母通い
以前、秋田・二ツ井の福祉施設、丸岡一直さんが述べられていました。「高齢者がいよいよの時に、遠くの息子に連絡すると、忙しいから戻れないという。それほど重要な用があるのか?」と。今まで私もそうでした。NPOの雑用が膨大で、家族は後回しでした。100歳の母の相手もできないなんて、スローライフでもゆとりでもないですね。で、毎週通うと決めて、今日もです。
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母のことは、ここに何度も書いてきました。昨年、娘、つまり私の姉が亡くなってから義兄と2人で暮らし、室内を押し車でゆっくり移動して、洗濯や家事を頑張っていましたが、今年の7月に足が痛く歩けなくなり、病院で診察したところ、即、入院となりました。足の膝下の骨にヒビが入り、治療が必要ということでした。
1ヶ月ほど入院していましたが、骨は治っても、寝ていたために、今度は立てず、歩けなくなりなりました。オムツの交換もあり、安心して居られるところをと、急きょ探して、有料老人ホームを見つけ、移動。ようやく今、そこの暮らしにも慣れてきています。
私は千葉の実家を18歳の時に出て以来、あまり顔出ししておりませんでした。今も東京住まいです。母の入院入所、こういう手配手続きは、母の孫、姉の娘がすべて段取りました。病院から即施設では少々可哀そうにも思いましたが、一度、家に戻って算段してからとなったら、いつまでたっても母は用意が済まず、決断もできなかったと思います。空きがあったのが、実にラッキーだったのです。その分、いま、孫やひ孫には「あれを持ってきて」「こういうのがあそこにあるから今度運んで」と指示が飛んでいるようです。
それほどに、頭はしっかりしていて、耳は遠いものの、おしゃべりは達者です。手がわずかに動く程度で、足はただの棒状態。1日3食、オヤツや体操の時も、介護士さん2人係で車椅子に乗せてもらい、移動ですが・・・。
もともと小売店へ勤めをしていたので、人と付き合うのは得意。だんだんに施設の人達と仲良くなってきました。自分の居場所と、思えてきたのでしょう。お風呂の係の人の顔が見えると「こんにちは~」と自分から声をかけ、「娘なんです、似てるでしょう?」と私を紹介。オムツ交換をしていただきながらも「あなた、○○がお住まいだったわよね」と交換係の人に話しかけます。この辺は、見習わなくてはとつくづく思います。
玉子焼きを作って運ぶ私には「先週のより今日の方が甘くていいね」とか、「もっとお化粧しなさい」とか、「少し痩せなさい」などと宣います。食事は減塩、嚥下食ですが、物足りないらしく、「天丼」「ピザ」「ブドウパン」などのリクエストが。施設の方の許可を得て少量食べています。「美味しいね〜」と笑顔も出るようになりました。
週1回なのではありますが、私は今頃、母娘の関係を紡いでいる気分です。ある意味、私にとっての癒しの時間、人間的な生々しい場ですから。「週に一度くらい、パソコンから離れなさい」という、母の教えなのだと思っています。
写真は、私が十津川村で買ってきた、卵型のヒノキの玉で手のリハビリをしているところです。「こんなところ、写すんじゃないわよ」と怒られそうですが・・・。