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お仕事 桃づくし 2017/07/23 10:42 pm

この時期の紀の川市は桃一色です。桃を買いに来るお客様で桃渋滞が起きる。桃直売所には開店前から行列ができる。

ならば市民主催の催しも桃一色にと、「桃づくし体験」が行われました。

低農薬農園の桃をもぎ取り、桃農家のお話を伺い、桃の剥き方を教わり、桃100パーセントの氷蜜を使ったかき氷作りを体験し、桃バーガーをほおばる。

こんな贅沢、産地ならではですね。
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果物産地、紀の川市。桃山町には「あら川の桃」というブランド桃があります。農家さんは、今の時期毎日4時間睡眠がとれればいい方、という過酷なスケジュールで動いています。

年に一度の実りの時期ですもの、しょうがないですよね。




手前の桃畑の向こうには緩やかな山、その上にはカンカンに晴れた夏空。

近くを紀の川がゆったりと流れています。







桃ロードと呼ばれる道路のあちこちに、農家直営の売店が。少し眠そうな農家さんが、次々と桃を箱に入れています。並べた先から争うように数箱単位で買われていく。

安い!自家用ならB級品で十分ですね。東京に持って行って行商したくなってしまいます。



さてこの日の催しは「まるごと『あら川の桃』づくし体験」。家族連れの中に私も混じります。

畑に行くと、重そうに桃が実っていました。







途中で、作業中の農家さんから少しお話をうかがいます。

「こういう桃は、なかが割れてる。こういう桃がいい」「でもそれを見るには売っている桃をひっくり返してみなくちゃだめですね。さわることになる」などなど、質問山ほど。





桃を採るには両手で持って、腰を下ろししゃがむようにして引くと上手に採れる。

生まれて初めての桃収穫です!!







採れたよ〜。ずっしり。












桃を抱えて歩く桃畑、低農薬の畑には草が生え、虫も一杯。子どもたちはもっと遊びたくてなごりおしい。

さて次は・・・。







◆先頭の幟を持っている方が、この企画をした「紀州百匠隊」。
https://www.facebook.com/kishu100show/?fref=ts



桃をむきます。エイッと上から下に包丁を入れると、種までパカッと割れる。果物ナイフで種をほじりだすと、果肉は半球状にたっぷり。こうしてから皮をむくと、果肉の無駄はほとんど出ません。

「たしかに桃の缶詰ってこうなっているね〜」と目からウロコの剥き方でした。



桃のかき氷も体験です。南紀州の名水「古座川源流の水」を時間をかけて凍らせた氷。

これを昔ながらの手回しかき氷機でシュッシュッシュッシュッ。力を入れないと回りません、力を入れ過ぎてもダメ。





これに「あら川の桃」100%の手作り桃ソースを2段に分けてかけて、さらにアイスクリームものせちゃう。

なんと贅沢な、なんと美味しい。暑さが上品な甘味で飛んでいきます。





「あら川の桃バーガー」も別メニューで食べられます。

美熊野牛のミンチで作ったハンバーグと、少し甘い味のついた桃がメイン。されど、これだけのものがはさまれます。桃とお肉がぴったりなのでした。




◆この企画のもうひとりの企画者が「野かふぇ おりや」。
https://www.facebook.com/nocafe.oriya/
桃のかき氷、桃バーガーが普段から食べられます。営業日に注意。


帰りにのぞいたある農家さんの直売所。桃とヨーグルトのスムージーも売っています。

最近の農家はいろいろ頑張っているのですね。








翌日は選果場の売店で「桃かき氷」を販売の(一社)フルーツ・ツーリズムのお手伝い。

地域の農家さんたちの小さな売店、桃を売るだけでなくかき氷が初めて販売となりました。





水を一滴も加えていない、桃のソースをかけた氷。桃を買いに来たお客様が、「それでは、一杯」と召し上がっていきます。










今回は、市民グループと、和歌山大学の学生さんとで氷屋さんにチャレンジ。

農家と地域おこし市民と学生とのつながりができました。暑い中頑張った人たちで、次なる展開がまた生まれていくことでしょう。








桃はいいなあ〜。おいしいものはいいな〜。皆が幸せな顔になる。

紀の川市の桃、8月中旬までが旬です。








フルーツ・ツーリズムについてはこちらです。
https://www.facebook.com/purupuruclub.kinokawa/


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スローライフ運動 たたら文化 2017/07/17 11:38 am

「たたら」とは、炉に空気を送る「ふいご」のこと。たたらで炭を燃やし、砂鉄を溶かし鉄を造ることを「たたら製鉄」と呼びます。転じてその製鉄作業や場所など、全体を「たたら」と呼びます。

先日、出雲方面を訪ね、たたらが人の暮らしに広く関わっていることを知りました。砂鉄を採った跡は棚田に、炭のために山を整備、海運も盛んに、と。たたらは文化の源だったのです。

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小さい頃、セルロイドの下敷きに砂をのせ、下から磁石を動かすと、微量の砂鉄が動き、おもしろかったものです。

そんなふうに、土には砂鉄が含まれてはいるのですが、中国地方、島根県・鳥取県などの土には砂鉄が特に多く含まれていて、昔から鉄づくりが盛んでした。

鉄鉱石の少ない日本は、鉄を造るとなると砂鉄からという歴史が長かったようです。『出雲国風土記』(733年)にはすでに「鉄あり」の言葉が出てくるとのこと。それ以前から鉄づくりは始まっていたのでしょう。

5月末に奥出雲地方を訪ねた日、雨あがりの道に黒い砂鉄が浮き出して見えていました。かつて鉄師頭取として栄えた絲原家、奥出雲町の「絲原記念館」の道だからというわけでもないでしょう。いまでもここでは砂鉄が身近なのです。



山を削り、土を水路に流すと、砂鉄が重くて底にたまる。そうして採った砂鉄がこの土地の原点だったのです。何も知らずに出かけた旅でした。








砂鉄を溶かすのが、「高殿」と呼ばれる作業場。ここは雲南市吉田町「菅谷たたら」、栗材でのこけら葺き屋根が美しい。最近修復が終わったばかりです。







なかには鉄づくりの神様「金屋子神」が祀ってあり、炎が上がるため天井が高い。昔にしては巨大な建物です。

中央に多量の土を積んで作った釜が据えられていますが、実はこの下床の深い部分の基礎から、保温や湿気への配慮の有る特別な構造がなされているそうです。




釜にはいくつもの送風用の穴があけられ、竹がパイプのようにつけられて、「天秤ふいご」からの風が送られました。映画『もののけ姫』を思い出します。








雲南市吉田町「鉄の歴史博物館」に展示されていた「和鋼」。砂鉄の不純物は土とともに溶け出し、燃える炭による化学反応で純度の高い鋼ができるのだそうです。







同博物館の展示。ここでは実際のたたら製鉄の記録映画が見られます。炎と戦いながらの、厳かな作業。何でも機械化され、IT化された今の暮らしに何かを訴えるような作品でした。






「菅谷たたら」での解説に使われていた図。「ふいご」を踏む人を「番子」と呼び、重労働なので交代制で踏んでいたとか。

ここから“かわりばんこ”という言葉が生まれているとのことでした。たたら製鉄の世界からいろいろな言葉も生まれているようです。




鉄師頭取は、藩が認める公の鉄産業総合プロデューサー。たたら製鉄全般を仕切り、鉄による富を得るだけでなく、その地域の人々の暮らしまで目配りをしていたそうです。

鉄師の家には藩主が訪れたり、学者や文人、画家なども。産、学、官の要であり交流の拠点でもあったのでしょう。

この庭は奥出雲町桜井家の庭園。たたら製鉄の栄えた数百年の間、ここはある意味、日本の鉄の頂点にあり、最高の文化が輝いていたのです。



砂鉄の含まれた山を削り崩すことを「鉄穴(かんな)削り」とか「鉄穴流し」とかいいます。山を切り崩す途中、お墓があったり、ご神木などがあると削らずに残す。するとそこだけは丘が残る。これを「鉄穴残丘」と呼ぶ。

こんな景色は初めて見ました。田んぼの中にラクダのこぶのように小さな丘がある。それが棚田の水面に映りこんで、綺麗です。ひとつの特殊な産業がつくりあげた景観ですね。


奥出雲の人が自慢する「仁多米」。鉄穴流しで出た多量の土砂で整備されていった棚田の実り。製鉄がダメになっても、棚田は残り、素晴らしい景観と、美味しい米でここの生活を支えています。

肥料には仁多牛糞が使われています。この牛も、鉄の運搬や棚田の耕作に欠かせないもの、たたら製鉄のもたらした名牛なのでした。




たたらに使う大量の炭のために、森林は整備され木に不自由しないように手入れがされていました。さらに、木を伐った後は焼かれ、蕎麦も作られたそうです。






鉄は、山道を運ばれ川を下り、また安来港から北前船で大阪や東北まで運ばれました。鉄が欲しい、鉄を運ぼう、のエネルギーが鉄の道を開拓していったのでしょう。

斐伊川は周りの土地よりも川底が高いとのこと。鉄穴流しででた多量の土砂によるものです。斐伊川は下流に大きな平野を作り、これまた肥沃な土地を作り上げています。

にわか仕込みの「たたら文化」のため、あちこち不正確かもしれないことはお詫びしながらも、単なる鉄づくりでは済まない、膨大なたたらワールドの一部なりともお分かりいただけたらうれしいです。

この秋10月28日(土)・29日(日)は、こんなスケール大きなたたら文化の地へ、学び語りに行くスローライフ・フォーラムとなります。ご予定ください。

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ちょっとしたこと 少しずつの変化 2017/07/10 12:26 pm

久しぶりの十津川村谷瀬、この数カ月どうしていたかな?と歩いてみると、予定の作業がきちんと進んでいました。

道標の補充、展望台ベンチの修理、休憩所に展示の写真補充、花壇の植え替え、そしてお酒造りへ向けての酒米作り。

むらおこしで大事なのは、維持管理や、やれる範囲でも前に進めること。少しずつの変化を確実に続ける、この集落は素晴らしいとあらためて思いました。
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谷瀬の場合「寄合」というミーティングを行い、集落の人たちがいろいろなことを決めていきます。私はこの話の引き回し役です。

以前は毎月のように通っていましたが、今年などはポツポツ。コンサルタントは、いつまでも同じ土地に関わらない方がいいわけで、その土地の方々でむらおこしを企画・運営・実行し合意形成も進められるのが一番です。で、このたびは、2カ月半ぶりの訪問でした。

日本一の吊り橋の先に「ゆっくり散歩道」を整備し、「ゆっくり体験」という交流イベントを行い、休耕田に酒米を植え「純米酒 谷瀬」を造り、空き家を散歩道の休憩所にし、最近は移住者や新住民が増えている谷瀬です。

4月に寄合をし、夏までにやってくことを決めて、忙しいゴールデンウィークや田植え時期も過ぎた6月末、さあ、ちゃんとみんなやっていたかな・・・?と宿題をチェックする先生みたいな気持ちで散歩道を歩きました。



まずは散歩道横の花壇。百日草やコスモスがしっかりと根付き、花が開こうとしていました。奈良女子大の学生さんと集落のお花係のおじちゃん、おばちゃん方が、カチカチの土から耕し花壇にしたのです。






分かれ道の道標がわかりにくいので、もっと大きな看板を立てよう!と、決めたことが実行されています。この看板で、GWには迷い人は出なかったでしょう。すこし揺らついていたので、そこら辺の石で私も足元を補強しておきました。





田んぼの青い稲がふさふさと風に揺れています。ちょうどいらしたおじいちゃん「酒米、調子がいいよ」とのこと。彼の背中向うの広い田んぼが、移住された若い方や学生さん等で作っている酒米。今年は田植えを「ゆっくり体験」として、他所の人も参加できる体験催しとしました。




寄合で、「こんくらいの大きな立札じゃないとダメだな」と意見が出ていたように、間違えやすいところにはちゃんと大きな看板ができていました。








この看板の向こう、吊り橋のみえる展望台のベンチが土に埋もれてきたので、これもやり直してありました。









展望台に来た人が、なにかしらを書きつけるノート。こういうのが古いままだとガッカリするのですが、昨日、そしてさっき書いた人もいる、という新鮮さ。もうこのノートは何冊目になるのでしょう。バックナンバーは、吊り橋横の茶屋に置かれています。





展望台から戻ってくると、「コーンコーン♪」と何やら音が。集落に珍しい若い女子が二人で看板を立てています。谷瀬に通ってきてくれている奈良女子大の学生さんが、この日の寄合出席ついでに、看板の補充をしてくれていました。木槌の構え方は頼りないですが、この女子達の働きは凄いものです。



休憩所にした空き家「こやすば」をのぞいたら、なかに展示してある写真もリニューアルできている。移住したご夫婦の4月始めの「吊り橋ウエディング」の写真もちゃんと。よしよし、さすがだなあ。とつぶやく私でした。

むらおこしのミーティングでは、「○○をしよう」だけではダメです。それを本当にするべきなら、「いつまでに」「誰がやる」までを決める、みんなで決める。これが大事です。そうすれば必ず、少しずつでも変化していきます。

Facebook情報によると、私がうかがったこの6月末の寄合でみんながいっていた“「こやすば」の天井の修理”が最近行われたようです。「夏休み前に」「みんなで」やると決めていたことの実行、これまたさすがです。(右下の写真は谷瀬の吊り橋FBからいただきました)

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ちょっとしたこと 看板あれこれ 2017/07/03 2:09 pm

いまさっき誰かが描いたような、手作り風の看板や貼り紙が気になります。なんとなく生活感がにじみ出ていて、立派で大きなものより心をとらえます。

「公会堂のトイレここから127歩」「桃、傷があってもおいしいよ」「捨てたらあ缶」「ふすまハリカエ」などなど。

そのコピーとデザインに、ほのぼのしたり吹き出したり。街の潤滑油にもなっているのではと思います。
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奈良県十津川村谷瀬「ゆっくり散歩道」で。誰かが、何歩あるか数えているのですね。










同じく「ゆっくり散歩道」で。今は水田ですが、冬には高菜の畑になるのでしょう。ちょこんと乗ったカエルが説明してくれました。









奈良県五條市で。こういうお店がまだあることがうれしいです。はりかえ、ハリカエ、楽しんで書いているのかな〜。









奈良県吉野町国栖で。集落の百貨店と名乗る、一軒のお店。こういう札があれば、どうしても向かいの店も見たくなります。









和歌山県湯浅町で。さすがに本場らしい風格あるポップ。この地の子どもたちは、「有田みかん」と書初めしているのでは、なんて想像を巡らします。








高知県高知市はりまや橋で。名産のサンゴのお店。本当にこういう朱色のサンゴが並んでいました。簪の絵がかわいい!









岩手県山田町で。「イカのします」とは、するめを持って行くと、薄く柔らかい「のしイカ」にてくれる、ということ。この地では日常的なこと。これを見たときはノックアウトされた思いでした。







和歌山県紀美野町で。注意を呼びかける看板も、こうなると嫌な気がしません。こういう看板を出せるキャンプ施設は、だから人気もあるわけです。








群馬県富岡市で。富岡製糸場が世界遺産になった、となると観光客が押し寄せます。ここの名物は太いうどん風の粉もの「おっきりこみ」。その店の横の物置なのですが、お店の一部かと勘違いした外来者が何度も開けたのでしょうね。





東京都八王子市で。ここも困った挙句なのでしょう。三カ所も貼り紙があります。困っている感じが切々と伝わりますね。

最後は少々汚い話題でごめんなさい。とはいえ、こういう看板・ポップには、その土地の事情や、その店の有り様、人柄などが染み出ています。

こんな写真を山ほど集めた本など出したいな〜、同好の士おいででしょうか?

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ちょっとしたこと 野口式自動水やり器 2017/06/24 9:05 pm

私は花が好きです。でも庭はなく、やたら出張があります。鉢花を何度も枯らしてきました。

ところが昨年、大発明をしました。靴紐を鉢の土のなか上下方
向にあらかじめ仕込む方法。

片端は鉢穴に出し、紐の上から土を入れ、花を植える。鉢の上にもう一方の紐端を出して、ペットッボトルの水に浸ける。

毛管現象で紐に水が染み、土を潤し鉢底まで。2週間の留守もOK、お試しを!
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この図を見てくださればお分かりかと思います。











現物となると、少々汚い写真となります。これは、前に植えていたものを捨てて、新たに植えようとしています。

紐は何度も使いまわしできます。100円ショップで売っている、木綿製?の靴紐が一番いいようです。靴紐でなくとも、厚みと長さがあって、水を吸うならOK。紐は2本くらい入れた方が、安心です。






鉢底からはたっぷり出します。鉢底に敷く皿にたまった水が上にも上がって行くように。









紐の上から、鉢底石やら土を入れます。












そして苗を植えると、紐は長く外に出ていますね。家を空けないときは、この紐が少々邪魔ですが、私は、鉢にクルクル巻き付けておきます。








そして出かけるときには、大きなペットボトルにたっぷり水を汲み、紐を浸けこむわけです。












写真は2週間家を空けた後。ペットボトルの水はすっかり鉢に移動して、花は元気。











特許申請しようかしら・・・。出来ませんね(笑)
今回は、緩くて軽いお話でした。

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ゆとりある記 蛍もとめて 2017/06/19 1:51 pm

紀の川市鞆渕へ蛍を見に行きました。小さな山里の、清流から自然に蛍が湧いています。

街路灯もない闇の中、蛍求めて足元おぼつかなく歩きました。星空が、黒々と山の輪郭を描きだし、カエルの声がやけに大きく響きます。

栗の花や草の匂いも強く香ります。そんななか、フッと飛ぶ蛍の明るさの尊いこと。

蛍を求めて歩くうち、都会で忘れていたことをたくさん発見できました。
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市役所のある場所から車で40分くらいで鞆渕(ともぶち)。ここの黒豆は、市内でも引っ張りだこの品質。そんなに採れないため、外には出ない逸品です。

黒豆は知っていましたが、蛍も。というわけで、連れて行っていただきました。そうとう山の中に入った感じでしたが、中学校・小学校があり、この時期は蛍を見に来た人の駐車場になっています。

車を出るとひんやり肌寒い、やはり山に登っているのですね。商店街や賑わいなどはない、こじんまりした集落に手作りの看板が立っていました。

この辺りから既に暗いので、知人に携帯で看板を照らしてもらいます。手づくり看板にほのぼのと語られれば、蛍を捕るような気にはなりません。

さらにまた手作り看板。ここを流れる鶴姫川の3つの蛍スポットが、いま蛍がどんな状態なのかわかるようになっています。

「ぼちぼち」「まあまあ」「どっさり」マークの数で状態が分かる仕組み。観光地ではないので、マップが配られたりアナウンスがあるわけでもありません。

この看板・印を頼りに、夜の集落に静かにお邪魔する感じです。

歩き出すとじきに「まあまあ」のスポット。小さな橋の上になりました。三脚を据えて写真を撮ろうとする人、スマホで追いかける人、歓声をあげる人、といっても10人くらいでしょうか。

私のiPadでは到底ダメで、早くも写真に収めるのはあきらめました。

知人が「目に焼き付けてくださいね」と宣います。なるほど、常々、すぐに写真に撮ろうとしすぎますよね。撮れないことが幸いし、丁寧に蛍を観察できました。


川はほんの小さな流れ、橋といっても一間ほど。流れに沿って道が続き、両側には山が迫ります。

少しの平地に家が数軒ずつ。ずっと昔から変わらないような山里なのでしょう。とはいえ、もう真っ暗で、推測の範囲ではあるのですが。

その流れの草むらから、ぽわりぽわりと蛍たち。ゆっくり瞬きながら、飛んでいます。「まあまあ」の量が、なんとなくい感じ。

きれいです。

そこに、橋の近くのお家から、おばあちゃんが息子さんと現れました。93歳、「さっきまで寝ていたけど、息子に起こされて見に来た」のだそうです。

息子さんいわく「ばあさんは蛍より、人を観にくるんだよな」

なるほど、めったに他所の人が来ない里ですから、蛍が湧くとやってくる、人の方がおばあちゃんには珍しく、うれしいのでしょう。

おばあちゃんはニコニコしながら、私たちを見物し「どこから?初めて?また明日おいで」などと話してくれます。

「もう少しすると、あの山へ蛍は帰る」とおばあちゃんが教えてくれた黒い杉木立、蛍のねぐらなのでしょうか。

蛍がねぐらに帰る前に、もう少し奥の蛍スポットまでと、闇の道をゆるゆる登ります。強い栗の花の匂いがしました。椎の木かもしれません、この時期特有の山の香りですね。

水の音の方からは、甘い水の匂いがしてきます。こっちの水は甘いぞ、って本当にあるのかも。

歩くほどに暗くなり、前を行く知人のワイシャツの白色についていくばかり。すると水辺の方から「は〜い、こっちだよ〜」とばかりに、一匹の蛍が飛んで、道を照らしてくれます。

もちろん一匹くらいで道は見えないのですが、そんな気になる強い灯りです。

小さな田んぼが現れました。星空が作り出す、山の黒いギザギザの稜線が、そのまま田植え後の水面に映ります。黒い鏡に黒い山が映り込む美しさ。

ああ、その上をまたふわ〜っと蛍が飛んでいく。私は今、なんて素敵な場所に居るのだろう!身体のなかの悪いものが、抜けていくような思いです。

ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ そんな私をしかりつけるように、大きな声でカエルが鳴きます。確かに、こんな闇の中に居ると、何とも情けなく力のない自分がしっかり見えてきます。いつも、偉そうにしているのに。

それと同時に、妙に落ち着いて腹が座ったようになるのは闇に包まれて、怖いを通り越した安心感でしょうか。

昔、夢中で読んだ梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を思い出しました。





この地に住むお知り合いのおうちに寄りました。「よう、よう、来てくれた〜!」急に明るくにぎやかになります。

土日はけっこう人が来るので、地元の方はこういうジャンパーを着て“ホタルボランティア”として、車を誘導するそうです。

ジャンパーの蛍の絵は印刷ではありません、これも手描きです。





川が近いので湿気があがらないように床が高い家。来客は土間で。蛍の時期でもストーブと炬燵は離せないとか。

温かいコーヒーをいただいて少しおしゃべりしていると、柱時計がボーンと鳴りました。

ここの奥様が煮てくださった鞆渕の黒豆は、今年のお正月、我が家のお節料理の華でした。

あんまりきれいなので写真を撮ったものです。こんないい山里で、こんないい人たちに育てられ、水音と柱時計の音を聞きながら沸々と煮えた黒豆です。美味しいはずですね。

考えるに、黒豆は鞆渕の冬蛍なのかもしれません。

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スローライフ運動 高知のもてなし 2017/06/12 2:54 pm

「ふるさと創生ニッポンおかみさん会全国フォーラムin高知」にコーディネーター役でうかがいました。

参加者330人。会場一体で真面目に話し合った後の、懇親会が印象的でした。もてなす側の高知の女性たちが踊る、食べる、飲む。他所ではご当地の女性は控えがちですが、高知は、自らも楽しみ分かち合う土地柄。

そもそも皿鉢料理は、女性がゆっくり宴会するためのものと聞き納得です。
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こういう催しです。昨年の南三陸町での開催に続き、このフォーラムでのコーディネートは2回目になります。








高知の街を一人でぶらつこうかと思いましたら、商店街のおかみさんがご案内してくださいました。

ここは名高い?「ひろめ市場」。昼から、いえ朝から飲める環境です。入っているお店の多様なこと、安いこと。

小ぶりのギョーザでビールを飲んでいるおじさまに「美味しそうですね」と声をかけると、自分で作ったかのごとく「うん、うまいよ〜」と言いながら、自分の隣に座れと誘います。

いささかまだ早い時間。でも、誰でもすぐ一緒になってしまうところだということがよく分かりました。


アーケードの整った商店街を歩きます。地方に多いシャッター商店街ではありません。

空き店舗がない!ちゃんとお店をやっている。毎日ここを歩ける市民は幸せですね。

シャッター街がわが故郷の顔なら、若い子は一時も早く逃げ出すでしょう。


一軒のお店に入りました。ちょっとおしゃべりできるスペースにアジサイが活けてある。

いい商店街の条件である、「花や緑に気を付けている」にピタリ。同じく「休めるベンチがある」もこのアーケードはOKでした。





チャレンジショップに入ると、ヨサコイの衣装の一部、頭飾りを製作中。

年間を通して、なにかしらヨサコイに向けてわくわくと時が動いている街なのですね。






「はりまや橋」、手前の赤いのが観光用、向うの石の大きな橋が戦後にできた古いもの。

通りかかった観光客に、おかみさん達は橋の説明をして、写真を撮ってあげています。

普段からこういう光景があるのでしょう。



高知名産のサンゴ屋さんには、フォーラム歓迎の貼り紙がありました。

お店のおかみさんのご主人が、高知が空襲で焼けた話、サンゴをどのように加工するかなど、お話してくれます。

一人旅で来ても、高知なら寂しくありませんね。人がほっといてはくれませんから!

おかみさん達と打ち合わせも兼ねて、フォーラム前の晩餐です。

カツオ三種盛をはじめ、地元のお魚が次々と。それらに触れると、書ききれないので最初に運ばれたキビナゴの写真だけにしましょう。

そしてお酒はやはり日本酒です。女性4人で、お銚子が何本空いたか・・・。皆さん強い、強い。

そして夜が明け、フォーラム当日です。

私は壇上でしたので写真がありませんが、尾崎正直・高知県知事の「地産外商」のお話が、しっかり残りました。

会場からも限りなく意見があるのですが、ああ、時間が足りなかったですね〜。

でも、それなりに何とかまとまったかと思います。

そして、冒頭に書いた懇親会。これが皿鉢料理です。

大きなお皿に、オードブルからデザートのスイーツまでがのっている。こんなお皿が何種類も。

主催の高知おかみさん会の皆さんは、2回も試食してメニューを決めたとか。

高知では宴会を「お客」と呼びますが、確かにお客が始まったら、フルコースなどがちまちまと運ばれたのでは、席を立って交流ができない。皿鉢はお客向きなのです。

そして、こうしておけば、女性が何度も台所に立たなくて済む。昔から高知では女性も「お客」できたわけです。

だから懇親会は名刺交換のラッシュ。そして高知のおかみさん達も飲む、飲む。

と思っているとダンスが始まりました。SMAPのメドレーをなんと平均年齢69歳という高知のおかみさん達が踊ります。

「ぎりぎりダンサーズ」というグループ。もちろん男性もおいでで、毎週水曜に商店街のお好み焼き屋さんの上で練習しているとのこと。

「覚えるのももうぎりぎり、体力もぎりぎり、息切れがして」と名前の由来が泣けます。

とはいえ、軽やかなステップと身のこなしに、びっくり。「わ〜〜〜、おかみさん達カッコいい〜〜〜」と叫び続けた私でした。

もちろんヨサコイタイムもあって、鳴子を皆が鳴らしました。この懇親会、よくよく考えると、踊るおかみさん達、鳴子を振ってヨサコイステージに立つ知事、素敵な歌声披露の市長、お猪口を持ち続ける女性たち、皆がほんとに楽しんでいる。しかも地元がです。

遠くからの方々を仕方なく接待しているなんて感じは全くない。「私たち楽しいの〜、混ぜてあげるよ。飲んでいきな〜」というラテン系のノリです。

高知県は「高知家」というコンセプトを打ち出し、皆が家族という考えで県政を進めていますが、この日は私たち外来者も、すっかり家族・親戚になってしまったのでした。

翌朝は、高知城がむこうに見える大通りの市に行きました。日曜市が大きいのですが、この日はこじんまりの木曜市。

それでも、全国からのおかみさん達買う気満々です。







果物が安い。












山菜やコンニャクも。ちりめんも、テンプラも。冷やし飴もところてんも。売っているのも買うのも女性たち。

「こういう市を利用すれば、そんなに生活費がかからない」と伺うと、もう、高知に引っ越ししたくなります。



県東部安芸へ向かいました。途中から「ごめん・なはり鉄道」です。


高知おかみさん会の計らいで、車両をひとつ増やしていただき外のデッキから景色を眺めます。






前日はずっと室内だったので、この解放感はたまりません。

久しぶりの深呼吸です。水平線当たりの黒っぽい海こそ、黒潮。この海を眺めて、龍馬はじめ、多くの偉人が大きな夢を描いたのです。

高知のもてなしは、女性を中心とした、カラッと明るいものでした。自らの胸襟を開くことで、外からの人の心も解放させる。これぞ高知ぜよ、ですね。

お土産に市で買い込んだ、ジャコ。これらを少しずつ食べるたびに、黒潮の海を思い出し、高知のおかみさんのような骨太の女を目指したいと思います。


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ちょっとしたこと 「和」という墓 2017/06/05 1:19 pm

父親の23回忌でした。久しぶりの墓参り、姉夫婦とその子ども・孫、わが夫婦、94歳でまだまだ元気な母親が集いました。

なぜ父はお墓に「和」と一文字刻んだのか?母から説明がありました。

「結婚してもしなくても、どんな姓を名乗っても皆が仲良く入れるように」とのことでした。

「私の後に皆さんどうぞ」と笑う母。はいはい、喜んでつかわしていただきます。
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うちの父は9人兄弟、男女混じった9人のなか男の4番目のため志郎の名でした。家は医者、両親は忙しく幼いころから一番上のお姉さんの嫁ぎ先に弟・吾郎さんと預けられます。

そこはお坊さんであり哲学者の家、雑巾がけなどをしながらも人間としての基本を仕込まれたのかもしれません。母のように慕うこのお姉さん、私にとっては叔母の話、世話になった叔父の話はよく出てきました。

父のおじいさんに当たる人が福沢諭吉と交友があったとかで、父は慶應義塾一筋、慶應ボーイと自分を呼んでいました。雨の中の学徒出陣の行進の録画がテレビなどで流れると「お父さんはあのあたりにいて先輩を見送ったよ」と話していました。

慶應義塾大学の機械工学を出た割には英語に長けて、やがて海外輸出の多い機械のセールスエンジニアになります。

千葉市検見川町の米屋であり市会議員を長くしていた家の次女・母と結婚。苗字は父側の野口を名乗りましたが、母の実家に入る形での結婚でした。

それから当時の省線に乗って、新大久保の会社まで通い続けるサラリーマン生活でした。

高度成長期の営業マンは飲むのと麻雀接待が主です。毎晩どうやって帰って来たのやら。子どもながらに、深夜お酒の匂いをさせて戻り、倒れ伏してゴーゴーと嵐のようなイビキで眠る父に、身体は大丈夫かと心配したものです。私がお酒が強いのと、イビキがひどいのは父譲りです。

父から大きな声で怒られたことはありません。「智子はいつも笑っていなさい」といつも言っていました。ふと見ると、父が私を見ていることがよくありました。「何見てるの?」と聞くと「智子が面白いから」と答えます。

そんな父が大好きだったのは高校ぐらいまで。だんだんあまりにも穏やかな父が、つまらなくなり怒りを覚えるようになります。反抗期ですね。

そんな跳ね返りの私に父が言ったこと。「着物で一人で酒の飲める女になりなさい。昼からお酒が飲めるのは蕎麦屋だからね。ザルを頼んで、海苔のついてるところで一合。残りの蕎麦で一合。それくらいにした方がいい」と教えられました。

そして高校卒業後、学生運動にかぶれた私は家出をします。

父と再び会ったのは数年後でした。私の居場所を探しあて訪ねてきたときに、言った言葉は「苦労したね」。この時も怒りませんでした。

今思えば、平和で温かで笑顔のある、そんな極く平凡な家庭をつくることに、父はずっとあこがれていたんじゃないかなあ。

父の日曜日の夜、くつろいだ印象深い光景です。まだ私が小学生の頃のことです。家の小さな畑で自分が作った枝豆を食べながら父がビールを飲む、ナイターやボクシングをテレビで見ながら飲む。膝の上には私が座っている。

父が座卓の上の枝豆を取るたびに私の口にも入る。ビールを注ごうと手を伸ばすと、父の顔が近づき私のほほに髭がザラリとさわる。

そのうち缶ピースをプシュッと開けて、甘い香りの煙をくゆらせる。「ほら」と見せるのは、ポッ、ポッ、とほっぺをたたきながら作る煙の輪っかでした。

父と仲直りし、もともと喧嘩もしていないのですが、旅行に行ったり私が住んでた静岡に父が泊りに来たり、そんな晩年がありました。

あるときポツリと言いました。「お父さんは、智子を守れなかったんだよ」

今でもその意味が釈然としません。温室のような家庭の中に、「和」の中に、入れておきたかったのか?「でも、出て行った私は、とても幸せなのですからそれでいいじゃない」というようなあいまいな返事を言ったような気がします。父はもっと深いことを言いたかったのかもしれません。

母と相談しながらお墓をさっさと造ったようです。それは冒頭の「和」という字だけのお墓でした。墓地で見渡すと、○○家の墓としないところがいくつかありました。

そういう時代なのでしょう。そして父の場合は、自分が求めた和やかな永遠の家庭をお墓にも、だったのかと思います。



23回忌は母の誕生日も兼ねて。皆でイタリア料理です。父は皆がそろった姿を見ながら大喜びだったはずです。代わりに私が、シャンパンを一本飲みました。

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ゆとりある記 「大しめなわ創作館」 2017/05/29 2:30 pm

島根県飯南町(いいなん)でここを見学しました。長さ13.5メートル、重さ4.5トン、出雲大社の大しめ縄もここで造られているそうです。

全国の神社からはもちろん、海外からの注文も。ドバイのお金持ちからは、私邸の日本庭園東屋用に大社サイズのオーダーがあったそうです。

もくもくと藁作業に取り組む土地の高齢者の技術が世界に羽ばたく。しめ縄パワーを感じました。
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飯南町は島根県出雲から南へ下った、広島県の境にあります。山深いところ、冬には豪雪に見舞われ、スキー場もあります。

それだけに、出雲市内から車で進むと、空気は澄んで、神々しいほどに美しい山の景色となりました。

ここに、「大しめなわ創作館」ができたのは、平成26年のこと。今や町の重要な観光ポイントでもあります。





昨年出雲大社の大しめ縄は眺めたものですが(写真)、そうですか!あのしめ縄はここで造られていたのですね。

出雲大社のしめ縄は、数年おきにかけ替えられる。昔は観光客が、お金を挟み込むいたずらが多かったそうです。いまはそれは少なくなったものの、風で飛ばされた砂が相当入り込む、また、鳥たちが巣を作る材用として藁を抜いていくなど、で長持ちはしないようです。



館内で説明を受けました。大しめ縄には、「赤穂餅」というもち米のわらが使われるそうで、普通のわらに比べると、異様に背が高い。155センチの私の背丈ほどある。

この稲は実を付ければ名の通り赤いのですが、穂をつける前に刈り取り、青い色が残るようにすぐ乾燥させるのだそうです。

このしめ縄用の米を撒くところから始めるので、しめ縄はそうそうすぐにはできません。出雲大社の大しめ縄には1.5ヘクタールの田んぼの稲わらが必要だそうです。



これをまっすぐなものだけに整えて、まずはすのこのように編む。それをいくつも繋げていって、大きなものにする。中に普通のわらを芯としてして入れて巻き込む。その長いものを2本造り、人力でよじる。

書けば簡単ですが、造るのには容易でない。何人の手が、何日かけて造ることやら。そのよるときなどは、写真を見る限り40人くらいの人が背丈ほどの太さの縄と格闘しています。



たかが縄なれど、これは神の世界と我々俗世界を分ける結界。その起源は1300年以上も昔にさかのぼるそうです。

神話の世界では、天照大神が天岩戸から出た際に、二度と天岩戸に隠れないようにと、しめ縄で戸を塞いだのが起源といわれているとか。



しめ縄から下がる房のようなのは「〆の子」、しめ縄が雲とすると、これは雨、下がる紙垂は雷という意味があるそうです。五穀豊穣を願ってなのでしょう。

100円ショップで売られるプラスチック製のしめ縄もどきが出回っている中で、さて、そもそもしめ縄とはと考える機会を得ました。

飯南町に出雲大社の分院があったことから、昭和30年から出雲大社の大しめ縄を造っている。今は、平成30年7月に大しめ縄をかけ替えの予定が入っているそうです。



大しめ縄を奉納した場所のマップがありました。ほぼ全国、そしてハワイまで。聞けば、神社だけでもない。焼酎のメーカーから新社屋につけるために。

そして、冒頭のドバイからの個人的な注文も。ある意味、出雲大社が見本で、「あれが欲しい」となったらここに注文が入ってくる。そうそう商売敵?もいないでしょうから、町の産業にもなり得ますね。



しめ縄体験はもちろん、ミニしめ縄も売られていましたが、なんとかこの技術を伝承しながら、産業起こしまで行けないか?と思います。

高齢者の守る尊いしめ縄技術をてっぺんに、すそ野はもっといろいろライトにできそうな気がしてきました。既に、しめ縄型のフランスパンがあるみたいです。

ならば、しめ縄ドーナツも、クッキーも、パスタも、ペンネも、ソフトクリームもできますね。アクセサリー、バレッタ、バック、クッション、枕、etc、ああ、止まりません。

神様に怒られない範囲で、しめ縄グッズ作りをしたくなりました。

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ちょっとしたこと 虫に想う 2017/05/21 9:43 pm

名著『どくとるマンボウ昆虫記』を読んでいます。北 杜夫さんの虫に対する観察眼とその文学的表現に、虫への愛情を感じます。

都会の女性は虫嫌い、マンションに虫を寄せ付けない。それでいて無農薬野菜や美しい自然を求めがち。

緑豊かな田舎は虫だらけ、夏にはガラス戸びっしり虫が集まります。ナチュラルに暮らしたいけど虫はイヤなんて、虫はいったいどうすればいいのでしょう。
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虫の話題なら尽きません。

観光地のある旅館で、「部屋にトンボがいて、怖くて眠れないから捕ってくれ」とお客様からのクレーム。子どもならともかく、大人の男性。番頭さんが窓を開けると、バタバタ羽ばたいていたトンボはサッと出て行ったとのこと。

IT系の仕事についている若い男性、部屋には造花を飾る。「本当の花や観葉植物は、虫がきそうで気持ちが悪い」とのこと。

高層マンションで育った子どもたちが通う武道の道場で、その子たちの世話を私がしていた時のこと。きゃ〜〜と逃げ回る子どもたち。「先生、つかまえて」「虫がいて稽古できない」これ、たかが蚊一匹の話です。

無農薬野菜をウリに料理を出す田舎のレストランで、一匹のハエ。近くの牧場から飛んできたのでしょう。「嫌ね、不潔ね」と女性客。じゃあ、無農薬野菜など食べるな!



自然一杯のなかで暮らしていれば、好き嫌いなど言えない。だから、これほどまでに嫌うのは都会人です。いつからこんなに虫嫌いになってしまったのでしょう?

確かに私だって、ムカデが天井からポタンと落ちてくる、大きな蛾が粉をバタバタ落としながら電気の周りを飛ぶ、蜂が部屋に入ってくる、など好むわけではありません。

かつて泊まった民宿で、布団に入っていたカメムシ50匹くらいをガムテープでつかまえた夜もありました。この時は「このカメムシの人生は・・なんて」考える余裕もなく、殺戮を繰り返したものです。

でも、普段はそうそう虫を嫌いませんし、我慢もできるつもりです。



湿り気のある草原は、よく見ると土かと思えば全体がうごめくように虫がいます。土を少しいじれば、軍手はちいさな虫だらけ。名前も知らない動くものが、圧倒的に私を囲います。

そんな中に、虫嫌いの若い女性や子どもが入ったら、パニックして気絶するのではないでしょうか?

きれいな緑、そこは虫だらけなんです。虫だけでない、トカゲも、カエルも、ネズミも、狸も、アナグマも、キツネもたくさんの鳥もいる。もちろん、鹿も、猪も、クマも。

書ききれないとんでもない種類のおびただしい生き物の中に、ほんの一時お邪魔している人間なのに、偉そうにしているから、蚊一匹で悲鳴を上げるようになる。



田舎と都会と行ったり来たりの暮らしをしていると、都会人のそんな傲慢さが露骨に見えて、腹立たしく、ひ弱さににあきれ、怒るわけです。

このブログで怒ったところでどうしようもないのですが、虫嫌いの都会人、あなたたちおかしいですよ、とだけはどうしても言っておきたい。

もしもあなたが、姿を現しただけで悲鳴をあげられ、嫌われ、殺されそうになったら。いったいどうしますか?虫にも言い分はあるでしょう。



今いる、和歌山県紀の川市の家で、ツバメが雛を育てています。黄色い口を開ける雛めがけて、1分おきくらいに親ツバメが餌を運びます。

ピンボケですが、一羽の親が巣にとまり、もう一羽が羽ばたいた瞬間です。親ツバメに捕らえられ、雛の口に運ばれる虫たちは、いきなり殺虫剤をかけられる虫よりは幸せなのでは、なんて考えてしまします。

北 杜夫さんのフンコロガシの解説などを読んでいると、一度この虫にお会いしたくなります。うやうやしくご挨拶などしたくなるわけでした。

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写真でみるゆとりある記

竹添えハウス石窯
奈良県天川村で。
JT生命誌研究館で
川上宴会

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。