高齢者ワークショップ
まちづくりのワークショップには、高齢者が多くご参加です。地域に根差したテーマで、昼間の開催となるとどうしてもそうなります。こんご、ますます高齢者ばかりの世の中になるのですから、これは当たり前としなくてはいけません。先日は「高齢者仕様で」というオーダーがありました。カタカナ言葉の多い内容だとイヤになる。アカデミックすぎるとしんどい。都会の若者が進行役だと田舎の高齢女性は参加しにくい。とのこと。ならば、私、高齢者。腕まくりで頑張ります。
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何処に行っても高齢者、どんなテーマでも高齢者、この傾向はどんどん強まります。そもそも「若い人に来てほしい」などと主催者が思う方が無理。自然体では地域づくりの会合に、若い人は参加しません。そこで、なんとか目立つチラシを作ったり、一人ずつ口説いたりして人数を集めたりします。そうして「来てやったぞ」という若い人が参加しても、高齢者となかなか意思疎通はできません。
ならば、話の合う若い人だけでグループを作って、などとなりがちです。高齢者だけのグループからすれば、なんだか賑やかで大笑いしている若者チームを不思議な顔をして眺めることになる。そんなワークショップのテーマが「世代間交流」だったりする。ほんの数回、交流の場を作ったとしてもうわべだけのことになります。
一方、あまりにコテコテの高齢者中心になると、普段の地域の会合の延長になる。声の大きい人が演説し、何かが決まっていく。そういう場には、強い誘いがない限り、高齢でも女性たちは現れません。上座に座る人、お茶を入れる人などが決まっていて、腕組みをしている時間が長くなる。つまらない長い演説会合になる。それならうちにいた方が良いということです。
かと言って、私のような立場の者が、さくさく何かを進めようとすると、その集落や住民のやり方やスピードを無視することになる。「え?私そんなに悪いことしちゃったの?気づかないでごめんなさい」と反省することになります。野口でさえそうなのですから、都会の若いカタカナ言葉が得意なコンサルの方々が、高齢者の本音を探りだすにはよっぽどの努力が必要でしょう。
先日はこんなことがありました。知識豊富で「こうやればいい」と結論めいたことがみえてしまっている高齢者の方がいた。いわゆる皆が案を出す時間などまだらっこしい、という立ち位置になる。皆の輪には入らないで傍観者的になる。自分案を私にだけこっそり説明しに来る。う~~~~ん。結局、皆と何とか会話し、距離を縮めていくように私の方から彼に話しかけました。
一方、あるところでは、AIを使っての提案を皆さんへ配る比較的若い方が。AIの意見と出されるのですが、コミュニケーションを安易にしようとしているのが分かります。第一、その場で文字ばかりの書面を高齢の方は読めないし。「AIによると、こういう意見がでる」と何度も繰り返す説明が空しくなります。それなら、自分はこう思うけどと素直に行った方が良い。高齢者の方々もいつも頭から否定せずに、「そういう考えもあるな、そういう時代かもな」と聞く耳を持たねば。
いずれも、お互いが話し合うことに慣れていない。結論を早く出すことが良いこと、という考えも沁み込んでいる。ワークショップなどは、あっちこっちに意見が揺れて、ジワジワと決めて行けばいいわけで。その間に、参加した人が何かしら学んだり、考えたりすることが大事なのだと思うのです。もめにもめた方が、人は成長するし、企画案に愛情も湧くもの。効率的は良くない。私自身反省しながらなのですが。
皆、初めて高齢になります。この前70歳になったときはという経験がないまま、70歳に高齢になる。80歳になる。予定になかった病気になったり、膝が痛くなり、目が悪くなり、忘れっぽくなったり。だから、考えていた地域の未来には、全く追いつかない、力が及ばない。こんなはずじゃなかったことだらけで、地域づくりを進めなくてはならないのが現実なのです。右肩上がりで伸び行く地域にはならないと思わないと。
こんご皆がそうなるという前提で、行政や企業も事業スケジュールなどをたてなくてはいけません。たった3回くらいのワークショップで、斬新な具体的プロジェクトなんて決まらないし、決めちゃいけませんよね。と、今回は愚痴っぽいブログでした。あ、写真は今回何を入れよう・・・。







