「ふくしま大交流フェスタ」で

美味しい話題

先日、このフェスタのために東京国際フォーラムへ出かけました。美味しいものを探しに、そして女友達に会いにです。

西会津町でメープルサイダーを作っている佐藤昭子さん、古殿町で凍み餅を作っている小澤啓子さん。

女性たちは皆、それぞれの事情を抱えながら、笑顔で自信作を売っていました。「くよくよしてもしょうがないもの」飯館村の女性の言葉が心に残りました。
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「ふくしま」と聞くと、心がきゅんとします。地震と津波と原発事故と、一杯つらい思いをして、今もなお。

東京に浮かれて暮らしている者にとっては、本来きゅんとするどころか、いつも考えていなくてはならないのが「ふくしま」のことでしょう。

その「ふくしま大交流フェスタ」が有楽町であるとならば、これはいかねばなりません。

大賑わいの会場へ夫と出向きました。まずは昼食と「なみえ焼きそば」と「ソースかつ丼」です。いただいたパンフレットを眺めると、福島県でのいろんな思い出がよみがえります。

会津美里町では髙田梅狩りをしました。ニシンの山椒漬けを作る本郷焼の「ニシン鉢」は今も花入れに使っています。昭和村では「からむし織」の織姫さんにお会いしました。名刺入れも使っていました。

郡山市に初めて行ったのは20歳の頃、ロックコンサートでした。会津若松市では、街で一人飲みをしました。会津木綿の着物は5枚作りましたっけ。飯館村にはスローライフの話をしに伺い、「までい」という言葉を覚えました。

南相馬市、浪江町、双葉町には、災害のドキュメントを撮る夫が訪ねました。数えだせばきりのない福島県との関係です。訪れることで支援になるのですから、もっと頻繁に腰をあげねばいけません。

それが今年一月、古殿町にうかがう機会がありここで「凍み餅」を作る小澤啓子さんと知り合いました。その時のブログはこちらです。

http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=499&date=201901


凍り付くような寒風の中で保存食を作る、この伝統技術と彼女の明るさにすっかりファンになったものです。

目指すブースはすぐに見つかりました。小澤さんオレンジ色のエプロンで、お仲間たちとせっせと販売中。ゆっくり話す時間はなかったですが、みんなと楽しそうでそれだけでこちらも嬉しくなりました。

そのお隣が、西会津町の佐藤昭子さんがいるブース。イタヤカエデから採った樹液の入った国産メープルサイダーがキラキラしています。

彼女と最初に会ったのはいつでしょう?もう10年以上前になりますか・・・。「キノコママ」の愛称で、彼女の書かれるブログは楽しいものでした。会津でお酒を飲んだり、佐藤さんが六本木にデモンストレーションにいらしたときは見物にうかがったり、コンフィチュールをつくられた時は試食させていただいたり。

震災直後、彼女が作られたおかゆの缶詰は、被災時でそのまま高齢者や赤ちゃんが食べられる逸品。彼女は自分のキノコが栽培できなくなっても、その缶詰を被災地に届けたものです。その後、縁側カフェを開いたり、メープル商品を開発したり。いつも動いている人、という印象です。

Facebookで繋がっていましたが、この秋、ご主人が突然病に倒れ、延命治療もむなしく亡くなってしまったのです。

様子をうかがうと昭子さん、元気に笑っておいででした。


この大きな会場にいる「ふくしま」の方々は、たくさんの悲しみ苦しみとともに笑っているように思います。

天災や人災、そして個人的なご不幸も含め。厳しい気候は、豊かな食文化も育てますが、今年の台風ではまた災害が起きました。

ピンクの幟やオレンジのエプロンは、自分に勢いをつけるためかもしれません。それぞれがいろいろな事情を抱えて、でも、美味しい、安心なものを手間暇かけて、丁寧に作っているのです。

どこのブースもにぎやかで勢いがある、その中をめぐっていると、私は「頑張れ、頑張れ」と「ふくしま」に肩をたたかれているような気になりました。

飯館村のものを販売しているブースで、「いいたて雪っ娘カボチャ」の商品を売っていました。

そこのこれまた元気な女性がどなたかと話しているのが聞こえました。「くよくよしてもしょうがないもの」と。

彼女もきっといろいろなことがあったのでしょう、あるのでしょう。でもカボチャのようにほっこりとお客の私に微笑んで、冗談を言い笑わしてくれます。

応援しなくちゃとうかがった催しで、すっかり励まされて帰ってきました。