NPO20年 その2
研修・ワークショップでは、「スローライフとは」の伝道師のような役から、プロジェクト作りなども。現場は楽しいのですがいつも悩んできました。掛川市に「道徳門」と「経済門」があり、人はその間を行けという二宮尊徳の教え。自分の稼ぎにはならないのに、自分の経済は横において、つい、道徳というか、ミッションばかり選んできたことを今、失笑しながら反省している私です。
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研修・ワークショップ
と名のつく感じのものは、数えきれないほどやりました。まだまだ「スローライフ」という言葉が浸透していない頃は、「緩急自在」という筑紫さんがいつも使っていた言葉を用いながら、ただゆっくりがいいという訳ではない、と哲学者のような話からでした。
その後、移住定住などのブームが起きて、その肝に「スローライフ」的な考えが座っていきます。昔は、速く、強く、大きくと。田舎は遅れているから、都会に追い付けと。そんな風潮があったのですが、だんだんその物差しが変わっていきます。
地方の自然と人間的な価値観が大事だと、皆が少しずつ思うようになってきて、研修やワークショップもやりやすくなって来ました。広辞苑にも「スローライフ」という言葉が載って、今や、「スローライフ」は当たり前。その中でも多様性をどう大事にしていくのか、という感じになってきています。
労働組合の親玉みたいな団体で、「スローライフ」を身に付けていただくワークショップをしたり、住宅メーカーの展示会の中で、「スローライフ的な暮らし方」について語ったり、映画の試写会でこの作品に描かれている「スローライフについて」語ったり。おなじみのスローライフ曼荼羅を自分の地域に合わせて描き直したり、いろんなところで、いろんなことをその都度設えて、やってきました。
地域づくりのお手伝い
湯河原で旅コーディネーター養成講座をしたり、奈良県の南部東部で一町一村一まちづくりを提案をしたり、地域の皆さんと新しい団体を立ち上げて空き店舗を活用する実験をしたり、これもその時期その土地その人達に合わせて、スローライフの物差しでいろいろ案を作成してきています。印象深いのは、十津川村谷瀬集落の「ゆっくり散歩道」プロジェクトでしょうか。子どものいなかった、小さな集落に動きが起きて、今や子供たちが増えている。そんな現実がうれしいです。
NPOとしての日常活動
最初は素朴な動きだったのが、役員会だけでなく、ホームページもちゃんと作ろう。次は、Facebookだ。そしてYouTubeだとなっていきます。作業はどんどん増えていきました。新しいことを覚えた先から次のことを覚えなくてはならない。何といっても、こちらは、小学生の時にテレビが家にやってきたり、中学生になって電話が引けたり、そして、FAX、ワープロ、パソコン、携帯電話・・・そんな文明進化?を生身で受け止めてきた世代です。
なので、zoomも覚えましょう、YouTubeもチャレンジしましょう、メルマガ送信もやりましょう、となると頭がついて行かない、身が持たない。が、おかげさまで、NPOをやっていなかったら絶対に覚えないような技術も身に付けました。と言ったら凄そうですが、ささやかなもので、ようやくzoomにだって慣れてきたくらいです。
ホームページもFacebookも、zoom利用の打ち合わせも、あって当たり前、やって当然なのではありますが、それを続けるには体力と気力が必要となる。ボランティアはわかっていますが、自分の家庭や仕事や健康までむしばんでいく活動となると、「これは、違うなあ・・・」と思うわけです。でも、周りはそれが当たり前になって来たので、「どうせ野口さんがやってくれる」ということになれている。私も「やってしまうしかない」と思い込んでいる。
このあたりは、どこの市民運動にも見かけられる構造ですね。人には「無理してまで続けることはない」などと言っているくせに、自分のNPOとなると、限度を知らずに抱え込んでしまう。私の悪い癖です。
法人を閉じて大人になる
この法人を閉じる機会をありがたくいただいて、出直しましょうと思っています。と言っても即、このようにします!などとパキンとはいえません、方針も出ません。ただ、スローライフ運動は続けたい、と思うだけ。そして、経済的にしんどくない方法を開発しながら、と強く思うわけです。ま、ようやく大人になる、経済門と道徳門の間を目指そうと思います。
この、スローライフの繋がりは、私たち事務局や役員が作ってきたものではありません。20年の間に関わった、たくさんの人達によって花開いたスローライフ運動だったわけです。なので、事務局はそれを皆さんから預かっている。この花は、預かりものなのです。勝手に枯らせません。これまでに、土づくりも含めて、ドカンと大きな花を咲かせました。今後は、そこから出た新しい芽を、皆さんと一緒に育てていければと思っています。
「どういう風に、何をやるのか急ぎはっきりせよ」と迫られていますが、そうそう新しい扉をかっこよくは開けられません。「スローライフの会」という名前だけをいただいて、まずはこの芽に水かけからです。つまり、目の前の続けていきたいことを探り探りやっているうちに、方向は開けていくと思うわけです。力のない、情けない出発になりますが、それがいいかもしれません。そして小さな花でもいい、今の繋がりを大事に「つながりコーディネーター」として私の生活もたてながらやっていければと思います。皆さん、スローライフの視点で、何か一緒にやりたい方はお声掛けください。
これまでの理事長が70歳から始めたスローライフ運動です。それを私流に継いでいきましょう。