ゆっくり散歩道

お仕事で

古くからの集落は、他所の人に用心深いものです。IターンやUターンの新住民歓迎とは言いながらも、「変な人が来ちゃ困る」というのが本音。

知らない人がむらを歩くだけでも「ごみを捨てないか、山菜を盗らないか」など心配です。

でも、そんなことは言っていられない、他所の人を受け入れ力を借りながら、なんとか集落を維持したい。過疎地の切実な決断が、まずは「散歩道」の形で実現です。
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私が十津川村に伺ったのは、今から3年前になります。奈良県南部の振興についてのヒアリング調査でした。その後、私のNPOの方の仕事で、通うようになります。

奈良県の「一町一村一まちづくり事業」の中で、十津川村の谷瀬で何かプロジェクトをつくろうということでした。とはいえ、東京からでは相当時間のかかるところ、回数は少なくとも、なるべく集落の人の意見を引き出して、ワークショップを続けました。

いわゆる会議ではなく、集落の中の小さな公会堂、畳の上での寄合です。そんな中で、いきなり大きなことはできないけれど、吊り橋まで来た人が谷瀬をゆっくり散歩してもらえるように、道を整えていこうということになりました。

全く新しい遊歩道整備などとは違います。基本、予算などない中でできることから、ですから今ある道を「散歩道化」させるプランでした。

そのために自分が何をできるのか、みんながひとつひとつ考えました。近所で余っている水仙の球根を集め、道の際に植える。草を抜く。チェ―ンソーで木を切って、展望を確保する。小さな道標を作る。看板を描く。マップに入れる絵を描く。などなど、話し合いの間にできることを地元の人はやってきました。

何しろ人の少ない集落、皆高齢者です。自分の普段の仕事があります、大字の作業もあります、当番で地元がやっている茶店の店番もあります。

特産の「ゆうべし」(柚子に味噌などを詰めて乾燥熟成させた保存食。柚餅子のこと)や高菜漬けも作らなければなりません、夏の盆踊りもあります、そのうえさらに「散歩道整備」えらく忙しい2年間でした。

これを、業者さんにお金で発注したら、数日で終わる簡単な作業だったでしょう。しかも見場が良く、かっこいいものになったはずです。でも、みんなの達成感や誇りは育たなかった、団結力も強まらなかったと思います。

よそからこの谷瀬の里に、入ってきた人にはゆっくりした時間を過ごしてほしい。さっさと歩く道でなく、のんびりしてほしい。そんな思いで「ゆっくり散歩道」と名づけました。

吊り橋から、お宮さんのある森山という小さな山、そしてその展望台までの約1600メートル。集落の中や、227段の階段、神社、森の中、展望台と短いながらも変化のあるコースです。
「吊り橋に続くゆっくり散歩道」が出来上がりました。

そして、この4月6日(日)にそのお披露目会がありました。朝から雨・霰・雪・晴れという気まぐれな天気、それでも村人30人が集合し、来賓や一般の吊り橋客、そして十津川村のゆるキャラ“郷士君”も参加のセレモニーとなりました。

吊り橋前でのテープカット、みんなの夢をのせてシャボン玉が飛びます。

そして散策、天気が悪くとも桜花盛りの道は美しい。吊り橋が上から眺められる手作り展望台で記念写真も撮りました。

この展望台のベンチは「谷瀬の吊り橋」に使われていた板、長年、働いてきた板が第2のご奉公です。

本当は山の上のお宮さんでやりたかったなおらいを雨のために公会堂に変更。ここで集落の女性たち手作りの名物「めはり寿司」をほおばって。

フィナーレの餅まきでは、おじいちゃんおばあちゃんもそして何といっても私自身が大興奮。賑やかで楽しいセレモニーとなりました。

谷瀬の人たちがこの散歩道を整備したのは、大きな第一歩です。冒頭のリードに書いたように、実はいままで集落内によその人が入ってくることを多少拒んできたのも事実なのです。

その扉を、むしろ心の扉を開いて「どうぞいらっしゃい」と呼びかけた。これから谷瀬は少しずつ変わるでしょう。

ここの総代の北谷忠弘さんが、昨年秋の「スローライフ・フォーラム」の中でこのようにプロジェクト発表をしています。多少要約してご紹介しましよう。

< 谷瀬は、日本一の長い吊り橋があり、共有財産が共有林という形であり、それを中心に連帯性と協同性のある人たちが暮らしています。日本一の吊り橋を自分たちのお金でかけた、伝統があります。

私たちは「吊り橋茶屋」を共同経営し、順番で店番をしています。特産品の「ゆうべし」もみんなが集まってつくっています。

しかし、過疎は進んで老人ばかりとなり、現在26世帯44人。死んだ人の補給ができないむらになっていて半分諦めている状態でした。

そういう中で、何とかもう一回谷瀬を盛り返そうじゃないかというのが現在の取り組みです。

私たちは、これまで観光客は吊り橋までで、むらの中へ入っては困るという姿勢をとってきました。が、そうやっているともうむらは守れない。これからは外部の人の力を借りてでも、むらを守っていきたいと思っています。

何度も寄り合いを持って話をまとめました。まず、谷瀬の状態を知ってもらうということが第一と、むらの中心にある「森山神社」までの散歩コースをつくろうと取り組んでいます。

外部の人たちが歩き、谷瀬に触れて、むらの人たちと話をしたりして「いいところだなあ」と思い、「ああ、ここに空き家があるな。ここに私たち、定年になったら越してこようかな」ということになったら、私たちの計画はうまくいったということになります。

むら中に桜の花が咲く春、来年の4月には谷瀬の人たちの夢を乗せてこの散歩道がスタートします。 >

この発表の記録を読むたびに、私は胸が熱くなります。みんなで手をつなぎ守ってきた集落なのに、繋いでいた手の数がどんどん減って今やよその人の手がほしい。

むらを捨てるのは簡単だけれども、、いや、なんとかもう一度がんばろう。その決意での散歩道なのですから。

わがNPOは今年度は国の過疎集落等自立再生対策事業の一環「新集落づくりに向けた集落再生プロジェクト」の中でお手伝いをしていきます。

時間がかかっても、谷瀬の人が強くなり、谷瀬の人が元気になるやり方で、ゆっくり行きましょう。

先日、東京・麻布の我が家から十津川村谷瀬まで電車・バスと乗り継いで行きました。8時間かかりました。でも、それだけかかって行く価値のある人たち、自然がある、そして、私の勉強になるところです。

さあ、今年度も通うよ~~~~~~谷瀬!!!!