合気道黒帯

ちょっとしたこと

私、実は合気道を稽古していまして、このほど黒帯となりました。50代半ばからのスタート、なかなか稽古に行けない、もともと運動神経はダメ、それでも4年間通って、ようやく試験に合格。初段をとってからが本当の“道”、ゆっくり続けるつもりです。自分からは攻めず、腕力・年・性差関係なく平等にいい汗をかける、合気道こそスローライフ・スポーツだと思います。

何かスポーツをしなくてはと思い、これまでいろいろやってはみましたがダメでした。ヨガ教室は、途中で笑い出してしまう。太極拳は、ゆっくり過ぎてストレスになる。水泳教室では、背泳ぎしても潜水になってしまう。社交ダンスでは、脂ギッシュなおじさんに手をネチネチ握られて腹を立ててやめる。という具合で、続いたものはありません。

それが、今の住まいに引っ越したときに、夫が「おい、合気道やろう」と言い出したのです。マンションを探しているときに、今の道場の看板を見つけたのでした。「シャキッと歳をとりたいから」「夫婦一緒なら続くかも」「道場が近いから通える」と積極的な夫に引きずられて、いきなりの入門でした。

その頃は、私は膝が痛く冷え性で、先生に「裸足だと冷えるので、靴下はいて稽古ではだめですか?」と聞いた記憶があります。ところが、稽古が始まると、冷えるどころか汗びっしょり、膝の痛みどころか、最初は全身の筋肉痛です。

平日夜の稽古の日は、その晩、超熟睡。日曜午前の稽古後は、バタンとお昼寝。という今まで経験したことのない、疲れを体験しながら、それが心地よく、なんだかんだと道場に通ってきたわけでした。

技は、おびただしくあり、初心者も有段者も、同じ技を稽古します。なのに、経験を積むと同じ技でも全然違う、キレとかメリハリとか美しさとか。私などは、まだまだドタバタお笑い合気道の域、夫からいつも笑われています。

最初の試験は5級から。4、3、2、1級と進み、その後ある日数を通ったら初段の試験が受けられるというシステム。この12月の初段試験は壮絶(と自分で思う)でした。

中学生の頃使った単語帳を買って、技の全種類を書き、電車の中でそれをめくってシュミレーション。試験に何が出るかわからない、先生がおっしゃった技を次々やり続けるのですから、身体が動く以前に、技を覚えなくちゃ。

夫の方が先に黒帯をとっているので、夜な夜な、出題してもらい、手をとり、回し、ひねり、投げ、決める、なんてことの繰り返しでした。マンションの窓に映る二人の影は変なものだったでしょう。

自由技もあります、流れるように様々な技で相手を投げ続ける。これは自分で覚えます。ね、これだけあるともう、パニックでしょ?!パニックだったんです。

どんなにたくさんの人前で講演してもあがりませんが、合気道の試験は毎回あがります。そして今回も、頭は真っ白。10分間くらいでしたが、終わったトタンにボロボロヨレヨレ。正座して見守っていてくれた稽古仲間は、技のできより、「体力がよくもったね」とほめてくれたものです。

合気道をなぜ続けるか?と今頃考えます。たった1時間でもそうとう汗をかくいい運動だから。おばあちゃんになっても続けられるから。夫と共通の話題ができたから。覚えたり試験に受けたりがチャレンジになるから。道着や袴がかっこいいから。正座や挨拶などが気持いいから。仕事のストレスが吹き飛ぶから。

いろいろ理由はありますが、最近思うのは「いい仲間がいるから」が強いです。

パソコンに一日座って世の中わかったようなことをいって、フェイスブックで友達がたくさんできたとしても、それは乾いて空しい人間関係に思えます。

道場では仕事では出会わない、様々な職種年齢の男女と、頭を空っぽにして身体をぶつける付き合いです。同じ道を目指す、厳しいけれども家族のような仲間と、稽古のあと飲む一杯の麦茶の爽快なこと。混浴の温泉に入ったような、心も温まる時間。

そう、「ああ、私って生身の人間だなあ」と確かめに、道場に通っているのかもしれません。

黒帯、新年からありがたく締めさせていただきます。