ホーム - 最新エントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

ちょっとしたこと お店をやりたい:その3 2018/04/16 1:31 pm

私、スローライフをテーマにしたお店をやりたいと騒いでおりますが、今日はその場所のお話。

新宿四谷で普通の貸店舗を借りるには、ビックリするほどの家賃がかかります。

それにどこかの空き家を、事務所も兼ねた古民家カフェのような設えにできないものかと思うと、そもそもそういう物件がない。

家賃が安く空き家がいっぱいの地方と、東京のこの差は何なのでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京にも空き家はたくさんありますが、ごく普通の一戸建てで風情がありません。

または持ち主が放ってあるのか荒れていたり、または本当に崩れかけていたり。田舎の立派な空き家を見ている私には、使いたくないような家ばかり。

ならば普通の貸店舗を正々堂々とお金を積んで借りなさい、ということになりますが、これまた笑ってしまうくらい高い。

月々数十万を払うとならば、そこでよっぽどお金を稼がないとやっていけないということになります。

かつて、私が24歳の頃、都内のマンションに住んでいて7万7千円の家賃を払っていました。当時のその値段ですから結構広く、女友達と共有していました。

それが、東京を出て静岡県に移動し、ある海辺の町に住んだとき、同じ広さが7000円で借りられました。10分の1以下です。

しかもそのアパートは、窓を開ければこんもり緑の茂った山が見え、一歩外に出れば大きな富士山を仰げる。水道は柿田川湧水からの冷たい美味しい水。

いったい私は何のために働いてきたのか、スモッグ一杯の都会で家賃を払うだけのために徹夜してきたのか、と、ショックでした。

当時は周囲から「なぜ、東京からこんな町に来たのか。もったいない」といわれました。

皆が何とか田舎から東京に出たい、東京に追いつきたいと思っていた時代です。私の逆流は不思議だったでしょう。

その数年後、、静岡の山地の川のほとりに、古い農家の空き家を見つけ住んだこともあります。この時は、広い庭付きで10,000円。

畑もやりました、釣もしました、シェパードも飼いました。近くの人が、猟で射止めたキジや猪を届けてくれました。お風呂に入ろうとすると沢蟹がいる、そんな暮らしでした。

今でこそ、仕事さえあれば、田舎に住みたいという人は多いものですが、当時はまだ珍しかった。

それをさんざんやってきて、今やまた東京に住み、さらに東京で店までやりたいと思っている。これもまた、逆流なのかもしれません。

こんな悩みを打ち明けると、「野口さんごと田舎にひっこして、そのお店のプランをわが町でやってよ」という人が何人か出てきました。

でもそうじゃダメで、ここは譲れない。こんなにひどい東京にこそ、少しでも良いもの良いことの細胞を移植しなくてはと思うわけです。

地方のむら・まちと繋いで、少しでも東京に良い血を流したいのです。東京に住む者が真剣に東京のことを考えないと、日本が危ないから。

店舗を借りる場合、家賃6ヶ月分の敷金と、2カ月分の手数料。数十万の家賃×8倍、プラス内装・什器備品、きゃ〜〜〜〜〜!

田舎では、日曜大工以上の技術者である友達たちが、内装ぐらいお茶の子さいさいで助けてくれるでしょう。物もいろいろ集まってくるでしょう。

東京では、総てがお金ということになりがちです。今から、こうして騒いで仲間を募るしかありません。

では騒ぎましょう!

「私のうち、古いけど使っていいよ」なんて人が現れないかな〜。

以下、以前のブログです。
「お店をやりたい」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=426&date=201708


「お店をやりたい:その2」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=431&date=201709


このエントリーの情報

お仕事 行灯づくり 2018/04/08 10:29 pm

自分で行灯(あんどん)を作ることがあろうとは、思ってもみませんでした。

それが紀の川市の催し「ぷる博」のひとつのプログラムで実現しました。

桧の木枠と、和紙、そこからこぼれる光が柔らかく、暖かく。のどかな春にぴったりです。

そして数人でおしゃべりしながら物を作る、夢中で不慣れなことに挑戦する時間もまたいい。

指導してくださったご夫婦に感謝します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おなじみの果物産地、和歌山県紀の川市の「第二回紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会 “ぷる博2”」。

市民が企画するフルーツにちなんだ小さな催し52種類のうちのひとつ、「プロの建築士が指導する本格的なオリジナル行灯づくり」に参加しました。

というか、本当の日程には予定が合わず、同じくやりたくてもできなかった人と、特別にお願いしてです。

この日は桜が満開の夜でした。「夕方から行灯づくりをした後に、夜桜も見たいね」「最初が峰のライトアップしている時間内に山まで行けると思う」

あれもこれもと欲張って、「行灯をサクサクと作ろう」なんていいながらの参加でした。

建築設計がお仕事の脇田守夫さんは、周囲からは「ジャムおじさん」と呼ばれているジャム作りの名人。

甘辛味のなんでも美味しく料理できるタレ作りの名人、「タレおじさん」でもあります。

それがこの度は「行灯おじさん」に。

設計事務所兼ご自宅を体験会場に、この日は3人に教えてくださいました。

目の前に建具屋さんがあって、木っ端が余っているのだそうです。建具に使う木は狂いがないようにかなり乾かしている。

だからよく燃える。昔は燃していたのですが、最近は燃すのも難しい時代。

もらいたいと申し出ると、どうぞどうぞといただけたとのこと。

それを材料にしているので、用意された木片は美しくカンナがかけられ、桧の香りがする、軽い。

これを、十字に組み、その後ボンドで枠を作り、貼り付けていくという作業でした。

木で作る枠が直角になるように固定するための、ベニヤと木で作られた固定装置が個人ごとに用意されています。

それで押さえながら作った木枠のボンドが接着するまでは、太いゴムバンドが活躍。

ここまで用意されていると、気軽に「サッと作って、桜へ行こう」なんて思っていたのが申し訳ない。

というより、なんだかとっても、普段はしないこういう作業が面白くなりました。

そこに、さらに障子張り用のノリを歯ブラシでせっせと塗って、紙を貼ります。










これが職人気分にしてくれます。乾いている木はノリをどんどん吸い込むので気が抜けない。










でも脇田さんの指導通りに黙々と作業していくと、だんだん行灯らしくなってきました。










底になる板に、足もつける。足の高さがあるのでコードの太さが邪魔にならない。細かな気配りです。









どの場面でも活躍するのがドライヤーです。乾くのをスピードアップするために、奥様の規子さんがぶんぶん乾かしてくださいます。









ソケットとコードを取り付けると、なんだか、できてきましたよ。











フルーツがテーマの催しですから、果物をプリントした和紙をさらに中に重ねると、果物柄の行灯になります。

灯りをつけると「かわいい〜〜〜」「できた〜〜〜〜」。

このまま、ずっとここに居て、だらだら呑気にしていたくなります。



「桜のライトアップに間に合ったね」と脇田夫妻。一緒に急いでくださったのです。すまない気持ちを抱きながら「ありがとう、行ってきまーす」

普段と違う頭を使った感じでした。木の感触や、ボンドのにおいや、和紙を貼るドキドキ感。

友だちと一緒に何かを作る楽しさ。すっかり心がシンプルになっています。昼間の疲れが吹き飛んでいます。


脇田さんが誰でも作れるようにと、段どってくださった。下ごしらえが完璧だったので、だから私でも作れた。

そんな、ナンチャッテ行灯づくりなのですが、それでも何かを作れた、達成感がありました。

心を清めてから見たからでしょうか、山の頂の桜の美しいこと。

行灯が暖かに灯るように、桜も暖かそうにライトアップされていました。

地元の方が、桜を植えて、育てて、大きくなったのでライトアップして、訪れる人をもてなしてくれています。

一度にではない、少しずつ設備を整えて、ライトをひとつひとつと足して、コードを伸ばして、みんなのために。

行灯の灯りと桜のライトアップがだぶります。

コツコツと作ることが美しさに繋がる。ライトアップ装置を整備してくださった地元の方々に、普段よりずっと感謝する気持ちになったのでした。

このエントリーの情報

スローライフ運動 丹波篠山黒豆づくし 2018/04/02 1:34 pm

兵庫県篠山市へ初めてうかがいました。ご存知のとおり、「黒豆」の産地です。

「黒豆の館」というところがあって、バイキングで黒豆料理が食べられます。甘煮はもちろん、黒豆コロッケ、黒豆巻き寿司、黒豆キッシュ、スイーツなど、一食でどれほど黒豆を食べたことか。

街なかには、黒豆専門の老舗がどっしりと店を構え、丹波焼の黒豆箸置きまで。特産というものがあるところはいいなあ〜。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いろいろなパンフレットをひもどくと、ここで上質の黒豆ができるのは、標高200〜300mの盆地で、昼夜の温度差が大きく丹波霧と呼ばれる深い霧が立ち込め、粘土質の肥沃な土壌、清らかな水があるため、とあります。

ただ“苦労豆”といわれるほどに、収穫まで手間がかかるのだそうです。手間をかけて品質を維持しているともいえます。

はるか昔から黒大豆は作られてきたとのこと、昔は普通の大豆は味噌用、黒大豆は主に薬用とされていたそうです。

今でこそ、美味しいだけでなくポリフェノールなど身体にいいといわれる成分が注目されていますが、昔の人はちゃんと分かっていたのですね。

1600年代〜700年代の本などに、既に篠山の黒大豆は名産品として紹介されているそうです。

そしてこの地の殿様が大いに黒豆を気に入り、年貢を黒豆で収めさせていたそ。そしてその黒豆は遠く江戸まで献上されていて、諸国大名たちにその美味しさ広まって行ったのだとか。

で、他の土地の黒豆と何が違うか?まずは大きい、ふっくら炊ける、甘味がある、皮が柔らかいけれど破れない。上質のものには表面に白い粉がふく特色も。

普通の黒豆は70日位で収穫となりますが、ここのは100日かける。しかも機械をなるべく使わずに。名前も特別に「丹波黒」と呼ばれている、などなど。なんだかとにかくすごいのです。

もともと私は黒豆好きですから、篠山市を訪れたらまずは食べたい。そこで「黒豆の館」にまっしぐらでした。「笹山市地域活性化センター黒豆の館」が正式名。

まちなかからは離れているのですが、平日にも関わらず「田舎バイキング」という名の黒豆料理バイキングには、並ぶ人が居ます。

地元の野菜を使ったバイキングなど各地にあり当たり前ですが、やはり黒豆に特化すると人を呼びますね。身体にいいものを皆が食べたいのですから。

笑ってしまうくらい、黒豆が使われているのですが、私が一番美味しいと思ったのは「黒豆ごはん」大きな丹波黒がゴロゴロ入っている。黒豆ご飯は深い旨みがありました。

売店に売られていた「黒豆ごはんの素」を買ってくるべきだった、と今さら悔やまれますが・・・。もちろんお茶は黒豆茶。一緒に食べたクッキーはお土産にしました。


お城の近くには享保年間に創業の黒豆専門店「小田垣商店」が、のれんをゆったりと掲げています。暮れに、ここまでわざわざ丹波黒を求めにやってきて、大掃除の傍らコトコトと煮るなんて、そんな暮らしをしてみたい!





ふとみると、あらまあ〜黒豆の箸置き。丹波焼のある篠山市です、焼き物で黒豆ができてしまうのがおもしろい。各窯がそれぞれ作っているとのこと。

黒豆というモチーフを、各業種が上手く加工したり創作したり、もっといろいろあるのでしょうね。

黒豆バック、黒豆枕、黒豆のイヤリング、ネックレス、黒豆ダンス、黒豆Tシャツ、などなど。食べるだけではない黒豆の出番が沢山ありそうです。


どこどこといえば何々、という特産品があるのは強いですね。
そういう意味では今回もう一つの丹波篠山の顔、猪肉をきちんと食べられなかった。

遅すぎました。冬場は冷凍でない本当の猪肉が食べられる土地です。これまた悔しい。次の冬を待ちましょう待ちましょう。

今回はさらっとでしたが、さてこれから何回通いましょう。そのたびに、私はまた黒豆を何粒も食べて食べて、元気になっていくのです。



このエントリーの情報

お仕事 ワークショップ38回 2018/03/26 1:32 pm

2014年から続いた、和歌山県紀の川市でのワークショップが終わりました。果物産地でフルーツをテーマに交流を起こし、紀の川市ファンを増やすための動き。

市役所担当によると、38回で約190名、延べ約1200人の参加だそうです。

最終回に、写真で振り返りました。市民が初回に出したアイディアを、この4年半で市民の手で着実に実現してきたことがわかります。ご苦労様!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




最初の頃に配った、ワークショップの進め方の紙です。(写真)まずは皆が何をやりたいかを思いっきり書き出します。

そして、次の回でそのアイディアを整理し、「すぐやること」「少し先にやること」「いつかやること」に分けた。こんなことから始まりました。



フルーツをテーマに交流を起こし、ファンを増やす「フルーツ・ツーリズム」を始めよう!という目的は最初からはっきりしていました。なのでまずは私がその話を40分くらいしています。

「世の中はファストライフからスローライフに変わりつつある。産物の果物をただ売るだけでなく、文化として捉えよう。物からコトへ。フルーツ観光も単なるもぎ取りではなく、フルーツによる生活提案がなくては。まちじゅうが下を向いてただ果物を生産している、巨大な果物工場ではダメだ」なんて話をしたと思います。(写真は初回の次第と最終回の次第)



昨年から担当についた市役所の新人さんが、38回を振り返る写真を整理してくれました。(写真)今回、振り返りをして、初回の頃のアイディア眺めると、出たアイディアは確実に実現されています。






「フルーツ川柳公募」(これはその後進化してフルーツカルタとなり、巨大カルタを体育館で取り合う催しが2回行われています)、「フルーツカレンダー」(小学生からフルーツの絵を公募し、365日すべて違う手描きの絵で埋めるカレンダー。今年で3年目の発行)、「ふるうつ茶会」(フルーツのお菓子で催すリラックス茶会。桃野点や宵野点、市役所ロビーでの茶会も)。

そして「フルーツ料理の開発」(コンテストをしたり、飲食店がフルーツを使ってメニューを工夫したり。フルーツ寿司、フルーツパスタ、キウイすき焼き、などなど)、「フルーツ商品開発」(フレッシュフルーツかき氷、桃守り、桃ハンドクリーム)、(写真はハンドクリーム)「フルーツ博覧会」(「ぷる博」の名でフルーツにちなんだ小さな催しを市域各地でたくさん開催。今年で2回目)。



書ききれませんが、みんなよくやってきたなあ〜とつくづく思います。(写真は最終回に配った市からの挨拶文と「ぷる博2」のパンフ)








最終回のワークショップのために電車に乗ると、今、ちょうど開催中の「紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会 ぷる博2」の中吊りが。(写真)

街じゅうで、今回は52種類の体験催しが開催されている。それを、一昨年できた一般社団法人フルーツ・ツーリズムが仕切っている。私はお客として参加すればいい。「ぷる博5、10、15」と続くのでしょうか。


最終回ワークショップ前にランチに出かけると、まず清見オレンジの生絞りがでて、お料理のサツマイモも清見果汁煮、ドレッシングも果汁入り。

母娘でやっているかわいいカフェで、普通にこういう料理が出てきました。最初にこのまちに来た、5年前にはなかったな〜。



最終回会場には38回分のワークショップ資料が並んでいました。私は現場は回しても資料などは作らない怠け者ですから、市担当者が苦労して作って来たものです。

初回からずっとこのワークショップをお世話してくれた担当者がその資料を撮影中(写真)。普通の行政の仕事とは違う初めての試みばかりなので、大変だったと思います。

どんな風に苦労だったのか?これは解説していかないとわかりにくいかもしれません。実は、市民発案の企画を市民が実践!といいながら、最初の頃は、とことん行政が上手にお世話をしていました。

とにかく「まちづくりは楽しい」と思ってもらうために、前にでないように、でもうまくカバーして、市民がやったと思えるような形に支えていたのです。

だから、市民の方々は「こんな会議のやり方もあったんだ」とか「子連れでもまちおこしに参加できる」「面白いことやれた」なんて手応えを持ったはずです。

しかし、成功体験を持った後は、自走してもらわねばならない。ワクワクしたワークショップは、だんだん辛い、合同会議のようになっていきました。

やることを企画メモにする、テーマごとのチームが予算を持ち、それを収支計画を経てて使い、必ず利益も出す。夢を追っていれば良かったワークショップは、現実味を帯びてきます。

でも、ここで踏ん張らないと、いつまでも行政が市民をお客様のようにチヤホヤし、市民も持続可能な活動を作れない。事務局作業は誰かがやらねばならない。でも行政はやらないように舵を切る。つまり、市担当者も私も、意地悪な嫌な人になったのでした。

何でもハイハイとやってあげる方がどんなに容易いか。企画書を書いてあげる、収支計画もたててあげる、役割分担も作ってあげる、タイムスケジュールも、広報も、記録も、報告書も、、。

やってしまうことは容易いのですが、後から困るのは市民です。「市役所がやってよ」と頼んでくる市民と行政は戦わねばならない。ワークショップ参加者はずいぶん嫌な思いをしたと思います。そしてイエスマンにならない市職員・地域おこし協力隊はしんどかったと思います。


ワークショップではマイクなんかで話したくないのに、必ずマイクが回わってくる、何か言わなくちゃならない。「質問なんかありません」といえば「では感想を」と私がたたみかける。

でもこれは訓練で、誰かの発表に対し、感想や質問をかぶせることで、発表内容をより良いものに研いでいくという作業です。わざと厳しい質問をしてあげるのは仲間への愛情表現なのです。

普通の主婦の方が、当たり前にマイクで話せるようになるまで時間がかかりました。(写真は最終回での発表、みなマイク発表は当たり前になって)


最終回にあわせてか、参加者の若者が「フルーツ・ツーリズム」の活動を論文にまとめてくれました。客観的に文字にしていただくと、ああ、そういうことをしてきたんだなあ〜と思えます。


最後に、私が紀の川市に通うことになったそのきっかけを作った今の部長さんから熱いメッセージがありました。この方は、途中、ご自分の部署が変わっても、一市民としてワークショップに通い続けてきた方です。

『この事業は「紀の川市の観光ファンを拡大する」ことが一番の目的であることは間違いないことですが、この事業を通じて、多くの市民の方を発掘することができました。いまでは、市民と市民との交流ができ市内のあちこちで化学反応が起きています。最近、紀の川市では長期総合計画策定のための市民アンケートを取っています。「“紀の川市はフルーツのまち”というイメージがありますか」の問いに、「そう思う」が前年度は43.6%、今年度は47.1%。「どちらかといえばそう思う」が前年度は37.6%、今年度は40.4% 。合計でいいますと81.2%が87.5%になった、実に一年間で6.3%も上がったことになります。これを分析するとこの一年間での伸びは、やはり、青果を売っていることだけでなく、フルーツを通じての文化・歴史・体験等の数多くの取り組みが、市民の「フルーツのまち」としての認識を高めたといえるのではないでしょうか。まさしく、フルーツ・ツーリズムの活動が、フルーツ・ツーリズムに携わっていただいた方の「紀の川市が好き、愛している」という気持ちが、この数値をもたらしたといっても過言ではないと断言します。』


東京と地方とを比較して、長い間、「わがまちは何もない、自慢できない、東京がいい」という物差しが根強いものでした。

それが「○○のまち」と言える言葉が持てたことは、座標軸を変えたことになります。

まちづくりの動きの評価をなかなか数字で示すことができないものですが、これは私にとってうれしい数字となりました。

「紀の川市フルーツのまちづくり」のファーストステージが終わり、続いてセカンドステージへ。

新年度は、まちづくりができる人を育てる「人材育成塾」が始まります。

このエントリーの情報

ゆとりある記 “巻きうどん”劇場 2018/03/19 2:14 pm

なんともドラマチックな劇場型?うどんを見つけました。「巻きうどん」です。

板状に伸ばしたうどんの生地を、ロールケーキのように巻いてある。これを巻かれた丸い状態のまま好きな幅に切って、茹でて食べる。

その仕組みに驚き、輪切りにして笑い、巻きをほどいて嬉しく、茹でて香りたち、食べてモチモチ。「わ〜〜!」と、何度声を上げたでしょう。栃木県那須塩原市で発見です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が見つけたのは那須塩原市の「道の駅 アグリパル塩原」。なんじゃこりゃ?って感じでした。

ご案内の方が当たり前のように「切って茹でるんですよ〜」とゆるく説明してくれます。もうこの時点でワクワクしてきました。

お昼にはここでおソバと、クロロフィルの含まれた古代米のモチ米「緑米」入りのお餅を食べたのですが、その時に、「今は蕎麦蕎麦というけど、昔はうどんばかりだったなあ」と話をうかがったばかり。


蕎麦どころでもありますが、実はこの辺は小麦の産地、地粉で家でうどんを当たり前に打っていたのだそうです。

手間がかかるので、それを簡単にしたのが「巻きうどん」。食べたいだけを切ってゆでる、そのほうが痛みもない、という知恵なのでしょう。




調べると、隣の大田原市にもありますし、埼玉県下にもある。さらに四国の讃岐にもあるという情報が入りました。

まあ、うどん文化のところでは、きっとこれは便利で昔からあるのでしょう。




私は道の駅で買ったのですが、それを造っている「秋山製麺」 https://akiyamaseimen.jimdo.com/
に寄ることができました。それにしても安すぎる〜〜。

小さなお店で、若い店主さんが笑顔で迎えてくれます。「もっとこの珍しい巻きうどんを、前面に出した看板にすれば」などと、大人たちがいろいろ言うのを青年はニコニコと柔らかく受け止めます。


赤ちゃんが生まれたばかりとか、お祝いのお返しには坊やの顔の写真がついたうどんが用意されていました。昔からの味を、若夫婦がこれからも伝えてくれるのでしょう。

お店では、地小麦、地蕎麦を挽いて、売っています。手作りのいろいろなカゴ類も売っています。ゆっくり寄りたいお店ですね。いろいろな粉も買いたかった〜〜。



一見、まるで竹輪のような「巻きうどん」に驚く私。地元の方々はいろいろアドバイスをくださいます。

「釜茹でで、小麦の味を楽しんでね」「茹でて、ネギを少し、塩味はちゃんとあるからほんの香付けで醤油を数滴で食べて」「煮込まない方が私は好き」「生卵をまぶして食べてもいいよ」

もともと、「ほうとう」とか、「ひっつみ」とか、「耳うどん」とか、「お切込み」とか、小麦粉モチモチのものが大好きな私です。今すぐここで茹でて食べたい!という思いでした。



そういう割には、自宅でご飯を食べるチャンスがなく、冷蔵庫で5日間が過ぎ、賞味期限ぎりぎりにようやく食べることができました。

もっと早く食べていれば、生地が離れやすかったのでしょう。置いておいた時間が長く、輪切りにすると羊かんのような切り身になります。この切る感触がいい、グ〜グ〜と、小麦感満載。



切って切り身を見て、このまま塊かな、ダメかな、と思ったら、ちゃんと離れる!

ゼンマイのように丸まったうどん生地は、そっと触ると上手にほぐれ、一本ずつのうどん状にになったのでした。横で夫は一安心、「この羊かんみたいなままで茹でて食べるのかと思ったよ〜」




グラグラのお湯に放つと、おおお!小麦の香りが家に満ちます。「巻きうどん」に命が入ったようです。

10分くらい茹でて、サッと水で締めてから食べました。というか、もう茹でながら何本もすすっていましたが。




アドバイス通り、お醤油数滴とネギ。これは粋ですね。食事というより、日本酒のあて。











続いて生卵かけ、これはうどんの塩味がマイルドになる。カルボナーラ風です。











夫は、鯛の出しのお澄ましをかけた、熱々のかけうどんが気に入ったようです。












私は冒険。パクチーをちらし、ニンニクをひとかけ、そこにオリーブオイルをたっぷり。これは「マキウドーン・ノ・イタリアーノ」って味。気に入った!!パーティーで出したら、ワインとあいますね。

いずれにしても、歯ごたえと小麦の味、香りがたまらない。第一、白くない自然の色がいい、でしょ。

面白いと美味しいが掛け算でやって来たみたい。これだけのために、また那須塩原に行きたくなります。

うどん好きのあの人にも、この人にもあげよう。お土産で渡して、あそこのうちの子どもたちを楽しませてやろう。と、もうクルクル頭が回ります。

私より一足先に食べたうどん好きのお宅では、甘辛味の肉豆腐の最後に入れて、煮込みうどん風にしたとか。「実に旨かった、ありがとう」とお礼をいただきました。

全国各地のお菓子や名物を食べているお宅で、このワイルドな「巻きうどん」が、まるでミニイベントのような「巻きうどん」が、俄然、存在感を示したわけです。

そうか、今度は煮込もう。そして、秋山製麺のお兄さんに「オリーブオイルがぴったり」とおすすめしよう、と思った興奮の夜でした。

このエントリーの情報

ちょっとしたこと 7年経って 2018/03/12 2:32 pm

東日本大震災から7年、ここ数日の報道は急に思い出したように震災や復興を扱っていました。

で、私たちはどうでしょう?あの時は、原発は要らないと思ったし、本当に暮らし方を変えようと思ったはず。その本当は、何だったのでしょう。

外国から「あの災害で学習した日本はどう変わったか?」と問われたら・・。

私たちは各人が、自分の言葉で世界に説明する責任があるはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの日、NPOの事務所にいると大きな揺れが始まりました。怖がりの私はテーブルの下に潜り込みました。男性2人が、玄関のドアを開け、倒れそうなロッカーを抑えています。まだ揺れてる、まだ揺れてる、いつまで揺れるんだろう、どうなっちゃうんだろう。すごく長かった。

揺れが収まると、家族に電話。直後なのでまだ繋がった。無事を確認すると、40センチくらいズレているロッカーを戻します。ラジオをつける、ネットで調べる。東北だ、大きい。

阪神大震災の時の様子が思い出されます。潰れたビル、倒れた高速道路、同じくらいなのでは。神戸に住んでいた人から、揺れで畳の上を身体がゴロゴロ転がったと聞きました。そんなことも思い出します。

津波警報も出ていました。海辺の方はどうしているのか?思いを北に向けることもできないで、自分の現実でした。電車が止まっている。そのうち動くかも、そのうちって何時?これはまずい、もう帰りましょう。

うちのNPOですらそうだったのですから、都内のオフィスから一斉に人が吹き出しました。駅も道路も人だらけ。駅に行っても動く見込みはありません。事務所にいた3人は「とにかくご無事で」と言いあって別れました。

1人は大変幸運にタクシーに乗れ、渋滞だったり動かなかったりしながらも、歩かずに四谷から中野坂上までたどりつけた。もう1人は仕事を終えてから、都内からさいたま市まで歩き続けた。そして私は、やはり歩いて帰宅したのでした。

四谷から麻布まで、数キロではありますが、歩くのは初めてでした。しかもこの日は着物。着物は慣れているものの、長距離を歩くには向いていない。でも、タクシーなどつかまりませんし、自転車を買ってしまおうかとも、でも着物では。

覚悟してペットボトルとキャラメルを持って出発。ヘルメットをかぶっている女性、非常持ち出し品リュックを背負っているサラリーマン、披露宴帰りの人、子ども連れのお母さん、いろんな人が静々と流れのようになって歩いていきます。

あまりしゃべらない、どうなるんだろうという不安で、皆が寡黙になっていました。いい加減歩くと、もはやハイヒールの女の子は靴を脱いでストッキングで歩き出します。皆、かっこなんてどうでもいい、って感じでした。

六本木まで来た時に、どこかの高級車を売っている店先の大きなテレビに人が集まっていました。見たこともない、凄い津波の様子が映っていました。足がワナワナしました。早くうちに着きたい。

途中の大きなスーパーにはもう品物がなかったので、路地に入ったところの店でカップ麺と魚肉ソーセージを買いました。家に食べ物はあるものの、何かしら買っておきたかったのです。

ようやく家に着くと夫はテレビに釘づけでした。そして、私たちはその後、コマーシャルのないテレビをずっとみることになります。そのテレビから流れる情報は、あまりに悲惨でした。

そして、原発の爆発事故。「今すぐに影響を及ぼすものではないので、落ち着いて行動してください」と繰り返された虚しい政府発表。もっと虚しいヘリコプターからの散水。消防車からの放水。都内では地区ごとに順番で停電にするとか、しないとか。節電節電。

地震、津波の直接被害に目を奪われているうちに、放射能汚染は広く遠くに広がっていたのでした。換気扇をふさげとか、窓に目張りしろとか、子どもは外に出すなとか。うがい薬を飲むといいとか。いろいろな話が伝わって来ました。

当時通っていた合気道道場の外国人の子どもたちは皆、本国に避難しました。東京も危ないから、九州まで移住するという人もいました。

この震災で、福島でつくってくれていた電気を、東京がジャブジャブ使っていたことに初めて気づいたものです。でも急にお店の音楽を止めても、ショウウィンドウを暗くしても、イルミネーションをやめても、もう元には戻らない。福島の人は追い出され、人生が狂い、健康を害した。そして今も。

あの時、一度、日本はわかったのに。膨大な犠牲の上に、過ちに気付いたのに。7年経った今は何?と思うわけです。テレビではばかばかしいお笑い芸人が大食いをやっている。政治家は私利私欲に走り、忖度した役人は犠牲になる。何がどう変わったの?変えたの?

こうしてその時のことの思い出話はできるのに、その後、日本を変えるために私がやって来たことを具体的に書けないもどかしさ。「スローライフ運動をやっています」そのくらいで海外にむけて説明になるのでしょうか?

飯館村で「までいにやれや」と言ってくれたおばあちゃんに、顔向けできるのでしょうか?と思います。

このエントリーの情報

ちょっとしたこと 会議の進行役とは 2018/03/05 3:33 pm

いま、ファシリテーター研修をやっています。これまでもやりましたが、いつも強調するのは「会議だけかっこよく回してもだめ」ということ。

都会の会議室で若者だけでならともかく、地方の村おこしの現場でカタカナで話したってしょうがない。

会議以前にもっと広く深いところで、いろいろ段取りすること
があるし、それもケースごとに違う。進行役はいろいろ学ぶことあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネットなどで調べると、“Facilitatorは会議などを円滑に運営、管理する進行役を指す。”とあります。

確かにそうかとは思うのですが、実際には円滑ばかりが良いということもありません。

こてこての論争などが起きることもあります。それはそれで私などは面白く、「よくぞ言った」という場面もありますし、時にはブルブル震えて泣きながら発言、なんてこともあります。

そんな本音が出た方が、その後は上手くいくことも。時間通りに、うわべだけで話すよりもずっと価値ある会議になることも見逃せません。

こんな解説もあります。“ファシリテーターは議事進行やセッティングなどを担当するが、会議中に自分の意見を述べたり自ら意思決定はしない。”

そうもしていられないことがあります。活動がかなり遅れている時、えいやっと何か動きを起こさないと突破できないとき、
「もう、とにかくやってみようよ」などと意見を述べ、「みな、それでいいね」などと決定していくこともあるのです。

これで勢いがついて、または野口さんに怒られちゃうからなどの理由で、何かが動き出すことが多々あります。

何かのせいにして、しょうがなくやった。失敗してもあの人のせいだから・・・。

それでも何か得るものがあれば、やって良かったということになる。そういうことを引き受ける役割もあると、私は思っています。

“「場を作る」「意見を引き出し整理し絞りこむ」などが主な役割と”の解説もあります。この場合の場づくりにはどこまで含まれるのか。

以前こんなことがありました。意見がなかなか出てこない。時々つらそうな顔もある。なぜ?と思っていたら、参加していたおばちゃんたちは皆、膝が痛かったのです。

座敷の会議は、意見以前にそれがしんどかった。次に椅子とテーブルにしたら、笑顔がこぼれた。この辺りは、都会の若僧にはわかるまい(笑)。

煙草の問題もありました。土地の有力者がヘビースモーカー、皆がそれを文字通り煙たがっていた。それを当たり前のように私が禁煙ルールにする、そんな場の設定も決定もあるわけです。

さらに踏み込んでいえば、会議などは氷山の一角。そもそもその会議が何の目的で、何回行われるのかを意識して、最初に全体を設計する必要がある。

例えば、8回行って、とにかく参加者が「地域づくりは面白いと実感できるワクワクと、達成感を」が着地点。

ならば、その会議をよりワークショップ式にして、取り合ずワクワクできるように、とことんほめて世話をして「いいね、いいね」で何かしらの試行を成功するようにお膳立てする。

8回終了時には目的通りの状態まで持って行く。これも役割だと私は認識しています。

それはもうファシリテーターではなく、地域おこし推進係なのです。だからそういう立ち位置にまで行かないとだめ、単なる会議の進行ではないよ、といいたいわけです。

なのに、「ファシリテーターってかっこいい」と思っている若者も多いものです。

一方、ホイホイしないで、厳しく、世話をしないで「企画から予算まで考えられる場にする」が着地点。

ならば、これは会議は楽しくありません。本当にことに取り組んで、大人として何かを牛耳る喜びを知って初めて楽しいような場にする。

そんな場ですから、単純楽しいを求める人にはつまらなくなります。そういう場づくりもあります。

何回で、どこまで持って行くのかは、仕事として一番気がかりなところとなるはずです。

地方の小さな会議では、言葉よりも現実で、待ったなしの場合もあります。

草を刈る人もいなくなった。集落には店もない。でも何とかこの十数人でむらを維持したい、希望を見出したい。

そんな小さな寄合で、「私、会議のファシリテーターをさせていただきます野口です」なんて自己紹介をしたとたん、みんな引いてしまうでしょう。

でも、現実、そういうコンサルタントが多い、かっこよすぎる進行が多い、ポストイットが飛び交うだけ。

東京は日本のごく一部、こんなところで通用しても本物の仕事師にはなれません。

と、褌を締め直して、??私、またファシリテーター研修などするわけです。はい。

このエントリーの情報

お仕事 「ぷる博2」 2018/02/26 1:53 pm

これは「第二回紀の川フルーツ体験!ぷるぷる博覧会」の愛称です。昨年に続き、フルーツがテーマの市民企画催しが52種類もそろいました。3月4日から。

“イチゴ電車に乗って猫の駅長に会い、イチゴ狩りをしてイチゴ大福づくり”“ロケットストーブを作りフルーツピザをほおばる”“和服で名刹「粉河寺」を散策しフルーツ寿司を”など。満員御礼も続出、個性的な催しが一杯です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ぷる博2 オフィシャルご案内サイト」はこれです。
http://www.kinokawa-fruits.jp/puruhaku/

52種類の催しを詳しく見ることができます。今年のパンフレットは、ハンドバックに入るA5サイズなので、可愛いくてなかなか好評。

この「ぷる博」2回目ともなると、主催の(一社)紀の川フルーツ・ツーリズムも余裕?とはなりませんが、初めての時よりもなんとなく切迫感はなく、やれる範囲でやりましょうという雰囲気です。

そう、爪先立って無理してもつまらないですものね。
さて、そんな中で私的にちょっと気になる催しをご紹介しましょう。

パンフレットを複写して載せているので、見にくかったら上記のURLでご確認くださいね。


38番の「いちご×(電車・収穫・大福)ニタマ駅長にも会える、いちごづくし旅」

これ、わかる人にしかわからないかもですね。紀の川市には和歌山電鐵が走っていて、この列車が猫や梅干しなどのテーマのある車両。遠方からわざわざ乗りに来る人もあります。

さらに、人気なのは貴志駅にいる猫の駅長。先代がタマ駅長で、今は二代目なので「ニタマ」と呼ばれています。

そのイチゴ電車に乗って、、なのです。貴志川町はイチゴの産地、イチゴ狩りはもちろん、イチゴ大福作りもある、ここに私はひかれてしまいました。

昔、静岡に住んでいる頃、イチゴ狩りはイヤって程やりました。でもそれはドライブとセットで必ずや渋滞になり、それがつらかったのを思い出します。電車なら安心、しかもイチゴ電車なんて!

「貴志川観光いちご狩り園」の方々がどれほど丁寧にイチゴ作りをしているのか知っているだけに、このメニューはよくぞ考えてくれたと思いました。

39番「椿や桜・桃が咲き誇る風景の中であら川の桃ジャムづくり」

「あら川の桃」といえばブランド桃です。その桃でジャムを作る幸せ!以前この体験をしたときに、本当にたくさんの桃を使う贅沢に酔いしれました。

そして、煮ている間の桃の香りにビックリ。やはり桃は果物の女王だと思ってしまいます。ザクザクと刻んだ桃がたっぷりと入った瓶を持ち帰る、東京ではこんなジャムは高価過ぎて手が出ないはずです。

ほんのりピンク色の桃ジャムは桜の季節のプレゼントにしようっと。

この催しの紹介コピーにもあるように、「桃りゃんせ夢工房」近くにはたくさんの椿があります。ジャムづくリだけでなく、花見物も兼ねて家族と行くといいですね。

40番「ロケットストーブをDIY。できたてストーブでピザ焼き。」

私のこのブログでも何度かご紹介しているロケットストーブ、ご存知ない方はぜひご参加を。オイル缶を二つ繋いで、なかに煙突を通す簡単な仕組み。ほんの少しの燃料で、ロケットのようにゴーッと音を立てて燃えます。

ストーブというと暖をとるためと思うかもしれませんが、これは調理向き。お湯などすぐ沸きますし、火力が必要な焼きそばなどお勧めです。

料理はともかくとして、このストーブそのものを作る作業が楽しい。この催しを主催の方は、ロケットストーブの強烈な信者のような方で、“布教活動”?に熱心。作るためのすべての道具、部品など用意してくれるので、子どもと女性だけでも多少の苦労だけで出来上がります。

そして初めて火を起こしたときの楽しさ、面白さ。やはり、人間は火を起こすことに何か本能的な喜びを感じるんだなあと思ってしまいます。

キャンプなどに向いていますが、本当は災害時の強い味方。ガスや電気が止まっても、調理できます。今回また作ろうかな〜。


45番「気持ちはもう桃農家?『美味しい桃にな〜れ』の摘蕾体験。」

摘蕾とはテキライと読みます。つまりいらない蕾をとること。同じく、摘花も摘果もある。紀の川市に通うようになり、当初驚いたのは、この作業でした。ポロポロポロポロ、蕾を落とす。なんだかもったいないし、かわいそう、と思ったものでした。

でもこれをやらないと美味しい桃にならない。理屈は分かるのですが、、、、、。せめて花を満開に咲かせて、それからじゃだめですか?と思ってしまいます。

農家さんだって、そりゃあ、花ぐらい咲かせてあげたい気持ちはやまやまでしょう。でも美味しい実を実らせるためには、なのです。それはとりもなおさず私たち、消費者の望みに応えるためなのですから、いたしかたない。

なので、それならばお手伝いくらいしましょう。桃の樹のこと、桃農家のこと、桃のことを知って、ありがたく夏には桃をいただきましょうというわけです。

果物産地だからこそできるプログラム。ここのジェラードは行列ができるほどの味、フルーツがいっぱい使われています。摘蕾からジェラードまで、桃がたどり着く道のりを体感したいものです。

47番「パソコンで作るフルーツクラフト 思い通りに作れるかな?」

フルーツがテーマの「ぷる博」にパソコン教室が参加するとこうなる!ということ。
できあがるフルーツクラフトが何とも可愛いのです。

パソコンなしの生活なんてもはやできなくなっていますが、実はしょうがないからパソコンを使っているだけで、パソコンを楽しんだことなどない私です。

いまだにわからないことだらけで、パソコンは肩コリと目の疲れのもととしか思えない。それなのに、この催しは何だか楽しそうな感じ。

子どもの初めてのパソコン練習にぴったりとありますが、パソコン嫌いのおばちゃんが、パソコン好きになるためにお勧めなのかもしれません。

この日はせいぜい、仕事を忘れて、パソコン遊びをしましょう。

貴志川の平池の近くとか。池のほとりのウォーキングや、カモの群れや、黒鳥の泳ぐ姿を眺めるなんてゆったりした時間も、自分で付け加えたいところです。

28番「バスケット・ピンポンでゆる〜く汗を流し、折り紙もして、果物も。」

最後は私主催の催し。和歌山発のバスケットのついたミニピンポン台で遊ぶ「バスケットピンポン」通称「バスピン」。

これをゆる〜く楽しみましょうという催し。そもそも私ができません、正確なルールもわからない。なのに楽しいのは、このスポーツ?の魅力なのでしょう。

子どもも高齢者もなんとなくピンポンらしきものができる。バスケットにボールがポンと入れば点数があがる。

家庭に一台置きたくなります。どうぞぶらりとお立ち寄りください。縁側みたいな感じで一緒に果物食べて、折り紙などもしましょう。

こんな風に、いろいろな立場の人が、それぞれにフルーツにひっかけて考えたプチ催しばかりです。ここでは少ししかご紹介できませんでしたが、何処の土地でもなにかテーマが見つかればこういう仕掛けはできるはずです。

参考事例としてはおすすめ。どうぞ遊びにおこしください。

このエントリーの情報

ちょっとしたこと オリンピックで 2018/02/19 10:56 am

にわか羽生ファンになってしまいました。もちろん、宇野・葛西・小平ファンにも。

最近のテレビでは、嫌な政治のニュースか馬鹿なお笑いばかり、テレビをつけるのも嫌だったのがこの数日は違いました。

夢中で見て、声を上げたりウルウルしたり。日本中が“元気をもらった”のではないでしょうか。

ならば、その元気を何に使うかですね。目の前には、問題山積みの現実があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・













もちろん、オリンピックが世界の祭典ではないのは分かっています。どう見てもお金持ちの国の、お金持ちの人しか参加できない。

オリンピックは純粋にスポーツだけ、なんてのはずっと前から嘘で、時の政権に利用されてきた。それもわかっています。今回などはまさしくそうです。

感動というものを大金を動かして量産し、誰かが儲ける感動産業。しかもアメリカ時間にあわせで競技なんて、選手も大変だったでしょう

そんなふうに作られた仕組みに、みんながはまってキャーキャー言っているわけです。

分かってはいるのですが、今回は素直に感動しました。

テロや内戦がやまない、飢餓に苦しむ国もたくさん、地球の自然はどんどん壊れていく、福島の原発事故はいまだそのまま、確定申告の時期なのに国税庁長官は頬かむり、などなどそんな中での夢の一幕だったのでしょう。

何かを忘れるために、むしろオリンピックに踊らされてみた、ということなのかもしれません。


いつからか、日本の民は皆、テレビのカメラなど向けられると、「感動をありがとう」とか「元気をいただきました」などと発言するようになりました。

自分では感動できない、元気になれないということでしょうか?

どう見ても元気すぎるようなおばさんが「元気もらいました、羽生君ありがとう」なんて語っていると、で、その元気をどうするの?と思ってしまいます。

人間の可能性は凄い、ということを知ったなら、自分もそのくらい頑張って地域や社会をよくしていこうじゃありませんか?!

いただいた元気で、またワッショイと食べ歩きして、さらに醜く太っていかないように。

いただいた感動と元気の使い先を厳選し、テレビに向けた凝視するそのまなざしで、世の中をきちんと見ていきましょう。

と、自分に言っている野口でした(笑)



このエントリーの情報

ちょっとしたこと 海辺のまちは 2018/02/12 12:10 pm

和歌山県海南市大崎、港を抱える小さな集落。ここから獲れたてのナマコが届きました。

コリコリとした歯触りと潮の香りを楽しみながら、以前、訪ねたことを思い出します。

今日もあの急な細い階段を、おばあちゃん達は歩いているのかしら?布団を清々と乾しているかしら?強風のなかを船は出たのかしら?

海辺のあのまちは、今日、どうしているんだろう。と、つい考えました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ナマコです。私がおろせないことを知っていて、ちゃんと薄く切ったものを届けてくれました。

あとは味付けして海苔をちぎって。コリコリコリ。

その間にいろいろなことを思い出したわけです。




大崎の港。漁船も入れば、ヨットも係留されている。

暮れにうかがったときはいいお天気で、他所から来た家族連れが遊んでいました。






浮きで作られたお人形。

数年前にうかがったときもありました。

笑いながら港を見まもっています。誰が作ったんだろう?





それにしても人が居ない。路地に入ると、家はあるのにシンとしています。

かすかにテレビの音が聞こえて来たり・・。






路地の脇には細い急な階段道が伸びています。

その階段を上っていくと、急斜面に建つ家に通じる。

振り返ると、さっきの海が藪の間からみえています。強風が吹くときは大変でしょう。



階段の途中で会ったおばあちゃんが、「この先にお地蔵さんがあるよ」と教えてくれました。

お地蔵さん???よくわからなかったのですが、小さなお供えがありました。

急な階段を誰かが上って、これを供えて拝んでいたのでしょう。


別の階段を上っていくと、あらまあ〜、布団やシートやマットやポリ袋まで。

干す、干す、干す。

都会じゃこんなににぎやかに干せませんね。





階段を上りながら振り返ると、青い空。

ピーッと、飛行機雲が伸びていきます。







日が当たれば暖かい海辺の集落です。

誰が育てているのやら。








この石垣一面の多肉植物は、勝手に増えた?

自転車を飲み込みそう。










「カザマチ」というお店で一休み。海を見ながら美味しいコーヒーをいただきましたっけ。




コリコリコリ、もうナマコを相当食べています。

海辺の小さな集落、大崎は今日もあんな感じかなあ〜。
多肉植物はじんわり伸びているのかなあ。
コーヒー飲む人いるのかなあ。

コリコリコリ、また行こう。海辺へ。

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 2 3 (4) 5 6 7 ... 49 »

最新ブログエントリ

最近のブログのコメント

ブログ カレンダー

« « 2018 11月 » »
28 29 30 31 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 1

写真でみるゆとりある記

日光への旅
紀の川市でパラグライダー
奈良県川上村の紅葉柿の葉寿司
まちばな

連絡先

野口 智子 のぐち ともこ
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局
ゆとり研究所

TEL 090-7433−1741
E-Mail yutori@noguchi-tomoko.com

NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002 東京都新宿区四谷坂町9−4 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
E-Mail slowlifej@nifty.com


略歴

<野口智子(のぐちともこ)>
ゆとり研究所所長・NPOスローライフ・ジャパン事務局長
千葉市生まれ。東京でコピーライター、プランナーを経験。1977年静岡県に移り企画・編集プロダクション設立。
1992年ゆとり研究所を開きコンサルタント業務を開始。
ライフスタイルの提案、「一店逸品運動」による商店街の活性化、時間消費型観光おこし、人材育成などの分野で活動。
2000年からスローライフ運動を開始、2003年スローライフ・ジャパンを設立、現在、事務局長・副理事長。
2006年から活動拠点と自宅を東京へ。現在はスローツーリズムの提案、商品開発、地域観光の育成、都市と田舎の交流、移住・定住プロジェクト、“食”をテーマにしたまちおこし、などに力を入れている。住民参加の独自の楽しいワークショップが得意。
現在、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、国土審議会半島振興部会委員。