温泉文化
群馬県安中市「磯部駅」に降りると、「ここが温泉表記の発祥地」と石碑にありました。江戸時代の地図に「♨」のマークが出てくるのだそうです。それにちなんで、ここから日本の温泉文化を世界遺産にしようとお考えの大学の先生にお会いしました。なるほど、日本の温泉文化は独特、それだけの価値があります。私もかつて温泉文化研究会を立ち上げ、「日本温泉文化曼荼羅」を描いたり、『温泉道教本』を作ったりしましたっけ。また、むらむらと温泉文化を追いかけたくなりました。
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群馬県安中市には、8月、「安中市 移住・定住アクションプラン」策定のためのワークショップ進行係としてうかがいました。そしてここで、今回のプランの総括アドバイザーである、高崎商科大学特任教授・熊倉浩靖先生にお会いし、「駅前に温泉マーク発祥の碑があり驚きました」と私、「日本の温泉文化を世界遺産にしようかと思うんです」と先生。こんな会話をしたのでした。
安中市の磯部温泉には、万治4年(1661)に付近の農民の土地争いに決着を付けるため江戸幕府からの評決文が残り、その添付図に磯部温泉を記した「温泉記号」が描かれているのだそうです。専門家が調査した結果、この温泉記号は日本で使われた最古のものと判明した。と、市のホームページにはあります。気軽に使ってきた温泉マーク(普通こう呼びますよね)の出発がここだったとはビックリでした。
温泉、温泉文化については、私も一昔前、一生懸命盛り上げようとした時期があります。かつての資料を見ると。2000年の2月に発行した小冊子『温泉道教本』がありました。この頃、私は静岡市に住んでいて、ちょうど2000年を迎える前から「温泉文化研究会」を立ち上げ、特に、身近な伊豆半島の温泉をもう一度とらえ直して、21世紀にふさわしい、温泉文化を育てようと腕まくりしていました。
序文がなかなかいいです。「ずっと前から温泉との新しいつきあい方を求めていました。温泉に行ってその辺をざっと見て、夕方宿に入って、あわててザブンと湯につかって、やたらと並ぶ料理を残しながら食べて、眠って急いで帰ってくる。そんな自分がはしたなくて、もういやになっていたのです。 ~略~ 温泉を、ただ一泊二日でいくらの一要素になり下げてしまっていたならば、その地位をもう一度高めてあげなくては。地球からのおっぱいのように湧いてくる、温かな温泉に申し訳なく思います」と、当時の私は意気込んでいました。伊豆半島全体を教室に「温泉道」をお稽古し、身に付けていこうと提案しました。新しい温泉観光を伊豆から創造発信しようとしていたのです。
で、80人ほどの会員を集め、毎月いろいろな体験実験をして、その記録を小冊子にしました。温泉療法による「現代湯治」、温泉宿の女将さんに学ぶ「日本文化」、温泉地で触れる自然・食・文化などなど、会員が実際に身体をはって実験していったわけです。いま読んでもなかなか面白い試みでした。
一方、1999年5月、全国地域学フォーラムで私が温泉文化について話した時のレジュメ、手描きの『日本温泉文化曼荼羅』も残ります。温泉マークを中心に、健康、味、遊び、創作、建物・街並み、仕事・産業、イメージ、信仰、コミュニティ、交流にジャンルを分けて、そこに具体なアイテムを書き込んでいます。
今の私の興味から見ると、温泉があることで育つ交流やコミュニティというあたりですね。温泉があり、共同湯などがあると、その地に濃い繋がりが育つ。施設維持管理のための人の繋がり、裸の付き合いが作る人間関係、来訪者と地元民との交流、文化や技術のやり取り、など。こういうものが育つのは温泉場の強みでしょう。
ネット上で検索すれば、今ではすぐに出てきそうな、温泉に関する文学者の表現、歴史書での記述などもなかなか面白い。温泉文化は、ただ汚れを落とす風呂・シャワー機能とは全く違うもの。そこの土地と自然・人と一体になった温泉地域の生活文化です。地域色が色濃い独特のものでしょう。こう書いていると、再び温泉文化に没頭したくなってしまいます。
世界遺産、目指しますか!