それぞれのフォーラム

スローライフ運動

「フォーラム」の意味を紐どくと、公共広場とか公事を論じる場所、共通の興味を持つ者が集まる場所とあります。ただ、毎回思うことですが、「スローライフ・フォーラム」においては、参加者の興味は多様、そこでの話題も多彩です。感想とならば、皆がそれぞれに違う想いがあり、総合して「よかったね」ということに。事務局としては、そんな一口に語れないフォーラムが自慢です。

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今回の「スローライフ・フォーラムin十津川」は、異例なことばかりのフォーラムでした。これまでで一番遠い、というか時間がかかる場所(東京基準ですが)。人口が少ない所での開催。当NPO理事長が尻もちをついて骨折のため欠席。発案・企画から2年半以上経っての開催。行政とのうちあわせはZoom。参加者の宿泊は分散。地元の人との交流「夜なべ談義」は控えめに。参加者全員の連絡先を把握し、座席も把握。椅子は離して。などなど、数え上げたらきりがありません。距離や人口、尻もち以外は、すべてがコロナ対策によるもの。県・村のご担当も、当方事務局も、そのことに振り回されてというか、時間をかけての開催となりました。

参加いただいたスローライフ学会関係の方々は、ずいぶん不自由をされたかと思います。視察はみんなでというわけにもいかず。宿は自分の泊まりたいところや値段合わせのところを選べず。夜なべ談義はコロナ対策のため2会場に分かれたため、一体感がない。地元の方との交流もままならない。事務局がこれまでに比べて雑務が多く、参加者のケアを丁寧にできない。などなど、私どもの反省は山盛りでした。

それでも感想などをうかがうと、皆さんから「よかった、よかった」とのお話。当方へのお気遣いもあるでしょうが、お礼を言われて・・・。頭を下げるのはこちらと思ってしまいます。ご不便をかけたのに、なぜ皆が喜んでくださったのか?と考えると、それぞれの方が反応しているポイントが違うからでした。

「フォーラムで普段出会わない人と話ができた」「久しぶりで夫婦でドライブできた」「夜中まで宿の部屋で討論した」「亡き友を偲んだ」「子どもから学んだ」「心に届く提言が聞けた」「こんなきっかけがなかったら十津川村へ行けなかった」「温泉を堪能した」「人間の強さを知った」「ずっとおしゃべりができた」「長時間バスに乗って、それが良かった」「山の植物、作物を飾ったステージが綺麗」「会いたい人に会えた」「ガイドさんの話が参考になった」「風景が素晴らしかった」「ヤツガシラを買って帰った」「ゆうべし、高菜が美味しい」「生き物について考えた」「都会より『むら』が強い」「都会の人の反応はおもしろい」

こんな言葉が届きます。スローライフとは多様なこと。ひとつに決めつける、ファストな考え方ではありません。だから、いろいろな方々がいろんなことで満足している、それぞれのフォーラム着地点がある、それでいいのかと思います。小さなことでも刺激を受けたり、感心したり、新しく繋がったり、そんなことがかなえられる場づくりを、これからもしていきたいものです。開催から2週間が経ち、コロナ感染もなく、いまホッとしております。ありがとうございました。

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奈良県や十津川村の方々にはお世話になりました。都市で当たり前のことが、山村では叶わない。ということが、事務局の私たちも想像ができず、「えっ?!」ということが多く、そこを先回りして、やっていただいたことが実に多かったものです。地元の方から見たら、なんて都市部の事務局は手ぬるいかと思われたでしょう。お許しください。

一例をあげると、我々は駐車場とか会場というサインを小さく作っていました。これは都市のサイズです。大きな看板を出してはいけない町の、控えめなサイズ。都会で徒歩ならわかる。そんな大きさで、車社会の田舎で分かるわけがない。何も言わずに、役場の方は大きな看板をいくつも作ってくださっていました。また「山の秋の自然をステージに飾りたい、用意をお願いできないか?」という当方の申し出に、どうなったかと心配していたたところ、身の丈もある大きなツルやモミジの枝、さまざまな木の枝を会場まで運んできてくださって。こういうことも、黙って山に入りしてくださっていました。口先だけの都会者と、寡黙に行動する「むら」の人の違いを見せつけれれたのです。そんな一つ一つに本当に感謝でした。

また、当方事務局が女子ばかりのため、助っ人に馳せ参じたくださった、分科会参加の男性会員の皆さん、フォーラム前日の会場設営などに、朝から駆けつけてくださった男性会員の皆さん、感謝申し上げます。(またお願いします!)