古い家と麦畑と

ゆとりある記

先日東京・三鷹市に伺って印象深かったのは、伝承されている大正時代の家と麦畑でした。

縁側に木枠の引き戸建具が入り、冬の日射しが畳に届く家。そのガラスの向こう黒土の庭で子どもが積み木で遊んでいる。はめ殺し窓の高層マンションとは違う景色です。

そして麦畑では、麦踏みをした後の麦がよいしょと体を起こしています。

いずれも、都市住民に何が大事かを伝える装置でした。
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NPOスローライフ・ジャパンの「お出かけさろん」として三鷹市へ伺ったことは、こちらへ報告をあげていますので全体の話はこれをご覧ください。

http://www.slowlife-japan.jp/modules/katsudou/index.php?page=detail&bid=405

ここでは個人的感想です。「星と森と絵本の家」という場所。主は、大正時代の家で絵本を見たり、遊んだり、学んだりできるようになっています。


こういう家は何とも懐かしい。ガラス戸がはまり、裏には竹やぶがあり。遊んでいると、竹やぶを吹き抜ける風の音がする。

身体に当たるお日様がポカポカと暖かく、夕方になっても外にいたいものです。


ガラス戸からは庭の様子がよく見えて、きっと座敷にいるお母さんは子どもの様子をのぞいては微笑みかけたりしたことでしょう。

子どもも少し遊ぶのに飽きると縁側を開けて、「おかあさ~ん、おなかすいた~~」なんて。

蒸かしたサツマイモなどが運ばれて、縁側で母子はおやつをしたのでは。


家のなかにはいろいろな展示物がありましたが、このミシンがまたなつかしい。

昔は服を作るという作業が、家事としてありました。子供服はもちろん、母は自分のワンピースも作っていた。

ダダダダという足踏みミシンの音は、母が頑張っている音で、その音を聞きながら子どもたちは絵本を読んだりままごとをしましたっけ。

縁側もない、ガラスの引き戸建具もない、土の庭もない、ミシンもない、母もいない、そんなマンションにカギを開けて一人帰り、カップラーメンを食べて、即、塾に行く、今の都会の子どもたち。

竹やぶを渡る風の音を聞くことはあるのでしょうか?


かつては小麦の産地だった三鷹市では、都市農業としてわずかな土地に麦を作り、その麦文化を伝えようとしています。

私を始め、訪れた面々は、葉を見ただけではどれが大麦か小麦かわかりません。広大な麦産地の畑から比べたら、猫の額にも満たない小さな麦畑ですが、ここで伝えられる麦文化は貴重です。


先般子どもたちが麦踏み体験をしたとかで、麦の苗が寝ています。一見かわいそうなのですが、直に元気に起き上がるのだそうです。

なんで麦踏みをするのか?言葉は知っていてもやったことがない。意味も分からない都市住民です。昔は霜柱が立ったから苗が浮く、それを踏みつけると、土に戻る。苗そのものも丈夫になる。へえ~ということばかり。

麦も知らない、霜柱も最近は見たことない、麦踏みの意味も知らない、小麦と大麦の使い道も知らない。なのに私たちは、焼きたてのあの店のパンとかあのビールとか、食へのこだわりだけは持っている。


昔の家で絵本を読んだり、麦畑を見たり、そんな中で感じることや考えることが大事だと実感しました。それは子どもはもちろん、今の都市の大人に必要なことでしょう。

この古い家を使える形で残したり、麦を作る三鷹市の人々に感謝です。

どんどん情緒が欠乏し、自然はネットで見るだけ、人間力も落ちている。そんな私たちは自分のために、今回のような経験を頻繁に用意しなくてはなりません。

藁の山に映る、自分の影など初めて見ました。