福寿観音

ちょっとしたこと

横浜市東戸塚を訪ねました。駅を降りると、大規模店と高層マンションがそびえています。圧倒されながらマンションの間を歩いていくと、意外に緑が豊か。開発と同時に自然に気遣ってきたのでしょう。驚いたのは旧東海道が狭い道幅ながら残り、道路を見下ろす絶壁に小さな観音堂も。お地蔵さんがコートを着せられて、マンション群を見守っていました。

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駅を降りると、東に向けて(この地図では下)ショッピングモールと自由通路が一体となったオーロラシティというエリアが伸びています。その終わりに左右に走るのが横浜環状2号線。それを陸橋で渡ったところに小さく福寿観音の文字が見えます。ただこの時は、そこまで目が行きませんでした。

駅前。下から見ると、道路を渡らずに、通路を通って買い物し、マンションに行ける構造になっているのがよくわかります。

駅前からマンションが並ぶのですが、ゆるい坂を上っていくと並木が枝をひろげていたり、手入れの行き届いた緑があったり。

マンションの足元の道をめぐり歩き、いつしか陸橋も渡ると、「旧東海道」の看板が現れました。少し先には「品濃一里塚」という名の一里塚が当時の形を残しているそうです。

その旧東海道と、環状2号線に挟まれるようにした高台に「福寿観音堂」がありました。古いものではありません。1982年のものです。巨石の碑文を読むと、驚きました。ここ東戸塚は、大正の始め頃から駅がほしいと地元で熱望されていたそうです。関東大震災、戦争などがあり、延び延びになっていた。それがいよいよ昭和40年代から駅を作ろうと機運が高まり、請願を続け、昭和55年1980年に東戸塚駅は完成したのだそうです。請願駅のため、駅舎や駅前広場の整備は地元負担。その費用の多く、25億円を出したという福原政二郎という方について記されていました。

福原氏は観音菩薩進行が厚く、駅と駅前の開発の大願が無事に行えたことを喜び、ここに観音堂を造ったのだそうです。駅の西側にもあるとのこと。なるほど、観音堂から東戸塚の駅までの町全体がよく見えます。

初めてこの地にうかがったご挨拶に、お賽銭をいれました。ふと見ると本堂のガラスに、高層マンションが映りこんでいます。このお堂の奥から観音様がマンション群を守ってくれているのでしょうか。

お地蔵さんもありました。赤子が足元に抱き着いている地蔵像。花がきちんと活けられて、防寒マントが着せられていました。お堂の周りは綺麗に掃除されています。こうしたマンション群の中の観音堂となると、とかく荒れていて、たばこの吸い殻だらけになっているものです。なんだかほっとしました。

無機的にみえる高層マンション。でもそれができる以前にまずは駅がほしいという人々の願いがあり、開発があり、投資した人が居て、緑を植えた人が居て、いまここを愛し、終の棲家にしようという人たちが、各建物で、各階で、日々の暮らしを紡いでいる。

そんな血の通った人間らしさを感じとれて、うれしかったのでした。