象さん、お疲れ様

スローライフ運動

初めて川島正英さんと会ったのは、1998年11月倉敷市での「第10回全国過疎問題シンポジウム」。コーディネーターが川島さん、私はパネリストでした。それから、あっという間に25年です。「象さん」のコラムにた、びたび登場される奥様・宏子さんにもずいぶんお世話になってきました。お二人始め、皆さんが育てたスローライフの輪を「継ぐ」という形でお礼とさせていただきます。

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メルマガ「スローライフ瓦版」の<象さんの散歩>というコラムが終わり、この暮れで川島さんは引退です。今回は川島さんのことを書きましょう。

冒頭の、そのシンポジウムの時に川島さんのすべてが分かったような気がします。というか、そこから学んだことが多々あったのでした。

まずは「現場主義」です。

と言えば大袈裟ですが、コーディネーターの川島さんからは当日になるまでに進行のレジュメは出てこなかったのです。まあ、普通、国主催のシンポジウムですと、時間や内容の段取りがかなり前から細かに決められるものです。それが、ない。

主催者と川島さんの間に入ったコンサルタント会社から、何度もお詫びの連絡が来ました。
「コーディネーターの方からまだレジュメが出ないんです。パネリストがどんな方か会ってからでないと話の流れは決められない、ということでして・・・」と。こちらはいいですが、これには主催側からずいぶんご担当は責められたはずです。

そして前日に倉敷アイビースクエアで巨大な懇親会があり、その場を抜け出すように川島さんから指示があり(こういうことは素早い)、パネリスト全員は近くの飲み屋さんのカウンターに集合したのでした。そこでも、何か打ち合わせがあるでもなく、勝手に各人自己紹介をしながら自分の意見を話していました。それを「ふーん、あ、そう。」とニコニコ頷いて聞いていた川島さんでした。

そして翌朝、登壇当日に、ホテルのカウンターで「これをコピーしてください」と頼んでいる川島さんの姿がありました。昨夜の私たちの話をもとに、太い万年筆で書かれた手書きのレジュメができていました。それを間際に配られて、各、パネリストはようやくホッとしたわけです。まあ、マイペースと言えばマイペース。いい加減と言えばいい加減ですが、段取りや紙優先よりも、「会ってから」というのは正解ではあるわけです。こういう体質は、ず――――っと続いてきました。

そして、「常温ビール」。

これはその倉敷の飲み屋さんで初めて私が経験したことでした。「僕は常温のビール、冷やしてないビールがいいんだけど」と注文する川島さんに驚いたのです。聞くと、お医者さんから、「冷たいものは身体に悪い、ビールはぬるいものを」と忠告されたとのことでした。長く、新聞記者を、しかも政治部での仕事だったため、毎日がお酒の付き合い。お酒は止められないので、冷たいものを止めた、だから常温ビールとのことでした。

これは、後に、理屈を加えると、スローライフビールということになっていきます。「キンキンに冷やしたビールは身体に悪い、しかも、エネルギーを使って冷やすなんて。人にも地球にもやさしくない。冷たいだけで、ビールの味もわからない」その理屈は私にも、ストンと落ち、いつしか野口も常温ビール派になってしまいました。私も、行く先々で人と宴会が多かったので、皆さんと冷たいものを飲み続けると、翌日身体が重い、疲れる、という経験済みだったからです。「スローライフ・ジャパンの定款には、ビールは常温で、と書いてあります」なんて冗談を、その後、私は言うようになりました。

さらに「図太くなれ、細かくなれ」。

誰もが両面あるとは思いますが、川島さんもそうでした。図太いというより、決めて曲げないというか、感じないというか、平気というか、正しいと信じているのか、わがまま、というか。
例えば「スローライフ瓦版」というメルマガを出そうとなったとき、私始め、周りのボランティアスタッフは「月に一回ぐらいなら」と思っていました。それが「いや、週1だろうね」と当たり前に宣う。それからずっと、700号を越すまで、私にとっては毎週の“苦行”が続いたわけです。コラムの名前も、ご自分で考えて「これでどう?」とメモが出てくる。フォーラムも、「さんか・さろん」もそうやって進めてきました。

ザクッ、ザクッと、大股でどんどん決めてしまって。いつも川島さんの頭のなかは、前に動いていたのでした。

一方、細かいことも、気にされます。「名札は手書きじゃないとなあ」と川島さん。「えええええ?!どうでもいいじゃない、楽なやり方にさせてください。手書きがいいならご自分で」と私。こういう言い合い、喧嘩は日常盛んでしたが、結果、温かみと味のある手書き名札を、「さんか・さろん」や「フォーラム」ごとに書き続けてくれました。

と、書き出したら切りがない、川島さんとの思い出です。

奥様・宏子さんは、フォーラムごとに遠路参加され、スタッフとして手伝てくださって、美味しいものを差し入れてくださったり。遠野市では紅葉を少女のように愛でてはしゃいだり。愛知万博の時も、炎天下通ってくださったり。柳井市でのフォーラムでは、一緒に歩かれた筑紫哲也さんの奥様と間違えられたり。新潟朱鷺メッセでは、丁寧に展示を見てくださって。最近の綾部市でのフォーラムでは、ステージにバラを生けてくださったり、その道具を運んでくださったり、スタッフへサンドイッチを作って持ってきてくださったり。「さろん」ではおつまみのお皿を整え、zoomになってからも参加され続けています。私たちは「スローライフのママ」と呼ぶほどに、スローライフ活動を楽しみ、支え続けてくださいました。ありがとうございました。

お二人から教わった事ごとは、野口の身体に沁み込んでいるかと思います。ご恩を金銭で返すことはできませんが、志でお返ししていこうかと思っています。川島さんが「スローライフ運動」を始めた年齢と、今の私が同い年です。やれるところまで、ゆっくりと、<トコちゃんの散歩>を続けてみたいと思います。