大飯盛物祭り

ゆとりある記

11年ぶりという、奇祭を観ました。“おいもりものまつり”という読み方さえ、地元でもはっきりしない珍しい祭り。六千個の餅を縄に括り飾り、引きまわします。

最近、役所主導のイベント祭りや御輿担ぎの人を募集する祭りが多い中、完全に地元の人だけで準備し、地元民だけで行列する自立した祭りです。

そのことが貴重で、すがすがしく感じました。和歌山県紀の川市貴志川で。

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貴志川は「タマ駅長」で有名な電車や、「まりひめ」というイチゴで知られるところ。ここにそんな奇祭があるとは、ポスターを見るまで知りませんでした。

大飯盛物祭り、これで“おいもりものまつり”と読んだり、“おおめしもりものまつり”と読んだり。祭りの名前も、幟には「盛物大飯祭」とあったり、いろいろです。

統一感のないのが、なんとものどかで私にはいい感じです。

はるか昔、暴れる川を鎮めるために、川の龍神に少女をいけにえにしていたそうです。それをやめて、たくさんの餅を捧げるようになったとか。

鎌倉時代末期から紀の川市貴志川の大國主神社に伝わる行事、
餅を飾り付けた「盛物」と呼ばれるものは、高さ5メートル、幅3メートルという大型。

昔はこの盛物を三基も出していたとのことですが、だんだん簡略に一基となりました。また、手間もお金もかかるために、盛物は作らず餅まきになってきたのだそうです。

昭和10年以来、盛物奉納はなかったのですが、昭和56年に復活。その後、平成5年、17年と行われたそうです。

恒例ではなく、地元がよっぽどやる気になり、お金も集まった時にえいやっとやる祭り、それが今年だったのでした。

なにぶんにも、前回が11年前なので、覚えている人が少ない。残っている写真やビデオなどを頼りに、盛物を作り、祭りを段どる。地元の人だけでやるから人手は足りない、時間もない、さぞかし大変だったと思います。

この日、雨かと思いきや、何とか曇り。朝、盛物のあるところに行くと、熱気球のような形の物がドーンとありました。初めて見るお姿です。ムシロでくるまれたその中に、お餅が6千個もあるとか。

舟も引き回します。地元の方が書かれたのでしょう、短冊にいい言葉が。「人は人に尽くすを以って本分とすべし」、祭りの実行委員の方々はまさにこの気持ちで準備をされたのだと思います。


大國主神社に着くと、ひっそりと神事が行われていました。そして、終わるといよいよ行列が始まります。


皆が出かけた後の社には、鎮め物が。これを後から川に納めるのでしょうか。


かつて何度も氾濫し荒れ狂った川は、今は静まり家族の遊び場です。昔を想像すらできません。


川の近くでは、少し先からくる盛物行列を待つお稚児さんが、多少待ちくたびれてぐずっています。現代風の若い家族と、奇祭の組み合わせが何とも言えませんね。


神社で待っていると、のびやかな歌声が聞こえ、やがて行列がやってきました。船の上には盛物の歌を唄う人、そしてお酒。そのはるか後ろを、2トンもあるという盛物が引かれてきます。

にわかに混雑した境内に、すったもんだして巨大な盛物が納まりました。周りはカメラ、スマホ、シャッター音だらけです。

やがて、幕が張られて一度隠された盛物、どうぞ!の合図で幕が落ちると、見事な姿を現しました。地元の方でしょう、法被姿のお年寄りが涙ぐんでいます。

丸めた餅に竹串が刺され、それを更に2本の縄に刺して、ネックレスのように連ねる。それが、竹とムシロでこしらえた気球のような形の上に何本も何重にも下がっている。それはそれは見事な盛物でした。

こんな飾り、こんな物は、かつて見たことはありません。


このままずっと数日間も飾っておきたい盛物ですが、神事の後には、あっという間に餅のお振舞となりました。

潔く、壊していきます。

餅まきの盛んな和歌山県です。その中でもこの餅は格別の餅でしょう。撒きはしませんが、この一つ一つに魂が入っているように思えます。

ありがとう、ありがとう、といただきたくなります。

持ち帰った盛物の餅には、運が勢い付く「運勢餅」とありました。次にいついただけるかわからない、お餅。貴志川住民の気持ちのこもったお餅。

“見物”という形の祭りの手伝いしかできませんでしたが、様々学ばせていただき、本当に珍しい、いい時間を過ごさせていただきました。