玉置神社

ゆとりある記

奈良県十津川村玉置神社は、役行者や弘法大師も修行に立ち寄ったと言われる古くからの聖地です。標高1000メートル近くに風格ある社が鎮座し、その後ろには樹齢3000年という神代杉がそびえています。近年はパワースポットとして若者にも人気。御利益に預かろうと訪ねたのですが、駐車場から歩くだけでも大汗。肩で息をしながら、とにかく聖地の空気だけは存分に吸ってきました。

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玉置神社の駐車場に着くまで、相当山を登っていきます。紅葉を楽しみながらなので素敵なドライブです。10年ぐらい前にうかがったときは、参道はこんなにすっきりしていなかったような・・・。まずは砂利道が続きました。幟の名前を見ると、全国各地から信仰があることが分かります。

杉の根っこが土の上に盛り上がって出ている山道を登ったり下がったりしながら、ようやく本社に着きました。こんな上まで建築資材をどのように運んだのか?などと考えてしまいます。お一人でいらしていた女性は和歌山県新宮市から。「ここは、選ばれた方だけが来れると言われていますよ」と。う~~ん、そううかがうと、その選考基準は?なんて考えました。

各地に大きな杉はありますが、ここの杉はまたすごい。こんな高地に、こんなにしっかりと。十津川村の藁で村民有志が作ったしめ縄が巻かれています。ここに立っていると、杉のパワーが上から降ってくるようでした。

「この奥に、一番のパワースポットと言われるところがありますよ」とご案内の方に誘われて、登って行ったのが「玉石社」。ここまでの急坂がきつい。玉置山山頂と本殿とのちょうど中間にあるとのことですが、とても山頂までは無理。ここでゴールとさせていただきました。社はなくこの白い石がご神体なのだそうです。汗だくの顔に、木の柵のむこう、玉石の方からス―――っと風が来ます。玉石に撫でていただいた気分でした。

東京のエアコンの中、毎日デスクに座っていると、身体は萎えて縮こまり、心はカリカリに乾いています。普段は気づきませんが、こういう自然の中に来ると、自分がいかに乾燥した生き物かがよくわかります。しかも枯れている生命体。実に弱い。

それが、お参りをすます頃には少しみずみずしくなりました。身体と心が開き、蘇ってきたようです。維新の時代に十津川郷からはたくさんの郷士が山を越え、京都御所警備につき御所を守り、命も落としています。その一人、上平主税。幕末、十津川郷士を率いて勤皇運動に身を投じました。維新後の明治2年、新政府の高官を襲ったという罪で伊豆新島へ流刑になり、10年後に特赦で村に戻ったそうです。医者だった彼は、新島で種痘をして島民を助け、慕われ、十津川村に戻ってからも村のために尽くし、玉置神社の神官になったということです。

その碑が山頂近くにあるのでしたが、とてもお参りはできませんでした。世直しに一生をささげた彼はどんな思いでこの玉置山で人生最後を送ったのでしょう。彼が眺めた杉、景色を見ながら考えます。ふもとの村までよく降りては村人と語り、酒を飲み、再び山に戻ったとか。もちろん徒歩で。今の私は彼の没した歳と同じなのですが、実に脆弱な身体、足。世直しへの想い、志の小さいことよ!

仕方がないので、村でできた高菜漬けで巻いたおにぎり、十津川村名物の「めはり寿司」にかぶりついたのでした。