ふなずしパイ

お仕事で

滋賀県守山市。かつて商店街を元気にするために一店逸品運動をすすめていたとき、ここの名物・鮒寿司を使ってお菓子ができないかとみんなで考えました。

研究会メンバーのお菓子屋さんが、あの強烈な臭いと戦いながら失敗を重ねて「ふなずしパイ」ができあがりました。

先日10年ぶりに守山へうかがうと、パイは今も健在、すっかり守山の名物として根付いていました。

10年ぶりの守山の皆さんとは、まるで同窓会のような雰囲気の再開です。「全国一店逸品サミット」までやった人達が、なんとなく一段落し、というか多少サミットで力尽き、3年続いた一店逸品運動は消えてしまいました。

しかし、みんなが言うには「あの一店逸品運動があったからこそ、それが根っこになって・・・」の活動が、さまざま花開いていました。

商店街を100円ショップのように使う「100円商店街」、商店でカルチャースクールのような催しをやる「街ゼミ」、おつまみと飲み物を味わいながら何軒もの飲み屋さんを安く回る催し「バル」。

オリジナルの発想ではありませんが、他所の事例を上手にこなしています。㈱みらいもりやま21というまちづくり会社もできていました。http://miraimoriyama21.shiga-saku.net/

運動とは力や筋力をつけることですから、何も同じことを続けなくていいのです。だから、一店逸品運動がそっくりそのまま続かなくても、その運動が元肥になって違う花が咲けばそれでいいじゃないですか。今回あらためてその話しました。

その席で、思い出の「ふなずしパイ」が配られたわけです。「きゃ~、ちゃんとまだ作ってるの?売っているの?偉い偉い!」と叫んだ私です。宴会の席で、作っているお菓子屋さん(有)モンレーブのご主人がしみじみとスピーチされました。

「鮒寿司を使ってお菓子ができないか?と、案が出てきたときには驚きました。試作すると、工場も機械もみんな鮒寿司の臭いがついてしまって、無理ですとあきらめたことがありましたね」

確かにそうでした。商店街のみんなで新しい逸品を作ろうと、多少無責任にアイディアを出すのですが、実際に取り組む方は大変です。鮒寿司は、今でこそ私の大好物の一つですが、あれだけは食べられないという人が極めて多い食品。私も初めてこの守山でいただいたときは、相当臭いブルーチーズをさらに生臭くしたような臭いに驚いたものです。

守山では自作の2年もの3年ものというのを仕込んでいる人も居て、遠来の大事な客が来ると出す習慣があります。日本でも横綱級のスローフード。乳酸菌の力で健康に良いとされ、風邪のひき始めには鮒寿司一切れに熱いお茶をかけてすすれば、体がポッポして治るともいわれます。

そんなにいいものなら、みんなが食べられるように。鮒寿司入門として、チーズパイみたいにできないか?と思ったわけです。モンレーブさんは結局、「そう言わずに、何とかやってみてよ。世界初!だよ」などと励まされ、作り出すことになります。

できた当時は、細いパイ生地をひねった形状でした。今回いただくと、魚の形にできています。「このパイは今はうちの店の稼ぎ頭です。皆さんに、守山のお土産に使っていただいています」とのこと。

胸にジ~ンときました。世界初のへんてこなものが定着するまで、ずいぶん苦労があったはずです。みんなも支えたのでしょう。10年もの?の「ふなずしパイ」は、できた当時よりもずっと逸品にいい味を出しています。

こうした品物が残り、育っているなら、一店逸品運動のセカンドステージにもチャレンジできますよ。さ、やりますか、守山のみなさん。

今、無事な土地で生きている人が、とにかく元気になって、被災地にまでドクドクと活力を送らなくては。自粛している場合じゃないよ、ニッポン。