9.11
あの日、私は滋賀県守山市で商店街活性化のワークショップをしていました。皆さんとのお疲れ様会で居酒屋に入ると、賑やかなはずの店が静まり返り、誰もがテレビを見ています。「どしたの?」と言ったきり、私もくぎ付けになりました。この夜は興奮し「私は何をすればいいの」と夫に電話。「取りあえず、寝なさい」と言われたのを覚えています。あれから20年が経ちました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、9.11を振り返り、ここで20年間の世界の動きを論じるわけでもないのですが、いつもこういう大きなことにぶつかると、自分の小ささを嘆くばかりで情けないのです。20年前のその夜は、さっきまで商店街に名物をみんなで作り、活気を取り戻そうと試食をしたり、カードにアイディアを出したり、笑ったり、励ましたり、それなりに一所懸命していたのですが、その行為とタワービルにジェット機が突っ込んでいくテロの現実が、どうにもつながらないのでした。
同じ地球のことで、私や商店街の人が頑張っているのは少なからず世直しで、前に進もうとしているのに。このビルが崩れ落ちるそのことに、どう役立つの?どう助けられるの?この問題の解決にどうつながるの?いま、飛んで行って私はがれきを片付ければいいのでしょうか?テロはいけないなどと叫べばいいのでしょうか?日本政府は何をしとるのか!と悶々として眠れなかったのです。
同じことは3.11の大地震の時もでした。四谷の事務所で大きな揺れをやり過ごし、50センチも動いたロッカーを片付けたときに初めて電車が止まっていることを知り、麻布の自宅まで歩いたのでした。この日は着物だったので、草履で、2時間。その間に、外国の高級車を売るショールームなどで大きなスクリーンに津波の映像が映されます。
「私は何をすればいいの」また、同じ問いかけでした。今すぐにでも何かしなくては、この惨状の解決に向けて何かを。と思うのですが、この日の私は草履でヨチヨチ歩くのが精いっぱい。ようやく家にたどり着いたら今度は、ショーケースが空になっているスーパーに愕然として、せめて魚肉ソーセージでもいいから食料を買えればと、コンビニなどを巡ったのでした。
スローライフ運動で訪れた地が、波に飲まれている。そして数日すると、同じく訪れた地は、放射能から全村避難になる。それに対して、私のスローライフ運動は何に役立つのか?あまりにも力のないちっぽけな活動に力落としたものです。
そして今、私たちは、テロでも地震でもない、コロナというものと戦っています。この戦いにも実に無力な自分を感じています。外にも出ず、人にも会えず、息をひそめてどうするの!と自分を叱りたくなるわけです。
でも、まあ、仕方がない。この20年間ずっとちっぽけだった。でも、引き返したりはしなかったつもりです。誰かが「大きなことはできませんが」と決まり文句をおっしゃっていましたが、こういう節目節目に自分を正し、小さな日常を少しでもいい方向にと思っていくしかないのでしょう。毎月、11日を、「襟を正す日」に決めました。そして焦らず慌てず、前に進む日常を創っていきます。
なんて、今回はつぶやくブログになってしまいました。(下の写真はご近所の保育園作品です)