悲しい麻布十番祭り

ゆとりある記

東京・港区、麻布十番商店街で、3日間で60万人の人手といわれる恒例のお祭りがありました。住民として何が悲しいかって、人に街がのっとられること。

人混みでメインの道は歩けません、裏道に行けば、そこは浴衣姿で地べたに座り込み屋台フードを食べる若者の群れが占領。駅はトイレを使う人の列で改札までたどり着けず。

地元に永く住むあるおばあちゃんは「3日間が終わるのをじっと待つの・・」とため息です。これはいったい祭りなのでしょうか?

そのおばあちゃんが語るには「昔はこんなんじゃなかったの。本当に商店街の人がお祭りにお店を出して、いろいろ工夫してね。今年はどんなものが安く売られるのかって、楽しみにしていたの。地元の普通のお祭りだったの」とのことです。

それが、地下鉄が引けて交通の便が良くなり、六本木ヒルズができて、‘十番’と愛称で呼ばれるくらいにここのステイタスも上がり、だんだん人が押し寄せるようになったようです。

ただ、このお祭りの間に来る人たちは、いつもの麻布に来る人たちとは違います。「なんだか、埼玉県やら神奈川県からも‘十番祭り’へ行こうって乗り込んでくるらしいよ」とおばあちゃん。

「私なんか怖いから、3日間分の買い物は全部して街に出なくていいようにしてるもの・・」おばあちゃんは、裏通りでパンと牛乳程度のコンビ二風の小さな店をやっているのですが“トイレありません”と大きく貼紙をしています。

私も住んでまだ3年ですが、「十番祭りのときは、麻布を逃げ出した方がいいです」と引っ越したときに大家さんから言われ驚きました。確かに、今年の初日も朝方まで騒ぎ続ける若者の声で夫は眠れなかったとげんなりしていました。

もともと私は、賑わいや人混みは大好きです。それに仕事も、地域や商店街の活性化という賑わいを起こすようなことをしています。でも、確かにこの‘十番祭り’は街のキャパシティを超えてしまいました。

しかも、あえて言えば、集まってきている人たちの質が悪すぎる。汚いとしか言えない浴衣姿の若者が泥酔してアスファルトにベタベタ座りこんでいる姿は見るに耐えません。また、人にこういう姿を強いる街も、もてなしの心に反するでしょう。

何でこうなってしまってのか?を考えなくてはならない時期に来ているのではと感じます。私なりに思いめぐらすと、まず祭りというならそこに何らかの精神性がありたいのですが、お神輿や屋台が出るわけでなく、ホオズキ市とか酉の市みたいな季節の節目という行事でもなく、目に付くのはただただ物売りの屋台であること。

その屋台が、いわゆるテキヤさんの屋台が多いこと。全国のお国自慢の屋台は出ていますが、あまりの混雑に風土や風情は感じられません。

食べ物を売るや屋台がほとんどなのに、売りっぱなし。売った物を食べる、飲む、その場所が全く配慮されていないこと。

こうなると乱れます。何でもアリ!というノリになって、ゴミは放り、マンション入り口におしっこ、真夜中の女の子の嬌声ということになります。

賑わいというのには、どんな祭りにしたいのか、どんな街にしたいのかの考えに基づいた適正人数というのがあるでしょう。‘食’を提供するなら、売るだけでなくその食べる環境整備までが食の提供でしょう。屋台と同じ数、スペースだけ、座る場所をつくるしかありません。

と、ここまで書くと、主催側に何も策がないかのようですが、そうではありません。3時から販売、9時終了。という屋台のルールはびっくりするほど徹底しています。たくさんのボランティアが汗だくでゴミを集めています。山のゴミを夜11時には全てなくす対策や、商店街の人たちがイベント資材を片付ける姿もご苦労様と思います。

だからこそ、もう一歩、来年はひと工夫。麻布に来た若者たちが逆に麻布で躾られて帰るくらいに工夫をしませんか。住民が、息を潜めなくていいようなお祭りにしませんか。賑わいすぎるのを、どう引き算していくかも、麻布の腕のみせどころと思うのですが。

※写真は午後3時過ぎ、スタートしたばかりの様子。日が暮れるにつけ、この何十倍かの人が押し寄せます。"