話です。

■2010.5.11第3号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=4&req_uid=4
・中村桂子さんは、新幹線移動は週一回にすること、それ以上動くと体を壊すという知人の忠告を守っているとのこと。

■2010.5.18第4号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=5&req_uid=4
・この年、11月に富山県砺波市でスローライフ・フォーラム開催の予告が。ちなみに前年は兵庫県淡路島でした。

■2010.5.25第5号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=6&req_uid=4
・山下茂さんが「ぬるーい温泉を!」のお話、次からはビールのお話も。
・このころは「日光『食』の研究所」から、「たかおか屋」からなどというコーナーもありました。

■2010.6.1第6号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=7&req_uid=4
・川島英樹さんが、クールビズ姿、iPad、電子書籍という言葉をコラムの中で使われています。
・増田寛也さんから「宮崎県で口蹄疫が猛威を振るっている」話も。

■2010.6.8第7号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=8&req_uid=4
・長谷川八重さん企画によるお出かけさろん「掛川路さんか・さろん」いよいよ来週ですよと呼びかけが。泊りがけのさろん。

■2010.6.15第8号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=9&req_uid=4
・坪井ゆづるさんが京都でぶらりと途中下車、みちくさ体験。このころは坪井さんが今ほど怒っていません!
・野口はスカイツリー建設途中の様子を書いています。

■2010.6.22第9号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=10&req_uid=4
・掛川では「増田寛也会長と走るサイクリングツアー」が行われたとの報告。まだみんなのどかでした。

■2010.6.29第10号
http://www.slowlife-japan.jp/modules/kawaraban/index.php?page=detail&bid=11&req_uid=4
・丸岡一直さん、よそよそしい介護「マニュアル」よりも、北の地の高齢者をタケノコが元気にするという印象深い話。
・7月の「さんか・さろん」予告では、テーマ『地域変動する政治』―参院選をくぐって菅政権は?中央だけでなく「地方政治」も―となっています。


お時間あるときにどうぞ「瓦版アーカイブ」をご覧ください多少文字化けしている部分があることお許しください。

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ちょっとしたこと ブログを書くということ 2020/01/27 2:18 pm

“瓦版”のおかげで、私は毎週ブログを書くことになりました。週刊日記のように9年8カ月間。独り言ではなく、読み手があるのはうれしく、緊張感があります。

「自分の地域が何回出たか表にしてます」「プリントしてバッグに入れて読んでいます」「まとめて本にしてください」感想がうれしい。

週1回、自分の仕事や暮らしを鏡に映すつもりで、これからも言葉にしていきます。
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ブログそのものはそれ以前からポツポツ書いていたのですが、途中さぼり、いよいよメルマガに載せるからということで毎週書くことになります。「スローライフ瓦版創刊号」に載せたものはこちら。

2010年4月21日号  ただぼ〜っとすること?
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=47&date=201004

スローライフについて今も説明するときに使う曼陀羅図?について紹介しながら、スローライフとはただぼ〜っとすることではないのだと説明していますが、実に短いブログでした。


次の週は、神奈川県湯河原市での地域観光のコーディネーター養成講座のこと。ここで「亀の手」という海の味の紹介をしています。「野口さんのブログには美味しそうなものがたくさん出てくるのでうれしい」とよく言われますが、確かに食べ物の話は多いです。

2010年4月28日号 亀の手で乾杯
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=48&date=201004

この10年近いブログ書きの中で、一番しんどかったのが東日本大震災のときでした。それまでにブログでご紹介した方々のうち、何人もと連絡がつかなくなりました。泣きながら書いたブログです。

2011年3月14日(記) 地震にあって
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=96&date=201103


そしてこの10年のなかで一番仕事として力を注いだのが和歌山県紀の川市でのフルーツ・ツーリズム。ここの話題は何回書いたでしょうか?その最後のワークショップを終えて書いたのがこれでした。いろいろ勉強させていただいた仕事でした。

2018年3月26日(記)ワークショップ38回
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=458&date=201803

振り返ればいろいろなことが出てきます。ブログを書くことで自分の記録と反省と発信ができてきました。文字にすることは頭を整理すること、写真を撮ることは視点を定めることと思います。

強がりばかりでやって来た私が、この「瓦版」に載せるブログがあったからこそ、少しは大人?になれたかと思います。
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せっかくですので今回は裏話も。

この「スローライフ瓦版」は書き手以外に、編集スタッフが4〜5人かかわっています。たかだか毎週のメルマガにずいぶんな人数とお思いでしょうが、当方の活動は皆がボランティア。各人仕事を持っていてその仕事の合い間に、作業をすることになります。

発行が火曜朝と決まっているので、事務所に集まるのは月曜日。それまでに寄せられたいろいろな原稿を、決まった文字数に整え、漢字・ひらがなを統一した形にし、組んでいきます。

原稿の中に??のところがあると、各書き手の方々にご連絡し、確かめます。そして最後の読み合わせを。1人の目でやらないことが鉄則、これがなかなか大変。

事務所に来れない場合は、居るどこかから参加し、編集作業にかかわるルール。なかなかできることじゃありません。と言って、まあ、続けているわけですが・・・。

編集長・川島さんは高齢ながらパソコンを何とか使い「この『』は“”の方がいいね」とか「ここで行替えになるとおかしい」とか、なかなか譲らないところは譲らない。

なので、最終の組み込みと配信係の篠原さんは火曜当日の朝まで直しを受け付けます。(これについては今回本人が書かれていますが)

そもそも、メルマガは「月に一回くらい出せるといいね」と発案されたのですが、川島さんは新聞出身なので日刊にしたいくらい!「せめて週刊で行こう」「え、し、週刊、ですか?!」というのがスタッフたち。

このやりとりから今に至ります。


「逸村逸品」を探して書き、「まちむらニュース」も作る丸山さんは、送信リストの管理もしてくれています。3000人を超える方々に送るとなると、戻りも多い。メールアドレスも変わる。もちろん「もういりません」という方もある。それぞれに対応をしていく細かな作業です。

熊本に住む藤井さんはシステムを考えてくだって、さらに、当方のIT関係全般のお世話を。今や子育てエッセイも始めてくれました。

小松崎さんは時々彗星のようにやってきて、掃除から資料整理まで雑用をこなしてくれます。Facebookの毎日の更新も彼女がドンと引き受けてくれています。

皆がこの「瓦版」を軸に繋がり、日々を紡いでいるように思います。毎月の勉強会「さんか・さろん」、毎年の「スローライフ・フォーラム」も、この「瓦版」があればこそお知らせし、報告し、ということもできるわけです。スローライフ運動の芯になっている、よりどころでもあるのです。

さあ、1000回まで続けますか。あ、言ってしまった!!

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ちょっとしたこと 山沢栄子写真展をみて 2020/01/20 1:46 pm

日本の女性写真家の草分け山沢さんは、27歳単身で貨物船に乗りアメリカへ。写真を学び帰国後、活躍します。

晩年のVTRが会場に流れていました。外国の取材陣を前に、自分の70歳代の抽象作品をみながら「これもNO、NO!」とダメ出ししている88歳の姿でした。

彼女は96歳で没しますが、果たして私は最後まで創作をし、こんな厳しい生き方ができるのか?背筋が伸びる思いでした。
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私は昔からどなたかの個展などにうかがっても、作品よりもその作品を作られたその作者の人生に興味を持ってしまうタイプです。なので、作品より年譜を長く眺めていたりで、同行の夫に怒られたりします。

訪れた東京都写真美術館、今回もそうでした。1899年大阪に生まれた山沢さんは、1926年に渡米、当初は油絵を学ぶつもりでした。貨物船に乗って1人海を渡るときに、海に向かって話しかけたそうです。大きく希望は膨らんでいたものの、さぞかし心細かったことでしょう。「この時から私は自然と話すようになった」との言葉がありました。


アメリカに渡ったものの、実家の父親が亡くなり、働きながら学ぶことになります。その働いた先が女性写真家コンスエロ・カナガののところでした。この5歳年上のアメリカ女性から写真技術を学びます。そして、3年後には、絵よりも写真を身につけて帰国しました。

必死なときに出会った人からは大きな影響を受ける、彼女は短時間ではあっても生涯の師と仰ぐカナガ女史と出会えたことがラッキーだったはずです。もともと絵画志望だったということが、彼女の静物画のような作品から納得します。


大阪に写真スタジオを開き、ポートレート写真を撮って活躍します。当時の実業界の大人たちが、アメリカ仕込みの女性写真家に写真を撮ってもらうことを喜んだはずです。

彼女の言葉に、「写真は女だからといって安くはならない。男も女も同じ値段。今の日本は女性というだけで賃金が安く、たいした仕事が無い。写真技術においては平等だ」というようなことがありました。これは私のうら覚えですが、意味はあっていると思います。

当時、「職業婦人」として珍しがられ、「女だてらに」スタジオをもち、といわれた山沢さん、今からは考えられないほどの先駆者としての苦労があったはずです。



ポートレートは作品でない。そうみると、中年以降になって作品らしいものが出てきます。その中でも今回の展覧会の中心となる「私の現代」という作品群は抽象絵画のような作品。山沢さん70歳代〜80歳代の作品です。色の鮮やかさや、発想の豊かさは若いアーチストのものかと思わせます。一方、これも写真なの?という気持ちにもなりました。

私が印象深かったのは、戦時中疎開していた信州で撮った写真。ポートレートではなく、当時の地元の人々の暮らしや素顔が映っていました。彼女はもと豆腐屋さんが使っていたという工場に住み、そこに引かれていた豊富な湧き水を使って、写真作業をしていたようです。フィルムや印画紙の水洗に水がありがたかったのでしょう。

女優・山本安英の写真も興味深いものでした。山沢さんは山本さんと親交があり、彼女の写真をたくさん撮っています。信州に疎開していた、山本さん、木下順二さんの若い姿が清々しい。

「私の現代」の抽象表現で世界的に知られる山沢さんが、外国の記者からインタビューされている4分間のビデオ。当時、老人ホームに暮らす88歳の山沢さんはかくしゃくとしています。関西弁だからか、元気な男おばさんのような感じです。その勢いある話し方で、10年前くらいの作品を、「これはダメだね」というかのように、首を振りながら「ノー」と言って作品集のページをめくる。きっと今ならもっといい作品を撮れるという気持ちなのでしょう。

さて私はどうする?こういう人を前にただ「ご立派!です」などとなまっちょろいことは言えません。96歳で亡くなるまで、山沢さんはきっと何らかの創作を続けていたと思います。私はできるか?何をするのか?どう歩むのか?代表作を70歳代に作るのなら、さあ、これからだ。年の初めに、ずしんときました。

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ちょっとしたこと 東京半分・地方半分 2020/01/13 11:53 am

都内在住ですが、月の半分は地方に出かけます。行った先では土地の人を訪ね、様々な体験をし、何日かして帰るときには毎回大荷物で帰ります。

お土産というより、その土地の暮らしそのままを持ち帰る感じ。男性は仕事だけであっさり帰りますが、女性は違う。

結果、東京でも地方の生活文化を半分抱えて暮らしています。おかげで地方のことをいつも考え、心と身体が健康でいられます。
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観光で訪ねるのではなく、仕事で地方に行くのではありますが、何日もいると、暮らしている感覚になります。だから風光明媚なところでなく、日常のふとした景色がいいなあと思えます。

朝、仕事場に向かうときに渡る小さな川。「あ、今日もサギがいる。水がキラキラしてきれい」なんて思いながら、深呼吸です。






道ばたの庚申さんに花が上がっている。造花じゃない花です。誰かがちゃんと世話をしているんだ。









河原にどんど焼きの用意がある。明日燃すのかなあ〜。

おばさんが犬とお散歩。堤の上を毎日歩くんだろうな〜。のどかだなあ。

あ、水に鯉がいる。水草がきれい。




あ、旅館の女将さんがお掃除。自分の家の前だけじゃないんだ。通りのずっと向こうまで、丁寧に掃いている。みんながそうだからこの通りきれいなんだ。


向かいのお豆腐屋さん、朝早くから働いて、いま少しほっとしている時間みたい。

こんな風な時間を過ごすと、私の身体に溜まった東京のアクが消えていくように思います。

新宿区のうちの近くにキラキラ輝く流れはあったでしょうか?そこに悠然とサギはいたでしょうか?

庚申さん自体がない、花を活けて世話をする人はもっといない。

どんど焼きをする河原がない、する人もいない。犬の散歩はもっぱらアスファルトの上、あちこち糞だらけ、犬も人も深呼吸などできません。

東京で道をお掃除するのは誰でしょう?煙草のポイ捨ては相変わらず、街路樹の下にはペットボトル。夜は酔っ払いがさらに道を汚します。

地方にある日常が、まっとうな人の暮らしが東京にはない。だからそれに感動し、私の心が清らかになって行くのです。

これは単純な観光ではない、浄化の時間です。だからそこで知り合った人とは、清らかな関係になれる。そこで知った味は持ち帰って、夫にも食べさせたいと思うわけです。


今回過ごしていたのは、おなじみの雲仙市。国見町で4泊5日でした。

会う人ごとに仲良くなって、前に会った人とはもう親戚みたいになって、だから「これ持って行って〜」なんてものが集まります。

けっして市販のおみやげ品ではないものたち。そして、私がもう2年通ってきている中で覚えた、この地の人が普段食べている美味しいものたち。

キャリーバックが閉じるかどうかぎりぎりの量、持ち上げるのにやっとの重さです。

「ゴードーフ」は呉豆腐、豆乳を葛やでんぷんで固めたもの。ぷるぷるで美味しくて、長崎県や佐賀にもあるそうです。スーパーで売っているのを、買ってきました。

雲仙ハムは、地元の人から熱烈な支持のあるソーセージ。お弁当にも入れるし、晩酌にも食べるし、地元の焼き肉屋さんでも出てきます。夫の好物です。

ギンナンをここまで綺麗にするのがどんなに大変か!それを惜しみなく「持ってって」といわれると、こちらお遠慮しません。

直売コーナーで買った「わかめ菜」。サッとゆでるとシャキシャキとわかめのような食感で美味しい。

これも地元の人に教わったもの。








おかず納豆とかもろみ納豆とかいうなめ味噌と、鯖の水煮缶を煎り付けたもの。

私はスーパーフードと呼んでいます。とにかく美味しいし、栄養がある。これは売っていません。さっき通りをはいていた女将さんのお宿のご主人(ムーミンというあだ名)の発明。




ザボンはバラのたくさん植わったお庭と菜園の世話にに忙しいあの方からのプレゼント。彼女の二胡の演奏を今度は聴かせてもらおう。

これらの物がなくなるまで、口に入れるたびに私の暮らしは地方に戻る、あの人を思い出す、心があの地へとなびくのです。

観光でも、定住でもない地方との付き合い方。私はたまたま、仕事の延長でこういう関係ができますが、皆が機会あれば「半分地方」の暮らし方を、望んでいるのではないでしょうか?

東京人は地方に憧れ、地方の人は都会人に地方の良さをおすそ分けしてもいいよ、という気になっている。

いきなり月の半分本当に地方に移動しなくても、別荘など持たなくても、常に地方と生きている気持ちになることから始めたらどうでしょう?食べ物から始めることでできます。

地元の食べものなどに興味のないおじさん方には無理でも、私のような食いしん坊おばさんにはすぐにできることです。地方の物を食べる、の次は、その延長で、産地の畑を訪ねて手伝ったり、その地の行事のある時は泊まりに行ったり、年に何度も訪ねるようになっていけます。

東西南北にそういう関係のある個性的な土地ができれば、なんて楽しいでしょうか。

「半分地方」の暮らし方を皆が実践できるように、今年は知恵を出していきましょう。

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ちょっとしたこと 実家というもの 2020/01/06 11:53 am

私は高校を出てすぐに千葉の実家から離れ、ずっと自活してきました。その間、実家との距離は様々変化しています。

昔は実家は私を拘束するところ、だから近づかない、自分の居場所も教えないひどい娘でした。

東京を離れた30歳代、少し落ち着くと、急接近。貧乏暮らしに援助物資をいただけ場になりました。

そして今や、96歳の母が居るというだけで、心が温まる場になっています。
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私が小学校のころ、海が埋め立てられた千葉市検見川町は、かつては東京湾の漁業が盛んな土地でした。アサリやアオヤギ、カレイ、ワタリガニなどがとれ、海苔の養殖も盛んでした。漁業組合まであったのですから、驚きです。

そんななか、当時越境入学で違う町の小学校に通っていた私は、大きなランドセルを背負って姉と京成電車で3つくらい離れた駅まで通学していました。中学、高校とこれまた電車で市川市まで。ずいぶん京成電車には乗ったものです。

小学校帰り、検見川駅から家までのデコボコのアスファルトの道沿いには四角に漉かれた海苔が干され、近寄ると海の匂いがして、パリパリと海苔が乾いていくかすかな音がしていました。道路の両側には溝があり、どぶ板がはめられていて、その上を歩くとカタンカタンと音がしました。そんな時代です。

いまや人通りはないこの道ですが検見川商店街はそのころ賑わっていて、その一軒の薬局では母働いていました。中学の頃は帰ると、着替えて自転車に乗り、商店街をのぞいで買い物し夕飯作りをするのが私の日課でした。





今回歩いてみると、まだ漁業をやっていた頃の建物がいくつか残っています。昔は各家を屋号で呼んでいましたっけ。





写真の少し向こうに見える緑が我が家に入る門の松の木。小学校の頃は、行ってきますと歩きはじめると、母はここで私が見えなくなるまで手を振っていました。

今から思えば、平和な家庭で、キツキツの収入のなか、ずいぶん私たち姉妹のために学費を納めてくれたと思います。が、そんな平和、平凡さが嫌になったのが高校時代。学生運動に影響されて、在学中からデモなどへ。

卒業後、その延長で家を出ます。親の世話になっていて、社会的な発言などできない、という当時の短絡的な考えからでした。

逃げ回るように疎遠にしていた実家には、今の夫と暮らすようになって顔を出すようになります。苦しくなると静岡県から車を飛ばし、実家へ。そして、お米やお小遣いをもらって。そんなおぼつかない暮らしを続け、ようやく何とか自分の好きなことで暮らせるようになっていきます

。勝手にいなくなって、再び勝手に行き来を始めて、本当にどうしようもない娘です。




その実家からある日電話があり「もう、泊まりに来ても、泊まれる家はないわよ」と母。???と思ってら、もらい火でそれまでの家は全焼したのでした。私が子どもの頃暮らした家の面影は、他界した父の植えたこの梅の樹だけです。



姉夫婦が再び建てた家。実家という印象は薄いのですが、それでも入ると実家の匂いがします。

今年からは玄関にスロープが着きました。「おばあちゃん足が上がらないから、これならゴロゴロを押して自分で動けるから」と姉。最近はこういうのがレンタルであるようです。

母の世話など何もしない妹に比べて、実家を継いだ姉の対応は完璧です。

もう96歳の母ですが、お正月になぜか普通の卵焼きの甘いのを作ることは相変わらずで今年もありました。それを食べながら、思い出話をします。「お父さんは大声上げて怒ったりしなかったけね。お母さんは私の手術のときよく一人で静岡まで来れたね。火事のとき貰い物の服で過ごしたね。私はずいぶん迷惑かけたね」

こちらは細かく覚えているのですが、母は「お母さんみんな忘れちゃったわよ。いまは毎日過ごすだけでせいいっぱい。この補聴器いいのよ。あんたもそのうちするんだからよく見ておきなさい」」と。

私のわが身を振り返る山ほどの反省ごとなどどうでもいいという感じでさっぱりしています。

母の部屋からえんがわ越しにかすかに手を振る母と別れ、戻って来たお正月でした。

山ほどいただきものを担いで帰りながら、実家とは、自分のこれまでを振り返る晒し場のようなところだと私は思うのでした。母は忘れても、こちらが覚えている以上、懺悔しに顔を見に行きましょう。

なんて思っていると母から電話。「トコ、あんた手袋と帽子忘れたわよ。まったく、気をつけなさいよ!お母さん使っちゃうわよ」

母元気です。

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ちょっとしたこと 「ふくしま大交流フェスタ」で 2019/12/23 1:06 pm

先日、このフェスタのために東京国際フォーラムへ出かけました。美味しいものを探しに、そして女友達に会いにです。

西会津町でメープルサイダーを作っている佐藤昭子さん、古殿町で凍み餅を作っている小澤啓子さん。

女性たちは皆、それぞれの事情を抱えながら、笑顔で自信作を売っていました。「くよくよしてもしょうがないもの」飯館村の女性の言葉が心に残りました。
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「ふくしま」と聞くと、心がきゅんとします。地震と津波と原発事故と、一杯つらい思いをして、今もなお。

東京に浮かれて暮らしている者にとっては、本来きゅんとするどころか、いつも考えていなくてはならないのが「ふくしま」のことでしょう。

その「ふくしま大交流フェスタ」が有楽町であるとならば、これはいかねばなりません。

大賑わいの会場へ夫と出向きました。まずは昼食と「なみえ焼きそば」と「ソースかつ丼」です。いただいたパンフレットを眺めると、福島県でのいろんな思い出がよみがえります。

会津美里町では眦椎濕蹐蠅鬚靴泙靴拭ニシンの山椒漬けを作る本郷焼の「ニシン鉢」は今も花入れに使っています。昭和村では「からむし織」の織姫さんにお会いしました。名刺入れも使っていました。

郡山市に初めて行ったのは20歳の頃、ロックコンサートでした。会津若松市では、街で一人飲みをしました。会津木綿の着物は5枚作りましたっけ。飯館村にはスローライフの話をしに伺い、「までい」という言葉を覚えました。

南相馬市、浪江町、双葉町には、災害のドキュメントを撮る夫が訪ねました。数えだせばきりのない福島県との関係です。訪れることで支援になるのですから、もっと頻繁に腰をあげねばいけません。

それが今年一月、古殿町にうかがう機会がありここで「凍み餅」を作る小澤啓子さんと知り合いました。その時のブログはこちらです。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=499&date=201901


凍り付くような寒風の中で保存食を作る、この伝統技術と彼女の明るさにすっかりファンになったものです。

目指すブースはすぐに見つかりました。小澤さんオレンジ色のエプロンで、お仲間たちとせっせと販売中。ゆっくり話す時間はなかったですが、みんなと楽しそうでそれだけでこちらも嬉しくなりました。

そのお隣が、西会津町の佐藤昭子さんがいるブース。イタヤカエデから採った樹液の入った国産メープルサイダーがキラキラしています。

彼女と最初に会ったのはいつでしょう?もう10年以上前になりますか・・・。「キノコママ」の愛称で、彼女の書かれるブログは楽しいものでした。会津でお酒を飲んだり、佐藤さんが六本木にデモンストレーションにいらしたときは見物にうかがったり、コンフィチュールをつくられた時は試食させていただいたり。

震災直後、彼女が作られたおかゆの缶詰は、被災時でそのまま高齢者や赤ちゃんが食べられる逸品。彼女は自分のキノコが栽培できなくなっても、その缶詰を被災地に届けたものです。その後、縁側カフェを開いたり、メープル商品を開発したり。いつも動いている人、という印象です。

Facebookで繋がっていましたが、この秋、ご主人が突然病に倒れ、延命治療もむなしく亡くなってしまったのです。

様子をうかがうと昭子さん、元気に笑っておいででした。






この大きな会場にいる「ふくしま」の方々は、たくさんの悲しみ苦しみとともに笑っているように思います。

天災や人災、そして個人的なご不幸も含め。厳しい気候は、豊かな食文化も育てますが、今年の台風ではまた災害が起きました。

ピンクの幟やオレンジのエプロンは、自分に勢いをつけるためかもしれません。それぞれがいろいろな事情を抱えて、でも、美味しい、安心なものを手間暇かけて、丁寧に作っているのです。

どこのブースもにぎやかで勢いがある、その中をめぐっていると、私は「頑張れ、頑張れ」と「ふくしま」に肩をたたかれているような気になりました。

飯館村のものを販売しているブースで、「いいたて雪っ娘カボチャ」の商品を売っていました。

そこのこれまた元気な女性がどなたかと話しているのが聞こえました。「くよくよしてもしょうがないもの」と。

彼女もきっといろいろなことがあったのでしょう、あるのでしょう。でもカボチャのようにほっこりとお客の私に微笑んで、冗談を言い笑わしてくれます。

応援しなくちゃとうかがった催しで、すっかり励まされて帰ってきました。

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ちょっとしたこと 久々の女友達、長崎で 2019/12/16 2:02 pm

由利さんは、私が昔編集長だったSNSブログサイトで人気の書き手でした。雲仙市で地域拠点を作り、今は長崎。防災・エコをテーマに活動中です。

伸子さんは、私が栃木県那須町に通ったときの、現地有力メンバー。この秋、長崎に移住し古い家を改装中。

このお2人と私が長崎で会いました。久しぶり、初めまして。あいさつの後は即友達に。これから3人で何か始められそうです。

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長崎の街は久しぶりでした。車中から「わ、文明堂!!」などと興奮して写真を撮ってしまいます。古く、堂々としていた県庁は取り壊されて跡形もなく、モダンな新庁舎が海側に建っていました。

ここでオーガニックマルシェがあるというので、ちょうど雲仙にいた私は出かけたのでした。

待ち合わせていた由利さん、会うのは何年ぶりでしょう。5年、6年、いやもっともっとですね。彼女が仙台から雲仙市千々石の風景に惚れて移り住み、立派な古い家を「竹添ハウス」(持ち主の名にちなんで)と呼んで、交流拠点とし始めた頃に、夫と泊めてもらったものです。

10年以上そこで頑張っていた彼女は、いろいろあって雲仙市を離れ、終の棲家を長崎の街なかに据えたのでした。

うかがったマンションは広いすっきりしたワンルーム。持ち物はとことん減らして暮らす由利さん流の生き方が形になっています。ここで彼女は夫と「くらし方研究室」という看板を掲げ、一級建築士の彼はその仕事を、由利さんはくらし方のアドバイザーとして地元テレビ番組出演から執筆・講演などしています。

職住一緒のシンプルな暮らし、長崎の街の景色とともに、甘酒とリンゴをごちそうになります。エコクッキングや防災への提案など、彼女の番組を見せていただきました。基本、今あるものをとことん使いぬいて、お金をかけず知恵を出す暮らしです。

「麺棒がないからできないではなくて、ラップの芯を代わりにしてパイ生地を伸ばす」とか、「災害時はビニール袋にてんぷら粉・卵・水・ツナ缶を入れてよく揉んで袋ごと茹でれば主食ができる」とか。ユーモア満載の番組で、もともっと見たくなります。

最初に出会ったときから彼女は“大人の知的な遊び場”が必要と言っていました。今の暮らしにもそれが満ちています。彼女の着ていた防災ベストには、最低限必要な被災時必需品が各ポケットに入っています。

「笛、マスク、ビニール袋、小銭・・・・・」とザクザク出てきます。「これを特別なところにしまわないで、いつも着てれば安心」防災ウェアはもはや彼女のユニフォームなのでした。

由利さんの家からすぐのところに川があり、橋があり、その先には有名な眼鏡橋。そして長崎で一番古い今も息づく商店街が。仙台を出発し、東京、仙台、雲仙、そしてこの長崎に。自分の流れ方と流れ先を自在に選び、すべてを栄養にして今、彼女はここに居ました。






同じ日、由利さんに紹介したのは、伸子さん。栃木県から長崎にやって来たばかりです。夫の実家が熊本だったのですが、そこには行かずにとにかく九州内で居場所を探そうとウロウロしたそうです。正真正銘の移住者です。結局、長崎市内の築60年の昭和の家を選びました。引っ越したもののまだまだ改装中だそうです。

彼女とも久しぶりです。那須町に私が通い始めたのは10年以上前。温泉があり別荘地があり、酪農や野菜作りが盛ん、観光地でもある那須町。町じゅうをレストランに見立てて“食”でまちおこしをしようと「なすとらん倶楽部」というものを作りました。志のあるいろいろな人が集まり、今も活動が続いています。

忘れられないのが「おいしい那須暦」というカレンダーづくり。その時期に那須町でどんな農作業があるのか、どんな花が咲くのか、どんなものを食べるのかをみんなで書き出し、365枚の絵にして仕上げた手作り暦。

子供や高齢者まで絵を描いて、家庭や学校で吊るされると、自分の絵が出てくる日を楽しみに各人が待ったものです。この暦を作る作業そのものが、まちおこしのいいプログラムとなりました。

冬場の美味しい野菜を使って、「な・す〜ぷ」という共通の名で各店でスープを出そうという仕掛けも考えました。お店ごとに工夫があり面白いスープがいろいろできました。これは「な・スイーツ」「那須弁」と発展していきます。

伸子さんはもともと地元タウン誌を編集していた人、パートナーはデザイナー、だから彼女の存在は様々にこの動きのパワーとなりました。シンポジウムの構成台本から、記者会見の仕切りまで、伸子さんに任せていれば安心だったのです。彼女は地元温泉場の観光協会事務局長もやって、那須を卒業していきます。

実は、由利さん・伸子さんを引き会わす前日、伸子さんは私がかかわっている「雲仙人お出かけサロン」に参加されました。久しぶりの再会記念に日本で一番海に近い駅「大三東駅」で記念写真を撮りました。見た目はおばちゃん2人ですが、心はうきうき高校生なのでした。

大三東駅には「幸せの黄色いハンカチ」にメッセ―ジを書いて飾るところがあります。長崎で新たなステージを迎える伸子さんに幸あれと、黄色い布がなびいていました。

由利さんの活動は、一冊の本になるほどの内容です。それは今こそ世の中に必要な情報であり提案です。絶対本にすべし!と私は勧めました。それを伸子さんが編集したら素敵だな〜なんて思います。

一方、伸子さんがこれから人が交流する場などを考えるとしたら、由利さんの経験は生きるでしょう。長崎の先輩として、街の活用法も由利さんから学べます。

2人が掛け算で刺激しあえば何かが生まれそう、そこに私もからみたいものです。

いろいろなもの、ことを背負って50代、60代の女たちは生きています。重くて潰れそうなこともあったでしょう、パートナーとなんとか乗り越えてきたことも多いでしょう。私も含め、夫婦だけの3カップル。なんとなく似ています。

最も3人共通なのは、とりあえず笑っちゃえ、というタイプの女であること。それがまた今回確認できました。

まだまだいろいろあるでしょうけど、由利さん、伸子さん、ぼちぼちやって行きましょうぞ。

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ちょっとしたこと “ケチ上手” 2019/12/09 11:54 am

『おひとりさまのケチじょうず』著者・小笠原洋子さんが来訪。「ケチな名刺で」と手製名刺でご挨拶、そしておしゃべりが。

ティッシュでなくトイレットぺーパーを利用。余計な食器は持たない。靴は手入れして長く。鍋料理は注ぎ足し変化させて何度も。

そんな彼女がお土産に真っ赤なバラとチョコレートケーキを。上手なケチはお金の使い方の“緩急自在”であることが分かりました
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小笠原さんとの繋がりは10年前になります。2009年「筑紫哲也賞 スローライフの眼 作文コンクール」を開催した際に、『うさぎとかめ逍遥』という作品を寄せられ、「スローライフ賞」に選ばれたのでした。

それだけかと思っていましたら、以前私が「本気のライター講座」って名だったか?とにかく文章を書く、表現をする、そんな講座をやりまして、それに参加者でいらしていたとか?ああ、恥ずかしい。

コンクールが先か、講座が先か、いずれにしてもご縁があったわけです。その細い縁の糸は、この秋の筑紫さんの命日辺りに、小笠原さんからの「本を出版しました」とのご連絡から手繰り寄せられました。

エッセイストである小笠原さんが書かれたのは、地球にもお財布にもやさしい“ケチ道”の話。興味ありとお返事したところ、すぐに出版社が本を送ってくださいました。

私の関わるNPOスローライフ・ジャパンのメルマガに、早速紹介しました。

〜理屈だけでなく、実践されている具体例が書かれていて、笑いながらうなずくことばかり。パーマやヘアカラーなど髪にお金をかけない。白髪のショートを素敵に。透明プラスチック容器は何度か使ってから捨てる。などなど。皆さん多少はしていることだとは思いますが、ズバリと書かれていて潔い!年金生活でも、無駄をなくし、物質から解放されてエレガントに生きる志と知恵にあふれていました。『おひとりさまのケチじょうず』小笠原洋子著 ビジネス社 1300円+税〜


このように紹介した後、私は無性に彼女に会って見たくなり、「機会があれば」とお願いしていたのです。願いはすぐに叶い、小笠原さんがスローライフの事務所に遊びに来てくださいました。

「ケチの本を書いた」と聞くと、完璧節約家で髪振り乱して「あれはいけない、これはいけない」と言いそうですが、現れた小笠原さんはとってもチャーミングな方でした。

小柄な体を藍染めのコートに包み、襟飾りのあるカシミヤ?のあずき色のアンサンブル。輝くシルバーヘアにベレー帽がシックです。

そして、ケチ話はとりとめもなく、大笑いしながら続いたのでした。小笠原さんが紹介している、「出なくなったチューブは切って、中の残りをとことん使う」は、実は私の得意技。

これはやっている方多いでしょう、でもちょっと恥ずかしいというのがあるかも。我が夫に言わせれば「ちまちま、みみっちい」ということになりますが、切った中にはまだごっそり中身がある、捨てられましょうか?歯磨きはほらね、こんなに。まだまだ相当使えます。

姉からもらったファンデーションは、「もう出ない、捨てよう」と思ったときに容器を切ったら中にゴッソリ。水気が少ないほど中に残りやすいのでしょう。

チューブの底から切って使い、切って使い、いよいよ背丈は小さくなっていきます。最後はもちろん、小笠原さんと同じく、楊枝でホジホジです。たくさん取れるとこれまた嬉しい。、

納豆の空容器は、私はそのまま捨てていました。ケチ上手先生によると、「容器を4分の1に折り畳み、テープで止める」。そのテープたるや、スーパーなどで「レジ袋いりません」というと「では、テープだけ貼らしてください」と貼ってくれる数センチのテープを、捨てずに冷蔵庫などに貼って置きそれを使うとのこと。

このすご技は私にはできない。輪ゴムでお許しをと最近は励んでいます。毎日納豆派にとって、確実にゴミの量が減りました。捨てるゴミを少なくするのも、地球に対する礼儀ケチなのでした。

当事務所で、スタッフが「ティッシュより、トイレットペーパーの方が安いですか?」と質問。もちろん安いのですが、小笠原さんのケチはだた安い、高い、ではないのです。「なにも、ほんの少しの汚れに2枚重ねのティッシュ1枚をわざわざ使うことはあるまい」という考え方なのです。

以来、トイレットペーパーをデスクに置きました。5センチで済むときもある、20センチいるときもある、と自分で判断するようになりました。目薬をさした後の涙をわざわざティッシュで拭かずとも、トイペ3センチで充分ということ。今や日々、「これで足る」を知るという訓練です。

持っている食器はほんの引き出しひとつ、とか。鍋料理は何度も変化させて延々と食べる、最後はフライも入れる、とか。その極意をうかがうと実に清々しい。物に埋もれ振り回されている暮らしの、馬鹿馬鹿しさが分かってきます。

私のパソコンはいま、こんなにボロボロ。新幹線などで開くと、横の人のため息が聞こえる。だけれど、まだまだ動く。ガラ系携帯もしかり。何も不便していないから、もう少しこのままで、と自信が着きました。

小笠原さんは節約家であり、お上手なケチ道を楽しんでおいでですが、プロフィールにあるように何冊も本をお出しです。その1冊は彼女が魅了されたドイツの画家の、作品にある風景を訪ねる話。10年間に9回も訪ねている。

本を書くためというよりも、自分が納得するまでの旅だったのでしょう。いわゆる悪い意味でのケチな人はそんな旅を繰り返すでしょうか?使うときにはドーンとお金を使って、ある意味とことん贅沢な旅をされています。

要は、お金の使い方を自在にすること。緩急をつけること。自分物差しで生きること。これがケチ上手の極意と思いました。小笠原さんからは赤いバラとチョコレートケーキをいただきました。筑紫さんの写真が嬉しそうでした。

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写真でみるゆとりある記

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連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。