「べきだ」と「ワクワク」
先日こんなことがありました。ある方からのご意見「このまちはこうすべきだ、そうしないとダメになる」と、ごもっともなお話。
一方、別のまちづくりの会合では「こうすべきだではなくて、自分がワクワクするかで決めていきたい」と発言が。前者は男性から、後者は女性からです。
握りこぶしを上げるより笑顔のほうがいい、と私など単純に思うのですが。調整はなかなか難しいです。
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これはよくある話だとは思います。
男性に多い「すべき」論は、(まあ、男性にときめつけてはいけませんが)とかくこれまでの組織にのっとったまちづくりの場面に出てきます。
こうすべきだから、こう動くべきだ。このまちは、こうなるべきだ。べき、べき、の積み重ねで、ググっと人を力で押していく。
そういうときの会合は、皆が腕組みをし、眉間にしわを作って下を向いている。発言者は限られた人のみ。空気が重く、よどんでいる。
だから、何か議決されても、べきの山盛なので、ハートが入らない。誰かにプレゼンしても、勢いがなく声が詰まってしまう、ということになります。
一方、「ワクワク」「ドキドキ」を語るのは女性軍。紅組です。(これもまた、女性と、紅と限定するのもよくないのですが、やや、かなり女性に多い)しかも地べた繋がりや業種繋がりではなく、この指止まれのネットワーク繋がりの場合が多い。
たいていその核には、「市は」「町は」なんて言葉はなく、「美味しい」「楽しい」「面白い」「可愛い」「おしゃれ」なんて言葉があります。それでワクワクしてドキドキすることをどんどんやり、あら?と気づいたら、まちが変化してきていた。という構造です。
会合では、うるさいくらいに皆がしゃべります。必ず食べ物、飲み物があります。大笑いを何度もします。自分おこしとまちおこしが連動していますがら、誰かに説明するのも力が入ります。止めてもやるからね、という勢いが出ます。
さて、そう眺めると、ワクワクの紅組に軍配が上がりそうなのですが、そうでもありません。勢いのあるワクワクおしゃべりは、あっちこっちに飛び散って、いったい何の話だったのかが分からなくなってしまう。趣味に走り過ぎて、他の人を遠ざけてしまうこともある。夢中になりすぎて、家庭や健康に響くこともある。この辺の加減が難しい。
私のようなまちおこしのコンサルタントの役は、紅組、白組両方ともに頑張っていただいて、組織派・ネットワーク派それぞれに影響して変化して頂き、混ぜこぜになり、めでたしめでたしに持って行くことなのでしょう。ほぼ同時に、両者の違う物差しを見た気がして、今日はつぶやいてみました。
(写真は昨日の新宿御苑です。)"