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ちょっとしたこと 東京半分・地方半分 2020/01/13 11:53 am

都内在住ですが、月の半分は地方に出かけます。行った先では土地の人を訪ね、様々な体験をし、何日かして帰るときには毎回大荷物で帰ります。

お土産というより、その土地の暮らしそのままを持ち帰る感じ。男性は仕事だけであっさり帰りますが、女性は違う。

結果、東京でも地方の生活文化を半分抱えて暮らしています。おかげで地方のことをいつも考え、心と身体が健康でいられます。
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観光で訪ねるのではなく、仕事で地方に行くのではありますが、何日もいると、暮らしている感覚になります。だから風光明媚なところでなく、日常のふとした景色がいいなあと思えます。

朝、仕事場に向かうときに渡る小さな川。「あ、今日もサギがいる。水がキラキラしてきれい」なんて思いながら、深呼吸です。






道ばたの庚申さんに花が上がっている。造花じゃない花です。誰かがちゃんと世話をしているんだ。









河原にどんど焼きの用意がある。明日燃すのかなあ〜。

おばさんが犬とお散歩。堤の上を毎日歩くんだろうな〜。のどかだなあ。

あ、水に鯉がいる。水草がきれい。




あ、旅館の女将さんがお掃除。自分の家の前だけじゃないんだ。通りのずっと向こうまで、丁寧に掃いている。みんながそうだからこの通りきれいなんだ。


向かいのお豆腐屋さん、朝早くから働いて、いま少しほっとしている時間みたい。

こんな風な時間を過ごすと、私の身体に溜まった東京のアクが消えていくように思います。

新宿区のうちの近くにキラキラ輝く流れはあったでしょうか?そこに悠然とサギはいたでしょうか?

庚申さん自体がない、花を活けて世話をする人はもっといない。

どんど焼きをする河原がない、する人もいない。犬の散歩はもっぱらアスファルトの上、あちこち糞だらけ、犬も人も深呼吸などできません。

東京で道をお掃除するのは誰でしょう?煙草のポイ捨ては相変わらず、街路樹の下にはペットボトル。夜は酔っ払いがさらに道を汚します。

地方にある日常が、まっとうな人の暮らしが東京にはない。だからそれに感動し、私の心が清らかになって行くのです。

これは単純な観光ではない、浄化の時間です。だからそこで知り合った人とは、清らかな関係になれる。そこで知った味は持ち帰って、夫にも食べさせたいと思うわけです。


今回過ごしていたのは、おなじみの雲仙市。国見町で4泊5日でした。

会う人ごとに仲良くなって、前に会った人とはもう親戚みたいになって、だから「これ持って行って〜」なんてものが集まります。

けっして市販のおみやげ品ではないものたち。そして、私がもう2年通ってきている中で覚えた、この地の人が普段食べている美味しいものたち。

キャリーバックが閉じるかどうかぎりぎりの量、持ち上げるのにやっとの重さです。

「ゴードーフ」は呉豆腐、豆乳を葛やでんぷんで固めたもの。ぷるぷるで美味しくて、長崎県や佐賀にもあるそうです。スーパーで売っているのを、買ってきました。

雲仙ハムは、地元の人から熱烈な支持のあるソーセージ。お弁当にも入れるし、晩酌にも食べるし、地元の焼き肉屋さんでも出てきます。夫の好物です。

ギンナンをここまで綺麗にするのがどんなに大変か!それを惜しみなく「持ってって」といわれると、こちらお遠慮しません。

直売コーナーで買った「わかめ菜」。サッとゆでるとシャキシャキとわかめのような食感で美味しい。

これも地元の人に教わったもの。








おかず納豆とかもろみ納豆とかいうなめ味噌と、鯖の水煮缶を煎り付けたもの。

私はスーパーフードと呼んでいます。とにかく美味しいし、栄養がある。これは売っていません。さっき通りをはいていた女将さんのお宿のご主人(ムーミンというあだ名)の発明。




ザボンはバラのたくさん植わったお庭と菜園の世話にに忙しいあの方からのプレゼント。彼女の二胡の演奏を今度は聴かせてもらおう。

これらの物がなくなるまで、口に入れるたびに私の暮らしは地方に戻る、あの人を思い出す、心があの地へとなびくのです。

観光でも、定住でもない地方との付き合い方。私はたまたま、仕事の延長でこういう関係ができますが、皆が機会あれば「半分地方」の暮らし方を、望んでいるのではないでしょうか?

東京人は地方に憧れ、地方の人は都会人に地方の良さをおすそ分けしてもいいよ、という気になっている。

いきなり月の半分本当に地方に移動しなくても、別荘など持たなくても、常に地方と生きている気持ちになることから始めたらどうでしょう?食べ物から始めることでできます。

地元の食べものなどに興味のないおじさん方には無理でも、私のような食いしん坊おばさんにはすぐにできることです。地方の物を食べる、の次は、その延長で、産地の畑を訪ねて手伝ったり、その地の行事のある時は泊まりに行ったり、年に何度も訪ねるようになっていけます。

東西南北にそういう関係のある個性的な土地ができれば、なんて楽しいでしょうか。

「半分地方」の暮らし方を皆が実践できるように、今年は知恵を出していきましょう。

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ちょっとしたこと 実家というもの 2020/01/06 11:53 am

私は高校を出てすぐに千葉の実家から離れ、ずっと自活してきました。その間、実家との距離は様々変化しています。

昔は実家は私を拘束するところ、だから近づかない、自分の居場所も教えないひどい娘でした。

東京を離れた30歳代、少し落ち着くと、急接近。貧乏暮らしに援助物資をいただけ場になりました。

そして今や、96歳の母が居るというだけで、心が温まる場になっています。
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私が小学校のころ、海が埋め立てられた千葉市検見川町は、かつては東京湾の漁業が盛んな土地でした。アサリやアオヤギ、カレイ、ワタリガニなどがとれ、海苔の養殖も盛んでした。漁業組合まであったのですから、驚きです。

そんななか、当時越境入学で違う町の小学校に通っていた私は、大きなランドセルを背負って姉と京成電車で3つくらい離れた駅まで通学していました。中学、高校とこれまた電車で市川市まで。ずいぶん京成電車には乗ったものです。

小学校帰り、検見川駅から家までのデコボコのアスファルトの道沿いには四角に漉かれた海苔が干され、近寄ると海の匂いがして、パリパリと海苔が乾いていくかすかな音がしていました。道路の両側には溝があり、どぶ板がはめられていて、その上を歩くとカタンカタンと音がしました。そんな時代です。

いまや人通りはないこの道ですが検見川商店街はそのころ賑わっていて、その一軒の薬局では母働いていました。中学の頃は帰ると、着替えて自転車に乗り、商店街をのぞいで買い物し夕飯作りをするのが私の日課でした。





今回歩いてみると、まだ漁業をやっていた頃の建物がいくつか残っています。昔は各家を屋号で呼んでいましたっけ。





写真の少し向こうに見える緑が我が家に入る門の松の木。小学校の頃は、行ってきますと歩きはじめると、母はここで私が見えなくなるまで手を振っていました。

今から思えば、平和な家庭で、キツキツの収入のなか、ずいぶん私たち姉妹のために学費を納めてくれたと思います。が、そんな平和、平凡さが嫌になったのが高校時代。学生運動に影響されて、在学中からデモなどへ。

卒業後、その延長で家を出ます。親の世話になっていて、社会的な発言などできない、という当時の短絡的な考えからでした。

逃げ回るように疎遠にしていた実家には、今の夫と暮らすようになって顔を出すようになります。苦しくなると静岡県から車を飛ばし、実家へ。そして、お米やお小遣いをもらって。そんなおぼつかない暮らしを続け、ようやく何とか自分の好きなことで暮らせるようになっていきます

。勝手にいなくなって、再び勝手に行き来を始めて、本当にどうしようもない娘です。




その実家からある日電話があり「もう、泊まりに来ても、泊まれる家はないわよ」と母。???と思ってら、もらい火でそれまでの家は全焼したのでした。私が子どもの頃暮らした家の面影は、他界した父の植えたこの梅の樹だけです。



姉夫婦が再び建てた家。実家という印象は薄いのですが、それでも入ると実家の匂いがします。

今年からは玄関にスロープが着きました。「おばあちゃん足が上がらないから、これならゴロゴロを押して自分で動けるから」と姉。最近はこういうのがレンタルであるようです。

母の世話など何もしない妹に比べて、実家を継いだ姉の対応は完璧です。

もう96歳の母ですが、お正月になぜか普通の卵焼きの甘いのを作ることは相変わらずで今年もありました。それを食べながら、思い出話をします。「お父さんは大声上げて怒ったりしなかったけね。お母さんは私の手術のときよく一人で静岡まで来れたね。火事のとき貰い物の服で過ごしたね。私はずいぶん迷惑かけたね」

こちらは細かく覚えているのですが、母は「お母さんみんな忘れちゃったわよ。いまは毎日過ごすだけでせいいっぱい。この補聴器いいのよ。あんたもそのうちするんだからよく見ておきなさい」」と。

私のわが身を振り返る山ほどの反省ごとなどどうでもいいという感じでさっぱりしています。

母の部屋からえんがわ越しにかすかに手を振る母と別れ、戻って来たお正月でした。

山ほどいただきものを担いで帰りながら、実家とは、自分のこれまでを振り返る晒し場のようなところだと私は思うのでした。母は忘れても、こちらが覚えている以上、懺悔しに顔を見に行きましょう。

なんて思っていると母から電話。「トコ、あんた手袋と帽子忘れたわよ。まったく、気をつけなさいよ!お母さん使っちゃうわよ」

母元気です。

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ちょっとしたこと 「ふくしま大交流フェスタ」で 2019/12/23 1:06 pm

先日、このフェスタのために東京国際フォーラムへ出かけました。美味しいものを探しに、そして女友達に会いにです。

西会津町でメープルサイダーを作っている佐藤昭子さん、古殿町で凍み餅を作っている小澤啓子さん。

女性たちは皆、それぞれの事情を抱えながら、笑顔で自信作を売っていました。「くよくよしてもしょうがないもの」飯館村の女性の言葉が心に残りました。
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「ふくしま」と聞くと、心がきゅんとします。地震と津波と原発事故と、一杯つらい思いをして、今もなお。

東京に浮かれて暮らしている者にとっては、本来きゅんとするどころか、いつも考えていなくてはならないのが「ふくしま」のことでしょう。

その「ふくしま大交流フェスタ」が有楽町であるとならば、これはいかねばなりません。

大賑わいの会場へ夫と出向きました。まずは昼食と「なみえ焼きそば」と「ソースかつ丼」です。いただいたパンフレットを眺めると、福島県でのいろんな思い出がよみがえります。

会津美里町では眦椎濕蹐蠅鬚靴泙靴拭ニシンの山椒漬けを作る本郷焼の「ニシン鉢」は今も花入れに使っています。昭和村では「からむし織」の織姫さんにお会いしました。名刺入れも使っていました。

郡山市に初めて行ったのは20歳の頃、ロックコンサートでした。会津若松市では、街で一人飲みをしました。会津木綿の着物は5枚作りましたっけ。飯館村にはスローライフの話をしに伺い、「までい」という言葉を覚えました。

南相馬市、浪江町、双葉町には、災害のドキュメントを撮る夫が訪ねました。数えだせばきりのない福島県との関係です。訪れることで支援になるのですから、もっと頻繁に腰をあげねばいけません。

それが今年一月、古殿町にうかがう機会がありここで「凍み餅」を作る小澤啓子さんと知り合いました。その時のブログはこちらです。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=499&date=201901


凍り付くような寒風の中で保存食を作る、この伝統技術と彼女の明るさにすっかりファンになったものです。

目指すブースはすぐに見つかりました。小澤さんオレンジ色のエプロンで、お仲間たちとせっせと販売中。ゆっくり話す時間はなかったですが、みんなと楽しそうでそれだけでこちらも嬉しくなりました。

そのお隣が、西会津町の佐藤昭子さんがいるブース。イタヤカエデから採った樹液の入った国産メープルサイダーがキラキラしています。

彼女と最初に会ったのはいつでしょう?もう10年以上前になりますか・・・。「キノコママ」の愛称で、彼女の書かれるブログは楽しいものでした。会津でお酒を飲んだり、佐藤さんが六本木にデモンストレーションにいらしたときは見物にうかがったり、コンフィチュールをつくられた時は試食させていただいたり。

震災直後、彼女が作られたおかゆの缶詰は、被災時でそのまま高齢者や赤ちゃんが食べられる逸品。彼女は自分のキノコが栽培できなくなっても、その缶詰を被災地に届けたものです。その後、縁側カフェを開いたり、メープル商品を開発したり。いつも動いている人、という印象です。

Facebookで繋がっていましたが、この秋、ご主人が突然病に倒れ、延命治療もむなしく亡くなってしまったのです。

様子をうかがうと昭子さん、元気に笑っておいででした。






この大きな会場にいる「ふくしま」の方々は、たくさんの悲しみ苦しみとともに笑っているように思います。

天災や人災、そして個人的なご不幸も含め。厳しい気候は、豊かな食文化も育てますが、今年の台風ではまた災害が起きました。

ピンクの幟やオレンジのエプロンは、自分に勢いをつけるためかもしれません。それぞれがいろいろな事情を抱えて、でも、美味しい、安心なものを手間暇かけて、丁寧に作っているのです。

どこのブースもにぎやかで勢いがある、その中をめぐっていると、私は「頑張れ、頑張れ」と「ふくしま」に肩をたたかれているような気になりました。

飯館村のものを販売しているブースで、「いいたて雪っ娘カボチャ」の商品を売っていました。

そこのこれまた元気な女性がどなたかと話しているのが聞こえました。「くよくよしてもしょうがないもの」と。

彼女もきっといろいろなことがあったのでしょう、あるのでしょう。でもカボチャのようにほっこりとお客の私に微笑んで、冗談を言い笑わしてくれます。

応援しなくちゃとうかがった催しで、すっかり励まされて帰ってきました。

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ちょっとしたこと 久々の女友達、長崎で 2019/12/16 2:02 pm

由利さんは、私が昔編集長だったSNSブログサイトで人気の書き手でした。雲仙市で地域拠点を作り、今は長崎。防災・エコをテーマに活動中です。

伸子さんは、私が栃木県那須町に通ったときの、現地有力メンバー。この秋、長崎に移住し古い家を改装中。

このお2人と私が長崎で会いました。久しぶり、初めまして。あいさつの後は即友達に。これから3人で何か始められそうです。

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長崎の街は久しぶりでした。車中から「わ、文明堂!!」などと興奮して写真を撮ってしまいます。古く、堂々としていた県庁は取り壊されて跡形もなく、モダンな新庁舎が海側に建っていました。

ここでオーガニックマルシェがあるというので、ちょうど雲仙にいた私は出かけたのでした。

待ち合わせていた由利さん、会うのは何年ぶりでしょう。5年、6年、いやもっともっとですね。彼女が仙台から雲仙市千々石の風景に惚れて移り住み、立派な古い家を「竹添ハウス」(持ち主の名にちなんで)と呼んで、交流拠点とし始めた頃に、夫と泊めてもらったものです。

10年以上そこで頑張っていた彼女は、いろいろあって雲仙市を離れ、終の棲家を長崎の街なかに据えたのでした。

うかがったマンションは広いすっきりしたワンルーム。持ち物はとことん減らして暮らす由利さん流の生き方が形になっています。ここで彼女は夫と「くらし方研究室」という看板を掲げ、一級建築士の彼はその仕事を、由利さんはくらし方のアドバイザーとして地元テレビ番組出演から執筆・講演などしています。

職住一緒のシンプルな暮らし、長崎の街の景色とともに、甘酒とリンゴをごちそうになります。エコクッキングや防災への提案など、彼女の番組を見せていただきました。基本、今あるものをとことん使いぬいて、お金をかけず知恵を出す暮らしです。

「麺棒がないからできないではなくて、ラップの芯を代わりにしてパイ生地を伸ばす」とか、「災害時はビニール袋にてんぷら粉・卵・水・ツナ缶を入れてよく揉んで袋ごと茹でれば主食ができる」とか。ユーモア満載の番組で、もともっと見たくなります。

最初に出会ったときから彼女は“大人の知的な遊び場”が必要と言っていました。今の暮らしにもそれが満ちています。彼女の着ていた防災ベストには、最低限必要な被災時必需品が各ポケットに入っています。

「笛、マスク、ビニール袋、小銭・・・・・」とザクザク出てきます。「これを特別なところにしまわないで、いつも着てれば安心」防災ウェアはもはや彼女のユニフォームなのでした。

由利さんの家からすぐのところに川があり、橋があり、その先には有名な眼鏡橋。そして長崎で一番古い今も息づく商店街が。仙台を出発し、東京、仙台、雲仙、そしてこの長崎に。自分の流れ方と流れ先を自在に選び、すべてを栄養にして今、彼女はここに居ました。






同じ日、由利さんに紹介したのは、伸子さん。栃木県から長崎にやって来たばかりです。夫の実家が熊本だったのですが、そこには行かずにとにかく九州内で居場所を探そうとウロウロしたそうです。正真正銘の移住者です。結局、長崎市内の築60年の昭和の家を選びました。引っ越したもののまだまだ改装中だそうです。

彼女とも久しぶりです。那須町に私が通い始めたのは10年以上前。温泉があり別荘地があり、酪農や野菜作りが盛ん、観光地でもある那須町。町じゅうをレストランに見立てて“食”でまちおこしをしようと「なすとらん倶楽部」というものを作りました。志のあるいろいろな人が集まり、今も活動が続いています。

忘れられないのが「おいしい那須暦」というカレンダーづくり。その時期に那須町でどんな農作業があるのか、どんな花が咲くのか、どんなものを食べるのかをみんなで書き出し、365枚の絵にして仕上げた手作り暦。

子供や高齢者まで絵を描いて、家庭や学校で吊るされると、自分の絵が出てくる日を楽しみに各人が待ったものです。この暦を作る作業そのものが、まちおこしのいいプログラムとなりました。

冬場の美味しい野菜を使って、「な・す〜ぷ」という共通の名で各店でスープを出そうという仕掛けも考えました。お店ごとに工夫があり面白いスープがいろいろできました。これは「な・スイーツ」「那須弁」と発展していきます。

伸子さんはもともと地元タウン誌を編集していた人、パートナーはデザイナー、だから彼女の存在は様々にこの動きのパワーとなりました。シンポジウムの構成台本から、記者会見の仕切りまで、伸子さんに任せていれば安心だったのです。彼女は地元温泉場の観光協会事務局長もやって、那須を卒業していきます。

実は、由利さん・伸子さんを引き会わす前日、伸子さんは私がかかわっている「雲仙人お出かけサロン」に参加されました。久しぶりの再会記念に日本で一番海に近い駅「大三東駅」で記念写真を撮りました。見た目はおばちゃん2人ですが、心はうきうき高校生なのでした。

大三東駅には「幸せの黄色いハンカチ」にメッセ―ジを書いて飾るところがあります。長崎で新たなステージを迎える伸子さんに幸あれと、黄色い布がなびいていました。

由利さんの活動は、一冊の本になるほどの内容です。それは今こそ世の中に必要な情報であり提案です。絶対本にすべし!と私は勧めました。それを伸子さんが編集したら素敵だな〜なんて思います。

一方、伸子さんがこれから人が交流する場などを考えるとしたら、由利さんの経験は生きるでしょう。長崎の先輩として、街の活用法も由利さんから学べます。

2人が掛け算で刺激しあえば何かが生まれそう、そこに私もからみたいものです。

いろいろなもの、ことを背負って50代、60代の女たちは生きています。重くて潰れそうなこともあったでしょう、パートナーとなんとか乗り越えてきたことも多いでしょう。私も含め、夫婦だけの3カップル。なんとなく似ています。

最も3人共通なのは、とりあえず笑っちゃえ、というタイプの女であること。それがまた今回確認できました。

まだまだいろいろあるでしょうけど、由利さん、伸子さん、ぼちぼちやって行きましょうぞ。

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ちょっとしたこと “ケチ上手” 2019/12/09 11:54 am

『おひとりさまのケチじょうず』著者・小笠原洋子さんが来訪。「ケチな名刺で」と手製名刺でご挨拶、そしておしゃべりが。

ティッシュでなくトイレットぺーパーを利用。余計な食器は持たない。靴は手入れして長く。鍋料理は注ぎ足し変化させて何度も。

そんな彼女がお土産に真っ赤なバラとチョコレートケーキを。上手なケチはお金の使い方の“緩急自在”であることが分かりました
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小笠原さんとの繋がりは10年前になります。2009年「筑紫哲也賞 スローライフの眼 作文コンクール」を開催した際に、『うさぎとかめ逍遥』という作品を寄せられ、「スローライフ賞」に選ばれたのでした。

それだけかと思っていましたら、以前私が「本気のライター講座」って名だったか?とにかく文章を書く、表現をする、そんな講座をやりまして、それに参加者でいらしていたとか?ああ、恥ずかしい。

コンクールが先か、講座が先か、いずれにしてもご縁があったわけです。その細い縁の糸は、この秋の筑紫さんの命日辺りに、小笠原さんからの「本を出版しました」とのご連絡から手繰り寄せられました。

エッセイストである小笠原さんが書かれたのは、地球にもお財布にもやさしい“ケチ道”の話。興味ありとお返事したところ、すぐに出版社が本を送ってくださいました。

私の関わるNPOスローライフ・ジャパンのメルマガに、早速紹介しました。

〜理屈だけでなく、実践されている具体例が書かれていて、笑いながらうなずくことばかり。パーマやヘアカラーなど髪にお金をかけない。白髪のショートを素敵に。透明プラスチック容器は何度か使ってから捨てる。などなど。皆さん多少はしていることだとは思いますが、ズバリと書かれていて潔い!年金生活でも、無駄をなくし、物質から解放されてエレガントに生きる志と知恵にあふれていました。『おひとりさまのケチじょうず』小笠原洋子著 ビジネス社 1300円+税〜


このように紹介した後、私は無性に彼女に会って見たくなり、「機会があれば」とお願いしていたのです。願いはすぐに叶い、小笠原さんがスローライフの事務所に遊びに来てくださいました。

「ケチの本を書いた」と聞くと、完璧節約家で髪振り乱して「あれはいけない、これはいけない」と言いそうですが、現れた小笠原さんはとってもチャーミングな方でした。

小柄な体を藍染めのコートに包み、襟飾りのあるカシミヤ?のあずき色のアンサンブル。輝くシルバーヘアにベレー帽がシックです。

そして、ケチ話はとりとめもなく、大笑いしながら続いたのでした。小笠原さんが紹介している、「出なくなったチューブは切って、中の残りをとことん使う」は、実は私の得意技。

これはやっている方多いでしょう、でもちょっと恥ずかしいというのがあるかも。我が夫に言わせれば「ちまちま、みみっちい」ということになりますが、切った中にはまだごっそり中身がある、捨てられましょうか?歯磨きはほらね、こんなに。まだまだ相当使えます。

姉からもらったファンデーションは、「もう出ない、捨てよう」と思ったときに容器を切ったら中にゴッソリ。水気が少ないほど中に残りやすいのでしょう。

チューブの底から切って使い、切って使い、いよいよ背丈は小さくなっていきます。最後はもちろん、小笠原さんと同じく、楊枝でホジホジです。たくさん取れるとこれまた嬉しい。、

納豆の空容器は、私はそのまま捨てていました。ケチ上手先生によると、「容器を4分の1に折り畳み、テープで止める」。そのテープたるや、スーパーなどで「レジ袋いりません」というと「では、テープだけ貼らしてください」と貼ってくれる数センチのテープを、捨てずに冷蔵庫などに貼って置きそれを使うとのこと。

このすご技は私にはできない。輪ゴムでお許しをと最近は励んでいます。毎日納豆派にとって、確実にゴミの量が減りました。捨てるゴミを少なくするのも、地球に対する礼儀ケチなのでした。

当事務所で、スタッフが「ティッシュより、トイレットペーパーの方が安いですか?」と質問。もちろん安いのですが、小笠原さんのケチはだた安い、高い、ではないのです。「なにも、ほんの少しの汚れに2枚重ねのティッシュ1枚をわざわざ使うことはあるまい」という考え方なのです。

以来、トイレットペーパーをデスクに置きました。5センチで済むときもある、20センチいるときもある、と自分で判断するようになりました。目薬をさした後の涙をわざわざティッシュで拭かずとも、トイペ3センチで充分ということ。今や日々、「これで足る」を知るという訓練です。

持っている食器はほんの引き出しひとつ、とか。鍋料理は何度も変化させて延々と食べる、最後はフライも入れる、とか。その極意をうかがうと実に清々しい。物に埋もれ振り回されている暮らしの、馬鹿馬鹿しさが分かってきます。

私のパソコンはいま、こんなにボロボロ。新幹線などで開くと、横の人のため息が聞こえる。だけれど、まだまだ動く。ガラ系携帯もしかり。何も不便していないから、もう少しこのままで、と自信が着きました。

小笠原さんは節約家であり、お上手なケチ道を楽しんでおいでですが、プロフィールにあるように何冊も本をお出しです。その1冊は彼女が魅了されたドイツの画家の、作品にある風景を訪ねる話。10年間に9回も訪ねている。

本を書くためというよりも、自分が納得するまでの旅だったのでしょう。いわゆる悪い意味でのケチな人はそんな旅を繰り返すでしょうか?使うときにはドーンとお金を使って、ある意味とことん贅沢な旅をされています。

要は、お金の使い方を自在にすること。緩急をつけること。自分物差しで生きること。これがケチ上手の極意と思いました。小笠原さんからは赤いバラとチョコレートケーキをいただきました。筑紫さんの写真が嬉しそうでした。

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お仕事 山村での子育て 2019/12/02 1:52 pm

平地がない、公園がない、店がない、交通が不便。“ない”を言い出すときりがない、奈良県山間部の十津川村。

ここで子育てを応援する「山っ子プロジェクト」が始まり、遊び場情報マップを作りつつあります。

いい空気と水がある、人情がある、こだわって生きる人がいる、子連れで行けるちょっとした場所もある。

“あるもの”を探していくと、その豊かさが見えてきました。
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紅葉のきれいな十津川村です。

山は美しいですが、人の暮らしには厳しさを突き付けます。道路を通すにはトンネルが必要、崖に沿う道はすぐに土砂崩れにあう。

村内のあちこちに移動するには、幹線道路から脇道に入ると、道幅は狭く、うねうねとカーブが。



子育て中のママ達には、「村内移動でも怖くて行けない」場所が多くなります。

それでもこの村に居なくてはならない、この村に居たい、ということでみんな日々を過ごしています。最近は、「不便でもこういう村に住みたい」という移住者も増えてきました。

この村で暮らすなら、暮らしたいなら、もう少し能動的に良いことを探そう、お互いの情報を分かち合おう。山に暮らすママ達が、「あそこなら子連れで遊べるよ」という場所を出し合いました。

実際にはいくつかの候補のなかから、「私はここがおすすめ」というところを話してもらいました。この日集まったのは大字谷瀬のママさんたち。お隣の上野地の方も1人。

子連れですから、会議にはなりません。ママたちが座る回り、長い廊下を子供たちはキャーキャーと駆けまわったり、踊りを始めたりします。

でも、まずはこうして集まることができる場があるなんて、いいことです。集落にある一軒の民宿に皆さんが集まりました。

これが都会ならどうでしょう?子供スペースのある会議室を探して予約して、2カ月くらい前から抽選で場所確保なんてことでしょう。

ここにはお爺ちゃんお祖母ちゃんもいます。集まった子供たちみんなが兄弟のようでした。

さて、その遊び場情報マップのことはいずれお話するとして、今回、村を回っての気づきを書きましょう。

ママミーティングに参加したお1人が、子連れで安心の遊び場として、旧上野地小中学校グランドをあげました。

なるほど、立派な公園ではないですが、地域の人がグランドの草刈りをして、今もきれいに維持しています。「ここで虫取りしたり、自転車に乗ったり。寒いときは体育館でも遊べるの」と案内してくれました。

閉校した学校は山村につきものですが、そこは安全な場でもあるわけです。

「十津川村は給食が美味しいの」という声も上がりました。保育所、学校の給食がセンター方式でなく、人数分を丁寧にそこで作る。だから、評判がいい。

「給食に出る人気メニューの作り方を知りたい」といわれるくらい、愛されている味。「あのおかずまた食べたい」と思い出の味でもあるのでした。

この日うかがったある保育所、うちではなかなか作らない食べてみたくなるメニューが書かれていました。

その保育所の近くに「手作り公園があって、よく行きますよ」とママさん情報。歩ていくと、こんな看板がありました。

この公園?は元校長先生だった方が、手づくりで作ったそうです。あそび場の横には畑もあって、芋ほりなどもさせてくれるとか。

看板からも、作った方の温かな気持ちが伝わってきます。都会でこんな人が、こんな場所があるでしょうか?




ブランコ、滑り台、シーソー、丸太をボルトで繋いだ遊具が並びます。

作者の奥様がブランコに試乗して、「思いきっりこいでみて」とご主人から言われ、こいだところ、ブランコもろとも倒れた、という物語付き。

子供たちのためにとご夫婦が一生懸命になられている様子が、目に浮かびほほえましいです。

歩いていると、同行の役場職員のお知り合いから声がかかりました。「かつての剣道の先生」だそうです。「ミカン持っていくか?」と夏ミカンを、一つ二つと。

「5分時間ありますか?能面いていく?」と自宅にご案内いただきました。作業の小屋にはたくさんの彫刻刀、ノミ、ノコギリ、ナタなどが並びます。


東日本大震災の年、十津川村も大きな災害がありました。大雨で山が大きく崩れ、川が津波のように民家や施設を流しました。切り立った山を覆っていた杉、桧も山ごと倒れ流れました。

「退職後、何かしようと思っていた時に、たくさんの木がダメになっているのを見て、能面を作ろうと思って」と主は語ります。桧を四角く切り出してその塊を3年おき、面に彫っていくとのこと。いまや個展も開く腕前、セミプロの方です。

100以上の能面が並ぶお部屋、この個人ミュージアムに、子供を連れてきたら?泣くかな〜?でも強烈な思い出になることでしょう。

土曜の朝、毎週道の駅の駐車場に出るのが「にこにこ農園朝市」です。同じ地域の女性4人が、ご近所の野菜や漬物、手づくりのお弁当、お餅などを集め、ここで勢いよく売っています。

4人のおひとりは、「この朝市だって、子連れで遊びに来れる場。めはり寿司やヨモギ餅などの地元の味も買えるし、足湯でゆっくりもできるし」

「スエーデンログ」の名の、切り株もありました。丸太に切り込みが入っていて、桧なので真ん中に火を付けると焚き火になるのだそうです。

こういうのを真ん中に、火をつけて、子供たちと夜遊びなんていいなあ。「これ、クマが剥いだ木。珍しいのよ」と解説の声が。山っ子の近くには、クマも居るのでした。くわばらくわばら。

果無集落と呼ばれる、天空の集落へ行きました。「赤ちゃんでなければここも歩けるし、お弁当を食べるのにいいよ」と聞いたからです。

民家の横や田んぼのなかを、尾根伝いに小道が伸びます。世界遺産でもある「小辺路」と呼ばれる古道です。

歩く人のために、清水がためられ、花が添えてある。これだけでこの村の人たちの心が伝わってきます。「人が歩くのはイヤ、のぞかれるのはイヤ」どころか、「ようこそ、ごゆっくり」なのです。

朝市で買った「めはり寿司」にかぶりつきました。海苔が手に入らなかった時代、この辺でおむすびと言えばこの「めはり」。高菜の漬物でご飯を包んである。高菜の塩味で食べるおむすびです。

若いママさんが伝統の「めはり寿司」を作れなくても、朝市で買って子供と味わうことができる。

しかも世界遺産の景色を眺めながら。駐車場もトイレもすぐそこ、贅沢な遊び場です。

平谷地区の交流センター「いこら」に寄りました。温泉の豊富な村です。足湯はもちろん手湯もあります。タオルは近所の宿の方々が用意してくれています。

国道から入ったところなので静か。駐車場で外国人と地元の子供たちが遊んでいます。

ここでは村民が曜日交代でお店を出しています。この日は「日だまりカフェ」の名で、地元の大工さんがお店を開いていました。果無集落を子連れの遊び場として勧めてくれた大工さんです。

「世界遺産の石碑がある所より、さらに上ったところにもいいところがあるよ。車も来ない」とうかがい、再度行くことになりました。

このカフェでは、地元素材を使ったパスタや天ぷら、から揚げなどがある他に、大工さんハンドメイドの物が売られています。

十津川材でできた、赤ちゃんスプーン。子供にはこういう食器を使わせてあげたい。離乳食からこのスプーンで育つなんて、上質の食育ができますね。

皆さんのおすすめをうかがうと、この村は「子育てに良い環境」であることが浮き彫りにされてきます。何をもって良しとするのか、個人の生き方、価値観の物差しの持ち替えで、“ない”が“ある”に変わるのではないでしょうか?

コンビニや大きなスーパーはありません。でも、ママさんたちはネット通販を盛んに使います。不便はITで補いながら、村にある本物の豊かさの中で子育てしていく、これが正解でしょう。

日だまりカフェで買った、手作りワッフルの美味しかったこと。正直に焼いたワッフルが100円なり。それが十津川村なのでした。

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お仕事 思いつきを企画に 2019/11/24 2:38 pm

地域おこしアイディアの気軽な発案は楽しいですが、その後はお蔵入りが多いものです。

素朴な思いつきを実現可能な企画に磨く作業をしないと、一歩は踏み出せません。

名称、目的、主催、対象、期日、場所、内容、事業費、費用捻出方法、役割分担、などなど14項目を考えて企画案に。

こうして80近いアイディアから絞られ、2つの企画ができました。雲仙市で。
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雲仙市で私がお世話している「雲仙人(くもせんにん)プロジェクト」については何度も書いています。そして、前回の皆からアイディアを出したというところまではここに書きました。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=540

先回のブログはこういう言葉で閉じています。

「と、ここまでくると夢は広がるのですが、お金をかけず、今のマンパワーで、皆が楽しめる範囲でできる実験を、しかも雲仙市全体にかかわること、に、ギュッと固めていきましょう。」と。で今回の「わいわいサロン」となりました。

こういうことをいつもやっていて思うのは、何回かのワークショップに同じ人が出てくるわけでないし、それでも前に進めなくてはならないしなので、その日、そこにいる人たちでエイヤっと決めていかなくてはならない、ということです。

つまり、来た人が、前回の人のやったことを理解し、少しずつ先に進める。左官の仕事に例えれば、今日来た職人さんでできるやり方で壁を少しずつ塗っていくという感じです。







今回もそうでした。80の思いつきアイディアから、支持の多かった案が5つ。そこから、“これを企画に磨きたい”というものを2チームが2つずつ選んで、1時間半で企画にしました。

1人が進行役、1人が発表者になり14項目を考えて、煮詰めていきます。

例えば「雲仙名物人図鑑」を作ろうという案は、名称的にどうだろう?もう少しサブタイトルが欲しい。「雲仙人という名の人々」なんてどうだろう?と意見が出てきます。


「雲仙人ランチ」はどんなテーマでくくるのか?その時期の旬の野菜?それとも最初から雲仙の産物10アイテムなどを選び、そこから3つを必ず材料に選んで作るランチとするのか?

お弁当形式でもいいだろうし、高校生や地元のおばちゃんたちがレシピを考えて、それをレストランが実現したりすればすそ野が広がる。



基本、市役所からお金をつけてもらうなんてことは考えずに、自分たちでできる術を探ります。

参加者が少しずつ負担金を出して集めるか。クラウドファンディングか?そもそも簡単にそういうけれども、なんでもかんでもクラウドファンディングで賄えるのか?甘い甘い!という話になります。

発信をどうするか?も、どの案もSNSと書かれました。今どきの発信はそうであったとしても、ここにいる、主催者となりうる“雲仙人”の方々が、何人SNSを駆使して日々発信しているのでしょうか?

「温泉道」と仮に呼ぶプランも、「温泉場の人、宿の人に参加してもらわないとダメだね」「昔は島原半島に3つある温泉を回る湯治の仕方があったんだけれど」「まずは我々が温泉のことを勉強しないと、なにか事業を始めるどころじゃない」と現実の厳しさを感じることになりました。

いろいろ素朴な発案を具体的に考え出すと、どれもこれもできないような気になってきます。





でも、企画に磨くことで思いがけず開花する案もあります。市の樹ヤマボウシをテーマに何かできないか?「ヤマボウシシリーズ」という案は、最初は実でジャムを作るとか、お土産を作るとかの案でした。

それが、ヤマボウシという名の帽子を作ろう。実をモチーフにイヤリングを作ろう。ヤマボウシ染めをやろう。花にみえる白い4弁の形をデザインに活かして、小物にしても。友情が花ことばだから関係人口を増やす象徴になる。なんてワクワクが広がって、名前も「ビバ!ヤマボウシ」になりました。

最後は投票です。この限られたマンパワーでできること、まずは手をつけることは?

何を始めることになったのか?乞うご期待です。終わってから食べた差し入れの芋もちの美味しかったこと。地元では「どんだへ」と呼ぶそうです。こういう昔おやつの学びや体験もいいなあ〜と、また私は欲を出して思うのでした。

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ゆとりある記 越谷でロケットストーブ 2019/11/18 11:56 am

ペール缶や一斗缶をつなぎ、なかに煙突を通して作るロケットストーブ。

少量の薪でも気流でロケットのように、勢いよく燃え上がり、災害時やキャンプの時に役立ちます。何より手づくりできる。

以前もご紹介しましたが、先日、埼玉県越谷市で作る機会があり、あらためてその威力に感心しました。

このストーブ、お米を炊いたり豚汁を作るだけでなく、人と人や、地域の関係も温めてくれます。
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11月13日(水)埼玉県越谷市にお住いのスローライフ学会会員・小松崎いずみさん、中島プレス工業(有)主催の「ロケットストーブ作り体験」に参加してきました。

講師はこのお二人。JDSA日本災害救援活動士協会の神徳政幸さん(右)と、玉田拡之さん(左)。神徳さんはなんと和歌山県紀の川市からいらしてくださいました。


会場はお隣がお墓の自治会館の駐車場。まずは自己紹介です。

集まったのは地域の防災に貢献している女性たち、小松崎さんの会社の方々、東京からは持続可能なエネルギーに取り組む企業の方も参加。私と夫のように、賑やかし係もいます。




最初の試練は金切りバサミ。金切り声をあげるのは得意な女性たちですが、こういうことは初めて。

花バサミとも勝手が違う。「あら〜〜、全然進まないよ〜〜」こういう時に講師がやってしまえば簡単なのですが、笑いながら見守ります。いつかできるのですから。




ペール缶のぐるりを切り離すのですが、金属用のこぎりのようなサンダーで切ればすぐ。でもすぐできちゃつまらない。数人一組で、ああでもないこうでもないと切るからいいのです。

その合間に記念写真も。右の女性が小松崎さんです。




風のある結構寒い朝だったのですが、「暑くなっちゃたよ〜〜あたし」と上着を脱ぐ女性も。

だんだん本気モードになってきます。







煙突が入るところは、放射線状に切り込みを入れていく。ほらほら、もうずいぶん慣れてきました。

「農家もやってるからね、外の仕事は慣れてるから」なるほどパソコン相手の日常を送る私とは、越谷女性、力の入れ方が違います。





「ペール缶をつないで、煙突を入れるとこういう形になるわけで・・・・」ようやく出来上がりの感じが見えてきました。

青いジャンバーの専務さん「社長がロケットストーブって騒いでて、何のことやらわからなかったのが、ようやくわかったよ」




ペール缶同士はインパクトドライバーという、銃のような道具でネジを止めていきます。

ウイ〜〜〜〜ンと音を立てながら、ネジが入ると気持ちいい。スカッとして、癖になりそうです。






生まれて初めてのインパクトドライバー扱い。恐る恐るやるとネジは飛んで行ってしまう。

「ま、こういうのは慣れやから」と神徳先生。







煙突が入ったら、断熱と煙突固定のためのパーライトを詰めます。二袋位、相当入るものです。

「こぼさないで〜。はいカメラ目線ね!」神徳講師は必ず周りを笑わせてくれる人。災害時、どんな状況下でも笑いさえ忘れなかったら、何とかなる、と思うと、こういう方は大事です。私もこういう人になりたいなあ〜。


細い小さな木っ端を入れて火を付けました。落ち着くまでは煙が出ます。

女性たちが鍋の底に水溶きしたクレンザーをたっぷり塗ります。このひと手間が大事。このおまじないをしておくと、どんなに煤のついた真黒鍋もタワシでこすればサッときれいになる。越谷女性から暮らしの知恵を教わりました。


墓参りの水をくむところで、お米を炊く用意。ビニールに一合のお米と一合の水を入れて、このまま鍋のお湯に入れて炊きます。









越谷は野菜の産地。立派な長ネギ、椎茸、小松菜。これで豚汁を作りましょう。

たくさんあるネギにベーコンを巻いて、焼けば美味しいよ〜。だんだんキャンプの雰囲気になってきました。





3台の出来立てロケットストーブがフル活動。薪はほんの少しでゴーッと火が立ち上るので、お湯はグラグラです。

頼もしい感じ。これならお風呂に入れなくても、川の水を沸かして身体を拭くくらいのお湯はすぐに作れますね。




この間に、一斗缶で作るロケットストーブも作ります。これは実に簡単。サクサクッとできました。










味見の時だけ登場の方もいます。越谷女性軍の手作りお味噌がまた美味しいこと。

野菜の味と味噌の味で、出汁などいらないくらい。







蒸しパン粉を水と一緒にビニールの中で湯煎して、おやつも出来上がりました。










9時から始めて、12時にはランチ。調理ストーブを作るところからなのですから大したもんです。

一度でもこういうことをやっておくと自信が着きますね。お湯を沸かせば湯煎でお米も炊ける、ケーキも作れる。綺麗な水が無ければ、缶コーヒーでも缶入りトマトジュースでもお米は炊けます。湯煎に使う水は汚くとも、缶入り、ペットボトル入りの水分でご飯は作れます。

一家に一台、ロケットストーブがあれば、電気やガスが止まった時も心強いでしょう。ロケットストーブの考え方は、まさにスローエネルギー。自分に必要なエネルギーは自らの力で、と強く考えさせられました。

朝は知らない同士だった皆さんが、終わるころにはお仲間に。一緒に何かを作る作業は人を近づけますね。身体も心もホカホカした越谷でした。

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ゆとりある記 静岡でお茶を思う 2019/11/11 12:07 pm

静岡市で開かれた「世界お茶まつり」を覗いてきました。“世界”というだけあって「世界の路上茶体験」「国際シンポジウム」「汽車土瓶と茶の木人形の展示」など、内容は本格的です。

ペットボトルのお茶が当たり前になり、家族で「お茶にしようか」と急須でお茶を淹れる機会が無くなっています。

お茶は単なる飲みものでなく、いい時間を作ってくれるものとあらためて思いました。
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春と秋とお茶まつりがあり、「世界」と付くのは数年に一回だそうです。ちょうどよいときに静岡に用があり、立ち寄ることができました。








東静岡駅にあるグランシップという施設、以前、静岡に住んでいた者としてはなつかしい。

建物の外も中もお茶一色の催し。もっと時間に余裕をもって来るべきでした。






いきなり茶の樹の販売。

これを買って帰れば、我が家の窓辺でも茶摘みができるのでしょうか?フライパンで炒る、釜炒り茶なら作れそう。







なつかしい手もみの技。熱い「ほいろ」の上で、しわの深い手が動きます。それぞれの揉む動作に名前があって、役割があります。

今の時代に、まだこういう伝統が残っているのが嬉しい。針のように細くまで揉み上げたお茶は高級品です。つまんで食べれば、ポリポリと美味しいもの。



世界の路上茶体験コーナーで「ウズベキスタン」のお茶を体験。

茶葉は緑、これをティーポットに入れて、お砂糖を少し、お湯を注いで、さらにレモンを半分搾ってから、ポトンと入れてしまう。ま、レモンティーですね。

取っ手のない、湯のみのような茶器でいただきました。


展示物を見ると、これは楽しいお茶のサッカーボール?お茶の花とお茶の葉がパッチワークのようになっている。

サッカー王国静岡ですから、こんなボールが本当にあってもいいくらい。可愛いデザインで、ほしくなります。




世界各地のお茶、発酵茶や碁石茶や。お茶を飲む場の設えがあったり。茶席がいろいろあったり。何冊もの本を読むくらいの濃い情報です。

なかでも気に入ったのは「茶の木人形」。お茶の木を彫りあげた茶娘。根付に使われたとかで、小さい。なんともかわいいのです。江戸から明治にかけて作られたとか。知りませんでした!

頭のなかにお茶のことがいろいろ詰まった状態で友達の事務所(そふと研究室)に行くと、茶箱とふるいが積んであります。

これは展示物ではありません。もうやめてしまうお茶屋さんから引き取って来たとか。ここはお茶をテーマにしたツアーを企画しているので、こんなこともあるのでしょう。

ほおっておけばゴミになってしまう貴重なお茶文化です。茶箱は買いたい人があるでしょう。ふるいはドライフラワーと一緒に壁に掛ければインテリアになります。

友達が仕事を片付けている間、お茶について考えました。少し聞くことができたシンポジウムで話されていたこと。

お茶離れが進んでいるけれども、ペットボトルのお茶でかろうじてお茶が飲まれている。これからプラスチックごみが問題になって、ペットボトルが消えていくと、お茶は生き残れるのか?

かつてお茶のペットボトルが売り出されたときに、静岡では「ただで飲めるお茶をお金を払って買うのか」なんて話題がありました。

静岡ではどこも茶畑で、お茶は「ある」ものでした。食堂に行けば美味しいお茶が当たり前に出てきていたのですから、そう思うのも無理はありません。

それがいつの間にやら、会議のお茶は全国的にペットボトルになり、家でも大きなペットボトルのお茶が使われるようになり、急須の出番がなくなりました。茶葉を買う人が少なくなっています。

日常茶を茶葉を使って急須でだす人は減って、葉でだすのならこだわりのあるブランド茶とか、有機農法茶とか、玉露とか、特別なものを求めるのではないでしょうか。特別な時にそれを淹れる。ペットボトルか高級茶か、2極化しているように思います。

でも、それも寂しい気がします。「おーいお茶にするか〜」なんて言葉が日常の中になくなって、リーフは高級品だけになるとは。

最近は「お茶する?」という呼びかけは、カフェに行ってタピオカなどをすする行為となる始末。

お茶のみ友達、お茶の間、お茶漬け、お茶うけ、茶柱なんて世界はペットボトルでは創れない。お茶を飲まなくなった私たちは、一緒に大事なものやことをなくしてしまったのかもしれません。

せめて夫婦で、家族で、仕事場で「お茶にしましょう」と呼び掛けて、お茶を葉で淹れたいものです。細い葉がお湯を含んで広がって、時間とともに香りたち、うまみと甘みと渋みのある緑の液が出来上がり、それを均等に何度も少しずつ注いでつぎわけて、憩いの時間を分かち合う。

そんな生活習慣を取り戻せば、少しはこの日本が良くなるのではと思うのです。

と、まずは自分に淹れたお茶。少々出がらし、急須はネットのあるガラス。ま、これでもいい、、、から始めます。

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お仕事 龍神村で 2019/11/04 1:40 pm

和歌山県の「地域の魅力再発見研修会」で講師をしてきました。自治体職員や住民の方々が集まって、楽しいワークショップとなりました。

研修前に訪ねたのが田辺市龍神村、美人づくりの湯で知られますが、それだけではなかった!

NPOが耕作放棄地にソバを作り、蕎麦屋を経営。もと中学校校舎で巨大シイタケの生産。特産の木を活かした高級家具づくり、など。

私が研修を受けた次第です。
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龍神村にはずいぶん前に、ちらりと寄ったことがある程度。でも、日本三大美人の湯とか、美肌の湯という触れ込みは忘れずにいるものです。

合併して巨大になった田辺市の一部ではありますが、龍神村という名は残っていることが嬉しい。最近は、市より、村という名の響きの方が部外者はそそられるものですから。

お昼はお蕎麦とうかがっていましたが、そのお蕎麦屋さん「和わく」はもと保育所の建物をお店にしたものでした。

何を食べようか迷っていると「龍神マッシュの天ぷらはすごいですよ」の声が。「うん?なにそれ?とにかくそれだ」と頼んだのが「キノコ天蕎麦」。

「龍神マッシュ」とはこの地のシイタケで、肉厚のそれが揚げられてきました。ガブリ、ジューシー。お蕎麦の方もキノコだらけ、コリコリした地元のキクラゲが美味しい。

ここは「ええとこねっと龍神村」というNPO法人の経営。お店の窓の外にはそば畑が広がります。お会いした3人の男性は、とつとつと活動の経緯をお話されます。

最初の頃はただ集まって飲んでいるばかりだったのが、ちゃんと何かやらないと、と、休耕田にソバを植え、そしてお店にまでなったとか。

各種の事業展開をされていますが、なかでも今燃えているのは「公共交通空白地自家用有償運送」について。つまり、足のない人たちのために、NPOが車を出しますよ、という仕組みを始めようとしているのでした。

地元の方と、Iターンの方が一緒にやっているNPO、立派だなあと感心しました。名刺にある「地域を耕す」というコピーが心をつかみます。

さて、お隣の元中学校校舎へと移動しました。ここが「龍神マッシュ」の生産拠点です。

廊下を賑やかに走っていらしたのがここの責任者、伊藤委代子さん。全くの素人だったのがあちこち勉強に行き、ここでシイタケ栽培を始めました。

ハウスの中の棚に菌床を置き、龍神の名水で育つシイタケは、直径8〜10センチという大きさで出荷されます。

高齢者や女性が働ける仕事、ハウス栽培なら獣害もありません。もと職員室で袋詰め作業が行われ、伊藤さんのお孫さんになる若い女性が、子連れで働いておいででした。

「龍神マッシュって名は娘が考えてくれたの」、家族や女性たちが仲良く働く場で育ったキノコは、それだけで美味しく育つように思えます。

巨大な龍神マッシュをフライにしてはさんだ「シイタケバーガー」もあるそうです。食べてみたいなあ・・。

私?あんまりキノコが可愛くて食べられないのよ」と元気に笑う伊藤さんのお肌はスベスベ。

シイタケの力なのか、温泉力なのか、水と空気のせいか、うらやましい。






さっきお蕎麦を食べた時に座った椅子も、スベスベで気持ち良かった。その椅子がある「道の駅龍游/ジー・ワークス」に行きました。

ジー・ワークスという名で、龍神の木材を使って、柔らかいカーブの椅子、テーブル、木馬などを作っている松本 泉さんと記念写真です。



「龍神にはアトリエと住まいが一緒になったスペースがあって、何人ものアーチストが住んでいます」とのこと。店内の素敵な藍染めも目を引きます。

道の駅というと、食べ物ばかりを売っていますが、龍神ちょっと違います。

生活提案を感じるおしゃれなものが並び、ずっと見ていたくなります。このお店ごと都会に持っていきたいくらいですが、龍神にあるからいいのでしょうね。


先ほどのNPOの理事のお1人は横浜から移住されたシェフ。龍神に来た頃は中学生だった息子さん・竹内雅美さんは今や結婚し、お父様の開発した「南高梅ドレッシング」を継いでいます。

直売店味工房「梅樹庵(めいじゅあん)」、この小さなお店では、そのドレッシングのほか柚子ケーキや梅シロップ、ジャム、などなどを販売。茶房梅樹庵もあり、冬場はジビエ料理が楽しめるとか。次回はこれを狙いましょう。

今、龍神村では「龍の里づくり委員会」が立ち上がり、地域資源と人材を活かしたまちづくりを始めているそうです。

村の若者中心に集まった40人を超えるメンバーから、27の事業・プロジェクトが発案され、2023年を目標に実現しようという意気込みです。

竹内雅美さんはその企画部会長、要となる人です。がんばれ〜〜〜!

田辺市龍神行政局にはチェーンソーアートの龍が施された看板がかかります。これからこういう看板を増やしていくとか。

村のほとんどが森林で、龍神材は有名なのですからそれを活用し自慢する看板がかかって当然ですね。木はこんなに素敵、こんなに素晴らしいと看板から伝えられますもの。

私もこの看板と同じものを注文したくなりました。







ここはもと役場、ロビーには龍はもちろんのこと、クマ、ゴリラ、キリンなどいろいろな動物が並びます。

そう、この村にはチェーンソーアートの名人もお住まいなのでした。






こんな風に龍神村を回ってみると、龍がぶるるんと動き出している息吹を感じます。

何となく「良いお湯が沸く、静まった山深い湯治場」のようなつもりでいたら大間違い。

龍は眠っていません!何匹もが連なって、知恵を出して、力強くうねり始めています。

研修でお会いした、龍神に住む役者さんも、パステルアーティストの方も、それぞれに意欲的で個性的、キラキラしていました。

役所の方から龍という字を4つ書く文字を教わりました。「てち」と読むそうです。すごいとか、大きいとかの意味だそうです。

調べると64画で一番画数の多い漢字、多言、しゃべり続けるという意味もあるそうです。

まさに、「龍の里づくり委員会」は、すごく・大きく・しゃべり続けましょう!これからが楽しみです。

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連絡先

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ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。