真田の九度山

ゆとりある記

大河ドラマ「真田丸」の舞台のひとつ、和歌山県九度山町へ行ってきました。

関ヶ原の戦いに負けた真田昌幸・幸村が、高野山蟄居を命じられ、近くのこの地に14年間身を寄せたとのことです。

ドラマご当地となると、来客を見込んで動きが起きます。真田軍の色の赤い幟がずらり、各家に赤い提灯、花のプランターにも真田の旗印“六文銭”。

ブームにすがる小さな町の必死さを感じました。
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九度山は高野山のちょうど玄関口となるところ、柿の産地、人口4600人ほどのまち。「真田丸」のドラマがなかったら、おそらく私は足を運ばなかったでしょう。

そういう意味ではやはり、大河ドラマ効果は確実にあるのです。真田幸村とこの土地の歴史上の話は、歴女に任せて、私はミーハー的に、まちおこし的に、出かけてみたのでした。

和歌山線を走る電車、すごい!自分の顔がこんなにも大きくなったら、どんな気分なんだろう?なんて考えてしまいます。私と同じく写真を撮る人の多いこと。

赤い兜をかぶった駅員さんのいるJR橋本駅。ここから乗った南海電車は“真田赤備え列車”なのだそうです。なるほど座席も赤。


九度山駅、ここのトイレは大河ドラマ対応で新しくなったのでしょうか?真田様のおかげでそういう効果もあります。車をサッと止めて、駅舎の写真を撮っていく人も。


駅から見える町役場。赤い幟が何本も並び戦闘態勢?です。


駅の近くのお店で「戦国ランチ」発見。せんごくの言葉にあわせた値段です。


ふと見ると、家々に九度山と書いた赤いちょうちんと、六文銭の入った紙製兜の吊るし飾りが。こういう飾り物は、商店街などのお店がするケースが多いですが、ここは凄い。


普通のお家も、メインストリートにあるお家全部に下がっています。夏祭りでさえ、こんなに全戸に提灯は下がらないでしょう。

古いお家に、洗濯物と提灯とポスターと。


普通の住宅に、赤備えの鎧兜の幕。日常の暮らしと、この戦闘態勢の世界が同居して、何だか落ち着かない。


プランターにもお蕎麦屋さんのメニューにも六文銭の旗印。街じゅうで六文銭がいったいいくつあるのでしょう?


真田家が暮らした屋敷跡、この地で無くなった真田昌幸の墓の前には人だかりが。説明をかなり真剣に聞いています。


資料館にあった「真田紐」これは太いもの、細帯のようにも見えます。木綿製で強く打ち込まれ、そうとうに強靭なのが想像できます。

真田家は、九度山でこの紐を作り、生活の糧にするとしながら、これを諸国に売り歩き情報収集したといわれます。


かなり繁盛していたお蕎麦屋さん、かけそばで「真田忍び」というお酒を一杯やりました。

無念の思いで亡くなっただろう昌幸、ここに暮らした期間が人生で一番長かったという幸村。でもここで子どもも生まれ、ある意味穏やかな暮らしも紡げたのではないでしょうか。

この日は平日の、しかも寒い日でした。土日は大賑わいといわれるメインストリート「真田のみち」も、閑散としていました。これがここの素顔なのでしょう。

私はたくさん写真を撮ったのですが、写真家を名乗る夫はこの日一回もシャッターを押しませんでした。

なんとなくわかるような気がします。幟や提灯が消えた時に、あらためて・・・。

九度山が地味でも強い真田紐のような町をめざしたときに、ここの本当の魅力が輝くのだと思います。

ま、それまでは、精一杯今のうちに、九度山ここにあり!と発信し、「またあらためて来たい」と皆に思ってもらいましょう。