種どり農家
農家以外の人は“野菜農家は種をとり、また来年それを蒔く”と思っている方が多いのではないでしょうか。
でも、いまの時代、種をとる農家は珍しく、市場に出る野菜の多くは一代限りで種もできないと聞きます。
そんな時代に挑戦するかのように、種をとり在来種の野菜を有機栽培している若いご夫婦に会いました。雲仙市の「竹田かたつむり農園」、スローながらも頑張っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前のブログで「野菜パワー」のタイトルでこの農園の野菜のことを書きました。
まるで野菜の活き造りのようにピチピチと盛られた、鮮やかな野菜たち。この野菜の鉄板焼きの美味しかったこと!
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=477
この時既に、カボチャを3種類いただいています。スーパーで買うカボチャはたいてい4つ切りになったホクホクの西洋カボチャ。
いまの都会の子どもたちは、これとハローウィンで使う巨大なカボチャくらいしか知らないのでは?
でも日本には、もともと地域に根ざしたいろいろなカボチャがあったのでした。
しかし輸送に耐えて、日持ちが良く、今の食文化になじみやすく、作りやすい、失敗のない、同じ形のものがきちんとできる品種が推奨され、農家はそのカボチャばかり作るようになってきたわけです。
できたカボチャを売ってしまえばそれでよし。また来年は苗を買えばいい。種などとらないし、そもそも多量に作られている野菜類は、一年作り収穫すればお役御免。その時、その年だけいいものができる品種に作られていますが、立派な種は残さないのです。
鉄板焼きの時にご一緒はしていたのですが、あらためて農家さんを訪ねました。
「竹田かたつむり農園」の竹田竜太さん。もとは学校の先生、駅伝を走るアスリートでもあった方です。
名刺の肩書には「種どり農家」とあります。
そしてかわいらしいカタツムリの絵をあしらったロゴマーク。「まあ、ゆっくりやろうや」というメッセージがじんわりと伝わってきます。
農薬や化学肥料を一切使わず、種がとれる「在来種・固定種」の野菜を中心に、年間を通して約50品目の野菜を育てているという竹田さんの畑。
これだけの草に負けないで、元気ななすが。普通収穫が終わったら、株は引き抜き捨てられるのでしょう。でもここではまだこれから、種をとるのですから。
「ああ、まだいいのが生ってくれてたなあ」と竹田さん。
ここの青なすは、鉄板焼きでとろける美味しさでしたっけ。
野菜の一生=種から種まで、と付き合いたい。そんな農園ですから、この種が宝物。
こうして眺めると、実に綺麗です。
竹田かたつむり農園のパンフレットにある初夏の畑の様子の絵。「黒田五寸人参」「長崎赤カブ」「雲仙こぶ高菜」「万願寺シシトウ」「青ナス」「小菊カボチャ」「九条太ネギ」「平家キュウリ」「雲仙赤紫大根」などが描かれています。
う~ん、どれも食べてみたい。もう、大量生産された、何処でも同じ、いつもの野菜じゃ嫌ですもの!
おやおや、竹田さんが草原、いや、畑をスタスタと走っていきます。
どうやらウリが植わっているようです。
「これ、ここら辺だけで作られている特殊なウリで、漬物にすると歯ごたえがあってうまいんです」と竹田さん。
近くのおばあちゃんが種を持っていたとか。今年、種をとれば、来年はもっと皆さんにお分けできることでしょう。
竹田さんの野菜の美味しさを聞きつけて、この日もお菓子素材を探している方が訪問されていました。
市内や長崎のレストラン、旅館などで、定期的にここの野菜を使うところがだんだん増えているとのこと。でもまだまだ数年の取り組みですから、売りさばきが難しい。
雲仙はジャガイモの産地です。ほっといてもあちこちからジャガイモがもらえる土地、だからいくら無農薬とはいえ、少し高い値段が付くと売れない。
「地元で一番使ってほしいのですが、地元になかなか理解されない」のがもどかしいわけです。「ジャガは芽が出てきちゃって~」(笑)
でもどうでしょう?100グラムなどで計算すると、安売りスーパーと比べてしまいますが、「種とり体験料金」(野菜付)なら一人2000円位とれる。
「いろいろジャガの食べ比べ教室」だったら同じく1500円はとれる。「無農薬ジャガ5種セット」(ジャガ料理名人伝授のレシピ付き)なら合計2キロで1500円になるかも。
この思想のある“畑”を食育の教室ととらえて、物プラス提案や知識や体験を売りましょう。そのうち、みんなが大きな野菜家族になって種から人の輪も育つはずです。
「大変ですね」と私が言うと、「いやいや、まだまだ、これからですよ」と竹田さん。
渉外係の奥様の激励が、明るさのエンジンになっているようでした。
“