スローライフの紡ぎかた2「掛川市で」

スローライフ運動

スローライフという言葉と出会った頃、私は静岡市に住んでいて、静岡県掛川市の生涯学習のお手伝いをしていました。何でも「○○とは、何か?」と考える「とはなにか学舎」という名の、地域づくりが実践でできる人を育てる塾です。

当時の掛川市は全国にその名が知られる「生涯学習のまち」でした。生涯学習という言葉を産み出した榛村純一さんという、類まれな天才市長に導かれ、このまちは輝いていました。

そこで10年近く、この塾のスタート以前からコーディネーターの役をやらせていただいたことが、今の私の活動の根っこになっていることは確かです。

スローライフ運動を日本で始めるために、まずはどこかのまちで催しをやろう!NPO以前の我々が考えたときに、迷わず「掛川だ!」と声が出ました。川島さんは榛村さんと昔からの知り合いです、私は塾を通してたくさんの意識ある市民を知っていました。

ちょうどその「とはなにか学舎」で川島さんの講義があった日、市長に面会を申し入れました。「スローライフを市の柱にすえませんか」というような話を、広い応接で川島さんは熱心に語りました。

私は市民と行政との協働の催しをやろう、という案として「まるまる30日間スローライフスクール」というロングイベントプランを語りました。

今もよく、「スローライフ月間などをするのに、誰をまず説得すればいいですか?」と各地の市民の方に聞かれることがありますが、私は「まず、首長」と応えます。

スローライフは何課が担当するということではありません、考え方の根源的なことですから、自治体のリーダーが「うむ」と納得して、行政すべてにこの価値観を浸透しなければならないのです。

掛川では榛村さんが生涯学習をずっとやってきたその総仕上げ的な価値観をちょうど求めているときでした。何の企画書も持たないで語る私たちの話に耳を傾けた市長は、さすがであった、と今も思います。

この面会から数ヵ月後、筑紫さんが掛川に入り、筑紫さんとしても初めてのスローライフをテーマにした講演をこのまちでしたのでした。2002年7月、これもまた大変暑い日。この掛川市でスローライフ運動はキックオフしたのでした。

※写真は講演後、行われた「スローライフ月間in掛川」実行委員会の様子。左から川島さん、筑紫さん、榛村市長(当時)"