ニッポンのあかり

ゆとりある記

東京・目黒「雅叙園」での展覧会「ニッポンのあかり 未来のひかり」を見ました。和紙・陶器・瓢箪などで出来た照明アートはそれなりに美しいのですが、「綺麗だね」「癒されるね」などと見入るカップルや家族連れに、この国のあかりが見えているのか。「コロナ禍にあかりが見えてきた」と言った菅さんは何を根拠に言ったのか。あかりは自分で灯すもの、と私は思うのでした。

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会場に入るとまず迎えてくれたのが、一番見たかった知人の知り合いのところの作品です。埼玉県越谷市の中野型染工場で使われていた、真鍮製の円筒を照明にしている「籠染灯篭」。そもそも籠染めとは、をひもどくと、浴衣などの藍染技法のひとつで、真鍮板に日本の伝統的な伊勢型紙の柄をエッチング、つまり真鍮を溶剤で溶かして柄を移し出し、それを円筒状にする。この籠のような円筒2つの間をローラーのように布を通して、同時に違う柄を表裏に糊付けする技法。型紙をいちいち動かして糊付けせずに、効率的に裏表が染められる、とのことです。


その真鍮の籠状のものがランプシェードになっているので、染め柄があかり柄となって周囲の壁に映りこむ。「千鳥」や「波頭」など、伝統的な柄が光になる。染の道具があかりになった、初めて見る照明でした。糊が出るはずだった籠の穴・隙間からあかりが出るのですから。派手な展示ではないですが、
そのアイディアが素晴らしいし、あかりが邪魔でなく上品でした。

 

このほかに、伝統的な名古屋提灯や、瓢箪を照明器具にしたもの、和紙を使ったものなど様々な照明が並びます。会場「雅叙園」の「百段階段」が都指定有形文化財で、階段で結ばれる7つの部屋の装飾そのものがもともとすごいのですが、そこにこのあかり作品が加わって、“濃い”展示。

家族やカップル、友達同士と、結構若い人が多く来ています。「かわいい~」「おしゃれ~」「ばえる~」とどの部屋の展示もスマホで撮影大会。一番上の階には山口県柳井市の「金魚提灯」がおどけた顔でずらり。ここでも次と次と記念写真が撮られていきます。

一休みしながら考えました。コロナ禍で閉じ込められ、この先どうなるのだろう?と鬱々するか、“文句なく綺麗で光るもの”に皆、惹かれるのでしょう。当然私もその一人です。どれか一つ、この美しいあかりを持ち帰り、部屋を照らすことができたら…とも思います。

それほどに「あかり」は大事なのでしょう。あかりは希望であり、そこに人が居るという証にもなるのですから。私の好きな歌で「街の灯り」というのがあります。「街の灯りちらちら あれは何をささやく♪」堺 正章さんの歌。「ちらちら ささやく」ほどでいい、これからの未来へのあかりを欲しがっているのかもしれません。

長崎の知人のことを思い出しました。彼女は長崎の夜景を創る、その「あかり」のひとつになりたいと山の斜面に店をつくり「灯家AKARI-ya」という名にしました。素敵なあかりに「癒される~」と思ったなら、次は自分がこの先を照らす、日本のあかりの一つにならなくてはと思います。そんな風に考えながら帰った家にあかりがついていて、ドアを開けるとご飯の炊けるにおい。うれしかったのでした。