スローライフ20年(その1)

スローライフ運動

NPOスローライフ・ジャパンができて、今年の10月で20年になります。その、一番最初から事務方をやってきた者としては、何かしらその足跡をまとめなくてはと思っています。私のブログを辿ると、筑紫哲也さんが亡くなった2日後に「今後、振り返りを書く」と宣言していました。それから書いたりさぼったり。また書き始めましょう。話は、道草だらけになるかとは思いますが。

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とはいえ、いきなり話を始めても、、、と思うので。下に昔のブログを貼り付けました。2008年11月9日のものです。写真がついていたはずですが、ブログの引っ越しなどで消えてしまっているのでここに新たに載せます。過去の長いブログなので、かいつまんで中身に触れると。

2001年7月に始まった「山口県きらら博」に、アドバイザーとして筑紫さん、吉永みちこさん、野口などが、川島正英さん(現・NPO理事長)によって招かれました。暑い日で野口はミニスカート姿です!(写真)

夜の懇親会に瀧栄治郎さん(現・NPO理事)がスローライフの記事の載ったニューズウィークを持ち込み、そこで日本でもスローライフ運動を始めよう!と盛り上がった。これがNPOスローライフ・ジャパンの始まりなんてことが書いてあります。

このニューズウィークの写真はブログを書いた日に写真を撮っています。いつしか、カラーのものはなくなり、一番下の写真が今のもの。つまり、事務所にはこの出発となったニューズウィークがずっと床の間の掛け軸の様に飾られているのでした。

取り出して記事を見てみましょう。「欧州に広がるスローライフ」という特集、2001年7月4日の記事です。「手本だったアメリカ型経済の失速で人々の生活意識はゆとり重視へと大転換」の小見出しで、スローフード運動の発祥地イタリアのブラーを紹介しています。「グローバル経済の波にもまれて忙しくなる一方の時代にあって、心休まる“楽園”になることをめざしている」と。

イタリアのスローフード運動は、1986年にマクドナルド出店拡大に反対して生まれているので、この頃はすっかりその運動も定着し、その後スローシティー連合も生まれています。伝統的な建物には行政が補助を出し、手作りの手べ物を作る店にはいい不動産も紹介。こうして、地元の食や観光を切り口にして、経済も活性化していっていました。「楽しくスローな暮らしは効率もいい」とし、小さな街は栄え、若い移住者も増えるということが起きていました。フランスでは労働時間を引き下げ、イギリス、ドイツ、ベルギー、スエーデンもとあります。ヨーロッパはそうだったのです。

この頃の日本はと考えると、まだ「きらら博」の時代ですから、大規模イベントに集客をと動いていた。ただ、この時の「きらら博」でも既に、住民参加や地域文化の見直しという視点が目立ち、そういう流れは起きていたように思いますが。

さて、そんな日本で、20年以上前から、「スローライフ、スローライフ」と我々は掲げてきて、それでいま、この国は、私たちはどうなっているのでしょう?筑紫さん流に言えば「それで、人間は幸せになったのか?」です。

今頃ようやく、都市から地方に移住者が増えてきている、スローなライフスタイルによりいい活性化が起きている、とも思いますが、この数年のコロナ禍のおかげかもしれません。私には、世を牛耳っている、未だに権力を握りしめている爺様たちだけが、異様に遅れているとしかみえない。この人たちが皆死なないと、日本はまだ変わらないと思えるのです。

なんて、本音は今日はこのくらいにしておきましょう。

スローライフの紡ぎかた1「筑紫哲也さんと」