700号を経て。

スローライフ運動

「スローライフ瓦版」が700号を越えました。スローライフの会になったのをきっかけに少しずつ変えていきましょう。私的には、読むだけでなく、参加するメルマガに、と考慮中。長年続いたコーナーやコラムも一段落です。少し、お休みして新しい形を企画しなくては。毎週毎週の作業、いろいろなことがあったなあ、と思いつつ、新しい送信方法など覚える年の瀬です。

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「スローライフ瓦版」の創刊は2010年4月29日です。今とあまり形は変わっていませんが、そこには神野先生が「観客文化から参加文化へ」という文を寄せておいでです。この文章は、今年秋の「20年ご苦労様会」で、許可を得て皆さまに披露しましたので、あらためてここにご紹介しましょう。※文末に添付しました。

こうした名文が、「瓦版」には毎号載ってきました。商売本位のメルマガが多い中で、考え方をきちんと伝えるメルマガを続けてきたと思います。神野直彦さん、増田寛也さん、中村桂子さん、坪井ゆづるさん、故・早野透さん、斉藤睦さん、丸岡一直さん、長谷川八重さん、川島英樹さん、吉田俊実さんが、“瓦版ダイヤ”と呼ばれる、スケジュール表にのっとり、催促も謝金も無しで書き続けてきてくださいました。本当に頭が下がります。これだけの知の巨人たちのご協力に感謝申し上げます。

一方、こうしたコラム以外にも、ずっと続いた来たコーナーがあります。いろいろ変化はしていますが、ここ数年でいえば「まちむらニュース」や「逸村逸品」紹介のコーナー。ここは名前は出さない形で、事務局を手伝ってくださって来た丸山薫さんがずっと担当してくださいました。彼女は本来“和文化”を教える先生なのですが、10数年前からスローライフ・ジャパンを手伝ってきてくださいました。

始めはアルバイトでしたが、じきに法人にお金がなくなると、ここ数年は全くボランティアで毎週毎週きっちりと原稿をそろえてくれました。「まちむら」の情報は、各地から寄せられるものでなく、こちらで探して記事にしています。コロナの間は「催しがない」と彼女は嘆いたものです。「逸品」は日常のなかで探し探し暮らし、これはいいというものを彼女が購入までして記事にしてきてくれました。彼女の生徒さんのご協力もあったようです。

「瓦版」では数行の逸品紹介ですが、ホームページにはきっちりと写真入りで記事になっています。あわせてFacebookにも記事にしてくれていて、当方のFacebookのなかでは人気のある内容でした。なくすのは本当に惜しいのですが、何時までも毎週の彼女の善意に頼るわけには行きません。瓦版リニューアルとともに、2つのコーナーもおしまいです。

丸山さんの力は安定している安心感でしょう。今週は書けないなんてことはありませんでした。記事だけでなく、瓦版配信のメールアドレスの入力、削除、挨拶メール。そして「さんか・さろん」でも参加者名簿の作成、リアルで開催の時の受付、集金、計算。そしてご専門の「室礼」を月ごとにホームページやFacebookにあげてくださったり、「さんか・さろん」の講師もされたり。フォーラムの時の参加者管理の大仕事は、私は彼女に頼り切ってきました。実に頼れる妹だったのです。※以前公開した、彼女のお正月用室礼作品を載せさせていただきます。

と、丸山さんのことを書きましたが、「瓦版」だけでなく、名前は出ないたくさんの方々で支えてきていただいたスローライフ活動でした。法人から「会」になり、瓦版700号を経て、リニューアルして、さて今後は?とまずは、深呼吸です。

筆者はじめたくさんの方々のボランティア、善意、努力、期待の詰まった繋がりを、この皆さんからの預かりものを、なんとかユルユル繋いでいきたく思います。

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<神野先生の創刊号原稿>

学会コラム<緑と絆の木陰>~~~~~ 神野直彦(東京大学名誉教授) 観客文化から参加文化へ スローライフとは地域が創り出してきた生活様式としての文化を、愛するが故に大切に守り育てていくことだといってよい。スローフードも地域の食の文化を、守り育てる運動にほかならない。 生活様式としての文化は、地域に固有の自然が長い年月をかけ、地域の人々の内面に浸透して形成された賜物である。つまり、生活様式としての文化は、地域の人々の一人ひとりの内面で創造したものを、地域のひとびとが共同作業として創造したものである。 ところが、文化はお金で買い、消費するものだという「代理人文化」が、現在では支配している。音楽を楽しむといえば、音楽家を代理人として、自らは観客として楽しむだけである。 人間は誰もが、文化を創造する労働者であることを忘れ、文化を観客として消費することに熱中する「観客文化」に浸っている。挙げ句の果てに、政治も「見せ物スポーツとしての政治」に堕している。つまり、スポーツの観客のように、政治も観客として勝敗を楽しむだけとなっている。 スローライフとは、こうした「代理人文化」への異議申し立てである。つまり、人間の生活様式の形成を観客として楽しむ「観客文化」ではなく、地域に根差した生活様式を一人ひとりが創造していく「参加文化」を創造することが、スローライフだといってよい。